「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
あらゆる英雄の中でも最速を誇るライダーは、その俊足のみならず槍術に於いても速度を重視した攻め方を得意としていた。
『速さ』は、そのまま『力』となる。
相手が相手なら対峙した瞬間に決着がついていてもおかしくはない。
しかしながら、相対する“黒”のアーチャーは弓兵ながらライダーの槍術に喰らい付く。
戦闘が始まって幾許かの時が過ぎた。
力関係は当初と変わらず、ライダーが優勢を維持している。アーチャーは反撃もおぼつかず、双剣でライダーの槍を凌いでいる。
だが、それはつまり『凌がれている』ということである。
大賢者ケイローンから基礎を叩き込まれ、数多の戦いを乗り越えて磨き上げた槍が、自分の間合いに入った弓兵に凌がれているという事実。
“速さも力も、俺のほうが圧倒しているのは間違いない。何故、攻めきれない!”
打ち合う刃は千を越え、眩い火花が夜の森を照らし続ける。
ライダーに傷はなく、アーチャーは少しずつダメージを蓄積している。
このまま攻めれば勝てるとは思う。
しかし、それと同時にアーチャーの堅実な守りに阻まれて、勝敗がつかないのではないかという思いも芽生え始めていた。
それほどまでにアーチャーの守りは硬かった。より正確に言うのなら、守り方が非常に上手い。
ライダーは仕切り直しとばかりに距離を取る。
弓兵を相手に距離を取るのは悪手でしかないが、デメリットを考慮しても、一旦すべてをリセットして新たな攻め口を探るべき頃合であろう。
ほんの一瞬のうちに、三十メートルばかりの距離を取ったライダーは、アーチャーを睨み付ける。
「一発、でかいのを試してやるか」
ライダーはくるり、と槍を回して逆手に構える。
手にとって振るうことのみが、槍の使用法というわけではない。
むしろ、古代の戦争では弓矢と並んで主たる遠距離攻撃武器として活躍していたのである。人類の文明とほぼ時を同じくして誕生した、敵を、獲物を害するための武器。
ライダーが活躍した古代ギリシャに於いてもそれは例外ではなく、ライダー自身もまた多くの名のある戦士を自慢の投槍にて討ち果たしてきた。
全身の筋肉を収縮させ、振りかぶる。
邪魔な木々は、二騎のサーヴァントの激突によって消し飛ばされ、開けた平原と化している。その投擲を、阻むものは何もない。
予感はあった。
烈風の如き圧倒的な速度での刺突から、距離を取ったライダーの意図は、仕切り直しであるのは明らかだった。
槍兵の間合いから弓兵の間合いへ。
せっかく詰めた間合いを捨て、自ら不利な状況に追い込むのは、この程度の距離などいつでも詰められるとの自負からか。
あるいは、この距離こそ、新たな攻撃に必要だったのか。
おそらくは後者。
宝具の解放というには魔力の発露が小さい。スキルか生前から積み上げた技術による投撃に違いない。
「チィ……!」
とはいえ、ただの投撃も
アーチャーは確信する。
あの投撃は、仮に『ランサー』のクラスで召喚されていれば、宝具としての神秘性まで付加されて間違いなく必殺の一投となるものであろうと。
弓での狙撃も、投影宝具による射撃も間に合わない。ならば、回避か。否。最速の英雄が放つ投撃を、この距離で回避するなどあまりにも無謀である。
ならば、より確実な方法――――即ち、手持ちの兵装の中で最強の防壁を用意するしかない。
ライダーはすでに槍を振りかぶっている。間に合うかどうかは五分五分の賭け。魔術回路を全力起動。限界を超えた魔力を引き出し、脳裏のイメージをそのままに、この世に花弁を具現する。
ライダーは槍を振りかぶり、アーチャーは右手を掲げる。
「行け、
ライダーは己が槍の銘を叫び、射出する。軌跡は緩やかな放物線を描く。しかし、その槍は神速にして流星さながら。穂先は大気を抉りとり、瞬きをする間もなくアーチャーの胴体に着弾して爆発的な魔力をばら撒く。
土煙が吹き荒れ、大地が捲れ上がる。それが、宝具ですらないただの投撃だなどと誰が理解できよう。綺羅星の如きギリシャの英雄豪傑の鎧を貫き、頭蓋を砕いた絶技。ライダーですら半ば勝利を確信するほどの会心の一投であった。
