斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。   作:蒼井夕日

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ここらからちょいとシリアスになります。
苦手な人は苦手かもです。


26話 第四者

 学校で雪ノ下、由比ヶ浜と合流してから30分ほどが経った。

 俺たち四人がいるのは校舎裏から少し離れた名前もわからない木の下。校舎は全体的に高さ1メートル弱のフェンスで覆われているため、その外側にいる俺たちは校外から監視する形になっている。そのうえ歩道と直結しているため、歩行者が来た場合は完全に俺たちは不審者だ。まあ屈めば多少は隠れられるが。

 

 監視を開始してから今のところ、落書きの犯人らしき人物は現れそうにない。もし来るとすれば0時過ぎが妥当だろうが、雪ノ下と由比ヶ浜に至っては終電もある。

 

 「俺らは自転車だからいいが、何時までやる?」

 「私たちは最悪タクシーでもいいけれど……あまり長く居すぎるのも体力的に厳しいでしょうね。今日で犯人が現れなければ明日明後日も続くだろうし」

 「だよね。とりあえず1時くらいには帰ろっか?」

 「だな」

 

 とはいえ、タクシー代だって安くはない。そう何日も続けるのも厳しそうだ。雪ノ下と由比ヶ浜だけ先に終電で帰らせて、自転車の俺が残って監視ということにもなるかもしれない。むしろ俺はその方が気が楽だからいいんだが、雪ノ下が認めないだろう。

 

 すると、ブルーシートに座った一色が、げんなりと肩を落とした。

 

 「わたしが発案しといて言うのもあれなんですけど、これちょっときつくないですかー?」

 「ほんとにお前が言う事じゃねえな……。まだ1時間も経ってないんだぞ」

 「だってー」

 

 いつもだけど、今日の一色さんは特にわがままですね。無理やり来るとか言ったり家まで押しかけたり。聞き分けの悪い娘が出来た気分である。休日のパパの気持ちがよくわかります。

 落ちそうになる瞼を必死に開けて校舎裏を睨んでいると、俺ははたと思い至った。

 

 「これ犯人が総武校の生徒とは限らなくね……」

 

 ぽつりと漏らすと、雪ノ下がはぁっとこめかみに手を置いて呆れたようにため息を吐いた。

 

 「あなた、今気づいたの?」

 

 はい、今気づきました。面目ねえ。

 固定観念に囚われてしまっていたが、総武校の校舎に落書きされたからといって、犯人が総武校の生徒とは限らねえよな。こんな単純なことに何故気づかなかったのだ。俺は柔軟性だけが取り柄だと言うのに、頭が凝り固まってたぜ……。最近脳トレやってなかったからかなぁ……。DS、まだ家にあったっけ……。

 

 「総武校の生徒であろうとなかろうと、一応スマホで写真は撮っておくわ。フラッシュはさすがに焚けないけれど、状況証拠と特定証拠にはなるでしょう」

 「さすがっす……」

 

 眠すぎてリアクションと語彙力が奈落まで低下してしまった。

 

 とはいえ、やはり冷静に考えてみれば、今回一色の発案した策が得策だと言えるかは微妙だ。確かに、犯人を特定するだけならば実際に監視するということ自体にはなんの問題もない。が、俺たちはまだ状況を理解していなさすぎるのだ。例えば、何故犯人が総武校の校舎に落書きをしたのかとか、ある程度の憶測くらいは立てておくべきではなかったのか。

 

 今更だが、俺が気づいたくらいだ。雪ノ下であればそれくらいのことはとっくに気づいているだろうに、何故却下しなかったのだろうか。

 

 「…………」

 

 まあ、考えても仕方ないか。

 そう思って、再び校舎裏へと視線を向けていると、駅の方角から女性の笑い声が近づいてきたのがわかった。その音に反射的に身を屈め、息を潜める。

 目の前を通りすぎるところで、俺は半歩、足を後ろに下げた。が、その時。

 バキッという小枝の折る音が鳴ってしまった。

 

 どうか聞こえてませんようにと願ったのも切なく、女性グループの一人が不振に思ったのか、俺たちのいる木の方へ近づいてきた。

 

 「なんかこっちから音しなかったー?」 

 「そう?猫かなんかじゃないの?」

 「だとしたら愛でるチャンス…………って、ありゃ?」

 

