第159代アリス   作:おべん・チャラー

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帽子屋とお茶会

 木の上から登場した変な奴は、俺を向いて仰々しく礼をした。

 

 左腕を背中に回し、右足を軽く曲げて左足に重心を置き、右腕は大きく輪を描きながら頭と一緒に地面へ向かう。

 

 下げた頭と手の甲は、ほとんど地面についていた。恐ろしく体が柔らかい奴だ。

 

 俺はこいつが名乗った名前をたどたどしく口にした。

 

 「チェ……チェシャ、猫?」

 

 体の線はとても細いが、そいつはどうも猫というより普通の男性に見えた。

 

 というか、おもいっきり人間の男だ。

 しかも美男子だ、美青年だ!

 

 長生きだとアリスから聞いていた俺は、思いきり面食らってしまった。てっきりヨボヨボのおじいちゃんかと思っていたのだ。

 

 

 男は頭を垂れた体制から素早く顔だけを上げると、調子の良い声で答えた。

 

「ハイ、その通り! 世に聞くチェシャ猫とは、俺の事だよ!」

 

 自己紹介をされては、こちらもそれに答えないと俺のスポーツマンシップが廃る。

 

 俺が自己紹介をしようとすると、ゆっくりと上体を起こしながらチェシャ猫が言った。

 

「あぁ、君の事は知ってるから大丈夫。君が俺に訊きたい事も。ね、シロウサギ君?」

 

 もうここまで来て、シロウサギと呼ばれる事に大した抵抗は無くなってきた。慣れって恐ろしい。

 

 起立したチェシャ猫の身長は、俺の頭三つ分は高い。その脚は恐ろしく長い。それでいて全体的に細いのだから、一発蹴ればポキンと折れそうだと思った。

 

「さて、君は元の世界に戻りたい、と。この世界に来て早々、代替わりをしたいという事だね?」

 

 チェシャ猫が俺に訊くと、今は彼の影に隠れて見えないアリスの茶化す様な声が聞こえてきた。

 

「さっすがチェシャ猫様。もはや全てお見通しという訳だ」

 

 チェシャ猫はアリスを肩で振り向くと、慢心している様な声で否定した。

 

「何を言うんだい、アリス。俺にだって分からない事はあるさ。例えば、女王様の考えている事とかね」

 

 チェシャ猫は肩をすくめたが、「さぁ、どうだか」とアリスが呟いたのが聞こえた。何となく仲の悪そうな二人だ。

 

 ちょっと気まずくなりながらも、何とか現状から脱出したい俺は、意気込んで訊いた。

 

 「教えてくれ、チェシャ猫。どうやったら、シロウサギを辞められる!?」

 

 チェシャ猫は右手で左腕の肘を支えて、頬杖をついて「う~ん」と唸った。かといって困った風でもなく、むしろ面白がっている感じだ。

 

 やがて何かを思い付いたのか、猫は人指し指を立てて提案をした。

 

「君達、ちょっと俺の代わりに帽子屋の所へ行ってくれないかな?」

 

 提案の意味が分からない俺をさし置いて、「ハァ!?」と声を荒げたのはアリスだった。

 

「ざっけんなよ、それとこれと、何の関係があるってんだ!」

 

「無条件という訳じゃない。もし君達が俺の代わりに帽子屋の所へ行ってお使いをしてきてくれたら、シロウサギ君が引退する方法を教えようじゃないか」

 

 チェシャ猫は立てたままの人指し指を唇に軽く当ててアリスに言うと、今度は俺を向いて、最初と同じ形のお辞儀で俺の顔を覗き込んだ。

 

「どうだい? シロウサギ君」

 

 まあ、人にモノを教えてもらうんだから、もちろんタダという訳にはいくまい。世の中ギブ&テイクだ。それはこの世界でも同じだと思う。

 

「分かった」

 

