「よもや、ここまでするとは…!」
ベルクーリは唇を噛んだ。たった一人の少女を奪うという目的のために、五万のダークテリトリー軍と、新たに召喚した三万の歩兵たちを、丸ごと使い捨てにするとは。ベルクーリは暗黒神ベクタの虚ろな心意を知覚したその瞬間から、彼の動向に最大限の警戒を払ってきたつもりだった。しかしその実、四面楚歌とも言えるこの状況に乗じてアリスを拉致され、ベクタの虚ろな心意の全容をようやく思い知らされた
「ま、待て…待てよっ…!待てって言ってんのが聞こえねぇのかテメエーーーッ!!!」
ベルクーリから数十メル離れた先では、上条が連れ去られたアリスに向かって懸命に右手を伸ばしながら叫んでいた。そんな彼の叫びによって、ベルクーリの意識は現実へ引き戻された。瞬間、ベルクーリはいったい何十年ぶりなのか自分でも分からない行動に出ていた。飛び去る飛竜の背に乗る暗黒神に向けて、腹の底から、本気の怒声を放ったのだ
「貴様っ…俺の弟子に何しやがるっ!?」
余りにも鋭い叫びに、周囲の空気が小刻みに震えた。しかしアリスを捕獲した皇帝ベクタは、振り向こうともせずに、一直線に南の空へと上昇していく。愛剣を強く握り、ベルクーリは飛竜を追って走ろうとしたが、アリスが敵の戦列に開けた穴はすでに大量の闇の軍勢によって塞がれ、奇怪な罵声を吐きながら次々になだれ込んできていた
「ッ!いい加減にそこを…!」
退けっ!とベルクーリが叫ぶより早く、頭上を眩い白銀の光が駆け抜けた。それは、高く澄んだ音を響かせながら飛翔する二枚の投刃、レンリの神器『雙翼刃』だった
「リリース・リコレクション!!」
続いて少年騎士の口から紡がれたのは、記憶解放の術式だった。一瞬の閃光を放ち、投刃たちが空中で融合する。十字の翼へと変化した刃は、超高速で回転しながら自由自在な軌道を描いて飛翔し、ベルクーリの行く手を遮る敵兵たちをなぎ倒した
「騎士長!行ってください!」
「すまん!後は頼む!」
レンリの叫びに、ベルクーリは背中を向けたまま応じた。すると、そのまま敵軍の間隙に向けて疾駆し始めた彼の背中に、もう一つの声が届いた
「頼むおっさん!何としてでもアリスを…!」
「お前さんに言われるまでもねぇ!」
必死の形相で叫んだ上条の声に、ベルクーリは首を少しだけ後ろに振り向かせつつ答えた。そしてベルクーリは赤色の焦土を疾走しながら、左手を口許にあてがい、高い音を鳴らした。その数秒後、前方の丘から、銀色の飛竜が飛び立った。ベルクーリの騎竜、星咬。口笛に応えた竜は、しかし一頭だけではなかった。アリスの騎竜である雨縁、そして東の大門で命を落とした騎士エルドリエの騎竜、滝刳も後ろに追随していた
「お前ら……!」
二匹の行動に、ベルクーリは思わず口角を緩めた。そして低空を滑るように接近してきた星咬が、くるりと向きを変え、主人に向けて脚を突き出す。その鉤爪に左手をかけ、騎士長は一気に竜の背中へと自分を放り上げた。そして鞍にまたがるや、右手の剣を鋭く振り下ろして言った
「よし、行けっ!!」
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「舞踏ッ!!」
「「「応ッ!!」」」
アスナが生み出した石橋を一気呵成に突進してきた四千の拳闘士たちは、辛くも生き残っていた二百人ほどの仲間と合流すると、人界軍のすぐ横を駆け抜け、まるで巨大な破城槌の如く敵軍のど真ん中に激突した。そして十人一組が横一列に密接し、完璧に同期した動きで右拳を引き、構えたのと同時にイスカーンの号令に全員が答え、ドン!と強く踏み込んだ
「「「ウッ!ラァ!!!」」」
寸分の狂いなく重なった掛け声とともに放たれた十本の正拳突きが、赤い兵士たちの剣をへし折り、鎧を叩き割った。悲鳴と血煙を撒き散らし、二十人以上の敵が後方へと吹っ飛んだ直後、闘気の全てを込めた突きを放ち終わった十人が、すっと横に広がって隙間を空けると、数秒と間を置かずに真後ろの十人が飛び出てきてガチッと横列を組んだ