「な……に……」
ライダーは目を見開き、喉を震わせた。
信じ難いものを見たとでも言うように、全身を硬直させてそれを見た。
アーチャーが生きている、――――それはいい。
槍が防がれた、――――聖杯戦争だ。そういうこともあるだろう。
だが、魔力と砂礫の粉塵から咲き誇る真紅の花弁だけは、この場にあってはならないものだった。
「
神速の投撃を正面から防いだのは、アーチャーの姿を覆い隠さんばかりの巨大な花。
トロイア戦争に於いて、強大なヘクトールの投撃を防いだとされるが故に、投擲武器及び飛び道具に対しては無敵という概念を有する概念武装にして、アーチャーが持つ守りの中で最硬を誇る防御宝具。
ライダーの速すぎる投撃を防ぐには、これ以上ないという絶対防御であった。
「てめえ、……!」
それを見て、顔色を変えたのはライダーだ。
明確な怒気と殺気を視線に込めて、ライダーは吼える。吼えて、消える。
楯に弾かれた槍を俊足で回収したライダーは、地を蹴ってアーチャーに迫った。
アーチャーは再び双剣を構え直し、ライダーを牽制するべく対神宝具を射出する。
「何故、てめえが、――――アイツの楯を……ッ。持ってんだあああああああああああッ!」
叫ぶ。走る。
アーチャーが展開した守りは、まさしくアイアスの楯。見間違うことなどありえない。その本来の持ち主である大アイアスは、アキレウスに次ぐ実力を持つとされたアカイアの猛将であり、アキレウスとは従兄弟の関係にある。友人の宝具を使われて、冷静ではいられない。
剣の群れを駆け抜けて、アーチャーに襲いかかる。
アーチャーとライダーの激突は一秒にも満たない時間の後に行われる。
そうなる、はずであった。
こことは異なる、別の戦場で生じた強大に過ぎる閃光が、アーチャーとライダーが激突するこの場にまで襲い掛かってこなければだが。
□
“赤”のバーサーカーは思考する兵器だ。
ただ敵を圧倒的な力で蹂躙するだけのモノでありながらも、破壊対象には明確な優先順位があり、狙った者を殺害し、粉砕するまで決して止まらない恐るべき執着の持ち主である。
もはや、その肉体は人の形を喪失し、異形のソレへと成り果てた。
人型だったころを忍ばせるものは何もない。蜘蛛や竜や鳥や獅子を思わせる様々な部品パーツに彩られた生物の出来損ないのような形態は、神話に現れる合成獣キマイラを思わせる。
もっとも、この怪物は喉に鉛を詰まらせて窒息死してくれるような可愛らしいものではない。
何せ、いつ死ぬとも分からぬ驚異的な回復力の持ち主だ。不死性の宝具やスキルではなく、極端なまでに高い『耐久』スキルでひたすら攻撃に耐え、受けたダメージの一部を宝具『
ルーラーにとっても、これはどうしようもない暴虐だ。
鞭のように撓るバーサーカーの腕を掻い潜るも、その腕が粉砕した地面から飛び散った礫が彼女の鎧を削る。
驚嘆すべきことに、バーサーカーが抉った岩にすら、彼の魔力が染み付き、サーヴァントを傷付ける飛び道具にしてしまっている。
「ああ、もう、いつになったら死ぬんだよ、コイツは!」
“赤”のセイバーは苛立たしげにバーサーカーの腕を斬り落とす。その直後、斬り落としたはずの腕から、獅子の顎が生えてセイバーに牙を剥いた。
「めんどくせーッ!」
獅子の頭を斬り飛ばして、セイバーは後退する。
「権力の走狗たる貴様に、この私は倒せない」
にたり、とバーサーカーは笑みを浮かべた――――ように見えた。
すでにその顔も半ば肉に埋もれていて表情は分からない。彼には、自分の身体が変貌している自覚がないのだろうか。
「コイツ、さっきから同じようなことしか言わねえな」
「このバーサーカーは、最も困難な道を選ぶという思考で固定されていますからね。会話はもとより成立しません」
「結局、バーサーカーはバーサーカーってことだろ。狂獣風情が、王たるべきこのオレの前に出るんじゃねえよ!」
立ち塞がるもの皆斬り殺す。
気合を入れて、セイバーはバーサーカーに斬りかかる。
歴史は確かに、バーサーカーのほうが古い。しかし、英霊としての格はセイバーのほうが格段に上だ。
