速水奏と高垣楓が紆余曲折を経て【自主練室】で行為に及ぶような仲になってからというもの、二人は暇さえあれば口と体、なにより心でのやりとりを楽しんだ。
さすがにデビュー以前から【自主練室】に入り浸り、遂にはトレーナー代理として鍵まで預けられるまでになった三船美優と和久井留美の万年熟年夫婦程ではないにしろだ。
昼は言葉と仕事の成果で、夜はその体で優劣を競ったこともあれば、オフの日など丸1日相手の趣味に付き合い心を通わせる過程を楽しむこともあった。
ともかく、それぞれ別方向に濃い性格の二人が付き合いだして以降決定的に拗れる事がなかったのは、「二人だけの時間はお互いだけを愛する」という最初に二人で取り決めた唯一の約束が守られていたからであった。
それが今日、いとも簡単に破り棄てられたとあっては、奏が怒り心頭になるのも当然の話である。
尤も、奏の頭脳は既に冷静を取り戻しつつあり、代わりに湧きあがるのは今晩と明日丸1日、楓をどう屈服させ、反省させるかという嗜虐的なものばかりだ。
そこに水を刺すのは一通のメール。プロデューサーからの業務連絡であった。
『明後日の二人のお仕事を見学して後学の糧にしたいとありすちゃんが言ってるけどどう?楓さんは問題無しだってさ。
奏ちゃんも問題無いなら打ち合わせの為にこの後ありすちゃんが実家に招きたいって。両親は不在らしいし、明後日は普通に出勤すること。
追伸 また何かトラブル起こしたんだって?ありすちゃん物凄く心配してたから、二人で仲良しアピールして不安を解消してあげなよ。』
問題無しの返答を送りながらも、奏は頭脳を巡らせる。ありすの前で楓を弾劾し吊し上げるのはプロデューサーの気遣いを無下にするし、何よりありすの教育に良くない。
言外に泊まる許可こそあれど、夜の楽しみはお預けになりそうであった。
奏が橘家の邸宅を訪れたのはこれが初めてという訳ではない。複数の共演を経て友好を深めるうちに、お互いの家に泊まりに行くことも珍しい事ではなくなっていた。
しかし、楓も居るとなれば話は変わってくる。ありすをはじめとした橘家の皆さんにご迷惑をかけていないことを祈る他無かった。
インターホンを鳴らすが反応がない。やはり楓がなにかやらかしたかと思うと、当の本人が現れ奏を家に引きずり込んだ。
「奏ちゃん、いいところに。助けてください!」
「待ちなさい、色々聞きたいんだけど、ありすちゃんはどうしたの?」
急かす楓に背を押され、リビングに入った奏はその惨状に言葉を失った。
テーブル一帯の床には液体を拭った痕跡があり、アルコールの匂いは多少薄まっている。下手人は楓が持ち込んだであろう酒瓶だ、ここまではいい。
何故その下手人がソファに胡座をかいて座る家主一家の娘に抱えられているのだ。その上、こちらを睨む眼光は鋭い。
大方フローリングの溝に躓いて酒を浴び、アルコールに当てられたのだろう。
「奏さん遅いですよ!折角楓さんを反省させてたのに本人が居なかったら話にならないじゃないですか!」
「……楓、貴女ありすちゃんに怒られてたの?」
思わず二人の時だけと取り決めた呼び捨てを使うが、そんな事に気を向ける程今宵のありすは冷静ではなかった。
「楓さんったら酷いんですよ!色んな女の人とえっちなことして、もう何人とえっちしたか忘れたって言うんです!
