とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第10話 右手

 

「おお、これはこれは……」

 

 

その後、山を降りた上条はユージオの案内でルーリッド村を訪れ、紹介する予定だった教会へとたどり着くなり、上条はその佇まいに感嘆の声を漏らしていた

 

 

「なんか、俺が想像してたよりずっと立派な教会だな。本当に俺みたいな流れモンでも泊めてくれるのか?」

 

「平気さ。シスター・アザリヤはいい人だからね」

 

 

上条は若干の不安を残していたが、この善意が服を着て歩いているようなユージオが言うのだから間違いないだろうと、自分を宥めると、意を決して教会の扉に手をかけた。するとその先で彼を待っていたのは………

 

 

「はいこれ、毛布と枕。寒かったら奥の戸棚にもっと入ってるから。朝のお祈りが6時で、食事は7時よ」

 

「悪い、色々と助かるよ『セルカ』」

 

 

自分の母親である上条詩菜よりも幾ばくか歳上に見えたシスター・アザリヤは、なんの分け隔てもなく上条を受け入れてくれるばかりか、無銭宿泊とは思えないほどの高待遇で上条をもてなしてくれた。夜を迎える頃には暖かい食事をご馳走になり、ひいてはシングルベット付きの個室をくれた。そんな至れり尽くせりを享受する上条に毛布と枕を用意してくれたのは、若干12歳ほどと見られるセルカという名の少女だった

 

 

「いいのよ。これが教会の仕事なんだから。明日の朝は一応見に来るけど、なるべく自分で起きてね。消灯したら外出は禁止だから。他にわからないことは?」

 

「いいや、大丈夫だ。ありがとな」

 

「それじゃあお休みなさい。ランプの消し方は分かるわね?」

 

「あぁ。お休み、セルカ」

 

 

セルカはコクリと頷くと、少し背丈に合っていない修道服の裾を揺らしながら部屋を出ていった。上条はそんな彼女の後ろ姿に、修道服の裾を引きずって歩いていた女の子を彷彿とさせた

 

 

「はは、まるで出会ったばっかりのインデックスみたいだな」

 

 

どこか懐かしむように自分と一緒に暮らしていた白銀の修道女を脳裏に思い浮かべながら、上条は渡された枕をベッドに置き、そのまま寝転んで毛布で胸元のあたりまでを覆ってからランプの明かりを消した

 

 

「さって、結局はログアウト出来ずに今日という一日が終わりそうなわけですが、このまま寝て起きたら元通り現実世界に…なんて都合よくいけばいいんだけどな」

 

 

上条はそのまま天井を見上げながら枕と後ろ頭の間で手を組ませると、ここに至るまでの経緯を頭の中でざっと振り返りながらうわ言のように呟き始めた

 

 

「まぁ、とりあえず今の俺にはこの世界の常識と情報が少なすぎるな。当面はユージオとか村の人と関わって色々と勉強させてもらって…後々は情報を手にするために央都にたどり着くってのが…俺のしばらくの…もく…ひょうだ…な……」

 

 

そこで一日の疲れが出たのか、上条はあっさりと睡魔に意識を譲り渡し、誘われるかのように深い眠りについた

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「むにゃ……あと5分……」

 

 

からーん!という鐘の音が一つ、どこか遠くから聞こえている。上条が夢心地にそう思うのも束の間、毛布の上から肩を揺らされ起床を促されていた

 

 

「ダメよ、もう起きる時間なんだから」

 

 

そう言いながら、なおもセルカは上条の体を揺らし続ける。長らく実家を離れている上条は、こうして誰かに起こされるという行為そのものが久しく、どうにも自分の体内時計とは別の時間に起こされるのが気に食わなかった

 

 

「さ、3分…3分でいいんですよ…?」

 

「もう5時半よ。子供たちはみんな起きて顔を洗ったわ。早くしないと礼拝に間に合わないわよ」

 

「ご、5時半ですと…?現代の大学生であるカミやんさんには鬼畜の所業だ…」

 