 音に気付いてやってきた一人が、俺たちの顔を確認すると、目を丸くして見開いた。 

 驚きを表情に浮かべるその顔を見ると、俺はひやりと背筋が凍るのを感じた。

 

 「なんで比企谷君がここにいるの?…………それに、雪乃ちゃんとガ浜ちゃんも?」

 

 その女性の正体は、雪ノ下陽乃だった。

 

 

* * *

 

 

 「ね、姉さん、どうして……」

 「それはこっちのセリフ。こんな時間に何してるの?」

 「そ、それは……」

 

 突然の雪ノ下姉の到来に、俺たち四人は動揺を隠せずにいた。俺と由比ヶ浜と一色は開いた口が塞がらず、そんな中、雪ノ下がなんとか言い訳を探そうと言い淀むが、その続きの言葉が出てこないようだった。

  

 「まあ比企谷君がいるってことはなんか理由はあるんでしょ?面子見た限りだと、また部活かな?」 

 

 言って、陽乃さんは俺に視線を向ける。その視線から逃れられる気がしなくて、俺は静かに首肯する。

 

 「だからって、高校生がこんな時間に外出するのは見過ごせない。そもそもこんな時間だと部活とさえ言えないでしょ。早くお家にお帰り。詳しい話は後で聞くからね」

 「でも」

 「雪乃ちゃん」

 

 静かな微笑みを浮かべながら、しかし確かな威圧を込めて、陽乃さんは食い下がる雪ノ下を睨む。

 

 「比企谷君も、らしくないじゃない。君はこういうの、しないタイプだと思ってたけど」

 「ははは……俺もそう思ってたんですけどね」

 

 乾いた笑みが口の端からこぼれ出る。

 こればっかりは仕方ない。どう考えても、陽乃さんの言ってることが全て正しく、高校生の俺たちが何か言い返せることなどない。もとよりこうなる覚悟は出来ていたはずだし、その相手がたまたま陽乃さんだっただけのこと。

 

 「ち、ちがうんです!その、あたしがやろうって、ゆきのんとヒッキーを無理やり誘ったから、それで……」

 

 雪ノ下と陽乃さんの間に割って入るように、由比ヶ浜が弁明する。それを聞いて、一色が目を見開いた。

 

 「そ、それは違います!わたしが、わたしがやりましょうって、皆さんを誘ったんです!」 

 「んとー、君は初めましてだよね?どっちが言い出しっぺとかは今はいいのよ。結局来ちゃったんなら自己責任だし」

 「……」

 

 陽乃さんの言葉に、今度は一色が押し黙る。

 この言い争いは何の意味も見出さない。この状況で俺たちに言い訳をできる余地はない。ここは陽乃さんの言う通り、すぐに家に帰るべきだろう。

 

 そう提案しようとしたところで、陽乃さんは俺たち四人の顔を順番に見て、目を眇めた。

 すると、陽乃さんは呆れたようにため息をつき、期待外れの物を見下すような、ともすれば使い飽きた玩具を見るような眼を向けた。

 

 「……ふーん。なーんか、見ない間に随分変わっちゃったじゃない」

 

 その言葉に、俺は、あるいは俺たちは、何か図星を突かれたように心臓が跳ねた。

 そして一気に、不快で不愉快で不明瞭な感情が、濁流のように押し寄せてくる。

 

 「これが君たちが欲しかったものなの?」

 

 それ以上言うなと、そう言える勇気があればよかった。しかし、そう言えなかったのは他でもない俺に思い当る節があったからだろう。だから、俺は陽乃さんの言葉から目を背け、唇を強く噛むしかできなかった。

 

 しかしこの人は、それすらも許してくれない。

 

 「自分たちでも気づけてないみたいだし、お姉さんが教えてあげる。君たちは依存してる。…………ううん、それよりももっとひどい何か」

  

 まるで興味を失ったように陽乃さんは話し続ける。その続きを誰一人として聞きたくはないのに、耳を塞ぐことさえできない。

 

 「心中、共倒れ、あるいは道連れ。今の君たちにピッタリ――」

 「姉さん――!」

 「あれ、言いすぎちゃった?でも事実よ。ガ浜ちゃんがいるから、辛うじて取り繕えてるだけの紛い物。放置しすぎて、腐りかけてる。ね、比企谷君?」

 

