“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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二十八話

 寝返った“黒”のキャスターが滅んだことで、“黒”と“赤”による総力戦は一先ず沈静化した。

 勝敗は確定していないが、聖杯奪取とマスター権の獲得という目的を果たした四郎神父――――天草四郎時貞が戦略的勝利を収めたというように受け取るべきであろう。

 “赤”の陣営は“赤”のバーサーカーを失い“赤”のセイバーと袂を別ったとはいえ、バーサーカーは戦力とは見なせるものではなく、“赤”のセイバーも単独行動を旨としていた。加えて、意思決定権を持つ一人のマスターにサーヴァントが一極集中し、しかもそのサーヴァントは尽く大英雄とあっては損害は軽微であるとしか言えない。

 一方、“黒”の陣営はミレニア城塞の大破、最高戦力であった“黒”のランサーと一族の当主であるダーニックの死、“黒”のキャスターの離反と討伐。そして聖杯の喪失と敗北の二文字に相応しい大損害を被った。

 現有戦力は、“黒”のセイバー、“黒”のアーチャー、“黒”のライダー、“黒”のバーサーカーの四騎とルーラー、そして“赤”のセイバーで計六騎である。数の上では互角ではあるものの、相手のサーヴァントの戦闘能力を考えれば、ライダーやバーサーカーは不安が残る。

 劣勢に立たされたことは素直に認めなければならない。

 その上で打開策を見出さなければ、ユグドミレニアだけでなく世界が影響を受けることとなる。

 破壊されたミレニア城塞の中は荒れ果てて以前の姿を見ることはできない。

 ダーニックが滅んだことで、指導者に繰り上がったフィオレはルーラーと“赤”のセイバーとそのマスターを会議室に招き入れて、今後の方針を話し合うことにした。無論、ほかの“黒”のサーヴァントとマスターたちも揃っている。

 室内の調度品は衝撃で倒れ、シャンデリアは落下して無残な姿を曝していたが、フィオレとゴルドが手分けして元の整然とした状態に回帰させた。職人でも数週間は必要とする修復作業も、魔術を用いれば数秒で事足りる。

 話ができる状態を作って、ルーラーは敵地で見聞きした情報を詳細を知らないマスターたちに語って聞かせた。

「第三次聖杯戦争を生き抜いた、ルーラーですって?」

 信じ難い情報をルーラーの口から聞いて、フィオレをはじめとする“黒”のマスターたちは押し黙っていた。重い沈黙を搾り出すような声で破ったのは、壁に背を預けたセレニケであった。

「サーヴァントが敵のサーヴァントを全部従えているっていうの?」

「そういうことになります。英雄の誇りがあろうとも、“赤”のマスターたちから奪った令呪がある限りサーヴァントたちはあのルーラーに従わざるを得ないでしょう」

 ルーラーの答えに再び場は沈黙する。

 “赤”のライダー、“赤”のアーチャー、“赤”のランサーの三騎はまさしく“赤”の陣営の主力を担うサーヴァントである。そんな彼らであっても、令呪の縛りからは逃れられない。Bランク以下の『対魔力』では一画にすら抵抗することができない。

 理想とすれば、“赤”のサーヴァントが叛旗を翻して自害を強要されることであるが、天草四郎は自害させずとも、令呪によって強制的に従えることもできるので望みは薄い。

「聖杯を手に入れて、ルーラーは何をしようというのですか?」

 フィオレが恐る恐る尋ねた。答えたのはアーチャーであった。

「全人類の救済だそうだ」

「全人類の、救済……?」

 フィオレはアーチャーの言葉を飲み込むように口に出す。

「なんか、聖杯を使って世界中の人間を不老不死にする計画だってさ」

 “黒”のライダーは頭の後ろで両手を組んで、椅子の背凭れに大いに体重をかけてつまらなそうに言った。

「不老不死だと? 全人類を相手に? 馬鹿馬鹿しい、そんなことで救済などできるか!」

「一つの可能性としてはアリだがね。まあ、問題がないわけでもない」

 半信半疑のゴルドに、アーチャーは肩を竦めて言う。

「アーチャー、なぜそう思うのです?」

「救済の定義は人によって様々だ。天草四郎の望む救済が世界中の人々の不老不死であっても不思議ではないし、不老不死が実現すれば、生存欲求を満たすための争いは根絶されるだろう。死後がなくなるのだから、死後の安息を謳う宗教は意味を成さなくなり、宗教間の諍いも消えるだろう」

