「・・・ぁ…」
「気が付いたか、嬢ちゃん」
「小父様…?」
手綱を引く騎士長ベルクーリの腕の中、飛竜の翼が流す風に肌をなじられながら目を覚ました。うっすらと開いていく瞳で周りを見渡すと、そこが最後に記憶を残していた場所から大分離れていることを悟った
「・・・はっ!か、カミやんは!?カミやんはどうしたのですか小父様!?」
「エルドリエを殺した野郎の相手をすると、あの場所に一人残った。勝てるかどうか分からんとは言っていたが…まぁ信じるしかあるまい。気を失っていた嬢ちゃんはもちろんとして、俺がいたところで大した手助けは出来そうになかったしな」
「そう、ですか……」
小さく呟いて、アリスは唇を食んだ。エルドリエを守れなかった悔しさと、その仇に歯が立たなかった自分にどうしようもなく腹が立ち、噛み締めた唇から一滴の血が滴った
「・・・で、だ。起き抜けのとこ悪いが、気を締めてくれ。ヤツらが来る」
「ヤツら?」
「見てみろ」
言ってベルクーリは北を顎で指した。それを追うようにアリスが視線を下に逸らすと、一キロルと離れていない先から早足で迫ってくる拳闘士達が目に入った
「拳闘士…!?彼らはシェータ殿とミコトが足止めしていたハズでは!?」
「よく見てみろ。先頭はあの脳筋どもだが、後ろに控えてるのは暗黒騎士団だ。おそらく拳闘士達が本隊に追いつかれたってんで、戦線離脱して合流させられたんだろう。シェータとミコト嬢ちゃんについても、流石にあの人数を相手にするのは無理だと踏んで、同じく離脱したんだと見るのが妥当だ」
「ですが、もし彼らにこのまま侵攻されてしまえば…」
「間違いなく俺たち遊撃部隊は壊滅だな。ってワケで、誰かが殿を務めなくちゃならん。出来れば俺一人でやろうと思うんだが…」
「冗談を言わないで下さい。そんな理由で私が小父様を一人置いていけるとでも?」
「だよなぁ…まぁ、しょうがねえ。そういうことなら準備しな。遺書を記す時間もなけりゃ、遺言を聞かせる相手もいねぇが…まぁなんとか……ッ!?」
「なっ!?」
突然、飛竜に跨る二人の遥か上空から七色の光が降り注いだ。あまりの眩さに目を瞑り、それを開いた次の瞬間には、世界そのものを二つに隔てているのではないかと思えるほどの巨大な峡谷が広がっていた
「お、おいおい…今度は何だ?一万人の神聖術師が束になろうが、果てはあの最高司祭にだってこんな芸当できねぇだろ。この峡谷、幅100メルは余裕であるぜ……」
「で、ですが見てください小父様。侵略軍が足を止めました。流石の拳闘士も、あの峡谷を前にしては進軍は不可能なようです」
そう言ってアリスが指差した先の地上では、巨大な地割れの向こう岸で行く手を遮られた五千人の拳闘士たちが、呆然と立ち竦んでいるのが見て取れた
「神聖術でないとすれば、心意…いえ、これはもはや『神威』と呼ぶべき事象でしょう。ミコトの雷すらも霞んで見える、文字通り神の御業です」
「・・・暗黒神ベクタに続いて、新たなる神が地上に降臨した…ってか?」
ベルクーリは畏怖とともにそう考えたが、しかしすぐにその考えを否定した。万物に天命を与え、それを滅する権限を持つ神が人界守備軍に味方すると決めたのならば、拳闘士団の真下の地面を引き裂いて容赦なく地の底に墜としていただろう。しかし地割れは、全速で疾駆していた彼ら全員が安全に停止できるだけの余裕を生じさせていた。騎士長はそこに、多くの命を消し去ることへの躊躇いを感じ取った
「・・・いや。つまるにこれは他でもねぇ、『人の意思』が作り出したモンだ」
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「ぅぐっ!?」
狂おしいほどの思慕を感じると同時に、針で突き刺されるような痛みがアスナの頭を貫いた。思わず顔を歪め、苦痛に呻く。ステイシア・アカウントに付与された管理者権限、『無制限地形操作』の使用に伴う副作用については、事前に警告を受けていた。フィールドという膨大な量のニーモニック・データが、アスナの使っているSTLと、アンダーワールドの全データが格納されたメイン・ビジュアライザーの間を瞬時に往復する過程で、フラクトライトに過大な負荷が発生するのだ
もし頭痛を感じた時はすぐ操作を中止するように、と強く言われている。しかしアスナは、出現座標のほぼ真下に、千人ほどの『人界人』と、南北から接近する膨大な『暗黒界人』の存在を認識するや、躊躇いなく地形操作のコマンドを唱えていた。北から接近する大集団は、その手前に長大な谷を刻むことで進行を止めた。しかしキリトがいるであろう場所に肉薄していた約三十人は、地面ごと消し去るしかなかった
