斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。 作:蒼井夕日
「比企谷君、お味はどうかしら?」
「あ、美味しいです」
「ふふっ。それはよかったわぁ」
ニコニコと嬉しそうに頬に手を置く一色さんに見られながら、俺はカレーライスを食べていた。カレーと言えば、各家庭ごとで具材とか味付けに個性がでる代表的な料理だが、一色家ではホタテやイカが入った海鮮カレーが普通らしい。マジで美味くて超ビビる。うちだとシンプルにじゃがいもとか人参しか入っていないから、こういうカレーも新鮮だ。
「先輩、福神漬けいりますー?」
「ん、もらうわ」
「はい、どうぞ」
「さんきゅ」
隣に座る一色から福神漬けを受け取って、じゃっじゃっと適当にぶち込む。
うん、この甘さと食感が癖になる。神を食らってる気分で悪くない。
「そういえば、比企谷君生徒会長なんだってね。すごいわぁ」
「あ、いえ全然……会長なんて名ばかりで」
「もう、謙虚なんだからぁ~」
実際副会長の一色の方が仕事してるから事実なのだが、なんか勝手にいい方向で解釈してもらってるし黙っておこう。
半分ほど食べた頃、一色が聞いてきた。
「ご飯食べたら何しましょうか」
「いや、何するって言われても……」
「食べ終わるまでに考えといてくださいね。せっかく泊ってくんですし」
その一言でどくん、と心臓が跳ね、口に運びかけたスプーンが空中で停止する。
部屋の角に置かれたテレビに映るのは、今夜関東に接近する爆弾低気圧について扱ったニュース。そのアナウンサーの声にハモるかのように、家の屋根には弾丸のように雨音が響いていた。暴風が窓を乱暴に揺らし、小さな子供なら泣き出してしまうのではないかとすら思う。だって、17才の僕の心がこんなに泣いてるんだもの……。おうち帰りたい……。
「今夜はお父さん帰ってこれないみたいだし、ゆっくりしてってね~」
微笑む母はすの笑顔が、今は悪魔に見えて仕方がない。
一色もなんか平然としてるけど、この親子、男を家に泊めることにためらいとかないの?
「ご馳走様でした……って、先輩食べるの遅くないですか?」
「寝起きだからな」
色々考えてる間に、一色は食べ終わったらしい。
なんかもう緊張で胃が痛くて食欲なくなってきた。
「わたしはお風呂入ってきますねー」
「お、おう……」
食器を下げて、すたたっと一色は部屋を出ていってしまった。
これが意味すること即ち──。
「…………」
「んー、ちょっと辛すぎたかしら」
一色さんと一対一になってしまった……。一色さんは気にしてないんだろうけど、年上の女性とサシとか高校生の俺にとっては正直しんどいものがある。
俺は気まずさを誤魔化すように、残りのカレーを無心でかきこんだ。
「ごちそうさまでした。かなりうまかったです」
「お粗末様でした。食器はそっちに置いておいてもらえる?」
「あ、洗わせてもらっていいですか?お世話になってばかりなので」
「ふふ、紳士なのね。じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」
食器をシンクにおいてお湯につけてる間に、一色の分を先に洗った。
いやもちろん下心なんてないよ?スプーンはなるべく先端部分に手を触れないように心がけてるからな。
あ、いいことを思いついたぞ。「このスプーンを使ったのは材木座」と思い込めば何の問題もないのでは?(問題)
そう迷想していると、一色さんも食べ終わったのか、食器を持ってきた。
「これもお願いしていいかしら?」
「あ、はい」
受け取ったものの、何故か一色さんは一向に離れようとしない。
食器を洗う俺の手元を「慣れてるわねー」と感心するように見ている。すると、少し考えるように眉間を寄せた。
「比企谷君、いろははどう?」
「……はい?」
要領を得ない質問に、聞き返してしまった。この人のことだから「お嫁にどう?」的な意味で聞いたのかとも思ったのだが、しかし一色さんの表情は先ほどとは打って変わって真面目だ。
「あの子、可愛くて人当たりもいいから昔から男友達は多いんだけど……かえって恨みをかうことが多くてね」
何故俺にそんな話をするのだろうか、とも思ったが、一色さんの言わんとしていることはわかる。一色本人、自分の容姿が優れていると自覚してるきらいがあるからこそ、ああいったあざとい仕草ばかり身につけているのだろう。それ故に、女子との人間関係にも亀裂を来しているという事実は、倉敷ほのかの一例を見れば明らかだ。
「学校で一番人気のある人を好きでもないのに追っかけて、そのたびに自分の本音を隠すの」
「ま、女の子は嘘で強くなるんだけどね」と付け足して、一色さんはあざとくウィンクした。
