斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。   作:蒼井夕日

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『一言文字数』をなしに設定してみたら、評価数がちょっとだけ増えてたのでこれでよさそう!わからないけど!みなさん感想お気に入り評価誤字報告ありがとうございます!


18話 たったそれだけ

   

 「こんにちはー先輩♪」

  

 にこやかと、女神すら慄く満面の笑顔で、一色は俺たちのテーブルに歩み寄ってきた。

 さて、問題だ。一色は笑顔で挨拶をしてきただけなのに、俺の足がこんなに震えているのは何故か。

 答えは、先祖代々何千年と伝えられてきた俺の野生の本能が危機を告げているからだ。

 

 古来、我々人間の先祖たちは。

 狩猟時代には、粗末な石を鋭利に削り、獰猛で危険な動物たちに、生きるためだと割り切り果敢に立ち向かっていった。

 戦中には、自国の領土と家族を守るために、自らが命を投げ打ってきた。

 

 そのようにして生存競争を勝ち抜き、幾度もの修羅場を潜ってきた勇者たちの末裔であるところの俺にも、その魂は受け継がれているのだ。

 

 人々は言うだろう。

 現代日本国は戦争もなく平和だと。

 

 ──断じて否!!

 

 今俺の視界に映るこの恐怖を前にして、誰がそんな言葉を口にできようか。いや、誰もいない。

 一片の曇りもないように見えるこの、黒瞳。それは火を見るよりも明らかに、美しいものだと言えるだろう。

 

 しかし油断してはならぬ。

 人が人に殺されるのは、いつだってそう。裏切りによるものなのだから。

 きっと彼女は、後ろ手に包丁を持っているに違いない。

 

 俺は一色の放つ圧倒的威圧感に、足どころか全身、全身どころか心臓までもが震えあがる感覚を味わっていた。

 

 落ち着け八幡。

 ここはカフェだ。こんなメルヘンが盛りだくさんなところでは、さしもの一色といえど手は出せまい。

 もし仮に出してきたとしても、今すぐ店員が変身して、「悪事はここまでよ!くらえっ!まじかるぱわーいちごあたーっく!」と助けに来てくれるに違いない…………──。

 ……──。

 …──。

 ──。

 ─。

 

 さて。

 一色の醸し出す威圧感を500字以内で説明し終えた俺の目の前。

 由比ヶ浜は驚きのあまり、口いっぱいに頬張っていたパンケーキをごくりと飲み込んだ。

 

 「い、いろはちゃん!?」

 「結衣先輩もこんにちはですー。こんなところで会うなんて奇遇ですねー」

 「そ、そだね。えっと……」

 

 と、由比ヶ浜は一色の隣で柔らかな笑みを湛えている男子に目をやった。

 そうか。由比ヶ浜と九条は初対面か。

 

 「あ、裕君です」

 「どうもこんにちは、九条祐介です。いつもいろはがお世話になってます」

 「あ、はいこちらこそ……」

 

 気まずそうにお辞儀をした由比ヶ浜は、一色をちょいちょいと手招きして、耳打ちを始めた。

 何を話してるのかわからんが、きっと俺の悪口を言ってるに違いない。耳打ち=悪口。これ豆な。

 

 由比ヶ浜とこそこそ話を終えた一色が、今度は俺の耳元に顔を寄せてきた。

  

 「え、先輩こんなところで何してるんですか?結衣先輩を誑かしてクリスマスイブ前日にデートですか?しかもこのカップル席なんですか?もしかして付き合ってるんですか?ていうか先週わたしが言ったこと覚えてないんですか?締め切りは今日までだったはずですけどまさか忘れてないですよね?もう冬休み入っちゃってますよ?」

 

 冷え切った声で言葉を連ねる一色に、俺の背筋は自然、伸び切っていた。もうユグドラシルばりに高々と聳えていた。

 なんでこんな笑顔でそんな声出せるんだよ。ほんと怖いよぉ……。クエスチョンマークが多すぎるよぉ……。 

 と、全身ガクブル状態の俺に、由比ヶ浜が救いの手を差し伸べた。

 

