“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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三話

 その夜、ミレニア城砦の王の間に、マスターとサーヴァントが集っていた。

 キャスターの七枝の燭台(メノラー)に灯った火の光が、壁をスクリーンに外の映像を映し出す。

 映像では、一人の小柄な騎士と、無数のゴーレムが死闘を演じていた。

 映画ではない。今、まさにこのミレニア城砦の南側の街中で起こっている出来事だ。

 “黒”のキャスターが生み出したゴーレムは、強力だ。一体で、熟練した魔術師を容易く屠ることができる。しかし、それはあくまでも人間を対象にした場合。今回相対しているのは、“赤”のセイバー。

 全身を鎧に包み込み、その顔は兜によって隠れている。しかし、“彼”は重装備を物ともせずに縦横無尽に戦場を駆け回り、重戦車の如く突き進む。

 映像の中では、次々と“赤”のセイバーがゴーレムを切り伏せている。まったく、相手になっていない。こちらが送り込んだゴーレムの多くが一合で砕かれる。なんとか持って二合だ。

 ダーニックを除いた五人のマスターは、そのあまりの光景に圧倒され、息を呑んでいた。

 最後のゴーレムが、三合で切り伏せられたとき、送り込んだホムンクルスもすでに敵マスターに屠られていた。

「さすがはセイバーと言ったところかな」

 “黒”のランサーの言葉に、ダーニックは頷いた。

「幸運以外にC以下が存在しないとは、まさしく剣の英霊に相応しいステータスと言えるでしょう」

 臣下の礼を崩さないダーニックは、ランサーに告げた。サーヴァントのステータスを読み取ることができるのは、マスターだけだ。

「ほう」

 敵対するセイバーのステータスに、感心したように声を漏らした。さらに、ダーニックは報告を続ける。

「加えて、一部のステータスを隠蔽する能力があるようです。素性を隠し通す伝説を持つ剣士ということになりましょうか」

 マスターの透視力を遮断する能力がセイバーにあるらしい。それが、固有スキルか宝具かは分からないが、彼が振り回していた剣の意匠すらも想起できないくらいなので、よほど強力な認識阻害能力があるようだ。

 頷いたランサーは自陣のセイバーに視線を向けた。

「君は彼に勝てるかね?」

 無論だ、と視線で語り、セイバーは力強く頷いた。

 セイバーはランサーに対してもマスターの言いつけを守り無言を貫いている。

 ランサーは機嫌を損ねることなく、笑みを浮かべる。裏切りと欺瞞を何よりも嫌うランサーには、清廉で忠義に溢れたセイバーの態度はむしろ好ましいものに思える。

「剣を想起することすら困難か。アーチャーはどうかね?」

 ランサーは、フィオレを見た。この場には、サーヴァントも集結している。未だ合流していないアサシンと、“赤”のセイバーを目視で確認しに行ったアーチャーのみがこの場にいない。

 フィオレはアーチャーの言葉を代弁する形で首を横に振る。

 アーチャーは剣を解析し、“黒”のセイバーの真名を当てて見せた。予想外のアーチャーの能力に、ダーニックもランサーもアーチャーの評価を上方修正したのだが、さすがのアーチャーでもステータスを隠蔽する能力を相手にしては解析は難しかったようだ。

「そうか。ならば、しかたあるまい」

 剣を使う英霊は、セイバーだけではない。バーサーカーが剣を振り回すこともあるし、その他のサーヴァントが副装備として剣を帯びていることもあるだろう。何もセイバーの真名が掴めないことは不利には働かない。

