斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。   作:蒼井夕日

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12話 年下の女の子

 選挙の当選発表から二日あいた金曜日の放課後、俺は誰もいない生徒会室に監禁されていた。

 

 会長席の机に積まれた紙束の一枚を取ってはハンコをトン。もう一枚取ってはハンコをトン。トントン、トントン…………トントントントンヒノノニトン…………と曲に合わせてハンコを押し続けて一時間。俺はもはや辛いとすら思わなくなっていた。某車のシーエムを脳内で無限再生させることで感情を無にし、俺はハンコを押すマシンになることに成功した。もう危険察知も完璧で今すぐローン組みたくなる境地にまで達している。

 

 …………この紙束札に変わんねえかなぁ。ハンコを押すことが会長の仕事ならだれでもなれるよなぁ。俺、何してるんだろ…………といい加減集中力が切れながら紙束に手を伸ばしたが、スカっと空振り。どうやらすべての書類を一掃したようだ。っしゃおら帰るぜェェ!!と勢いよく席から立ったのも束の間、生徒会室の扉が開かれた。

 

 「よお比企谷、やってるかー」

 

 ノックもせずに入ってきた白衣姿の残念美人、平塚先生の登場である。

 疲労のせいか白衣が一瞬ウェディングドレスに見えたのは絶対に黙っておこう。

 

 「ちょうど今終わったところですけど……」

 「そうか。実は別件で頼まれてほしいことがあってな」  

 「時間あるので別にいいですけど……ハンコ押せばいいんすか?」

 「…………へっ!?そっ、え、いや…………。ひ、比企谷、お前……いいのか?」

 「……?別にいいですよ。今の俺なら100枚とかでもイケるんで」

 「そんなに!?」

 

 なぜかさっきから平塚先生が動揺している。

 最初は座高より高い紙束を持ってきたというのにずいぶんな変わりようだ。

 平塚先生は髪を忙しなくいじったりけほけほと咳払いをして、伺うようにこっちを見ていた。よく見たらうっすら頬が赤くなってる。風邪か?

 と、今ありうる情報から推理していると、平塚先生は「じゃあ……」と両手を後ろへ回して一枚の紙をとりだした。

 どこにしまってんだと思いながらもそれを受け取ると、

 

 「いやこれ婚姻届けじゃねえか……。あのすいません、ハンコってそういう意味じゃないんすけど……」

 「え…………あっ」

   

 机に積まった書類を見てやっと気づいたのか、平塚先生はぶわっと顔を赤くして俺から婚姻届けを奪い取った。

 

 「な、なーんてなっ!冗談だよ冗談!いやー、こういうの忘年会とかで結構ウケるんだよなあははは!」

 「…………」

 

 果たして俺はこれを笑って見逃すべきなのか……。それともお説教すべきなのか……。

 悩んだ挙句、俺は平塚先生のためにと後者を選択した。

 

 「職場に婚姻届け持ってくるとか、いくらなんでも拗れすぎでは」

 「ぐはっ……!!」

 「自分の氏名記入と押印だけしっかりしてるところがマジでリアル……」

 「みっ、見たのか!?やめろっ……。頼む、忘れてくれ…………」

 「しかも見境なく自分の教え子にまで手を出すとは……」

 「う……うぅ……」

 

 涙目で──というかボロ泣きしながら崩れ落ちていく平塚先生に、俺は手を差し伸べ優しい微笑みを向けた。

 

 「悪いことは言いません。その子、今ここで破り捨てましょう」

 「っ!?い、いやだ!こいつとは長い付き合いなんだ!」

 

 愛娘のように婚姻届けをぎゅっと胸に抱きしめ、涙目で訴えてくる平塚先生。

 しかし俺は心を鬼にして追い打ちをかける。

 

 「出会いあれば別れありです。そして、別れがあれば出会いもあります。一旦その子とはお別れして、また先生のところに帰ってくるのを待ちましょう。きっと……いえ、いつか絶対帰ってきますから」

 「……ほんとうに?」

 「ええ、本当です」

 「…………」

 

 平塚先生は立ち上がり、涙をいっぱい溜めた大きくて綺麗な瞳を腕でごしごしと拭った。そして、その婚姻届けに優しい眼差しを向けると、

 