「ワケの分からないこと言ってないで、さっさと起きなさい」

 

「・・・不幸だ…」

 

 

泊めてもらっている立場上、素直に諦めると上条はベッドから上体を起こし、軽く伸びをした。そして周りをぐるりと見回すと、やはり自分の部屋ではないことに改めて落胆した

 

 

「やっぱ、そう上手くはいかねえか…」

 

「え?何か言った?」

 

「うんにゃ、なんでも。着替えたら行く。一階の礼拝堂でいいんだっけか?」

 

「そうよ。たとえあなたがお客様でベクタの迷子でも、教会で寝起きするからには時間はきっちり守ってもらうからね」

 

「・・・郷に入らずんば郷に従え…ってとこかなぁ…っしょっと」

 

 

うろ覚えのことわざを呟きながら、まだ冴えきっていない思考のままシャツに手をかけて着替えようとすると、その様子を見たセルカが顔を真っ赤にした

 

 

「ちょっ!?あ、あと20分くらいしかないからね!遅れちゃダメよ!ちゃんと外の井戸で顔も洗ってくるんだからね!」

 

「んぉー」

 

 

まくし立てるように言い残すと、セルカは慌てふためきながらパタパタと走り出して部屋を出た。上条はそんな彼女を見送ると、ひとまず教会から借りた服から元々着ていた服に着替えた

 

 

「しっかし、今のが普通のNPCの反応かねぇ…ユージオといいセルカといい、まるで本物の人間みたいで逆にこっちが罪悪感湧くぞ。本当にこのゲームはここまでリアルを追求して…一体どこを目指してるんだk……」

 

 

部屋着のズボンを脱いで、この世界に来た時のズボンに足を突っ込んでいた上条の頭を、まるで電撃が走ったような衝撃が襲った。着替えかけだったズボンを手離すと、脳裏に蘇ったわずかな記憶を辿るべく側頭部に両手を当てがった

 

 

「そうだ…ついこの前に話していたハズだ…!たしか、そんな感じの何かを…!」

 

 

薄ぼんやりと何かが見えてくる。頭の中で反響するように何かが鈍く聞こえてくる。どこか見慣れた、黒ずくめの少年。何度も聞いたはずの、親友の声

 

 

「思い出せ…思い出せ…!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『俺たちは何かを見る時、記憶・再生が可能な方法でそのデータをフラクトライトに保持するんだ。目を閉じても瞬時にその記憶は消えたりしない』

 

 

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「フラクト…ライト…?」

 

 

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『つまり当人が体感するその仮想世界は、意識においては本物…作り物じゃない』

 

『俺もごく初期の体験は記憶が残ってるんだけど…違ったよ。今までのVRワールドとは何もかもが違った。俺は最初そこが…『アンダーワールド』が仮想世界だと分からなかった』

 

 

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「アンダーワールド……」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『長い間キワモノ扱いしてたその理論を下敷きに組み上げたのが、『ソウル・トランスレーター』だ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「・・・そうだ…そうだよ!ソウル・トランスレーターだ!」

 

 

靄が晴れていく感覚が、上条自身もハッキリと良くわかった。散りばめられていた点と点が繋がり、一本の線でまとまっていく。ここに来て上条はようやく、納得のいく答えを得た

 

 

「ここは、ソウル・トランスレーターの作り出した仮想世界!アンダー・ワールドの世界だったんだ!」

 

 

上条は気づいた喜びのあまり両手を高く突き上げたが、すぐに我に返って腕を降ろし、そのまま指に顎を置いて思考を巡らせた

 

 

「いや、待て待て。そもそもそのSTLはキリト達の方の世界のモンのはずだ。俺がログインできるハズが…でも現状を鑑みればそれが一番可能性が…」

 

「ちょっと!いい加減にしないと本当に遅れるわ…よ………」

 

「あ」

 

 

バァン!という轟音とともに部屋の扉が開けられたかと思うと、ズカズカとご立腹のセルカが部屋に入り込んで来た。しかし、床に脱ぎ捨てられたズボンを見て、恐るおそる視線を上に持ち上げていくと、否が応でも上条のパンツと視線がかっちり重なり、セルカの口から紡がれていた説法は悲鳴に変わった

