斯くして、一色いろはの小悪魔生活は終わりを迎える。 作:蒼井夕日
いやー、実は家にいろはタペストリーが届いたんでゲスよ……。
これで快眠寝不足解消いろはバンザイ!
砂糖とミルクの大量投下によって、見た目からでもわかるほど激甘そうな色になった元ブラックコーヒーをぐびっと口に含む先輩。
どうせそんな甘くするんだったら、わたしと同じカフェオレとかにすればいいのにと思うけど、そこは先輩なりのこだわりがあるのだろう。マッ缶愛好家を名乗る先輩にそこをつっこんだら、「カフェオレなんてコーヒーじゃねぇ!」とか言ってきそうな気もするし。ていうかカフェオレの語原もコーヒーだと思うんだけど……。
そんな先輩が語った、先輩が会長に当選する勝算。
その一つは、最初に言っていた、葉山先輩を応援演説にするということだ。
葉山先輩はいうまでもなく学内カーストの最上位にいる人気アイドルだし、バックアップとしては力強い味方になる。男子人気オンリーのわたしとちがって、男女問わず注目を集めている。
先輩とは対極にいる葉山先輩に頼んでも請け負ってはくれないだろうと思って質問したんだけど、
「一色のためだ」という一言で折れてくれたらしい。葉山先輩の人情深さを利用する狡いやり方がまさに先輩らしいけど、わたしのために葉山先輩が手伝ってくれるというのはちょっとだけ嬉しかったりする。
そして二つ目は、わたしの選挙ポスターを校内中に掲示したことだ。
はじめはわたしの立候補がなるべく漏れないようにするために選挙活動は一切しなかったんだけど、先輩が生徒会長になるという突然の作戦変更によりわたしのポスターが校内の至る所に貼られているらしい。あ、もちろんちゃんと許可はとったから大丈夫。
そうすれば立候補者への牽制となって、わたしと先輩との一騎打ちになるわけだけど。
「葉山先輩に協力をお願いするのはいいと思うんですけど、結局立候補するのは先輩ですよね?本当に勝てるんですか?」
「問題は立候補者の方じゃない。会長候補が誰であろうと、その推薦人が葉山であることには変わりはないからな。んでさらに、いくら悪評があったとしても、それは一部だけで俺の知名度自体は低いから、とりあえず俺に投票しとくって生徒が大半だ」
「なるほど……」
「それと、一色が一番危惧している沽券────ブランドについてだが、それも心配ない。お前は俺じゃなくて葉山に負ける。それなら問題ないだろ?」
「は、はい。ありがとうございます」
えっと、とりあえず大丈夫、なのかな……?
問題を解消するための案を、指を一本ずつ折りながら講じる先輩。
先輩が会長になる勝算だけではなく、あくまでもわたしの当初の依頼──他人からの同情的な視線を回避するということを念頭に置いてくれたのだ。
紆余曲折はあったけど、わたしへの配慮は欠かさない。
見た目に似合わず世話焼きさんなのは、妹がいることと関係あるのかな。
先輩の妹とか、どんな人なんだろう。先輩に似てたら可哀そうだなー。
「あとは一色の応援演説なんだが……」
「あ、それは大丈夫です。適当に男捕まえておくんで」
「そうか。一色の了承も得たことだし、選挙に関して留意すべきことはなくなったな」
粗方の説明を終え喉が渇いたのか、先輩は残ったコーヒーを一気にあおる。
わたしも、数分前に注文していたパンケーキを一口。うん、やっぱ話題にあがるだけのことはあって、他のお店と比べて断然おいしい。パンケーキのふわふわ感はもちろんなんだけど、このシロップとクリームが絶妙にマッチしていて、噛むたびに甘さが際立っていく。こんなに甘くて、砂糖不使用らしい。これは女性に人気なわけだよ。
「これでもしわたしが勝っちゃったら、先輩どうしてくれるんですか?」
「っふ、俺を甘く見るな。土下座の心構えはいつだって出来てる」
「それだけじゃダメです。もしそうなったら、会長権限で先輩を奴隷にしますから」