 

 「また…………また会う日まで……」

 

 

 そう呟いて、婚姻届けを破いた。

 静まり返る空間に、紙片と一筋の涙が滴り落ちた。

 

* * *

 

 「さて、別件についてだが」

 「あんた情緒どうなってんだよ……」

 

 破いた婚姻届けをきれいさっぱり燃やしてから数十秒。

 平塚先生はハンカチをスーツのポケットにしまうとドカッとソファにもたれかかった。まるで先ほどまで何事もなかったかのように、とぼけるでもなく涼しい顔で話を進める先生に俺はため息をついた。

 マジでさっきの茶番なんだったの?しかもちょっといい感じの感動話になってたのはなに?

 

 色々ツッコみたいところはあるが、いちいち触れていては先に進まない。俺は一度こほんと咳払いをして会長席に腰かけた。

 

 「実は他校から合同イベントの話が持ち掛けられていてな。その会議が今日なんだ」

 「急っすね。他校と合同って……そんな取り立ててやるほど重要なんですか?」

 「重要か重要でないかと言われれば重要ではないんだが、今回に関しては開催日が差し迫ってるからな。ほら、あれだ」

 「あれ?」

 「……チィッ」

 

 平塚先生は舌打ちをすると、渋い顔で指の爪をギッと噛んだ。言いづらそうというより言いたくないというその表情と、開催日が差し迫っているということからおおよその予想はついた。

 

 「……クリスマスですか」

 「あー言った!比企谷が悪口言った!」

 「クリスマスって悪口なのかよ……。クリスマスにいい思い出がないのは俺もわかりますけど、あんた大人でしょうが」

 「まあそんなわけで今日は海浜総合高校の生徒会とどんなイベントをやるか話し合ってこい」

 「んなこと言われてもなぁ……。生徒会ってこんな感じなんですか?」

 「通常であれば何ヵ月も前から折衝を重ねてからやるんだが、あちらの新しい生徒会たちがかなり意気込んでるようでな」

 

 平塚先生はこめかみに手を当てて疲れたようにため息を吐くが、そうなるのもわかる。大半の学校は、大きな行事は前期にあることが多いうえに、後期にはこれといった行事はない。だから残された予算なんて雀の涙ほどしかないのだ。そんな状況下にあるのは相手校も同じはずなのだが。

 

 「生徒会メンバー入れ替えのこの時期に差し迫ってるクリスマスイベントとか普通開催しないでしょう。時間が足りないし、今後のことも考えれば残された予算も慎重に使わなきゃいけない。よりによって一番金使いそうなクリスマスとか、皮算用にも程がありますよ。絶対あっちの生徒会碌な奴いないっすよ。断るのが賢明だと思いますけどね」

 「うむ、やはり君はしっかりと現状を理解できているな」

 「……」

 

 別になんてことはない。ただ単純に俺が面倒くさいからやらない口実を適当に述べてるだけだ。なんで俺がリア充のためにせっせ働かなきゃならんのだ。俺は働きたくないんだ。

 今回の件が水泡に帰すように、先生がなんとかしてくれないかなという希望をもって待っていると、平塚先生は右手で顔を覆い、指の隙間からこちらを睨んだ。

 

 「だが断るッ!」

 「お、おぉ……」

 

 あまりの覇気に若干気圧されてしまった。完全にジョジョじゃねえか。世代が丸わかりなんだよなぁ。

 

 「そういう窮地にいてもなお成し遂げられるかが人間の山場さ。限られた現状でどう戦うか、それを外部の者と協力してやらなければならない難しさもわかるはずだ。君の腐った根性の更生にも持って来いだろ?」

 「正論過ぎて何も言い返せねえ……。わかりました。とりあえず話だけでもしてきますよ」

 

 こうして、俺の脱仕事計画は儚くも泡沫に帰してしまったのだった……。いやまあ、平塚先生がこの話を持ち込んでる時点で俺に拒否権はないのだ。いくら会長といえど生徒。先生に反駁する権利などない。

 

