“黒”のアーチャーが“赤”のセイバーと戦ってから数日が経ったある晩のこと、城砦内にいるマスターとサーヴァントに召集がかかった。
こちらのアーチャーが敵のセイバーと戦ってからこの日まで、相手方に動きはなくこちらも打って出ることはしなかったため、戦闘は小康状態に陥っていた。
ところが、ここにきて敵に動きがあったという。
ゴルドと“黒”のセイバーが席を外しているのは、そのためである。
「聖杯大戦の第二戦といったところでしょうか」
「相手はランサーのようだな」
キャスターのゴーレムが映し出す映像を見る。“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは、夜更けに始まり、すでに数時間が経過していた。
闇の中、燦然と輝く二騎のサーヴァントが死闘を繰り広げている。
飽くことなく剣と槍を打ち付けあう様は、殺し合いをしているというよりも演舞をしているという感覚に近いものがある。
ただし、常人では彼らの『舞』を目で追う事は不可能であるが。
剣戟は激しく、血風と共に火花が散る。
“黒”のセイバーはジークフリート。世界的にも有名な竜殺しの英雄であり、鋼鉄の肉体を持つ不死の剣士の代表格。霊格は最高位といっても過言ではない。
彼の宝具『
セイバーを傷つけるにはAランク以上の攻撃手段を持っていなければならず、それはつまり英霊の中でも上位層に入る者でなければ彼を傷つけることができないという反則級の防御宝具である。
しかし、相対する“赤”のランサーの槍は一撃ごとに“黒”のセイバーの身体に傷を作っている。それは治癒魔術で即座に塞がる程度の傷でしかないが、あのサーヴァントの槍は、真名解放せずともAランクに届く威力があるということである。
さらに、“赤”のランサーが纏う黄金の鎧は、『
共に相手の攻撃が致命傷にならないほどの防御力を有し、技量はほぼ互角。
その結果、“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは均衡し、勝敗がつくことなく夜を徹して行われているのである。
「ルーラーか」
アーチャーはスクリーンに映し出された映像に表れた少女を見た。
腰まで届く金色の髪を編んだ少女で、見た目は人並みはずれた美しさであることを除けば一般人と変わりない。なんといっても服装が現代風なのだから。
この戦いの元凶とも言うべきサーヴァント。
聖杯戦争が破綻しかけたときに召喚されるというイレギュラークラスのサーヴァントである。
アーチャーも、聖杯から与えられた知識でその存在を知っていたが、まさか召喚されるとは思わなかった。
「味方に引き込めれば御の字だったが、そう上手くはいかないか」
「少なくとも中立に徹することが分かっただけ、よかったでしょう」
アーチャーとフィオレが小声で話す。
「それに、どういうわけか相手はルーラーを始末するつもりだったようだしな」
「ええ、そこが不思議なのですが、どういうことなのでしょう」
「さてな。もしかしたら、ルーラーが強権を発動するほどの反則を犯しているのかもしれん。注意は必要だろう」
ルーラーは単騎で聖杯戦争を管理するだけの権限が与えられているという。
それだけの力を持っているのだから仲間に引き入れたいと思うのは当然のことである。しかし、いきなり攻撃を仕掛けるというのはどうにも解せない。
強権が自分たちに振るわれることを恐れて、可能性から潰そうとしたとも取れるが、だとしても早急すぎる。
ゴルドによれば、問答の余地なく殺しにいったようだし、“赤”の側には、何か後ろ暗いものがあるのかもしれない。
映像の中で曙の光が夜闇を払っていた。
二騎はどちらともなく武具を収め撤退する。締め切った室内には、朝日も入ってこない。時間の感覚を掴みづらい環境だが、映像から朝が訪れたことが分かった。
「また徹夜だったな、マスター」
「ええ、本当に。魔術師としては当たり前なのでしょうけど、お肌が荒れてしまわないか心配です」
アーチャーはいつも通りにマスターの車椅子を押す。
召喚されてから、ずっと車椅子を押すのはアーチャーの仕事である。
二人の関係は、他の組に比べても良好だ。
対等なパートナーという形で戦いに臨めている。
どのようにサーヴァントと接するべきかはマスターたちが頭を悩ませるところで、ダーニックのように傅くことで関係を良好にしようとする者もいれば、ゴルドのように一切のコミュニケーションを拒否する者もいる。
そういった中で共に信頼しあうというところまで早々に行き着いたフィオレは運がよかった。
彼女の性格とアーチャーの性格が上手く噛み合った結果である。
自室に戻ったフィオレは、アーチャーに頼んで薬を用意してもらう。
「確か、これでよかったか」
「はい、ありがとうございます」
アーチャーが用意した薬湯と粉末状の薬を確認してから、フィオレはそれを呷るようにして飲んだ。