「会長権限強すぎない?どうか日本国憲法の範囲内でお願いできないですかね」
「……仕方ないですね。先輩にだって一応人権ありますもんねー」
事務的な話──選挙についての話は一区切りつき、他愛もない雑談を交わし始めていた。あたりを見渡せば、わたしたちが入った時よりも人は増えていて、その客層は若い女性が多かった。
中には初々しいカップルなんかもいて、周りの女性客が面白そうに二人を見てくすくすしていた。
つられてわたしもそのカップルに視線がいく。
──ふむふむ。見た感じ、女の子の方は結構気合が入っていて、髪も美容院にいったばっかりって感じだ。黒のニットに、ミニスカートから除く絶対領域。今季流行りのブーツなんかも履いていて、傍から見れば恋する乙女にしか映らない。
それに対して正面の男の子の地味さと言ったら……。いや、別に顔も悪くないし細身でスタイルもいい。けど、服も到底見繕ったとも言い難いし、ぴょんっとはねた寝ぐせくらいは直してもいいんじゃないかと言いたくなる。反対にいる女の子とは不釣り合いに見えるけど……。
「なんか、あの人先輩に似てますね」
「いや、似てないでしょ。俺はもっといい目つきをしてる」
「先輩のっていい目つきなんですね……。というか、先輩っていうより──」
あのカップル、いまのわたしたちっぽいような……。
お洒落可愛い女の子と、冴えない男子。
その構図はわたしと先輩の関係を表しているようで。
っていやいや、それじゃあわたしが先輩を好きみたいになってるし。
あの男子がもっとイケてる男の子だったら、この瀟洒なカフェに似つかわしい、完成品のようなカップルだと認めるだろう。でも今の二人じゃあ天秤にのっけたら完全に女の子の方に傾いてしまいそうだ。
しかし、先輩は同情的な表情を滲ませた。
「あの男も気の毒だ。絶対弱み握られてるでしょ、アレ」
「そんなことないですよー。案外まんざらでもない感じじゃないですか?顔赤くしてますし」
「いや、周囲の視線が痛いだけだろ。もう拷問レベルだと思うんだけど」
「……確かに、先輩と同じで友達いなそうですし、見られることに慣れてなさそうですしね」
改めて周りを見てみると、くすくすと興味深そうに二人を見守る人たちが「付き合ってるのかなー?」「いいなぁ、わたしも彼氏つくろっかなぁ」などと話はじめていた。助けてあげたい気持ちもちょっとだけあるけど、そんなわたしも興味本位でカップルさんを観察してしまう。
…………んー、でもせっかくだし、先輩をからかってみるのもアリかな。うん、いいこと思いついちゃった。
あー、あー、んんっ。よし、準備万端っ。
「せんぱぁい、わたしのパンケーキ、一口たべますかぁ?」
普通に会話するには少し大きめに、パンケーキより甘い声で先輩に身を寄せる。予想通り、先輩は嫌な顔をしたけれど。
「いや、いらんけど。急になんだよ」
「ほらほら、あの人たちだけに注目されるのはちょっと悔しいじゃないですか。おすそわけもらいましょうよ」
「視線のおすそわけとかいらないから。ちょっ、おい、押し付けてくるな」
「いつもみたいにぃ、あーんってしてくださいよぉ~」
「毎日お前に介護されるほど老体になった覚えはない」
「でも前もお弁当の時したじゃないですかぁ。パンケーキ落ちちゃいますよ。それに、このままだと周りの視線も……」
「わかった、食う、食うから」
先輩は周りの視線に気づいたのか、のけ反った姿勢のままはむりとケーキを口に含む。「またしちゃいましたね、間接キス」と追い打ちをかけようとも思ったけど、顔を軽く赤色に染めながらこちらを睨む先輩を見たら、なんかもうお腹いっぱいになっちゃった。
そういう初心な反応されるとこっちも恥ずかしくなるのでやめてください。
「美味しいですか?」
「よくわからん……」
言って、口の中をすぐに流そうとコーヒーを飲む先輩に、再び小悪魔いろはが顔を出した。
