ジャンボジェットに着陸などという当たり前の動作を強要することはない。
自分に対して令呪を行使できないルーラーは、ジャンボジェットに最後までつき従った。空中庭園に衝突して無残な鉄くずに成り果てたジャンボジェットに礼を言い、ルーラーは旗を振るって塵を払う。
道は示されている。
ルーラーの知覚力が聖杯の在り処を伝えている。余所見をする必要はなく、今は仲間を信じて真っ直ぐに進めばいい。
と、そこに――――、
「ぶぼぉッ」
重苦しい音を響かせて、落下してきたヒポグリフと“黒”のライダーがクレーターを作ってひっくり返っていた。
慌てて駆け寄ったルーラーが、ライダーを覗き込む。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ルーラーか。あぶねー。“赤”の誰かだったらやばかったな」
ライダーの損傷は傍目から見ても酷いものだ。
衣服は血まみれで、端整な顔も八割方血に染まっている。骨もいくらか折れているに違いない。
「あの石クズ、全部海に沈めてやったぜ。これで、マスターたちも安全に降りられるだろ」
「ええ。あなたのおかげです、ライダー」
「ははは、まあね。でも、セイバーとアサシンは?」
「セイバーはランサーと交戦中。アサシンは敵のアーチャーを撃破したようです」
「え、マジ?」
「はい」
ルーラーの知覚能力は空中庭園を覆い尽くしている。どこにいようとも彼女に居場所を悟られないということはない。つい先ほど、“赤”のアーチャーが消滅した。相性からいって勝率の高い組み合わせだったが、それでも“黒”のアサシンの能力の危険性を改めて認識させられる形となった。
「敵が一つ消えたのなら、こっちにも希望はあるな」
「数の上でも優位に立っていますからね。まだ、ひっくり返せるはずです」
「なんか元気出てきたぞ。なあ、相棒」
やおら立ち上がったライダーは隣でぐったりしているヒポグリフをポンポンと叩く。軽くやったつもりだったが、傷口を刺激したらしい。けたたましく鳴いて、ライダーを嘴でつついた。
「ぐおぉ、いてぇッ。お、まえなぁ」
しゃがみこんだライダーは頭を押さえる。鋭い嘴が刺さったのは、彼の脳天だった。
「もういい、とりあえず寝てて」
ライダーは苛立ち紛れにヒポグリフに命じて霊体化させる。
ヒポグリフはライダーの切り札である。無理をさせて大事なところで使えないというのは問題である。
後は武器として使えるのは角笛と曲がってしまった魔法の槍。そして、宝剣。狭い屋内での戦いならば、これだけあれば大丈夫だろう。
「ライダー、あなたは傷を癒すのを先にしたほうがよさそうですね」
「そうは言ってもな」
ライダーに治癒術は使えない。自己修復能力も決して高いほうではないので、“黒”のセイバーのように傷を負いながら戦い続けるというのには向いていない。多くの『ライダー』がそうであるように、多種多様な宝具と機動力で圧倒するのが彼の戦い方である。とはいえ、すでにその機動力も失われつつあるのだが。
「いえ、別にあなたでなくともカウレスかフィオレが治癒すればいいのですし、すぐそこに来ているので合流するのがいいでしょう」
「お、じゃあ、マスターたちも無事に辿り着けたんだ」
この傷ではルーラーと共に戦うというのは難しい。足を引っ張るのが関の山である。ならば、マスターと合流し、治癒してもらった上で護衛に当たるのが正解ではないか。
「んじゃ、お言葉に甘えて治療させてもらおうかな」
「はい。わたしは、先を急ぎます。二人のこと、どうか頼みますね」
ルーラーは、ライダーにそう言い残して近くの通路に飛び込んだ。内部が迷路になっていようと、ルーラーは踏破できるに違いない。
彼女の『啓示』はこういうときに便利でいいな、とライダーは思った。
