“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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四十一話

 剣の英雄と槍の英雄は、空中庭園の外縁部で再会を果たした。

 “黒”のセイバーが如何なる手段を講じて乗り込んできたのかは、“赤”のランサーには理解できていなかったが、それでも彼の相手が自分であることはこの戦争の最も序盤の段階から確信できていたことである。

 望まれたから、力を求められたから召喚に応じた聖杯大戦であるが、戦いの最中であっても己の願望を抱くことができたのだから幸運である。

 即ち、この敵を討ち果たすのは己の武具であってほしいという願いである。

 幾度も剣を重ねれば、相手もこちらを敵と見定めているのが伝わってくる。それが、“赤”のランサーには嬉しい。戦士として、倒すべき壁だと認識されることは何よりの僥倖だからである。

 “黒”のセイバーも“赤”のランサーとまったく同じ心境であった。

 背負っているものは大きく異なり、“黒”のセイバーはこの儀式を止めるという最終目的がある。道理に従えば“赤”のランサーを相手取るのではなく、上手く回避して聖杯に向かうべきなのだろう。とはいえ、それは理想論でしかない。現実的に考えて敵陣最強のサーヴァントを相手にしないわけにはいかない。どこかで激突するのが避けられないのであれば、彼を押さえることのできる唯一のサーヴァントとして“黒”のセイバーがこの場にやってくるのは至極当然であった。

 そして、“黒”のセイバーもまた一人の戦士として“赤”のランサーを討つことを望んでいる。

「この聖杯大戦、どのような形に落ち着くか分からんが、――――この大きな舞台でお前と雌雄を決することになった幸運に感謝しよう」

 静かに、“赤”のランサーは闘志を漲らせた。

 それだけで、大気が焼け付いたかのようではないか。まだ、日付が変わったばかりなのに、“黒”のセイバーは彼の背後に巨大な太陽を幻視した。

 そして、武者震いに震え、笑みを浮かべた。

「再戦の約定を果たせたことを嬉しく思う」

 その表情、仕草を見て“赤”のランサーもまた彼が全力で戦いたがっていることを実感する。

「“黒”のセイバー。このようなときに言うのも酷く場違いな気もするが、一つ頼みを聞いてはもらえないだろうか」

「頼み……?」

 ここに来て、何を言うのかと思ったが“赤”のランサーが無駄な時間稼ぎをするはずもない。

「内容にもよるが」

「その通りだな。時間がないので簡潔に説明するが、オレたちのマスターについてだ」

 “赤”のランサーのマスターは、現在天草四郎時貞となっているはずである。“赤”のランサーを乗り越えた先には、四郎と激突することになるであろう。

「今のマスターではなく、オレたちを召喚したマスターのほうだ。実は彼らは、まだこの庭園内に隔離されていてな」

「生きているのか?」

 四郎と共謀した“赤”のアサシンによって、すでに亡き者にされていると思っていた。あの女帝は決して無駄なことをしないだろうし、何よりも命を奪うことに躊躇する人格ではない。邪魔な元マスターなど、マスター権を奪った時点で殺害するのが道理であろう。無論、それは“赤”のアサシンの道理だが。

 しかし、“黒”のセイバーの問いかけに“赤”のランサーは頷いた。

「ああ。前後不覚になってはいるが、生きていることには変わりない。そこで、お前たちに彼らを預かってほしいのだ」

 “赤”の陣営で参戦したマスターの保護。それが、“赤”のランサーの頼みであった。

 その可否の判断を、“黒”のセイバーだけですることはできない。

 一旦ゴルドに念話を繋ぎ、“赤”のランサーとの会話の内容を伝えると、保護を快諾する返答を得ることができた。

 “黒”の陣営にとっても魔術協会から派遣されてきた魔術師たちには利用価値がある。聖杯大戦に勝っても負けても魔術協会に潰される公算の高い現状では、交渉の材料は一つでも多いに越したことはない。

「マスターからの許可が出た。貴公の申し出を受けることとする」

「感謝する、セイバー」

「その代わりにオレの頼みも聞いてほしい。もうじき、空中庭園に二人の魔術師が到着するだろう。彼らについては見逃してやってはもらえないだろうか」

「ふむ、それはお前のマスターか?」

 問われて“黒”のセイバーは否と答える。

「こちらのライダーとアーチャーのマスターだ」

「なるほど……まあ、構うまい。いずれにしても、お前と対峙しているときに、ほかに意識を配る余裕があるはずもない。サーヴァントならばまだしも、魔術師を取りこぼしたとしてもさしたる害にはならんだろうしな」

 “赤”のランサーからの確約を受けて、“黒”のセイバーは約束を実行することにした。

 “赤”のランサーが言うかつてのマスターたちは、外縁部の日乾煉瓦の階段を下ったところにある小さな部屋の中に隔離されていた。

 隔離と言っても、監禁されているわけではない。思考を奪われ、会話にもならない会話を繰り広げる人形に成り果てた者を閉じ込めておく必要もない。食事を与えられるだけで、彼らは完全に放置されていた。