 「ま、まあまあ……せっかく会ったんだし、いろはちゃんたちがよければ一緒しない?」

 「わたしは別にいいですけど……」

 「僕も気にしないよ」

 「そっか!ならよかったよ」

 

 いや、俺にも聞けよ。ちなみに俺は超気にする。なんでほとんど話したことない奴とご一緒せんといかんのだ。なんなら苦手なタイプだぞ、コイツ。

 しかしここで文句を言えば一色に殺されるかもしれないので、俺はそっと、口にチャックをした。

 

 

 …………知り合いに会いませんようにとあれだけ祈ったのに。もう絶対神信じない。神のバカ!もう知らないっ!

 

* * *

 

 「次の曲あたしだ!」

 「結衣先輩頑張れ~!」

 「……」

 

 はいはーい!とマイクを手に持ち立ち上がった由比ヶ浜の横で、俺は両手に持ったマラカスを睨んだ。

  

 何故カラオケ…………。

 

 その言葉を、俺はここへ来てから何度心の中で呟いただろうか。

 別にさっきのカフェでちょっと話して、そのまま別れるとかでも良かったんじゃないの?もうカラオケ来ちゃったらこの後の行動も共にしなきゃいけないだろうが。 

 それに、男女比が一対一になってるせいで雑な合コンみたいになってるんだけど?

  

 そもそも、俺はカラオケは得意ではないのだ。

 こうして団体で来てしまえば、たとえクラスの隅っこで暮らしてるようなボッチでも歌わないといけないという強迫観念が働く。あれほんと何なんだろうな。無理やり歌わせておいて全然盛り上がらない上に、俺の番の時にやたらみんなトイレに行く。てめえら嘘でも盛り上がりやがれ。

 

 そんなわけでカラオケにはトラウマ意識のある俺だが、由比ヶ浜と一色、たまに九条がローテーションで歌っており、俺は歌わない分マラカスでリズムを取っていた。

  

 対角に座る九条と一色は、由比ヶ浜の歌に合わせて合いの手を打ったりなど、結構慣れているようだ。 

 

 「いや~、久々に気持ちよく歌えたかも」

 

 無心でリズムを取っていると、どうやら歌い終わったらしい。

 次の曲は選択されておらず、休憩タイムに入ったようだ。

 すると、一色はふうっと一息し、タンバリンを置いて口を開いた。

 

 「なんか不思議なメンバーですね」

 「だよね。ゆきのんも来ればよかったのに」

 「用事なら仕方ないだろ。この時期、何かと忙しそうだしな、あいつ」

 

 30分ほど前、由比ヶ浜は雪ノ下に来れるか連絡したらしいが無駄骨に終わったのだ。

 だったら俺、戸塚誘えばよかったなぁ……。男が九条だけとか何かと気まずい。よし、今度二人で行こう。それで帰り道に雨が降って「ここ入ろっか……」と顔を朱に染めた戸塚がピンクいお城に俺を誘うという未来なんてあるかもしれない。

 

 むふふと鼻息荒く戸塚とのデートを妄想した後、俺は空になったコップを持った。

 

 「飲み物取ってくるけど、他にいる人いるか?」

 「あ、じゃああたしオレンジ!」

 「わたしはいいので早く行ってきてください」

 

 ふぅ~、まだ怒ってるこいつ~♪

 怒ってるのはいいけど、ちょっとは機嫌いいフリくらいしてくれませんかね。由比ヶ浜が苦笑いしてるんだけど。

 と、肩を落としつつ、俺は目だけで九条の方を見た。

 

 「あ、じゃあ僕もいくよ」

 「え、いや、俺とってくるけど」

 「いいよいいよ。全部持つのは大変でしょ?」

 

 えぇ……。普通に気まずいから嫌なんだが……。

 しかしそんな俺の内心にも気づかないのか、九条は自分のコップを持って立ち上がってしまった。

 

 「行こうか」

 「…………」

 

