フィオレに戦果報告を済ませたアーチャーは、彼女の部屋を後にして宛がわれた私室に戻った。
ミレニア城砦は広く、六人のサーヴァントに私室を与えるくらいの余裕はある。ユグドミレニアを率いるダーニックは、第三次聖杯戦争に参加していたことがあり、サーヴァントという存在を他のマスター以上に理解していた。
誇りを傷つけること、在り方を損なうことがマスターとサーヴァントとの間にどれほどの不和を齎し、戦力を低減させるか理解していたからこそ、サーヴァントたちへの配慮もしっかりとしていた。
特に、彼のサーヴァントである
私室の一つも与えないのでは初日から首を刎ねられてしまうかもしれない。
そういうわけで、すべてのサーヴァントに一部屋ずつ与えられていたのである。
もっとも、これをどのように使うかはサーヴァント任せだ。キャスターのように工房から出ない者もいるし、セイバーのようにマスターの傍にずっと控えている者もいる。アーチャーは、マスターが年頃の娘ということもあり、比較的部屋の使用頻度が高かった。
時計塔に忍ばせたという血族から取り寄せた魔術師の資料だ。
「獅子劫界離。
“赤”のセイバーのマスター。
魔術協会が送り込んできた刺客。フリーランスの魔術師で、賞金稼ぎとして数多くの戦場を経験している。
どうやら協会は確かな実力者を送り込んできたらしい。
そもそも、死霊魔術の使い手は、魔術のために多くの死体を必要とする。その結果、戦場へ出向く機会が多くなるのだ。
それが、フリーランスの賞金稼ぎともなれば、魔術師としての実力だけではなく、戦闘技術も一級品と見るべきだ。
フィオレもそれなりの修羅場を潜ってはいるが、本物の戦場を経験している獅子劫のほうが戦運びは上と考えるべきだろう。
「む」
扉の向こうにサーヴァントの気配を感じ、アーチャーはそちらに目を向けた。
ノックの音がする。
「アーチャー。ボク、ライダーだけど、部屋に誰かいるかい?」
サーヴァントの正体はライダーだった。
「いや、誰もいないが」
そう返事をすると、ライダーは扉を開けて中に入ってきた。
肩に裸の少年を担いでいる。
「ライダー。ここは連れ込み宿ではないのだがね」
「そんなんじゃないし、ボクは男だよ?」
「冗談だ。が、裸の少年を肩に担いで堂々と持ち運ぶのはさすがにな……」
アーチャーはそう言いながらも事情をある程度は察していた。
ライダーをベッドに案内し、少年を寝かせた。
「ホムンクルスか。いったい、どういうことだね。これは?」
抜けるような白い肌に、白銀の髪の少年。おそらく、瞼に隠れた瞳は赤いのだろう。
「廊下で倒れてたから助けた」
ライダーは、あっけらかんと言う。
助けた結果どうなるか、などということは一切考えていない。彼の中では、助けようと思ったときには助けることが決定しているのである。
「水槽から抜け出してきたということか」
「みたいだね。キャスターが追いかけているんだよ」
「ふむ。魔力供給用のホムンクルスの管理は、確かに彼の仕事だ。とはいえ、抜け出したホムンクルスをわざわざ探すのも彼らしくない」
魔力供給用のホムンクルス。セイバーのマスターであるゴルドが主導して完成させた、ユグドミレニアの秘策の一つ。
通常の聖杯戦争では、マスターはサーヴァントの全魔力消費を負担する。そのため、戦闘ではマスターに掛かる負担が大きくなり、切り札である宝具の発動にも一定の制限が掛かってしまう場合もある。膨大な魔力を消費する宝具は連続使用ができない、というようにだ。
だが、ユグドミレニアは魔力供給をマスターと生贄とで分割した。サーヴァントを律するのに必要な部分の魔力供給をマスターが、それ以外を生贄のホムンクルスが担当する。
資金があれば、いくらでも創り出せるホムンクルスは、魔力を生み出す電池として都合がよかったのである。
創ればいくらでも手に入る電池。
それがこの要塞の中でのホムンクルスの地位である。
だからこそ、腑に落ちないのはキャスターの動向である。人付き合いすら嫌う彼が、逃げ出したホムンクルス一人に執心するのは奇妙だった。
アーチャーは、ホムンクルスの脈を取る。
「脈は正常だな。ただ、魔術回路が暴走した形跡がある。慣れない魔術行使で、魔力の制御を誤ったのだろう。鬱血しているのは、魔力が血管内で暴れた証拠だ」
「詳しいね、アーチャー。医者でもやってたのかい?」
「何、私も経験があるだけだ。問題は疲労だな。僅かの距離でも、まともに歩いたことのない彼にとっては千里の道だ。廊下で動けなくなっていたというのは、疲れ果てて倒れていたということだろう」
「そっか。彼は生まれたての赤子なんだね」
ライダーは頷いて、ホムンクルスを見た。
