うちはイタチと賢者の石   作:おちあい

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1986年12月

最初に彼が普通でないことに気付いたのは兄である。

決してわざとでは無かった。やっと走れるようになり、ある程度言葉を話せるようになったばかりの彼を抱いていた兄は、手を滑らせて彼を落としてしまった。

しまった、と思った時にはもう遅い。兄が弟に目を向けた時、彼は床に叩きつけられる直前だった。

しかしたまたま、運の良いことに、彼は足を床につき、その後きょとんとした顔で尻餅をついた。

頭から落ちていたら死んでしまっていたかもしれない。兄はほっと胸をなでおろした。

その一か月後の話だ。兄の機嫌は最悪だった。修行が上手くいかず先生には殴られ、才能が無いとまで言われてしまった。

物にあたれば先生にもっと殴られる。このイライラをどうしてくれようかと思っていたところで、彼の寝かされているベッドが目に入った。

今は毎日ゴロゴロしているだけのこの弟も、あと数年すれば自分のように毎日怒鳴られ殴られることになるのだろう。

誓って言える。弟の事は可愛いと思う。嫌いな気持ちなんてこれっぽっちもないはずだった。

だけど何故だろう。兄は無意識に両手を彼の脇の下に入れると、ベッドから自分の顔の高さまで彼を持ち上げ、床の上でその手をぱっと離した。

弟は当然床に落下していく。そしてこれまた偶然か、彼は今回も足から床についた。今度は尻餅することなく、そのまま自分の足でしっかり立っていた。

彼の目に怒りや悲しみの色は無い。不思議そうな、きょとんとした目でまた兄を見つめていた。

兄はつまらなくなって弟を床に放置したまま部屋を出て行った。

 

その夜、ぐっすりと眠っていた兄は激痛に目を覚ます。右手が焼けるように痛い。

何事かと思って目を開けると、自分の胸にちょこんと座っている弟の姿が目に入った。何かを頭の上に振りかぶっているようだ。

キラリとそれが光った事に気付いた時にはもう遅い。弟の振りかぶったそれは兄の左手に突き刺さっていた。

兄がはっとして自分の左手を見ると、驚いたことに自分の左手はナイフに貫かれていた。右手を見てみると、なんと右手もナイフに貫かれている。

弟に目を移すと、彼は3本目のナイフを両手でたどたどしく構えたところだった。しかし彼はそのナイフを振りかぶることをしなかった。

殺意も憎しみも何もこもっていない、ただちょっとした疑問があるとでも言いたげな目で兄を見つめている。そして兄が目覚めてから初めて弟は口を開いた。

「なんで殺さなかったの?」

彼は心底不思議そうな目で兄に問うのだ。

兄としては訳が分からない。殺す?誰が?誰を?殺さなかった?何のこと?怖い怖い怖い怖い…。

あまりに非現実的な状況に頭がついて行かず、麻痺していた兄の体はここにきて恐怖により正常に働きだした。同時に両手の痛みも襲い掛かってくる。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

叫び声と泣き声が入り混じったような絶叫に、使用人や近所の人々が何事かと部屋に押し寄せてきた。

部屋に入ってきた大人たちが見たものは、両手のひらをナイフに貫かれ泣き叫ぶ兄と、その兄の胸の上にすわり、不思議そうな顔でナイフを持っている弟の姿であった。

慌てて医者を呼び両手の傷を診せたが、もう二度と兄の手は剣を握ることが出来なくなっていた。

大人たちは当然彼を叱った。「これはおもちゃじゃないんだよ」「君はお兄ちゃんを殺してしまうところだったんだよ」と。

彼は首をひねり相変わらずきょとんとしている。どうやら悪いことをしたという意識が無いらしい。

さてこれは怒らないと、と大人たちが思ったところで彼が言葉を発する。

「なんで、俺の事を殺さなかったんだろう?」

大人たちは困惑した。この子供は一体何を言っているのだろうかと。殺そうとしたのは弟のこの子ではないか。

「ちょっと失礼」

いつからそこにいたのか、大人たちが振り返ると、開かれたドアに背中を預けて腕を組んでいる男の姿がそこにはあった。背がひょろっと高く、綺麗な金髪が暗闇でも目立っている。

「ぎ、行者の方の手を煩わせることは…!」

まだ20代中盤に見えるこの男は、他の大人達より立場が上らしい。

男は彼に近づき、しゃがみこみ彼に目線を合わせる。

「俺がお前の疑問に全て答えてやる。だがその前に俺の質問に答えてくれないか?」

金髪の男は彼ににこやかに話しかける。彼はこくりと頷いた。

「何でお兄ちゃんを刺したんだい?」

金髪の男と彼の問答が数回続く。それにつれて周りの大人たちの顔からは血の気が引いていく。金髪の男の顔も少しだけ引き攣っていた。

 