 何を言っても聞かなそうなので、俺は諦めて、自分と由比ヶ浜のコップを持ってカラオケルームを出た。

 まあ人の親切心を無碍にするのも気が引ける。あっちが気まずいとか思ってないなら俺も気にする必要はないだろう。

 

 ドリンクバーについたはいいものの、何にしようか決めずに来てしまった。

 俺のは最後でいいかと由比ヶ浜の分だけ入れ、九条に先を譲ろうと振り返った。

 すると、思いのほか九条が俺のすぐ後ろに立っていたせいでぶつかり、オレンジが少しだけこぼれてしまった。

 「あ、悪い」と反射的に謝って、見上げた先にある九条の顔には。

 さっきまでの、柔和な笑みを浮かべた表情はどこにもなく。

 ただ、真顔で、むしろ睨むような眼で俺を捉えていた。

 

 その威圧感に、俺は思わず半歩下がる。

 

 「ちょ、よけてもらえる?」

 

 ぶつかったのにも関わらず、九条は足を引く素振りも見せずに佇立していた。お陰様で逃げ場がない。

 俺の言葉に、しかし九条は眉一つ動かさない。

 そして、ゆっくりとその口を開いた。

 

 「やめろよ。いろはに付きまとうの」

 

 キッとクレバスのように目を薄め、九条は言った。

 その声のトーンにはいつもの爽やかさなど微塵もなく、ただ敵を射すくめるように低い。

 

 予想外過ぎる言葉に、思わず「は?」と拍子抜けた声が出てしまったが、九条の顔は先程から変わらない。

 

 「コミュニティセンターでいろはと話すとき、いつも話にあんたが出てくる。今日だってそうだった。あんたがいろはをたらし込んでるんだろ。そうでもなきゃ、いろはがあんたみたいな奴と関わったりしない。勘違いして思いあがるなよ。あんたはいろはに相応しくない」

 

 九条は俺の目を射抜くように睨んだ。その表情は依然として至極真面目だが、整った顔のせいで気迫すら感じた。

 

 なるほど、と、今の九条を見て察しがついた。

 ここ二週間の合同イベントで、九条は誰に対しても気さくに話しかける姿が目に映っていた。

 しかし、今目の前にいる九条は、まるで仮面を外したように態度が一変していた。

  

 「何が言いたい」

 

 警戒心を剥きだして、俺も九条を睨み返した。

 すると、九条もまた、俺の目を覗き見る。

 

 「僕は中学の時からいろはのことを想ってる。僕なら彼女に相応しいし、幸せにしてあげられる」

 「…………はぁ?」

 

 こいつ、相当危ない奴なのではないだろうか。

 九条の圧倒的ストーカー気質に、俺は若干の恐怖を覚えた。 

   

 まだ何か言ってくるのだろうかと続きを待ったが、しかし九条は口を閉じたままだ。どうやら俺のターンらしい。

 俺が知るストーカーの特徴は、相手の話を聞かないとか、自分の主張だけやたら押し付けてくるとかだが、こういうところがやけに冷静だ。

 

 「…………つまり、一色と付き合いたいから邪魔するなってことか?」

 「違う」

 

 何故か即答された。いや、百億パーセントそうとしか思えないんだが。

 

 「僕はいろはが幸せになれるなら誰でもいい。ただ、彼女のことを一番知っているのは僕だ。だから彼女を幸せにできるのも僕しかいないというだけだ」

 「…………」

 

 一旦整理しよう。

 

 こいつ曰く、一色を幸せにできるのは自分しかいない。もし自分より一色を幸せにできる者がいるのなら誰でもいい、と。そして、俺は「一色を幸せにできる権利」を持ち合わせていないから付きまとうな、と。

 

 なるほど、納得はできないが理解はした。

 つまりこいつ──九条祐介は、所謂一色いろは信者であり、一色いろは至上主義者なのだろう。

 例え一色に受け入れられなくとも、一色さえ幸せであればそれでいいと。これは確かに、自己の満足のみを追求するストーカーとは一線を画す考え方だ。

 

