ルーラーは確かにバーサーカーの攻撃を防ぎきった。だが、それはあくまでもルーラーの身に降りかかる災厄を防ぐ程度の範囲でしかなく、よくてその周囲も纏めて守るというくらいでしかない。バーサーカーの攻撃は、戦場のすべてを一撃の下に巻き込めるほどの攻撃範囲を誇っており、ルーラーが防いだからといってほかへの影響が皆無というわけにはいかない。
光の斬撃は戦場を焼き尽くしただけでなくミレニア城塞にまで達していた。
魔術による突破はほぼ不可能。その防御力は、サーヴァントの宝具にすらも耐え切れるともされた“黒”の陣営の拠点は、しかしただの一撃を以て半壊にまで追い込まれていた。
「ッ……」
落ちて来た瓦礫に頭を打ちつけたのか、カウレスの額からは出血が見られた。
地震の経験もないカウレスにとっては、天地がひっくり返ったかのような振動というのはこれが初めてであり、何が起こったのかも正直、よく分かっていなかった。
ただ、それでもミレニア城塞が何か強力な攻撃に曝されて、崩壊したという事実は無理矢理にでも認識させられた。
そして、それが分かるのはカウレスがミレニア城塞の外にいるからだった。
“赤”のバーサーカーの最期の一撃は、カウレスの篭る工房を掠めるように城塞を砕いた。そのままであれば、カウレスも巻き込まれて死んでいただろうが、己のバーサーカーが傍らにいたことが命を救った。危険を感じた瞬間、バーサーカーはカウレスを抱えて城外に脱出した。おかげでカウレスはかすり傷で済み、バーサーカーも健在のままだ。
「バーサーカー、大丈夫か?」
「ヴィイィィ……」
隣に立つバーサーカーが頷いた。どうやら彼女にも怪我はないらしい。
カウレスは、ハンカチで額を押さえながら治癒魔術で怪我を治療する。そうしながら、ミレニア城塞の惨状を眺めた。
鉄壁のはずの城塞の外壁は消し飛び、文字通り両断されてしまっていた。
カウレスの記憶では、崩落しているところに自分の工房以外の工房があったということはない。
「とにかく、姉さんと合流しよう。もう、城塞の守りは期待できないしな」
カウレスは呟き、バーサーカーを引き連れて城塞に戻る。壁が崩れているので、中に入るのは簡単だ。瓦礫で塞がれた道をなんとか乗り越えて、カウレスは城塞内部に戻る。
このとき、カウレスはこれが聖杯大戦であるということを失念していた。
確かに、戦闘はサーヴァント同士の一対一の様相を呈していた。だが、それは成り行きでそうなっただけに過ぎず、サーヴァント戦以外のところでも戦いは行われていた。竜牙兵とゴーレム、ホムンクルスの意味もない雑兵たちによる削り合いが。
今、“赤”のバーサーカーの災厄を逃れた竜牙兵がカウレスの背に迫っていた。ただの一体。だが、三流魔術師のカウレスを仕留めるには十分な戦力だ。
「ヴヴ、ナーーーーーーーーオウ!」
カウレスの命を救ったのは、またしても己のサーヴァントだ。
彼女は、自身のマスターの背に迫る不届き者に飛び掛り、宝具たるメイスで滅多やたらに殴り倒して粉砕した。その際、バーサーカーはカウレスを城塞内に押し込んだ。
「う、わあッ」
事情が飲み込めないままに、カウレスは地面を転がり、起き上がって初めて竜牙兵に襲われそうになっていたことを知った。
「すまない、バーサーカー。助かったよ」
「ヴヴヴ……」
気を付けろと言わんばかりに、バーサーカーは腰に手を当てて怒った、ような仕草をした。
ほっと一息ついたカウレスの耳に、炸裂音が届いたのはそのときであった。何かが爆発したような音が、要塞の奥から響いてきたのだ。
「まさか……」
カウレスの脳裏に最悪のシナリオが浮かんだ。
今、カウレスは竜牙兵に襲撃された。それは、この雑兵がミレニア城塞に紛れ込んだからだが、それはつまりこんな雑兵でもミレニア城塞に入り込めるだけの入口ができてしまっていることを意味している。周囲に張られた結界もすでに消し飛んでいるということであり、侵入を妨げる物理的な障害も今はない。