 「今日は初回だから相手も生徒会長だけで来るだろう。君一人でも別にいいが、一色副会長を連れて行っても構わん。場所はコミュニティセンター、17時半集合だ」

 「了解。さすがに一人で行く勇気ないんで連れてきますわ」

 「そうか。一色はさっき奉仕部にいたから行ってみるといい」

 

* * *

 

 「こんにちは」

 「うす」

 「ヒッキーやっはろー。もう終わったの?」

 「いや、これから外に出ないといけなくてな。それで一色を探しに来たんだが……」

 

 言いながら中を見渡すが、部室にはいつも通り雪ノ下と由比ヶ浜しかいなかった。

 くそ、平塚先生め。婚姻届けの件があったから少し怒ってるんじゃないの?そうやって男に嘘ばっかつくから婚期が遅れるのでは……。

 

 「いろはちゃんならさっきまでいたんだけど、これから約束があるって行っちゃったよ」

 「ちょうど入れ違った感じか」

 

 先生、疑ってごめんね!婚期は目前だから心配しないで!

 

 「人手が必要なら、私も行くけれど」

 「いや、別に一色もいてもいなくてもよかったからいいわ。ただ他校と会議するだけだし」

 「そう、なら私もいくわ」

 「え、聞いてた?」

 

 雪ノ下はすたっと席を立ちあがるとすぐさま文庫本を鞄にしまった。由比ヶ浜もそれを見てせかせかとマフラーを首に巻いていた。

 いつも思うけど、みんな俺の話聞かなすぎじゃない?みんな僕のこと見えてないのかな。なんだか幻のシックスマンになれる気がしてきたぞっ!

 

 自分の存在感に疑問を感じつつ二人の行動に訝しんでいると、雪ノ下がさも平然とした態度で答えた。 

 

 「あなた一人で行くつもり?総武高の代表者がこんな偏屈で根性の曲がった人だと思われるのは生徒として看過できないもの」

 「……まあ別に来てもいいんだけどさ。にしても会長に対する信頼なさすぎじゃない?こうみえて、全校生徒の過半数の得票はあるんだぞ」

 「私は投票してないもの」

 「してなかったのかよ……」

 

 ここ最近で一番の衝撃事実が発覚したんですけど……。仮にも半年近く同じ部員としてやってきてこの信頼関係はどうなんですかね。でもよく考えたら信用を無くすような言動しかしてなかったわ。完全に俺が悪かったわ。

 

 「…………それに、部活に出られない時は手伝うと言ったでしょう」

 「……助かる」

 

 ぽつり、と雪ノ下がそう零す。いつだか二人を説得するときに俺が頼んだことだ。部活に出れないほど生徒会が忙しければ手伝ってほしいと。あの時は奉仕部に軋轢が生じていたからあえて気にしないようにしていた。しかし改めてその言葉を発した雪ノ下の表情は、どこか憂いを帯びたように昏く、沈んでいた気がした。ただの気のせいかもしれないと、そうやって逃げを弄してもなお残るこの違和感はなんだ。掛け違えたボタンのように、上手くかみ合わない歯車のようにもどかしいこの違和感を目の前にして、知らず俺は目を背けた。逸らした先にうつる由比ヶ浜にどこか安心感のようなものを抱いて、すっといつもの日常に戻る。

 

 「……あたしはしたけどヒッキー」

 「別にフォローしなくていいから」

 

 何故か不満げに睨む由比ヶ浜に、俺は安堵に似たため息をつく。気づけば、どうやら二人とも準備が完了したみたいだ。これから出発してもまだ集合時間より30分ほど早く着くだろうが、早いに越したことはない。なにより一人で行く羽目にならなくてよかった。

 

 部室を後にして廊下を歩きだす。平行に差し込む夕日が眩しく窓から外を眺めると、二階の高さまで伸びる枝葉が揺れているのがわかる。風に揺れて舞い散り、枝に残る葉は数少ない。取り残された葉はどの角度から見ても寂しく、互いに支えあうように重なった姿は痛ましさすらあった。

 やがて窓は壁にとって代わり、彼らの行く末は見届けられない。 

 俺は視線を前に戻し、先を歩く二人の背中を追うように歩いた。

 さきほど感じた違和感の正体に気づいていたことさえ、自覚しながらも。

 

* * *

 