 あえて、“赤”のセイバーの正体が分かるのか、と尋ねなかったのは、ゴルドがこの場にいるからである。

 ランサーは再び映像に目を向ける。

 そこには“赤”のセイバーが、そのマスターとともにゴーレムの残骸を眺めているところが映し出されていた。

 敵に解析されないよう、あのゴーレムは破壊された後自動的に焼滅するようになっている。だから、敵に手がかりを与える心配もない。

 今回は、敵の中でも特に注意を払うべきセイバーの実力の一端が垣間見えた。それだけでも十分な成果と言えるだろう。

 しかし、ここでランサーは何を思ったのか、自身の頤に手を当てた。

「一つ、アーチャーをぶつけてみるのはどうかな」

 ポツリ、と呟いたその内容に、思わずフィオレはランサーに視線を向けた。

 並み居るサーヴァントたちも、ランサーの判断に意外そうな顔をする。

「フィオレ。アーチャーは、あのセイバーと戦えるかな?」

 ランサーの意を汲んで、ダーニックがフィオレに尋ねた。

 フィオレは、すぐには返答しかねた。

 いかに、アーチャーとの間に信頼関係が結ばれていようとも、アーチャーがステータスの低いサーヴァントであることに変わりはない。

 それに対して、あの“赤”のセイバーは超一流のサーヴァントで間違いはない。格は明らかに向こうが上だった。

 衆目が一身に注がれるのを感じながら、フィオレは口を開いた。

 

 

 

『申し訳ありません、アーチャー。偵察だけのはずが、このようなことになって』

 使い魔を通してフィオレから連絡を受け取ったアーチャーは苦笑しながら、その要請を引き受けた。

「仕方があるまい。ここは、私の力を見せ付けるいい機会を得たと考えるべきだな」

 それにしても、ランサーめ。とアーチャーは内心で毒づいた。

 現在、アーチャーは“赤”のセイバーから二キロ離れた建物の屋上に立っている。向こうも、同じくらいの高さの建物の屋上にいるので、高低差はそれほどでもない。本来ならば、もっと高い建物があればよかったのだが、ないモノねだりをしても仕方がない。

「狙撃をするのであれば、キャスターと連携すべきところではあるが……」

 キャスターのゴーレムで撹乱しているところに、一気にアーチャーの長距離狙撃。これならば、セイバーに打撃を与えた上で、こちらも確実に撤退ができる。しかし、なぜよりにもよって戦闘が終了してからセイバーと戦えなどというのか。

「よほど、私の力に興味があると見えるな」

 これを機に、ランサーはアーチャーの戦闘能力を把握するつもりなのだろう。

 いいように使われるのは気に入らないが、向こうがそういうつもりなら、こちらもそれ相応の返礼はしてやらねばなるまい。

「I am the bone of my sword」

 もはや、自らの血肉に等しい呪文を口にする。

 イメージするのは最強の自分。

 己の敵は、“赤”のセイバーにあらず。乗り越えるべきは、常に自分自身だ。

 左手に現れた洋弓に、剣と見紛う矢を番える。

 その矢の禍々しさは、常人ならば、その場にいるだけで魂を汚染され、精神に異常を来たすであろう。

「“赤”のセイバーよ。最優のサーヴァントたる由縁、見せてもらおうか」

 解き放たれたアーチャーの矢が、空気の壁を吹き散らして一路、セイバーに迫った。

 

 

 “赤”のセイバーの全身に悪寒が駆け抜けたのは、切り倒したゴーレムが独りでに燃え始めた時だった。マスターの獅子劫界離が調査しようとして、顔に熱波を喰らったまさにその瞬間だ。

 狙われている。

 ゴーレムとは異なる、明確な殺気。

「マスター!」

「ぐえッ」

 セイバーが叫び、獅子劫の身体を突き飛ばすように抱きかかえて、一息に十メートルは飛び退いた。直後に、響き渡る轟音が屋上を叩いた。

「ゴホ、ガハッ。……オマエなあ……」

 突然のタックルに、息が詰まって咳き込む獅子劫であったが、その光景を目の当たりにして事情を察した。

 自分たちがいた場所が、抉り取られている。建物の屋上の一区画がごっそりとなくなっていたのだ。

 この攻撃に、歴戦の猛者である獅子劫はまったく気付かなかった。

「アーチャーだ」

「狙撃か、クソ」

 アーチャーの矢の威力は見れば分かる。セイバーが気づかなければ、まずもって助からなかっただろう。

「やってくれるじゃねえか。アーチャーよォ」

 セイバーが苛立たしげに、剣を構えた。

 獅子劫の目には、セイバーが睨み付ける先には何も見えない。しかし、サーヴァントとして、人を超えた知覚力を持つセイバーには、夜闇に潜む狙撃手の姿が見えているのだろう。

