“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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二十六話

 “黒”のキャスターはゴーレムの背に揺られ、空中庭園を疾走する。

 生来虚弱な彼はサーヴァントとなっても身体能力は下の下でしかないが、ゴーレムを足代わりとすることで一流の近接戦闘能力を有するサーヴァントに伍する速度で移動が可能となる。

 “黒”を裏切ったことに一片の後悔もないといえば嘘になる。

 今更言い訳の仕様もないが、人並みの罪悪感は抱いている。しかし、それはそれ。彼は人間である前に魔術師である。そして、サーヴァントである前に一ゴーレム使いでしかない。求めるところはカバリストの悲願である人類の始祖の再現であり、そのために生涯を費やした。

 今、サーヴァントとして召喚された彼には、究極宝具として生前に叶えられなかった夢を叶える力が与えられている。

 対軍宝具『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』。

 多くのサーヴァントが持つ宝具と異なり、生前完成することのなかったキャスターですら動いているところを確認していない未知の宝具である。

 しかし、自分の宝具である以上はその性能も強さもよく理解できている。

 問題なのは、敵に勝つことでも聖杯を手に入れることでもない。

 ただ偏に、『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』が、キャスターの追い求める最高傑作であるか否かである。

 恨まれることも承知の上である。

 命を落とすことになるかもしれない。

 しかし、そんなことは宝具を起動するという崇高な理念の前には瑣末事でしかない。

 キャスターは今や繋がりの断たれた元マスターであるロシェに念話をする。彼は、事の次第を知らない。“黒”のキャスターが“赤”の陣営に寝返り、今まさに“黒”の陣営に牙を向こうとしていることに気付いていない。

 ほかの“黒”のサーヴァントが自分の裏切りをマスターたちに伝える前に、ロシェを引き離す。

 ロシェに何かあっては、せっかくの裏切りが水泡に帰してしまうからである。

 未だ、キャスターを先生と呼ぶロシェに申し訳なく思いながら、淡々とキャスターは用件を伝えたのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーは裏切ったとはいえ“黒”の陣営と歩調を合わせるつもりはないらしく、敵の追走を逃れたと判断するや、自分のマスターを引き連れて何処かへ消えて行った。

 叶うことならば共に戦いたかったのであるが、呼び止めて交渉する時間はない。

 “黒”のキャスターの裏切りに聖杯の喪失、さらに敵の首魁に第三次聖杯戦争の生き残りである天草四郎時貞(ルーラー)のサーヴァントがいて、一騎で残るセイバーを除く“赤”のサーヴァントたちを手中に収めているというおよそ考え得る限り“黒”の陣営にとって最悪の状況となってしまった。これに対して、何かしらの対抗策を講じなければならない。

 敵地を飛び出してみると、空中庭園は当初の位置から移動していて、ミレニア城塞から距離を取っていることがわかった。“黒”のサーヴァントの襲撃にも拘らず、“赤”のアサシンは領土ごと撤退を始めていたようだ。

「いやいや、スカッとしたねアーチャー。あのスカした神父に一矢報いたって感じ」

 “黒”のライダーはにこやかに笑って“黒”のアーチャーが敵の誘いを蹴ったことを喜んでいる。

「私は私のエゴを通したに過ぎない」

「ええ、ですが、人類にとって何が重要なのかという命題は、人類が議論を尽くして答えを出すべきです」

 ルーラーは、しっかりとアーチャーの言葉に賛同の意を示した。

 しかし、アーチャーもルーラーも人類の救済が実現できるのならそれに越したことはないという考えでは一致している。迷いもあった。今の人類では必ず最後に血を流すことになる。それを避けるためには、その根本となる原因を取り除くというのは理に適った考え方である。

