斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。   作:蒼井夕日

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最終話 二人だけが知る世界

 

 夕日はもう沈む寸前で、赤く染まったこの通りを歩いていると、左側に公園と自動販売機を見つけた。

 

 「……のど渇いた」

 

 意味なくそんなことを呟いて自販機の前に立つ。

 何か月前のことだろう。

 前に、この自販機で先輩におごってもらったことがあったっけ。あの時は調子にのってブラックコーヒーを選んで痛い目にあったけど、その時の苦みが今になって鮮明に思い出せた。先輩と出会って、まだ数日とかだったころだ。

 

 「懐かしいなぁ」

 

 チャリンチャリンと小銭を入れて、わたしはブラックコーヒーではなく、黄色のラベルにゴシック体で印字されたそれをぽちっと押した。

 取り出し口から取り出して、プルタブを開けようとしたところで手を止める。

 今飲んだら、余計に喉が渇きそうだったから。

 

 結局そのままスクールバッグにしまって、さっき歩いていた道をまた歩いた。

 

 「らーらーらー、らららーらー」

 

 口の中だけでごもごもと歌ってみる。なんだか今日は独り言が多い気がするけど、誰も聞いていないからいいよね。こんな日もある。さっきまであんなに泣き散らしていたくせに、今はむしろ心が晴れていた。

 ……いや、もやもやした気持ちを、必死に晴らそうとしていた。

 

 だって、聞いてしまったから。

 二人の──先輩と結衣先輩の会話を。

 

 保健室で泣き晴らしてから、帰ろうと生徒玄関に向かったところで、二人が下駄箱の前で話しているところを聞いてしまったのだ。目も結構腫れていたからという理由もあったけど、思わず影に隠れてしまって。

 そしてちょうど、結衣先輩の声がしたのだ。

 

 『ヒッキー、いろはちゃんのことが好きだから』

 

 なんて。

 

 いやいや、ありえない。

 ない。絶対ない。

 だって、それを言ったのはもちろん先輩本人じゃないんだから。

 結衣先輩が憶測で言っただけ。

 

 だけど……。

 つい、期待してしまう。

 もしかしたらがあるのかなって。

 

 しかも、言われた後の先輩の変なきょどり方も見たせいで、わたしの期待は大きく揺さぶられる。

 

 「ない、よね……」

 

 そんなことを呟いたけど、わたしの顔は少しずつ熱くなっていた。

 完全に期待しちゃってる証拠だ。

 

 でもダメだ。結果が期待してたことと違ったとき、きっとショックを受けるから。たぶんしばらくの間不登校になるくらい。

 

 だから、今はとりあえずこの熱を冷まさないと。

 そう思って、バッグにしまったばかりの黄色い缶を頬に当てた。

 

 缶を当てたまま、手を団扇のようにして扇いで歩いていると、ちょうど丁字路から曲がって歩いてきた人とぶつかった。

  

 「わっ!?ご、ごめんなさい!大丈夫ですか…………へ?」

 「ったた…………って、あれ?」

 

 倒れかけたわたしの体を支えたその相手は、海浜総合のブレザーを着た男子。中学時代から垢抜けて美青年になった裕君だった。

 

 「ゆ、裕君!?」

 「いろは?ごめんぶつかっちゃって。大丈夫だった?」 

 「うん、わたしは大丈夫。こっちこそごめんね。…………ていうか、なんで裕君がここに?」

   

 本当はちょっとだけ足がズキっとしたけど、心配されるのも面倒だったから嘘をついた。

 

 「部活終わりに総武校の友達と遊びに行くことになってね」

 「そ、そうなんだ。あの超陰キャの裕君にも友達かぁ。本当は彼女とかじゃないのでござるか~?」

 

 うりうりと肘で突いてからかうと、裕君はくすぐったそうに身を捩った。

 

 「ち、ちがうから。僕はそもそも…………好きな人いるし」

 「ほほう、なるほど。……して、告白は?」 

 「…………」

 