「バーサーカー、行くぞ!」
骨身に寒風が吹き込んでくるような怖気を感じて、カウレスは走り出した。
竜牙兵は雑兵だが、それはサーヴァントの感覚で表現したときの話だ。魔術師とはいえ人間である。竜牙兵の手に絶対に掛からないという保証はない。カウレスを除いて、他のマスターたちのサーヴァントはすべて払っているのだ。今のマスターたちは裸も同然である。
今回、聖杯大戦に臨むに当たり、戦略的な見地から“黒”のマスターたちは各々の工房で、別個にサーヴァントを運用している。
リスクを分散しようと考えた結果である。
もしも、城塞内に敵が侵入した場合、マスターが一箇所に固まっていれば一網打尽になる可能性がある。その点、マスターを分散しておけば、即座に全滅という憂き目に遭う可能性は著しく下げることができる。
だが、それは侵入してくる敵が少数であると仮定した場合の戦略であり、ミレニア城塞の防御力を頼みとしたものであるのは明白だ。
複数の敵の侵入を許したとき、この戦略はすべてのマスターがほぼ同時に命を狙われていながら個別に対処しなければならないという極めて脆弱なものに変わる。
マスターが死亡すれば、天下の大英雄でも消滅は免れない。是が非でもマスターの命は守らねばならない。通廊を走って行った先には、姉のフィオレの部屋がある。
フィオレの工房が見えてきたとき、その扉が吹き飛んだ。
砕け散った扉は木屑となって、反対側の壁にぶつかって落ちる。
「姉ちゃん!」
慌てて、カウレスはフィオレの部屋に飛び込んだ。
カウレスの目に飛び込んできたのは、荒れ果てたフィオレの私室。ベッドは乱れ、壁に掛けられていた絵画は破れ、窓は割れている。
そして、床には砕かれた竜牙兵と思しき物体が転がっていた。
「あら、カウレス。よかった、無事だったの」
フィオレは、背中に装備した巨大な金属腕で竜牙兵の頭を鷲掴みにして宙吊りにしており、さらに別の腕で竜牙兵を踏み潰している最中だった。
フィオレが独自のアレンジを加えて誕生した、三流の魔術師でも一流の魔術師を仕留められるとされる強力な魔術礼装である。その反応速度は銃弾にすら対応し、遠くの敵に対しては光弾を放つこともできるという優れものである。
足が不自由なフィオレが、これまで魔術戦で生き残ってこれたのも、この礼装が手足の代わりとなって敵を叩き潰してくれたからだ。
フィオレは、その恐るべき金属腕で竜牙兵の頭を握りつぶしてから、カウレスに歩み寄った。
「カウレス。他のマスターたちは?」
「さあ。真っ直ぐこの部屋に来たから。アーチャーは?」
「無事なようです。とにかく、敵の雑兵が城塞内に侵入してきた今、ここはもう安全じゃないわ。移動しないと」
「ああ、だけど他のマスターたちの安否確認もしないと。サーヴァントも」
カウレスの言葉に、フィオレは頷いた。
戦力がどこまで残っているのか、今の“黒”の陣営が正しく戦える力を残しているのか。それがはっきりしないことには打って出る、守りに徹するといった戦術的な段階まで思考が進まない。
カウレスとフィオレは、目茶苦茶になった部屋を出て、ダーニックがいる王の間を目指した。現状では、そこが最も頑強に作られているからであり、カウレスが外から見た様子では王の間がある区画には破壊の手が及んでいなかった。
「アーチャーからの念話では、敵のサーヴァントもどういうわけか撤退したみたい。仕切り直しということかしら」
桁外れの破壊をもたらした大爆発は、各所での膠着した戦いを有耶無耶にするには十分なものであった。指向性を持たない力の塊ゆえに、敵味方の区別なくその破壊は牙をむいた。
