“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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三十一話

 何もやることがないというのは、実は非常に落ち着かないものである。

 暇を持て余したことのない戦場を渡り歩いてきた英雄にとって、暇とは天敵のようなものであった。

 “赤”の陣営は“赤”のアサシンの空中要塞の中に篭ったきり一度も出撃していない。

 英雄にも様々あるが、聖杯戦争に召喚される英雄は大体武人である。当然自らの武力を誇示したい、戦いたいという欲求がある。

 しかし、今の“赤”の陣営は“黒”の陣営に背を向けて遁走している最中であり、敵と刃を交えるような状況にはない。否応なく気が抜けるし、やることがなくて困惑する。

 退屈そうにしてだらけている“赤”のライダーや“赤”のアーチャーに“赤”のアサシンは優艶な笑みを浮かべて語りかける。

「さすがの大英雄も暇には勝てぬか」

「目の前に「暇」って名前の敵がいりゃあぶっ飛ばしてんだがな」

「落ち着きのないことだ」

 アサシンは妖しい色香を纏ったまま、竜牙兵にぶどう酒を金の杯に注がせた。

「なんだ、欲しいか?」

「いらねえよ。つーか、あんたの真名知っててその杯を受け取るのはアイツくらいのもんだろ」

 ライダーはここにはいない、アサシンのマスターに言及した。

 アサシンは複雑そうな表情をして、ぶどう酒で唇を湿らせた。それから、まだ何か言いたそうなライダーを睨み付ける。

「なんだ?」

「あの我欲のなさそうなマスターと我欲の塊みたいな女帝さんがよろしくやってんのがな」

「今更あやつに不満でもあるか」

「怒るなよ、女帝様。マスターとして認めるかどうかは別として、その理想には手を貸してやってもいいってのが俺のスタンスだからな。仕えてねえんだから、不忠でもないだろ? この件はあんたのマスターも認めてるところだぜ」

「詭弁を」

「くく、別に俺は事実しか言ってねえけど?」

 瞬間、ライダーに雷が襲い掛かった。

 眩い光が駆け抜けた後にはライダーはいなくなっていた。

 アサシンは振り上げた手を下ろし、部屋の隅にあるルネサンス期を思わせる彫刻の上に飛び移ったライダーを睨む。

「危ないじゃないか」

「減らず口を減らすにはちょうどよかろう」

 アサシンの敵意を前に、ライダーは余裕である。

 アサシンの雷撃はライダーの不死を突破しうるものであるが、それでもライダーはアサシンをからかった。反撃がくることも、折込済みである。

「なんの騒ぎですか?」

 そこにやってきたのは、天草四郎その人であった。

 きょとんとして、杯を持つアサシンと彫像の上にしゃがんでいるライダーを見比べる。

「別に何でもねえよ」

「そうですか」

 四郎はこれといって興味もなかったのか、それ以上の追及はしなかった。

「マスター、何かあったのか?」

「いえ、聖杯も安定したので、そろそろあちらの様子を探らなければと思いまして。そこで、アーチャーには斥候として出ていただきたいのです」

 四郎はアーチャーに視線を向ける。

「ふむ、まあ、この退屈を何とかできるのであれば、何でも構わん」

 『アーチャー』のクラスは『単独行動』のスキルがある。マスター不在でも行動することができるこのスキルは、『アサシン』の『気配遮断』と同様に斥候向きのスキルである。

「なあ、俺は?」

「あなたほど斥候に向かない人物はいないと思いますよ」

 さらり、とライダーを除外して、四郎は続ける。

「何か問題があったら念話で連絡をしてください。令呪でサポートします」

「そのような瑣事に令呪を使っていいのか?」

「私はあちらのルーラーと異なり、マスターから令呪を受け取りましたから、契約しているすべてのサーヴァントに令呪を使うことができます。バーサーカーの分が余っているので、問題になりません」

「なんとも贅沢な使い方だな」

 表情を変えることもなく、“赤”のアーチャーは髪を掻き揚げた。アサシンのような男を惑わす仕草ではなく、野生的な、邪魔だからどかしたという程度の所作である。

「では、わたしは出てくる。帰りは令呪を頼むぞ」

「ええ、分かっていますよ。お願いします、アーチャー」

 “赤”のアーチャーはそのまま振り返らずに斥候に向かった。

 

 