 君なら気づいてるんでしょ?と、やり玉に上げられるが、情けないことに俺は何も言い返せない。陽乃さんの選ぶ言葉には悪意しか感じない。しかしその言葉一つ一つは確かに心当たりのあることで、否定などできようもなかった。

 

 「そんな、ことは……」

 

 だから、俯いた由比ヶ浜の掠れた声が、俺の耳に痛いくらい刺さる。

 誰よりも負担を感じていたはずなのは由比ヶ浜だ。そして、そうさせた自覚が俺と雪ノ下にはあった。それを見て見ぬふりをして放置してきた代償が、陽乃さんが指摘するこの現状。

 

 「ガ浜ちゃんにそんな気がなくても、他の二人はとっくに感じてたんじゃない。だから雪乃ちゃんも比企谷君も、今こうしてここにいる」

 「……!」 

 「ねえ、比企谷君。これが君の求める本物?」

 

 再度、雪ノ下陽乃は問いかける。

 一体何のことだと、何の話なのだと問い返して、しらを切ることだって出来たはずなのだ。

 しかし、そうしたところで。

 

 いや、そうしてしまえばこそ。

 今度こそ本当に、雪ノ下と由比ヶ浜との関係が、一切絶たれるような気がしてならない。

 今まで俺たちが積み上げてきたもの全てを、自分で否定することに他ならない。

 

 「……どう、ですかね」

 

 だから、そんな言葉しか出なかったのだと思う。

 肯定も否定もしない、結局は何の意味も持たない返事に、陽乃さんは明らかな失望を瞳に宿した。

 

 「………………そ。じゃ、私は友人を待たせてるから行くね。君たちも早く帰りなさい」

 

 そう言って、陽乃さんは身を翻して戻っていく。

 その後ろ姿を見送ることもできないまま、俺は苦虫を噛み潰したように唇を強く噛んでいた。

 

 「……まって、ください」

 

 ぽつりと、陽乃さんの足音だけが鳴る世界で、弱々しい声が響いた。 

 その声に、俺は俯いた顔を上げる。

 隣を見れば、座っていたはずの一色が立ち上がって、陽乃さんの背中を睨んでいた。

 明らかな敵意を宿したその瞳は今にも涙が溢れようとしていて、拳は爪が食い込むほどに握りこまれていた。

 その姿にただ驚くだけで、俺たちは言葉が出なかった。

 

 「なん、なんですか。わたしたちのことをわかったみたいに、根も葉もないことばっか言って……」

 「そうだよ。根拠も何もない、ただの勘。でも、当たってたでしょ?」

 「っ……。それは……」

 「別に他人だったら私だって何も言わないよ?でも、こんな弱った雪乃ちゃんを見ちゃったら、姉として看過できない。今の雪乃ちゃん、まるで借りてきた猫みたいでぜーんぜんつまんないもの」

 

 視線を向けられた雪ノ下の表情が強張る。

 そしてそのまま自分の体を抱きしめるように腕を抱えて、俯いた。

 

 借りてきた猫、という表現が正しいのかはわからない。ただ、以前の雪ノ下を知る俺や由比ヶ浜から見ても、彼女の性格が柔らかくなり、軟化している印象はあった。ただ俺たちは、それが決して悪いことではないと、そう信じていたのだ。

 陽乃さんに指摘された今となって、もしかしたらそれは狂信で妄信だったのかもしれないという不安と疑念が、心の奥底で蟠る。

 

 俺も由比ヶ浜も、そして雪ノ下も、ただ地面を見つめていた。それで何を得られるわけでもないのに、何かをよすがにして縋っていなければ、立っていられない気がした。

 

 しかし、ただ一人。

 一色いろはだけは陽乃さんを真っ向から睨んで、食い下がる。

 

 「だったらっ!何がいけないっていうんですかっ!!」

 「………………いっしき、さん……?」

 

 一色の叫びに、俺たち三人は顔面を殴られたように顔を上げた。

 その顔を見ると、先ほどまで溜めていた涙が溢れだしていて、それでも瞳には信念を込めて、確かな怒りを宿していた。

 

  