「それじゃ、問題ないじゃないか。救済になっているんじゃないのか?」

 総ての人間が死なない世界が実現すれば、死に脅える多くの人々は救われる。無残な死に方をする必要はなく、餓えに苦しむこともない。

「死なないということは、永遠に奴隷として扱われる者もいるかもしれない。不老不死の世界で、人間社会がどのような形になるか分からないが、完成した世界は変化を忘れ、時間すらも停止することだろう。格差の固定化は、結局のところ虐げる者と虐げられる者とを永久に別つことにもなりかねない。こうした問題は、生存欲求に根ざしたものではないから、不老不死で解決するとは思えん」

「な、なるほど。……なんか、理想社会(ユートピア)みたいだな」

「完全無欠の管理社会を実現するということで言えば、確かにそういった見方もあるのだろうな」

 天草四郎の目指す平和の先には、人類の発展はない。足りないもののない社会は一見して理想的であるが、人間は自己の自由を失い、意欲を失い、次第に枯れていくことであろう。

「気味の悪ぃ世界だ。そんなつまらん世の中なんて、吐き気がするぜ」

 “赤”のセイバーは忌々しそうに吐き捨てる。

「第一、全人類に不老不死を与えるとなれば、相当の魔力を使うはずです。魔法に到達するのと同義ですからね。一人ですら、聖杯の許容量ギリギリだというのに」

 ルーラーは不安そうな顔をして呟く。

 本来、聖杯戦争で降臨する聖杯は七騎のサーヴァントの魂を生け贄にして根源への道を切り開くことを目的として製作されている。有象無象の願いならば、完成させなくても叶えるだけの力があるが、根源に到達するには七騎全員の魂が必要である。たった一人を魔法に到達させるだけでも、それだけの膨大な魔力が必要になるのだから、全人類に適用するとなれば、一体どれほどの魔力が必要になるのか。聖杯の能力を大きく超えている願望だとしかいえない。

「じゃあ、結局総ての人間を不老不死にすることはできないの?」

 “黒”のライダーの言葉にルーラーは首を振って答える。

「そうとも言えません。足りなければ他所から持ってくるというのはどの世界も同じです。魔力が足りないのならば、別の場所から調達するでしょう。霊脈の一つや二つ、枯らしてしまうかもしれませんが」

「冗談じゃない! 霊脈を枯らすなど、魔術に影響するだけじゃ済まんぞ!?」

 ゴルドは信じ難い暴挙だとばかりに怒鳴る。

 霊脈は自然にある魔力の流れであり、それが滞留する場所が霊地となる。川の流れのようなものであり、世界中を循環しているものであるが、霊脈が枯れるのはその土地の死にも等しい重大事である。魔術の使用が困難になるだけでなく、生態系が崩壊する可能性すらもある。

 衰退しつつある一族の集まりであるユグドミレニアの魔術師にとっては高位の霊地を確保することは至上命題でもある。聖杯がルーマニア国内で発動する以上、ユグドミレニアの本拠地であるトゥリファスほか、関連する土地にも多大な悪影響が考えられる。

 人類の救済など興味はないが、魔術の可能性が潰えるかもしれないとなると声を荒らげざるを得ない。

「グダグダ話したって埒が明かねえ。アイツラの目的が何であれ、聖杯を獲るには倒さなくっちゃいけねえんだろ? だったら、あの神父の目的を議論してても仕方ねえんじゃねえか?」

