祈りとは届くのか
誰に祈るのか
物か?人か?
神なのだろうか
祈るという人の行為は、精神の守護である。
縋り付く物が人間には必要だ。それは神であっても、人であっても対象は何でも良い。人それぞれの感性であるからして、私たちが祈るものを想像することは価値を持つ。
どれだけ綺麗な景色であろうと
どれだけ美しい絵画であろうと
私たちの心は何にも縛られない。
しかし私たちは自ら縛るのである。法や則の在り方に数多の思考を巡らすことは、縛ることの何物でもない。ルールやマナーを課すことで自分を律するのだ。
自由とはなんなのかを考える時、私たちは好きなことをすることが、好きなようにすることが自由だと考える。ただ思想の中で、律するものがあって初めて自由は形成されると語る者もいる。
ある意味その様に考える事自体が私たちの自由なのではないか。そう思うのだ。
自由の女神のように、そこに降り立った独唱曲の狭間のダンスタイム
青空を見上げる逡巡の一息
深淵のような海に身を投げる遅いようで早いような時流し
横殴りの雨の中でタバコを吸うホームレスが歩んだ歴史
買い物帰りの主婦が微笑む風景をフォトフレームに入れて保ちたいと思う家族の心
年の瀬に恋人と過ごす秒針を刻む点と線
散らばり消える花火の儚さに涙を零す白鳥の痕跡
赤子を抱きしめるその手
その手で人を殺めた殉教者
自由とは平等か?否。
死と生の板挟みである私たちは平等ではない。
死に向かって生きる惨めなこの心は、命を持つもの全てにあてはまる。
一歩に重きを置き、進まず立ち止まることを恐れ、境遇に泣き喚き、望みを絶つ感傷。
進め、進め、我らの先は長い。
そう信じて前に進んだ愚か者は鉛玉に撃ち抜かれ消えていった。
戦い争うことが平和を生み出すというなら私たちのこの生活は地平線に向かって伸びる陽光の対角線に引かれた惨殺死体と同様だ。
死の上に生があるのか
生の上には?
分からない
思考の渦につままれて、私たちは息を潜める。
天と地の境にこれほどの絶景があるというのに、精神と頭脳の間には生臭い血みどろの墓石がゴロゴロと転がっている。
美意識に支えられたこの心の内を、どう表現しようか。
神様
助けてください
殺してください
救ってください
生きることから
死ぬことから
そんな祈りは届かない
神はいない、いるはずがない
居ないことの証明はあるのか?なんて無粋なことを聞くな
神がいるなら私たちは生まれてこなかったはずだ
ゴミを生み出す必要性がない
神を信じる愚か者共よ、恥を知れ
全ては自分のせいだ
何者かの力が働いた?
理解不能な奇跡?
そんなことを言っているから
歌を歌い、祈るんだ
そんな暇があるなら
自分に、自分へ
『生きろ』