 「お前の言いたいことは分かった。ただ、いくつか勘違いしてるぞ」

 「……なんだ」

 

 眉をピクリと動かして、九条は早く先を言えと睨む。

 俺はコップを持っていない右手の人差し指を立てて口を開いた。

 

 「まず、一色が俺を好きだという前提で話してることだ。今は会長と副会長だから一緒にいる時間が長いってだけで、だからってなにかあるわけじゃない。さっきお前が言った通り、俺は一色に好かれるような人間じゃない」

 「…………」

 

 言い返すでもない九条に、俺は二本目の指を立てた。

 

 「そして二つ目は、むしろお前が警戒するべきは俺じゃないってことだ。一色を狙ってる男なんて腐るほどいる」

 

 三つ目の指を立てて、俺は続けた。

 

 「んで三つ目、一色はそいつらにちやほやされることを望んであのキャラを演じてる。あいつがそれを望んでんなら、見守ってやれよ」

  

 自分でも驚くほどに、語気が強くなっていた。

 さっきこいつの言い分を聞いて、苛立っていたのだと思う。

 己の方が一色を知っている。だから一色には己が相応しいと、九条は言った。ただ、こいつの言う「知っている」というのは、誰もが閲覧可能なプロフィールを人より暗記しているだけに過ぎないのではないだろうか。確かに、知り合って一か月とちょっとの俺に比べれば、一色の個人情報は九条の方が知っているだろう。ただ、それで一色を知った風に語る口が、俺は何よりも嫌悪に感じた。

 

 「……僕に指図するな」

 

 黙り込んでいた九条が、やっと俺から視線を逸らした。

 どうやら、とりあえずは言い逃れ出来たらしい。

 

 緊迫した空気が漂う中、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてきた。

 

 「遅いですけど、どうかしたんですかー?」

 

 訝しんだような表情の一色が、ひょこっと半身だけ壁から乗り出して様子を覗いてきた。

 飲み物を持ってくるだけだというのに、確かに時間がかかり過ぎていた。

 

 九条は一色の声を聞くとすぐに俺から一歩距離を置いて、いつもの柔和な笑みを浮かべた。

 

 「ちょっと話してたんだ。せっかくだし友達になれないかなって思って」

 

 どの口が言ってんだこのクソ腹黒野郎。

 なんなのコイツ?あれなの?腹黒同士の仲間意識で一色を気にかけてるの?そう考えたら一色の腹黒が可愛く思えてくるな。

 

 「無理に決まってるじゃん。先輩、一人も友達いないんだから」

 「ほっとけ」

 

 やれやれとため息つく一色に、俺は紛らわすように悪態をついた。

 一色は、先ほどの九条の一面を知らないのだろうか。それとも、知って認めたうえで仲良くしているのだろうか。 

 その真偽はわからないが、それを今考えるのはやめておこう。

 

 九条は何かを思い出したように手をポンとうった。

 

 「あ、そういえば今日これから用事あるんだった。ごめん、僕先帰らなきゃ」

 「え、そうなの?」

 「うん、それじゃあ明日ね。比企谷さんも、今日はありがとうございました」

 「………………」

 

 爽やかな笑顔で帰っていった九条を見送って、俺は気づいた。

 一色とタメってことはあいつ、後輩じゃね?もう絶対会いたくないんですけど。後輩なのに超怖いんですけど。

 

 「何話してたんですか?」

 「いや、別に」

 「ふーん。……それで先輩、忘れてませんよね?」

 

 出し抜けに聞かれて、例の宿題を思い出す。

 その宿題が、本日12月23日締め切りで、正解できなければディスティニーの件はなし。

 すっかり忘れていた。いや、正確には忘れたフリをしていた。

 ここ一週間、なぜ一色が怒っているのかを何気なく考えてはいた。なんなら昨日、小町に相談しようかと思ったくらいだ。

 しかしお分かりの通り、その答えは未だわかっていない。

 