「さっそくぶった切って――――」

「おい、セイバー!」

「んだ、マスター。あ、クソッ!」

 今度は獅子劫が気づいた。アーチャーに気を取られていたセイバーは僅かに遅れてそれに気づき、

「なめんじゃ、ねェ!」

 背後から迫る赤き魔弾を迎撃する。

 ぶつかり合う鋼と鋼。

 激しい火花を散らして、標的から逸れたアーチャーの矢は虚空の彼方に飛んで行く。

 通常、矢は放ったが最後、軌道を変えることは不可能だ。それは、いかに常軌を逸したサーヴァントであろうとも変えることのできない原則である。

 しかし、何事にも例外というものは存在する。

 例えば、放たれた矢そのものが、宝具である場合。敵を狙い続ける必中の能力があれば、その矢は、獲物の喉を狙い続ける猟犬となる。

 故に、その真名は赤原猟犬(フルンディング)

 血を吸う度に強度を増すという伝説の魔剣をアーチャーが矢に改造した代物だ。

 音速を遥かに超え、ルーマニアの夜を切り裂く赤い閃光。

 地に落ちる星のように、一直線にセイバーに向かって駆けてくる。

 幾度目かの激突。

 剣と矢が触れ合うたびに、周囲には爆弾が破裂したような衝撃が奔っている。獅子劫はセイバーに庇われながら、身を低くしているのが精一杯だ。

「チィ」

 セイバーは舌打ちをして、十合目となる激突をやり過ごした。

 セイバーだけであれば、この状況でも生還は容易い。しかし、問題は獅子劫の存在だ。マスターがこれほど近くにいたのでは、セイバーではなくマスターを狙われかねない。いかにステータスが際立って高いセイバーといえど、この状況下でマスターを庇いながら戦い続けるのは、ただ徒に自身を消耗させるだけだと分かっていた。

「何度も同じ手が効くかってんだッ!」

 セイバーは、全力の魔力放出でブーストした剣戟を、魔弾の中央に叩き込んだ。

 攻撃を繰り返すたびに、精度と速度が鈍っているのを見て取って、十二分に引き付けてから、最高の一刀を繰り出した。

 案の定、敵の宝具は限界に達していた。

 打ち砕かれた矢は、床面を砕いて建物を貫通し、その下で爆発した。

「いくぞ、マスター!」

 セイバーは、獅子劫の首根っこを掴んで崩れ行くビルから飛び降り、路地裏に走る。

 獅子劫が息を整えたところで、セイバーは今後の方策を尋ねた。

「建物一つを爆破したんだ。セオリーなら、ここで引いてもいいんだがな」

 獅子劫は、路地裏からこっそりと大通りを覗いた。深夜のトゥリファスに響いた破壊音。しかし、誰一人として表に出てくる様子はない。

「大した魔術じゃないか。あの結界、建物が崩れたときの隠蔽にまで作用してやがる」

 自分たちの存在を探知した結界のほか、市街地戦を考慮に入れた隠蔽魔術までが施設されている。この辺り一帯が、敵のテリトリーなのだから当然と言えば当然だが。

「とするとだ」

「ああ、あの野郎狙ってやがる。オレたちがここから動いた瞬間に一撃入れるつもりだぜ」

 セイバーの直感は、限定的な未来予知に匹敵する。戦場において戦士の勘(・・・・)は馬鹿にできないものだが、それをサーヴァントとなったことでスキルとして備えているのだ。そのため、獅子劫もセイバーの判断に異を唱えることができない。

 しかし、そうはいっても獅子劫たちがこの場に残り、アーチャーとにらみ合いというわけにはいかない。

 先の魔弾は破壊した。宝具は基本的に一サーヴァントに一つか二つとはいえ、あの魔弾と同等の魔弾がないとも限らない。いや、あるはずだ。聖杯大戦の序盤で、いきなり唯一無二の宝具を使い捨てにするはずがない。