 “赤”のアーチャーはマスター権を奪われた当初こそ激高したものの、今となっては天草四郎の願いに共感する部分があり、マスターとして認めるまでに至っていた。

 彼女は英霊ではあるが、戦士という意味での英雄ではない。

 “赤”のライダーのような戦士の誇りは持ち合わせておらず、自分の元マスターについても聖杯戦争で毒を飲まされる迂闊さに呆れる気持ちのほうが強い。

 彼女は、とどのつまりは現実主義者であり、生きるか死ぬかの世界では隙を見せるのが間違いなのである。

 よって、天草四郎の願いが自分にとって都合がよければ、彼に与する可能性は十分にあった。そして、全人類の救済は、アーチャーの願いと被っている。

 すべての子どもが慈しまれる世界が、四郎の願いの先に広がっているのなら、現実的に考えて、彼に就くほうがいいのは目に見えているのである。

 過去の人間も含めて不老不死にしてしまうというのなら、英霊としての自分も消滅するかもしれないが、そんなことは瑣事に過ぎなかった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のアサシンの捜索に参加したのは、ルーラーとセレニケ、“黒”のライダー、カウレス、“黒”のバーサーカーである。“黒”のサーヴァントの戦闘能力は低いものの、アサシンの戦闘能力を考えれば二騎もいれば十分であると言え、ルーラーという高位のサーヴァントがいる時点で戦力は十分であった。

 まだ人目のある時間帯ということで、サーヴァントたちを霊体化させており、レティシアの肉体を持って霊体になれないルーラーを先頭にして街を練り歩く。

 カウレスはルーラーに尋ねる。

「ルーラー、アサシンの場所は掴めないのか?」

「そうですね。わたしの知覚力は四方十キロに及ぶのですが、『気配遮断』を持つアサシンは大まかにしか分かりません。間違いなくこの街にはいるようですが、特定はできません」

「じゃ、やっぱり一つひとつ当たっていくしかないか」

 トゥリファスにはユグドミレニアの魔術師が潜伏して、後方支援に当たっていた。そのうち、実に十人もの魔術師が連絡を断っている。

「最初はカール・レクサーム。この少し先に住んでいる魔術師ですね」

 カールが暮らしているのはトゥリファスの新市街地にある。古風な石造りの家で、立方体に近い形状であった。閉鎖的な環境は魔術師が好むものである。魔力が散逸しにくく、隠匿もしやすい。よって、人知れず実験するには都合のいい環境となると必然的に石造りの建物ということになる。新市街といっても、オスマントルコが退けられてからの成立であるため、西洋の中世建築物が立ち並んでいる。魔術の本場が西洋なのはそうした理由もあるのだろう。

 家の中は外からでも分かるように簡素であった。

 リビングと洗面所に台所。内装には個性がなく、生活感がない。これならば、モデルルームのほうが人の気配を感じることができるだろう。

 実体化したライダーが我が物顔で室内を物色する。

「ライダー。人の家なのですから、あまり汚さないようにしてください」

 ルーラーがライダーを嗜める。しかし、ライダーは真面目に受け取らなかったか、あるいはすでにこの家の住人に配慮する必要がないと確信しているのか部屋の中をいったりきたりする。

「うん、なんか血の臭いがするね」

 それから、ライダーは天井を見上げながら言った。

「そうですか?」

 ルーラーはカウレスらに視線を向ける。

 カウレスは首を振り、セレニケは目を細めて室内を見た。ライダー以外には、感じ取ることができていない。

「気のせいではありませんか?」

「いいえ、そうでもないわ」

 ルーラーの言葉をセレニケが否定する。

 セレニケは魔術を使い、室内を魔力でサーチした。血液に反応し、対象を淡く発光させる魔術である。

 効果はてきめんであった。

 部屋のいたるところに血が飛び散っているのが分かる。目で見ることはできないが、薄く引き延ばされているところを見ると、拭き取られているのであろう。

「掃除されているのですか」

「普通魔術師は自分の領域に血液を残したりしないわ」

「では、これはこの家の主が拭き取ったものと?」

「どうかしらね。まっとうな魔術師なら、こんなところで派手に血を垂れ流すような不手際はしないわ。小動物をさばく程度なら、あるかもしれないけれど」

 セレニケは視線をライダーに向ける。

「ライダー、他に気になったことはないかしら?」

「んー、地下室があるみたいだけど」

 ライダーは部屋の隅にある書棚の下に隠された地下室への入口を見つけていた。

 部屋の中を歩き回っていたときに、僅かな軋みによってその存在に気付いたらしい。

「なんで分かるんだよ」

「音も臭いも戦場で必要になるからねー」

 軽く答えながらライダーは地下室に踏み込んだ。

 魔術師の工房に踏み込むのは自殺行為だが、ライダーの『対魔力』には無意味であった。

「死体あったよー」

 数回の魔力の動きの後に、ライダーは地下室の中から呼びかけてきた。

 罠が幾度か発動したようだが、ライダーはすべてを突破して目的を達したらしい。

「ライダーを連れてきたのは正解だったわね」

 その様子を眺めつつ、セレニケたちは後に続いた。

 