 

 

「イヤああああああーーー!?!?」

 

「うおおおおおおおーーー!?!?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「まったくもって不幸だ…」

 

 

その後、上条は特にすることもないので昨日と同様にユージオと交替でギガスシダーに切り込んでいた。ただ昨日と少し違うのは、上条の斧の腕が上達したことと、セルカの手によって、彼の頬に特大の紅葉の押印がされていることだ

 

 

「あはは、でもそれはカミやんだって悪いよ」

 

「そりゃそうだけど、有無を言わせずビンタもないでしょうよ」

 

「あはは、セルカにもそんな一面があったんだなぁ……っと!これで午前の分は終わり。お昼にしようカミやん」

 

 

ユージオは会話をしながら、一区切り置くように竜骨の斧を振り下ろした。2人合わせて1000回目のそれを打ち終わると、斧を巨樹に立てかけて昨日と同様のパンの包みを拾い上げた

 

 

「そんじゃ、今日もいただきます。……んがっ!」

 

「ふふっ、豪快な食べ方だねカミやん」

 

「ははっ、昔はこんなんよりももっと豪快に食物を食い荒らす暴食シスターさんが同居人にいたんですけどねぇ」

 

「え?カミやん、君記憶が戻ったのかい?」

 

「ゔぇっ!?あ、あぁいやそういうわけじゃなくて、なんか薄ぼんやりとそんな感じの風景が頭ん中をよぎるといいますか…!」

 

「なんだ。でもそれはきっといい傾向なんじゃないかな。早く記憶が戻るといいね」

 

「そ、そうだな」

 

 

上条は危うく口を滑らせそうになったのを慌てて作った必死の笑顔で、なんとかユージオに不安をかけまいと取り繕った。そして昼食に戻り、相変わらず固いパンを無理やり千切ると、パンの欠片を眺めながらふと考え込んだ

 

 

(・・・ともかく、十中八九ここはSTLの中のはずだ。そうでなきゃ説明がつかない。だけど今の俺には、ここに入る直前の記憶がない。俺はここに自分から進んで入ったのか?それとも誰かに…入れられた?)

 

 

自分の行動に関しても疑心暗鬼になりながらパンの欠片を弄りまわして思考を巡らせると、やがて考えるのを諦めたように、上条はパンを口の中へと放り込んだ

 

 

(ま、いくら考えてもしょうがねぇわな。とりあえずは成るように成るだろ。最初の頃はまったく終わりの見えなかったSAOだって、最後はちゃんと終わったんだ。今回もまぁ順当にこのゲームをゲームらしく進めていけばどうにかなるだろ)

 

 

そんな風にどこか楽観的な結論に至ると、上条は最後の一切れを噛み砕いて喉の奥に飲み込んだ

 

 

「しかし昨日の売れ残りとはいえ、教会の出してくれた飯と比べるとどうにも味気のねぇパンだよなぁ〜…これ売ってるパン屋は本当にパン屋としての才能があんのかぁ?」

 

「はは、でもそういうの珍しくないんだよ。みんな天職に従ってそう働いているだけで、その仕事を長く続けてる本人よりも、その仕事の才能がある人っていうのはたまにいるんだ」

 

「へぇ〜…」

 

「本当、カミやんにもアリスのパイを食べさせてあげたかったなぁ…皮がサクサクして具がたっぷり詰まっていて、搾りたてのミルクと一緒に食べると、世の中にこれよりも美味しいものはない。って思えた」

 

「へぇ…じゃあそのアリスって子の天職はなんだったんだ?」

 

「アリスはシスター・アザリヤの後継ぎで、教会で神聖術の勉強をしていたんだ。村始まって以来の天才って言われていて、10歳の頃からもういろんな術が使えたんだ」

 

「シスター・アザリヤの後継ぎ?じゃあ今教会にいるセルカはどうなんだ?」

 