 しかし、アーチャーは悲劇を乗り越えてきた人々の想いを無駄にはできず、ルーラーは人類の未来に希望を見出している。

 人類の救済は人類の総意によって為されるべきで、ただ一人の、それも過去の人間のエゴで押し付けるものではない。

 その一方で四郎は、人類を放置していてはいつまでも平和を実現することはできないと確信していた。

 この戦いは、“赤”と“黒”という単純な対立構造による魔術儀式という枠組みをすでに崩壊させており、天草四郎の出現により、人類という存在への信と不信のせめぎ合いが今回の聖杯大戦の要旨となるに至った。

「アーチャー。現時点を以て聖杯大戦は完全に本来の道程から外れたと断言できます。このままでは世界規模で災厄が発生する可能性が高い。特定の陣営に肩入れするようで気が引けますが、“黒”の陣営に協力を要請できますか?」

「それが合理的だな。ダーニックがああなった以上、ユグドミレニアを統べるのは私のマスターとなるだろう。私が決めるわけにもいかないが、その方向でマスターに打診しよう」

「お願いします」

 サーヴァントの速力ならば、ミレニア城塞まではそう時間をかけることなく帰還することができる。

 しかし、いくらサーヴァントといえど、足を使って移動しているという点は人間と大差がない。そして、一般的には、走る速度は乗り物に比べて劣るものである。

「あれは……!」

 “黒”のセイバーが目を僅かに見開いて、城塞を見る。否、より正確には、城塞の屋根に屹立する一体の巨人を見て、唖然としたのである。

「“黒”のキャスター!?」

 ルーラーは奥歯を噛んで渋い顔をした。 

 敵に寝返ったキャスターが、“黒”のサーヴァントに先んじてミレニア城塞に到達していたのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーのマスターである獅子劫界離は、顔面を蒼白にして地面に腕を突いていた。

 宙には去っていく『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』。聖杯奪取のためにある程度低空飛行をしていたとはいえ、人間からすれば十分な高度である。一流の魔術師である獅子劫は、確かにこの高さから飛び降りても、気流操作や重力操作などを用いれば、着の身着のままでも何とかなったが、こともあろうにセイバーは『魔力放出』を利用したジェット機を思わせる飛び降りに獅子劫を付き合わせた。

 言葉遊びでも何でもなく、死ぬかと思った。

「セイバー、お前な……」

「固いこと言うなよマスター。勢いってのは大事だろ」

「精神面ではな! 物理的にはいらねえよ!」

「それだけ喋れれば問題ねえな」

 命綱なしのバンジージャンプあるいはジェット飛行を体験して怒鳴れるくらいには獅子劫の腹は据わっているということが証明された。健康面でも問題なしだ。

「で、マスター。どうする?」

「どうするも何も、これにけりつけなきゃいけねえだろ。聖杯を獲るには、どうあっても“黒”の連中と手を組まないとな。そうしなくちゃ話にならん」

 “赤”のサーヴァントから“赤”のセイバーが抜けても敵は未だ強大に過ぎる。状況の変化が激しすぎて付いていくのも難しいが、とにかく聖杯を手に入れるという至上命題を達成するためには“黒”との協力体制の構築は必要不可欠である。

 そのために、無理をしてセイバーを突撃させたのである。後はどのタイミングで“黒”と接触するかという点が重要である。相手に足元を見られないように、対等に近い形で同盟を結べるのならそれに越したことはない。幸いというか、“黒”もキャスターの裏切りで困惑していることだろう。“赤”のセイバーという強力な戦力は、“黒”のキャスターに代わる戦力としては十分に過ぎる評価が与えられるに違いない。よって、自分たちの価値を最大限に高めて売り込める時期を見計らうのが何よりも大切である。

「だったら、今すぐにでも連中のところに向かったほうがいいんじゃねえか?」

「何?」

「あのキャスターのヤツ、もうやる気だぞ」

「なんだと? それを早く言え! 出遅れちまうじゃねえか!」

 獅子劫は表情を厳しくして立ち上がった。 

 それから、走り出しかけた足を止める。

「セイバー、“黒”のキャスター以外の“赤”の連中は?」

「あん、ここにオレがいるだろ、――――ああ、分かってるよ冗談だって、そんな怖い顔すんな。出てったのはキャスターだけだったぜ。魔術師風情が一人で何ができるんだって話だがよ」