 ニヤニヤしながら聞くと、裕君は照れたように顔を赤くして逸らした。

 垢抜けても恋愛に関しては初心なところが中学生の頃から変わっていない。だからついいじってしまう。そして、いじられたときにすぐ話を逸らそうとするのも裕君の癖だ。

 

 「い、いろはは帰りの途中?」

 「うん」

 「じゃあ帰りまで送ってってもいい?」

 「え?別にいいけど……お友達は?」

 「いいのいいの。あとで合流すればいいだけだから」

 「そ、そう?」

 

 結局押し切られて、わたしと裕君は駅へと歩いた。

 その道すがら、裕君とはいろんな話をした。

 学校のこと、部活のこと、進路のこと。

 そして、先輩の話も。

 

 「ていうか、いろはこそ…………好きな人はいないの?」

 

 おそるおそる、伺うように聞く裕君にちょっぴり驚いた。

 今まで、わたしが裕君の恋愛話を聞くことはあっても、裕君が聞いてくることはほとんどなかったからだ。

 裕君は正直に答えてくれたし、まあ、減るもんじゃないしと思って、正直に頷いた。

 

 「うん、いるよ。もうフラれちゃったけどねー」

 「…………」

 

 言った途端、裕君が息を飲んだように見えた。人の恋バナに緊張してるのかな。

 

 「それって…………やっぱり比企谷君のこと?」

 

 少しだけ声が低くなった。前から気づいてはいたけど、裕君は先輩のことをあまり良くは思っていないみたい。カラオケに行ったときに二人が言い合いしてるところも見たし。

 まあ先輩は普通にしててもいろんな人から反感買うし仕方ないけど。

 

 「……そうって言ったら?」

 「アイツはッ!……比企谷君は……いろはとは釣り合わないよ。もっと他に相応しい人がいると思う」

 

 一瞬顔が出かけた黒い部分をなんとか押しとどめ、裕君は深く呼吸して言う。

 本人は気づかれていないと思ってるみたいだけど、わたしは裕君が普段猫をかぶっていることは知っている。まあわたしも似たような感じだから、むしろ好感を持てたりするんだけど。特に裕君に関しては、わたしを心配してのことってわかってるから許せてしまう。根は優しい人なんだよ?本当だよ?

 

 「うーん、まあ先輩は誤解されやすい人だからねー。裕君も先輩と一緒にいてみれば印象変わると思うよ?うわ、コイツ思ってたより百倍はめんどくせぇ……ってなるから」

 「そんな人のどこがいいのさ」

 「そんなめんどくさいところが、だよ」

 

 にかって笑って言うと、裕君はやれやれと呆れたようにため息を吐いた。

 どうやら先輩の良さはわかってもらえなかったらしい。自分でもニッチな趣味してると思う。

 

 駅前まで来ると、主婦や仕事終わりのサラリーマンなどが行き交って賑やかだ。

 

 「のど渇かない?あそこでなんか買って来るよ」

 

 裕君はスターバックスを指さした。ちょうど喉は乾いていたし、素直にお願いした。

 待ってる間、手頃なベンチに腰掛けてぼーっと通行人を眺めていると、その集団の中からぴょんとはねた黒いアホ毛を見つけた。

 見まがうはずもない、先輩だ。

 

 先輩はわたしに気づく様子もなく、何故か駅構内から反対のこちらへ向かってくる。

 どうか見つかりませんようにと顔を俯かせていたんだけど、先輩の足跡は段々と近づいてきて。

 

 「…………あ」

 「……………………」

 

 ついにばったりとご対面。

 声をかけるか知らないふりをするかを迷っているようだった。

 いつもの先輩なら後者を選択するだろうと思っていたから、完全に油断しきっていた。

 

 「一色」

 「っひゃい!?」

 

 だから、不意に名前を呼ばれて変な声が出てしまった。生徒玄関での会話を思い出してしまったからかもしれない。

 今は、まともに先輩の顔を見て話せる気がしない。せっかく冷めた顔も、どんどん熱くなっていく。

 

 「ど、どうもです」

 

