「キリト先輩と、同じ世界…?」
「そ、それは……神界のことなのですか?創世三神や、素因を司る神様、天使たちが暮らしている天上の国のことを……」
赤色の瞳と藍色の瞳を不思議そうに見開きながら、ティーゼとロニエは訊ねた。それに対し、純白と眩い黄金が光る鎧に身を包んだアスナは、慌てて首を振って答えた
「いいえ、違うわ。確かにこの国の外側にある世界だけど、決して私たちのいる場所は神様の国じゃないの。だって…このキリト君が神様だの天使だのだなんて、とても想像つかないでしょう?」
すると少女たちは車椅子に眼を向け、ぱちくりと瞬きしてから、揃って小さく笑みを漏らした。すぐに慌てた様子で表情を正し、こくこくと頷いてティーゼが言った
「そう、ですね…毎日学院を抜け出しては、買い食いしに行く神様なんて、いないと思います」
今度はアスナが唇を綻ばせた。まったく、この世界でまでそんなことしてたの…と、呆れるようで嬉しいようで、またしても目頭が熱くなりかけているのが分かった
「ではその、外側の世界というのは…いったいどういう場所なのですか?」
「それは…えっと、ごめんなさい、ひと言では言い表せないわ。この場の指揮を執っている人たちにも同時に説明したいから、案内してもらえる?」
「は、はい。解りました。こちらです」
訊ねたロニエは神妙な面持ちで頷き、ティーゼと共に馬車の出入り口へと向かった。二人を追いかけようとしたアスナは一瞬足を止めると、もう一度だけキリトの方へ振り返った
(・・・だいじょうぶ。もう大丈夫だからね、キリトくん。後は全部、私に任せてね)
心の中でそう囁きかけ、ようやく力の抜けた左手をそっと握ってから、アスナは身を翻した。木箱の間を通り抜け、幌を持ち上げて荷台から飛び降りる。アスナの白いブーツが地面に触れた、その瞬間。金色の輝きが視界に飛び込んだ
「ーーーッ!?」
剣の閃き。そう認識する前に、アスナは反射的に動いていた。右手が瞬発的に動き、左腰に装備されたレイピアを全速で抜き放つと同時に、二本の剣がぶつかり合う高く澄んだ金属音が、夜の森を貫いた。どうにか何者かの斬撃を弾いたアスナだったが、あまりの衝撃に右手が肘まで痺れる感覚に顔を顰めた
「はあああああっ!!!」
続けざまに、何者かの凛とした声が迫ってくる。飛び散った大量の火花が白く焼きついたままの視界に、息もつかせぬ次撃の剣光がアスナの瞳の中で瞬いた
(ただ防いでるだけじゃ押し込まれる…!)
一瞬で判断したアスナは、迫り来る金色の刃に細剣を向け、連続で突きを放った。三撃目で、どうにかその刃は止まった。鍔迫り合いに移行しながら、アスナはようやく、金色の剣を握る襲撃者の姿を確認した。そこにいたのは、息を呑むほどに美しい、金色の女性剣士だった。しかしてその瞳に燃やしているのは、こちらが気圧されそうになるほどの強烈な怒りだった
「なん、で……!?」
見るからに、この人は人界守備軍の人間のハズだ。こんな感情と剣を向けられる覚えはまるでない。そんな突然の出来事にアスナが戸惑っていると、キィン!という甲高い音がもう一度響いた。音の先を見れば、何の前触れもなく現れた三本目の剣が、ぶつかり合った二本の剣を真下から弾き上げていた。そしてその三本目の剣を握る人影は、剣を弾かれ後退した女性剣士とアスナの間に割って入った
「ちょ、ちょっとタンマタンマ!」
「み、ミコトさん!?」
真珠のように輝く細剣を右手に持ち、左手の平を何度も女性剣士に見せつけて静止を呼びかけていたのは、アスナにとっては旧知の仲である御坂美琴だった。なぜあなたがここに、そう驚いて問いかけるよりも前に、美琴が続けて金色の女性剣士に言った
「ちょっと落ち着いてよアリスさん!この人は…アスナさんは絶対に私たちの味方だから!」
『アリス』!その名前を聞いて、アスナは新たな驚愕に見舞われた。それでは、この凄絶なまでの美貌を持ち、巨岩のように重い剣を振るう金色の女性剣士こそが、世界初の真正ボトムアップ型AIであり、プロジェクト・アリシゼーションの粋を集めた結晶であるA.L.I.C.Eなのか。しかし、なぜそのアリスがこうも敵意を燃やして攻撃してくるのかについては、アスナには皆目見当がつかなかった