 俺がチェシャ猫の条件を飲み込んでコックリと頷くと、アリスは突然俺とチェシャ猫の間に割って入った。

 

「おい、ウサギ! そう、物事を後先考えずに進めるのは良くない! 止めろ、止めた方が良い! 絶対止めるべきだ!」

 

「何だい、アリス。俺はシロウサギ君に言ってるんだよ」

 

「黙れ! アタシはあの帽子屋は大っ嫌いだ!」

 

「落ち着けよ、アリス。俺が帽子屋の所に行くんだ。別にお前が 行く訳じゃないんだから、いいだろ」

 

 俺が口を挟むと、アリスは「よくない!」と半場取り乱して言った。

 

 チェシャ猫が、冷静に説明してくれる。

「アリスはシロウサギを見付けたら、行き先が何処だろうと、後を追うかついていかなきゃいけない。まぁこれは、この世界の掟みたいな物なんだよ」

 

「へぇ」

 

 俺は妙に感心してしまった。アリスがシロウサギを追いかけるなんて、妙にアリスっぽい所もあるじゃないか。

 

 チェシャ猫は両手を頭の後ろで組んで、アリスを面白そうに見ながら言った。

 

「まぁ、今回帽子屋に行くのはあくまでシロウサギ君だから。シロウサギ君は他の誰でもない自分の為に行くんだから、君に反論の余地は無いよ。ねぇ、アリス?」

 

 アリスは反論する言葉が見付からず、ただチェシャ猫を睨んでいた。

 

 

* * *

 

 

 

 チェシャ猫に言われ、アリスと一緒に帽子屋のいる森の泉の畔まで来た俺を出迎えたのは、俺と同じ歳頃の男の子だった。

 

「ようこそ、アリスにシロウサギさん。待ってたよ」

 

 男の子は俺達が来るのをまるで知っていたかの様に言った。

 

 いや、それも気になるが、今はもっと気になる事が……。

 案内をされている間、俺は我慢出来ずに、自分の心の引っ掛かりを口にした。

 

「君……それ、着てるのって…」

 

「あ、これですか? お茶会の時には僕達三人共、これを着てますよ」

 

 エへ、と男の子は首を傾いではにかんだ。いや、似合ってるけど、そうじゃなくて。

 だってそれ、着物でしょう?

 

 男の子が着用していたのは、見事な日本の伝統民族衣装だった。それはそれは見事な着こなしで、いち日本人としては恥ずかしくなってくる。

 

 ん? 待てよ。着物で野外でお茶会っていう事は……。

 

 俺達が着物の男の子について畔の方に歩いていくと、夜の歌舞伎町で聞く様な、野太さの中に微かな色気が混じる声と遭遇した。

 

「ちょっと、ネムイズミ! 早くこっち来て新しいお茶たてなさい!」

 

「あ、はい!」

 

 声に呼ばれて男の子――おそらくネムイズミ君は声のした方に駆けていった。俺達もそこを通る。

 

 森の緑の中に唯一赤の空間がそこにはあった。

 

 そう。野点。

 

 赤い毛氈の上で爪の手入れをするお姉さんと、その向かいに座るいかにもガラの悪いお兄さん。

 

 お兄さんの方には、ちょっとだけアリスを彷彿とさせるものがある。

 

 お姉さんが爪の手入れをする手を休める事なく、ネムイズミ君に言った。

 

 口を開くと、信じられない事に、さっき聞いた歌舞伎町にいそうな声が。

 

「で、アンタは誰を連れてきた訳?」

 

 よく見ると体格も女性にしては逞しい。俺は男として、酷くがっかりする。

 

「あ、はい。こちらはアリスとシロウサギさんです」

 

 ネムイズミ君がお姉さん改めお兄さんに紹介した。

 

 俺も自分から進んで自己紹介をしようとして、口を開くが、お姉さんお兄さんに遮られてしまった。

 