 移動中に説明を済ませ、ちょうど集合時間30分前にコミュニティセンターに到着した。

 ついたころには外は薄暗い逢魔が時で、ほっと吐き出す息は煙りのように白い。

 

 「あたし小さい時ここ来たことあるかも」

 「ここは夏に七夕まつりが開催されるのよ。昔、私も来たことがあるから」

 「えっ!それじゃあたしたち昔に会ってたかもじゃん!」

 「え、ええ。わかったから、とりあえず離れてちょうだい」

 

 二人の様子を横目に中へ入ると、管理係と思われる中年女性が会議場まで案内してくれた。

 「講義室1」と書かれた部屋に入ると、ロ型に配置されたテーブルがあり、椅子の数は対面で5席ずつにわかれている。総武高からの参加者は奉仕部三人に一人加えて四人だ。電話を掛けたらものの2分でやってきた超絶暇人のその男は、俺の肩をボンボンと叩いて、けぷこんけぷこんとわざとらしく咳ばらいをした。

 

 「ところで八幡、我もリア充の仲間入りになれると聞いてついてきたがそれは本当だろうな?」

 「ん?ああ、本当だ。非リアの世界にお前ひとり残していくわけにはいかないからな」

 「は、はちまぁん……」

 

 うるうると希望を瞳に込めた材木座に嘯いてやると、すりすり頭をこすり付けてきて気持ち悪い。はなれろクソ鬱陶しい。もちろんリア充になれる話というのは材木座を呼びよせるための口実だ。何故そんなことをしてまで材木座を呼んだのかといえば、それは総武高側が主導権を握るためだ。

 外部と連携するタイプの会議においてどちらが主導権を握れるかは進行においては重要になる。合同イベントの発案者が向こう側だからといって、こちらが常に受け身にならなければならないのかといえばそうではない。

 平塚先生によれば、海浜総合高校からの参加は会長のみ。そこで俺がとった行動、それは数の暴力だ。なにか意見が飛び交えば、賛成か否かは多数決で判断することが多い。言うまでもなく参加人数の多い総武高が有利になる。

 

 俺は数という圧倒的で理不尽な暴力の強さを知っている。何故って?それは言わずもがな。察してくれ。

 

 そんなわけで材木座を呼び出したわけだ。無駄に風格のあるこいつと、場をまとめて仕切れる雪ノ下がいれば優位に話を進めることができるはずだ。

 ちなみに、この話を雪ノ下と由比ヶ浜にした時は若干引いていた。ちっげんだよ。ゲームは始まる前に終わってんだよ。先手必勝。今こそ機先を制する時だ。さぁ、ゲームを始めよう……。

 

 席について待つこと10分、海浜総合の制服をきた生徒が二人やってきた。てっきり一人で来るもんだと思っていたから虚を突かれたが、さして問題ないだろう。

 

 「やあ、僕は海浜総合高校生徒会長の玉縄。よろしく」

 「総武高の雪ノ下です」

 

 爽やかに髪をふぁさっとかき上げて自己紹介をする玉縄と名乗る男に軽く会釈する。あとは上座に座る雪ノ下にすべてまかせよう。世の男どもよ、これが本当のジゴロだ。 

 

 「早速ですが、今回のイベントの目的と方針を教えていただいても?」

 「そうだね……」

 

 玉縄はゲンドウポーズで少し考えたあと、余裕の微笑みを湛えて軽やかに口を開いた。

 

 「生徒会は新しいニューメンバーを迎えて経験が浅い。だから今回のイベントで、互いの能力のアビリティをリスペクトしあって、他校との良いパートナーシップを築いて、シナジー効果を生んでアライアンスできたらなって思うんだ」

  

 言い切って、玉縄はきりっとした眼差しを向けてきた。

 こいつのっけから良いパンチうってくるなー。

 8割がたなにいってんのかわかんなかったぞ。新しいニューメンバーとか、能力のアビリティとか同じこと言ってんじゃねえか。これが意識高い系ってやつか?うわぁこれは面倒くさい……。

 と、隣の由比ヶ浜と一緒に頭の上にはてなマークを浮かべていると、雪ノ下は平然とした顔で答えた。

 

 「……つまり、自己成長が目的と?」

 「まあ、そういうことになるね」

 

 一行でまとまっちゃったよ。すごいねゆきペディアさん。どれだけ難しい言葉でもすぐわかっちゃうんだから!