「退いて下さいミコト!キリトに近づこうとする者は、例え誰であろうと私の敵です!」
「な、なんつーメンヘラ…!?」
「そこの貴様!一体何者だ!?なぜ私のキリトに近づいた!?」
「・・・はぁ?」
美琴の静止を気にかけることなく、アリスはアスナに向かって叫んだ。その台詞を聞いた途端、アスナの中で、この場で立て続けに起こったありとあらゆる疑問や事情を脇に押しやる、一つの感情が音を立てて弾けた。具体的には、ものすごくカチーン☆と来た。その気配を肌で感じ取った美琴は、全身から冷や汗を噴き出させながら慌てて180度向きを変え、今度はアスナに向かって左手の平を何度も突きつけた
「ちょ、ちょっと待ってアスナさん!これは誤解なのよ!ほんの些細な認識の相違から生まれる誤解があって!その…!」
「なぜって…キリトくんは、私のだからよ!!」
「なっ!?なにを言うか狼藉者がっ!!」
美琴の仲裁も虚しく、アスナは歯を軋ませながら叫んだ。直後、美琴のすぐ傍で間合いを詰めきった二人の剣が再び火花を散らした。二人は再び鍔迫り合いに移行し、またも流れるような剣戟を繰り広げ始め、ギィン!ギィン!と甲高い金属音が連続した
「あ〜〜〜…ごめん、キリトさん。私は頑張ったのよ?だからこれは、うん。全部キリトさんのせいってことで…」
美琴はついに仲裁を諦め、遠い目で二人の激突の行く末を見守り始めた。その視線の先にいるアスナは、肘から肩まで届く衝撃に改めて舌を巻いていた。正直、剣の腕ではいささか劣ることを認めなければならない。互角に撃ち合えているのは、ステイシア・アカウントに付与されたいわゆる『GM装備』であるレイピア『ラディアント・ライト』が誇る高優先度の恩恵だった
「うーむ、こりゃあ実に何とも見事な眺めだな。咲き誇る麗しき花二輪、いや絶景絶景」
のんびりとした男の声が、二人の耳に届いた。同時に、それまで誰もいなかったはずの空間から、ぬうっと二本の逞しい腕が伸び、ごつごつした指が、アリスとアスナの剣の腹をひょいと摘み上げた
「「ッ!?」」
まるで万力に挟まれたかの如く、二人の剣戟が止まった。男の腕は啞然とするアスナとアリスを剣ごと軽々と吊り上げ、大きく引き離して着地させた。その男が現れた途端に、何歳か幼くなってしまったかのような雰囲気のアリスが怒鳴り声で抗議した
「なぜ邪魔をなさるのですかベルクーリ小父様!?この者は、恐らく敵の間者…!」
「ではない、と思うぞ。早々に戦死するところだった俺達を命拾いさせてくれたのは、こちらのお嬢さんなんだからな。察するに、君らもそうなんだろう?」
最後のひと言は、相変わらず眼を見開いているロニエとティーゼに向けられたものだった。二人はベルクーリの言葉に恐る恐る頷くと、交互にか細い声を発した
「は、はい。騎士長閣下。その方は、窮地に陥った私とティーゼを助けてくれたのです」
「腕の一振りで、敵の大部隊を奈落に落として…それはまさしく、神の御業でした」
「なっ!?」
「だから私もそう言ってんでしょうが…」
二人に続いて、美琴は呆れたように額に指先を当てて首を振った。そしてベルクーリは、アスナが地形操作して作り出した大峡谷の方向にちらりと目をやると、アリスの肩にぽんと右手を乗せて言った
「嬢ちゃんも俺と一緒に見たろう?天から七色の光が降り注いで、大地が幅百メルも裂けたのを。ひと息に蹂躙されるところだった俺たちを、このお嬢さんが救ってくれたのは間違いない事実だ」
「・・・ならば小父様とミコトは、この者が敵の間者でも、神画に描かれた装束を真似た不心得者でもなく、本物のステイシア神だ…などと仰るおつもりですか」
アスナは、黙したまま軽く唇を嚙んだ。ここで、人界軍の総責任者らしい騎士長に、神様だと認定されでもしたらまた厄介なことになりそうだ。しかし幸いなことに、ベルクーリは即座に口許をにやりと緩めるてからかぶりを振った
「いいや、そうは思わん。もしこのお嬢さんが本物の神様なら、最高司祭よりおっかないはずだろ?たとえば、いきなり斬りかかってきた乱暴者なぞ、容赦なく地の底に突き落とすくらいにはな」
これにはアリスも反論できないようだった。尚も敵意の消えない瞳でアスナに火花の出そうな一睨みを浴びせてから、長剣を鞘の鯉口にあてがい、シャキン!と黄金の剣を納めてから言った