 となれば、アーチャーはその気になれば、今すぐにでも建物の陰に潜む二人を建物ごと吹き飛ばすことができるのだ。足止めを受けている間に、敵の増援が来る可能性もある。

「アーチャーを何とかするしかないな」

「何か策があるのか?」

 セイバーの問いに、獅子劫は手の甲に宿った三画の令呪を見せることで答えとした。

「なるほど」

 セイバーが兜の下に隠した顔に凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 今回の聖杯大戦はもとより、その原形となった聖杯戦争も、サーヴァントの器量だけで戦い抜けるほど生易しいものではない。

 最後まで生き残ることができるのは、サーヴァントの実力に加えて、マスターの実力も問われるのである。

 ここでいうマスターの実力とは、魔術師としての腕ではない。

 その身に宿した令呪という三回限りの奇跡を、いかにして運用するのか。その駆け引きを有利に運ぶ判断力のことである。

 

 それは、自陣のアーチャーと“赤”のセイバーの戦いを観戦していた“黒”の陣営にとって掛け値なしの不意打ちだった。

 当初は、予想以上の実力で以て敵セイバーを圧倒したアーチャーに、ランサーは満足げな笑みを浮かべて泰然と王座に座し、マスターであるフィオレは、はらはらとしながらも、アーチャーの矢の威力と効果に目を奪われていた。

 セイバーとそのマスターは撤退。アーチャーの初陣も、これで十分かと思われたまさにその時だった。

 

「アーチャーッ!」

 

 獰猛な叫び声と共に、捻じくれた空間の果てより、姿を現す騎士甲冑。速いという概念を超越した弾丸移動は、“黒”のマスター、そしてそのサーヴァントたちの意表を突く形で現実のものとなった。

 

 サーヴァントを強制的に自害させることも可能という規格外の魔力の塊である令呪を、サーヴァントの意に沿う形で使用した場合、その行動を補佐するブースターとして機能する。注目すべきは、その効力の規模。限定的な用法で使用すれば、それは奇跡すらも引き起こす力となる。

 例えば、単純な移動を、空間跳躍という極限の形にまで高めることすらも、不可能ではない。

 

 突如としてアーチャーの前に現れたセイバーに、“黒”のマスターたちは一様に驚愕に目を見開いた。令呪を使ったのだ、ということに思い至ることができたのは、聖杯戦争の経験者であるダーニックだけ。そして、ダーニックは、現状がまずいということが分かっていた。弓兵であるアーチャーが、剣士たるセイバーの間合いに入ってしまった。

 即座に、撤退するしかない。

 フィオレは、まだ令呪で撤退するという思考に至っていない。声を張り上げて、無理にでも撤退させるか。

 そう考えている間に、“赤”のセイバーはアーチャーに切りかかっていた。

 フィオレが短い悲鳴をあげ、ダーニックは顔を歪ませる。一瞬先の、アーチャーの敗北を確信して。

 

 

 散ったのは血ではなく火花。

 そこに吹き出すはずの鮮血はなく、虚しい鉄の音だけが響き渡った。

 驚愕は誰のものだろうか。

 踏鞴を踏んだセイバーのみならず、その様子を見ていた“黒”の陣営の誰もが、唖然としてアーチャーの姿を見た。

「双剣――――だと?」

 必殺を期した剣戟が弾かれた苛立ちが、そのアリエナイ光景に上書きされた。

 セイバーの前に立つ男の手には、弓ではなく二刀一対、白と黒の中華刀が握られていた。

 泰然とした立ち姿には隙がない。

 それが、見せ掛けの二刀流ではないということを、歴戦の勘が告げている。

「テメエ、セイバーか?」

「君は私がセイバーに見えるのかね?」

「いや、まったく。で、弓兵風情がこのオレ相手に白兵戦で挑むってのか?」

 なめられたもんだ、とセイバーは愛剣の柄を握りなおし、アーチャーを油断なく観察する。

「弓兵とて剣を執ることもあるだろう。何、そこらの剣士に引けはとらんよ」

「ハッ――――よく言った、覚悟しやがれ。アーチャー!」

 セイバーの背後の床面が、大きく抉れ消し飛んだ。

 爆発的加速。スキル魔力放出は、身体能力のブーストに使用するのが常であるが、このセイバーはその有り余る魔力をロケットのように噴射して、尋常ならざる破壊力をその一刀に乗せることができるのだ。