 “赤”のセイバーがつまらなそうに言い切って、議論の流れを修正する。言葉は乱暴であるが、彼女の言うとおり、これから自分たちがするべきことは、四郎の目的の如何に関わらず“赤”の陣営との決着を付けることである。

「確かに、セイバーの言うとおりだ。そこで、マスター。どのようにあの空中要塞に立ち向かうかということに焦点を絞った議論にするべきだと思うがどうだろうか?」

 同意したアーチャーは議論の主導権をフィオレに渡すべく、あえてフィオレに問う。フィオレは頷いて、敵地へ乗り込むための議論に話題を変えることとした。

「しかし、追いつくにしても位置を特定しないことには乗り込むこともできません。ルーラー。あなたは、空中要塞の位置が特定できますか?」

「そうですね。わたしは特に聖杯との縁が強いサーヴァントですから、大まかな位置は離れていても特定は可能です。ですが、特定できたとしても、乗り込む手段がない」

 空中要塞は文字通り空に浮かぶ大宝具である。規格外の巨大さに加えて、はるか高高度にまで上昇されては襲撃するのも困難になる。

「僕のヒポグリフならびゅーんって行けるんだけど」

「サーヴァント全員を連れていけますか?」

「無理。戦車は持ってきてないし、一人が限界かな」

 飛行能力を持つ唯一のサーヴァントである“黒”のライダーは、弱小英雄。当然ながら、単騎で敵地に乗り込んで成果を挙げられるはずもなく、何かしらの手段でサーヴァント全員を運ぶ必要があった。

「アーチャー。あなた、飛行宝具は出せませんか?」

「無茶振りが過ぎるな、マスター。出せたらライダー相手に白兵戦などしていない」

 無数の宝具を操るアーチャーであるが、何でも出せるというわけではない。彼が扱えるのは基本的に白兵戦用の武器に限られ、それから離れれば離れるほど精度が低下していく。飛行宝具など、手持ちにあるはずもなかった。

「では、やはり飛行機しかありませんか」

「現実的には飛行機だけど、向こうにもアーチャーがいるのよ。それはどうするの?」

 色々と考えて、結局は文明の利器に頼らざるを得ないという結論をフィオレは導き出したが、セレニケは“赤”のアーチャーの存在を指摘する。

 人間が引く弓矢では、鉄の塊である飛行機を落とすなど夢のまた夢であるが、サーヴァントの放つ弓矢はミサイルに匹敵する威力と精度を持つ。飛行機を落とせない理由を探すほうが難しい。

「しかし、飛行機以外に移動手段がありません。“赤”のアーチャーへの対策は後々考えるとして、方向性としてはこのような形でよろしいですか?」

 フィオレの確認に、各サーヴァントとマスターは首肯した。

 まだ突き詰めるべき点はあるものの、飛行機以外の代案がない以上は、飛行機をどのように運用するのかという方向で話を進めるべきであった。

 聖杯大戦を終結させるために、これから命を賭して戦わなければならない。

 万全を期して挑んだはずの戦いが、あれよあれよという間に長は死に、最強のサーヴァントを失い、聖杯まで奪われるという劣勢に立たされた。敵はイレギュラーであり、極めて強大である。さらに、長を失った一族を立て直さなければならないとなれば、フィオレに休んでいる時間はない。

 窓から曙光が差し込むに至って、時の流れを知る。

 長い夜が明け、入ってきた朝の日差しに目を細める。それから、マスターとサーヴァントに目配せをして、議論を尽くしたと判断したフィオレは、ここで一旦解散することとした。

「それでは、朝になったことですし、今回はここまでとしましょう。朝食を摂りたい方は食堂へ、お休みになりたい方は空いている部屋をご自由にお使いください」

 フィオレは疲れを見せることなく、微笑んだ。

 空気が弛緩して、それぞれの視線がフィオレから外れる。

「よし、アーチャー。朝食だ。朝食!」

 開口一番、ライダーが飛び跳ねるようにして立ち上がり、アーチャーに言った。

「作れと?」

「だって、一番上手いのはアーチャーじゃないか。まあ、疲れてるだろうし、無理なら冷蔵庫漁るだけでいいけど」

「いや、いい。君では食材を荒らすだけだろう」

 ため息をついてアーチャーは朝食作りを請合った。食材を無駄使いされるような事態はなんとしても避けなければならない。

 

