“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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三十九話

 『虚栄の宮中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』を成り立たせているのは、さかしまの流れという概念である。

 上下の意味は反転する。

 超重量級の宝具は地に落ちることもなく、空を舞い、内包する水は下から上に流れ落ちる。

 そういった機能を特に強く体現するのが、大聖杯を格納する地下室である。

 祭壇と“赤”のアサシンが呼んでいるその空間は、一言で言えばありえない場所であった。

 何せ、面積があまりにも広大だ。

 聖杯が発する青白い光以外が存在しないということを差し引いても、端が見通せないというのは異常に過ぎる。まず間違いなく空間を魔術で歪めているのだろうが、空間に干渉するというだけで魔法に近い大魔術の領域に足を踏み入れている。

 神代の魔術師、とりわけ大魔術師とされた神話の魔女たちにとってはこの程度、片手間でできることなのだろう。ましてや、“赤”のアサシンは空中庭園にいる限り生前と変わらないポテンシャルを発揮することができる。魔力さえあれば、できないことを探すほうが難しいというレベルの怪物である。

「いやはや、いつにも増して気がおかしくなりそうな光景ですな」

 “赤”のキャスターが天井を見上げて苦笑する。

 彼がこの場を訪れたのは一度や二度のことではないが――――それでも、驚くことに変わりはない。

 キャスターは魔術師を表す『キャスター』のクラスで呼ばれたサーヴァントであるが、魔術師ではない。それどころか、魔術と縁があったという話すらない。彼はあくまでも劇作家であり、著作に描かれる魔女や祈祷師らもすべて想像の産物に過ぎない。

 サーヴァントとして呼ばれて、初めて魔術に触れたようなものであるから神代の大魔術を前にして驚きを隠せないのも無理はない。

「我輩の想像力も負けてはいないと自負していますが、実際に大魔術とやらを目にするとインスピレーションが際限なく湧いてきます。我輩にとってはすでにこの戦いそのものが宝の宝庫なのです」

 聞いてもいないことを大きな声で語るキャスターに、四郎は微笑を湛えたまま告げる。

「キャスター。私の準備は整いました」

「ええ。我輩の宝具も万全です」

 四郎は空中に浮かぶ大聖杯を見上げる位置に立ち、静かに息を整える。

 『右腕・悪逆捕食(ライトハンド・イヴィルイーター)』並びに『左腕・天恵基盤(レフトハンド・キサナドゥマトリクス)』。

 天草四郎時貞の奇跡を起こし続けたという逸話を宝具化した両腕は、あらゆる魔術基盤にアクセスするスケルトンキーである。これに加えて『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』を組み合わせ、四郎は万全の態勢で大聖杯の根本部分に挑戦する。

 聖杯は無色透明で、何人にも汚染されていない圧倒的なまでの魔力を滾々と湛えている。その魔力は今の時点でも大方の願いは叶えてしまえるほどである。

 だが、まだ足りない。

 四郎の望みは彼個人に帰結するものではなく、全人類を魔法の域に引き上げることにある。

 そのためには、ただの聖杯では出力が不足している。

 天草四郎の目的の第一段階――――大聖杯の奪取と戦争での戦術的勝利には成功した。計画は最も重要な最終段階――――大聖杯の根本部分の改変に突入する。

 それは狂気の沙汰と言っても過言ではない。

 この聖杯のシステムは、“赤”のアサシンですら神代の秘儀に匹敵すると舌を巻くほどのものである。魔術師たちの総本山である時計塔は現段階で冬木の聖杯の複製を作成できておらず、アインツベルンですら、新たな聖杯の作成に数世紀をかける覚悟で臨んでいる始末である。

