とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第42話 創世神ステイシア

 

黒ずんだ砂利ばかりの荒地がようやく途切れ、奇妙な形の灌木が生い茂る一帯に、囮部隊の本隊はその姿を紛れ込ませていた。その構成は、衛士が千、修道士が二百、補給隊が五十。この数で、五千の敵拳闘士団を迎え撃たねばならない

 

現在その部隊を指揮している整合騎士のレンリは、二十の部隊に分けた衛士と修道士を樹木の陰に隠すように待機させていた。林を貫いて延びる一本だけの細い道には、補給隊の馬車の轍が真新しく刻まれている。これを追う敵を、なるべく深く長く引き込んだところで、左右から挟撃するという作戦を立案した

 

 

(・・・騎士長閣下の話では拳闘士は神聖術に対する防御が弱い…)

 

 

拳闘士に剣での攻撃が効きづらいことは、レンリもすでに騎士長から聞いていた。もちろん、彼らの弱点も。北側のコケすら生えていない荒地には高位術式を使えるだけの空間神聖力は存在しないが、この灌木地帯は根ざす植物の恩恵なのか、いくらか空気が濃い。故に、多少なりとも神聖術が使えだろうとレンリは考えていた

 

 

(ここなら、修道士達が一斉攻撃できるくらいの神聖力があるはず。後は混乱した敵部隊を五体の飛竜で焼き払えば……)

 

「ところで、補給部隊は?」

 

 

傍で共に待機している衛士に、レンリは訊ねた。迅速な後退を念頭に置いて、補給隊の馬車八台は灌木地帯の最南部に配置している。前線から離せば離すほど安全だとレンリは判断した。闇に紛れた敵が、直接補給隊を襲う可能性はほぼないだろう、と彼は考えていた

 

 

「はい。戦闘に巻き込まれないよう前線から離れた位置で待機しています」

 

「うん、ありがとう」

 

 

しかし、そんな彼の考えとは裏腹に、念のため馬車の護衛につけた五名の衛士たちが、声も出せずにひっそりと絶命しつつあった

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『影』は、一人闇夜の中を巡回する衛士の死角を衝いて、滑るように接近していく。腰には立派な長剣が下がっているが、それを抜くこともなく、右手に握った小型の短剣だけをゆらりと持ち上げた

 

 

「くっくっくっ…」

 

 

『影』の黒い蛇のような左腕が伸び、衛士の口と鼻を塞いだ。同時に右手が閃き、剝き出しの喉を一直線に搔き切った。完全な静寂のうちに天命を全損し、ぐったりと生気を失った衛士の体を、黒い影はすぐ近くの茂みの下に押し隠して、顔を覆う黒い布の下から、ごく密やかな声を漏らした

 

 

「・・・Five down」

 

 

くつくつと喉を鳴らした『影』の正体は、現実世界人であり、皇帝ベクタことガブリエル・ミラーの副官でもある、ヴァサゴ・カザルスだった。彼はこの世界にダイブして初めてのキリング・タイムを継続するべく、再び暗い林の奥に視線を凝らした

 

 

(・・・中々どうして、人工フラクトライトの割には良い見た目してんじゃねぇの)

 

 

すぐに、枝葉でカムフラージュされた複数の馬車を発見する。覆面の下でちろりと唇を舐め、暗殺者は移動を再開した途端、馬車の一台に動きがあった。ヴァサゴはぴたりと脚を止め、樹の幹に貼り付いた。幌から顔を出し白い肌に焦茶色の髪の、まだ若い女だった。何かを感じたのか、緊張した表情で周囲を見回している。しかしやがて少女は慎重な動作で地面に降り、馬車の内側に何かを囁きかけてから、ゆっくり移動を始めた

 

 

(・・・そうだ。そのまま、まっすぐ…こっちに来い)

 

 