「誰がいつそんな当たり前な事訊いたのよ! 私が言ってるのは、何でアリスがここにいるかっていう事!」

 

「あ、あの……今回は、俺が帽子屋さんに会いにですね……」

 

 このお兄さんを落ち着かせようと言って、自分でも改めて思った。帽子屋さんはどこだろう。

 

 帽子屋というからには、帽子を被っていたり、売っていたりするのだろう。

 

 しかしながら、ここにいるのは人の良さそうな男の子と、おネェ口調のお兄さんと、着物を格好良く着崩して腰帯からいくつも時計をぶら下げているアンちゃんだけだった。

 

 俺がキョロキョロしていると、俺の後ろであぐらをかいて座っていたアリスが、いきなり自身の膝を叩いて一同の視線を引いた。

 

 ゆっくりと顔を上げたアリスの口から出てきた言葉は。

 

「よう、言ってくれるな。帽子屋」

 

 ええ!? このおネェさんが、帽子屋!?

 だって帽子屋っていうからには、帽子被ったり売ったりしてるんじゃないの!?

 

 アリスの言葉に、帽子屋が反撃した。静かな言葉にトゲを交えて。

 

「他にどう言えばいいのかしら、可愛い可愛いアリスちゃん?」

 

 俺は帽子屋の手元に今気付いた。ただ爪の手入れしてるんじゃなくて、マニキュアを塗っている。しかも、あの細かな絵柄は、

 

「ネイルアート……帽子屋が?」

 

 俺が思わず口に出すと、帽子屋は思いきり膨れ面をした。気持悪……じゃない、気味が悪い。……どっちも同じ意味か。

 

「何よ、帽子屋が帽子を売るって何百年前の話? 帽子なんてダッサイ物、いつまでもちまちま売ってられないわよ。それより、時代はネイルアート。アタシはこれで生計を立てるの」

 

 後半の言葉をうっとりと言って、帽子屋は完成した芸術作品を周りの木々に映えさせる様にして鑑賞した。

 

「いきなり帽子売りをやめて先代を引退に追いやったの、テメェじゃねぇか」

 

 アリスがボソリと呟く。しかし帽子屋はしれっと反論した。

 

「アタシのせいじゃないわ。アノ人は長年の心労で倒れたの。人聞きの悪い事言わないでくれない?」

 

「その心労の原因は誰だよ…」

 

 ケッと唾を吐きながらアリスが言った一言は、今度は帽子屋には聞こえなかった様だった。

 

 その前に、ガラの悪いアンちゃんの方が、完全にキレちゃってる喋り方で俺に話しかけたのだ。

 

「で? え、エ? お前ってばシロウサギ? なぁなぁ、一緒に呑もうや。俺ってば、三月ウサギだからさぁ」

 

これでこのお兄さんが腰帯に無数の時計を付けている理由が分かった。時計を身に付けているのは、確かウサギさんだったよな。

 

「あ…そ、そうなんだ。よろしく…」

 

 圧倒されながら挨拶すると、三月ウサギは舌を出して「ヒャハハハ!」と笑った。怖い! 怖いよ、お兄さん!

 

 俺が引いたのを感じたのか、帽子屋はまだ爪を鑑賞しながら三月ウサギに言った。

 

「ちょっと、ウサギぃ。あんまりシロちゃん怖がらせるんじゃないわよぉ。アンタの笑顔は無駄に怖いんだからぁ」

 

 そのシロちゃんってのは、もしや俺の事?