 それほどにまで複雑怪奇かつ精緻なシステムに介入するのは自滅行為である。聖杯に排除される可能性もあれば、聖杯戦争そのものを台無しにする可能性もあった。

 だが、四郎は臆することなく大聖杯に挑戦する。

「では、キャスター。準備を――――と、その前に」

 四郎は、キャスターに向けて腕を突き出した。

 そこで薄らと輝く令呪の一画が一際明るく瞬いた。キャスターの顔が驚愕に歪む。

「令呪を以て命ず。キャスター。私に関して悲劇を書くな」

「ッ」

 その命令は、四大悲劇と称される名作を生み出した伝説の作家にとってはまさしくアイデンティティーの喪失を強要するものであった。

 令呪の戒めがキャスターの心身に喰らいつく。

 もはや、キャスターはこの天草四郎時貞について、悲劇的結末を用意することは不可能となった。

「これは、あまりにあんまりですぞマスター。作家に書くなと命じるなど」

 キャスターはあからさまに項垂れる。

「申し訳ありません。勘違いしないでいただきたいのは、私は作家としてのあなたを尊敬しているということです。ですから、分かってしまう。あなたは、きっと、ここぞという場面で悲劇を書きたくなってしまう。ですから、これは必要な行為です」

 それを言われてはキャスターは反論できない。

 無論、悲劇など書くつもりは毛頭なかった。すべてを失った聖人が、それでも人類救済を夢に見て、挑戦する。それだけでも創作意欲が湧いてくる題材である。その結末を悲劇にするか喜劇にするかは作家次第であるが、キャスターはとりあえず喜劇にするつもりでいた。何せ、未だ嘗て人類が成し遂げたことのない偉業である。成功すれば世界が組み変わるほどの大きな計画を悲劇的結末にしたところで何も面白くない。凡俗な世界が続くだけでは、得るものがない。

 しかし、それでもキャスターの筆が勝手に悲劇に突き進むことも考えられる。それは、呪いのようなものだ。キャスターの理性以上に作品へのこだわりが先行するかもしれない。作家ならではの業であろう。ならば、端から書けないようにしておくしかない。

「しかたありませんな。受け入れましょう」

 役者もかくやという大仰な仕草で肩を落としたキャスターに四郎は改めて礼を言う。

『遅い。いつまで待たせるつもりだ』

 幾分か苛立ったような声で“赤”のアサシンは念話を響かせる。その声は、キャスターにも届いている。

 天井の水のさらに上。王の間の玉座にでもアサシンは座っているのだろう。

「ごめん、アサシン。すぐに始めるよ」

 四郎は天井を見上げて答えた。

『万が一のときはお主を切り捨てる』

「もちろんです。そうでなければ困る」

 情を一切感じさせないアサシンに、四郎は鷹揚に答えた。

 自分のサーヴァントが切り捨てるはずがないと思っているのか。否だ。セミラミスがそのような女帝ではないことくらい、最も長く傍にいた四郎がよく分かっている。

 ならば、何故このように落ち着いていられるのか。

 アサシンは本当に、万が一のときは四郎を捨てて保身を選ぶだろう。それでも、心配する必要がないのは、失敗するつもりが毛頭ないからか。

 裏切り者は儘いるが、裏切られてもしかたないと覚悟して前に進める者はどれくらいいるだろうか。

 それだけでも、四郎の特異性は明らかであろう。

『ならば、始めよ。よいかマスター。失敗は許さん。必ず勝て』

「当然です。――――ありがとう、アサシン」

 アサシンは四郎の返答を聞いて満足したのか念話を切る。

 それから四郎は深呼吸をして、カソックを脱ぎ捨てた。ストラも肌着も取り払い、半身を露にして大聖杯に歩み寄る。

 褐色の肌には痛ましいまでに刻み込まれた刀傷や火傷の跡が残っている。

 すべて、四郎が背負ってきた業の爪痕だ。

 四郎の両腕に鈍く輝く光が満ちる。

 令呪とは異なる光は、四郎の宝具が起動した証に他ならない。

「では、まず私から」

 空中に固定されている大聖杯に向けて、四郎はゆっくり歩みだす。

 サーヴァントの魔力供給のために繋いだ糸を辿り、大聖杯の内部へ侵入するためである。

 そうして大聖杯に接続した瞬間、天草四郎の世界は捲れ上がった。

 

 

 “赤”のキャスターはマスターを見送った後、自身の工房とも言うべき書斎に篭って筆を取る。

 作家系のサーヴァントである彼には戦闘能力は皆無である。ただこの筆の運びのみが奇跡を織り成す手段であり、書くことにのみ意味がある。

 誰に強制されるでもなく、キャスターは著述を続ける。

 夢を語る作家に不可能はない。

 天草四郎の物語を最高の喜劇にするべくキャスターは書き続ける。

 シェイクスピアの物語は因果すらも捻じ曲げて、マスターを成功に導くであろう。

 失敗すれば、恐らく自分はアサシンに殺されるだろうからどうあっても成功してもらわなければ困るのだ。失敗などつまらない。つまらないものは書かない。作家の信念がそうさせる。