「「「ウラララァ!!!」」」
次は拳闘士達による前蹴りが、これまた見事に十人全員がシンクロした動作で撃ち出された。再び大量の敵が、砲撃でも打ち込まれたたかのように四散した
「す、すごい……」
その光景を目の当たりにしたアスナは、知らず知らずの内に呟いていた。アスナの隣で水を飲むシェータの横顔にも、うっすらとだが感心しているような気配が滲んでいる
「まるでSAOのスイッチね…まぁコイツらのは、ソレとは比べ物にならない精度だけど…」
「おいおい、感心してるだけじゃ困るぜ雷女。このまま南に抜けたとして、その後はどうするんだ?あんだけの数の敵、いくら俺たちでもこの場で殲滅すんのはちっとばかし難しいぜ?」
感服して呟いている美琴の隣で腕組みをして立つ赤毛の長が、厳しい表情で言った。確かに、前への突進力だけなら無敵と思える拳闘士隊だが、数倍の歩兵に側面から突っ込まれて崩される集団も出始めている。何せ召喚されたアメリカ人プレイヤーたちの数は、いまだ二万を軽く超えるのだから
「・・・分かりました。敵陣を破って南へ抜けたら、そのまま一気に前進して敵から距離を取ってください。私がもう一度、地割れを作って敵を隔離します」
「そ、それは作戦としては理想的だけど…アスナさんは大丈夫なの?あんまりスーパーアカウントの力を使い過ぎると……」
「心配しないでミコトさん。さっきミコトさんが砂嵐で敵の戦力を大きく削いでくれたおかげで、少なくとも一回分は温存できてるわ。だから、この機を逃さず一気に……」
「で、伝令!伝令ーーー!!」
戦場の北端に留まっているアスナ達の下に、一人の衛士が南から駆けつけてきたのはその時だった。移動中に傷を負ったのか、顔の半分を血に染めた衛士は、アスナの前に膝を突くと掠れ声で叫んだ
「整合騎士レンリ様より伝令であります!整合騎士アリス様が、敵総大将の駆る飛竜に拉致されました!飛竜はそのまま南に飛び去った模様で……!」
「な、何ですって!?」
「皇帝が、飛び去っただと……?」
伝令を伝えた衛士の言葉に、美琴は驚愕した後に絶句した。しかしそれに続いて、奇妙にひび割れた声で応じたのは、アスナでもシェータでもなく、イスカーンだった。左だけ残った赤い眼に、異様な光を浮かべて歯を軋ませながら言った
「やっぱり、さっき飛竜に乗ってたのは…ただの見物じゃなかったってことか…!おい、そっちの地割れ女!アリスってのは『光の巫女』だよな!?皇帝はなんでそいつをこうも欲しがるんだ!?光の巫女が皇帝の手に落ちたら、いったい何が起きるってんだよ!?」
「・・・この世界が、跡形もなく滅びます」
イスカーンに詰め寄られたアスナが短く答えると、彼女の力があって共闘関係に至った拳闘士の長は愕然と瞼を見開いて、呆然と立ち尽くした
「暗黒神ベクタが光の巫女アリスを手に入れて、ダークテリトリーの南端にある『果ての祭壇』へと到った時、この世界は人界も、ダークテリトリーも、そこに住む人々を含めて全て無に還るのです」
「嘘、だろ…?俺たちは皇帝に命令されて、ここまで血反吐流して戦ったんだ!それなのにっ!最後には全員仲良く御陀仏ってのが、皇帝の望みだって言うのかよ!?」
「残念ながら、それが真実よ。だけど、これでなおさらやるべき事がハッキリしたわ。私たちは何としてでもこの軍隊を押し退けて、ベクタより先に果ての祭壇に辿り着く!」
「飛竜も、永遠には飛べない。連続飛行は、半日が限界」
美琴が拳を握りつつ声高に言ったが、それとは対照的にシェータが涼しげな声で言った。どこまでも冷静な彼女に現実を突きつけられた美琴が、悔しげに唇を噛んでいると、未だ前方に立ち塞がっている真紅の騎士達へと顔の向きを戻した拳闘士の長が、バシッ!と掌に拳を打ち付けて叫んだ
「なら、アンタらが気合い入れて追っかけるっきゃねぇな!」