しかしその表情はまたすっと真面目なものに戻る。
「でもね、一か月くらい前からいろはは変わったわ。家で学校の話なんてしなかったのに、今日はこんなことがあったーとか、奉仕部っていう部活に変な先輩がいるーとか。あんなに楽しそうに話すいろはを見るのは本当に久しぶりだった。きっと、あなたのおかげ」
「いや、そんなことはないと思いますけど……」
即答した。
俺が一色にしてやれたことなんて、本当に何もない。あったとしてもごくわずかだ。
一色が最初に持ち掛けた依頼も、俺の解決策では確実だったとは言えないし、実際雪ノ下が根回ししてくれなければ失敗していた可能性もある。それに、倉敷ほのかの件だって何一つとして解決していない。
俺の否定に、しかし一色さんは柔らかに首を横に振った。
「ううん、そんなことあるわ。でなきゃ、あなたを家に入れたりなんてしないもの。きっといろはは、あなたをとても信頼している」
言われて、俺は口を噤むことしかできなかった。なんて返すべきかも、どんな反応をすべきかもわからなかったのだと思う。
あるいは、戸惑っていたのかもしれない。
一色にとって、俺は使い勝手の良い先輩程度にしか思ってないのだと思っていた。いや、今ですら思う。
ショッピングモールで俺を連れまわしたのだって、同級生の男子から逃げるための消去法だった。クリスマスイブに俺を誘ったのも、他に予定がなかったがための穴埋めだと言っていた。思えば、一色が俺を利用した場面なんていくらでもある。
いずれも自分の利益のためだった。
しかしだとすれば、一色は何故、俺を家に入れてくれたのか。
俺を家に入れることで、一色には何の利益があったのか。
そんな疑問が解決しないままに、一色さんは俺を正面からとらえた。
「いろはがあなたをどう思ってるか、なんて今は考えなくていいわ」
まるで俺の考えを看破したかのように、一色さんは真っすぐに俺の両目を見つめる。
「だから、もう一度聞くわ比企谷君。あなたは、いろはをどう思う?」
そう質問した一色さんの声音は真剣そのもので、こどもを想う母親の声だった。
ならば、俺も真剣に答える必要があるだろう。
──と、考えを整理しようとしたところで、一色さんは少し慌てたように両手を振った。
「ど、どう思うっていってもあれよ?どう見えてるかってことよ?好きとか付き合いたいとかは私じゃなくていろはに言ってあげてね??」
「は、はぁ……」
どこを心配してんだこの人は……。まあ、おかげで俺も緊張が解れて考えがまとまった。そもそも考えて出した答えなんて求めてないだろう。純粋に一色に抱く印象を言葉にすればいい。
「…………正直、最初会ったときはかなり苦手なタイプでしたけど、生徒会入って一緒にいる時間が増えてから印象は変わりました。……結構努力家っていうか、繊細っていうか」
繊細であるからこそ、自分を研磨して見栄を張っているのだ。例えそれが虚勢だとしても、あそこまで自分を磨き上げる努力ができるというのは俺には到底ない一面で、尊敬できるところでもあった。
俺ごときの人間が誰かを尊敬するなど、自分でも片腹痛くなる話ではあるが。
「努力とか頑張るとか、俺はそういうのって自己満足でしかないと思うんですけど」
話してることがめちゃくちゃだ。起承転結も知らんのかと自分で自分を叱りたくなってくる。きっと、聞いてくれる一色さんの瞳が優しくて、柔らかいから、不思議と言葉が出てきてしまうのだと思う。
「でも、せめて俺くらいは、その自己満足をちゃんと見てやりたいと思ってます。……………………生徒会長なんで」
最後の最後で保険をかけるあたり、さすがのヘタレ谷。
たぶん、俺の顔今超真っ赤になってると思う。耳がさっきからずっと熱い。
おそるおそる一色さんの反応を伺うと、豆鉄砲でも食らったように、ぽかーんと口を開けていた。
そして、くすっと破顔する。
「よし、決めたわ」
「ん?」
そういって笑顔になると、一色さんは提案するようにぴんと人差し指を立てた。そして、口にする。
「いろは、お嫁にどう?」
「…………」
いや、マジで言いやがったよこの人……。
今の文脈からなんでそういう話につながるんだよ。思考回路がぶっ飛んでるところ、やはり一色の母と言ったところか
「ふふっ冗談よ、じょ・う・だ・ん♪」
娘に似た小悪魔のような仕草、声音、表情で、ふふふっと微笑む一色さん。
この人の場合、全く冗談に聞こえないから怖い。
「急に変なこと聞いてごめんなさいね。でも、いろはのことちゃんと見てあげてる人もいるってわかって良かったわ。ありがとね、八幡君♪」
「は、はぁ…………え?」
ちょっと??なんで俺の名前知ってるのん?苗字しか教えてないんですけど!?