「なあ?俺はおかしいのか?」

 

彼が周りの大人たちに目を向けると、その大人たちは震えあがって彼を指さし口々に叫んだ。「化け物だ!」「人の皮をかぶった悪魔だ!」「なんと恐ろしい」

大人たちは顔面蒼白。恐ろしくなって部屋から蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

大人たちとは違い、金髪の男は笑いを必死にこらえようとして顔をひきつらせていた。思わぬ場所でお宝を見つけたような、そんな言いようのない興奮に身を震わせていたのだ。

 

--

 

「ロニーの兄貴よ。それでそのガキはなんで兄を刺したんだと思う?」

「うーん、見当もつかないよ」

「曰くな、『俺を命の危機がある高さから落とした。一度目は事故だと思い見逃したが、驚くべきことにもう一度俺に同じことをした』と」

金髪の男は続きを話したくて仕方がないらしい。ロニーと呼ばれた男の顔を覗き込むように目をキラキラさせてしゃべってくる。ロニーは苦笑をしながら付き合ってあげることにした。

「それで?」

「『と、言う事は俺を殺すつもりだったってことだろう?』と俺に言う訳よ!」

「それでお前は何て答えたんだ?」

「当然『その通りだね!』って笑顔で答えたに決まってるじゃねえか!それでよ、『だから殺そうと思った。当然だよね?』って無垢な瞳で見つめてくるのよ。正直俺もゾッとしたね」

「だが一理ある」

「まさに!殺されそうになったから殺し返す。単純な理屈だ!けどな、いざ殺しに行こうってなった時にちょっと気になったんだってよ。」

「成程。それが『なんで殺さなかったの』という質問の真意だったと言う事か」

「ご名答。『俺を殺そうとしたんだから、“俺に殺されることが分かっているはずなのに”何でしっかり殺さなかったんだろう』って疑問に思ったんだとさ。『だからいきなり殺さずに、ちょっとベッドに張り付けて質問しただけなんだ』ってよ。『いきなり殺さずに、一応話を聞いてあげてから殺そうとした俺って優しいよね?』って真顔で俺に言うんだよ」

「周りの人たちは面食らっただろうね」

クスクス笑いながらロニーは金髪の男の話の続きを待つ。

「ドン引きもドン引き!このガキは里の奴らの手には負えないと判断して屋敷に引っ張ってきた訳よ!」

「その判断は?」

「大正解!リチャード様のテンションがあんな高くなったの初めて見たぜ」

「それで、その子を連れて来たのが2年前と言ったっけ」

「あぁ、年が明けたばっかの頃だぜ」

「で、その騒動の時、その子は何歳だって言ってたっけ?」

金髪の男はニヤリと笑う。

「ロニーの兄貴、驚いてずっこけないでくれよ!」

 

 

「3歳の頃だ」

 

 

「と言う事は今彼は単純計算で5歳な訳だよね」

「おっしゃる通り!」

「もう一度だけ言うよ?」

金髪の男は答えない。やれやれと肩を竦めながら、本日3回目になるその質問を待った。

 

 

 

「そのレティシアって5歳のガキに、リチャードの親父以外のファロットが全員ボコボコにされたってのは何の冗談だい?パトリック」

 

 

 

金髪の男、パトリック・ファロットは応えなかった。代わりに、パトリックが開けた扉の奥からまだ幼い子供の声が聞こえてくる。

「あんたがロニー・ファロットか」

ロニーは笑顔で応える。

「そうだよ、よろしくね。レティシア・ファロット」

その日レティシアは、5歳にしてリチャードの次のファロット一族の長になることが決定した。ファロット一族700年の歴史の中でも異例中の異例の出来事であった。

 

--

 

1986年12月

 

レティシアからの手紙がリチャードに届いた。

手紙の内容は以下である。

「結果から言うと、影の皆殺しは非常に困難である。原因は1つ、うちはイタチの存在。

来年の夏までにうちはイタチを殺せる確率は五分といったところ。その後影を皆殺しをするとなると厳しいものがある。

そしてうちはイタチの成長スピードは自分から見ても異常である。

ファロットをもってしても、自分以外の行者では来年の夏には手も足も出なくなる可能性がある。

可及的速やかに人員を増やし、この冬中に一気に片を付けるべき。

ロニーか、それに準ずるレベルのファロットの追加を要求するものである。」

当然このまま書いてある訳ではない。暗号により、ファロットの一族以外には読めないものになっている。

リチャードは少し唸る。

ロニーとはレティシアの次に有能なファロットだ。彼は今10人のファロットを引き連れてソビエト社会主義共和国連邦にて連邦崩壊のための裏工作を行っている。春頃にチェルノブイリ原発の事故を成功させ、5年以内にバルト3国を独立させる手筈だ。