 地下室の中には薄らと魔法陣が残っており、なんらかの儀式を行っていた節がある。天上からつるされた鼠や鳩などの小動物や何かしらの木乃伊や小瓶を見ると、この魔術師は黒魔術の使い手であったらしい。

「ふへえー。もう大分腐ってるね」

「ライダー。そんな言い方はよしなさい」

 うつ伏せの死体をひっくり返したライダーの言葉をルーラーは嗜める。

 死体は死後数日が経過しており、強烈な腐臭が漂っていた。

「心臓が抉られていますね」

「死因は頚動脈の切断。心臓はその後に抉り出されたようね」

「新聞で報じられている通りですね。アサシンの仕業と見て間違いないでしょう」

 セレニケは死体の傍らに膝を突き、その身体を検分する。

 黒魔術師として非常に優れた腕前を持つセレニケは、死体の中で暮らしてきた。こうした状況には慣れている。

「魔術的な意図は皆無と言っていいわね。心臓は、まあ魂喰いに利用したんでしょうけど」

「では、本当に心臓を喰らうためだけに殺したわけですか」

「この死体を見る限りそうなるわね」

 サーヴァントは霊体なので、魂を喰うことで力を蓄えることができる。アサシンの場合は、他者の心臓を取り込むことで、力を得るのだろう。

「人間の心臓なんて食べたくないなぁ」

「普通はそうだろ。アサシンが真っ当じゃないだけだ」

 顔を顰めたライダーにカウレスが言った。

「とりあえず、ここだけだとなんとも言えないわね。状況から見て、ほぼ即死だし、本人は何をされたのかも分からないまま逝ったんじゃないかしら。次に行きましょう」

 状況の異様さにも変わらないセレニケの淡々とした言葉に幾分か救われた気になる一行は、頷いて地下室を後にする。

 次に尋ねた魔術師の家でも死体が見つかった。

 ただし、こちらは状況があまりにも異なっていた。

「こりゃまた……」

「原型を留めていませんね。心臓は抉り出されているようですが。やはり、拷問でしょうか」

 見つかった死体は徹底的に陵辱されていた。

 これまでと同様なのは、殺されたことと心臓が抉り出されていることだけである。もはや死体と判別することもできず、性別すらもはっきりしない。

 その後も同じような死体が連続した。

 捜索対象となった十件の魔術師の家のうち、七件まで回ったが大半が激しい暴行を受けた形跡が認められた。

 八件目の死体も心臓が抉り出された上で殺害されていたが、肉体の破損は目を覆わんばかりの惨状であった。

「もう、これ人肉ばら肉三十グラムおいくらユーロって感じだね」

「ライダー、変なこと言うな」

 カウレスは目を背けながらライダーに言う。

 そんなカウレスをルーラーは心配して話しかけた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、なんとかな……」

 感覚が麻痺してきたのか、三回目の現場で一度吐いてからは落ち着いてきた。今だけで、きっと後から夢に出るんだと思うと今から憂鬱である。

「セレニケ、何か分かることはありますか?」

「そうね。まず、魔術を使った気配がないのが気になるわね」

「アサシンが魔術師ではないからでは?」

「でも、マスターがいるでしょう。わたしたち以外にこの家には二種類の足跡があったわ。その一方はヒールだった。アサシンのものでなければ、マスターのものよ。この死体、男でしょう?」

「よ、よく見つけましたね」

 血痕は拭き取られていたが、足跡までは気が回らなかったらしい。

 セレニケが指摘した足跡は、入口を入ってすぐのところに一つあり、地下室の工房に二つあった。地下室で二種類に増えたところを見ると、新たに増えたほうがアサシンの足跡と見るべきだろう。この魔術師は、工房で襲撃されたのである。

「アサシンのマスターは女性」

「女装癖がなければね。魔術師かどうかも怪しい。こうも頻発して魂喰いをさせているとなれば、アサシンに魔力供給できていない可能性も出てくるわ」

「魔術師でもないのに、アサシンを従えていると?」

「推測でしかないけれど、そもそも魔術師なら報道されるようなことは慎むでしょう」

「確かに」

 神秘は秘匿するべし。魔術師ならば死んでも守るべき鉄則である。それが徹底されていないどころか、当初は隠しもしなかったところから見ても、魔術師の基本を分かっていなかったとしかいえない。