 「あー、後で言うわ後で」

 「むー……」

 

 帰りまでには考えておこうと適当に流し、俺はまだ入れていなかったコップにコーヒーを入れた。

 一色は、「結衣先輩待ってますし……」と俺が持っていたオレンジの入ったコップを受け取ると、先を歩いていった。

 俺はその後ろ姿を少しだけ見ていたが、しかしすぐに手元のコーヒーに視線を落とした。

 

 さっき、俺は一色を知った風に語る九条に対して、嫌悪感を抱いた。

 しかし今となって、それが勘違いも甚だしい、ただの傲慢だったのだと後悔する。

 

 一色がなぜ怒っているのか。

 未だそれをわかっていない俺が、どの口を言っているのだと。

 

 不快な感情が胸の中で燻ぶって、前を歩く一色の後ろ姿さえ、今は見ることが出来なかった。

 

* * *

 

 カラオケを出た頃にはすでに夕暮れ時で、これから帰宅するだろうサラリーマンや買い物帰りの主婦たちが行き交っていた。三人、駅前につくと、由比ヶ浜がくるっと振り返る。

 

 「ごめんねヒッキー、小町ちゃんのプレゼント選べなくて」

 「なんでお前が謝るんだよ。むしろ助かった。ありがとな」

 「へっ?あ、うん全然……えへへ」

  

 言うと、由比ヶ浜はお団子髪をくしくしといじって視線を逸らした。差し込む夕日のせいか、その頬がすこし赤らんで見える。

 そして、なぜか隣の一色にしらっと睨まれる俺氏。結局、九条帰った後もいたんだよなぁ、こいつ。まあいいけど。ちなみに、俺は一色の無茶ぶりで一曲だけ歌わされる羽目になった。九条いなかったからまだよかったけど、ふぇぇ……緊張したし恥ずかしかったよぉ……。

 

 「まあ明日でも間に合うし、今日の意見参考にさせてもらうわ」

 「うん、小町ちゃん喜んでくれるといいね。それじゃね!」

 「おう」

 「結衣先輩、さようならー」

 

 改札を抜ける由比ヶ浜の後ろ姿を見送って、俺も改札の方へ歩きだした。のだが──、

 

 「んげぇッ」

 

 歩き出した方向と逆向きに襟を引っ張られて首が詰まった。思わず変な声出ちゃったろうが。

 

 「なにすんだよ……」

 「……」

 

 首をすりすりとさすりながら、首吊り他殺未遂を働いた張本人を半眼で睨んだ。

 しかし睨まれた方の一色は、なにやら不満げにむくーっと頬を膨らませている。その目は「お前のターンだ早くドローしろ」と訴えているようだ。

 さすがにわかっている。いい加減答えを出さなきゃ、こいつの気も済まないだろう。

 

 「まあ、あれだな……。とりあえず乗りません?」

 「………………」

 

 俺の提案に、一色は応じることなく改札へと歩き出した。たぶん、「まあよい」ということだと思う。知らんけど。

 

 改札を抜け電車に乗ると、この時間にしては乗客が少なく、席もそこそこに空いていた。

 先に座った一色から人一人分開けて座ると、ゆっくりと発車する。

 

 ふっと一息ついて、隣の一色を横目に見た。

 

 やはり、どうしても九条祐介が頭をちらつく。

 九条のあの裏の姿が、何よりも一色を崇拝する姿勢が、俺には不可解だった。

 一色を狙う人間など総武高には何人もいる。しかしそれは、あくまで自分の性的欲求を満たしたいがための者ばかりだ。

 一方で、九条の場合は。

 例え自分が付き合えなくとも、一色さえ幸福であればいいのだという。その考え方はわからなくもない。オタクがアイドルを神的なものとして見ているのと似たようなものだろう。

 

 ぶっちゃけいうと、外面(そとづら)だけで生きてるような一色に、そうまで思わせるような何かがあるとは思えないんだが……。

 