 獅子劫は自分の心に引っかかっている「怖い顔」というワードに微妙に傷つきながらも、セイバーの言葉を吟味する。

 そして、首を振って言った。

「いや、キャスターはもともと“黒”の陣営に属していたからな、要塞の弱点を知っているってことは十分に考えられるだろ。それに、裏切りの情報がどこまで届いているかも分からんし、何よりも一人で動いたってことは、それだけ自信があるってことだ」

 本来、聖杯戦争において『キャスター』は不利なクラスとされる。それは、『キャスター』が得意とする魔術が『対魔力』を持つほかのクラスに弾かれやすいからである。しかし、その反面綿密な準備を重ねるなど力を蓄えた『キャスター』は非常に強大で、現代の魔術師では到底敵わない。そのため、『アサシン』に次いでマスターの天敵と称してもいいくらいの反則クラスでもある。

 “黒”のキャスターは、ゴーレム使いでもある。ゴーレムの攻撃は物理攻撃なので『対魔力』のスキルはほぼ意味を成さず、前述の綿密な準備も魔術協会側の“赤”の陣営以上に準備期間を設けることのできた“黒”の陣営に属していたために十分にあっただろう。

 おそらく、その宝具は強大なゴーレムの類であると推測できる。

「よし、行くぞセイバー」

 “黒”のキャスターが“黒”の陣営を引っ掻き回してくれれば、自分たちが付け入る隙も大きくなる。様子を見て、セイバーを飛び込ませるタイミングを見計らうために、獅子劫はミレニア城塞に近付くという決定を下した。

 

 

 

 □

 

 

 

  “黒”のバーサーカー以外のサーヴァントが出払ったミレニア城塞に残されたのは、五人のマスターと雑用のために残されたホムンクルスだけであった。 

 空中庭園内の様子はアーチャーと視界を共有することである程度理解できていたのだが、“赤”のライダーとの戦いの最中に映像が途絶え、念話も届かなくなってフィオレは慌ててアーチャーとのパスを確認する。

“アーチャーが負けたわけじゃない”

 今もアーチャーにはフィオレからの魔力が送り込まれている。

 空中要塞の中は敵の本陣であり、内部の様子を探られないように様々な仕掛けがあるのは分かっていた。妨害があるのは当たり前で、“黒”のアーチャーの目を通して状況を把握することは、これで不可能となった。ゴルドやセレニケにも尋ねてみたが、そちらにも手が回っているらしい。

 五人のマスターのうち、ロシェとセレニケを除いた三人――――フィオレ、カウレス、ゴルドは指揮所として機能していた王の間で合流を果たしていた。

「姉さん、他の二人は?」

「自分の工房が無事だからって、そこに篭っているわ。まあ、気持ちは分かるけど」

 黒魔術師のセレニケとゴーレム使いのロシェは共に一流の魔術師であり、自分の技に自信を持っている。とりわけロシェは自分以上のゴーレム使いである“黒”のキャスターには心酔していて、彼と共に造り上げ、管理してきた工房から移動することを頑として拒んだのであった。

 数分前に、“黒”のランサーの消滅が霊器盤で確認された。“黒”の陣営の旗頭が真っ先に脱落した異常事態に、全身の細胞がざわついたのを覚えている。表情には出せない。けれど、心中は不安が渦巻いている。ダーニックも応答がない。ランサーの死亡とあわせて考えれば、まず間違いなくダーニックも共に討ち死にしたというのが正しい解釈だろう。アーチャーと念話ができれば、確認も取れたのであるが。