 なんで今日に限って声をかけてくるんだこの人は。

 しかもいつもならこんなところでうろつかないで、即行家に帰るくせに。

 

 「ちょっといいか」

 

 いつものぶっきらぼうな声よりも、少し緊張が感じられた。

 わたしは先輩を直視しないまま応じる。

 

 「なんですか?」

 

 なるべく平静を装って、上ずりかけた声を必死にこらえる。

 

 「その……。話がある」

 「っ……!」

 

 ああ、いけない。

 自意識過剰だ。

 自惚れちゃいけない。

 期待するな。

 勝手に思いあがるな。

 ただの勘違いだ。

 結衣先輩が言ってたことも、きっとただの聞き違い。

 

 「それって今じゃなきゃだめなんですか?ちょうどお友達待たせてるんで、合流してからとか……」

 「……できれば、二人で」

 「…………どんな、話ですか?」

 

 決定的な問いかけだった。

 どくんどくんと、心臓が強く跳ねる音が全身に響く。

 わたしはそれを望んでいるはずなのに、なぜだか聞くのが怖かった。

 

 「…………ちゃんと、答えを出していなかった。どうすればいいのか、どう振舞うのが正しいのか、ずっと考えて、逃げ続けて。……でも、今日由比ヶ浜と話して、自分なりの答えを導いた。だから、その話を」

 

 先輩の言葉を最後まで聞かず、わたしは走り出していた。

 何をしているんだろうと、自分でも思う。でも、勝手に身体が動いていた。最悪の選択だ。

 雪乃先輩と、そして何よりも結衣先輩の顔を思い浮かべて、胸がきゅっと苦しくなる。 

 なのに、嬉しくて、嬉しくて仕方がない。わたしがずっと欲していた答えが、聞けるかもしれないのだから。

 

 そんな自分が、嫌になった。

 

 

* * * * *

 

 

 駅の中へと走っていく一色の背中を、ただ呆然と眺めていた。

 伸ばした手は届くはずもない。

 

 これは…………逃げられたってことなんでしょうかねぇ。

 いや、うん。一色も俺の様子から察しがついていたのだろう。

 つまり、そのうえで逃げられたということは。

 

 「……めっちゃ振られてんじゃん」

 

 ははっと乾いた笑みがこぼれた。

 俺が一色に声をかけ、話があると持ち出したのは、まあ、そういうことだ。

 きっかけは由比ヶ浜との会話。つい数十分前のことだ。

 由比ヶ浜の言葉を受け止め、整理をつけるために駅前のカフェで熟考を重ね、カフェを出たところで一色と邂逅した。

 ここでケジメをつけなければ、その後も一生逃げ続けるだろうと自覚していたから声をかけた。由比ヶ浜の後押しがあったというのも大きい。

 だが、その結果がこのザマである。

 本当に情けない。

 ダサすぎて笑えない。もうおうち帰って寝よう。

 深いため息を吐いて、俺は重たい足を駅へと向けた。

 

 すると、その先に見知った男が立っていた。九条祐介だ。

 

 「…………」

 「………………っす」

 

 自分で聞こえるかも怪しい声で会釈をして、すすすっと素早く通り過ぎようとしたところでガシッと腕を掴まれた。

 

 「無視するな」

 「……んだよ。一色が言ってた待ってる友達ってお前のことか?だったらさっきどっか行ったぞ」

 「ふん、わかっている。見てたからな。見事なフラれっぷりだったなぁ!はっはっは!!」

  

 性格悪そうに、そしてめちゃくちゃ嬉しそうに高笑いする腹黒美青年。

 しかしそんな煽りにさえ今は返せる気分でもなかった。

 

 「いや、振られてはないだろ。告ってないし」

 「だったらなんでいろはは逃げたんだ?」

 「…………関係ねえだろ」

 

 若干の苛立ちを込めて吐き捨てると、ぴくりと九条の眉毛が動く。

 

 「君じゃあいろはと釣り合わない」

 「……」

 「僕のほうがいろはのことをずっと想ってる。いろはと並んで歩ける男になろうと努力だってした」

 