と訝しむよりも先に、一色さんはるんるんと嬉しそうにソファに腰かけ、テレビを見始めた。
何だったのこれ。
* * *
皿洗いを終えた頃には時刻は20時半を過ぎていた。リビングのソファで母はすと他愛のない話をしていると、一色が風呂から上がってきた。
「ふぅ、気持ちよかったー」
バスタオルで髪を拭く一色の顔は、長湯のせいか上気していて、顔が赤い。ついついそのタオルで体とか拭いたのかしらとか思っちゃう。だって、男の子だもん。
「あの……本当に泊ってもいいんですか?」
世話になってばかりで申し訳なく、伺うように一色さんに聞いた。
「もちろんよ~。私も八幡君と仲良くなりたいし♪」
「…………」
若干顔が引きつってたかもしれない。母はすさん、一色の母ということだけあって顔がかなり整っているし、肌も20代が顔負けするくらい滑らかで、姉と言われたらギリ信じちゃうほどだ。
こんな美人さんにそんなこと言われたらドギマギしちゃう。だって、男の子だもん(二回目)。
「先輩人の家とか泊ったことなさそうですしねー」
「いや、友達いないお前に言われたくいったぁ!」
言ってる途中で思いっきり足を踏んできやがったこいつ。クソ痕残ったじゃねえか……。
俺は赤くなった足をさすりながら一色と睨み合った後、家に連絡した。
我が偉大なる母上によると、小町も友達の家に泊ることになったらしい。相手が男じゃないことを祈るばかりだ。
「それじゃあ私もお風呂入ってくるわね~」
一色さんはソファから立ち上がり、風呂へ向かおうとドアに手をかけた時だった。
くるんっと振り返って、満面の笑顔で俺を見た。
「あ、八幡君のお布団はいろはの部屋に敷いておいたから~」
「「え」」
俺と一色の声が重なる。もうその時にはすでに一色さんはリビングを後にしていた。
「………………」
「………………」
ちょ、え?嘘でしょ?俺が一色の部屋で寝るだと……?いやさっきも寝たけど、それとこれとは訳が違うだろう。別に疚しいことなんて何一つないが、だとしても………………。
そろそろと、一色の方を見てみた。すると、一色は無言のまま自分の体を抱きしめて、三歩後ろに下がった。
「なんだよその腹立つ反応……いや気持ちはわかるけどさ」
「な、何する気ですか」
「何もしねえよ……」
そう、俺と一色の間に間違いなんてたとえ天変地異が起きたとしてもあるはずがない。神と戸塚に誓おう。しかし一色は「それはそれでなんかムカつくんですけど」と頬を膨らます。女子心ってムズカシイね。
「別に俺はリビングでもいいぞ。泊ってる身で迷惑かけたくないしな。ここのソファ借りてもいいか?」
何もしないとは言っても、女子からしたら不安だろうしと思って提案したのだが、一色は何故か不満そうな顔をすると、俺の腕をぐいぐいと引っ張った。
「別にもう今さらですしいいですよ。先輩にそんな意気地ないことは知ってますし」
「それはそれでなんかムカつくんですけど」
「む」
棒読みで返してやった。いや、事実だけど。
「いいから!いきます!よっ!」
ぐいっぐいっと引っ張られる。あれ、なんかこれデジャブ。せめて歯磨きだけさせて欲しい。
* * *
「あ、揃いました」
そういって一色はしゃっと二枚のトランプを布団に
そして、俺は一色の札から一枚を引く。あ、7持ってた。手札の7と一緒に布団に抛る。そして、自分の手札を蛇腹のように開いて、一色に引かせる。
何をしてるかって?お分かりの通りババ抜きだ。
一色の部屋に戻って速攻、一色がトランプをやろうと提案してきた。
別に断る理由もないので、母はすが床に敷いてくれた俺用の布団の上に二人座り、トランプ定番のババ抜きをすることになったのだ。こたつは部屋の奥に寄せられている。ていうか。
「なにこれ……」
そもそも二人ババ抜きってなんだよ。引いたら絶対揃うじゃねえか。ジョーカー俺持ってんのもバレバレでババ抜きの醍醐味皆無なんだけど?