 

 

 

 料理は掛け算だ。

 ただ目の前にある材料を口に放り込むだけでは足し算にしかならず、場合によっては引き算ともなる。しかし、正しい過程を経て完成した料理は、食材の味を足し合わせるのではなく、互いに引き立てあう相乗効果によってより高い次元に到達する。

 己が信念を表すかのように、“黒”のアーチャーは豪快に中華鍋を振るった。

 チャーハンの香ばしい香りが食堂に満ち溢れ、聞くだけで食欲をそそる油の跳ねる音が小気味よく響いている。

「なんだこのメシ、うめえッ」

 感動を露にしてガツガツと口に料理を放り込むのは“赤”のセイバーである。

 料理と聞いて目を輝かせたセイバーは、獅子劫を連れ立って食堂に来ていたのである。結局、食堂に顔を出したのは馴れ合いは好まないと工房に向かったセレニケと自分の仕事に取り掛かったゴルド主従以外の面々であった。フィオレも慎ましくジャムパンを口にしている。

「姉ちゃん、それだけでいいのか?」

 カウレスは小食な姉を気遣って声をかける。

「昨夜十分食べたから、いいの」

 フィオレはそう言ってパンをちぎって口に運ぶ。

 普段は夜食も摂らないフィオレだが、昨夜は別であった。アーチャーへの魔力供給量を僅かでも確保しようと、夜のうちに軽食を摂っていた。ホムンクルスの補助があるので、微々たるものであったが、フィオレの魔力が潤沢であるほうがいい。もちろん、食事を摂ったからといって即座にエネルギーになるわけでもないので、気休めにしかならないが、できる範囲でサポートするのもマスターの役目である。

「ふぅん、そうか。姉ちゃん、気にするほど重くな……」

「――――カウレス?」

「俺、バーサーカーのとこ行ってくるから」

 失言に気付いたときには、フィオレは氷の微笑で弟を射抜いていた。カウレスはそうそうに逃げ出そうと、自分のサーヴァントの下に慌てて去って行った。

 そんな弟の背中を見送って、フィオレは眉根を寄せる。

「まったく、失礼するわ」

 魔術師とはいえ乙女である。体重を気にするのは当然のことで、ましてフィオレは運動ができる身体ではない。出て行くものが少ない分だけ、摂取量を調整するのは当然の配慮であった。

 しかし、口に出すことはないものの思い切り食べてみたいという気持ちもある。

 フィオレは恨めしそうな視線を密かにどか食いするサーヴァントに向ける。

 “赤”のセイバーと“黒”のライダー、そして実はかなりの量を平らげているルーラーの三騎。ライダーは容姿はともかく性別は男だからまだいいとして、他の二騎は女性でありながら健啖家でもあった。サーヴァントはいくら食事を口にしても太ることはない。総て魔力に変換されるからである。少し、いや非常に羨ましいと思わざるを得なかった。

 “赤”のセイバーは、フィオレからの恨みがましい視線を気にも留めず、見せ付けるかのように料理を口に放り込んでいく。

 朝食というにはボリューム満点に過ぎるが、サーヴァントの胃は頑丈である。美味いものはいつでもいくらでも食べられる。

「なんつーか、あれだな。イメージ壊れるな」

 もきゅもきゅとフィッシュバーガーを頬張りながら、セイバーは横目で調理担当のホムンクルスを指導するアーチャーを見た。

「そうですね。意外にもエプロンが似合うところがなんというか負けたような気になってしまいます。あ、これ美味しい」

 ルーラーは、鮭のムニエルに舌鼓を打つ。すでにずいぶんと食べてしまったが、まだまだいける。飽きない。心の奥底で、レティシアが不安そうにしているが、美味しい料理を前にして食べないというのは行儀が悪いと言い聞かせて食べる。