 「そんなの、わかってますよ……。この三人を、一番近くで見て来たんです。雪乃先輩が二人を頼るようになって、わたしなんかにも優しくしてくれて、やっぱり困ったときには助けてくれて、かっこよかった。嬉しかった。結衣先輩がこの関係を終わらせないようにって、誰よりも悩んで、考えて、繋ぎとめてくれて、誰よりもわたしを可愛がってくれて、嬉しかった。雪乃先輩と結衣先輩を見守る先輩の目が暖かくて、たまに寂しそうで、そんな先輩を見ていることが、いじらしくて、大好きなんです。先輩たちが自分をどう思ってるかなんて知らない。他人が先輩たちをどう思うかなんてどうでもいいっ!そんな一生懸命で歪で青臭い三人が大好きな人が、ちゃんと、いるんです。依存とか、心中とか道連れとか、そんなのほんっっとどうでもいいっ!わたしがっ……!わたしが大好きな先輩たちの邪魔をするの、やめてくださいっ!!!」

 

 

 涙ぐんだ声が、夜の校舎裏に反響した。

 やがてハウリングとなって耳に残り、一色の言葉がゆっくりと、静かに、心の中へと溶けていく。

 

 「いっ、しき……?」

 

 気づけば一色の名を呼んでいた。そうするまで、俺は呼吸することさえ忘れていたと自覚する。

 口もしばらく半開きのままだったのか、喉が急速に乾いていく。

 

 「いろは、ちゃんっ……」

 

 見れば、由比ヶ浜と雪ノ下の瞳にも涙が溢れようとしていた。

 そして一方で、陽乃さんは目を丸くして、珍しいものをみたというように口をぽかんと開けている。 

 それもそうだ。

 

 一色が言ったことには、何の合理性も論理性もなかったのだから。

 ただの想い出話。ただのわがまま。主観的感情。

 一色が吐き出した言葉は誰を説得するわけでもない個人的なもので、いくらでも美化されうる過去の話。

 それをこの場で聞かされたとて、陽乃さんの言ったことが否定されるわけでもない。

 

 ただ、否定した俺たちを肯定したのだ。  

 それで、陽乃さんが納得するわけがないのに。

 いや、納得できるわけがない。

 

 なぜならその過去の話に、陽乃さんは一切として関与していないのだから。

 これは、俺と雪ノ下と由比ヶ浜と、そして一色だけが知りうる世界の話。

 

 だからこそ、陽乃さんは押し黙ることしか出来なかったのだろう。

 言い負かされたから、というわけでは全くないだろう。

 一色の個人的感情に、誰も干渉なんてできないからだ。

 だからか、陽乃さんはなにか眩しいものをみるように、憂いを帯びたように目を薄めた。

 

 「…………そう」

 

 ぽつりと言葉を残すと、陽乃さんは再び身を翻し、こつこつとヒールを鳴らして夜の街へと去っていった。

 

 

* * *

 

 

 結局、陽乃さんが去った後、俺たちはすぐに解散することになった。

 雪ノ下と由比ヶ浜は終電で、俺と一色は自転車だ。

 来るときには晴れていた空が、一時間ほどたった今では少しだけ雲で陰っていた。

 後ろに乗る一色は、あれから暫く口を開いておらず、背中に伝わる体温がここへ来る時よりも熱い気がした。

 なんと声をかけるべきか、それとも何も言わないべきなのかわからなくて、無言の状態が続いていた。

 

 下り坂をゆっくりと降りていると、冷たい風が顔を刺すように痛い。

 

 一色のあの姿を見てから、心にぼっかりと穴が開いたような感覚がある。

 虚無感とは言えない、脱力感ともまた違う。

 

 ここ2か月ほど蟠っていた靄のようなものが晴れて、いっそ清々しい気持ちだった。

 それと同時に、はたと思い出した。

 

 陽乃さんが指摘した奉仕部の現状。

 この現状を招いたのは、俺なのだ。

 目を逸らしたのも、知らないふりをし続けたのも、由比ヶ浜でも雪ノ下でもなく、紛れもないこの俺だ。

 

 俺が生徒会長になった理由。

 

 それを今になってやっと思い出して、俺は自分に呆れるのと同時に、自虐の笑みが口の端からこぼれる。

 

 

 ――――ああ、そうだ。 

 彼女の依頼が残っている。

 これでようやっと、全てが終わるのだろう。




結衣と誕生日が同じということが唯一の誇りです。明日、由比ヶ浜結衣生誕祭だよ!
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