 んなとこは言われるまでもなくわかっていることだ。

 葉山に劣らないほどルックスの良いこいつと一色なら、きっと傍から見れば、お似合いだろう。

 だから余計に腹が立つんだが。

 

 「そうかよ。だったら告ればいいだろ」

 「おまけに性格も悪いな。いろはが僕じゃなくてお前を好きなことは知ってるだろ。ったく、なんでいろははこんな男を……」

 「奇遇だな。それに関しては俺が一番感じてることだ」

 「なぜ得意げに言うんだ……」

 

 胸を張って言うと、九条は呆れたように肩を落とす。

 これ以上長話をするつもりはない。

 そこで話を打ち切るように、九条の横を通り過ぎた。

 

 そして次の瞬間、お尻に強い衝撃が襲った。

 

 「ったぁ!?」

 「バカか貴様は。いいから早く走っていろはを追いかけろ。殺すぞ」

 「は、はぁ?くそ、マジで痛ぇ……。本気で蹴りやがったなクソ……」

 「いろはは今不安なはずだ。お前が半端な気持ちで逃げ続けて来たからだ。そのくせちょっと逃げられたくらいで心へし折れるとかどんだけメンタル豆腐なんだよ女かっての!逃げた分の清算くらい自分でしやがれヘタレ野郎がッ!」

 

 俺の親が聞いたら泣いて崩れるんじゃと思うほどの罵声を、九条は一切の躊躇なく浴びせてくる。しかしその内容は、痛いほどに胸に刺さる。完全に図星だった。

 

 「うわ……めっちゃ泣いてんじゃん」

 「うるさい泣いてねぇ!」

 

 九条は叫びながら、ぼろぼろと目に大粒の涙を浮かべていた。

 それもそうだ。こいつにとって一色は恩人で、俺よりも一色を想っているというのは本当だろう。いや、きっとこの世の誰よりも、一色を好きでいるのはこの男なのかもしれない。にも関わらず、俺を一色のもとへと行かせようとするのは、やはりどこまでも一色のことが好きだからに他ならない。

 

 「……わかった。おかげで覚悟が固まった。感謝する」

 「ふ、ふん。わかったならさっさと行ってこい。どうせまた振られるだろうけどな」

 

 そんな九条の憎まれ口を背に、俺は駅へと走り出した。

 

 

* * *

 

 

 電車に乗ったはいいものの、そもそも一色が電車に乗ったのか、乗ったとしてもどこで降りたかなんてわからなかったので、とりあえず、俺と一色の家から最寄りの降車駅で降りた。

 電車を降りた頃には、外は土砂降りだった。傘は持っていなかったし、さすがにこの状況で外に出たというのは考えにくい、が……。

 

 「…………」

 

 とりあえず一色家方面の道だけでも探すことにしよう。

 そう思って、俺は駅を飛び出した。

 傘はしていない。なぜなら今、アドレナリンがどっぱどぱ出ているせいで寒さがあまり感じないのだ。由比ヶ浜の告白から始まってこの状況だ。普段と違いすぎるシチュエーションに、多少興奮してしまうのは仕方ない。

 

 全身濡れ鼠になるのも構わず走り続けると、見つけた。一色だ。

 傘もささず、疲れ切っているのか重たい足取りで歩いていた。

 

 「い、いっし…………ごほッ!ごほッ!いっ……はぁ……はぁ……」

   

 やっと追いついたはいいものの、まったく呼吸が整わなくてまともに喋れない。アドレナリンのせいで疲労の感覚も鈍っていたのだろうか。

 

 「なんで…………なんでですか。なんで、来たんですか……」

 

 こっちを振り返らずに、一色は責め立てるように言った。その肩は微かに震えているように見える。

 

 「先輩は、結衣先輩のことが好きなんじゃないんですか?」

 「…………」

 「せっかく結衣先輩が告白してくれたのに、なんで断っちゃったんですか?」

 「みっ……見てたのかよ……」

 