わたしはわざとらしく唇を舌でぺろりとなめて、
「あー確かに、今日は桃味のリップ塗ってるのでそのせいかもですね」
「げほッ!!お、おまえな……」
「あははっ、冗談ですよ冗談」
「…………」
いい加減怒られそうなのでやめておこう、うん。でも、恨みがましそうな鋭い目つきも、赤らめた頬のせいで怖くはない。…………あ、あれ?先輩がいつにもまして強めに睨んでくるのに変に背中がゾクゾクする。もしかしてわたし、そっちの気あるのかな。自分では今までSかと思ってたし周りにもそう言われてたけど……。
なんだか変な性癖に目覚めてしまいそうになったので、手の甲をつねって我に返る。
にしても、かわいいなーこの人。からかえばからかうほど面白い。
間接キスくらいで動揺してしまうなんて、ほんとに女性経験少ないんだろうな。
「……それ食ったら出るぞ。おまえのせいでここ修羅場だから」
「はーい」
女性客の視線に居心地悪そうな先輩は、まだ顔を赤らめたまま残りのコーヒーを飲み干した。
* * * * *
「疲れた……」
一色と店を出て、ショッピングモールに戻ってきた俺は手頃なベンチに腰かけていた。
何故帰らないのかという問いに答えるなら、まだ解放されてないからと言うほかない。一刻も早く我が家へ帰ろうとつま先を帰路に向けると「ちょっと井坂君に言い訳だけしてくるので待っててくれませんか?逃げちゃだめですからね♪」と首根っこ掴まれたのが2分前の出来事である。
別にしっぽ巻いて逃げてもいいのではないかと自問したのだが、あいつのことだからその選択肢は真っ先に消去した。後日になってから責められるのも嫌だし。
そうして、焦らしプレイ真っ只中の俺は浅くため息をつく。
──なぜ一色といるとこうも疲れるのか……。
一色と会ってからの数時間で既に気骨が折れているが、すこし考えて合点がいく。数日前まで一色を、劣化版城廻先輩兼上位版相模兼超劣化版はるのんだと侮ってたのは俺じゃねえか。つか、活字にしたらすげえ技名みたいで読みづれえな。
それに加え最近は、由比ヶ浜や小町っぽさもどこかある気がする。いや、もちろんすべてのステータスにおいて小町が圧倒的勝利を飾るのは間違いないんだが、5人の性格を足して5で割ったような性格をしていればそりゃ疲れるわけだ。三位一体どころか五位一体とか、キリスト様お怒りになるのでは……。
なんなら一色なら本当に男神ですら手懐けてしまいそうだから怖い。神チョロいな。
そんなことを考えつつ暇を潰すも、手持無沙汰であることは変わらない。 所在無くあたりを見渡す。
飲食店をはじめ、ブティックやアクセサリーショップが多く並ぶこの階では特に中高生や大学生が多いが、中には子供連れの若いご夫人なんかもいる。特に学生の喧噪な話声がさらに疲労を助長させる。こいつらなんでこんな声でかいんだよ。特に大学生。おい、今こっち見て笑ったろチャラ男。
目の前を過ぎ去っていく腰パンチャラ男野郎の背中を睨みつけていると、その男のさらに奥に、小学校低学年くらいかと思われる少女が佇立していた。
両手で目をおさえつけている所から推測すると、おそらく迷子で泣いているのだろうか。
あたりを見渡してみるも、無視するものと好奇の目で少女を見るものばかりで救いの手を差し伸べようとするものはいない。
────マジか……。
心の中でそうこぼす。
せめて先ほどのご夫人がいれば声だけでもかけてくれたのかもしれないが、俺の期待を裏切るようにまわりにいるのは学生ばかり。
正直いえば、俺は子供が苦手だ。だから俺じゃない誰かが助けてやるのを待っていたかったのだが、ずっと衆目の目に晒されている少女を見捨ておけるほどの度胸もなかった。これでしらん顔して背向ければプリキュア教訓を裏切ることになりかねない。自分を信じて!そうだよ、私たちはプリキュアだもん!