「さて、これからどうするつもりだね。ライダー」
「どうするって?」
「彼のことだ。このままというわけにはいくまい」
キャスターが探しているとなれば、城内に匿うのも限度がある。
「ホムンクルスは総じて短命だ。たとえアインツベルンの技術で生み出された者でも、人並みには生きられん。まして、彼は生きることを前提に創られてはいない。もって、三年といったところだ」
「三年か。短いね」
ライダーは、沈鬱な表情でホムンクルスを見た。
「けど、それだけあれば、生きる意味だって見つけられるさ」
しかし、持ち前の前向きさでライダーは言った。
アーチャーはため息をついた。
問題は寿命の短さだけではない。まず、この城砦を抜け出す必要があるし、抜け出した後の生活をどうするのかという問題もある。ライダーが救ったのだから、ライダーが最期まで面倒を見ればいいとも思うが、残念ながらライダーもアーチャーもサーヴァントだ。聖杯大戦が終われば、結果はどうあれこの世界から消滅する。三年後には、いなくなっている。
だが、ライダーはそれらの事情を理解していながら、とりあえず『今』、目の前のホムンクルスを助けることに力を注ぐだろう。その後のことは度外視にして。
「やれやれだ。ライダー。彼に構うのはいいが、サーヴァントの本分を忘れないでくれたまえ」
「もちろんさ。ボクはそのために呼ばれたんだからね」
ライダーはにこやかに宣言した。
■
結局、アーチャーはホムンクルスを見逃すこととした。
キャスターに報告する義務はない。何より、ホムンクルスを生贄にする魔力供給に思うことがあった。
合理的且つ戦闘に於いてはこの上ないアドバンテージを得ることができるシステムだと評価している一方で、感情面では好ましく思えないところもあった。
ただの感傷だ。
救えなかった義姉がホムンクルスだったというだけの、斬り捨てた過去の残滓に過ぎない。
“それにしても、冬木の聖杯にアインツベルンのホムンクルス。それに遠坂の宝石か”
本来とは異なる世界線。
並行世界であり、ここにはアーチャーの八つ当たりの対象は存在しない。
ならば、純粋に聖杯を求めてみるのも悪くはない。
ルーマニアの聖杯戦争でありながら、縁のある単語が時々聞こえてくるのはこそばゆい思いがする。
ライダーとホムンクルスを自室に置いておいて、霊体化したアーチャーは城内を散策することにした。
アーチャーの戦いを夜通し観戦したマスターたちは、すでにベッドの中にいる。
動く気配があるのは、警備用の魍魎とホムンクルスだけだ。
しばらく散策していると、ある部屋からの扉の隙間から光が漏れているのを見つけた。
フィオレの弟で、バーサーカーのマスターでもあるカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアの私室である。
興味本位でアーチャーは扉をノックした。
「アーチャーだが、今いいかね?」
「ア、アーチャー!? あ、いや、いいけど……」
カウレスは突然のアーチャーの訪問に驚愕したらしく、返事には戸惑いの感情が含まれていた。
姉もそうだが、弟も魔術師らしくない。微笑ましく思いながら、アーチャーが部屋の中に入った。
「こんな時間にすまない。扉から光が漏れていたものでね」
「ちゃんと閉まってなかったか」
カウレスは頭を掻きながら、決まり悪そうにする。
「姉ちゃんは?」
「フィオレなら眠っている。君も、この時間ならベッドに入っておくべきだと思うが」
アーチャーはカウレスが向かい合っているそれに目を向けた。
パソコンだ。
「夜遅くまでインターネットか。歳相応と言えばいいのか、聊か不健康ではあるがな」
「なんだよ。別にいいだろ、これくらい」
拗ねたように、カウレスは言った。
カウレスが他の魔術師たちと異なるのは、思考が一般人とそれほど変わっていないということだ。魔術師は総じて神秘を敬愛し、科学技術を魔術の下に位置づけたがるものだ。実際、この要塞の中でインターネットへの理解があるのはカウレスとセレニケだけだ。そのセレニケも黒魔術の触媒に使えないかと研究しているからであって、興味があるわけではない。嗜好品としてパソコンを有するのは、この城砦の中ではカウレスだけなのだ。
「ウー」
カウレスの傍で呻き声を発するのは、バーサーカーのサーヴァントである。
純白のドレスに彩られた可愛らしい少女だが、機械の部品と思しきものが身体の至るところについている。
「バーサーカーか。しかし、まさか女性とはな。花嫁のほうではないのだな?」
「それは俺も思ったけど、正真正銘の本物だってさ」
「そうか。まあ、驚くことではないのかもしれんが……」
「いや、そこは驚けよ」