「・・・いいでしょう。あなたを私たち人界守備軍の一人と認め、先ほどの無礼は謝罪いたします。ですが今後とも私の許可なく、その馬車には立ち入らないように。キリトの安全を確保するのは私の責務ですから」
実のところ、アスナにも大いに言いたいことはあった。要約すれば、「はぁー!?なによ、えっらそーに!あなたはキリト君のなんなのよ!?」と言いたかったが、深呼吸でその怒りと言葉をどうにか飲み下して、代わりにポツリと呟いた
「・・・あなたの方こそ、私のキリト君を呼び捨てにするのやめなさいよね……」
「何か言いましたか!?」
「いいえ!なーんにも!」
呟きから一転して大声で言うと、フンッ!と不機嫌そうに鼻を鳴らし、アスナはアリスから視線を切った。そして彼女はその先にいる美琴に目を向けて訴えると、それを受け取った美琴は、やれやれと言った様子でため息を吐きながら、手にしていた細剣を鞘に納めて口を開いた
「あ〜〜〜…今の言われた後に言う意味があるかどうかは分からないけど、とりあえずは私もベルクーリさんに同意見。アスナさんは神様なんかじゃないわよ。だって私の友達だもの」
「・・・へ?」
美琴の言葉に、アリスが素っ頓狂な声をあげた。一先ず落ち着きを見せた現状に息をついたアスナは、美琴と同じようにレイピアを鞘に納めつつつ、ベルクーリの方に向き直って口を開いた
「ミコトさんが言った通りです。こんな外見をしていますが、断じて私は神様なんて大それた存在ではありません。皆さんとまったく同じ人間です。ただ、あなた達の置かれた状況については、幾らかの知識を持っています。なぜなら私は、この世界の外側から来たからです」
「外の世界…!?まさかお前も、キリトやカミやんがやって来た場所から来たというの!?」
「えっ!?か、カミやん君までこっちの世界にいるの!?」
アリスが鋭く空気を吸い込んでから叫んだが、アスナも同じく驚いて叫んだ。そしてその言葉に美琴がハッとして、アリスに向かって問い質した
「ね、ねぇ!そういえばアイツはどうしたのよ!?アリスさん達と一緒にいたハズでしょ!?」
「・・・その、カミやんは…」
「あっ!カミやん先輩!!」
遠方にその姿を見つけたのであろうロニエが叫んだ瞬間、美琴とアリスは即座にそちらを振り向いた。その視線の先には、こちらを目指してゆっくりと歩いてくる上条がいた
「か、カミやんっ!」
その姿を見るなり最初に走り出したのは、アリスだった。彼女は上条の元にたどり着いて心配そうに彼の肩に手を置くと、その顔を覗き込みながら急きこんだ口調で問いかけた
「良かった!小父様からあの場に一人残ったと聞いた時は不安でたまりませんでしたが、無事だったのですね!?」
「・・・あぁ…」
そこでアリスは、違和感を覚えた。何というか、今の上条は、心を失ったキリトに酷く似ていた。顔を俯かせ、その瞳は中空を見続けていて、気の無い言葉が口から漏れるだけ。そんな上条の様子に一抹の不安を強めたアリスは、重ねて問いかけた
「そ、それでは…エルドリエの仇だったあの男を…右方のフィアンマと名乗った男を倒すことは出来たのですか?」
「・・・いや、悪い。逃げられちまった。急に大地が割れて…それで………」
言葉らしい言葉が返ってきて、アリスはホッとした。しかしそれでも、上条の様子がどこか虚ろであることに変わりはなかった。一体どうしたものかと思っていた時、背後から美琴の声が聞こえた
「ちょっとアンタ、今の聞こえたわよ。アンタが一人で相手をしようとしたってことは、相手はさっき言ってた『神の右席』ってことでいいのかしら?」
「・・・あぁ…」
またしても、気の無い返事。これを聞いた美琴もまた、何かが可笑しいと感じた。おそらく、彼に何かあったに違いない。自分達が感知していない戦いの中で、勝ち負けよりも決定的に彼の意思をここまで削ぎ落とす何かが起こった。そう美琴が思うのと同時に声をかけたのはアスナだった
「久しぶり、カミやん君。ミコトさんが颯爽と現れた時はちょっとビックリしちゃったけど、会えて嬉しいよ。理由はまだ分からないけど、カミやん君とミコトさんがいるなら百人力だわ」