 ついに、マスターにまで犠牲者が出てしまった。それも、全体を統括する頭脳であるユグドミレニアそのものとも言うべき長のダーニックが最初の脱落者である。

 このような事態を誰が予想できたであろうか。王と当主が真っ先に倒される陣営など、滑稽でしかないではないか。

 もしも、本当にダーニックが死亡したのであれば、繰り上がりでフィオレが長に就任することになる。

 自分でも気付かず、フィオレは車椅子の肘掛けの上で、拳を握り締めていた。

「姉さん。どうかしたのか?」

「なんでもないわ」

 カウレスに尋ねられて、フィオレは初めて手の平に汗をかいていることに気付いた。よほど、緊張しているのであろう。無理もない。魔術の研鑽の過程で死ぬのは覚悟しているのが魔術師とはいえ、死ぬのが怖くないかというとそうではない。聖杯戦争を始めるときは、誰もが死を覚悟しながら、心のどこかで自分だけは生き残ると根拠のない自信を持っているものである。優秀な魔術師ほど、その傾向は強くなる。しかし、戦局が不利に傾き、ともすれば何も為せず、何も遺せずに消えていくことになる可能性が見えると、平静でいるのは難しくなる。

 半壊したとはいえ、ミレニア城塞が今のところ最も安全な場所であるという点は変わらない。

 戦力としては心もとないが、“黒”のバーサーカーがいるというのも心強い。竜牙兵程度ならば、地形効果とフィオレの礼装による援護も可能で一方的に打ち倒すことができるだろう。迎撃の準備は可能な限り整えたので、サーヴァントが直接乗り込んでこない限りは問題はない。

『フィオレ、聞こえるか?』

 そこに飛び込んできたのはアーチャーからの念話であった。

 久しく聞いていないような錯覚すらも覚える声音に安堵しつつ、フィオレは応答した。

『はい、大丈夫です。そちらは?』

『敵地から脱出したところだな』

『お怪我は?』

『問題ない。それと、悪い報せが二つある。一つはランサーとダーニックが共に討たれたこと。もう一つはキャスターが裏切ったことだ』

『え!?』

 ランサーとダーニックについてはすでに諦観していたところもあり、驚くようなことではなかった。アーチャーから伝えられて、辛く胸に迫るものはあるが、受け止める準備はできていた。しかし二つ目の悪い報せについては想定外にもほどがある。

『ど、どういうことですか!?』

『キャスターは、――――』

 ぶつん、と念話が途絶えた。

 外部からの干渉で、強制的に連絡が絶たれたのである。

 それから数秒もせず、ミレニア城塞を揺るがす振動が王の間を駆け抜けた。

「な、なんだ!?」

「ヴィイイイイイイッ!」

 バーサーカーが唸り、カウレスとゴルドを抱えて部屋を脱出する。少女の外見をしていてもバーサーカーはサーヴァントであり人造人間である。大の男二人分の体重を運ぶ程度は造作もない。それに続き、フィオレが接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)の補助を受けてバーサーカーに続いた。

 城壁の一部が倒壊して、粉塵が背後から攻め寄せてくる。

 フィオレは魔術で粉塵を吸わないように空気のマスクを生成すると、廊下を疾駆するバーサーカーに叫んだ。

「バーサーカー、そこのテラスから外に出ましょう。敵はわたしたちの居場所を把握しています! 屋内では不利です!」

 屋内を逃げ回れば、相手の目を誤魔化せると思うのは早計であろう。当初の居場所から王の間に移動したフィオレたちを正確に狙ってきたところから考えて相手は屋内を逃げ回る自分たちを屋外から狙い打つことができる。それでは、相手が見えないのはこちらだけとなってしまい、城塞の中にいることには反撃するにしても逃げるにしても利するところはない。

「聞いたなバーサーカー! 外だッ!」

「ヴィィ」

 フィオレとカウレスの言葉を聞いてバーサーカーはテラスの窓を蹴り破って外に飛び出した。フィオレも遅れを取ることなく、屋外へ避難する。もちろん、そこには襲撃者の姿があるだろうが、一方的に攻撃されるだけよりはましだと判断したのである。

 


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