 まさか、今日の下駄箱前での会話を聞かれているとは思わなかった。 

 ということは、俺が由比ヶ浜の告白を断って、俺が泣いたところまで見られたという事か。なにそれ恥ずかしい。死にたい。

 

 「あんな素敵な女の子、もうこの先何千年待っても現れないですよ。きっと」

 「だろうなぁ……」

 「後悔してないんですか」

 「…………してない」

 「なんですか今の間」

 

 上ずった声が急に低くなる。怖い。

 

 「まあなに、とりあえずここ寒いし、雨だし、風邪ひくし。俺の家上がるか?」

 

 着ていたブレザーを一色の頭にどさっと乗せて言った。

 普段の俺ならば絶対に出ない行動と発言。それもこれもすべてアドレナリン以下略。

 

 断られたらどうしようとも思ったが、一色は頬を微かに赤らめて、こくりと頷いた。

 やばい。なんか急に一色がめちゃめちゃ可愛いんだが。

 

 

* * *

 

 

 「…………」

 

 自宅の扉を開けると、ちょうど自室のある二階から小町が降りてくるところだった。

 

 「た、ただいま」

 「お、おに、お兄ちゃんが…………?」

 「おい、その先を言ったらいくら優しい兄でも怒るぞ?」

 「…………こ、こっほん!いやぁ~、初めましてようこそ我が家へご足労頂いてありがとうございますぅ~。私は兄の妹の小町です!すぐにタオルをお持ちしてくるので少々お待ちくださいませ!」

 

 あまりにも不自然な歓迎の挨拶を一色にすると、小町は奥にたたっと消えた。

 

 「そういえば会ったことなかったか」

 「は、はい……。全然似てませんね」 

 「自分の名前より聞いた一言だ」

 「でしょうね……」

 

 一色は物珍しそうに、下駄箱の上の置物などを眺めていた。

 

 「足まだ痛むんだろ。あんま無理したら悪化するぞ」

 「このくらいの痛み、生理痛に比べたら大したことないんでへっちゃらですよ」

 「あ、そ、そう……」

 

 うん、まあそうなんだろうけど、だからってそういう単語急に出されると心臓に悪いからやめてほしい。

 

 「お待たせいたしました~!ささ、こんなこともあろうかとお湯も沸かせてますから、どうぞごゆるりとお寛ぎください!」

 「は、はぁ……」

 

 ぐいぐいと一色の背中を押して、脱衣所へと連れて行った。

 手際の良い小町のことだ。着替えとかも用意してあるのだろう。

 すると、小町が脱衣所からダッシュで俺のもとへ走ってきた。

 

 「ちょちょちょちょちょお兄ちゃんなにあの美人さんいや普通にビビるから事前に連絡してくれないと困るんだけど?おかげで小町、あんな美人さんを『アイラブ千葉Tシャツ』でお出迎えしちゃったじゃん!誰!誰!ねえ誰!」

 「お、落ち着けって。前にも何回か話しただろ。アレが一色だ。ていうか俺のシャツ勝手に着といてその言い草はちょっとひどくない?」

 「ほぁ~……あの人がイッシキさんの正体…………。え、お兄ちゃんあの人に告白されたの?」

 「まあ、そうなるな。雨止むまでだから、我慢してくれ」

 「いや、我慢ってか……。ちょっと小町買い物行ってくるから。うち今なにもないから」

 「そんな気回さなくていいと思うが」

 「はぁ?お兄ちゃんが女の子を家に連れ込むなんていうビッグイベントにこの妹小町がじっとしていられるもんですかっ!」

 「お、おう……」

 

 小町は謎のテンションで財布とカッパを装着すると、韋駄天走りで家を出ていってしまった。

 受験勉強の気晴らしにでもなるならよかった、といえるのか。

 

 そして一色を待つこと十数分。

 小町の部屋着に着替えた一色が、おそるおそるリビングに入ってきた。

 

 「すみません、お風呂と……着替えまで借りちゃって」

 「ああ、気にするな。前俺が泊った時の借りだと思ってくれ」

 

 そう冷静に対応するが、内心の俺はもはやかなりの興奮状態だった。

 パーカーはまだわかる。小町が着ればダボっとしたサイズでも、一色にはちょうどいいように見える。

 しかし問題はパンツ。ねえ、小町さん?なんでショートパンツにしたの?もっと布面積が広いのあるでしょ??