彼らは全員、本物の魂を持つ人間だったのだ。キリトがどうにかして守ろうと、この世界で二年半ものあいだ苦闘し続けた、真のボトムアップAIたち。あるいは、死にゆく彼らの恐怖と怨念がSTLを逆流し、鋭い痛みを伴っているかもしれない。しかしアスナは、強く一度眼を瞑ってから、勢いよく見開いて刹那の迷いを打ち消した。自分の中の優先順位の最たるところは、キリト…ひいては桐ヶ谷和人の命に他ならなかった
「・・・どこ?キリト君は…」
「ステイシア、様…?」
アスナは頭痛からくる焦燥のあまり、背後から震える声が掛けられるまでその存在に気付かなかった。振り向くと、そこには学校の制服のような灰色のジャンパースカートを着た二人の少女たちが寄り添って立っていた。焦げ茶の髪と、赤色の髪をした少女たち。その片方の赤色の髪を持つ少女ティーゼ・シュトリーネンは、震える声でアスナに訊ねた
「あなたは…神様、なのですか……?」
非の打ち所がない完璧な日本語。しかし、ほんの少しだけ異国風のイントネーションが含まれている。そこにアスナは、アンダーワールドが独自に歩んできた三百年という歴史を、まざまざと感じ取った
「・・・いいえ、ごめんなさい。私は神様じゃないわ」
アスナは、ゆっくりかぶりを振りながらそう答えた。焦げ茶の髪の少女、ロニエ・アラベルが胸元できゅっと両手を握り、でも、でも、と繰り返し呟きながら言った
「あなたは、奇跡を起こして、私を助けてくれました。みんなを、恐ろしい闇の国の兵士から助けてくれたんです。衛士さんたちや、修道士さんたち…それに、キリト先輩も」
その名前を聞いた途端、胸を貫いた疼きのあまりの鋭さに、アスナは大きく目を剥いた。驚きにふらつきかけた体を立て直し、何度か唇を動かしてから、彼女はようやく囁き声を絞り出した
「わ、私はただその人に会いにきただけなの。キリトくんに、会いに来たの。お願い、どこにいるの?会わせて。キリトくんの所に私を連れていって」
「・・・はい、こちらです」
距離を取って見守る揃いの鎧を着た剣士たちの輪のなかを、少女二人に導かれてアスナは歩いた。連れて行かれたのは、一台の馬車の後部だった。分厚いカンバス地の幌が垂れ下がり、中の様子は伺えなかった
「キリト先輩は、こちらに……」
赤毛の少女の言葉が終わるのを待たず、アスナは両手で幌を開いて馬車の荷台に飛び乗った。よろめくように、奥へと進む。天井からぶら下がる小さなランタンが、積み上げられた木箱や樽を控えめに照らす中に、探し続けた少年はいた
「・・・・・!」
津波のように押し寄せて来る、圧倒的な感情の昂りに翻弄され、アスナは立ち尽くした。あれこれ思い描いていた、再会の言葉は喉に詰まって出てこなかった。やがて詰めていた息をそっと吐き出しながら、アスナは囁いた
「キリト…くん……?」
痛々しいほどに瘦せ細った体からは、右腕が失われていた。白黒二本の剣を抱える左腕にアスナの声が響いた途端、ぴくりと動いた。 俯けられたままの顔と、虚ろな瞳に細波のような震えが走ると、ひび割れ掠れた声が零れた
「・・・ぁ……」
かたかた…と、車椅子が小さく振動した。キリトの左腕が激しく強張り、首筋に腱が浮き上がった。俯いままの頰に、すうっと二筋の涙が流れ、胸に抱いた鞘に滴った
「ぁーー、あーーー………」
アスナは叫んで跪くと、愛する人の体を優しく、強く抱き締めた。自分の両眼からも、熱い雫がとめどなく溢れるのを感じた
「キリトくん…!いいよ…もういいよ!」
再会したその瞬間、キリトの魂が癒され、意識が戻るそんな奇跡を、期待していなかったかと問われれば、首を横には振れない。しかし、元より分かっていた。その為に、今自分がここにいることを。故に最後にもう一度だけアスナはキリトを強く抱き締めてゆっくり立ち上がると、振り向いた先で涙ぐんでいる二人の少女騎士に言った
「ありがとう。あなたたちが、キリトくんを守ってくれたのね」
両目から流れ出た右手で涙を拭き取りながら優しく微笑んだアスナが言うと、先ほどまで俯いていたロニエが震えた声で返答した
「あの、あなたは?ステイシア様でないなら、一体どなたなんですか…?」
「私の名前は『アスナ』。神様でもなければ、あなた達と同じ人間よ。キリトくんと同じように、外の世界から来たの。彼と同じ目的を果たすために」