 三月ウサギはまた舌を出して笑った。

 

「え~ん、マジでぇ?俺ってば泣いちゃう~」と言いつつもその顔には悲しみなぞ一切感じられない。

 

 初めて見た時から、そういえばこの男の顔には狂気的な笑い顔しか張り付いてない気がする。

 

「で、アンタ達、わざわざ何しに来たのよ?」

 

「え?」

 

 帽子屋に訊かれて、俺とアリスは顔を見合わせた。

 

 そういえば、チェシャ猫のお使いの内容を聞いていない。というより、言われなかったと言った方が正しいだろう。

 

 俺達がお使いの内容を訊こうとすると、チェシャ猫は「行けば分かるよ~」と言って、俺達を自分の縄張りから追い出したのだった。

 

 というか、ネムイズミ君のおもてなしからして、俺達が来た理由などとっくに知れていると思ってた。

 

 ネムイズミ君は、俺達が来る事を知っていた様な口ぶりだったのに……変なの。

 俺とアリスが戸惑っていると、帽子屋は不満げに口を尖らせた。

 

「なぁにぃ? 用向きは無い訳? 冗談じゃないわよ、こっちは暇じゃないんだからねぇ」

 

 いやいや結構暇そうに見えますが。

 

「用が無いなら帰ってくれなぁい? いつまでもそこにいられると、爪が割れちゃうわぁ」

 

 意味が分からないし、そんな事百パーセント有り得ないし。

 

 アリスの方を見る。もう怒り浸透、という顔をしていた。

 

 そしておもむろに、背中のバズーカ砲を外して空中でくるりと延髄を描くと、砲口を帽子屋に向ける。

 

「ふっざけんな! こちとらテメェのトコなんざ来たくなかったのにこんなトコに来させられて、もうムカムカしてんだよ! チェシャ猫の言う事に素直に従うアタシが馬鹿だった! もうテメェをぶっ殺して帰る!」

 

 アリスさーーーん!?

 

 これは大変だ!何がそんなに気に入らないのか知らないが、アリスをここに長居させておく訳にはいかない。

 

 双子殺しは知らないが、帽子屋殺しは罪になるだろう。そんな事をさせる訳にはいかなかった。

 

 ていうか、アナタが帽子屋を殺したい理由は多分、ムカムカしてるからだけじゃないでしょう!?

 

 俺はアリスの構える砲口に飛びかかり、全体重をかけて下に向けさせると、無我夢中で用件を捲し立てた。

 

「すいません、俺達チェシャ猫に言われて来たんですけど、とにかく行けとしか言われなくて目的とか何も聞いてないんで、とりあえず今日はアリスの機嫌も悪いようなんで帰りますごめんなさい!」

 

 ああ、もう滅茶苦茶じゃないか俺……。

 

 アリスは俺を振り払おうとしてバズーカを右へ左へ振り回すが、俺としても頑として離れる訳にはいかない。

 

 と、そこへ誰かの影が差した。それと同時にアリスの動きが止まり、俺が顔を上げるとそこにネムイズミ君がいた。

 

 彼の右手はアリスの額に伸びている。アリスが冷や汗をかいて悪態をついた。

 

「クソッ…ネズミが…っ」

 

 ネムイズミ君はちょっと腕にバネの力を加えて、アリスを吹っ飛ばした。彼女が木の幹に強かに背中を打つと、その樹皮が割れた。

 

 えぇ!? 本当に何者だよ、ネムイズミ君!

 

 アリスを吹っ飛ばすと、ネムイズミ君は俺を向いた。しかし、何だか眠そうに、目がトロンとしている。

 

「チェシャ猫に言われて来たんですか?」

 

 俺はアリスを心配するやら、ネムイズミ君の意外な強さに度肝を抜かれるやらで、震えながら数度首を縦に降った。

 

 ネムイズミ君が、眠そうな顔を満足げにほころばせた。

 

 ネムイズミ君は顔を帽子屋に向けて言った。

 

「だ、そうですよ。チェシャ猫さんから預かっていた品の件じゃないでしょうかね?」

 

 帽子屋は「そうならそうと、早くいいなさいよ。んも~」とか言いながら着物の懐に逞しい腕を入れる。

 

 腕が出てきた時、その手に握られていたのは鍵だった。帽子屋はそれをちらつかせながら、俺に言った。

 

「これの事?」

 

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