 そのおかげで、一色の細くも程よく柔らかさを帯びていそうな艶やかな太ももに視線がいってしまう。

 いけないいけない。ただでさえ家に女子を招いているのだ。下心があるなんて思われたくない。

 

 「あれ、小町ちゃんは?」

 「なんか張り切ってるらしくてな。買い物に行ったわ」

 「そ、そうですか」

 「………………」

 「………………」

 

 あれ、普通に考えてこの状況結構まずいのでは?

 家に二人とか、それだけで下心があると思われるのでは?

 

 一色はそわそわと髪を触ったりして落ち着かない。

 

 「…………あの、それで……聞かせてもらってもいいですか。先輩の、話」

 

 覚悟を決めたような、ともすれば緊張を隠すような声だった。

 

 「いや、でもここだといつ小町が帰ってくるか……」

 「…………じゃあ、先輩の部屋で、とか」

 

 

* * *

 

 

 流されるように来てしまった俺の部屋に、俺と一色は座っていた。

 なぜか、床に。しかも対面するように。彼我の距離わずか3センチほど。

 近い。めっちゃ近い。

  

 もちろん俺が狙ってこう座っているわけではない。

 ベッドに座るのはどうかと思ったし、勉強机にしても俺だけ座るのはアレだと思ったので床に座ったら、一色が俺の目の前に座ったのだ。だから仕方ない。 

 

 「その、だな……」

 「…………」

 

 おそらく、俺も一色も、その「話」の認識は同じだ。

 そして、きっと少なくとも悪くない結果になるのではないか、という望みがあった。

 一色もきっとそのつもりだから、髪をいじったり、ちらちらと伺うように見てくるのだろう。

 

 「わたし、今かなり期待しちゃってます。もし全然違う話だったらショックのあまりぶん殴るかもです」

 「えぇ……。たぶん大丈夫だと思うが……」

 「ほんとでござるか~?」

 「ほんとほんと。これが嘘ついてる顔に見えるか?」

 「そんなこと聞かれましても、先輩つねにペテン師顔してるのでなんとも。あ、でもなんかちょっと顔が赤いですね?緊張してるんですか?」

 「するだろそんなの。そっちだって、緊張を隠そうとして軽口叩いてるのバレバレだから」

 「なっ…………ち、ちがいますし!先輩がヘタレて中々言わないから……!」

 「……わかった。じゃあ言うぞ?」

 「……………………」

 「あの、言いづらいから急に黙るのやめてもらえる?」

 「も~なんなんですかぁ!」

 

 そんな緊張感の何もないやりとりをする傍らで、俺の右手と一色の左手はしっかりと繋がれていた。指一本一本を絡めるように。いわゆる、恋人繋ぎと言う形で。

 一色はぷりぷりと文句を言いつつも、感触を確かめるようににぎにぎと握ってくる。

 

 「言う気がないなら帰りますよ?」

 「いや待て。今度こそ言うから」

 「…………」

 「正直、自分でも整理がついてない。一色に対するこの気持ちが何なのか、真剣に考えずに逃げてきた」

 

 上手く言葉にできる気がしない。

 それでも、一色は黙ってその先を聞いてくれた。

  

 「奉仕部に亀裂が生じた時、俺はどうしたらいいか分からなかった。自分がした選択が正しいのかさえわからなかった。結局何も変わらなかった」

 

 俺が生徒会長になったきっかけを思い出しながら言葉にした。

 

 「あの夜に一色が俺たちに対する想いを伝えてくれたから、俺は行動できたんだ。おかげで今日、なんとかなった。助かった。ありがとう」

 「…………」

 「つまりだな……なんていうか、一色の言葉で元気づけられたっていうか……一色が見ていてくれると思ったら何でもできる気がするっていうかだな……」

 