 大聖杯の中で四郎は数多の困難に出会うだろう。

 かつての仲間、かつての父、かつての母、ただ見ているしかなかった数万の死。そして、この受肉してからの七十年で直面した世界の現実。

 殺されたのだから殺し返せ。

 救いは復讐の先にある。

 人類が積み上げてきた摂理を、四郎はどのように跳ね返すか。

 面白い。 

 実に面白い。

 それでこそ、聖人。

 狂気に満ちた聖なる光は、キャスターの想像すらも乗り越えて前に進んでくれるであろう。

 いつになく進む筆は、しかし不意の振動によって停止した。

 空に浮かぶ空中庭園が、振動するなどまずありえない。

「来たかよ、聖女!」

 いよいよ舞台はクライマックスに突入した。

 天草四郎の物語に力を注がなければならないのは残念だ。是非ともジャンヌ・ダルクの物語にも関わりたい。

「しかし、あの田舎娘ならばあるいは」

 キャスターは笑みを零して執筆を再会する。

 敵が迫ろうとも作家のすることに変わりはない。

 ジャンヌ・ダルクが真に聖人ならば、強大無比な英傑を乗り越えて天草四郎と邂逅してくれるだろう。そうであってくれなければ面白みがないというモノだ。

 

 

 空中庭園の振動は、“赤”のサーヴァントたちに敵襲を知らせる狼煙としては十分に機能した。

 玉座に腰掛けていた“赤”のアサシンは、目を開いて驚愕を露にしていた。

「我の守りを砕いただと……!」

 十一基の砲台『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』はアサシンの魔術を増幅し、対軍クラスの攻撃を放つ迎撃機構である。そのうちの一基が、敵の先制攻撃で崩壊した。

「チィ、アーチャーか」

 遠距離攻撃を可能とするのは、“黒”のアーチャーに違いない。

「ライダー、アーチャー。すでに分かっているだろうが敵襲だ。どのような手段を講じてきたか知らんが撃墜できぬということはあるまい。早々に叩き潰せ」

 自分が手を下すという手もあるが、それでは他の英雄たちから不平が出る。英雄の心情をこじらせるのは、悪手であるとアサシンは熟知していた。

 念話で指示を出したアサシンは、さらなる振動で二基目の迎撃機構が潰されたと察して、苛立ちに顔を歪める。

『ああ、じゃあ俺が先に出させてもらう』

 問答をする時間はない。

 アーチャーの狙撃は確実に一つひとつ迎撃機構を撃ち抜いていくだろう。

 アサシンは攻撃術式を変更して防御術式に切り替え、防衛機構そのものを守るようにする。こちらのサーヴァントが出撃するまで、出来る限り被害を最小限に抑えなければならない。

 

 

 女帝に指示されたライダーは上から目線に不快感を示しながらも向かってくる敵に対して闘志を露にしていた。

 夜を斬り裂く赤い魔弾は、すでにアサシンの防衛機構を三基叩き潰している。

 恐るべき速度で飛び回る魔弾は、矢というよりもミサイルと呼ぶほうが相応しい。わざわざ弓に番えなくとも、自在に敵を狙い撃つ矢は、改めて狙撃するよりもずっと効率よく防衛機構を破壊して回れる。放置すれば数分で十一基すべてを落としてしまえるに違いない。

 弧を描いた魔弾は四基目に牙を剥く。直撃するその瞬間、魔弾は真上から強襲してきた太陽の槍に打ち砕かれた。

「ランサー」

 粉微塵に砕け散った魔弾。

 魔力の粉塵から飛び立った炎の翼は防衛機構のうちの一つに舞い降りる。

「真っ当にやろうと思えば、多少は時間がかかりそうだな」

 敵の魔弾を落としたことについてはまったく誇らず、“赤”のランサーは正面を見据えた。

 確かにな、とライダーは頷いた。

 視線の先には、不自然な形の黄色い雲。

 空中庭園は雲海を下に眺める高度七五〇〇メートルを浮遊している。それにも拘らず、目の前には雲海についた瘤のように黄色い雲が漂っていて、着実に迫ってきている。

 間違いなく、“黒”のサーヴァントの誰かの宝具であろう。隠蔽能力。あの雲そのものの効果は今一つ分からない。だが、矢はあの雲の中から撃ち込まれたものである。ならば、あの雲の中に“黒”のアーチャーがいるのは間違いない。