 荒れ狂う魔力の奔流は赤雷となり、閃電となったセイバーはその勢いを殺すことなくアーチャーに剣を振り下ろした。

 

 

「オオオオオオオオオオッ!!」

 セイバーが咆哮し、剣を振るう。

 振るって振るって振るう。その斬撃は音速を超え、常人の目には月光を反射する軌跡しか残らない。白銀の刀身は、夜闇を切り払い、大気はズタズタに切り裂かれて悲鳴をあげる。だが、止まらない。嵐の夜の海の如く、轟と吹き荒れる剣風は、時間と共に激しさを増していく。

 しかし、その荒々しくも間断のない攻め手が続いているということは、切り付ける対象が未だに存命であるということを意味している。

 アーチャーは、二刀を縦横無尽に駆り、セイバーの剣戟を受け止め、いなし、あるいはかわす。鷹の目には、聊かの曇りも見出せず、冷淡な表情でセイバーの攻撃を見切り続けている。

 

 ――――なんだ、コイツはッ!

 

 押しているのは確かにセイバーだ。

 そもそも、セイバーのクラスは、近接戦闘最強を誇り、三度行われた冬木の聖杯戦争では、そのすべてで最後まで生き残った実績がある。ステータスが一定ランク以上の英霊のみが召喚されるという厳しい条件もあり、あらゆる条件下に対応可能な柔軟性まで併せ持ったまさしく最優のクラスである。

 そのセイバーが、――――剣の間合いで弓兵を打倒しきれない。

 

 アリエナイ。ソンナコトガアッテハイケナイ。オレは、アーサー・ペンドラゴンの後を継ぐ者。名高き騎士王を乗り越える最強の騎士だ。

 

 “赤”のセイバー――――モードレッドは自らを鼓舞し、剣を振るう。

 時に愚直に、時に技を織り交ぜ、首を、胴を、腕を、足を狙いながらその尽くが届かない。

 無論、これほどの苛烈な攻撃に曝されて無傷で済むほど、アーチャーは頑丈ではない。鍛え抜かれた心眼が、セイバーの攻撃に対処する最適解を導き続けているからこそ、ギリギリの攻防を続けていられる。

 

 

 ――――ずいぶんと、大振りになってきたな。

 

 今のアーチャーは、嵐の海に漕ぎ出した一艘の船だ。大波に翻弄されながらも、生き残る活路を探し出すため、知恵と技を一瞬一瞬に集約させている。

 そして、歴戦の勇士でもあるアーチャーの目には、敵セイバーの剣術に粗が見え始めていた。

 それは、まさしく風と海流を掴んだ瞬間であった。

「セイッ!」

 セイバーが振り下ろした剣が床面を抉るのに合わせて踏み込んだアーチャーの黒い陽剣・干将がセイバーの鎧に吸い込まれた。

「このッ」

 セイバーは苛立ち、兜の奥に隠れた顔を歪ませた。高い耐久力に加え、頑丈な鎧に身を守られているセイバーには、一撃入ったところでダメージにはならない。だが、弓兵に近接戦で切りつけられたことが、セイバーのプライドを激しく傷つけた。

「ダラアアアアアッ!」

 咆哮と同時に四方に赤き雷が走る。魔力放出スキルのはずだが、放出された魔力はセイバーの性質に合わせて変化しているようだ。

「ぐ……ッ!」

 膨大な魔力は、それだけで物理的衝撃を伴う。アーチャーは踏鞴を踏んで距離を取った。しかし、その僅かな後退は、セイバーにとって一歩で詰め寄れる距離しか稼げず、下から切り上げられた剣を受け止めた白き陰剣・莫耶が後方に弾き飛ばされてしまった。

 そもそも、筋力からしてセイバーとアーチャーでは格が違う。まともにぶつかってはアーチャーの敗北は必至であり、うまく衝撃を受け流すことで渡り合ってきた。が、今回はセイバーの魔力放出で強化された斬撃をそのまま受け止めてしまったこともあって捌ききれなかったのだ。