バーサーカーの真名はフランケンシュタイン。
人造人間の代名詞であり、ハリウッド映画などの題材にもなってきた怪物だが、フランケンシュタインを女性として描いた作品はあっただろうか。
少なくともカウレスの記憶にはない。
神秘としては比較的新しく、バーサーカーとして召喚されていながらステータスに見るべきところはない。
それでも、カウレスにとってバーサーカーは最適なサーヴァントだった。
彼女の宝具『
フランケンシュタインが女性だということに、少なからず驚いたのはアーチャーも認めるが、そういった事例は経験済みだ。深く考える必要はないと思っている。
「英霊とはそういうものだ」
「いや、どういうことだよ」
「伝承と実体が異なるのは、彼女だけではあるまい。例えば、高名な騎士を召喚してみたら、実は女性で、生前は男装していたから男として伝わっただけだった、などということもあり得る」
アーチャーは、そう言ってバーサーカーを見た。
しかし、カウレスは胡散臭そうな視線をアーチャーに向け、
「……ないだろ、さすがに」
そう呟いた。
「ところで、それは今使えるかな?」
アーチャーは、パソコンを指差して言った。
「ああ、使えるけど」
「そうか。では、少し調べて欲しいものがある」
「何?」
カウレスは、驚いたように目を瞠る。
「お前、サーヴァントだろ? ネットなんか使うのか?」
「何か問題があるのか? 今の時代、簡単なものは本を開くよりこちらを使ったほうが早いだろう」
「そりゃ、まあそうだけど」
インターネットがどのようなものかは、聖杯からの知識で概要くらいは教えられているかもしれないが、それを積極的に使おうというのにカウレスは驚いていた。
「おまえ、本当に変わったサーヴァントだな」
真名すらも分からないこのサーヴァントは、一流の魔術師であるフィオレが召喚したとは思えないほどステータスが低い。正直、バーサーカーと同じくらいである。が、戦闘能力は桁外れ。それを、先ほど見せ付けられたばかりだ。
紅茶を淹れるのが上手いとフィオレが自慢してきたこともあったが、さらにインターネットに理解を示すか。
「こういうのに、理解があるってのがまず驚きだ」
「そうだろうか。魔術師とはいえ、科学技術に対応せねば生き残れまい。都会には監視カメラが溢れているという。魔術では人目を避けることはできても、カメラを誤魔化すことはできん。違うかね?」
「それは、確かにそうだ」
使う魔術にもよるだろが、認識に干渉する催眠の類は人には効いてもカメラには効果がない。科学への理解のなさは魔術の漏洩に繋がりかねないのだが、それを自覚している魔術師は驚くほど少ない。
「で、何を調べるんだ?」
「冬木だ」
「……なるほど」
カウレスは得心がいったというように頷いた。
日本の冬木市は、聖杯戦争発祥の地。何を隠そう、このユグドミレニア主催の聖杯大戦は、冬木の聖杯を強奪してきたものなのだ。アーチャーが興味を抱くのは不思議ではないだろう。
カウレスは手早く検索ワードを打ち込み、検索した。
「すまないが、暫し借りてもいいかね? 使い方は、ある程度心得ている」
「ああ、いいけど。……心得ている?」
奇妙に思いながらも、アーチャーに席を譲る。
アーチャーは席に座り、パソコンを操作する。マウスの操作も苦にする様子もなく、表示されるページに目を通してはブラウザバックを繰り返す。
「アーチャー。もしかして、パソコン操作のスキル持ってたりするのか?」
「そんなスキルがあるわけないだろう。変わったことを言うな」
「お前に言われたくねえよ」
平然とパソコンを操作するアーチャーのほうが百倍変わっている。パソコンを操作する魔術師よりもパソコンを操作するサーヴァントのほうがおかしいと誰もが口を揃えて言うだろう。
「で、調べたいものは見つかったか?」
「ああ、どのような街なのか気になっただけなのでな。町並みさえ見れればそれでよかった」
「そうかよ。じゃあ、もういいか?」
「ああ、手間を取らせたな」
そう言って、アーチャーは出て行った。
去り際に、
「ああ、こんなことを今さら言うのもどうかと思うが、夜更かしは身体によくない。休むべきときはきちんと休んでおくべきだな」
そう言い残した。
「ウィィ……」
バーサーカーがカウレスの袖を引っ張り、不快の念を伝えてくる。
「アーチャーと話をしたのが気に入らないのか?」
「ウウ」
頷いた。
「今は敵じゃないんだからいいだろう」
カウレスはイスの背もたれにもたれかかった。
夜明け近くなって、やっと眠気が訪れた。遅すぎるが、眠るとしよう。
ベッドに入ったカウレスは、眠りに落ちる直前にふと思った。
“結局、アーチャーは何者なんだろう”