アンブッシュの醍醐味を嗜むように、ヴァサゴは近寄ってくる少女に念じた。彼のハイディングは完璧なものだった。金属鎧のマイナス補正など物ともせず、灌木の作り出す暗がりに溶け込んでいる。黒髪の少女は用心深く周囲を警戒しているが、その視線はヴァサゴの潜む茂みをただ通り過ぎるだけだった

 

 

(後7…5メートル…いいね。この感覚、まったく久しぶりだぜ…)

 

 

三メートルの距離まで近づいてきた少女が、不意に右へ向きを変え、ヴァサゴが隠してきた死体のほうへ進み始めた。ヴァサゴはまったくの無音で暗がりから滑り出て、左手を伸ばしながら少女の背中に迫った

 

 

(もう少し引き寄せたかったが…まぁ十分だ。俺にとっちゃ大した差じゃない)

 

 

口を塞ぎ、驚愕に縮こまる喉を、鋭利な短剣で一気に切り裂く……脳裏に浮かべたその予感があまりにもリアルだったために、ヴァサゴは、目の前にきらりと光った刃に即座に対応できなかった

 

 

「うおっ!?」

 

 

ヴァサゴが慌てて飛び退くと同時に、剣先が顎下の露出した肌を掠めた。まったくこちらに気付いていないはずだった少女が、背中を向けたまま左腰の剣をいきなり抜き打ったのだ。実に見事な一撃。あと少し踏み込んでいたら、喉を裂かれていた。振り向き、両手で剣を構え直す少女の藍色の瞳に、恐怖と敵意はあれど驚きの色がないことを見てとり、ヴァサゴは完璧だったハイディングがとっくに見破られていたことをしぶしぶ認めた

 

 

「・・・Hum…Hey baby」

 

 

ヴァサゴは短剣を右手でくるくる回しながら口を開いたが、そこでこの世界では英語が通じないことを思い出し、ネイティブと遜色ない発音の日本語に切り替えた

 

 

「失敬。お嬢さん、なんで俺の気配が解った?」

 

「・・・眼だけに頼るな、全体を感じろってキリト先輩が教えてくれたから」

 

「せ、先輩だぁ…?」

 

 

剣を構えた少女、ロニエ・アラベルは硬い声で言った。その言葉に瞬きしながらもヴァサゴは、似たような台詞を聞いた覚えがあるような、脳のどこかに眠っている記憶が刺激されるのを感じていた

 

 

「敵襲!敵襲ーーー!!!」

 

「チィッ!」

 

 

しかし、思考がどこかに辿り着く前に、少女がすうっと息を吸い、物凄い大声で叫んだ。見つかった以上は当然のことと言えど、ヴァサゴはロニエの行動に舌を打って、短剣を右腰に収めた。遊びもここまでかと思うのと同時に、彼は大きく左手を上げて同じく叫んだ

 

 

「仕事だお前ら!殺せえええ!!」

 

 

今度こそ、ロニエが驚愕に眼を剥いた。ヴァサゴの背後、数十メートル離れた茂みから、ザザザッ!と次々に身体を起こしたのは、暗黒騎士団から引き抜いてきた、およそ30人の軽装の偵察兵達だった

 

 

「ロニエ!敵襲……って………」

 

 

少女の警告に反応して馬車から飛び降りた二人目の少女、ティーゼ・シュトリーネンも、北側から駆けつけてきた十名ほどの衛士たちも、一様に凍りついた。そして立て続けに三度、暗闇の中で火花が散った

 

 

「くっ…!?」

 

 

ロニエは目の慣れない闇の中であるにも拘らず、ヴァサゴの斬撃を初見で全て弾いてみせた。しかもヴァサゴは連続剣技を使ったのだ。だから、三撃目で少女の手から弾かれた剣が近くの幹に突き立った時、暗殺者は思わず称賛の口笛を鳴らした

 

 

「whew!」

 

 

なおも健気に拳を構えようとする黒髪の少女を、ヴァサゴは足払いで地面に転がした。背中を思い切り打ち付けた少女が、苦しそうな息を漏らすのを見た彼は、ゆっくりと右手の剣を持ち上げた

 

 

「ロニエーーーッ!!」

 