「つーッ。とりあえず、マスターと合流しないと」
念話でカウレスに呼びかけてこちらに来てもらうことにする。敵のサーヴァントはそれぞれの敵に忙しい。カウレスやフィオレを狙い撃ちする余裕もないだろう。
□
端的に言って“赤”のライダーは速すぎる。
一歩で景色を置き去りにし、突き出す槍は視認することすら困難を極める。あらゆる英雄の中で最速と謳われるアキレウスに追いつける者などありはしない。
「オラオラオラオラオラァッ!!」
疾風の槍撃が放たれる。
無限の剣など恐れるに足らない。数多の戦場を踏み越え、一人で万軍を相手取った英雄は、使い手のいない剣などに圧倒されるはずもない。
小回りの利かない戦車を捨て、ライダーは槍を片手にアーチャーに攻めかかる。視界に入るすべてが間合いとでも言うように、アーチャーが弓を構える余裕すら与えず近接戦闘の領域に踏み込んだ。
対する“黒”のアーチャーは双剣を必死に振るって“赤”のライダーの最速の突きを捌く。令呪の補助を受けていながら、一歩二歩と後退しなければ即死は免れないという状況である。
『
「ハァッ!」
アーチャーは双剣が弾かれると同時に対神宝具を手に呼び出し、ライダーに突きを放つ。
この世界でアーチャーが無手になることはない。投影する必要もなく、思うだけで手元に手繰り寄せることができるからである。
「温いぞ、アーチャーッ」
ライダーは笑みすら浮かべてアーチャーの刃を受け流す。それだけに留まらず踏み出す足でアーチャーの脛を砕こうとする。アーチャーが足を引いてこれを避けると、今度は身体を反転させ、真横から槍を振るった。
ライダーの筋力に遠心力を加えた横薙ぎの打撃を、アーチャーは咄嗟に剣の柄頭で受け止める。
「ぐ、……!」
歯を食い縛り、アーチャーは衝撃を堪える。
が、二段目の攻撃までは防げない。ライダーの大雑把な前蹴りがアーチャーの腹を強かに打つ。ボディアーマー越しでも凄まじい衝撃であり、血を吐きながら十メートルは飛ばされた。
それでも、アーチャーの目はしっかりとライダーを見据えていた。
アーチャーが地面に叩きつけられるまでの僅かな時間の間に、ライダーは槍を二回回転させて調子を整え、その後一気にアーチャーに追いすがる。
『
疾走するライダーの目の前に現れたのは、剣の壁。固有結界の内部に限り、アーチャーは過程を省略して剣を呼び出すことができる。対神宝具であろうと、一瞬で数百からなる剣群を生成可能なのである。
「大盤振る舞いだな、アーチャー!」
膨大な魔力を秘めた剣の群れ。綺羅星の如き殺意の雨だ。神代ですら、これほどの宝具の雨に巡り合ったことはない。
そのすべてが、対神宝具。ライダーの加護を打ち破り、彼に突き立つ刃である。
「剣ってのは、振るわれてこそ意味があるんだぜ……そこどきなッ」
こともあろうに、ライダーの選択は槍を振り回しての突撃であった。剣の雨の中を、勢いをそのままにして突き進む。
出鱈目だ。いや、だからこその大英雄か。
剣の壁を掘り進み、突き破った時にはライダーの身体にはいくらかの損傷が生まれていた。しかしそれでも衰えない速度で弾丸のように地面を蹴り、アーチャーに槍を撃ち込んでくる。
火花が散り、肉が裂ける。大気は絶叫し、血飛沫が舞った。
「ずいぶんと調子がいいようだな、ライダー」
「たりめーだ。これが最後だってんだからな! 全力全開でぶっとばすだけよ! そら、怠けてると死ぬぜ、アーチャー!」
蛇のように絡みつく槍が、『干将』を捻り上げる。このまま柄を握っていては、手首をへし折られると確信したアーチャーは惜しげもなく武器を手放す。がらんどうになった半身に突きこまれる穂先を『莫耶』で弾き、そのまま反転。徒手となった手に対神宝具を呼び出してライダーを斬り付ける。
背を逸らしたライダーの頬を切先が掠める。