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「こりゃあまた何とも…たまげた、としか言えませんなぁ」
大型竜車二階デッキの先端に立ち、前方に突如出現した巨大な地割れを見下ろしていたガブリエルの耳に、どこかのんびりとした声が届いた。視線を向けると、デッキの隅に設けられた昇降ハッチから、恰幅のいい中年男が顔を出したところだった。それはレンギルという名の、商工ギルドの頭領。彼は幅広の袖を体の前で合わせると、深々と一礼した
「何の用だ」
抑揚のない声で、ガブリエルが片眉を動かしながら問うと、戦闘力はほとんどない将軍ユニットであるレンギルは、両手を顔の前に掲げたままちらりと左右に視線を走らせた。デッキにヴァサゴの姿がないことに気付いたはずだが、それに関しては何も言わず、改めて一礼して言った
「陛下。間もなく月が昇ります。さすれば…即時の御命令がございませぬようでしたら、兵たちに食事と休息のお許しを頂きたくまかり越しました」
「ふむ…」
呟いたガブリエルは、大口を開く大地のクレヴァスへと視線を向けた。あの地割れが、東西どこまで続いているのかを確認させるために放った偵察兵からはいまだ報告がない。つまり、一マイルや二マイルではきかないということだ。さりとて、土木作業で埋め立てられる深さではないことは考えるまでもない
「・・・ヴァサゴは逝ったか…」
口中で小さく漏らす。敵軍の行動を予測して戦場の南に潜ませたヴァサゴとその手勢も、この調子では何もできずに全滅した可能性が高い。もっともヴァサゴに関しては、こちら側で死んでも現実世界で目覚めることは分かっている
その彼が飲み込まれたであろうこの峡谷は、魔法ならば何とかなるのかと、ガブリエルはわずかに生き残った暗黒術師に検討させたが、あの規模の谷に大軍が渡れるほどの強度がある橋を架けるのはほぼ不可能という返事だった。総長ディー・アイ・エル級の術者が、再び多数のオークを用いれば…というものだった
(あの女も、現実の人間に勝るとも劣らぬ野心に満ちていた割には、随分と呆気なく退場したものだな)
しかし、そうともなればつまり、あの巨大な地割れは、謂わゆるこの世界の『ゲームバランス』から逸脱した代物だ。ダークテリトリー側のユニットに修復不可能な破壊を、人界守備軍側のユニットが実現できる道理はない。ならば、あれは現実世界からの干渉だ。アッパー・シャフトに立てこもっているラースのスタッフが、ガブリエルと同じようにスーパーアカウントでログインしてきたに違いない。そうガブリエルは直感した
「・・・面白くなってきたじゃないか」
新たにログインした人間の目的など、百も承知だった。厄介な局面になったことには違いないが、そうと解ればまだ対処の仕方はいくらでもある。そう考えつつガブリエルは、ごく微かな笑みを薄い唇の端に浮かたが、それをすぐに消し去って、レンギルに横顔を向けながら言った
「よかろう、今日はこの場所で野営を設置する。兵どもにはたっぷり食わせておけ。明日は忙しくなるぞ」
「はっ。陛下の御厚情、まことに痛み入ります」
レンギルは再び深々と平伏し、大型竜車のデッキからいそいそと姿を消した。沈黙が訪れた居城の中で、ガブリエルがため息を吐きながら玉座に腰を下ろした…その時だった
「よぉ、アックアが世話になったみたいだな」
「?」
背後から聞こえた声に、ガブリエルは咄嗟に玉座から飛び退きながら、振り向きざまに剣を抜いた。コツコツ、と靴底を鳴らしながら玉座の影から姿を現した男に、ガブリエルは低い声で言った
「・・・名乗れ」
「右方のフィアンマ。まぁ簡潔に言えばアックアの同僚だ。だが、安心してくれていいぞ。アイツはどうだったか大方の想像はつくが、俺様は違う。むしろお前たちの味方だよ」
白々しく挙げた両手の指先をひらひらと泳がせながら、フィアンマは言った。その佇まいに悪意も殺気も感じられないのが分かると、ガブリエルは一先ず黒剣を鞘に納めた
「私たちの味方とはどういうことだ。私たちに襲いかかったあの男は、カミジョウトウマという人間が目的だと言っていた。目的が違うハズのお前たちが、どうして私たちの味方になり得る」
「なるんだな、コレが。いやまぁ一概にそうとは言えないが、少なくとも俺様がお前たちの邪魔をすることはないさ。ただその代わりに、一つ呑んでほしい要求があるだけだ」
「なんだ、その要求というのは」