暴走するトラウムロボを止めるべく、ベンチから立ち上がり少女に声をかけた。
「どうした?母ちゃんとはぐれたのか?」
「…………誰?」
いつもより気持ち優しい声音で聞くと、少女が開口一番に発したのがこれだ。
いや……、まあ正しいよね。うん、君がもう少し大人だったら俺ただの不審者だもんね。
「別に怪しいものじゃないから心配するな。俺は八幡だ」
「怪しいものじゃないっていう人とお話ししちゃダメだって、おねえちゃんがいって……いってました」
「あー……はい、すまん」
もうこの子救いの手いらないくらいしっかりしてない?逆に謝っちゃったんだが。
しかしここまで来たからにはあとには引くまい。俺は少女と目線を合わせるべく腰をかがめ、小町が昔使っていた、キャラクターがプリントされたハンカチを少女に手渡した。
「……ありがとう、ございます」
少女は流した涙を静かに拭くと、拭いた側を反対にして折って返した。
不慣れな敬語といい、こういうところでこの子の育ちの良さがわかる。将来は有望な文学少女になること間違いないな。
俺は泣き止んだ少女の、ショートボブくらいある黒髪をくしゃって撫でる。深い意味があったわけではないが妹属性だから仕方ない。考えるより先の行動に不安を覚えるも、嫌がってないようで内心ほっとする。
さて、どうするか。
迷子は迷子センターに届けるのが一番いいのだろうが、「ついてこい」と言ってついてくるだろうか。会ってまだ3分も経っていないが、この子の賢さからすれば信頼を得ることが先だろう。
「えーと……名前はなんていうんだ?」
「みずき、といいます」
「みずきか。よし、こっちゃ来い」
「……?」
通路で話し続けるのも邪魔になるだろうと、先ほど座っていたベンチに再び戻る。そして、俺がこの少女──みずきから信頼を得る方法それは。
「これ知ってるか?電子ノートっていうんだ」
「でんし?」
「まあ俺も今朝知ったばっかなんだがな……」
俺が手提げ袋から取り出したのは、小町からお遣いとして頼まれていた電子ノートである。遠目で見れば黒い板にしか見えないそれにはスタイラスペン、もしくはタッチペンのようなものが付属しており、そのペンを使って文字や絵を描くことができる画期的な電子機器である。
電子機器と言ってもいたってシンプルで、電源ボタンはなく書いた文字を消すボタンがあるのみだ。計算用にはちょうどいいからという小町から頼まれたコイツを少女に見えるように、俺はすらすらと絵を描き始める。白一色で俺が描き始めたのは、昔小町を喜ばせるために練習していたリアル熊である。動物全般は得意なのだが、特に熊は得意で、この黒い体毛に覆われた筋骨もなかなか再現度が高いと自画自賛する。
俺の画力たるは、横から興味深そうにノートを覗き見るみずきが「おぉー、おおー」と目を輝かせて感嘆するほどだ。
「ほれ、なんか描いてみ」
リアル熊を描き終えペンとノートをみずきへ渡す。
最初は戸惑っていたようだが、意を決してペンを握って──
「……ん?」
──握った、というよりも、構えた、といった方が適切だった。
みずきは右手に構えたペンを、プロのイラストレーターの如く素早く筆を走らせていく。
もはやお絵かきの次元を超え、美術の域へと達しているそれを唖然と見届ける俺。シャッシャッっという音を奏でながら、その絵はものの数分で完成へと近づいていき、
「……で、きた」
ぽつりと呟いて、完成したらしい絵をこちらへ向ける。
そこに写るのは、蹲って泣いている少女に手を差し伸べる細身長身の男──おそらく先ほどまでの、俺とみずきを表しているのだろう。背景などは一切描かれておらず、二人だけがいる世界で二人の孤立と出会いを現すように、その液晶に広がっていた。
「すげぇな……」
と、そうこぼすしかなかったのは、「上手い」という一言で称賛するには些か失礼だと無意識的に感じたからだろう。それほどに、少女の描いた絵には才覚が現れすぎていた。
「絵描くのが好きなのか?」
「うん、好き、です。はちまんも好きなの?」
俺が描いた端っこにいる熊を指差すみずきだが、なんなら消してしまいたい。
芸術作品の隅っこに落書きしたかのようにいるそいつを恨めし気に見つつ、答えた。
「いや、好きってわけでもないな」
「そうなん、だ。上手なのに」
そういった少女の言葉には一切の嫌味はなく、本心から出たものだと感じられた。
「それを言ったらお前の絵の方が全然すごいだろ」
「……そう?」
「ああ。俺は今まで見てきた絵のなかで一番好きだぞ、これ。額縁に飾っときたいくらいだ」
一片の嘘偽りなくそう言うと、少女は出会って始めて見せる笑顔を必死に隠すように、唇をかみしめた。そして、かみしめた唇をゆっくり開き、
