殺される。死んでいく。命令を与えられず、戦うことすらもままならない同胞の闘士たちが、滅茶苦茶に振り下ろされる刃の下に次々と斃れていく。なのに、残る五本の大縄を渡る兵士たちは、動きを止めることはない。対岸に渡れという皇帝の命令は、今もなお生きているからだ。絶対者に命ぜられるまま懸命に綱を渡りきっても、その直後に赤い軍勢に取り囲まれ、無残に切り殺される
「オ…ウオオオオオォォォォォーーー!!」
無念の叫びが、イスカーンの喉笛から飛び出した。なぜ皇帝ベクタは、拳闘士と暗黒騎士に横断作戦の中止を、そして赤い兵士たちに暗黒界軍への攻撃禁止を命じてくれないのか。これでは、部族の闘士たちは囮ですらない召喚された軍勢に捧げられる生贄ではないか。敵軍はとっくの昔に暗黒騎士と拳闘士への攻撃を辞め、紅の敵に立ち向かっている。これではもう、自分達が何と戦っているのか分からないではないか
「こ、皇帝に…」
上申せねば。作戦を停止してくれるよう要請しなくてはならない。怒りと絶望、そして右眼に宿る激痛に苛まれながらも、イスカーンは最後方の地竜戦車に向かおうと足を一歩動かした。長の意図を察したらしいダンパが歪めた顔を上げ、何かを言おうとした時、上空を巨大な影が横切った。遅れて背中を叩いてくる風圧を受けた時には、イスカーンとダンパは反射的に空を見上げた
「あ、あぁ…!」
竜の背中に乗るのは、豪奢な毛皮のマントをまとい、風にソレを靡かせる皇帝ベクタその人だった。イスカーンが無意識のうちに発した叫び声が聞こえたのか、飛竜の鞍上から皇帝がちらりと地面を見下ろした。しかしその瞳に、一切の感情はなかった。無為に死んでいく暗黒界軍の兵たちに、一片の憐憫も、それどころか一抹の興味すらないように彼はただ自分達を見下ろしているだけだった
「アレが、暗黒神…ダークテリトリーの…絶対の支配者だぁ…?」
自らが統べる軍を、治める民を導き、いっそうの繁栄をもたらす。それが支配者の務めであるはずだ。何千何万の命をただ使い捨てにして、そのことに一切の感情を動かさない者に、皇帝を…支配者を名乗る資格がある訳がない。そう考えた瞬間、イスカーンの右眼の眼窩に筆舌に尽くしがたい痛みが走った
「ガアアアアアアアーーーッッ!!!!!」
イスカーンは、高々と右拳を突き上げた。そして、その指先を鉤づめのように曲げ。思考を妨げる激痛の源である、己が右眼に思い切り突き立て…その眼球を丸ごと抉り出した
「ち、チャンピオン!一体何を…!?」
「いいんだよ!これで……!!」
自分の元へ駆け寄ろうとするダンパを左手で押しのけ、短い絶叫とともに、イスカーンは右の眼球を一気に引き抜いた。掌で転がる眼球は拳の中でなおも赤い光を放ち続けたが、彼の右手にぐしゃりと粉砕されると同時に光を失った。イスカーンはゆっくり振り向き、啞然とした顔で見下ろすダンパに低い声で語りかけた
「皇帝は、あの赤い兵士どもに関しちゃ、俺たちに何も命令してねえ。そうだよな?」
「は…?そ、それはその通りですが…」
「なら、俺たちがアイツらをブチ殺す分には、皇帝にゃあ関係ねぇってことだ!!」
「・・・チャンピオン…」
「いいか、ダンパ。谷に橋がかかったら、全軍で突撃してこい。何がなんでも、向こう岸の仲間達を助けるんだ」
「は、橋ですか?一体どのように…」
「知れたことか。できる奴に頼む」
「それは暗黒術師に…ということですか?しかし既に人員の大半はおろか、長すらも失ったあの者共がすんなりと応じるとは…それにそれではあまりにも時間が……!」
「それこそ、知れたことだ」
静かに言い放ち、イスカーンは峡谷に向き直った。突如、逞しい両脚を、赤々とした炎が包み込んだ。黒く燻る足跡を残しながら、拳闘士は谷に向かって猛然と走り出した。そして拳闘士最強の猛者は、幅百メルに渡って広がる峡谷の直前で、思い切り地面を蹴った
「向こう岸に行きたきゃ…テメェで飛びゃあいいだろうが!!!」
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「はああああぁーーーっ!!」
「Noooooーーー!?!?」
罵り声を上げてばったりと倒れるアメリカ人プレイヤーから細剣を引き抜き、アスナは荒く息を吐いた。この世界での天命が尽きても、実際にその存在が消える訳ではない彼らに対する心理的重圧は既にアスナの中にはなかった。かつての『閃光』という二つ名の由来となった高速の連続剣技によって倒した赤い兵士の数は20を超え始めている。しかし、それでも敵の攻撃の手が緩まることは一切なかった
(クソッ!これじゃ敵が多すぎる!!)