ライダーは三歩下がって、滴る血を拭った。
「どうした、怠けたのかね」
「ハッ! なわけねぇだろ!」
苛立ちと喜悦を織り交ぜて、ライダーは槍を手繰る。速度重視の技だけでは同じことの繰り返しになる。突き、薙ぎ、払い、時に蹴りまで織り込んでトリッキーな戦術を構築する。
アーチャーが防戦一方なのは今までと変わらない。今回のアーチャーは今まで以上に動きが鋭く、技も冴えているがそれでもライダーに追いすがるのがやっとというレベルでしかない。どれだけアーチャーが守り上手であっても、全力のアキレウスが打ち砕けぬ守りなど存在しない。
一瞬一瞬の判断ミスが命取りになる超速の世界で、アーチャーは剣を振り続ける。
思考する時間すらも惜しい。
剣戟の音すらも思考の彼方に追いやって、もはや光としか認識できない槍の中を潜り抜けていく。身体が勝手に動く感覚、致命傷を優先的に回避するも、小さな裂傷は幾重にも積み重なっていく。フィオレの治癒も効率を考えて重傷に絞っているので、アーチャーの身体は瞬く間に真紅に染まってしまう。それでも、アーチャーは剣を振るうことを止めない。彼の剣は彼が積み重ねてきた生涯を表している。アーチャーが剣を振るうのを止めるのは、その肉体が滅びたときである。そして、敵を倒すまで滅びるわけにはいかないから、固有結界の中には金属を打ち合う音が響き続ける。
無数の剣戟音が一連のものに聞こえる。身体を奔る刺すような痛み。剣は幾度も砕け、その手から零れ落ちる。その度に白刃と黒刃は新たに生まれ、ひたすらに剣戟を繰り返していく。ときには体勢を崩し、地を転がることもあった。深く肉を抉られたのも一度や二度のことではない。だが、生きている限りは喰らい付く。万に一つの勝機を手繰り寄せるために、まずは
□
“赤”のランサー――――カルナは槍を操りながらも思う。
生前の戦いで、これほど目の前の敵を討ち果たすことに心血を注いだことがあっただろうか。
無論、手加減などしていない。そのようなことは戦ってきたすべての戦士への非礼と侮辱である。が、それはランサー自身の精神面での話であって、彼の戦いは常に彼の力を制限する形で行われてきたのもまた事実である。
数多の英雄が跋扈した古代インドにあって、最強の武人と恐れられたからこそ、ありとあらゆる姦計が襲い掛かってきた。
絶体絶命の危機に際して弓の奥義を忘れる、危機的状況下で戦車が動かなくなる、そのような呪いに苦しめられ、雷神インドラの策略によって黄金の鎧すらも奪われた。それでもなお、彼は一切を恨まず、すべてを受け入れて戦場に臨み、激戦の果てに死を得た。
しかし、それでもその生涯を悔いたことは一度もない。ただ、なるべくしてそうなったというだけだ。故に、聖杯にかける望みもない。
今、ランサーにあるのは戦いだけだ。
かつても戦いに始まり戦いに終わる人生であったが、それでもそこには目的があった。誰かを助けるため、誇りを全うするため、戦いそのものではなく戦いによって得られる果実を目的としたものであった。
今は違う。
サーヴァントとして召喚された彼には、そのような目的意識は必要とされていない。
彼に求められているのは純粋に力のみ。目の前の敵を叩き潰すことだけである。
太陽を示す大槍は紅蓮を巻き上げ竜の騎士を穿つ。
並のサーヴァントならば即死するであろう一撃は、しかし“黒”のセイバーによって尽く受け止められる。
ともすれば、自分の武が正面から踏破されそうになっている。
万全ならば三界を制するとまで謳われた戦士の技と拮抗する戦士と、ただ死力を尽くして戦えるのが存外に心地いい。
政治的な策謀も、呪いも一切ない。
ここにあるのは一本の槍と一振りの剣だけである。
それだけで、二騎の世界は完結していた。