さすがに、あれで脱落したサーヴァントはいなかったようだが、それでも戦局は多大に混乱し、状況を整理するためにも、一旦俯瞰的な視点に立ち返る必要に迫られた。
とりわけ、要塞を破壊された“黒”の陣営にとっては態勢の立て直しは急務といえる。指揮系統の確認も含めて、一回でいいので各マスターと合流を果たしたいところだった。
「ッ……!」
二人の前に立ちふさがったのは、竜牙兵であった。
骸骨の群れが、廊下を塞いでいる。
「バーサーカー、頼む!」
「ウィイイイイッ!」
咆哮を発し、バーサーカーは突貫する。暴力の塊と化したバーサーカーは、猛烈な勢いでメイスを振るい、骸骨兵を粉砕していく。
弱小のサーヴァントとはいえ、竜牙兵如きに遅れを取るバーサーカーではない。
バーサーカーがメイスを振るい、敵の前衛を蹴散らした直後、砕けた骸骨を掻い潜って矢が放たれた。バーサーカーを倒せなくとも、その後ろのマスターを仕留めてしまおうという腹であろう。
とはいえ、それも甘い。フィオレの
しかし、バーサーカーのマスターであるカウレスは、違う。フィオレのような便利な礼装もなければ、強力な防御魔術も扱えない。必然的に、フィオレとバーサーカーはカウレスを庇うことになる。狭く隠れる場所もない廊下での、矢による面制圧射撃は、防御に徹するしかないフィオレたちにとっては脅威であった。しかも、フィオレの礼装は面での防御ではないため、制圧射撃には弱いという弱点もある。反撃のタイミングが掴めず、歯噛みする。
そこに、赤熱した矢が降り注いだ。
炸裂した魔力が一瞬にして敵弓兵を粉微塵に打ち砕く。
「無茶が過ぎるな、マスター」
「お互い様です、アーチャー」
フィオレは駆けつけてきたアーチャーに微笑みかける。
アーチャーの身体は至るところ傷だらけで、“赤”のライダーとの戦いが如何に苛烈を極めていたのかが窺える。頬はざっくりと切れているし、両手も血に塗れている。
「すぐに治療します。アーチャー」
「それはありがたい。ああ、そうだ。他のサーヴァントも、それぞれのマスターの下に戻ったようだ。幸い、まだ一騎も脱落してはいないようだな」
“赤”のバーサーカーの消滅は、予定通りと言っていい。アーチャーは、“赤”のバーサーカーの行動を把握していたわけではないが、最期の自爆以外は“黒”の陣営に都合のいい動きをしたと考えている。
アーチャーの報告を受けて、フィオレは頷いた。
味方は無事。
その報告だけでも、フィオレの心には安堵の気持ちが溢れてきた。“赤”の陣営がこれで撤退したというわけではないのだから、それではダメだと自らを奮い起こす。
膨大な魔力の渦が空中要塞から落ちてきたのは、まさにそのときであった。
■
“赤”のアサシンは、己が宝具『
焼き払われた草原。無数に転がっていた死体や砕けたゴーレムの瓦礫も今はなく、ただ一面に黒ずんだ地面が広がっている。その先には、崩落した敵陣営のミレニア城塞がある。
「あの城を崩すには、ランサーの宝具でも使わねばと思っておったが、手間が省けたな」
アサシンは、優美な顔に笑みを浮かべる。
「ご苦労だったな。英雄たち。各々の相手との決着は付かなかったようだが、何、暫しの辛抱よ。直に再戦だ」
“赤”のバーサーカーの自壊は、戦場のほぼ全域を巻き込む大爆発となった。その結果、それぞれの場所で一騎打ちを行っていた各サーヴァントは戦闘が有耶無耶になってしまい、“赤”の陣営に関しては空中庭園に撤退することになったのである。
“赤”のアーチャーが、アサシンに尋ねる。
「それは構わぬが、城塞に接近してどうする? まさか、敵のマスターを直接殺す気か?」
「知れたこと。大聖杯を返してもらうだけよ」
アサシンの言葉の真意を知る者は、この中ではシロウと“赤”のキャスターだけである。
“赤”のランサーですら、僅かに首を傾げた。