 

 「クリスマスイベントは子供やお年寄り向けのイベントだったはずですが」

 「もちろん。プライオリティは子供やお年寄りが楽しめるかどうかさ」

 「……そうですか。ちなみに、具体的な内容は決まっていますか?」

 「まだだよ。これは総武高とのタイアップイベントだからね。こちらだけで決めるより、お互い意見を出し合ってインセンティブを刺激して、よりベターな案を出す方がいいさ」

 「ブレーンストーミング、だね」

 

 相変わらず余裕の表情で語る玉縄に、隣に座る男がぱちっとウィンク。それを受けて玉縄も「それだ」と指を鳴らしてウィンク。君たち何を分かり合ってるの?こっちは全然わからないんだけど?

 

 「ね、ねえヒッキー、あの人たち何話してんの?」

 

 由比ヶ浜が俺の太ももをつんつんして小声で聞いてきた。やめてそれくすぐったい。

 

 「いや、俺もわからん。まあ、雪ノ下が全部なんとかしてくれるから心配ないだろ」

 「めっちゃ人任せだ……」

 

 残念な人を見るように身を引く由比ヶ浜の奥では、材木座が「なるほど、つまりはきのこ派ということか」などと意味の分からないことをぶつぶつ言っているが気にしない。

 

 「正直、うちの高校は予算にそれほど余裕があるわけではありません。それに加えてクリスマスまで時間も残されていないので、綿密な話し合いをするのも難しいでしょう」

 「そうだね。でも、それはスウォット分析で解決していこうよ。目先のリスクにばかりとらわれていては視野が狭まるからね」

 「スウォット分析、だね」

 「そう、それ」

 

 またもお互い顔を見合わせてウィンクからの指パッチン。

 一向に話を聞いてくれそうにないあちらの態度に、雪ノ下は疲れたようにこめかみを押さえた。このまま放っておけば泥沼化することは目に見えている。せっかく用意した人員も彼らには通用しない。であるなら、ここは強行策に出るしかない。

 

 「さっきも言った通りうちには予算がないんだ。このまま停滞するようなら合同イベント自体に参加しかねる。まだ正式な取り決めはされていないからな。…………できれば、決定権はこちらに譲ってもらいたい」

 

 言うと、さすがに二人ともばつが悪そうに口を噤んだ。

 今の会議のボトルネックは明確な決定権を持つ者がいないことにある。例え強行策だとしてもこの現状は回避せねばならない。しかし、これはあくまで脅しだ。ここで相手がノッてこなければそれまで、俺の発言は無意味なものになる。

 お互い顔を合わせて「どうしようか」と悩む二人を待っていると、背後からぎっと扉の開く音がした。振り返ると、

 

 「ど、どうもですー」

  

 気まずそうに中を覗いていたのは、一色だ。一色は上半身だけ出し、きょろきょろとあたりを見渡して俺を見つけると、ちょいちょいと手招きをした。俺は向かいの二人に軽く頭を下げてから一色の方へ向かった。

 

 「どうしたんだよ」

 「すいません、平塚先生に言われて来たんですけど……」

 

 一色はドアの外側、足元をそろーっと見下ろした。見れば、誰かと手をつないでいるようだ。気になって俺も部屋の外を見てみると、

 

 「……ん?」

 「なんかついてきちゃったみたいで……」

 「みずき?」

 「はちまん!」 

 

 一色の足元にいるのは、いつぞやの迷子少女、みずきだ。

 みずきは一色とつないでいた手をぱっと放すと、俺の足にぎゅっと抱きついてきた。

 一色が「え、隠し子?」とマジ顔で言っていた。

 

 「ちょ、おいっ」

 「八幡、ひさしぶり、です」

 「お、おう?みずき、なんでここにいるんだ?」

 「お兄ちゃんがここにいるから?」

 「兄ちゃん……?」

 

 兄ちゃんとは果たして誰のことだ。もしかして俺?俺がみずきのお兄ちゃんか?いや、しかし俺の妹は小町一人しかいないはず…………義理?義理ルート入ったのか?…………と色々考え考えしていると、後ろからずさっと立ち上がる音がした。振り返ると、玉縄が慌てたようにこちらへ駆け寄ってきた。