事務所の人達ともえっちしたって言うんですよ!」
言葉を区切る旅にソファーに酒瓶の底を叩きつけ、内包物が宙を踊る。楓が悲しげな表情を浮かべるも、それすらもありすの憤怒に薪を燃べるだけであった。
ありすは余程アルコールに弱いのか、冷静で鋭利な思考を目標として掲げる彼女とは思えない程に正体をなくしていた。飲んだ訳でもなく、浴びたアルコールだけでこれとは酒乱の才能があるのではなかろうか。
これはプロデューサーを通して健康診断でアルコールテストを行う様に進言するかとも思いながら、口では赤ら顔で睨みを効かせるありすを宥めようと画策する。
「あらあら、レディがえっちえっちと連呼するのはどうなのかしら。少し落ち着く事よ。」
「奏さんも奏さんですよ、何を他人事みたいに言ってるんですか!
楓さんから聞きましたよ、昼間のお二人の喧嘩、えっちの最中に楓さんが奏さんを怒らせたからなんですね!?」
余計な事を洩らしたなと恨みの籠った視線を楓へと送るその前に、二人とも、ここに正座してくださいと言うありすの威圧感に負け、ソファの前に肩を並べて正座する。
「楓さん、いつも奏さんとどうでもいいことで喧嘩したり勝負して、それに託つけてえっちしてるんでしたよね。」
「…それは、その…はい。」
楓の肯定を見たありすは大仰に呆れた様な仕草を取ると
「楓さん、私が今日の昼から話を聞くさっきまでの間、どれだけお二人のことを心配していたかわかりますか?
私だけじゃありません、瑞樹さんや談話室に居た皆さん、【自主練室】の美優さん留美さん達だって、お二人の心配をしてくださったんですよ!
今日だけじゃありません、瑞樹さん達はお二人のえっちのための喧嘩や勝負に、毎度毎度付き合わされて振り回されてきたそうじゃないですか!自覚してますか!?」
堰を切ったが如く、止めどなく続く正論の数々。それを一回り以上年下のありすから言われるのは流石の楓でも堪えた様で、神妙な顔で項垂れる他無い。
続いてありすは奏に顔を向ける。
「楓さんが色んな女性とえっちしてるのは周知の事実だそうですし、奏さんも知ってたんでしょう?笑って流せる問題ではないでしょうけど、少なくともここまで大事になったのは奏さんの反応のせいではないですか?」
否定の余地が無かった。
更に自己分析を付け加えるなら、談話室を通り抜けたのも良くなかった。あれによって今回のトラブルを衆目に晒す事になったのは間違いないのだから。
しかしこちらにも言い分はある、そう奏が口に出す前に、ありすは更に畳み掛けた。
「そもそも、奏さんは悔しくないんですか?
何処の誰の名前を出したのか私は知りませんし知りたくもありませんけど、奏さんとえっちしてる最中の楓さんが思い出すくらい思い入れのある人でしょうね。
何で自分じゃなくてその人なんだって欠片も思わなかったって言えますか?
…悔しくないんですか。」
だめ押しの問いが、奏が一度は押し込めた楓への憤りを再点火させた。
「…悔しいわよ、悔しくないわけないじゃないの!
二人の時はお互いの事だけを考えるって約束とか、よりにもよって事の最中にそれを破ったこととか、そもそもその人は何処の誰なのかとか、言いたいし聞きたい事はいくらでもあるのよ!」
悲鳴に限りなく近い怒声でありすに返すと、ありすは満足気に頷くと立ち上がる。
「じゃあそれを今から楓さんに聞いてください。
私は空気が読めるのでシャワーでも浴びて時間を潰します。ベッドは私の部屋なり客間なり好きなところのを使ってください。」
言うが早いか、ありすは部屋を後にした。最後まで酒瓶を抱き抱えながら。
結局、リビングには気まずい空気のまま隣合って正座する二人が残された。
「…客間を借りましょうか。」
「…ええ、そうね。流石にありすちゃんの私室を使う訳にもいかないでしょう。」
そうして奏は、漸く楓との夜の楽しみにありつくことが出来たのだった。
(続く)
思いの他筆が進むので続きを投稿。
書けば書く程場面が思い浮かび、その上脳内のありすがよく喋ること。
お蔭で前後編の筈が中編が生えてきて、しかもありすの独壇場となりました。
タグにキャラ崩壊も付けた方が良いのかも…