上条は心の中で毒づいた。彼だけでなく、美琴やアスナ、人界軍の衛士たち、ことに四人の整合騎士の戦い振りはまさしく鬼神の如しだ。密集陣を組む衛士たちの先頭に立ち、なんとか南に退路を切り開くべく、屍の山を築いている。しかし、やがて皆が気付くだろう。斬り倒した敵の骸が、数十秒後には跡形もなく消滅し、その場に血の一滴すらも残らないことに。自分たちが、命を持たない幻の軍隊を相手にしていることに
「ダメだ!マズッ…うわあああーーー!!」
「ッ!?ヤバイ…!」
突然背後から響いた絶叫に、美琴はハッと振り向くと、人界軍の衛士たちの戦列の一部が破られ、赤い兵士たちが一斉になだれ込んでくるのを見た。米国のVRMMOプレイヤー達がスラングを口々に喚きながら、手当たり次第に衛士たちに襲いかかり、取り囲んでは切り刻む。血が、肉片が飛び散り、悲鳴が断末魔の絶叫に変わる。あまりにもリアルな死に様がいっそう彼らの欲望を搔き立てたのか、赤い兵士たちは次の獲物へと群がっていく光景に美琴は紛れもない恐怖を覚えた
(能力で少しでも退路を開ければ…!でも、ここまで周りが敵だらけじゃ演算に思考を割く余裕が…!)
既にランベント・ライトで幾人もの敵を切り伏せ、電撃で数十人もの敵を撃ち抜いた美琴だったが、その苦しい表情は晴れず、いつまでも周りが敵だらけの戦場で、超電磁砲の能力を最大限に行使出来ない現状に舌を打っていた。そして、なおも英語で罵声を迸らせながら襲いかかってきた一人の赤い鎧の胸部に細剣を突き立て、脇にかけて一思いに敵の体を引き裂いた
「ええいっ!ままよ!!」
そこで美琴はついに痺れを切らした。たった今倒した敵が使っていた長剣を奪い取り、それを弾丸にした超電磁砲を放つため、脳内の意識を能力行使の為の演算へと切り替えようとした…その瞬間のことだった
「
「ーーーッ!?」
無理を押した故に出来た隙をつくように、一人の敵兵から猛然と振り下ろされたバトルアックスの刃から逃れようと、美琴は右へ飛び退いた。しかし完全な回避は叶わず、彼女左腕を分厚い刃が捉えた。ぞぶっ。という鈍い音と共に、美琴の左肘から先が切断され、軽々と宙を舞った
「ぁ…あああああああーーーっ!?!?!」
「み、美琴さんっ!?」
「ぐううううううっっっ!!ああっ!?うわああああああああああああ?!?!?!」
凄まじい激痛に、美琴の喉が猛り、視界はホワイトアウトした。呼吸が止まり、全身が強張る。滝のように鮮血を振り撒く左腕を抱え込み、痛みに耐えようと歯を食いしばったが、その我慢は一秒にも満たず、美琴は口を裂くように再度絶叫した。抑えようもなく溢れた涙の向こうに、自分へと群がってくる敵兵を見たが、直後に彼らの背後からガァンッ!という強烈な音がして、4、5人の敵を細剣で薙ぎ払いながらアスナが駆け寄って来た
「大丈夫!?気をしっかり持って!今すぐに治癒するからね!」
言って即座に、アスナは切断された美琴の左腕に右手を当てがった。そして数秒の間ながらも意識を集中させると、昨夜コマンドを暗記したばかりの治癒の神聖術を発動した。すると彼女の掌を中心にして暖かな光が宿り、ステイシアアカウントの誇る最高位の術式権限の恩恵もあってか、失われたはずの美琴の左腕がみるみる内に再生した
「はぁ…はぁ…ありがとう、アスナさん…助かったわ。しっかしこれは…キツイわね……」
「気をつけて。STLでダイブしている以上、痛覚もダイレクトに伝わってくる。この魔法みたいな力で傷を治すことは出来ても、痛みまではカバーできないから」
「
「「ッ!?」」
もはや息つく間もなかった。群がりながら武器を振り上げる真紅の兵士達に、美琴とアスナは息を呑んだ。だがその次に続いたのは、剣が肉を割く音ではなく、鈍い打撃音だった。彼女らに止めを刺そうとしていた歩兵たちの体が次々に粉砕され、視界の外に消えた
「へっ、ヤワな奴らだ」
「あ、アンタは…拳闘士の!?」
吐き捨てるように言った人影を見た美琴が叫んだ。そこにいたのは、彼女と峡谷で激闘を繰り広げた、拳闘士ギルド長のイスカーンだった。しかし、二人を見下ろすの彼の眼は、片方しかなかった。右眼はまるで抉り取られたかのように惨い傷痕を晒し、赤黒い血が一筋、頰で乾いている。それでもイスカーンは、隻眼ながらも強い視線で美琴とアスナを睨みつけた
(マズイ…今こんな所でこんな奴とマトモにやり合ったら…!)