 酷いものだ、と“黒”のセイバーは思う。

 彼らは戦うためにやってきたはずなのに、戦う前から脱落させられていた。戦士にとっては屈辱以外の何物でもない。とはいえ、それは余計な感傷であろう。

「彼らをここから出すと言っても、手段はあるのか? 生憎、こちらには連れ出す手段がないが?」

「それについては問題ない。地上への転送装置がある。幸い、オレでも使える代物だ。そちらで座標を指定してくれれば、ある程度は任意に送れるはずだ。さすがに、トゥリファスは遠すぎるがな」

「承知した」

 可能ならばトゥリファスへ転送したかったところだが、それは虫が良すぎるか。周辺各国に魔術協会の魔術師が潜んでいるのは確かなので、ルーマニア国内に一先ずは転送することにする。ゴルドに連絡を取り、転送できる範囲で最もユグドミレニアが迅速に動ける地域を指定し、“赤”のランサーに伝えることで五人の魔術師たちは戦場から立ち去ったのであった。

 

 

 

「これでオレも肩の荷が下りた」

 “赤”のランサーは“黒”のセイバーとそのマスターに礼を言う。

「では、今度こそ約束を果たすとしよう。この先に、オレたちが雌雄を決するに相応しい場所がある」

 ついて来い、と“赤”のランサーは言う。この小屋では、二騎が争うには狭すぎる。一合も刃をぶつければそれだけで木っ端微塵に砕け散るであろう。

 “赤”のランサーに案内される道すがら、“黒”のセイバーは尋ねた。

「何故、彼らを救おうと思った?」

 もはやマスターではなく、完全に繋がりも切れた人物であった。それどころか、“赤”のランサーは彼らとまともに言葉を交わしたこともないという。それにも拘らず、敵の手を借りてまで救おうとしたのは何故なのか。

「一時とはいえ、彼らはオレたちのマスターだった。だが、守れなかった。サーヴァントの最低限の務めすらも果たせなかったのが心苦しくてな、せめて、命だけでも救われればとそう思ったのだ。傲慢かもしれんが、オレにはこうするほかに術がない」

「傲慢などと言って己を卑下しないでほしい。貴公の清廉な人柄に、俺は感服するばかりだ。心技に亘って優れた戦士と戦えることは誇らしい限りだ」

 偉大な血筋、鍛え抜かれた武術の冴え、多くの人々の信心を一身に集める大英雄ながらも決して驕ることなく、むしろ常に謙虚であり続けているというのが“黒”のセイバーには好ましい。

 これほどの戦士には未だ嘗て巡り合えたことがない。

 これまで、悪竜を上回る強大な敵に出会ったことがない“黒”のセイバーにとっては、己と同じように自らを鍛えぬいた戦士が壁として立ちはだかってくれるのが何よりも嬉しい。サーヴァントとして戦士として、この強敵は乗り越えなければならないのである。

「ここならば、オレたちが全力を尽くしても問題あるまい」

 やってきたのは広々とした円形の空間であった。

 障害物は何もない。薄ぼんやりとした明かりに照らされる空間は、まるで二騎のための特設リングのように思えた。

「侵入者を迎撃するための空間だ。サーヴァント戦を想定し、広く造られていると聞いている」

「なるほど、この上ない舞台だ」

 魔術による空間拡張が施されているのであろう。この部屋は、宝具を使用しても耐え得る広大さであった。敵を引き入れて、サーヴァントで迎え撃つための部屋だというのは見て分かる。

 彼の言うとおり、ここならば自分たちが死力を尽くして激突しても外部に影響を与えることはないだろう。今度こそは邪魔が入る余地もない。

 “黒”のセイバーは、“赤”のランサーから十メートルばかりの距離を取って向かい合う。手には輝ける大剣が握りこまれている。“赤”のランサーもすでに臨戦態勢を取っていて、巨大な豪槍がいつ“黒”のセイバーを貫いていても不思議ではない状況であった。

「始めるぞ、“赤”のランサー」

「受けて立とう、“黒”のセイバー」

 そして、遂に両陣営が誇る最強の戦士が激突した。

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のセイバーが“赤”のランサーと英雄の誇りに則り死闘を繰り広げているとき、空中庭園の別の地点では“黒”のアサシンと“赤”のアーチャーが対峙していた。

 ただし、こちらは華々しい決闘とは様相を異にしている。

 それも無理からぬこと。

 “黒”のアサシンは正真正銘の殺人鬼であり、英雄の誇りなど欠片も持ち合わせていない。対する“赤”のアーチャーも誇り高い狩人ではあるもののその根底にあるのは英雄の誇りではなく必要なモノは奪い取るという殺伐とした野生の原理であった。