 

 「こ、こらみずき。外で待ってなさいと言っただろう……」

 「ごめんなさい」

 

 お兄ちゃんって玉縄かよ。確かに、髪が黒いところとか似てる。むしろそこしか似ていない。

 

 「まあいいじゃねえか。そもそもこんな小さい子どもに一人で待ってろってのも酷だろ」

 「そうだそうだ」

 「ま、まあそうか……。まさかみずきにまで言われるとは……」

 

 年の離れた妹にマジダメ出しされる兄の図ってこんな情けねえんだなと俺も妹持ちとして気を引き締めていると、玉縄はぐるんっと振り返って肩に手を置いてきた。

 

 「それより、なんで君はみずきのことを知っているんだい?」

 「いや……前に迷子センターに届けただけだよ」

 「そうだったのか。うちの妹が迷惑をかけたみたいで……。ありがとう」

 「お、おう」

 

 なんだよこいつ、普通に喋れんじゃねえか。それともさすがに妹の前で格好つけるのは恥ずかしいんですかね。

 まあ、みずきには静かに待っててもらえばいいだろう。この年齢でも礼節は弁えられる子だから大丈夫だ。俺はみずきの頭にぽんと手をおいて身を屈めた。

 

 「みずき、中で静かに待ってられるか?」

 「うん、待てます」

 

 くすぐったそうに身を捩るみずきだったが、視線を上げれば玉縄がとても怖い笑顔で睨んでました。

 

 「それじゃあ会議を再開しようか」

 

 玉縄は席に戻り、一色は材木座から少し距離を取って座った。俺も席につこうとしたのだが、みずきがブレザーの裾を掴んで離さないので仕方なく、俺が座っていた席にみずきを座らせ、俺はその後ろに立った。

 

 「ねえヒッキー、この子は?」

 

 由比ヶ浜がぽんぽんとみずきの頭をなでると、聞いてきた。

 

 「前に迷子になってたところ声かけたんだ。そしたら妙になつかれてな」

 「この子には比企谷君がヒーローに見えたのね」

 「まるでお前には悪役に見えてるみたいな言い方やめてくれる?」

 「そう言ってるのよ」

 

 雪ノ下の相変わらずの扱いはいったん無視しよう。会議の場で楽屋落ちはあまり褒められたものじゃないだろう。

 

 「それで、話の続きだけど、決定権をそちらに譲るのは……まあいいとして、なにか考えでもあるのかい?」

 

 こほんと咳払いをした玉縄が、ちらちらとみずきの方を気にかけながら聞いてくる。みずきはいつのまにか由比ヶ浜の膝の上に落ち着いたみたいなので、俺はあいた席に腰かけた。

 

 今一度、現状を整理しよう。

 決定権を有した今、いっそのこと内容を提示した方がいいように思える。

 予算を少なく済ませて、時間もたいして使わない。

 それでいて、地域の子供とお年寄りが楽しめるクリスマスイベント………………。

 

 そんなものが果たしてあるのだろうか……と顎に指をあてながら、左にすわるみずきに目を向けた。

 そういやみずきって超絵上手いんだっけな。みずきが描いたあの絵は、しっかりと俺の部屋に飾ってある。

 

 絵……?なるほど。これは、いいかもしれない。

  

 きっと、ドラマの探偵が事件の糸口を見つけたときはこんな気持ちなのだろう。 

 頭の中でピッカーンというSEが流れる中、俺はぴっと人差し指を立てて提案した。

 

 「地域のこどもたち集めて、クリスマスに沿った芸術作品、例えばサンタの絵とかなんでもいいが、そういうのを描いてもらうなり作ってもらって展示するってのはどうだ。これなら費用もそんなにかからないし、こどももお年寄りも楽しめるんじゃないか」

 

 言うと、向かいの二人も隣に座る総武高の面々も「お~」と感心したような声を漏らす。いや、我ながらなかなかにいかした案だと思う。あれ、俺ってばもしかして天才……?