中東の小国の戦争とは規模が違う、正に今のファロットのメインとなる仕事だ。

とてもじゃないが、傭兵殺しごときにロニーは渡せない。

かと言ってレティシアやロニーに準ずるレベルのファロットも存在しなかった。決してファロット一族の人材が不足している訳でも、レベルが低い訳でも無い。

レティシアとロニーのレベルが高すぎるのだ。力の差がありすぎると、連携は上手くいかない。

リチャードは少し悩んだが、結局、増援は送れないとレティシアに手紙を出すこととした。

 

--

 

「悪かったな。遅れちまって」

確実に悪かったとは思っていないだろう。ヘラヘラと笑いながらレティシアはイタチに近づいて来た。イタチも別段怒っている様子は無い。いつも通りのポーカーフェイスで淡々とレティシアに言葉をかける。

「始めようか…」

 

イタチとレティシアによる修行。

レティシアはシアンを、イタチは幻術とその他の忍術をお互いに教えあっている。

圧倒的な実力者2人の修行は、実のところ驚くほど上手くいっていなかった。

「だからさぁ。そんな俺を警戒してたらシアンの発動なんて無理なんだって」

そもそも修行には信頼関係が必須である。弟子は師匠を信じ、完全に無防備にもなる。

イタチとレティシアは敵同士なのだ。その相手に隙を与えるなんて本能に近いレベルで不可能な事であった。

 

必然的に術の理論と修行方法を教え合い、1人で修行することになる。そして次会った時に疑問点を解消したり次の修行に進んだりする。

ありえないほど非効率的なうえ、普通の人間にそんな事は無理だ。だがこの2人は普通の人間ではなかった。

一度コツを掴んでしまえばスポンジが水を吸収するように、彼らはその技を身体で理解していった。その日もお互いの途中経過を報告し合い2人は別れた。

 

イタチとレティシアが出会ってからもうすぐ4ヶ月になる。

暖かい地域とはいえ、イランの冬も寒い日には0℃近くの気温になる。大地には寒風が吹き荒び、容赦無くイタチの身体に襲いかかった。

厚着をしているようには見えない。かと言って寒がっていうようにも見えない。

事実イタチは寒さなど感じてはいなかった。目を閉じたまま微動だにせず大きな岩の上で座禅を組んでいる。

 

--

 

「シアンってのはな。魔力と、大地や大気の力を融合させた力を使用した術の事だ」

淡々とレティシアが語る。

イタチとしてはある意味予想通りの力だった。

(自然エネルギー…やはり)

「魔法なんてのは結局、自分の内側のエネルギーを上手く運用して使用するものだ。だが大地や大気からそれに近い力を取り込むと、容量も増える上に体術や魔法の力も大幅に増加する」

イタチは確信した。これは間違いなく

(…仙人モードだ)

よくよくわからないものである。死んだ後、謎の世界で新たに生まれ、そこには前の世界と同じような力が存在する。いい加減頭が痛くなりそうだ。しかしここは幻術の中ではなく現実の世界であることは間違いない。

「今更だが、一族の秘術だろう。そんなあっさり教えてしまっていいのか?」

雑念を払う為だったのかもしれない。イタチはレティシアに声をかけた。

最強の一族の中で天才と言われる少年は、少し醒めた目になってその質問に答える。

「一族…一族ってよぉ。一族に執着し、ファロットという名に執着する…。馬鹿らしい。自分で自分を制約しちまってやがる…」

「…」

レティシアの言葉に対し、イタチは肯定も否定もしなかった。

 

--

 

イタチが岩の上で動かなくなってから約3分後、イタチはゆっくりと眼を開けた。

 

(やはり駄目か…)

眼を閉じている時にはできていた眼の周りの隈も、眼を開くと消えてしまう。

原因は1つだった。仙人モードになるには圧倒的に、自分自身の

「チャクラが足りないな…」

仙人モードになるには、つまりシアンを使うには自然エネルギーとバランスを取れるほどの身体エネルギーと精神エネルギーが必要なのだが、イタチにはその両方がまだ全くもって足りていなかった。

余談ではあるが、ちなみにレティシアも幻術タイプではなかったため、幻術を解くことはできてもかけることは出来ない。

もう一度だけ述べようと思う。

2人の修行は、実のところ驚くほど上手くいっていなかった。

 

--

 

それから2週間後。もうそろそろ1987年を迎えようかという年末に、影にとって最悪の知らせが届いた。

カール、クリス、アリスを含め影のメンバー60人ほどが参加したイランの大規模作戦が大失敗したとの報告だった。




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