 殺人鬼と狩人。

 どちらも、真っ向勝負をするタイプではない。

 このような場合、先手を取ったほうが有利となるのは自明の理。

 殺人鬼は自分にとって都合のいい環境に敵をおびき出して殺害するのが常であるし、狩人も獲物を影から仕留めるべく身を潜める。

 そして、“赤”のアーチャーは自分が敵の土俵に上がってしまったことを悟っていた。

 周囲には立ち込める霧。

 取り込まれた瞬間から方向感覚が掴めず脱出も容易ではない。霧の中では狙撃もできない。

 “黒”のアサシンの正体は知らない。

 だが、暗殺者である以上この霧の宝具に紛れて手を打ってくるに違いない。姿を曝すという無様な真似はしないはず。

 “赤”のアーチャーは弓を引き絞った状態を維持し、いつでも敵を射殺せるように待機して息を殺す。

 “黒”のアサシンはこちらの姿を認識しているだろう。『気配遮断』スキルは攻撃に転じた瞬間に大幅にランクダウンする。その一瞬を狙って頭蓋を射抜いてやろう。

 ほんの僅かでも物音を立てれば、“赤”のアーチャーは即座にこちらを射抜いてくるだろう。視界に有無など、彼女には関係がない。故に“黒”のアサシンは一切の身動きをすることなく、『気配遮断』を駆使して霧の中で息を潜めている。

 相手は古代ギリシャ最高の狩人だというが、何と言うことはない。この霧の中では自分は加害者で、相手は誰であろうと被害者という役割を押し付けられる。

 ましてや今は夜で、相手は女である。――――条件は、すべて満たされている。

 “赤”のアーチャーにはすべてが不利に働いている。

 彼女は“黒”のアサシンの正体を知らず、能力を知らない。一方の“黒”のアサシンは“赤”のアーチャーの真名も能力も知っている。宝具を使わせてしまえば、この霧の中を絨毯爆撃されてしまうかもしれないがそんな時間は与えない。

 “黒”のアサシンの宝具は先手必勝。発動したら最後、すべての女は肉の塊となって果てるのみ。そして、『霧夜の殺人』によって、夜という時間限定ながらも彼女は必ず先手を取ることができるのである。

 “黒”のアサシンは必勝を期して迷うことなく『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』を発動する。“黒”の陣営に対して猛威を振るった凶悪な呪詛が、また一人被害者を作り上げようとしてた。

 

 

 “赤”のアーチャーが“黒”のアサシンを知らなかったように、“黒”のアサシンもまた“赤”のアーチャーを完全には理解していなかった。

 遙か昔、神代の話である。

 ギリシャ最速の女狩人は、求婚してくる男たちに一つの課題を出した。

 “赤”のアーチャー(アタランテ)自身と徒競走をして、勝利した者の妻となる。ただし、負けた者はその場で射殺するという非常に冷酷な課題であった。

 この徒競走で、“赤”のアーチャーは男たちを先に走らせて、自分は後から走り出して追い抜くという方法で、多くの求婚者を射殺している。

 この逸話を、“赤”のアーチャーはスキルに昇華させた。

 その名は『追い込みの美学』。

 敵に先手を取らせ(・・・・・・・・)、その行動を確認してから先回りして行動することができるのだ。

 このスキルは常に先手を取りうる立場にある『アサシン』のクラスに対して非常に有効なものとなっている。『気配遮断』で忍び寄ってくる暗殺者が、攻撃に出た瞬間、“赤”のアーチャーは敵の攻撃が自分に当たる前に射殺することができるからである。

 

 

 “黒”のアサシンは『霧夜の殺人』の効果によって完全無欠の先制攻撃を放つ。宝具の名は『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』。

 “赤”のアーチャーは『追い込みの美学』の効果によって“黒”のアサシンの先手に先回りして反撃する。宝具の名は『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』。

 

 

 敵の先手に対して回りこみ、宝具を放つ。

 この時点で、勝利するのは“赤”のアーチャーであると思われた。

 先手を取ったはずの“黒”のアサシンは、“赤”のアーチャーに先回りされて攻撃を受ける。それが道理である。確実に先手を取れるスキルは、先手を取らせた上でそれを覆すスキルに対して致命的に相性が悪い。

 だが、今回ばかりはそうもいかない。

 『追い込みの美学』が先手に回り込むものである以上、敵の先手そのものを打ち消すことにはならない。――――即ち先手必勝の宝具を消滅させるには至らず、結果として両者の宝具はまったく同時に発動した。

 

 

 

 意識を消失していたのは、ほんの数秒程度だったらしい。

 うつ伏せに倒れていた身体を起こすと、全身に激痛が奔った。

「う、うぅ……」

 左腕が千切れかけており、脇腹は抉られている。周囲の地面には、無数の弾痕のような痕が刻み込まれていて、石造りの地面が畑のように耕されている光景は凄まじいの一言である。  

 ズルズルと這って、壁に背を預けて座る。痛みに顔を歪めて、呼吸を整える。勝敗を分けたのは、必殺か否か(・・・・・)。もしも、霧がなく視界が良好だったなら、自分は肉片も残さず破壊され尽くしていたに違いない。

 だが、そうはならなかった。

 墜ちたのは“赤”のアーチャーで、僅かな一瞬を競り勝った“黒”のアサシンが生き残った。

 とはいえ、この怪我だ。即座に戦線復帰は難しい。マスターは治癒魔術などできないので、これから数分をかけて自分で治療しないといけないのである。

 “黒”のアサシンは涙目になりながら、千切れかけた腕の治療を始めたのであった。


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