「わたし、大人になったら絵を描くお仕事をしたいの、です」
恥ずかしそうに俯くみずきだが、何を恥ずべきことがあるのだろうかと、再び彼女の頭に手を置き、
「いいじゃねえか。お前なら絶対なれる」
「うんっ…!」
みずきはぱっと快活に笑い、元気よく返事をする。
そうそう、子供は子供らしく元気なのが一番だ。
出会ってから何かと育ちの良さを感じたり、喋ってるときの独特な間とか妙に大人っぽい雰囲気を見ると、子供時代の雪ノ下はこんな感じだったのだろうかと思ってしまう。
ともあれ、そろそろ迷子センターへ届けたほうがいいだろう。
母ちゃんも心配して探しているだろうしな。
「よし、そろそろ母ちゃん探しに行くか」
「おかあさん、なんで?」
「なんでって、一緒に来たんじゃないのか?」
「きょうはおねえちゃんと一緒、です」
「んじゃ姉ちゃんを探しに行くぞ。歩けるか?」
「うん」
電子ノートを再び紙袋に戻して立ち上がる。一色は……まあいいか。
俺のブルゾンの端っこをつまむ少女を横目に見ながら、迷子センターへと歩き出したのだった。
* * *
「本当に、ありがとうございました」
「あ、いえ、全然大丈夫なんで。俺はこれで失礼します」
迷子センターからの迷子のお知らせがモール内に響いた数分後、みずきの姉らしき女性が登場。
女性というには随分若く、もしかしたら俺と同年代か一つ上くらいの印象をうけた。
彼女はみずきを一度抱きしめた後に、その肩ほどまである内巻きの茶髪を激しく揺らし、俺への謝辞を述べた。その謝辞っぷりといったら、大型犬の水浴び後くらいブンブンしてた。さぞ妹思いの姉なことで。ただ言っとくが妹思い度で言えば俺も負けてねぇからなっ!勘違いすんなよなっ!
「八幡、もう行くの?」
足元に視線を下げると、名残惜しそうな目で見上げるみずきがズボンの端をつまんでいた。随分なつかれたもんだと思いながらも、腰を屈んで最後、少女の髪をくしゃっと撫でてやった。
「次は迷子になんなよ」
「……うん、わかった」
去り際、みずき姉に軽く頭を下げてから、迷子センターを後にした。
* * *
迷子センターを出て、再び先ほどのベンチへ戻らなければならない俺は超遠回りしていた。いや、だってね?一色が先にもどってて何かと言われるの嫌だし。なんならもう帰ってしまおうかと思いつつもこうしてまだモール内にいるだけでも褒めてほしいんですよ?
だから俺は「ごっめーん、トイレ行ってたー♪ここすごく広くて迷子になるとこだったよ~、マジ、ごっめーん!」と言い訳する準備だけし、エスカレーターで上の階へ上っていた。
それは冗談として、実際はもう一台の電子ノートを買うためにわざわざこっちまで来たのだ。つい数分前にみずきが描いていた絵は本格的にうちに飾ろうと目論んでたので、小町用にもう一台買おうと思っていた。
エスカレーターを登り一歩踏み出すと、数時間前、小悪魔との邂逅を果たした雑貨店前が目の前に広がった。右へ折れて、さっさと買ってしまおうと店へ向かおうと思ったのも束の間。
数十メートル後方から背中に届く声に、足を止めた。
「あれぇ、一色ちゃんじゃん。こんなところで会うなんて偶然だねー」
一色という聞き覚えのある名前に、一瞬背筋が凍る。バックレようとしてたことがバレてしまえば元も子もない。俺は不安に冷や汗を流したが、それは次の言葉で霧散した。
「え、一人できてんの?ウケるんだけど」
「アレでしょ?お昼とか教室で一人でご飯食べてるし、友達いないんでしょ?」
振り返り見ると、派手に崩した総武高校の制服を着た女子三人が、一色を足止めするかのように並んでいた。
おそらく一色の顔見知りだろうが、その彼女たちが投げかける言葉が友好的なものでないことは、当該者じゃない俺でもわかった。
悪意に口角を吊り上げる女子に、嫌気がさす。
これは、俗にいうイジメというやつだ。イジメられることに関して言えば一流の俺が言うのだから間違いない。
彼女らに対する一色の表情をうかがうと、何故か満面の笑顔を浮かべていた。
まさか人間の機微に目ざとい一色が、彼女たちの悪意に気づいていないということはないだろうに。
ことを荒げないためか、もしくは反抗心を剝き出してパブリックイメージを損ねないためだろうか。
今日はなんかトラブル多いなという愚痴は心に留め、俺は一色を助ける大義名分を頭に浮かべつつ足を前に出そうとして──。
「しかもさー、最近もっさい男と一緒にいるよねぇ」
「あ、知ってる~。なんか目つきヤバい人だよね。ああいうの陰キャっていうんでしょ?」
彼女たちの追撃に、動かしかけた足が止まる。
それもそうだ、その陰キャには心当たりがある。ていうかここにいるんですけど。おーい、聞こえてますかー?俺を陰キャ呼ばわりした奴覚えとけよー?