いや、七並べとか神経衰弱とか、一人トランプに関しては一家言ある俺だが、さすがに一人ババ抜きはしたことがない。一級ボッチストの俺とて、こんなハイレベルな遊びしないぞ。
「ほら、先輩が引く番ですよ」
俺の手札から一枚引いて、ペアになったカードを抛りながら一色が言う。
「いや、これもうジョーカー含めて三枚あれば事足りない?わざわざ53枚からやる必要なくない?」
「あ、確かに」
はっと気づいたような顔をする一色だが、それでも何故か試合は続行する。
仕方なく一色の手札から一枚引くが、さすがに退屈なので何か話を振ることにした。
「最近、部活とかどうなの」
倉敷ほのかについて聞こうとも思ったのだが、ド直球すぎると思って遠まわしに部活からせめてみる。
「生徒会を口実にしてサボってますよ?」
「まあそれは見てりゃわかるけどよ」
合同イベントで部活をサボってたのは俺だけじゃなく一色もそうだった。もちろん単純に忙しくもあったが、何かと理由つけては生徒会でパソコンを叩いたりしていた。一色も倉敷ほのかがいるサッカー部にはわざわざ行きたくないだろう。
そこまで思い至ると、数時間前一色が口にした「いつも通りに戻る」のいつも通りの意味がよくわかる。
「冬休み開けたらどうすんだ?ていうか、サッカー部は冬休み中もあるだろ、部活」
揃ったカードを捨て、一色の方は見ずに聞いた。
「んーどうしましょー」
まるで他人事のように間延びした声で答える一色。
決めてなかったのかよ。
「葉山にも最近会ってないだろ。とられるんじゃないの、知らんけど」
聞くと、札を引く一色の手がピタリと止まった。しかしそれも一瞬のことで、すぐに俺のハートのジャックを奪っていった。
「わたしのほうが可愛いですし、たぶん大丈夫ですよ」
「その自信どこで買えるの?」
「もち非売品です」
清々しいまでの自画自賛ぶり、さすがです。
「わたしだって何も考えがないってわけじゃないんですよ?副会長権限で会長を首にして、先輩の責任者の葉山先輩が会長になってくれれば、いつでも好きな時に会えるじゃないですかー」
「副会長の方が権限上なのかよ……」
まあ人望とか人気とか諸々上だけど。いや大体の人間が俺より上だけど。……え、俺よく会長なれたなぁ。
一色はする必要もないシャッフルをしながら口を開いた。
「先輩、もしかしてなんですけど、倉敷さんのことで心配とかしてくれてたりします?」
「え、あ、いや……別にそういうわけじゃないけど」
図星過ぎて目が泳ぎまくってた。もう北島ばりにスイスイしてて超気持ちいい。
「なるほどです。だから最近、積極的に家まで送ってくれてたんですねー」
「いや……」
「それなら心配いらないですよ」
俺を遮って、一色は笑顔すら浮かべて言った。
「わたしは平気ですから」
その言葉を聞いて、俺は何故か閉口してしまった。
気のせいかもしれないし、思い違いかもしれない。単なる偽善的正義感なのかもしれない。ただ、それでも。
浮かべる一色の笑顔が、強がっているようにしか見えなかった。
その真偽はわからない。聞いても教えてはくれないだろう。本音というのは、本当に信頼のおける人にしか言わないのだ。仮にこれ以上踏み込んだとしても、信頼のない者から差し伸べられる手など何の救いにもなりはしない。だから、俺が言えることなんてきっと何もないのだと思う。
「……そうか」
自分の手札を見つめながら、届いてるかもわからない声でぼやいた。
一色が今どういう顔をしているのかはわからないが、もしさっきの笑顔のままならば、俺は見ることができないと思った。
「はい、わたしの勝ち~」
弾んだ声に前を見ると、一色は両手の平を俺に見せるようにしてひらひらした。