「この戦争では好き放題するがいい。別にアリスに興味がないのは俺様も同じだ。だが、上条当麻だけは殺すな。と言うよりむしろ、ヤツ以外全ての人工フラクトライトを殺し尽くせ。泣き叫びたくなるほどの地獄を具現化させ、自害したくなるほどの絶望を見せてくれ」
「断れば?」
「同じことだ」
短い返答の後、ドアッ!という爆音と爆風が渦を巻いた。そして何もなかったはずのフィアンマの右側にある空間に、巨大な第三の腕が浮かび上がり、ガブリエルを睥睨するように佇んでいた
「お前らの軍隊も全員消した後で、向こうも全員消す。ただそれだけだよ」
フィアンマが不気味な笑みを浮かべながら言うと、釣られるようにベクタもフッ、と鼻を鳴らしてから、第三の腕を一瞥もせずに彼の目を見据えて言った
「貴様に言われずとも目に付く人界のユニットは消すつもりだが、解せんな。『カミジョウトウマ』という人間には、そこまでする価値があるのか?それにその条件は、お前が一人でやった方がよほど簡単に済ませられると思うが?」
「上条当麻に価値がある…というよりも、ヤツがただ一人残されることに価値があるのさ。俺が一人でやっても圧倒的すぎて意味がない。ただヤツの憎悪だけが増すばかりで、無力な自分に絶望しない。アレコレ理由を付けて、また暴力で訴えるだけだ。それでは何より、俺様が面白くない」
「・・・よほど執心しているようだな」
「まぁな。お気に入りの玩具だよ」
「なら、そこまでしてカミジョウトウマを絶望させようとする理由はなんだ?何か恨みたくなるようなことでもされたのか?」
「まさか。ヤツの存在にはむしろ感謝しているさ。まぁ、いずれはヤツの方も俺様に感謝することになるだろうがな」
「・・・・・」
「それと、これは一つ手土産だ。お前らの狙っているアリスは、金色の髪に黄金の鎧、そして黄金の剣と…ともかく金ピカまみれな整合騎士だ。参考にするといい」
「・・・なるほど。開戦から間もなく黄金の嵐が吹き荒れ、信じられない規模の術式による爆撃があったと聞いたが…アレが……」
「まぁ、俺様にとってはそんな人工知能よりも、本人が身につけている黄金の方がよっぽど魅力的だがな。まぁ、だからと言って横取りする気もない。信じる信じないは好きにするといいさ」
なんとも会話しづらい相手だと、ガブリエルはため息を吐きそうになった。まるで空気と会話しているような気分だった。こちらが何を聞いても、疑問に対しての核心を突いていない、ボンヤリとした答えを返すだけのフィアンマに、少なからぬ苛立ちを感じていた
「・・・これ以上は時間の無駄だな。だから最後に一つ聞かせろ。お前の目的は一体なんだ?カミジョウという人間を欲するその先で、一体何を求めている?」
「救世主だよ」
二つ返事だった。しかしまたしても何の意味も分からない答えに、ガブリエルは呆れたように眉を下げようとした時、続いてフィアンマの口から言葉が紡がれた
「いずれ分かることだ。その瞬間が来るのは、お前たちの世界とて例外ではない」
「・・・私たちの世界?」
「救世主。読んで字の如くだよ。人間の犯した罪の全てを洗い落とす、そんな神にも等しい存在が現れるのを、生きとし生ける者全てが望んでいる。そんなナリをしているんだ。聖書くらい読んだことがあるだろう」
まるで世界全てを覆うように、フィアンマは両手を広げた。そして第三の腕が夜天へと伸びると、滑らかな口調で彼は切り出した
「全人類が待ち望んでいた時が来たのさ。黙示録20章15節『このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。』そう記されている通り、終末が訪れ、生まれ変わる時が来たのさ。俺様たち人間の全てが過去になり、全てが救われる。だからお前たちの世界の人間も、その時が来れば全てが分かる。終わりの始まり、そして救いの瞬間に、神が舞い降りることの喜びがな」
はははははははは!!という甲高い笑い声が響くと、フィアンマは右肩に鎮座していた第三の腕を一薙させた瞬間に、ガブリエルの前からその姿を消した
「・・・ふん…」
ガブリエルは大きくため息を吐いた。アックアが今際の際に語った、『神の如き者』。それがフィアンマであることは、考えるまでもなく直感していた。そしてどこかで、興味を持っていた。魔術という自らが知り得ぬ領域の頂点に立つ者。その魂は、一体どのような輝きを、味を秘めているのか。それをようやっと垣間見た彼は、小さな声で呟いた
「期待外れだな」