“黒”のセイバー――――ジークフリートもまた剣を合わせる喜びに打ち震え、猛攻を叩き込んでいる。
邪悪なる竜を仕留めてから、一度として対等な戦いなどできなかった。圧倒的な剣術に伍する猛者はほとんどおらず、いたとしても無敵の肉体の前には歯が立たずに敗れていったからである。
富と名声を欲しい侭にし、そして裏切りの刃に倒れた生前。清廉な生き方ではあったが、物足りないと思うことは多々あった。求められるままに剣を振るう日々に空しさを感じていたのもまた事実である。
さながら、その生き方は人の形をした願望機。力を以て、他者の望みを叶えるために戦っていた。戦いに己はなく、善も悪も関係がなかった。請われるままに戦い、望まれるままに振る舞ってきた人生の中で、ふと気が付くと彼は夢も希望も見失っていた。
そしてまた、請われるままに召喚されたこの時代で、“黒”のセイバーは初めて心の底から乗り越えたいと思える相手に巡り合った。
気合を込めて剣を叩き込む。
剣術は通じている。ただし、直撃させたとしても黄金の鎧がほぼ無効化してしまう。ランサーの刺突もセイバーを貫くには至らないので、結局はこれまでと同じ近接戦による音速の打ち合いが再現される。
ランサーの豪槍が文字通り火を吹いて襲い掛かってくる。炎を纏った槍撃は、セイバーの『
紅蓮の穂先をセイバーは真横から叩く。左から右へ、刺突の方向を誘導し、セイバー自身は大剣の向きをそのままにして時計回りに駒のように回転する。
「オオオオオオオオオオオオオオオッ」
吼えた。
喉を裂かんばかりに吼えて、セイバーは自慢の大剣をランサーに叩き込む。
「ぐ……!」
想像以上に強力な斬撃に、ランサーは踏ん張りきれずに弾かれる。それでも倒れることのない太陽英雄は、両足で踏ん張りながら黄金の槍を構え直して、目を見張った。
決闘場に、黄昏の帳が下りる。
それは昼と夜の境界にして、数多の生命が途絶える死の世界。
「『
振り下ろされた聖剣は柄頭に込められた真エーテルを増幅し、黄昏色の剣気に変換して放出する。
光の津波が真っ直ぐにランサーに押し迫り、ランサーは為す術なく押し流される。A+ランクの対軍宝具の直撃は、上級サーヴァントですら消滅させる。ただの聖杯戦争ならば、これで決着と思っても差し支えない状況であるが、――――――――。
黄昏の極光が消えた世界で、粉塵を貫いてきたのは太陽の紅蓮。
驚くようなことではない。もとより、宝具の直撃で倒せるとは思っていない。燃える槍を剣で受け、再び刃を交える。
ランサーの豪快な振り下ろし。
大きな隙と見えるそれも、このランサーの速度ならば付け入る隙にはならない。セイバーはその振り下ろしを半身になって躱し、剣の切先を突きこもうと構える。そんなセイバーに対して、ランサーは槍を構え直さなかった。その代わり、地に突き立った槍を引き、身体を前に押し出す。単純なショルダータックルであったが、意表を突かれたセイバーは思い切りこれを受けてしまう。
踏鞴を踏んだセイバーを、ランサーは蹴り飛ばした。
「ッ――――!」
踏ん張ってはランサーの次なる手に対応できないと判断したセイバーは、後方に跳躍しつつ勢いを殺していく。体勢を立て直すのに必要だった歩数は三。距離にして、十四、五メートルほどといったところであろうか。
「お前にばかり宝具を使わせるのも面白みにかけるな」
言うや否や、ランサーは炎を神槍に収束する。輝ける太陽の光が世界を彩っていく。神槍の外装の一部が外れ、刃そのものが膨大な炎を吹き上げた。
これはまずい、とセイバーは『
セイバーの宝具の気配にはまったく構わず、ランサーは、石畳を踏み砕いて必滅の刃を射出する。
「行け――――『
押し広がる極光に、太陽の渦が捻じ込まれた。二色の光は互いに喰らい合い、目を覆わんばかりの輝きで周囲一帯を照らし上げる――――。