 もしかすると、九条は一色の裏の姿を知っているのだろうか。

 そもそも、一色と九条はどういう関係にあるのか。

 人んちのクリスマスパーティに参加するほど、密な関係なのか。

 その答えは本人に聞かなければ、あるいは聞いてもわからないだろう。

 

 そも、本来ならば、知らなくてもいいことだ。

 しかし、今の俺には一色に無事でいてもらわなければ諸々困る。主に平塚先生に殴られたりして内臓の諸々が飛び出す危険があるのだ。

 

 九条という男の人間性は未だつかめないが、一色にとって危険因子となる可能性があるなら遠ざけたいところだ。 

 だから俺は、なるべく深掘りしない程度で、当たり障りのない質問をすることにした。

 

 「…………一つ聞いてもいいか?」

 「……どうぞ」

 「お前、九条のことどう思ってんの」  

 「………………………………」

 

 なるべく一色の方は見ず、「まあ興味はないけど」感を出して聞いたのだが、逆に何かしらのリアルさを感じさせたのか、一色は呆然と口をポカーンと開けて俺を見ていた。

 すると、その顔がぶわっと朱に染まって、ひと二人分、つまり材木座一体分の距離を俺からとった。

 

 「な、なななんですか口説いてるんですか」

 「いやちげえけど……。すまん、忘れてくれ」

 

 質問の仕方がまずかった。これじゃあ「あ、あんた好きな人とかいん?べっべつにそういうんじゃないんだからぁっ!」みたいな顔を赤くしたツインテール低身長ツンデレ幼馴染が登場してしまいそうだ。ちなみにツンデレは嫌いじゃない。むしろ好きまである。

 

 何か気まずい空気になったなと思って視線を反対に向けていると、一色は離れた分を詰めなおした。気のせいか、さっきよりも距離が近かった。

 

 「先輩、もしかして嫉妬してるんですかぁ~?」

 「だからちがうから。嫉妬ってのは同等レベルの人かそれ以下の人にしかしないもんなんだよ基本。だから大抵人の下にいる俺は嫉妬なんてしない」

 「出た先輩の謎理論……」

 

 やれやれと呆れため息をつく一色は、過去を振り返るように蛍光灯を見つめ、口を開いた。

 

 「それじゃあ、嫉妬してる先輩のために言いますと、裕君は別にそういうのじゃないですよ。前も言いましたけど、塾が同じだったってだけで、高校入ってからは全く関わりありませんでしたし。…………続き、聞きたいですか?」

 「…………まあ、参考までに」

 

 視線を逸らして答える俺に、一色は悪戯に微笑んだ。

 

 「当時その塾の中では、わたし一番成績良かったんです」

 「嘘つけ……って痛い痛いつねんな」

 

 俺に水を差されたせいか、一色は不満げに唇を尖らせた。

 

 「いいから最後まで聞いてください。……それで裕君、今でこそ爽やかな感じですけど、当時見た目はもっさりしてて勉強も出来なかったんです。それで結構、学校ではひどい目に遭っていたらしくて」

 

 確かに、今の爽やかイケメンな感じからすると想像もできないことだ。それに、海浜総合は総武高には及ばずとも県内でも有数の進学校だ。並の学力で入るのは難しい。

 

 「隣に座ってたわたしがたまに勉強を教えたりしてまして、なんとか海浜総合高校に合格するまでになったんです。唯一自分に優しくしてくれるわたしが、裕君は救いだったみたいで。でもわたしは総武高校に受かったので、お互い別々の高校に通ってずっと会うことはありませんでした。そしてこの間のコミュニティセンターで、二人は感動の再開を果たしたのでした」

 

 「めでたしめでたし」と一色はしめくくり、小悪魔のような笑みで俺を見た。

 

 「…………結局惚気じゃねえか」

 

 と、俺は思わず呆れしまった。

 誰が聞いても惚気でしょこれ。もう完全にラブコメの主人公とメインヒロインみたいな出会いと再会じゃねえか。

 

 しかし一色は、俺の言葉にムッとして、とんとんとんとんと俺の太ももを軽くたたいてくる。

 