「まあ、出てみなけりゃ始まらねえ。――――叩き落してやるぜ、アーチャー!」

 雄叫びを上げて、ライダーは地を蹴った。

 高高度にあることなどまったく意に介さない。ライダーにとって、天上も地上に変わりない。

 ポセイドンから賜った不死の神馬クサントスとバリオス、そしてエーエーリオンを陥落させた際に手に入れたペーダソスによる三頭立ての戦車(チャリオット)。世界を自在に駆け抜ける、超速宝具。『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』である。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 身を切るような冷たい風が吹き抜けていく。

 ジャンボジェットは編隊を組んで空を征く。

 先頭を十機のジャンボジェットが鶴翼の陣で突き進み、その背後に五機のジャンボジェットが続く。先頭にいるのは、“黒”のアーチャーだけである。残りのサーヴァントは皆後方の五機に身を潜めている。

 アーチャーが強化された視力で敵の本丸を視認したとき、“黒”のアサシンは『暗黒霧都(ザ・ミスト)』を全力展開した。その規模は今までの比ではない。トゥリファスを丸々一つ飲み込めるほどの規模で展開することで、ジャンボジェットそのものを敵から覆い隠す。

 アサシンの霧は誰に効果を与え誰に与えないのかを選別することができる。

 アサシンと協力することで、濃霧の中でもアーチャーは視界を確保し、的確な狙撃を可能としていた。

 ジャンボジェットの群れのさらに後方、小型の旅客機にはフィオレとカウレスが乗っている。英雄たちの乗る飛行機を囮として近付くために、出発のタイミングをずらしていたのである。

『先制攻撃は成功したぞ。これから、可能な限り潰す』

『ありがとうございます、アーチャー』

 念話でアーチャーが攻撃成功を報告してくれる。

 一つでも多く防衛機構を破壊してくれれば、“黒”のライダーの負担は大きく減る。

 もっとも、こちら側にとっては“黒”のライダーですら囮(・・・・・・・・・)なのだが、彼の活躍次第で突入作戦の成功率は格段に上がる。そのための布石として、アーチャーの限界まで魔力を充填した赤原猟犬(フルンディング)は必要不可欠であった。

『さて、ライダーが出てきそうだ。巻き込まれないように気をつけてくれ』

 フィオレはごくり、と生唾を飲む。

 遂にこのときが来たかと緊張に手を握りこむ。

『分かりました、アーチャー。あなたの固有結界で、ライダーを可能な限り足止めしてください』

 アーチャーの強みは固有結界の存在である。

 相手を位相の異なる世界の引きずりこむことのできる固有結界は、足止めにこれ以上ない効果を発揮してくれる。

 固有結界が発動すれば、“赤”のライダーはジャンボジェットの撃墜を行うことはできない。だが、その反面、誰も二人の戦いに介入できなくなる。アーチャーは格上のサーヴァントに単独で戦いを挑まなければならなくなるのである。

 ライダーという死の塊に対して、アーチャーはあまりにも力不足である。無論、信頼はしているが――――、

『フィオレ、一つ確認していいかな』

 死ねと命じる。弟がやり遂げたその選択の重さをフィオレは改めて感じる。

 勝利のためには仕方がないが、言葉を交わし、幾度となく頼りにしてきた相棒にそれを告げるのは辛すぎる。

 そんなフィオレの逡巡にも関わらず、アーチャーの言葉は非常に落ち着いていた。

 ゆっくりと、フィオレを落ち着かせるようにように――――、

『足止めするのはいいが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?』

 フィオレは、一瞬唖然としてしまった。

 強大無比、存在そのものが反則と言っても過言ではない古代ギリシャの大英雄を相手に打倒すると宣言する。虚栄心など感じられず、ただ事実としてアーチャーは言っているように聞こえる。