「彼女はアリスの妹だよ。アリスがいなくなった後、シスターになるために教会に住み込みで神聖術を学んでいるんだ」

 

「神聖術ねぇ…ソイツは上やんさんにはきっと無縁だなぁ…」

 

「え?どうしてそう思うの?」

 

「いや、なんというか俺の場合はそういう問題じゃなくて、生まれ持った構造的欠陥と言い…ますか………」

 

 

自分の右手をぼんやりと見つめながら話していた上条は、やがてハッとして反射的に巨樹の根に下ろしていた腰を持ち上げ、巨樹の溝の前に立った

 

 

「カミやん…?」

 

「・・・そうだよ…俺はまだこの世界に来てから、自分の最大のアイデンティティーを確かめてなかったじゃねぇか!」

 

 

どこか心踊るように上条は微笑むと、あまねく幻想を殺してきた右手を強く握りしめた。そして腰を深く落とすと、右拳を引きしぼって左足を踏み込んだ

 

 

「おおおおおっっっ!!!」

 

 

見事な雄叫びを上げると、ギガスシダーに刻まれた溝に上条の右拳がぶち当たった。ピシィッ!という音と共に黒い樹皮がいくらか欠け落ちたが、やがて拳の先からジィンと痛みが伝わってきた

 

 

「いっでえええええ!?!?」

 

「な、何やってるんだよカミやん!?下手すれば指の骨が折れちゃうよそんなの!」

 

「お、OKOK…俺の不幸な右手はこの大樹さんには勝てませんと…悪りぃユージオ、一回コイツの天命見てもいいか?」

 

「え?まぁカミやんはこれの数字を見て途方に暮れたことがあるから別にいいとは思うけど…本当にそんなにやたらに見るものじゃないんだよ?言った通り本当に気が遠くなるだけで仕事の能率が落ちるだけというか……」

 

「いいからいいから。それくらいでサジ投げるほどカミやんさんも子どもじゃねぇよ」

 

 

そう言うと上条は樹皮の上にS字を描き、ステイシアの窓を開くと、そこに記されている天命の数値を目を凝らしながら確認した

 

 

「23万と2315…察するにノーダメージってとこですか。ダメだこりゃ」

 

(まぁ当然っちゃ当然か。そもそもSAOで作られた俺のデータがイレギュラーなだけであって、そこに準拠もしてない上にコンバートもしてないゲームで幻想殺しが再現されてるわけないよな)

 

「当たり前だよ。ただの拳が竜骨に勝てるわけないじゃないか」

 

「ははっ、ただの拳ねぇ…別の世界じゃ鉄の剣にも決して引けを取らなかったんだが…こっちじゃ骨の斧にも勝てませんってのは、なんとも寂しい話だなぁ…」

 

(だけど、それだけで決めつけるのも早計だよな。コイツが異能の力に直接触れたわけじゃなし、強化されてたとしてもギガスシダーには敵わなかっただけかもしれない。まぁ要研究ってとこだな)

 

 

痛みと痺れがなお引かない右手をぶんぶん振りながら、自慢だった右手よりも強度が勝る斧を左手で持ち上げると、ふと思いついたことをユージオに問いかけてみた

 

 

「なぁ、ユージオ。村にコイツより強い斧はないのか?村じゃなくても、この前言ってたザッカリアの街とかにさ」

 

「・・・ねぇカミやん、それある意味サジ投げてないかい?楽して近道しようとするのは典型的な子どもの発想だよ」

 

「べべ、別にそういうんじゃねぇよ。いやほら、興味本位というかさ…」

 

「どうだか…。でも、そんなものあるわけないよ。竜の骨っていうのは、武器の素材では最高峰の素材なんだ。これ以上強いものなんて村どころか街を探してもとても……」

 

 

そこまで言いかけると、ユージオは急に口を噤んで黙りこくった。そしてしばらく手を口に当てて何かを考え込むと、やがて腹を決めたような瞳と口調で上条に言った

 

 

「・・・うん、斧はない。だけど、剣ならある」

 


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