「最近は獲物を魔術師に絞っているみたいだけど、魔術師の心臓は魔力の源みたいなものだから、一般人を狙うよりは効率がいいんでしょうね」

「しかし、それならどうしてこのような惨い殺し方をするのですか?」

 心臓を喰らうだけならば、普通に殺害することもできるだろう。それこそ、初めに見つかったカールのように。

「普通に考えれば、拷問したからでしょうね」

「やはり、そうですか」

「傷の具合から見れば、相手に効果的に痛みを与えるようにわざと急所を外しているように見えるわ。殺さないように痛めつけているのは間違いないでしょう」

 死体の損壊具合が異なるのは、必要な情報を聞き出すのにどれだけ時間がかかったかであろう。

「なあ。拷問したなら、聞き出したい情報があったってことだろう? アサシンは何を聞き出したんだ?」

 カウレスの言葉に、誰も答えることができなかった。

 それを知っているのは現場にいた人間だけである。

「しかたないわね。残留思念を再生するわ」

「大丈夫ですか?」

「わたしは黒魔術師よ。殺人鬼如きの拷問なんて、どうということはないわ」

 残留思念を再生すれば、この部屋の中でどのような凄惨な事件があったのかということが分かる。完全とはいかないが、この場で死んだ者の最期の嘆きがセレニケの中に再生される。

 術者にとってもかなりリスキーな魔術である。

 同調しすぎれば、被害者の苦痛をそのまま感じてしまう。

 もっとも、セレニケほどになれば、その痛みをねじ伏せることは容易だろうし、ミスをすることもない。淡々と脳裏に被害者の最期を再生できる。

 セレニケは椅子に腰掛けて、ポーチの中から小瓶を取り出す。中に入っているのは透明な液体だ。

「これから、同調するわ。五分とかからないから、その辺りで好きにしておいて」

「好きって……」

 ルーラーは呆れながらセレニケを見る。

 すでに霊薬を一滴舐めて目を瞑り、同調に入っている。セレニケはこれから極めて危険な魔術を用いようというのに余裕である。

 しかし、置いてけぼりにされたほかの面々は複雑だ。

 何せ、この場はあまりにも凄惨な殺人現場である。腐臭が漂っていて、死体の顔には恐怖が染み付いている。

 どうしたものかと、ルーラーたちは困ったように視線を交わした。

 そうしているうちに、セレニケが身体を震わせた。

 犠牲者の最期と同調したのである。今、セレニケの身体には犠牲者が最期に感じた苦痛が流れ込んでいる。

「痛覚、遮断」

 セレニケの震えが収まる。

 卓越した黒魔術師であるセレニケにとって苦痛など大した問題ではない。痛覚を操ることは、黒魔術の基本だからである。他者に痛みを与えるだけでなく、それが自分に跳ね返ってきた際にどのように対応するのかも知っている。

 五分とかからず、セレニケの魔術は終了した。

 セレニケは、すべてが終わった後で天井を仰いで息を吐き出した。

「大丈夫ですか?」

 ルーラーは恐る恐るセレニケに尋ねた。セレニケはハンカチで額に浮かんだ汗を拭い、大丈夫と答えた。

「まったく、人間の弱点を的確に突いてくるわね。あのアサシンは」

「分かったのですか?」

「一応ね。あのアサシン、城塞への侵入方法を聞きだしてたわよ」

「え……?」

 ルーラーは目を丸くして驚いた。

 カウレスやライダーも固まった。

「そ、それはまずいだろ! それで、どうなったんだ!?」

「あっという間に吐いたわよ」

「ッ」

 カウレスは冷や汗をかいた。

 “黒”のアサシンは極めて理知的な性格なようだ。

 城塞に闇雲に挑戦するのではなく、防衛設備の詳細を調べ、その穴を聞き出してから攻撃に移る。どれだけ頑強な壁に囲まれていても、『気配遮断』を持つアサシンの侵入を拒むには至らない。何重もの結界があって初めてアサシンの侵入を阻むことができるのである。その結界をすり抜けられるとなると、城塞に起居する魔術師たちはアサシンの刃を喉元に突きつけられているに等しい状況になる。