『――――あなたって人は』

 驚愕から立ち直ったフィオレは、思わず失笑してしまった。おかしくて仕方がないというように、笑みを浮かべる。

『決めましたアーチャー。足止めは不要です』

 アーチャーの大言壮語は、信じるに値する。初めて出会ったあの夜に、得意げに宣言したのだ。今まで、彼は体当たりであのときの誓いを守ってきた。ならば、マスターである自分が信じなくてどうするというのか。

『令呪を以て我が最強のサーヴァントに命じます。固有結界を駆使して“赤”のライダーを撃破してください』

 三画あった令呪の一つが霧散する。

 断固とした口調は、それが絶対の命令であることを示している。

『重ねて命じます。勝利のために全力を尽くしてください』

 続けて二画目の令呪が消滅する。

 莫大な魔力がパスを通じて自分のサーヴァントに流れ込むのが分かる。令呪は奇跡すら実現する。ならば、アーチャーが“赤”のライダーに勝利するという奇跡を起こしてこその令呪ではないか。

『最後に――――重ねて我が友に命じます。死ぬことも許しません。必ず帰ってくるように』

 そして、フィオレは最後の令呪を惜しむことなく消費した。

 アーチャーの敗北はユグドミレニアの敗北。

 令呪は一画たりとも残さない。そのすべてを、アーチャーの勝利に賭けたのである。

 消失した令呪の痕跡をなぞり、フィオレは少し寂しい気持ちになる。アーチャーとの繋がりが一つ失われたことが、文字通り最後の戦いであることを窺わせる。しかし、彼のためにできることはこれですべてだ。

 後はその勝利を信じ、マスターとして聖杯大戦の行方を見守ることだけがフィオレの仕事である。

 

 

 

 □

 

 

 

 ルーラーが用いた令呪によるスキル強化に加え、フィオレが消費した三画の令呪によって“黒”のアーチャーのステータスは一部一から二ランクの上昇を果たしていた。

 それでも“赤”のライダーは強大に過ぎる。

 光り輝く超速戦車は、躊躇なく霧の中に突入する。

 『神性』を持たない“黒”のアサシンの宝具は“赤”のライダーにはまったく効果がない。ただし、それは肉体的な部分であって霧による物理的な視覚妨害は有効である。

 一寸先は闇という状況でありながらも“赤”のライダーは陽気に笑い突貫する。

 視覚を奪われたからどうだというのか。ライダーはその程度で戦いに臆するような臆病者ではない。

「らあッ」

 僅かな音と魔力の動きを頼りに、狙撃を感知する。相手の矢が対神宝具である以上、宝具を構成する魔力を隠すことは出来ない。

「そこ、だあッ」

 ライダーは手綱を手繰って戦車をさらに加速し、矢の射出方向に戦車を走らせる。一瞬にして、馬蹄と車輪が一機のジャンボジェットを解体しつくした。

 アーチャーは仕損じた。別の飛行機に跳んだらしい。

「ぐ……!」

 ライダーは頬を掠めた光に呻く。頬から出血。矢ではない。何があったと疑問に思うのも束の間、戦車の速度が落ちる。

 飛行機の中にはアーチャーの宝具が搭載されていたのである。

 ライダーが戦車で飛行機を解体すれば、飛び散った宝具がライダーや神馬らを傷付ける。至極単純なトラップだが、視界がない状況で手当たり次第に飛行機を落としていけば、こちらも徐々に傷を負っていくことになる。

 相変わらず陰気な戦術を使う。

 飛来する矢を槍で弾き飛ばし、絶妙な手綱捌きでアーチャーの狙撃を回避する。

身体は剣でできている(I am the bone of my sword.)