「まあ、見ておれ」
空中庭園は戦場を我が物顔で通りすぎ、ミレニア城塞に真上に陣取った。
空に浮かぶ城などというのは、御伽噺の中にしかない空想上の産物であるはずだ。月を覆う天蓋ともなる巨大建造物が空に浮かんでいる様を見たら、トゥリファスの住民たちはどう思うだろうか。
そして、それ以上に、そんなものに頭を押さえられた“黒”の陣営はどうであろうか。
慌てふためく様が目に浮かぶようだ。
「さあ、見るがいい。これが、魔術の深奥というものだ!」
アサシンが両腕を広げて術式を解放する。
轟、と風が吹き上がる。竜巻が生じ、崩れた城塞に向かって延びていく。
「まさか、本当に奪う気か?」
“赤”のライダーの言葉に、アサシンは頷き叫ぶ。
「無論だ。そも、この庭園はそのために造られた物故な。そら、神代の秘奥に比する神秘を見せてみよ。その輝かしく、醜悪な姿を曝すがいい!」
アサシンの起こした竜巻は、瓦礫を掃き清め、地盤を削り、とうとうむき出しの聖杯がその姿を表した。
「あれが、聖杯だと」
アーチャーが瞠目し、
「ハハハハハハ、あれはすばらしい! まさしく傑作! 魔術師ですらない我輩ですら分かるこの圧倒的な魔力! 美しすぎるあまり、怖気すら奔るッ!」
キャスターが歓喜を露にする。
寡黙なランサーですら、目を見張っている。あれほどの逸品は神代ですら珍しい。なるほど、確かに万能の願望機と呼ぶに相応しい代物だ。
六十年前の聖杯戦争で散った六騎の魂と六十年に渡って蓄えられてきた高純度の魔力。今回の変則的な召喚で、それらは削り取られてしまっただろうが、それでも戦慄すら覚える魔力を有している。今ある魔力だけでも、大半の願望は叶えられるのではないだろうか。
「チッ、完全に霊脈と癒着しているな。者共、我はしばらく聖杯に力を注がねばならぬ。露払いは任せるぞ。ここで、敗れればすべてが泡沫と消えることを努忘れるな」
「言われずとも分かっておるわ。汝こそ、失敗するなよ」
「やらなきゃならねえことは分かってんだ。いちいち命令すんじゃねえっつーの」
聖杯が空中庭園に納まるまで、まだ幾分か時間がかかる。その間に、“黒”の陣営はなんとしてでも聖杯を取り戻そうと躍起になるだろう。それは、ミレニア城塞を攻略しようと策を練っていた“赤”の陣営と攻守が交代したことを意味している。
空中庭園とはいえ、聖杯を奪取するためにミレニア城塞にかなり近付いている。この距離ならば、サーヴァントの脚力で十分に侵入可能である。
「セイバーは俺が殺る」
己が見定めた敵を横取りされまいとしているのか、珍しくランサーが自分から宣言した。
それもまた当然の帰結だろう。ランサーはセイバーを好敵手と認めている。戦う機会があるのであれば、なによりもまず彼と決着を付けようとするだろう。
そして、ライダー、アーチャーにも決着を付けるべき相手がいる。
今、優位に立っているのは明らかに“赤”の陣営だ。だが、だからといって油断するわけにはいかない。こちらで戦力に数えることができるのは、アサシンを含めて四騎だけだ。セイバーは単独行動中、バーサーカーは消滅、キャスターは論外。一方の“黒”の陣営は、ライダーとバーサーカーが戦線離脱、生死不明の状態。アサシンは姿を見せず。となれば、数の上でも互角だ。だが、厄介なのはルーラーのサーヴァント。あのサーヴァント一騎で戦局が変わることは十分に考えられる。まして、シロウとアサシンの真意を知られては対立は免れない。
故に、優位に立っているとしても、油断はできないというのだ。
聖杯を“赤”が確保するまで、“黒”の攻撃を凌ぎきれるか否かが、勝負の分かれ目だ。
その場にいる誰もが、そして攻め上ってくる“黒”のサーヴァントたちとそれを見守るマスターたちもまた。これが時間との戦いだということを、正しく理解していた。