気づけば、俺の手札はジョーカーのみとなっている。
「トランプってこんなんだっけ?」
「んー、でもわたしは楽しいですよ?罰ゲーム何にしよっかな~」
「ちょっと?そういうの先に言ってくんない?」
「だって聞かれてないですもん~」
一色はどこか楽し気に胸を張り、ふふんと鼻を鳴らした。それを見ると、さっきの心配はただの杞憂だったと思わされる。
「ん……?」
「どうかしました?」
よっこらせと手を地面につけると、ベッドの下で何かノートのようなものとぶつかった。なんだ、と思って取り出してみると、使い古されたキャンパスノートだった。そしてその表紙には、丸っこく可愛らしい字で、こう書かれていた。
「『わたし流 男子をめろめろにする方法』……?」
「わああああああああああ!!!!!」
そのタイトルを口にして読んだと同時、一色がものすごい大声を上げながら飛びかかってきた。反動で、俺はどん、と床に背中を打ち、仰向けになる。いって。
その隙に、持っていたノートを強引に奪われた。
背中をさすりながら起き上がると、一色は奪ったノートを両手で抱きしめて黙り込んでいる。俯いた髪でその表情は伺えないが、一色の背中から黒い炎が燃え立っていた。
「………………見ちゃいましたね」
「ひっ!?い、いやこれは不可抗力というかなんというか……別に悪気があったわけじゃなくてだな……」
修羅のような威圧で颶風が襲い、俺はしどろもどろに御託を並べた。
しかしどれだけ言い訳しても、背後の黒炎が収まる気配はない。
「その、すいませんでした……」
素直に謝ると、逆立った一色の髪の毛は元に戻り、黒炎も鳴りを潜めた。
ふ、ふぅ、あぶなかった。危うく石にされるところだったぜ。
「………………」
刀を鞘に納めこちらを睨む一色の目には、うっすら涙が浮かんでいる。
いや、まあ気持ちはよくわかります。俺だって中学の時、『最強必殺技集』とかタイトルつけたノートを作ったりしたし。もちろんそのノートは全力で燃やして地下深くに埋蔵したが、その黒歴史は俺の中で永劫に生き続けている。誰しも、そのような時期はあるのだ。いやまさかベッドの下にあるとは思ってなかったけどさ。
「先輩、そういえば罰ゲームがまだでしたよね」
「ちょ、ちょっとまて。いや待ってください。この流れでの罰ゲームは俺の存亡に関わる気がするんですけど……」
後ずさって両手で制すと、一色は青菜に塩をかけたように、へなへなと布団の中に潜り込んだ。
「もう、お嫁にいけない……」
布団の中で何言ってんだこいつは。
「ま、まあなに。誰だってあるだろ、そういうの。俺なんかもっとひどいぞ」
俺のに比べたら、『男子をめろめろにする方法』なんて現実的で実現もできる。俺が創作した『最強技』なんて自分で出来たことないし。
「それに、一色はそのノートを実行して自分を磨いてきたんだろ。何も恥ずべき事ないでしょ。むしろ、俺は普通にすげえと思うけど」
一色さんにも話したことだが、一色の、努力し実現するというところは本当に尊敬しているのだ。その努力の過程がこのノートに集約されているのだから、バカになどできるはずもない。悔しいから本人には言わないけど。
「…………ほんまですか?」
「ほ、ほんまほんま」
なぜお互い関西弁になってるのかは知らんが、まあ一色も落ち着いたことだし良しとしよう。
一色は涙を強引に袖で拭うと、はあっとため息を吐いた。
「とにかく、このノートは他言無用でお願いしますよ?」
「言わねえよ。別に言う相手もいないしな。ていうか、もっと見つからないところに隠しとけばよかっただろ……」
「先輩を部屋に入れるとか全然考えてなかったので、急いで片づけた結果ここに……」