 と自画自賛モードで悦に入っていると、隣の由比ヶ浜が「それある!!」と親指を立てた。

 

 「なんかそれ超うざいからやめてくれない?」

 「ひど!?」

 

 なんだろう、今の不快感……。一瞬、思い出したくない中学の過去とか思い出しそうになったけど、たぶん気のせい。絶対に気のせい。思い出してはいけない。キープアウトよ、八幡。

 

 「確かに面白い案かもしれないけど、そもそも地域の子供はどうやって集めるの?」

 「ああ、そうだな。それは俺の得意分野じゃない。……玉縄、今の案に異論はあるか?」

 

 聞くと、玉縄はぐっと悔しそうな表情を浮かべた。もっとビジネス用語をひけらかしたりしたかったのだろうが、今や決定権がこちらにある上、妹を助けてくれた相手だと知って反論するのも憚られるだろう。

 案の定、玉縄は諦めたように肩を落として隣のチャラメガネと目を合わせた。

 

 「まあ、異論は……ない……けど」

 「なら、一つ頼めるか?みずきの通ってる幼稚園か保育所かの子供たち、それが足りなければ近隣の小学校に話を通してイベントに参加してくれそうな人を集めてほしい」

 「……まあ……わかった。それはこちらで請け負うことにしよう。……あ、アジェンダ、とかは……」

 「スケジュールの作成や設備の設計、運営はうちでやる。次会議する時は学校に直接連絡するから、それまでに今言ったことと議事録まとめやっておいてくれ」

 「…………うん」

 

 粗方の説明だけ終え、俺はふっとため息をつく。説明中玉縄がずっと前髪をふーふーしていた。

 

 「それじゃあ、とりあえずは解散ってことで」

 

 俺の一言で、第一回の会議は終了となった。

 みずきに別れの挨拶だけすると、玉縄たちは会議室を後にした。

 

 「……せ、先輩?先輩ですよね?中身誰かと入れ替わっちゃったりとかしてないですよね?」

 

 席に座ってもう一度浅くめ息をついていると、一色が震えた声でわなわなと聞いてきた。何を言ってるんだこいつは。

 

 「うん、なんか今のヒッキー、ちょっと頼りがいあるかも」

 「頭でも打ったの?」

 「お前ら何なんだよ……。ちょっと生徒会長らしいことしただけじゃねえか」

 「だからそれが異常なんですよ……」

 

 ほんとこいつら失礼だな。これで失敗したとか報告すれば平塚先生に正拳突きくらうのは俺なのだ。それはマジで勘弁。アレ超痛いんだよ……。

 

 「お前らが普段俺のことをどう思ってるのかは大体わかった。…………ところで材木座は?」

 「中二?中二ならさっき、『我はもうこやつについていけぬ……』とかいって泣きながら帰ってったよ」

 「似てねえ……」

 

 由比ヶ浜が材木座の真似をして言う。結局材木座、今日全然必要なかったな。むしろデカい分邪魔だったまである。最近あいつには嘘ばっかついてる気がするし、体育の体操仲間としてしっかり謝っとかねえとなぁ。

 

 俺は帰り支度を済ませ、未だ納得しきれていない三人を置いていくように、会議室を後にした。

 

* * *

 

 「んじゃ俺買い物あるから、ここで」

 「そう。また学校で」

 「じゃねー」 

 

 駅に向かう途中で、俺は二人と別れた。

 歩きながら見つけたマリンピアを見て、そういえば小町にケンタの予約頼まれていたっけと思い出したのだ。たしかマリンピアの中にあった気がする。なければしゃあなし。ケンタのバカ、もう知らないっ!

 看板は煌煌とライトアップされていて、自動ドアを出入りする人に倣って俺も入店すると暖かい暖気がむわっと流れてくる。普段ここに来ることはそうないが、にしても人が多いなときょろきょろ店内を見渡していると、どうやらクリスマスセールでもやっているらしい。

 これはパーティーバーレルもお安くなってるんじゃないかしら……と期待に胸膨らませて歩いていると、背後から聞きなれた声が届いた。

 

 「これはパーティーバーレルお安くなってるかもですねー」

 「お前も来るのかよ……」

 「はい。お母さんに頼まれてて、せっかく先輩もいるのでおごってくれたらラッキーみたいな」

 「いや奢らんけど、絶対」

 