そんな心の声も空しく、しかし困ったことになった。
ここで俺が颯爽と飛び出していっても、事態は収拾しない。例え今日逃げられたとしても、休日に俺と会っていたことが学校中に知れ渡ればそれこそ一色の沽券に関わることだ。
再び一色を見やれば、先ほどまでと同様、笑顔を保っていた。
しかし後ろで組まれた腕を辿っていくと、自分の腕を指でつねっているのが見えた。
──これは、ヤバいな。
感情に任せて今いったところで、結果的に一色を助けることにはならない。
むしろ彼女らの嗜虐癖を刺激し、悪化させるだろう。
「てかさぁ、葉山君に付きまとうのやめてくんない?」
へらへらと挑発的だった目は、今度は恨み敵を睨みつけるように鋭くなる。まるでクレバスのようなその眼差しに、さしもの一色もびくりと肩を跳ね上げた。
「ぶっちゃけあんたウザいんだよね。猫かぶってんのだって、どうせ葉山君にもバレてるし」
「どうせ相手にされないから大丈夫だって!」
お前の裏はもう看破してるんだぞと言外に伝えるゆるふわショートボブ──略してボブ──に、ぱんぱんと一色の肩を何度もたたく特徴ナシ子──略してナシ子──。
主犯はこのボブとナシ子の二人だ。ボブの方ならまだしも、他の二人に関しては特に可愛いとかそういう類に分類される見た目ではない。たぶん一色は内心、「はっ、勝った」とか思ってんだろうなぁ。彼女の余裕そうな笑みを見ていれば何となく想像がつく。
とはいえ、とばっちりが愛しの葉山に向いたことが少し効いたのか、片腕をつねっていた後ろ手は握りこぶしに変わっていた。いい加減、怒りに限界が来る頃だろうか。
先ほどの迷子と違って、迂闊に出ていくのは一色にとって危険だ。走って逃げだすというのも、三人に囲まれてる状況からして無理な選択だろう。
「さっきから何笑ってんの」
「っ……!」
と、俺が状況を整理しているうちについに痺れを切らしたボブが、一色の胸倉をつかんだ。期せず体勢を崩された一色の表情には先の笑顔は消え、怯んだ表情が浮かんでいた。
それを見ていたずっと口を開かなかった最後の一人が、「まあまあ」とボブを制した。
「私たちのこと下に見てんでしょ。そういうのが腹立つんだよ」
ここまで直接的な行動をとるとは思っていなかった俺はさすがに焦り、気づけば一色の方へと駆け付けていた。のだが──。
「いろは……?それにほのかたちまで」
颯爽と現れた葉山隼人が、異変に気付いたように彼女たちに声をかけた。
その場にいた4人が皆驚きの表情を浮かべたが、一人ボブの表情は一転し、葉山の方へ笑顔を振りまいた。
「私たちはさっき偶然ここであっただけですよー。それより葉山君、今日一人ですか?」
数秒前のドスを聞かせた声からは信じられない猫なで声で葉山の横を陣取るボブ。その仕草といい、ゆるふわな見た目。なるほど完全に一色とキャラ被りしてる。ボブがやたら敵対視している理由はこれか。しかも、一色が完全に上位互換だからなおさらなんだよなぁ。
「いや、優美子たちと一緒だよ」
言って葉山は後ろを振り返る。その方向からいつものメンツが登場した。
先頭を歩くあーしさんの睨みに怯んだボブが、「あ、あー、そうなんですね。それじゃあ私たちはこれで」と足並みを揃えて逃げていった。
「は、はやませんぱぁい、助かりましたぁ」
「いろは、どうかしたのか?」
「……まあちょっと、女子のいろいろというやつですよ」
ほっと胸をなでおろした一色は、葉山に縋るような声でため息をついた。
お人好しの葉山には、「女子のいろいろ」がまさかイジメだろうとは思い当らないだろう。しかし対蹠的に傍らのあーしさんは察している様子。さすがあーしさん。略してさすあーし。
結局俺は何もできなかったが、とりあえず何事も起きなくてほっとする。
あのまま女子トイレにでも連れ込まれてたら女装以外に取れる手なかった。いやしないよ?