「カウレス、フィオレに連絡を!」

「分かっている!」

 ルーラーに焚きつけられ、カウレスは地下室を飛び出していく。

『姉さん、大丈夫か!?』

『カウレス、どうしたのいきなり?』

 念話が繋がって、フィオレの声を聞くことができてカウレスは安堵した。

『今、セレニケが残留思念を再生して、アサシンの情報を引き出した』

『あら、そうなの。それで、何か分かった?』

『今すぐに城塞の警備状況を見直してくれ。アサシンは、城塞への侵入方法を知っている可能性が高い。アーチャーを傍において隙を見せないでくれ』

『なんですって? それは本当なの?』

『ああ』

 念話の向こうのフィオレも相当慌てたらしい。

 結界による防護壁はコンピュータのウィルス対策ソフトに近い。無害だと判定されれば、たとえ悪意ある存在であろうともすり抜けてしまえる。

『分かったわ。すぐにゴルド叔父様にも伝えるから安心して。それから――――』

 フィオレが何か続けようとしたまさにその時、ぶつん、と念話が遮断された。

 一瞬、カウレスは頭が真白になった。

 魔術的な繋がりによって相手と思念をやり取りする念話は、魔術的手段によってでなければ遮断されることはない。

 つまり、フィオレとの念話が切れたということは、カウレスとフィオレの間のパスを遮る何かが発生したということであった。

「どうかしましたか、カウレス」

 カウレスの顔色の変化を読み取ったルーラーが尋ねる。

「姉さんとの念話が切れた。何かおかしい」

「急いで戻りましょう。アサシンの情報が僅かに得られただけでも、今日は収穫とすべきです」

 城塞には“黒”のセイバーと“黒”のアーチャーがいる。“黒”のアサシンが襲撃したところでみすみすマスターを暗殺されるということはないだろうが、万が一もありえる。

 カウレスたちは、慌てて扉を開けて外に飛び出た。

 日はすでに没し、夜闇が広がっている。 

 連続殺人鬼の出現で、人通りは皆無だ。静まり返った街は、まるで停止したかのよう。

 最初に異変に気付いたのはカウレスであった。

「ッ――――」

 突然、肌がひりついた。

 気のせいかとも思ったが、次には目や喉といった粘膜が焼け付くように痛んだ。

「あぁ、痛ぅあああ!?」

 激痛にしゃがみこむ。

 全身が焼かれているかのような痛みで、目を開けていられない。喉が痛くて息をすることもできない。

 背後では、セレニケも同じように倒れた。

「カウレス! セレニケ!」

 ルーラーが二人に駆け寄り、薄くて赤い布を顔に巻いた。すると、息が楽になった。布を通せば、外を見ることもできる。

 ルーラーから巻かれた布は魔力を持っていて、その力によって外からの干渉を遮断しているようだ。未だに、肌はひりつくが、顔は何とか大丈夫だ。

「聖骸布です。これで多少はこの霧の影響を軽減できるでしょう」

“霧?”

 カウレスはルーラーに言われて初めて霧が出ていることに気が付いた。

 夜なのではっきりしないが、どうにも黄色っぽく見える。酸っぱい臭いが鼻を突き、思わず顔を歪める。

「“黒”のアサシンの能力でしょう。城塞ではなく、こちらを狙ってきたようですね。油断しないでください」

 カウレスを守るように“黒”のバーサーカーが実体化する。

 ライダーも槍を出して周囲を伺い、ルーラーは鎧と旗で武装した。

 霧の中で視界が悪い。しかし、サーヴァントは三騎もいるのだ。“黒”のアサシンが何者であろうとも、戦いを挑んだところで返り討ちになるのが常識である。

 たとえ『気配遮断』で忍び寄ってきたとしても、攻撃態勢に移行すればそのランクは大きく下がり対応は可能となる。

 アサシンが忍び寄ってきたところを、倒す。

 しかし、どうしたことだろうか。

 ルーラーは、それではダメだと感じていた。理由は分からないが、このままでは致命的に大きな問題が発生する――――。

 

 

 獲物は五人。

 サーヴァントが三人とマスターが二人だ。

 当初は城塞に侵入しようとしていたが、セイバーとアーチャーが守る城塞でマスターを暗殺するのは危険だから延期した。

 優先順位は女が先。

 以前殺した魔術師の家から出てきた五人のうち、実に三人が女だった。男は一人で、もう一人はよく分からない。機械みたいなサーヴァントもいる。どんな反撃がくるか読めないのが不安である。

 やはり、確実を期してマスターを狙うのがいいだろう。

 

 そして、アサシンはこれと定めた獲物に忍び寄る。

 硫酸の霧の中、すべての条件が揃っている。今や、アサシンはあらゆる敵に対して先手を取ることが許されているのである。

 

 

 始まりは終わりと同義であった。

 サーヴァントたちに囲まれ、守られたセレニケが唐突に悶絶した。黒い何かがどこからともなくセレニケに絡みつき、――――誰が反応するよりも早く、臓物を外に引きずり出した。

 

  

 


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