「しゃあッ。覚悟ッ」

 双剣は、両手剣に比べてリーチに劣る。その代わり、小回りが利き、手数が多いという利点がある。そのため、防御に回った双剣使いは、峨峨たる城壁の如き防御力を有するものだが、二刀の内、一つでも潰してしまえば、防御力は半分以下、文字通り片手落ち状態だ。

 セイバーの剣を、アーチャーは残った干将で防いだ。アーチャーの姿勢が、衝撃で崩れる。取った。セイバーが確信した瞬間、彼女の直感スキルがそれを否定した。

「ク……ッ」

 視認に先んじて身を捻る。一瞬前までセイバーの首があった場所を、弾き飛ばしたはずの白剣が通り抜けていった。

「バカな」

 セイバーの驚愕にアーチャーは答えず追撃をする。三合ばかり打ち合って、互いに距離を取った。セイバーは驚愕から立ち直り、敵を分析するために。そして、アーチャーはセイバーへの深入りを嫌ったために。互いに敵の様子を確認し、それから自分の状態を確かめた。

 

 ――――ステータスでも、剣術でもオレが勝っている。弓兵風情にオレが押される道理はねえ。奇妙な手品を使うが、落ち着いて対処すれば、首を落とせる相手だ。魔力は充溢している。一気呵成に攻め立てて、叩き潰す。

 

 ――――高い耐久力に、全身を覆う甲冑。生半可な攻撃は通らないか。なによりも、あの魔力放出。直撃を食らえば剣ごと骨を持っていかれるか。身体のほうは問題は無いが、さて、どう切り崩すか。

 

 思考は数秒。にらみ合いは長くは続かず、再戦の火蓋はなんの予兆もなく切られた。

 セイバーが攻め、アーチャーが守る。

 初めから何一つ変わらない構図が維持される。戦局は膠着状態に陥った。剣士としての誇りを以て、攻め立てるセイバーに対し、アーチャーは己が剣術で劣ることを理解し、堅実な守りを固めている。幾十、幾百の剣戟を交えてなお、互いに一歩も引かない切り合いが展開されていた。

「てめえ、いったいどこの弓兵だ。このオレ相手にここまで守りきれるヤツなんて知らねえぞ!」

「さて、どこの弓兵かな。私自身、その辺りはよく分からなくてね」

「ほざけッ」

 セイバーの剣が、アーチャーの剣を弾く。しかしセイバーが、二撃目を放つ頃にはすでにアーチャーは万全の守りを固めている。いったいいくつの宝具を隠し持っているのか。それも、すべて同じ宝具である。分裂系の能力をもつ双剣であろうか。

 これだけ、剣を交えれば、セイバーもアーチャーの剣が見えてくる。この剣は、剣の鬼才であるセイバー(モードレッド)の対極に位置する剣。才能のない者が、死に物狂いの努力の果てにたどり着いた極地である。 

 血反吐を吐く努力というものは、セイバーの好むところだが、これほどの剣技を手にするのに、一体どれほどの修羅場を潜ったことだろう。相手の過去に思いを馳せながらも、セイバーは剣を振るう手を止めない。

 

 セイバーがアーチャーの過去に思いを馳せていた時、狙い済ましたようにアーチャーもまたセイバーを思っていた。

 敵が振るう剣に、覚えがあったからである。

 野性味に溢れ、積み上げた技よりも本能を優先する戦い方をするのが、“赤”のセイバーだ。しかし、同時に騎士風の剣が、そこに同居している。獣と騎士。相容れない二つの感性が、この剣士の中に絶妙なバランスで根付いているのだ。そして、その根本――――剣術思想ともいうべき部分に、アーチャーは懐かしさを覚えたのだ。

 そう、この剣は彼女の――――セイバー(アルトリア)の剣によく似ているのだ。

 自分が、まだ青臭い理想を語る子どもだったとき。運命の夜に出会った彼女のことは、絶望と狂気の果てに磨耗した記憶の中で、色あせることなく燦然と輝いている。

 

 聖杯大戦というイレギュラーが呼び寄せた二人の英霊。

 生まれた時代も、育った環境も異なるセイバーとアーチャーは、奇しくも同じ師を仰いだ。

 