 

新たに馬車から飛び出したティーゼが、悲鳴にも似た声を上げながらロニエの元に駆け寄ってくる。ヴァサゴは右手の剣の切っ先を、まだうら若き少女の喉元にあてがい、赤毛の少女の動きを牽制すると、やがて恐怖すくんだように、彼女の細い足の動きが止まった

 

 

「ひひっ。いいね、これだよ。この感じだ」

 

 

覆面の下で、不気味な含み笑いが零れた。人の命を、絆を剣先で弄ぶこの愉悦。これだから、プレイヤー・キルはやめられない

 

 

「なぁに、殺しゃしねぇよ。そこで大人しく見てればな」

 

 

ティーゼにそう囁いておいて、ロニエの上に屈み込んだ。背後からは、血に飢えた三十人の兵士たちがひたひたと近づいてくる。ロニエの大きな瞳に、恐怖と屈辱の涙が滲む。漲っていた決意は、もうすっかり絶望へと変わってしまった

 

 

「くっくっくっ…………………あ?」

 

 

不意にロニエの瞳の焦点が、ヴァサゴの顔から逸れて空へと向かった。瞳に溜まった涙に、何かが反射している。それは、鮮やかな光だった。降り注ぐ、乳白色の光の粒子。ふわり、ふわりと雪のように舞い降りてくるそれに、ヴァサゴは奇妙な戦慄を感じながらゆっくりと顔を持ち上げた

 

 

「・・・人…?女か?ありゃあ…」

 

 

闇の深い夜空。血の色の星々。それらを背景に浮かぶ、小さな、それでいて凄まじく巨大な存在感を放つ人影を彼は見た。真珠でできているかのように輝くブレストプレート。籠手とブーツも同色。長めのスカートは、無数の細布が縫い合わされ、まるで翼のようにはためいている。夜風になびく長い髪は、艶やかな栗色だった

 

 

「・・・ステイシア、さま…?」

 

 

地面に倒れるロニエが、その姿を見て呟いた。その声は、ヴァサゴの耳には届かなかった。星空からゆっくり舞い降りてくる女の、小さな顔がちらりと垣間見えた瞬間、彼は吸い寄せられるように立ち上がっていた

 

 

「・・・おぉ…おおおぉぉぉ…!」

 

 

拘束から解放されたロニエが赤毛の少女のところまで後退っていったが、ヴァサゴはそれを眼で追いすらせず、低く太い感嘆の吐息を漏らした。そして、不意に。空に浮く人影が右手を前に伸ばした。しなやかな五本の指をふわりと横に振り払った刹那………

 

 

『ラーーーーーーーー』

 

 

まるで幾千もの天使が同時に唱和したかのような、重厚な和音が世界を揺るがした。人影の指先から、オーロラのような光のカーテンが放たれて、ヴァサゴの背後へと降り注いだ後に続いたのは、地響きと、悲鳴。振り向いたヴァサゴが見たのは、大地に口を開けた底なしの峡谷と、そこに吞み込まれていく三十人の手下達だった

 

 

『ラーーーーーーーー』

 

 

そして再び響いた天使の歌声と、大地の割れる轟音。先刻の数十倍もの規模で降り注いだオーロラが、その下の地面にいかなる現象をもたらしたのかはもう想像の埒外だった。空に浮く女は、真下のヴァサゴを見下ろした。右手の人差し指が、ぽんと一度宙を弾けば、虹色の光がヴァサゴを包んだ

 

 

「マジかよ…おい、マジかよ……」

 

 

ボゴンッ!と、ヴァサゴの足下の地面が消えた。ひとたまりもなく無限の暗闇へと落下しながら、彼は両手を真上へ突き出し、小さな人影を摑もうとした

 

 

「あの顔…あの髪…あの気配……!!」

 

 

暗殺者は、その死に際で。何かに歓喜したように、何かを渇望していたように、細かく震えた声を口から漏らした

 

 

「ありゃあ、KoBの『閃光』じゃねえか…!」

 

 

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