 ここへきて、肝心の一言が喉でつっかえて出てこなかった。自分の本音を伝えることはとても勇気がいることだから。

 だからつい、誤魔化してしまう。

 

 「そう、つまり一色は俺にとってきびだんごのような存在で……」

 

 言いかけた途中で一色の顔が引きつった。ほんとごめんなさい。

 

 「……せっかくのムードが台無しです。どこに女の子をきびだんごで例える男がいるんですか桃太郎ですか」

 「いや……今のはそばにいて欲しいっていう意味の比喩表現でだな……」

 「………………」

 

 むーっと頬を膨らませて訴える一色。

 そんな仕草さえ可愛いと思ってしまうんだから俺もチョロくなったものである。

 

 「一言、言ってくれればすむじゃないですか」

 「それだけじゃ足りないんだよ。どれだけ言葉を尽くしても足りない」

 「それでも、言ってほしいです」

 「…………」

 

 さっきまで繋いでいなかったもう一方の手も、右手と同じように指を絡ませた。

 そして、どちらからともなく、顔を寄せて、こつん、とおでことおでこを合わせる。

 一色が息をするたびに、甘い香りが脳を揺らす。

 

 「言ったら、満足するか?」

 「…………それだけじゃ、無理かもです」

 「わかった。言う」

 「…………はい」

 「一色」

 「……はい」

 

 

 

 「好きだ」

 「…………………………………………わたしも、です」

 

 

 

  ……………────。

 

 

 

 瞬間、唇が優しく触れ合った。

 

 「ん……」

 

 目を閉じた先で、一色の声が漏れる。 

 お互いの熱を確かめ合うように。ゆっくりと、数秒、数十秒。

 

 俺からも、一色からも、触れた唇を離そうとはしない。

 触れるだけだった口づけは、やがて押し付けるように。

 

 

 少しでも、離してしまわないように。

 

 

  

  ▼  ▼  ▼  ▼ 

 

 

 

 そのあと何かあったのかと聞かれれば、特に何もありませんでしたという男として情けない回答をせざるを得ないわけだが。

 それも仕方ない。家には小町がいるんだもの。

 兄のそういうのって見たくないだろうしね。

 

 翌日になると、落書きの件が既に解決していることを聞かされた。

 昨日のうちに雪ノ下が色々と手を回してくれていたらしい。犯人はほとんどわかっていたし、別に尋問なんかしなくても、海浜総合の先生に密告をして事は万事解決したというのが雪ノ下の証言だ。尋問じゃないにしろ、『密告』っていうあたりが怖い。さすがの雪ノ下軍隊長である。

 

 

 そして、放課後。

 俺はいつもより早くに奉仕部部室へ来ていた。

 

 「あら、こんにちは。今日は早いのね」

 「うす」

 

 席に着くと、雪ノ下はすぐに紅茶を入れてくれた。

 

 「さんきゅな。なんか一人で色々やってくれたみたいで」

 「別に私は大したことはしていないわ。玉縄先輩から得た情報を平塚先生に伝えただけだから」

 「……そうか」

 

 ずずっと紅茶を啜る音が鳴る。こうして雪ノ下と二人だけで部室にいるのは、なんだか懐かしい気分だった。

 

 「それと、比企谷君」

 

 不意に、雪ノ下は文庫本から顔を上げた。

 

 「あなたが私に対して何か危惧していることがあるとするなら、それは杞憂よ。私があなたを頼ったのも私の選択で、あなたはあなたの思う選択をした。ただそれだけ」

 「…………そうか。わかった」

 「結局、一色さんには助けられちゃったけれどね」

 

 ふっと笑う雪ノ下のその表情は、少しだけ子供っぽく見えた。

 

 「やっはろー!」

 

 ガララッと無駄にデカい音を立てて入ってきたのは由比ヶ浜。

 昨日のことを思い出すと、まともに顔を見れる気がしなかった。

 