 一方は、剣の天才として生まれ、憧れた剣を余さず我が身に取り込んだ。

 一方は、剣の非才として生まれ、届かないと知りながらも生涯をかけて手を伸ばし続けた。

 

 ただ、アーサー王(アルトリア)に届きたい。

 二人の原点は、この一点に尽きる。

 

 同じ剣を夢に見た二人が、時代を超えてぶつかり合う。なんという運命だろうか。

 しかし、夢の饗宴も永遠には続かない。

 久遠の長さに思える剣戟も、剣を止めてしまえば一瞬の出来事のように思える。

 日が上り始め、空が白み始めた時、どちらともなく距離を取った。

「弓兵のくせに、なかなかやりやがるな、オマエ」

「だから言ったろう。そこらの剣士に遅れは取らんと」

 見たところセイバーは無傷。アーチャーは身体中の至るところに裂傷を生じているが、どれもかすり傷程度だ。

 これは所詮は前哨戦。決着を急いでつける必要はない。少なくとも、アーチャーの側は。しかし、セイバーとしては、剣の英霊でありながら剣術で攻め切れなかったことに加えて、令呪一つ分を消費した手前、アーチャーの首が欲しい。

「ここまで来たんだ。最後まで付き合って貰うぞ、アーチャー」

 その顔は兜に隠れて見えないが、セイバーは戦意を衰えさせることなく、むしろ高揚しているようにも思えた。

 だが、アーチャーが取り合うことはなかった。フィオレからいい加減に帰って来いとの命令が下っている。なにより、これ以上セイバーに付き合っていては何れ討ち取られてしまうだろう。

「すまんが、その誘いには乗れんな。私はこの辺りで引かせてもらう」

 何、とセイバーが食って掛かる前に、アーチャーは投影した三本の短剣を飛ばし、セイバーの足元に突き立てた。

 飛び退くセイバーを尻目に、アーチャーは呪文を口にする。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 途端、激しい閃光が屋上を覆う。短剣が一斉に爆発したのである。すでに二人の戦いで激しく損傷し、屋根としても使えないほどになった床面は、それだけで簡単に崩落した。

「なッ……アーチャー。テメエッ」

 瓦礫と共に落ちて行くセイバーと、霊体化して戦線を離脱するアーチャー。

「アーーーーーーチャーーーーーーーッ!!」

 セイバーの叫びも虚しく、去ったアーチャーが戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 ミレニア城砦に帰還したアーチャーを真っ先に出迎えたのは、マスターであるフィオレでもなければ、王であるランサーでも、そのマスターであるダーニックでもなかった。

 桃色がかった長髪を纏めている少女、に見紛う少年である。

「お帰りアーチャー! あのセイバー相手に近接戦で打ち合うなんてすごいじゃないか!」

 好奇心旺盛なライダーは、天真爛漫な笑顔でアーチャーに話しかけた。

「それに、あの矢。あれ、アーチャーの宝具なんでしょ? いったい、どんな所縁があるのか、教えてくれないかな?」

 そう詰め寄ったライダーにアーチャーは、一先ず、マスターの元に向かわせてくれと言って、ライダーの追及から逃れた。

「ああ、そうだね。僕としたことが失念していたよ。あの娘のところに行くのが筋だよね。ごめんね、引き止めちゃってさ」

「いや、気にしないでくれ、ライダー。また、折を見て話をしよう」

「ああ、それじゃあね!」

 ライダーは人好きのする笑顔でアーチャーを送り出した。フィオレの元に向かう途中、セイバーとすれ違った。

「……いい剣だな」

 すれ違い様に、セイバーが言葉を発した。

 そのことに驚きながらも、アーチャーは口元に笑みを浮かべた。

「君の剣ほどではない」

 セイバーは首を振った。

「技のほうだ。真っ直ぐに積み上げた、曇りのない、見事な剣だった」

 剣士であるセイバーにとって、剣術は生涯をかけて突き詰めたものだ。言ってみれば、そこには人生のすべてが濃縮されている。果たして、セイバーはアーチャーの剣に何を見たのだろうか。