「うん、アーチャーは“黒”が誇る料理人だからね。しかたないね」

 二騎に追随するライダーもシュウマイを纏めて三つ飲み込むようにして食べた。

 朝から胸焼けのする光景に、“赤”のセイバーのマスターである獅子劫もまいったようにコーヒーブレイクに突入した。

「そうだ、ルーラー」

 獅子劫は正面に座るルーラーに声をかけた。

「なんですか。今、忙しいのですが」

「スプーンを置けばいいだろ。結構大事な話だぞ」

「む、仕方ありません」

 ルーラーは食事への心残りを明らかにしつつ、スプーンを置いて獅子劫の話を聞く体勢を整える。

「ま、難しい話じゃねえ。せっかくだから例の約束を履行してもらおうと思ってな」

「お、そうだ。忘れそうだったぜ。ルーラー、約束どおり令呪くれよ」

 獅子劫の言葉を聞いて、“赤”のセイバーもルーラーに約束の履行を要求する。

「ぐ、く。覚えていましたか」

 ルーラーは嘆息する。獅子劫と“赤”のセイバーは揃ってにやりと笑みを浮かべた。

 しかし、そこに割って入ったのはライダーだった。

「ちょっと待ってよ。令呪くれって何さ」

「ん。そりゃ、“黒”のキャスター討伐のときに、協力する対価に令呪を一画寄越せって話をしたんだよ」

「なんだよ、それ。ずるいじゃないか。それだったら、僕らにも令呪を一画くれてもいいんじゃない?」

「えッ!?」 

 ルーラーは、目を見開いてライダーを見る。

「なるほど、そういえばそのような話をしていたなルーラー」

 いつの間にかルーラーの背後にやって来ていたエプロン姿のアーチャーが、ルーラーを見下ろしていた。

「あ、アーチャー……?」

「ライダーの言うとおりだ。特定のサーヴァントを利するのはルーラーとしてどうかと思う。であれば、これから共に“赤”の陣営に挑むためにも平等に令呪を配付するのが最良だと思うがどうかな?」

「な、なぁッ。だ、ダメです。これは、大切なもので」

 そこに、話を聞きつけたフィオレが車椅子でやって来る。ルーラーは一瞬助け舟が来たかと喜んだが、すぐに敵であることを悟った。

「ルーラー、まさかわたしたちに協力要請をしておいて、“赤”のセイバーだけに契約料を支払うような真似はしませんよね」

「ぐぬ、ぬぅ……」

「ルーラーとしての職務はよく理解していますが、そもそも敵にもルーラーがいるのです。事態が事態だけに、もはや全サーヴァントを平等に扱うという形式は崩れています」

「それは、そうですが……」

「官軍は我々ですよね。令呪は戦略的にも戦術的にも重要です。世界を守るためにも、合理的に判断したほうがいい段階にきているのではありませんか?」

「ぐ、うぬぅ……」

 四面楚歌の状況で、ルーラーは俯く。

 ルーラーとしての責任もあるが、“赤”の陣営との戦いも重要。そして、負ければ世界は塗り替えられて取り返しの付かないことになってしまう。

 さらには“赤”のセイバーとの約束も破るわけにはいかず、しかし履行すると“黒”の陣営からは不満が出る。

 ぐるぐると回る思考のドツボに、ルーラーは陥っていった。

 

 

「う、ぐす。わたしは、ルーラーなのに……」

 さめざめとした様子のルーラーに対してマスターたちはご満悦である。

 結果として令呪の移譲は滞りなく行われた。

 一画ずつ移植されたことで、獅子劫とカウレスの腕には三画、フィオレの腕には四画の令呪が存在することになる。ゴルドとセレニケにも後で移譲することになった。今となっては“黒”のサーヴァントをルーラーが処断する機会も訪れないと思われ、令呪はブースターとして使用するほうがいいとなれば、悪い判断ではなかっただろう。