古代ローマに反逆したはいいが、何も為すことなく死した
もちろん、バーサーカーの行動が古代ローマの剣奴たちに大きな希望を与えたことは言うまでもなく、それは歴史的にも大きな功績だ。だが、それでもやはり栄光に彩られたアーサー王伝説を終わらせたセイバーには見劣りする。
何よりも理性のない狂獣に遅れを取るのは英雄の誇りが許さない。
それが、セイバーがこの怪物に挑む唯一つの理由だ。
バーサーカーの狙いがルーラーだから、ルーラーにすべてを押し付けて逃げても構わない。だが、それは王たる者のすることではない。この戦いは、セイバーとバーサーカーのものだ。後から出てきたルーラーに横取りさせるのは気に入らない。
このセイバーの行動が、皮肉にもバーサーカーの宝具の威力を存分に発揮させている。
強烈な斬撃の応酬に、動きの鈍いバーサーカーは全身を傷だらけにしている。そして、受けた傷を片っ端から修復し、肉体を肥大化させていく。肥大化した分だけ、動きは緩慢になる――――などということもなく、むしろその動きは鋭さを増して、徐々に突進の速度を上昇させている。
今や、セイバーの攻撃はバーサーカーを肥え太らせるだけになってしまった。心臓も脳も急所にならない怪物を相手に、セイバーはいよいよ危機感を覚えるようになった。この化物は、勢いと力だけでは到底止まらないと。
そうであるならばマスターを仕留めればいいのだが、生憎とこのバーサーカーのマスターが誰か分からない。
“黒”の陣営に強制的にマスター権を奪われているのだろうから、ミレニア城塞に篭る敵マスターが“赤”のバーサーカーを使役しているという構図なのだろうが、そこまで辿り着くのは難しい。
圧制者を叩き潰すという思考以外を放棄したバーサーカーは、王を自称するセイバーと聖杯大戦の裁定者であるルーラーを己の敵と見定めている。
もはや、バーサーカーにはこの二騎以外を視界に入れるつもりはなく、取り逃がすつもりもない。
凶悪な自己強化宝具によって、異様な姿に変わったバーサーカーは、当初の動きの鈍さはすでにない。蓄積された膨大な魔力を燃やし、身体能力を向上させているので、セイバーやルーラーの敏捷性に迫る素早さを有している。おまけに、異形の姿が厄介だ。ヒトの姿を離れ、様々な生物の一部を継ぎ接いだような形態は、人との戦いに慣れた二騎にとって実に戦いにくかった。
「うぎゃッ!」
ルーラーに襲い掛かるバーサーカーを背後から斬りつけようとしたセイバーが弾かれて地面を転がった。
『直感』によって直撃を避けたが、砕けた地面の欠片が魔力に汚染され、弾丸のような勢いで全身鎧を削った。
セイバーを襲ったのは、先端が刃のようになった尾であった。
その形状は、サソリのそれに似ている。おまけに、先端の刃の根元にはご丁寧に魚の目のようなものがついている。それが、転がるように蠢きセイバーを捉えると、尾は彼女を串刺しにせんとして鋭く襲い掛かってくる。
その動きは、まるで蛇のようであった。
愛剣で刃を受け止めて、返す刀で斬り飛ばす。しかし、それも徒労に終わる。斬った直後に、さらに太く強靭な刃が生えてくるからだ。
さて、どうするか。
セイバーはバーサーカーの尾を避けながら思案する。
このままではジリ貧だ。
あのバーサーカーは致命傷を与えても即座に修復し、さらに強くなる。このバーサーカーには、ただの剣術では意味を成さない。
小さな傷では意味がないのなら、全身隈なく塵一つ残さず消滅させるしか、手は残されていない。
ルーラーはちらりと空中要塞に視線を向けた。
本来、ルーラーの目的地は戦場を見下ろすあの空中要塞であり、中立を旨とする彼女が“黒”の手駒と化したバーサーカーと戦うことは想定していない。これが“赤”のサーヴァントであれば、ルーラーは確信を持って“赤”のルール違反を糾弾できたかもしれないが、バーサーカーは暴走していて敵味方の判断を独自に行っている。バーサーカーには聖杯への想いはなく、陣営への所属意識もおそらくはない。ならば、彼を理由にどちらかの陣営を裁くわけにはいかない。
「ッ……」