「足の痛みを和らげる薬だったか」
「ええ、そうです」
フィオレは頷いた。
彼女の足は、生まれつき動かない。病気ということではなく、変性した魔術回路の影響だ。そのため医学では回復させることができず、二本の足で大地を掴むには、魔術回路を取り去らねばならない。だが、魔術師であることを捨てるわけにもいかない。
そう、故にフィオレが聖杯に託すのは、魔術回路をそのままにした足の治療である。
人としての身体機能を取り戻しながら魔術師として最高峰を目指す。それが、フィオレの望みなのである。
「アーチャー」
フィオレがアーチャーを呼ぶ。
手を広げているのは運べというパフォーマンスか。
フィオレの意図を汲んだアーチャーは、彼女を抱きかかえて、ベッドまで運ぶ。
両足が使えない彼女にとっては、車椅子からベッドに移るだけでも一苦労。普段はゴーレムなり使い魔なりに手伝わせていたが、今は頼れる執事がいる。
それに、アーチャーとしても頼ってもらえるのは、悪い気がしない。
「薬が効いてきましたので少し眠ります。アーチャーは自由にしてください」
「分かった。では、お言葉に甘えるとしよう」
アーチャーはマスターの眠りを妨げないように、そっと部屋を後にした。
□
フィオレの私室を後にしたアーチャーは、真っ直ぐに自室に戻った。
扉を開くと、やはり、
「ライダー。やはり来ていたのか」
少女とも思える愛らしい外見をした少年騎士がいた。
「アーチャーか。驚かせないでよ」
「私が扉の前に立った時点で気付いていただろう」
「まあね」
チロッと舌を出してライダーは言った。
アーチャーはベッドの傍まで歩み寄る。白銀のホムンクルスがそこにはいる。
薄らと目を開け、アーチャーを見る。
「まだ夜明けだが、起きているのか」
ホムンクルスの少年はゆっくりと頷いた。
今現在、この要塞内で彼の味方と言えるのはライダーとアーチャーのみ。こうしてアーチャーの私室に匿われていなければ、一日と生きながらえられないだろう。
今の彼は、それだけ脆弱な生物だった。
「ホムンクルスは生まれながらに完成しているというが、やはりそれは知識面のみか。肉体面は鍛えなければどうにもならん」
これが、戦闘用のホムンクルスであれば、また別だったのだろうが、彼は特別な調整を施されたわけではない。強いて言えば、より多くの魔力を搾り取れるように多少は生命力を強く設定されているが、それだけだ。
外で生きることを想定されていない身体は、赤子に比肩する脆弱さとなっている。
長くて三年という寿命を、どのように生き抜くか。
彼もまた、サーヴァント同様自分の運命と戦わねばならない。
「まずは自分で逃げられる程度に体力をつけることが重要だな」
「歩く練習だね。ボクも時間を見つけて付き合うよ」
アーチャーの言葉を遮る形でライダーがホムンクルスに言った。
アーチャーは苦笑して、
「聞いての通り、ライダーが付き合ってくれるそうだ。ああ、何か困ったことがあれば彼に聞くといい。今さらだが、彼は面倒見はいいようだからな」
「え、そこでボク任せか」
「君が拾ってきたのだろう」
「まあ、そうだけどね。ボクはこの通り理性が飛んでるからね。あまり頼りにならないと思うよ」
ライダーは軽い口調で言う。
犬猫のような扱いだが、実際にそうだから仕方がない。
それに、ライダーは責任感のないおちゃけたサーヴァントのようだが、やると決めたことは命を賭してやる。
後先を考えないから様々な騒動を引き起こす種となる。
だが、そのすべてが善行なのだ。巻き込まれた人間は苦労することになるかもしれないが、ライダーにとっては紛れもなく善を為しているのであり、間違っても自分が悪いことをしていると考えることはない。
そういう思考がそもそも存在しないのだ。
それも、彼が英雄たる由縁だろう。
そして、あらゆる条件を度外視して目の前の問題に取り組むライダーだからこそ、ホムンクルスは救われた。
「ライダー。彼にとって、君は正義の味方なのだ。ならば、それは最後まで貫き通さねばなるまい」
「正義の味方かー。なるほど、だったら頑張らないとね! うん、それじゃ早速練習だ。ほら、君立って!」
ライダーは意気揚々とホムンクルスをベッドから引っ張り出そうとする。
「なるほど、朝早いからこそマスターたちやキャスターの監視も緩む。歩く練習には最適な時間帯かもしれないな」
などと、アーチャーは言って、ホムンクルスに助け舟を出すことはなかった。
■
今までにサーヴァント同士がぶつかったのは二度。
一度目は“黒”のキャスター及び“黒”のアーチャーと“赤”のセイバーの戦い。
二度目は“黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦い。
どちらも、英雄の戦いと言うに相応しいものだった。