 カウレスだけは、少々申し訳なさそうにしつつ日本料理だという卵焼きを食べていた。

 言いだしっぺの“赤”のセイバーは満足げに笑みを浮かべて、獅子劫の完全な形を取り戻した令呪を眺めていた。それから、アーチャーに視線を向けた。

「ところで、アーチャー。お前、未来の英霊なんだってな」

 “赤”のセイバーの言葉に、一瞬食堂内が静まった。

「それがどうしたのかね?」

「確かに英霊は時代に関わらず召喚される可能性があるけどよ、未来の英霊がサーヴァントになるってのはレアケースだろうよ」

 アーチャーの正体については、天草四郎が暴露してしまっているので、今更隠すまでもない。しかし、未来の英雄であることが分かっても、その経歴は分からないのである。聖杯が与える知識は、召喚された時代までのあらゆる英雄の知識を持っているが、未来はカバーしていない。

「“赤”のセイバー。確かに興味があるかもしれませんけど、わたしたちがアーチャーの素性を話す必要はありますか?」

 フィオレが、声を抑えるようにして言う。

 “赤”のセイバーは当然だと、声を大にして言い切った。

「前に戦ったとき、コイツはオレの真名を言い当てた。オレの兜は真名を秘匿する力があるにも拘らずだ。これから協力していくってのに、そんなんじゃ不信感を抱いてもしかたないだろう?」

 違う。

 不信感を抱くなどということはセイバーにはない。表情を見ていれば分かる。しかし、アーチャーが自分の素性を語っていないのは、フィオレ以外の“黒”の陣営も同じである。内部に好からぬ罅を作りかねない。

 フィオレはアーチャーと目配せし、ため息をついた。もはや、記憶喪失では納得させることはできないだろう。

「私が君の真名を知っている理由は簡単だ。もともと君の顔を知っていたからだよ」

「あ?」

 アーチャーが“赤”のセイバーと戦った際には、兜の宝具(シークレット・オブ・ぺティグリー)の効果を使っていたとはいえ、兜そのものは外していた。確かに、アーチャーが彼女の素顔を見ることは可能である。

 しかし、

「未来の英霊がオレの顔を知っているってか。ありえねえ」

 “赤”のセイバーが生きた時代はアーチャーが生きた時代はあまりにも異なる。顔を知っているなどということは、常識的にありえない。

「アーチャー。きっちり答えろよ」

「別にありえなくはないだろう。現に、ここで私と君は顔を合わせているではないか」

「は……?」

 セイバーはぽかんとし、獅子劫は小さくなるほどな、と呟いた。

「要するに、聖杯戦争に参加したことがあるんだな。マスターとして。生前に」

「そういうことになるな」

 驚いたのは、セイバーだけではなかった。

 食堂内で耳を傾けていたほかの面々も驚愕を露にした。

「じゃあ、アーチャーはこれからこの戦いがどうなるか知ってるのか? 未来の英雄なんだろ?」

「生憎だがな、ライダー。この世界は私が生まれ育った世界とは異なる流れの中にある。よって、私が未来の知識を持っているわけではない。言うなれば、私は並行世界の未来から召喚された存在ということだな」

「並行世界だって?」

「私の世界では聖杯戦争は冬木以外では行われなかった。第三次聖杯戦争でダーニックが聖杯を奪えなかったからだ」

 今、世界中で聖杯戦争が行われているのは、ダーニックが冬木の聖杯を奪ったときに術式の一部が漏洩してしまったからである。

 ダーニックが聖杯の器盤を奪えなかった世界では、聖杯の術式が外に出る機会がなかったために、その後も第四次、第五次と聖杯戦争が続いていたのである。

「で、お前はコイツを召喚したってのか?」

 獅子劫は親指でぞんざいにセイバーを指した。マスターの行為に不快そうに顔を歪める。

「いや。私が召喚したのは“赤”のセイバーではない。が、顔立ちは驚くほど似通っているな」

「テメエ、まさか……」

「そのまさかだ。私はアーサー王を『セイバー』として召喚した。二週間ばかりだったが、大きな刺激になったよ」


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