身を低くしたルーラーの頭上を、バーサーカーの腕が通り過ぎていく。鞭のように撓る丸太の如き腕で殴られては、一撃でルーラーの身体が粉砕されてしまうかもしれない。
今はとにかく、この難敵をどうにかしなければならない。
状況は奇しくも空中要塞に身を潜める“赤”のマスターの意に沿う形に落ち着いている。
バーサーカーはルーラーを足止めし、その命を狙っている。大抵のサーヴァントに対しては、特権というアドバンテージを有するルーラーも、このバーサーカーを相手にするには具合が悪い。
『バーサーカー』のクラスで召喚されたサーヴァントは、常に暴走の危険性を伴うものだ。サーヴァントを縛るという令呪の基本的な役割が最も期待されるのは『バーサーカー』に対してであろう。
だが、その一方で『狂化』のランクが高いサーヴァントは時折令呪の拘束すらも弾いてしまうことがある。
『対魔力』がAランクであれば、一画までならば耐えられることは周知されているところだが、『狂化』による令呪への抵抗は、そのサーヴァントの『狂化』のランクとスペックに左右される。
それを考えれば、このバーサーカーは最悪だ。
評価規格外の『狂化』に、異形と化した肉体。通常状態でさえ、令呪を重ね掛けしなければ行動を抑制することすらもできないのだから、今の状態には三画の令呪を用いても効果が期待できない。
ルーラーの手にあるバーサーカー用の令呪は二画。
とても、特権でどうにかできる相手ではなかった。
故にルーラーは焦燥に駆られる内心に反して、この戦場から抜け出すことができないでいる。
特権というアドバンテージが活かせない上に、ルーラーの攻撃はすべてバーサーカーのブーストに使われる。
“どうすれば……ッ”
ルーラーが歯噛みをして思案した、まさにそのとき、強大な魔力の渦が彼女とバーサーカーの側で湧き上がった。
魔力風の発生源は、“赤”のセイバーだった。兜を外し、禍々しい邪剣を掲げて赤き魔風の只中に髪を遊ばせている。
セイバーが宝具を解放しようとしている。
ルーラーはこのとき初めてセイバーの真名を知ることができた。その名と性別が一致しないことに驚きつつも、それ以上に危険な何かをルーラーは感じてしまっていた。
何かがマズイ。
あの宝具は確かにバーサーカーを消し飛ばすことができるだろう。セイバーの宝具は、おそらくは対軍宝具だ。巨大化したとはいえ、十メートルに満たないバーサーカーは、直撃すれば塵一つ残さないだろう。
常識的に考えれば、この一撃で勝敗は決する。
そのはずなのに、どうしてかルーラーはセイバーの宝具の発動の結果とそれがもたらすものに対して矛盾した危機感を抱いている。
セイバーは確実にバーサーカーを仕留めるだろう。だが、それと同時にセイバーやルーラー。そして、この戦場にいるすべての存在に、これ以上ない災厄が降りかかる。そういう確信がある。
「セイバーッ。ここでの宝具は……ッ」
「どけッ、ルーラー! 一緒に吹っ飛ばすぞ!」
「聞いてください! このままでは大変なことが……!」
「今ここでこうする以外にねえだろ! つべこべ言うんじゃねえ!」
「ッ……」
ルーラーは唇を噛んだ。
ルーラーは未来予知にも比する感覚の持ち主であり、このバーサーカーにこれ以上のダメージを与えるのは危険だと感じている。おそらく、それはセイバーも同じだろう。彼女の『直感』のスキルもまた、ルーラーほどでなくとも危険に対しては敏感だ。そして、セイバーはそれでも尚宝具を解放しようとしている。宝具を解放して得られる利と宝具を解放することで被る被害を天秤に掛けて、その上で宝具の解放を決めたのだ。
だから、ここでセイバーが宝具を解放するという選択以上の利を示せない時点でルーラーは彼女を止めることはできない。
ルーラーは、バーサーカーの一撃を旗で受け止めるふりをして、その勢いを利用して大きく距離を取った。計られたバーサーカーは、そうと理解できずに笑みを深くする。
バーサーカーの優先順位は、絶対的な特権を有するルーラーが第一だ。そのルーラーが吹き飛ばされたことで、やっとセイバーに意識が向いた。
その時点で、セイバーの宝具はすでに発動を数秒後に控えていた。