「追っかけるって、あなた…ダークテリトリーの軍人なんでしょう?いくら取引して共闘関係になったとは言え、どうしてそこまで私たちの事を……」
「なに、気にすることねぇよ。皇帝ベクタは、俺たち暗黒界十候の前で、確かに言ったんだ。自分の望みは光の巫女だけだ、そいつさえ手に入ればあとはどうでも知ったこっちゃねえ、ってな。なら巫女をかっ攫った時点で、皇帝の目的は達せられたって事だ」
アスナが心底不思議そうにイスカーンに訊ねると、彼は唇の端に笑みを浮かべ、フンと鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言った
「つまり、俺らの任務も一切合財終わったわけだ。後は、俺らが何をどうしようと…たとえ皇帝から巫女を奪い返そうとする人界軍に協力しようがこっちの自由、そうだろうがクソッタレ!!」
「・・・昨日の敵は今日の友。ってことね」
アスナは啞然と拳闘士の顔を見た。しかしそこにあったのは、威勢のいい言葉とはほど遠い、悲壮な決意の色だった。しかしそんな彼の左に美琴が並び立って、少し笑っているような横顔を向けながら言うと、それに釣られたようにイスカーンの悲壮な顔色は弾けるような笑みに変わった
「・・・あぁ。俺たちは、皇帝に直接は逆らえねえ。あの力は圧倒的だ。もしかすると俺よりも強かった暗黒騎士将軍シャスターを、指一本動かさずに殺したからな。もし皇帝に、改めてあんたらと戦うよう命じられたら、従うしかねぇ。だから、俺たち拳闘士団は、ここで赤い兵隊どもを足止めする。アンタらと人界軍は、皇帝を追っかけてくれ。そんで、皇帝に…野郎に教えてやってくれ。俺たちは、テメエの人形じゃねえってな」
「・・・分かりました。必ず」
アスナが言った丁度その時、一際高らかな拳闘士たちの喊声が、戦場の南から響いた。部隊の先頭が、ついに赤の歩兵軍の囲みを破り、荒野へと抜け出したのだと分かった
「野郎ども!その突破口を死んでも維持しろ!その隙にオマエたちは早くこの戦場を脱け出せ!そう長くは持たねぇぞ!」
「えぇ!そっちこそ、この前の勝負預けたままなんだから今度改めて付き合いなさいよ!」
「私も、ここに残る」
「・・・分かりました。殿をお願いします、シェータさん」
大きく息を吸い、アスナと美琴はほとんど同時に頷いた。そして美琴がイスカーンに言って二人が走り出そうとすると、彼女達の背中にシェータの声が届いた。何となくそれを予測していたアスナは、僅かに振り向いて灰色の女騎士に向かって小さく微笑みかけた
「・・・良かったのかよ、女」
一族の闘士たちが東西に構えて保持する突破口を、七百ほどに減った人界軍が走り抜けていくのをイスカーンは無言で見送った。そして彼らの足が巻き上げる土煙から視線を外し、隣に立つ灰色の整合騎士を見やると、静かな声で訊ねた
「・・・名前、もう言った」
相変わらず無愛想な澄ましたような顔で、シェータがイスカーンをジロリと睨みながら言うと、彼は肩を竦めつつ続けようとした言葉を言い直した
「良かったのかよ、シェータ。こんなとこいたら生きて戻れるかどうか分かんねぇぞ」
「あなたを斬るのは、私。あなたの言う雷女にも、あんな奴らにも、あげない」
「はっ、言ってろ」
今度こそ、イスカーンは朗らかに笑った。犬死にしていく仲間を助けたい。それだけを願っていたはずの自分が、赤い軍隊から人界軍を守るために部族全体の命運を賭けようとしているのはどうにも不思議だった。しかし、その胸中には感じたことのない爽やかな風が吹いていた
「よぉおし!拳闘士!気合入れろ!!」
「「「ウラアアアアァァァァ!!!」」」
「円陣を組め!全周防御!寄ってくるアホ共を、片っ端からぶちのめしてやれ!!」
「滾りますな、チャンピオン」
「まぁな。悪くねぇさ、こんな死にザマも」
音もなく背後の定位置に戻っていたダンパが、血まみれの左拳をごきごきと鳴らして言うと、拳闘士ギルド第10代チャンピオン、イスカーンもまた、両手で拳を強く握りしめた