遠くに見えるミレニア城砦に篭城する“黒”の陣営。相対するは“赤”。その“赤”の陣営の中で唯一マスターとしてサーヴァントたちの前に姿を曝しているのが聖堂教会から派遣された監督役兼マスターのシロウ・コトミネ神父である。
彼はアサシンのマスターであり、他の魔術協会から派遣されたマスターたちとサーヴァントたちの間に立ち、指示を与える役目を担っていた。
サーヴァントが召喚されたときからずっと。
そのため、“赤”の陣営のサーヴァントたちはセイバーを除いて自分のマスターを見たことすらないという異常な状態が続いているのである。
そのシロウ神父は、イスに腰掛け資料に目を通していた。
二度の小競り合いで、得た情報を纏めたものである。
彼が召喚したアサシンは鳩を使い魔とし、その監視網はルーマニア全土に及ぶ。さすがに、結界に守られた敷地には、ただの鳩では入れないが、二度の小競り合いはどちらも鳩の目で見ることができる場所で行われた。
“黒”のキャスターは姿を見せていないものの、ゴーレムを操る魔術を得意とする英霊だということは分かる。ゴーレム使いの英霊に絞れば、候補だけは挙げることができるだろう。
“黒”のセイバーは驚異的な剣士だった。その防御力は、“赤”のランサー――――カルナの黄金の鎧に匹敵する。
「さすがはジークフリートと言ったところですか」
シロウは使い魔を通して視た戦いを振り返る。
あの剣士の頑丈さは、常軌を逸している。だが、それもジークフリートであれば、納得がいく。“黒”の陣営は、ランサーとして召喚したヴラド三世と同様に非常に知名度の高い剣士を呼び寄せている。
もっとも、セイバーとランサー以外のステータスは平均程度。半世紀もの時間をかけて用意したにしては、召喚されたサーヴァントは低スペックだ。
ユグドミレニアの宣戦布告を聞いてから聖遺物を準備した魔術協会のほうが、優秀な英霊を手に入れているというのは、なんとも情けない話ではないか。
「さすがはマスターじゃ。セイバーの真名をすでに把握したか」
シロウの傍らに実体化したのはアサシン。
女の色香を振り撒く、黒の魔女。
「ジークフリートか。厄介な相手じゃな」
「ええ、ですが。それだけです。セイバーがジークフリートだったことで、少なくとも“黒”の陣営の上位二騎ではこちらのライダーを倒せないことが確定しました」
“赤”の陣営が誇る二騎の大英雄。一騎はインド神話の太陽英雄カルナ。太陽神の息子であり、現代でもインドでは最大級の知名度を誇る英雄の中の英雄。そして、もう一騎、“赤”の陣営には、カルナに匹敵する大英雄が控えている。
「それと、真名が分かっておるのはアーチャーか。なんという英霊なのじゃ?」
「……」
アサシンに問われて、シロウは困ったような笑みを浮かべた。
そもそも、この問答からしておかしいのだ。
“黒”のセイバーはマスターからの命令で一切言葉を発することを禁じられている。肉体の頑丈さから真名を推測することは可能かもしれないが、宝具も使っていないこの状況で、相手の真名を断定するなどありえない。
だが、シロウは“黒”のセイバーをジークフリートだと断言し、アサシンはそれを疑うことなく“黒”のアーチャーの真名まで分かっているという前提で話を進めようとしている。
「どうした、マスター。まさか、セイバーの時と同じくあのアーチャーが真名秘匿のスキルなり宝具なりを持っているとでもいうのか?」
「いえ。そういうわけではないのですが、聊かイレギュラーなことなので困惑しているのですよ」
女王として君臨した彼女は、人の嘘偽りを見抜くセンスがある。ランサーほどではないにしても、人を見る目には自信がある。だから、シロウが嘘を言っているわけではないと察し、どういうことなのかとシロウの言葉を促した。
「彼の真名は
「何?」
アサシンは不審げな表情をする。
一目でサーヴァントの真名を見抜いたということもおかしいが、それが可能であるとして、サーヴァントを知らないなどということがあるだろうか。
サーヴァントはすべて歴史に名を残した偉人だ。歴史を遡れば神話なり物語なり歴史書なりに名前が挙がっている。人々に知れ渡らねば、英霊には至らないからだ。
これが、歴史や神話に興味のない一般人ならばまだしも、聖杯大戦に関わるマスターが知らないということはよほど無名のサーヴァントということになるが、それに関してもこのマスターに限ってありえない。
「それで、“黒”のアーチャーの真名は?」
「エミヤ・シロウというようですよ。ああ、ファミリーネームが先ですよ」
「エミヤ・シロウ? 確かに知らぬ名じゃ。聖杯からの知識にも、そのような英霊は存在せぬ。しかし……」
アサシンはシロウ神父に意味ありげな視線を送る。
「マスターと同じ名じゃなあ。くっく、同郷かの」
「偶然でしょう。まあ、おそらくは日本の英霊なのでしょうが」
“黒”のアーチャー。
真名を明かされて尚、正体不明のサーヴァント。
スペックは低いものの、そのありえない立ち位置が一層不気味に思われた。