「勘違いすんな、雷女。今俺が用があるのはそっちの女だ」
「・・・わ、私?」
最悪の展開を想像して顔を真っ青にしていた美琴に、イスカーンが鼻で一つ息をしながら言った。そして彼は、隻眼の視線でアスナを見ると、右手の人差し指を峡谷の方へと差し向けた
「取引だ」
「とり、ひき…?」
「そうだ。昨日、あの地割れを作ったのはお前だな?いいか、後ろの地割れに、狭くていいからしっかりした橋を架けろ。そうすりゃ、四千の拳闘士が、この赤い兵士どもを一人残らずブッ潰すまでお前らと共闘してやる」
「きょ、共闘!?ダークテリトリー軍が!?」
イスカーンの口から飛び出した思わぬ提案に、アスナは声を上げて驚いた。確かに今この場では、彼の率いる拳闘士団も、アメリカのVRMMOプレイヤーによって窮地に立たされていることに違いはない。しかし、その共闘はどれだけ信用できる物なのか。この青年の言葉をどう考えれば、どう判断すればいいのか。そんな逡巡を抱えるアスナの耳に、この極限状況でも静かに落ち着き払った声が届いた
「その人、多分嘘はつかない」
「・・・あぁ。俺は嘘はつかねえぜ」
驚くほど細く、よくしなる漆黒の剣で、赤い兵士の首を無造作に落としながらそう発言したのは、灰色の整合騎士シェータ・シンセシス・トゥエルブだった。シェータに眼を向けられたイスカーンがにやりと、不敵でありつつもどこかで照れ隠しのような笑みを浮かべながら言った
「アスナさん。私もシェータさんの意見に賛成。この取引、乗るべきよ。今の私たちに足りないのは、何よりも人手であることは否定できない。その数が増えるなら、例え敵同士だったとしても、歓迎して然るべきだわ」
次にアスナに声を掛けたのは、一度は切り落とされた痛みが尾を引いているのか、左腕を抱えながら僅かに顔を引きつらせている美琴だった。別世界の住人ではありつつも、多くの戦場を共にしてきた彼女の後押しがあるのなら、と。アスナはもう答えを迷わなかった
「分かりました。峡谷に橋を架けます」
明確に頷いて、アスナは右手のレイピアを高く掲げた。地形操作の使用によって、直接脳内を刺激してくる激痛に、アスナはグッと瞳を閉じながら歯を食いしばって耐え続けた
[ラーーーーーーーーーーーー]
暖かな天使の和声が響くと、七色のオーロラが荒野に降り注いだ。次第にそれは一直線に北へと突き進み、峡谷の対岸にまで達した。地響きが轟き、大地が震えた。突如、崖の両側から岩の柱が突き出した。それらは水平に伸び、峡谷の中央で結合すると、太く、しっかりとした橋へと変化した
「うううううううっ!らあああああああっ!!」
地形変化に伴う地響きを、数倍の音量で搔き消したのは、四千人の拳闘士たちが放つ雄叫びだった。副官であるダンパを先頭に、屈強な闘士たちが我先に橋へと疾駆し始めたのを見たイスカーンは、真紅の騎士達に向かって吠え猛った
「行くぞテメエら…倍返しだあああっ!!」
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皇帝ベクタことガブリエル・ミラーにとっても、この局面はギャンブルだった。しかし、彼は確信していた。戦場にダイブさせた数万のアメリカ人プレイヤーに人界守備軍を包囲攻撃させれば、敵戦力を一気に殲滅出来るだけの技芸を持つアリスは、必ずもう一度、単身あるいは少人数で守備軍から離れると
「よくやった、クリッター。後はこちらの仕事だ」
暗黒騎士団に用意させた黒い飛竜の背にまたがり、戦場の遥か高空でホバリングしながら、ガブリエルは現実にいる部下への賛辞を呟きつつ待ち続けていた。それは彼にとって、アンダーワールドにダイブしてから、最も長く感じた時間だった。しかしついに、有象無象の群れの中から、小さな黄金の光が抜け出した
「あぁ…アリス、いや…アリシア!」
ガブリエルは彼にしては珍しく、心の底からの笑みを浮かべて囁き、手綱を打って飛竜に降下を命じた。ガブリエルは、自分が生み出した凄惨極まる戦場に、一瞬たりとも意識を向けることはなかった。彼にはもう、ダークテリトリー軍が、人界守備軍が、そして召喚した現実世界人たちが、後はどうなろうとどうでもよかった。ガブリエルは、背筋を甘美な衝動が這い登るのを感じ、もう一度唇に微笑を作った
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整合騎士アリスは、無限に等しく湧いてくる赤い兵士たちを、もう何人斬り倒したのか解らなくなっていた。彼らには軍隊としての統制など全くなく、耳慣れない言葉を喚き散らしながら、味方の骸を足蹴にして次々に飛びかかってくる。まるで、仲間のみならず、自分の生死さえもどうでもいいと思っているかのようだと感じざるを得なかった
(こんなのは異常だ…普通じゃない…!)