「それじゃあ、わたし待たせてる人がいるのでこれで」
辞去を述べて、こちらへ向かってくる一色。
エスカレーターに乗るのだろうが、こっちは来ちゃダメ!いるから!俺いるから!
このままでは助け舟も出さず傍観していたことを責められる。
俺はせめてバレないように、くるりと180°回転、反対を向いて歩きだした。
「せんぱぁい?」
「…………ですよね」
しかしそれも空しく、肩をがしりと掴まれた俺は早々に抵抗を諦めて、連行されるのだった。
* * * * *
「んじゃ、気をつけて帰れよ」
「はい、今日はありがとうございました」
駅から離れていく先輩の背中に手を振りながら、数十分も前のことを振り返ると胸が苦しくなった。
あそこまで直接的に感情をむき出しにされたのが初めてだったからかもしれないし、胸倉をつかまれたことに存外びっくりしたからかもしれない。
葉山先輩の登場によりなんとかその場は収まった後。
エスカレーターの近くで後ろを向いている猫背を発見したのだ。
でも、何故助けてくれなかったのか、とは聞かなかった。
もし先輩があそこで出てくれば、その場はさらに悪化するとわかっていたんだと思う。それに、先輩ならビビッて「あ、えとー、人違いでしたぁははは……」とか言って逃げていきそう感あるし。
だから、わたしを助ける役は葉山先輩でよかった。颯爽と登場した葉山先輩は事態を理解してはいなかったけど、それでも3人組を散らすには十分だった。さすがわたしが憧れる葉山先輩だ。だから今でも追っかけてる。顔もよくて運動も勉強もできてみんなに人気。それが葉山先輩なんだ。
──それなのに。
わたしは葉山先輩が来た時に思った。思ってしまった。
──もし、先輩が来てくれてたら。
先輩なら、格好つかなくて捻くれて、それこそ王子様とはほど遠いような参上をするんだろうけど。
それでもわたしはあの時、先輩に来てほしいと思った。
どれだけ恰好悪くてもいいから、先輩が助けに来ないかなと思った。
葉山先輩という選択肢は、わたしのなかにはなかった。
たらればなんて意味がないのに、そんなことばかり考えてしまっていた。
なぜだろう。なぜだろう。
さっきからずっと考えてるのに、その答えはまるで、霞の中に埋もれるように見つからない。
手を伸ばしても、その霞に手を入れてもわからない。
でも、わからなくていいと思った。
わからない方がいいと思った。
もしこの答えを見つけてしまえば、今までの自分を否定することになる気がした。
今まで、いろんな人を欺いてきたことが。
今まで、好かれるためにすべての努力を注いできたことが。
今まで、自分すらも欺いていたことが。
それらがすべて顔をだして、わたしを呪う気がした。
だからわたしはそいつらを抑えるために、唇を強く噛んだ。
目頭が熱くなって、赤く輝く夕日の方向へ歩いて行く先輩の後ろ姿が、ぼやけて見えた。
噛んだ唇がほのかに、桃の味がした。
文字数が1万を超えてしまいました。(謝)
思いの外調整難しくてちょっと長めになってしまいましたが、これも投稿が遅れた分という言い訳を投下しておきます。
それとここで出てきた「みずき」ちゃん。書きながら「あれ、みずきって平塚先生のこどもだっけ……?」とか混乱しましたが安心してください、違います。平塚先生はしょz(超殴)