振りかざす邪剣は、赤雷を纏い、周囲のすべてを吹き散らす豪風を放っている。
「オオッ」
バーサーカーは、ソレを見て、恐怖するでもなく――――逆に歓喜した。
乗り越えるべき壁が迫っているのを肌で感じて、
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――――――――――――蹂躙して見せろッ! 権力に阿る犬よッ! その悪しき光を、私は乗り越えて見せる」
バーサーカーが、その巨体でセイバーを押し潰さんと跳んだ。それは、投石器で投じられた岩塊のようであった。大気の壁を蹴散らし、巨大な身体と圧倒的な重量でセイバーを圧殺しようとバーサーカーは手足を大きく広げる。
極めて単純な戦術。
面積を大きくし、打撃によって潰す。
「ハッ……でけえ的だ」
バーサーカーを鼻で笑う。
バーサーカーの奇怪な宝具も、異常な『耐久』もすべて理解している。あのバーサーカーの戦術は確かに正しいのだ。彼はその高すぎる防御力と敵の攻撃を自分の能力値の上昇に利用できる宝具を組み合わせているので、己の身体を的にしながら突き進むことができる。
だが、バーサーカーはセイバーを分かっていなかった。
彼女の手にあるのは、剣の王とも称された至高の宝剣であり、セイバーの禍々しい増悪に歪んだ邪剣。A+ランクの対軍宝具を、これまでのちっぽけな斬撃と一緒にしている時点で、バーサーカーは終わっているのだ。
もはやセイバーが為すべきことはただ一つ。
迸る魔力を破壊に変えて、真名を解き放つことだけだ。
「
灼熱の光が墜ちる。
バーサーカーの視界は一瞬にして絶望の赤へと変わり、その全身は怒涛の雷撃に打ち砕かれていく。肉が焼け、骨が砕け、再生すらも間に合わず、セイバーの宝具の一撃が身体を溶かしていく。
これは、まさしく反逆の光。
体制に叛旗を翻し、あらゆる増悪と熱狂を一身に受け止めた魔性の力に相違ない。
その在り様に、バーサーカーは初めて敬意を覚え、なればこそ乗り越えねばと吼える。
だが、それも僅かの抵抗でしかなかった。
バーサーカーの突進が拮抗できたのは、ほんの一瞬に過ぎず、灼熱の奔流がミキサーのようにバーサーカーの身体を粉々に粉砕し、焼き払い、押し流していった。
目を焼くような閃光が消え、夜の帳が戻ってきたとき、残されたものは何もなかった。
赤き熱線は、射線上のすべてを焼き払ったのだ。
立ち込めるのは、草木が焼ける臭い。地面は抉れて熱で爛れ、草原に一条のラインを引いていた。バーサーカーの巨体もそこにはなく、蒸気を上げる地面だけが顔を出していた。
「やったん、ですか?」
思わず、ルーラーは呟いた。
セイバーの宝具は凄まじい威力だった。単純威力系の宝具の中でもかなり高位に位置するであろう一撃だ。特別な防御宝具でもない限り……否、あったとしても直撃すればサーヴァントの大半が死に絶えるであろう。
懸念していた不安も、バーサーカーが消えたとなれば解消される。
セイバーがバーサーカーを倒しきってくれたおかげで、災厄は回避された。
「ハッハー。ざまみろや、デカ物!」
セイバーは剣を振り回して勝利の雄叫びを上げていた。
自慢の宝具が決まったのがよほど嬉しいのだろうか。今にも飛び跳ねんばかりである。
ところが、セイバーの宝具で焼き払われ、黒くなった地面に突如として魔力の塊が現れたのである。それは、脈打つ心臓であり、拍動のごとにおそるべき魔力を放出している。
「な、に……!?」
セイバーは目を見開き、再び剣を構える。対軍宝具で身体を消し飛ばされ、心臓だけになっていながらまだ生きているというのは、あまりにも異常だ。
それも見る見るうちに、肉に覆われていく。
むき出しの心臓は、筋肉と骨に守られるようにその中に埋もれていき、赤黒い肉の中から目玉らしきものが現れては肉に埋もれていく。触手のような腕が生え、骨が飛び出し、内臓はそのすべてが筋肉へと変質していた。皮膚もなく、ただの筋肉の塊に成り果てたバーサーカーは、それでもこの世にしがみ付いていた。
「コイツ……ッ!」
セイバーは怒りのあまりに言葉を失った。
