斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。 作:蒼井夕日
※前話、一部平塚先生のセリフを加筆しました。
しっかりめの防寒対策をし、財布、スマホ、念のためのブルーシートを鞄に詰め込んで準備は完了。集合時間までは30分くらい余裕があるし、今から自転車で行けば十分間に合うだろう。
「んじゃ、行ってくるわ」
「ほいほーい。頑張ってねー」
出かけの直前にリビングにいる小町に一声かけておく。小町には全部事情を話しているので、両親から何か聞かれたときはなんとか誤魔化してくれることになっている。さてと、ちょっくら宵の街へとしけこむとしますか……。などと内心格好つけながら玄関の扉を開けると。
「あ、先輩こんば」
反射的に、扉を閉めてしまった。
……いや、さすがに見間違いか。
なんか今扉の向こうにチラッと亜麻色の小悪魔が見えた気がするんだけど……。いや、気のせいか。気のせい気のせい。絶対に気のせい。むしろ気のせいじゃなきゃ許されないレベル。と、再びゆっくりと扉を開けた。
「ちょっとー、閉めないでくださいよぉ」
「……なんで来ちゃったの?来るの諦めたって言ってたよね?」
「あー、あの連れてもらえなくて傷心する女の子を演じて油断させる作戦のことですか?」
「こいつ……」
せっかく俺が一思いに同情していたというのに、この娘……。
これまでの一色を考えて、こんくらいのことはするだろうと予測すべきだった。
「ていうか、なんでうち知ってるわけ?住所教えてないよね?」
「それは結衣先輩の協力を得ていまして……、どうしても行きたいですって結衣先輩に相談したら、先輩の自転車に乗せてもらえーって。それで、お母さんに先輩の家に泊まるって言ってここまで送ってもらいました」
「…………」
俺の預かり知らぬところでえげつない企みが展開されてるんですけど、いいんですかね。
「あ、そう……もういいけどね……。言っとくが、二人乗りならよく小町を乗せてるけど、事故らない保証はないからな。小町の体重は軽いからいいけど」
「…………わたしが重いとでもいいたいんですか?殺しますよ?」
「んなこと言ってねえよ……」
年上になんて言葉を……。仕方ないだろ。小町の体は天使の羽のように軽いんだから。あと戸塚とかもな。戸塚に関しては存在が天使みたいなもんだけど!
そう心の中でごちりつつ、一色の松葉杖を庭の見えないところに隠す。さすがに自転車では持っていけないだろう。
鞄を自転車の前かごに突っ込んで、サドルにまたがる。
そして、一色の鞄も前かごに入れてやろうと手を差し伸べた。のだが……。
「……?あっ、ありがとうございます……」
一色は最初は呆気にとられたようにぽかーんとしていたが、はたと気づくと、顔を赤くして差し伸べた手をぎゅっと握ってきた。
……ちょっと、この人何してるの?別に怪我してるからエスコートしたとかじゃないんですよ?
「いや、鞄持つって意味なんですけど……」
「えっ?あ……さ、先に言ってくださいよ!」
「ふごっ」
自分の間違いに気づいたのか、恥ずかしそうに顔を赤くした一色が、ぐいっと俺の顔に鞄を押し付けてきた。
そういうたまに見せる素の態度、八幡的に超ポイント高いけど、それすら演技とか言われたら女性恐怖症になるなぁ……。
すりすりと鞄クラッシュをくらった鼻をさすっていると、すとん、と自転車に重みが増した。一色がキャリアに座ったのだろう。
「んじゃ、行くか。ちゃんとつかまってろよ」
「了解ですっ!れっつごー!」
言うと、一色は俺のお腹に手を回して、ぎゅっと体を寄せてくる。
なにこれ、全然落ち着かない……。
いやね、家に泊まった時から思ってはいたんですけど、この子、意外とあるんですよ。いわゆる「着痩せするタイプ」なのだろう。さっきから背中に当たってるんですよ……。
などと、ドギマギしながら自転車をごきごきとこいでいると、背中をとんとんとグーで叩かれた。
「てか、私服で来てる女の子にはまず服を褒めてあげるべきなんじゃないですかねー」
「出待ちしてるファンの私服を褒める芸能人がどこにいんだよ」
「わー、自意識かじょー」
うっせ。
人の服とか覚えないんだよ、俺は。そもそも人のファッションがお洒落かどうか見定めるほど知識があるわけじゃないし。
そう内心愚痴りつつ、一色の服装を思い返してみる。たしか、ベージュのチェスターコートにインナーは白のタートルネックセーター、下はデニムパンツ、そして白のスニーカーだった気がする。めっちゃ覚えてるぅ!