これがリアルワールドの人間たちなのだとしたら、確かに上条達の口にした通り、向こう側も決して神の国などではないのだろうとアリスは舌を打った。果てしなく続く殺戮と、尽きることなく出現する敵の数に、さしものアリスも意識が鈍り始めていた
「・・・もう、嫌だ…これは、もうこんなのは戦いですらないっ!!」
早くこの戦列を切り崩して、この包囲から抜け出したい。この場にいる人界守備軍の誰もが思っているであろう感情のままに、アリスは叫んだ。すると、彼女の右側から、その叫びに負けず劣らずの絶叫が迫ってきた
「どけ…退けえええええっっっ!!!!!」
右手の拳と、左手の盾の銀縁で、鬼神の如き勢いで真紅の騎士達を打倒していく少年の姿があった。耳をつんざくほどの大声に、アリスが振り向いたその先にいたのは、上条当麻だった
「うおおおおおおおおおおおっっっ!!!」
立て続けに響く彼の絶叫。アリスの記憶が正しければ、彼は本来の敵である侵略軍と戦っている時は、どこか迷いがあるような様子を見せていたハズだ。しかし今の彼には、そんな迷いなど欠片も感じられなかった。むしろその表情から感じられるのは、底の見えない憤怒。その感情の捌け口にでもするように拳を振りかざす今の上条の姿は、アリスの記憶にいる彼とは似ても似つかなかった
「…ッ!はああああああっ!!!」
喉から気合を走らせながら、アリスは地を蹴って、再び金木犀の剣を、無尽蔵に待ち受ける兵士達へと向けた。おそらくはリアルワールド人であると予想できる彼らに対し、同じリアルワールド人である上条にとっては何か思うところがあるのだろう。むしろ、自分達と同じ人間だからこそ下手に手加減を必要としていないのかもしれない。そう考えたアリスは、より一層剣を握る右手に力を込めた
「お、おい!嬢ちゃん!カミやん!あんまり先走るな!!」
背後でベルクーリの鋭い声が上がったが、上条とアリスの耳には届かなかった。そしてアリスは、前方に現れた最後の一人を足を止めないまま一撃で斬り伏せ、ついに無限とも思えた敵の包囲を破って無人の荒野へと抜け出した
(これで次は、カミやんの前に残っている兵士達を挟撃すれば……!)
そう考えた瞬間、不意に周りが暗くなった。朝日が翳ったのか、と。アリスがそう思った直後に、背後から凄まじい衝撃が彼女の背中を叩いた。急降下してきた飛竜の足に後ろから摑まれたのだ、と気付いた時にはもう両の爪先が地面から離れていた
「・・・え?ぁ…ダ、め………」
視界がすうっと暗くなり、凍えるような冷気が全身を包んだ。飛竜の騎手が暗黒術を…否。自分の意識そのものが、底無しの穴のような暗闇の中に吸い込まれていくのをアリスは感じた
「あ…アリスーーーーーッッッ!!!!!」
何故だか、酷い既視感を覚えた。それはおそらく、彼女にとっては失われたはずの記憶だ。飛竜に連れられていく自分を、必死に手繰り寄せるように叫んでいる少年の姿。故郷だった村を離れたあの日と、どこか似通った景色。そんな微かな記憶が脳裏によぎったのを最後に、アリスは意識を手放した