そういえば、最初入ろうとしたとき部屋の前で待たされたっけ。まさかこのノートを隠すためだったとは思いもしなかったけど。
「ああもうこのことは忘れましょう!先輩には夜通しでわたしに付き合ってもらいますから!」
「お、お手柔らかに頼む」
うん、元気になったようでなによりです。
* * *
「先輩、そこ右です」
「いやこれ操作ムズすぎだろ……」
時刻は23時。テレビ2画面分割で協力型ゲームをしていた。そこそこゲーマーの俺でも混乱する操作を、一色はいともたやすくこなしていく。昼寝したおかげでまだ眠くはない。
*
「お前どんだけダメージくらってんだよ。ヒールする人の気持ち考えたことないの?」
「上達する速度がゴキブリ並みでちょっと引くんですけど……」
時刻はてっぺん、24時。
2時間もやってればそれなりに慣れてきた。なんなら一色が足手まといだった。
目が疲れてきたがまだ眠くない。
*
「先輩、わたしもう眠いです……」
「は?ボス戦の際中に何を…………っておい、バフしろバフ、死にそうなんですけど」
時刻は25時。一色がうつらうつらしながらキャラクターを操作する。俺も結構眠くなってきたけどまだイケそうだ。
*
時刻は25時5分。5分しかたってないのかよ。
まあそれはさておき。なんとか一面をクリアした。
やり始めは操作に慣れるのに精一杯だったが、今では一色よりも上手くなっていた。さすが俺!ゲーマーの星!きゃー抱いてっ!
ボスからドロップしたアイテムを回収して、疲れをほぐすようにぐっと伸びをした。すると、さっきまで感じなかった眠気が一気に襲い掛かってくる。ていうか、一色はコントローラーを持って座ったまま寝ていた。
「……すぅ、すぅ……ん……むにゃ」
この野郎、可愛い寝顔で可愛い寝息たてやがって。
つか、なんか人の寝顔見てると背徳感があるんだけど、これ見ていいものなの?でもまあ、タダだしいいよね。普段無駄に硬い外骨格纏ってるから、こういう無防備な姿もいいよね。
しかし、困ったことになった。そこで寝られると俺の寝場所がなくて困る。さすがに一色のベッドで寝るわけにもいかんし……。
「おい、一色」
「んぅ……」
起こすのも気が引けて、起こさないトーンで呼びかけた。もちろん起きるわけがなかった。俺はテレビの電源を切り、部屋の電気を常夜灯に設定した。
許せ、一色。
そう心の中で先に謝ってから、一色の背中と膝裏に腕を通し、よっこらせっと立ち上がった。すると、一色は「んっ」と変な声を出しやがった。なんかそれやめろ。それにわかってはいたが、予想以上に軽くてビビる。
止める必要もない息を止めてベッドまでくる。
起こさないようにそっと一色を下ろし、腕を抜こうしたその時だった。
「ん?」
寝ていたはずの一色が急に眼を開け、俺の首に腕を回してきた。
そして、首がぐっと引かれる。
腰を曲げて力が入らないこの体勢では抗えるはずもなく、どすん、と一色の上に覆いかぶさってしまった。
「ちょっ……」
がばっと顔を起こすと、拳一つ分先に一色の顔があった。薄暗くてよく見えないが、瞳はわずかに潤んでいて、ほんのりと顔が赤くなってるように見える。
「起きてたのかよ……」
体を起こそうとしても、首に腕を回されているせいで離れられない。
ベッドに乱雑に広がる一色の髪からシャンプーの香りが鼻をつついて、そのたびに頭がくらっとする。
「…………」
………これは色々とヤバすぎる。何がとは言わないけど、俺の胸にほど良い二つの柔らかなモノがあたってヤバい。あと一色の息が顔にかかってヤバい。あと語彙力もヤバい。なんで女子ってこんなにいい匂いするの?