 「やきもち妬かないでくださいよー。わたしはみんなのいろはなので、心配しなくても大丈夫です♪」

 「だからちがうっての……」

 

 きゃるんっとウィンクして、とんとん太ももを叩いてくる一色に、たいして抵抗もせずにぼやいた。ほんといつも思うけど、なんてあざといんだこの子は……。

 

 しかし、一色の話を聞いてようやく整理できた。

 何故九条があれだけ一色の幸せにこだわるのか。

 言うまでもなく、自分を救ってくれた相手には幸せになってほしいと願うのは、何ら不思議なことではない。九条にとって、俺の存在は一色にまとわりつく害にしか見えなかったのだろう。だから今日、明らかな敵意を見せたのだ。今の話を聞いた感じだと、一色は九条の裏の一面を知らないようだ。まあ、九条が一色に何か危害を加えるとは思えないし、言う必要も無いだろう。

  

 そう思っていると、電車が止まり、10人ちょっとが乗り込んできた。俺たちが降りる駅までは残り3駅だ。

 そろそろ本題に入らないといい加減怒られるかもしれない。

 ドアが閉まって発車するタイミングで、俺は本題を口にした。

 

 「先週のアレだが、正直言ってまだわからん。そもそも、怒ってるとか言う割に全然怒ってるように見えないんだが、実際のところどうなの」

 「………………わたしにもわからないです」

 「えぇ……」

 

 これじゃあ本末転倒じゃねえか。

 もし怒ってないとしたら、答えなんてないどころか、そもそも問題にすらなってない。

 

 しかし、さすがの俺でも、今一色が言った「わからない」が、建前であろうことくらいはわかった。

  

 「それにですね」

 「……?」

 

 一色は、何故か少しだけ誇らしげに、胸を大きく張った。

 

 「答えを当てて欲しいなんて、実はこれっぽっちも思ってないんです」

 「は、はぁ?」

 「それにそれに、もしあってても間違ってても、答え合わせをする気もなかったんです」

 

 まるで他人事かのように、ケロリとした態度で一色は言った。

 返して。俺が真剣に悩んでた一週間返して。

 

 「だとしたら、どっちみちディスティニーには行けないんじゃないの、それ」

 「それはアレですよアレ。応相談です」

 「……」

 

 呆れを含んだじと目を向けると、一色はあっけらかんとして人差し指を立てた。

 

 「仕方ないですね。特別に答えを教えてあげます」

 

 一色は少しだけ溜めをつくって、その答えとやらを発表した。

 

 「こんなに可愛い女の子が別の男子にホイホイとついていくところを、先輩がぜんっぜん引き留めようとしなかったことです。むしろ先輩、そっちに行けとか言ってたじゃないですかー?もうわたしのプライドずたぼろでした」

 「いや……えぇ…………それ当たるわけなくない?」

 「先輩が原因ですよ?」

 「俺何も悪いことしてないし、やっぱ理不尽じゃねえか」

 

 一週間考え続けた答えがこんなのとか、当たるわけがなくて呆れたわ。好きでもない男子に引き留めて欲しいとか、もはや天才数学者ですらお手上げレベルの超難問だわ。

 

 「ていうか、マジでそれだけの理由で怒ってたわけ?」

 

 なるべく低い声でそう聞くと、一色は柔らかに微笑んで、ファー素材のマフラーに口を埋めた。

 覗く頬がほんのりと赤くなっていて、そういう一面を見ると、一色が年下の女の子であることを思い出す。

 一色はこちらを見ないまま、絡めた自分の両手を見つめて、小さく呟いた。

 

 「はい、たったそれだけですよ」

 

 一色はそれだけ口にすると、久しく見せていなかった屈託のない笑顔を浮かべた。




あまり進展がなかった本編でしたが、12月23日はまだまだ続きます。だって、まだ八幡に引き止めてもらってないもんね。

そして、何かと体調を崩しやすい時下ですので、皆様どうか次話まで生き延びてくださいね。
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