 しかし、セイバーがそれを語ることはなかった。

 忠義の騎士は、ただそれだけを言い終えると、マスターの命に従って再び口を噤み、視線で別れを告げて去っていった。

 

 

「遅い」

 フィオレの元に戻ったアーチャーは、開口一番にそう言われた。

 ムスッとした表情で、アーチャーの遅参を責めた。

「ふふ、でも、許してあげます。よく戻ってくれました、アーチャー」

 剣呑な表情をすぐに解し、フィオレはアーチャーを労った。

「ああ、今戻った。フィオレ」

 フィオレは、車椅子を動かして、アーチャーの傍に近寄った。

「アーチャー。あなたには、まず最初に謝っておかなければなりません」

 フィオレは、申し訳なさそうな顔をして、アーチャーにそう前置きした。

「わたしは、あなたの実力を疑っていました。まさか、あのセイバーを相手に接近戦ができるほどの技量の持ち主だとは思ってもいなかったのです。わたしの不明を許してください」

 アーチャーは初めから自分がサーヴァントとして優秀である、と自信満々に語っていた。しかし、マスターであるフィオレは、その人格面は措いておいて、戦闘時の実力に関しては半信半疑だったのだ。 

 今日の“赤”のセイバーとの戦いで、フィオレはそれが見当外れも甚だしいことを知った。そして、自分の人を見る目のなさを恥じたのだ。

「何かと思えば、そのようなことか。謝る必要はないだろう。まだ聖杯大戦は序盤に過ぎない。多くのサーヴァントが未だに戦場を経験しておらず、その戦闘能力は数値でしか知ることができない。ならば、君が私をそのように評価していたのは合理的な判断の結果だ」

「しかし……」

「ついさっき、私は敵のセイバーと戦った。その結果が、私の実際の実力の一端ということになろう。それを見て、どう判断するのか、という点こそが重要だ」

 額面上の数字ではなく現実を見て判断しろ、とアーチャーは言っているのだ。そして、アーチャーの実際は、高位のサーヴァントに対し、相手の土俵で戦って引き分けに持ち込むことができ、自分の領分では対軍宝具を思わせる大威力の誘導弾を放つ。十分すぎるほどの戦闘力。おまけに今回の戦闘では、敵のマスターに令呪を一画消費させることもできた。戦術的勝利と言っても過言ではない。

 なんといっても、あのランサーをして、信頼に足る戦闘能力と言わしめたのだ。フィオレがアーチャーの力を認めない理由はなく、それはほかのマスターやサーヴァントも同じであろう。

 フィオレは、アーチャーの言葉を呑み込み、胸に刻み込んだ。

 このサーヴァントを認めるのではない。このサーヴァントに認めてもらえるようにならなければ、フィオレは自信を持って、アーチャーのマスターだと言うことができない。

「アーチャー。あなたは、わたしがマスターでもよかったと思いますか?」

 フィオレは不安そうに尋ねた。

「無論だ。合理的判断を下す冷静さと、弟を気遣う優しさを併せ持つ魔術師。人格面も否定的に見る点はなく、マスターとして仰ぐには十分だろう」

「そうですか。それは、よかった」

 アーチャーに否定されなくてよかったと胸を撫で下ろしたフィオレは、ふっと微笑んだ。

「それでは、これからもよろしくお願いします。アーチャー」

「ああ、この弓と剣を君に捧げよう。よろしく、頼む。フィオレ」

 アーチャーは、フィオレが差し出した手を握り返した。

 このとき、二人は正しく主従となった。

 “黒”のアーチャーと“赤”のセイバーの戦いは、“黒”のアーチャーの戦術的勝利という形で幕を閉じた。しかし、これはあくまでも前哨戦に過ぎない。脱落したサーヴァントは一騎もおらず、互いの陣営は着々と戦の準備を進めている。

 聖杯大戦は、これからが本番なのである。

 




明けまして、おめでとうございます。
これで、完結です。エミヤとモードレッドは、互いにアーサー王と関わりがあるということでぶつけてみました。
それでは、また次回作、もしくは今書いている何かでお会いしましょう。

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