 「ヒッキーもやっはろー!」

 「お、おう、はろー……」

 

 名指しで挨拶をされてしまえば否応にも返さざるを得ない。

 なんでこいつはこうもピンピンしてるのだろうか。振った俺がむしろ気にしてるこの状況、絶対おかしい。

 

 そして、そろそろアイツが来てもいい頃だ。

 いつもなら半泣き(演技)で奉仕部にやってきて雪ノ下に頬ずりするプロの後輩、一色。

 

 と、思っていると、そろそろと部室のドアがゆっくりと開かれる。

 

 「あのー…………」

 「あら、来たのね一色さん。どうぞこちらへ」

 「ひ、ひぃ……」

 

 なぜか怯える一色と、獲物を捕らえるようににっこりと微笑む雪ノ下。 

 

 「なに、どうしたの」

 「な、なんかその……話があるから放課後来いって、直接一年の教室まで来まして……」

 「うわこっわ……それでよく来たな」

 「来なかったときの方が余計怖いですよ。何されるか分かったもんじゃないです」

 「一色さん?」

 「ひゃい!?」

 「それと比企谷君?」

 「な、なんでしょう?」

 「いくら付き合ったからと言って、これ見よがしにイチャイチャするのはやめてもらえるかしら?」

 「「え」」

 

 俺と一色の声が重なった。

 え、いや、まだ誰にも言ってないはずなんだけど……。

 と、視界の横で顔を逸らしているガ浜さんを発見した。

 

 「おい」

 「や、やー!違くて!いや違くないんだけど、その、小町ちゃんから……ね?」

 「…………あいつかよ」  

 

 うちにスパイがいやがった……。

 まあとはいえ、いつか言おうと思っていたことではあったのだ。

 それが早まったと思えばいいだろう。

 

 「まあなに、その……そういうことなんで、よろしく……」

 

 おそるおそるいう横で、一色が顔を俯かせていた。

 

 「その……結衣先輩……」

 「いーのいーの!後悔はしてないから」

 「結衣、先輩……」

  

 平気平気と言う由比ヶ浜に、一色の目はどんどん潤んでいく。

 

 「だからって、諦めたわけじゃないから。女の子が同じ人を好きになった時は、ね?」

 「ひゃ、ひゃい……」

 

 突然鋭くなった由比ヶ浜の声に、一色は震えるように肩を揺らした。

 

 「雪乃先輩、は……」

 「あなた、もしかして私がこの男を好きだとでも思っているの?寝言は寝て言うものよ」

 「で、ですよねー……ってちょっとちょっと握りこぶしつくるのやめてください無理やり寝かそうとしてるじゃないですか!!」

 「冗談よ」

 「ゆ、雪乃先輩は冗談が冗談に聞こえないから怖いんですよ……」

 

 二人の先輩の圧力によって完全に委縮している一色は俺に助けを乞おうと見てくるが、顔を背けて知らんぷりを決め込んだ。

 一色はそれを見ると、むくっとふくれっ面をして俺の腕を引っ張っていく。部室の外へ。

 

 「ちょっと、あなたたちどこ行くの?」

 「なんか怪しい!ヒッキーもちょっとは抵抗してよ!」

 「へっへん。今や先輩はわたしのものです。結衣先輩の言うことなんて聞きませんよーだ」

 

 ぐいぐいと引っ張られる。痛い。

 俺も抵抗しようと試みるが、存外力が強いし関節を決められてるとわかってすぐに諦めた。

 

 「先輩、いきましょ!」

 「行くって、どこにだよ……」

 

 聞くと、一色は俺の耳に口を寄せて、こそっと、俺にだけ聞こえる声で。

 

 「二人きりになれるとこです」

 

 小悪魔のように微笑んで、そんなあざといセリフを囁いた。

 今までウザいとしか思っていなかったそんな仕草さえ、今では愛おしいと感じてしまう。

 

 きっと、これからも。

 

 

 一色いろはの小悪魔生活は終わらない。

 

 

                   了

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