 もう急にこいつが後ろにいるオチは慣れた。いや、声かけられるまで気づかなかったけど。本当ならゴルゴばりに「俺の背後に立つな!」とか言ってみたいんだけど。

 

 「先輩って年下好きですか?」

 「急になんだよ……」

 「いやほら、さっきのみずきちゃん?にもすごいデレデレしてましたし」

 「あれを年下カウントしちゃったら人としてアウトだろ……。まあみずきはともかくとして、年下は嫌いではないな」

 

 なにせうちには小町という圧倒的に可愛い妹がいるからな。妹を年下扱いしてる時点で終わってるんだよなぁ。

 

 「なるほど……。それってつまり、わたしのことが好きってことでいいですよね?」 

 「思考回路ぶっとんでんの?」

 「だって、先輩が話せる年下なんて、わたししかいないじゃないですか」

 「まあそうだが……実際お前4月生まれだから、そんな年下って感じしないんだよなぁ」

 

 チャップリンと同じ誕生日だから、たしか4月16日だったはずだ。俺はこれでも人の誕生日をけっこう覚える方だ。なぜなら覚える誕生日自体そもそも少ないからだ。

 言うと、一色は少し驚いたように目をぱちぱちさせた後、赤く染めた頬をマフラーで隠すように埋めて、ふごふごと何か言っていた。店内はかなり暖房をきかせているからそのせいかもしれない。

 口元をマフラーに埋めたままの一色だったが、すっと片手でマフラーを下げて口元を見せると、

 

 「覚えててくれたんですね」 

 「っ……」

 

 きゅっと唇をかみしめて、はにかむように破顔する一色に、俺は思わず目を背けた。

 

 やばい、こいつ結構可愛いぞ……。そういう自然な笑い方もできるんじゃねえか。危ない危ない。あと1秒目を背けるのが遅れてたら完全に好きになっちゃうところだったわ。そのまま勢いで「しゅきぃ!」と告白して振られる10秒後の俺まで想像ついたわ。

 そんなくだらないことでも考えてないと、割と俺のメンタルはやられそうだった。しかもさっきまで年下だのなんだの話していたせいで余計意識しちゃってるんですけど?これはあれだ。ストックホルム症候群的なあれだ。全然しらないけど多分それだ。

 俺は熱くなった頬をマフラーで隠してやり過ごすことにした。マフラーってすごい便利……。

 

 「結構すいてるみたいでよかったですね」

 

 思考がもやもやとしていたが、目的のケンタに到着したみたいだ。

 一色はどれにしようか悩んでいたので、先に予約をぱぱっと済ませて、近くのベンチに座って待つことにした。

 別にすぐ帰ってもよかったんだが、先に予約を済ませた俺にあせあせしてる一色を見たからには待つほかあるまい。いつも小悪魔みたいにあざといくせに、そうやって素の態度とられたら何か心にぐっとくるものがある。まあそれすらも計算してるとか言われたらもう女性不信になるけど。

 

 「すいません、お待たせしました」

 「別に、じっくり選んでてもよかったけど」 

 

 予約を終えたのか、ててっとこちらへ駆け寄る一色。

 俺はベンチから立ち言うと、少しの沈黙の後、一色は両手を胸のところまで上げて、ぶんぶんと顔を振った。

 

 「……はっ!なんですか口説いてるんですか買い物を楽しむお前の後ろ姿をずっと眺めていたいとかそういうことですかごめんなさいもっとロマンチックじゃないと嫌です出直してください…………って!最後まで聞いてくださいよぉ!」

 

 途中から聞くのを諦めて歩き出す俺に、一色は「もー!」とふがふが言いながら小走りで駆け寄ってきた。

 よくもまあそんなすらすらと言葉が出てくるもんだと少し感心するが、最後に振られることはわかりきってる。そもそも告ってないんだけど……とため息ついていると、一色は背負っていたリュックを体をひねってぶつけてきた。

 

 「先輩、ライン教えてください」

 「無理」

 

 出し抜けに言って自分のスマホを取り出した一色に、俺は知らん顔して歩を速めた。




平塚先生ルートの可能性はないのでご安心ください。
誰か、誰か早くもらってあげて!

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