 ライダーの高速戦車は極限まで強化されたアーチャーでも捉えきれない。霧による視覚妨害とジャンボジェットに仕込んだ罠のおかげで、幾分か神馬にダメージを与えていたが、まだまだ足りない。

血潮は鉄で心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood.)幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 詠唱を続けながら、狙撃を繰り返す。

 恐ろしい戦士の勘で、的確にアーチャーの居場所を探り当て、破壊的な芝刈り機と化した戦車が一瞬で目前に迫る。

 間一髪、アーチャーは回避。ジャンボジェットをさらに乗り換える。燃料に引火して、巨大な火の玉が生まれる。飛び散る宝具を爆破して戦車を牽制しつつ、アーチャーは詠唱を続ける。

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 アーチャーの足場である十機のうち、すでに五機が失墜した。

 ライダーもまた、戦車に積み重なるダメージは無視しきれない。しかし、魔力と衝撃波を駆使してジャンボジェットに仕込まれた宝具を吹き散らすことで被害を抑えていた。

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons. )

 このままではアーチャーのほうが落とされる。

 その前に、一つ賭けをする。

 戦車の速度と方向を追い、ジャンボジェットの一つを壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)で吹き飛ばす。

「何ッ――――」

 爆風が戦車を叩く。対神宝具に内包された神殺しの概念が神馬を痛めつける。侮るな、とライダーは吼えた。神速の戦車は若干の速度低下を余儀なくされながらも、圧倒的な破壊力でアーチャーを追い詰めている。その実感が、ライダーを加速させていく。

「そこ、だあああああああああッ」

 ライダーの戦車がアーチャーの居場所を捉える。今度こそ逃さない。別のジャンボジェットに飛び移ることも許さず根こそぎ解体してやる。

 Aランクの宝具の直撃は、“黒”のアーチャーを跡形もなく打ち砕き消滅させるであろう。

 勝利を確信したまさにそのとき、ライダーの面前に広がったのは真紅の大楯――――『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』であった。

「て、めえ……!」

 激しい衝撃が走り抜け、霧が飛び散った。

 露になったアーチャーの姿は、懐かしき真紅の楯の奥にある。

「そいつを、俺の前で使ってんじゃねえぞッ」

 楯の頑丈さは、大アイアスと共に戦ったアキレウスだからこそよく知っている。『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)』の全力でも食い破るのは難しい。が、それは楯の話。アーチャーの足元のジャンボジェットは、決して頑強にできていない。

 爆発的な魔力の奔流と共に、アーチャーの足元が砕け散る。アーチャーは顔を歪めて、『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』ごと宙に投げ出される。と、それに一瞬先んじて、真上から落ちてきた矢がペーダソスの頭蓋を射抜いた。

 不死性を持たないペーダソスだけは、対神宝具を用いなくても殺傷できるのである。

 『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』に激突して動きが止まったその瞬間を狙われた形になる。

「アーチャー!」

 だが、落下するアーチャーに追撃をかけるのをライダーは止めない。

 三頭立てが二頭立てに変わったからといってどうだというのか。相手は足場を失い、墜落するだけ。霊体化される前に周囲の空間を抉り取るようにして止めを刺す。

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)――――――――その体は、きっと剣で出来ていた (So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS. )

 隕石もかくやという超速で迫る戦車。不死の神馬の蹄がアーチャーの身体を打ち砕く前に、魔術は完成していた。

 燃える世界の壁が、硫酸の雲を消し散らす。

 夜の闇は燃え落ちた。

 上空七五〇〇メートルという覚束ない足場は今や消え失せ、地平線まで見通せる不毛の大地が広がっている。

 剣の丘。あるいは墓場か。

 生物のいない黄昏の世界は、英雄豪傑が振るったであろう無数の宝剣が眠るにはあまりにも寂しすぎる。

「な、に……コイツは」

 今まで、数多の敵と戦ってきたライダーも、これには驚かざるを得ない。

 見たことのない世界。

 大地に突き立つ無限の剣の中には、恐るべき魔力を秘めているモノが何挺も存在している。

「剣を内包した固有結界――――それが、てめえの能力だったってわけか」

 未来の英雄、“黒”のアーチャーは無数の宝具を自由自在に使ってみせる謎多き存在であった。通常ならばありえないその能力の本質は、この世界だったのである。

「如何にも、“赤”のライダー」

 双剣を手に、“黒”のアーチャーはライダーを睨み付け、

「見ての通り私の武器は無限の剣。――――果たして、君に乗り越えることができるかな?」

 古代ギリシャの大英雄を相手に、“黒”のアーチャーは大胆不敵な笑みを浮かべて愛剣を構えるのであった。

 


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