「・・・あぁ…アスナか、久しぶりだな。やっと来てくれたのか、キリトも喜ぶ…あぁいや、そういやアイツまだ喋れねぇんだった。はっ、コッチはこんなに苦労してるってのに…相変わらずフザけたヤツだな、アイツは……」
「「「!?!?!?」」」
上条が薄ら笑いを漏らしながら言った言葉に、美琴、アリス、アスナの三人は全員が耳を疑った。上条当麻という人間は、口が裂けてもこんなことを言う人間ではなかったハズだ。そんな彼の態度に、彼と最も長い期間を共に過ごした美琴が食ってかかった
「ちょっと…!今のは冗談だとしても聞き捨てならないわよ!?この中で一番最初にキリトさんの様子を見て心を痛めたのは、アンタのハズでしょうが!その上、あまつさえ目の前にアスナさんまでいるこの状況で、アスナさんが今どんな気持ちなのか分からないほど鈍くないでしょ!!」
「み、ミコトさん!私なら大丈夫だから少し落ち着いて!?」
上条の着る黒い服の襟首に掴みかかって、美琴は声を荒げた。その様子を見かねたアスナが彼女を止めに間に入ったが、その傍にいる上条は、苦しそうにするどころかただ顔を俯かせているだけだった
「い、一体どうしたのですカミやん?あなたがそんな、心にもないことを言う人ではないことは私も分かっています。昨夜私と口論になったことをまだ引きずっているのでしたら、何か話してくれませんか…?」
「・・・悪い。今はまだ、無理だ。この後、またどうせ色々話すだろ。アスナがここにいる理由とか、俺たちがここにいる理由とか。適当にその辺ブラついてるから、そん時になったら呼んでくれ。少しは気分マシにしとくから…今は一人にさせてくれ」
アリスが不安そうな声で訊ねると、抑揚のない、機械音声のような棒読みの声で上条は言った。それだけ言い残すと、肩に置かれたアリスの手と、襟首を掴む美琴の手を払いのけ、フラフラと亡霊のように歩き始めた
「こ、こんのっ…!一人で勝手にショボくれてんじゃないわよバカ野郎ーーーッ!!」
ついに痺れを切らした美琴が、激情のままに上条の土手っ腹目掛けて電撃を放った。きっと彼はこれを右手で防いで、当然のように怒鳴り返してくる。話はそれからだ、そう美琴が思っていた時に、ズドオッ!という音と共に、電撃が彼の体を貫いた手応えが伝わって来た
「・・・・・え?」
ゴロゴロ…ズシャッ。と、地面を何度か転がって、美琴の電撃に吹っ飛ばされた上条の体が止まった。美琴はその光景を見て目を疑った。いつだったか、その特異な右手を使わずに、ただ一方的に自分の電撃を彼が喰らい続けた時があった。しかし、その時とは明確な違いがあった。あろうことか上条当麻は、美琴の電撃に右手を差し向けていたにも関わらず、その電撃は無力化されずに彼の体を貫いたのだ
「ね、ねぇ…アリスさん。アイツの右手って…」
「え、えぇ…神聖術や、武装完全支配術を消し飛ばしたり、不思議な力を持つ右手があるから自分には剣が必要ないと、事あるごとに……」
「ッ!?」
この世界ではあの右手はただの右手なのかもしれない、そんな美琴の淡い期待は、同じように自分の目を疑っているアリスの言葉によって水泡のように弾けた。ともあれ自分の電撃をマトモに受けた上条の元へ駆け寄ろうとすると、ムクリと何事もなかったかのように起き上がった上条がひとりでに呟いた
「・・・はっ。自分を見失った俺には…もう心意も、幻想殺しなんて力も似合いません…ってか。ほんと、フザけた奴だな…俺……」
自嘲して笑った上条の呟きは、美琴の耳に届いていた。そして、自分の心臓が止まりそうなほどに心を痛めた。目の前の彼は悪魔のデスゲームが終わっても、自分がまだ眠り続けていた時にも、ここまで気を落としていたのだろうか。いや、だからこそ、むしろ違うと思った。今の上条は、自分以外の誰かのことではなく、自分の何かを失ったのだと、そう美琴は直感できた
「ちょ、ちょっと……」
「・・・あぁ、大丈夫だよ美琴。俺は大丈夫だ。ちょっとしたら戻るから、先に始めててくれ……」
「待っ…!」
そう言って、上条は一人で薄暗い森の中へと背中を揺らしながら消えていった。呼び止めなければ…そう思うのとは裏腹に、美琴の喉から言葉が出てくることはなかった