「そもそも、そんなオシャレしてこなくていいでしょ。監視なんだから、むしろ目立たない服の方がいいんじゃないの」
「先輩のために着てるんですよ?」
「…………そうですか」
そう返されてしまえば何も言えない。
一色のその類の言葉には、今までなら『あざとい』とか『はいはい』で返せばよかったが、昨日の今日で現実味が帯びているせいか、こっちも変に意識してしまう。
――――こいつ、俺のこと好きなんだよな……。
つい、そんな自意識過剰なことを考えてしまう。
玉縄姉の件を除けば、人に好意を伝えられるというのは生まれて初めてのことだ。だから、それを断ればある程度一定の距離感を置かざるを得ない状況になる覚悟は出来ていた。
実際、俺が中学の時に告白した女子ともその後話すことなんて一回もなかったし。「友達でいよう」なんて嘘っぱちじゃねえかなどと、当時の俺は枕を濡らしたものだ。
だが、一色の場合はどうだろう。
告白を断って、無碍にしたにも関わらず、その翌日も変わらずに話しかけてくる。内心はどう思っているかわからない。が、今日もこうして奉仕部への依頼に足つっこんで、その解決法に一役買って出ているくらいだ。一色が雪ノ下と由比ヶ浜との関係を保つためにそうしているとするなら、変に確執意識を持つこともないのかもしれない。
……あれー、これ、完全に雪ノ下と由比ヶ浜に責任転嫁しようとしてんなー。マイプリンセス妹に怒られそう。
自転車をこぎ続けていると、やがて海沿いの道路へと差し掛かる。この道はマラソン大会でも走行区間として利用される道で、漂う潮風がつんと鼻を刺激するが、俺はそんなに嫌いじゃない。人気が一切ないこの時間だと、ざぁ、ざぁという波の音が耳に心地よかった。
「先輩、上見てください上。星が綺麗です」
「今俺が上見たら確実に事故るんですけど。二人揃って星になる未来しかないんですけど」
「……なんですかそれ口説いてるんですか?同じお墓に入ろうとかなら全然アリですけど星にかけてダジャレでプロポーズとか超ダサいんでもう一回やり直してもらっていいですかごめんなさい」
「振り落としたろか……」
背中越しにフラれるとか斬新すぎる。そもそも告ってないんだけど。
「……ねえ、先輩」
ふと、一色が俺を呼んだ。
その呼びかけに、俺は無言で続きを促す。
「わたしが先輩を好きって知って、実際どう思いました?迷惑だなーとか思いました?」
「何その質問……。まあ迷惑っちゃ迷惑だったけど」
唐突な質問に、俺は例の如く皮肉で返す。どうせいつもみたいにぶーぶー文句を言われるのだろうと思っていたのだが、しかし一色は俺の言葉に何も言わない。
その代わり、俺のブルゾンを掴んでいた手が、心なしか弱くなった気がした。
「あー、いや、うそうそ。超嘘だから」
だからか、思わずそんなフォローをしてしまった。何を焦ってんだ俺は……。
「なんつーかだな……。えぇ……なにこれ。俺は今何を質問されてるんですかね」
「もーほんと優柔不断ラノベ主人公ですね。先輩は誰が好きなのかって話ですよ」
「いや微塵もそんな話してなかったよね」
「いないんですかー?」
「…………これ、なんて答えるのが正解なの?」
告白を断った相手に好きな人は誰なのとか、地獄の質問すぎる。もう地獄に落ちて鬼灯さんにお世話になってしまいたい。
「…………臆病者」
「悪かったな……」
臆病でなけりゃぼっちなんてやってねえっつーの。
「もし先輩に好きな人が出来たら、ぜひわたしに相談してください。全力で邪魔してあげますので!」
「支離滅裂すぎんだろ……」
「てへっ」
何宣言なんだよそれ。
まあ、とはいえ、それくらいするのが一色いろはらしいといえるか。
簡単に人に譲らず、欲しいものは何をしてでも自分のモノにする。そうやって、一色いろはは自分を磨いてきたのだから。
その姿勢が、腐った俺の眼から見ても本当に美しいと思える。
そして、多くの者が、そういう人間には近寄りがたいと忌避してしまう。
だからかもしれない。ペダルを踏む足に、一段と力が増した気がしたのは。
* * * * *
ずーっとこの時間が続けばいいって思った。
星が綺麗で、海が綺麗で、波の音が心地良くて、ペダルをこぐ度に軋む自転車の音が耳障りで。
耳が痛くなるほど寒いけど、抱き着いた背中から感じる体温はとても暖かい。
平坦な道を選んでくれる彼が、いつもよりちょっぴり大人っぽく見えて。
それでも、ガタン、と揺れてしまった時に、ちらっとこちらを振り返る彼は、少しだけ子供っぽく見えた。
そんなアンバランスなものが混じり合って、調和する。
きっとこれでいいんだと思った。
これがお互いの心地の良い距離なんだと思っていた。
でも、少しでもこの手を離したらと思うと、遠くへ行っちゃいそうで怖くなる。
彼が悩んでいることを知っている。
彼女たちが人知れず葛藤していることを知っている。
そして、彼らが何かを知ってしまうことが、とても怖い。
結局後ろにいるしかないのだと、悟って諦めてしまうのではないかと。
そう思ってしまう自分が臆病で、情けない。
わたしはわがままで、自分勝手だから。
欲しいものは、何としてでも手に入れたい。
きっと彼と彼女たちの関係が壊れてしまうとわかっていても。
それを見なかったことにして、知らないふりをして、彼らを、彼を、傷つけたら。
そしたら、その時は。
あなたは、一番近くにいるわたしを、選んでくれますか。