父の名を冠する宝具の直撃を受けていながら、醜くも生に執着する敵が許せない。
彼女にとって、この剣は父に致命傷を与えた剣であり、故に、この剣で殺せない敵の存在は、それだけで許し難い大悪となる。
なんとしてでも、この場で殺す。
そう誓って歩を踏み出したときに、セイバーの『直感』が本格的な警鐘を鳴らした。
この場に踏みとどまっていたら、それこそ致命的な事態に陥る。
戦いの本能が、叫んでいた。そして、ルーラーも。
「セイバー!」
危難を報せる叫びに、セイバーは己の激情を押さえつけた。もはや肉の塊となった者に感情をぶつけるのは愚かしいと、無理矢理に納得して、セイバーは飛び退いた。
そうしている間にも、バーサーカーだったものは膨れていく。その内側には、膨大極まりない魔力が渦を巻いている。
ルーラーはそれを見て、即座に災厄の正体を悟る。
「この場のすべてを纏めて破壊し尽くすつもりッ!?」
今やバーサーカーは魔力爆弾であった。
対軍宝具の真名解放すらも上回る膨大な魔力を、一撃の下に解き放とうとしているのである。
「セイバー、この場を離れなさい!」
「てめえは!?」
「わたしは、これを凌ぐことができますのでご心配なく!」
「そうかい。じゃあな!」
セイバーは、それだけを言い残して霊体化した。彼女もまた、バーサーカーの狙いは察していたのだ。自爆するというのなら、セイバーが手を下す必要はない。そして、それに巻き込まれるようなダサい死に方をするつもりもないので、早々に撤退する。
セイバーのあっさりとした退き際に毒気を抜かれたものの、気を取り直してルーラーは旗を掲げた。
バーサーカーの肉体の変容は、すでに許容範囲を超えている。
この数秒後にでも、バーサーカーの肉体は崩壊し、内包したすべての力を全方位に解き放つだろう。
バーサーカーの意識もすでになく、ただ破裂し破壊を撒き散らすだけの兵器としての機能だけが残っている状態だ。止めることは、不可能である。
霊体化して戦場を離れることのできるセイバーと異なり、ルーラーは霊体化することができない。
今から全力疾走したところで、逃げ切れるはずもない。
そして、憤怒と歓喜に彩られたバーサーカーの最強の一撃が、戦場を震撼させた。一瞬にして荒ぶる暴虐の化身と化したバーサーカーは、自らの肉体すらも魔力に変換して大爆発を起こしたのである。
その一撃は、核爆弾を思わせる光と熱の暴虐だった。
ルーラーが直感したとおり、彼はこの場にあるすべての物体をこの世から消し飛ばす。無論、その最初の犠牲者となるのは、最も近くにいたルーラーである。
戦場にあるすべてを打ち砕くための、反逆の鉄槌に対して、ルーラーは風に棚引く旗を振るい、
「
その真名を高らかに謳い上げる。
ルーラーを象徴するのは、真白な聖なる旗。刀剣ではなく、武器にすらならないこの聖旗は、それでありながら多くの将兵を鼓舞し、常に先陣を切るルーラーを守護し続けたという。
「
宝具として解放された聖旗は、ルーラーの規格外の対魔力を物理的霊的を問わずあらゆる種別の攻撃に対する守りに変換する極めて強力な防御宝具だ。
墜ちる星にも似た究極の破壊を前にして、ルーラーという少女はあまりにも小さく矮小で儚い。
吹けば飛ぶような、塵にも等しい存在だ。だが、そんなルーラーは、圧倒的な暴虐の中で、流されることもなく地に足をつけて立っている。
両手に渾身の力を込めて、苦悶に顔を歪めながらも決して折れることないその姿は、ルーラー――――ジャンヌ・ダルクという少女の生き様を体現している。
そう、この程度の暴虐に抗えずして何が英霊か。何が聖女か。
バーサーカーが己のすべてを擲って解き放った最期の一撃は、対軍宝具を上回る攻撃範囲を誇り、戦場に出ていたホムンクルスやゴーレム、竜牙兵の大半を死に至らしめ、ミレニア城塞を半壊させるという戦果を残した。
それでも、それだけの威力を誇る攻撃に曝されたルーラーは、五体満足で立っていた。
光の津波を斬り裂いたルーラーは、戦場の惨憺たる光景に呆然とし、聖旗がなければ自分も跡形もなく消し飛んでいたという事実を改めて突きつけられて、神の偉大さを再確認した。