「そろそろ離してくれ。色々な部分がマズい」
「いやです」
一色はさっきよりも腕に力を入れる。おかげで顔が枕にめりこんだ。
そのままベッドに倒れこみ、俺は一色の横で添い寝をするような形になる。
お互い目を開けたまま、見つめ合っていた。いや、俺に関しては緊張で硬直しているせいで、目を逸らしたくても逸らせない。
部屋の中が緊張感で静まり返る中、一段と強くなった暴風が窓を叩きつける。
すると、一色は首に回していた腕をほどき、今度は俺のジャージの胸辺りをきゅっとつまんだ。
今が引きはがすチャンスと、一色の手をつかむ。しかし、
「一色……?」
掴んだ手が震えていた。
一色の顔を見ると、何かを堪えるようにきゅっと唇を噛んでいて、今にも泣きだしそうだった。それを見て、俺は戸惑いからかつかんだ手を離した。
「……本当は、すごく、怖いです」
消え入りそうな声音は暴風の音でかき消されそうなほど小さい。
「先輩が、先輩たちがいてくれなかったら、耐えられなかったかもしれません」
それを聞いて、俺ははっとした。
俺は知っていたはずなのだ。一色いろはという女の子が、本当は弱くて傷つきやすいことを。普段はそれを隠すように振舞っていることを。
一色が「平気」だと言ったときに気づいていたはずだ。それなのに、気づいていないふりをした。一色さんにもヒントをもらったのに、自分が一色にとって取るに足らない人物だと決めつけて逃げを弄した。
一色に弱音まで吐かせて、選択肢を与えられなければ何もできないのか、俺は。
そう自虐しても、今は何も生まれない。
だから、今度こそは。
「一色、お前が俺をどう思ってるのかはわからない。けど、もしお前が望んでいないとしても、俺はお前の力になりたいと思ってる。これは完全に俺のエゴで、自己満足だ。必ず助けになるとも限らない。だから拒絶してくれてもいい。きっと俺より頼れる人は」
いるはずだ、と言おうとしたところで、目の前が真っ暗になった。
突然のことに戸惑ったが、数秒して、一色が抱き着いてきたのだと理解した。
「なんですかそれ、プロポーズですか?」
「は?いやちが」
「頼りにしてます、先輩」
「…………」
耳元で囁いた一色に、俺は照れ臭さとか恥ずかしさとか諸々の感情に苛まれていた。
それだけじゃない。数秒前のことなのに、さっそく「俺なにクッソ寒いこと言っちゃってんの死ぬの?死ねよ」と後悔の念に駆られていた。数秒前の俺を殺したい。ええい、こうなったらやけだ。
「それと、明日のイブなんだが……」
「…………」
また我に返る前に口にしてしまおう。そして抱きついてきた一色を引きはがそう。暑い恥かしい。
「まあ都合いいことだとは思うし、もう日付変わってて締め切りは過ぎてるし、このタイミングで言うのもアレだとは思うし」
「いいから早く言ってください」
「わかった言う!言うから離してください!ごほッごほッ……」
なかなか言い出さない俺の首を、一色はヘッドロックのように締め付けてきた。どこで覚えたその技。
「小町のクリスマスプレゼント、選ぶの手伝ってくれるか」
「……………………………………」
勇気を振り絞って言ったのに、一色はしんと黙り込んだ。あれ……もしかしてこの流れで断られる?
「ふーん……わたしは結衣さんの代わりですかそうですか」
「はぁ?いや、元々そういう約束でディスティニー行くって話じゃなかった?」
「それはそうですけど……なんか腑に落ちません」
抱き着かれてその表情は伺えない。けどきっと不満げに唇を尖らせてるのだと思う。
なぜって?俺の首がまた絞めつけられているからさ……。
苦しい苦しいと一色の腕を叩くと、一色はやっと抱きつくのをやめた。ただ、これはこれで顔を合わせることになって困る。どこ見たらいいんだろう。
と、目のやり場に困って視線をきょろきょろさせていると、「でも」と、少し弾んだ声で、一色は口にした。
「仕方ないので、誘われてあげます」
偉そうに、一色はにこっと笑顔を浮かべた。
今更だが、なぜ寝っ転がりながら話していたのだろうと疑問に思った。
僕が思ってたお泊りデートとは何か違う気がするんですけど……。だって女子の家にお泊りとかしたことないんだもん……。
『カップル お泊り 何する』でネット検索した時の僕の気持ちを誰が理解できましょうか。ていうか何だよこいつら。早く付き合えよこんちくしょう。。。
ともあれ、長い長い23日を終えまして、次から24日に入ります。一応ここまでが第一章のつもりで書きました。それでは第2章でお会いしましょう!