「美琴!アスナ!悪い、俺のせいでアリスが…!」
その後、同じく拳闘士達と闇の軍勢の戦線から抜け出した上条は、出発の準備をする衛士たちのあいだを駆け抜けて、補給隊の馬車に駆け込もうとしている美琴とアスナと合流した。そして彼が開口一番に謝罪を口にしようとすると、美琴が静かに首を振ってから、どこか冷ややかでありつつも熱量を秘めた声で答えた
「謝罪ならナシにしなさい、もう飽きるほど聞いたから。過ぎたこといくら言ってもしょうがないわ。今は一刻も早くアリスさんを連れ去った飛竜に追いつく、それが最優先よ」
「あ、あぁ!ベルクーリのおっさんも先に行ってる!とにかく急ぐぞ!」
上条が言うと、美琴とアスナは頷きながら乗り込みかけた馬車に、今度こそ乗り込んだ。すると、彼らの視界に一番に飛び込んで来たのは、横倒しになった銀色の車椅子と、左手を弱々しく動かす少年。そして少年に覆いかぶさる二人の少女たちだった
「み、みなさん!ご無事だったんですね!その、先程からキリト先輩が何度も、何度も外に出ようとして…」
足音にさっと顔を上げたロニエが、上条達を視認するや、涙に濡れる頰を歪めて叫んだ。アスナは彼女の言葉通りに、必死にその場から立ち上がろうとするキリトの姿を見ると、唇を嚙みながら頷き、床に跪いてキリトの左手を右手でぎゅっと握って言った
「・・・ええ。アリスさんが…敵の皇帝に拉致されてしまったの。キリトくんは、それを感じ取ったんだと思う」
「えっ!?アリス様がですか!?」
アスナの言葉に叫んだのはティーゼだった。赤い髪がよく似合う彼女の白い頰が、いっそう青ざめていくのと同時に、一瞬の静寂を破ったのは、キリトの弱々しい掠れ声だった
「ぁ…あー……あぁ………」
「・・・?ひょっとしてキリト君…私を心配してくれたの……?」
キリトの左手が動き、自分の傷ついた体に触れようとしたのを見たアスナは、キリトに問いかけた。しかしキリトからは、その問いかけ対する、返答らしい返答はなかった。それでもアスナは、キリトに優しく微笑みかけた
「ううん、私は大丈夫。アリスさんだって、きっと救い出してみせる。だから…その時はキリト君も、もう自分を責めるのはやめて?」
その言葉が届いたかどうかは判らなかったが、キリトの瘦せた体の強張りが少しずつ抜けていくのをアスナは感じた。アスナが一度強くキリトを抱き締めてるのを見た上条は、自分の視線をロニエとティーゼ達に移してから口を開いた
「悪いロニエ、ティーゼ。俺たちは、これから皇帝を追う。今もベルクーリのおっさんが飛竜で追跡してるから、きっとどこかで追いつけるはずだ。それまで、キリトのことを頼む」
「は、はい!承知しましたカミやん先輩!」
「私たちにお任せ下さい!」
頷く少女たちを最後に、アスナは涙をこらえながらキリトをロニエ達に任せ、三人は馬車から飛び降りた。するとちょうどそこに、長身の女性剣士が走り寄ってくるのを見た上条が、安堵の表情を見せながら声をかけた
「リーナ先輩!無事だったんですね!」
「あぁ、なんとかな。お前も相変わらずしぶといな、カミやん」
苦笑しつつそう答えたリーナの銀色の鎧は、血と土埃にまみれていた。額に包帯を巻いているが、軽口を挟むあたり、見える限りで重い怪我はなさそうだった
「ミコト様とアスナ様も、ご無事で何よりです。ただ先ほど小耳に挟んだのですが、アリス様が敵の総大将に攫われたと……」
「ええ。今さっきティーゼさんたちにも伝えたんだけど、皇帝ベクタは自分の軍隊を丸ごと放り出して、たった一人でアリスさんを襲ったの。さすがにその行動までは読めなかったわ……」
「そ、そんな…!?」
美琴がリーナに言うと、上条の指導生であった女性剣士は、目を見開いて驚愕した。しかしそんな彼女の左肩を、上条は右手で力強く掴みながら言った
「いや、まだ終わったわけじゃないですよリーナ先輩。俺たちは何が何でも、諦めるわけにはいかない。絶対に皇帝の野郎に追いつきましょう」
「・・・分かった。お前達を信じよう」
頷き合い、四人は守備軍囮部隊の本陣へと急いだ。皇帝を追随すべき衛士隊は、整合騎士レンリの指示によって、七百人の衛士たちが集められ、すでに移動準備をほとんど終えていた。負傷者の治療を済ませた術師隊と補給隊を中心にして、滑らかに隊列が組まれた。やがて出発の準備を完了させたレンリに、上条が声をかけた
「レンリ、今この部隊に残ってる整合騎士はお前だけだ。消去法みたいになっちまうが、指揮官はお前にしか務まらない。だから、出発の指示はお前に頼みたい」
「は、はい、分かりました…!皆の者!アリス様は、開戦時に大門の戦いで、我々を守って下さった!今度は我々がアリス様のために戦う番だ!必ずや敵の手からアリス様を取り戻し、ともに人界へ帰ろう!!」
緊張した面持ちながらも頷いた少年騎士は、右手を高く掲げ、よく通る声で叫んだ。小さくも雄々しい彼の勇姿に、おう!!と力強い衛士達の叫び声が湧き上がる。レンリはそれに頷くと、鋭く右手を振り下ろして叫んだ
「全軍!出発!!!」
隊列の先頭を、レンリの飛竜である風縫が走り始めた。四百人の前衛部隊が騎馬と徒歩で続き、補給物資を載せた八台の馬車と、三百人の後衛部隊が後を追う。数分後、枯れ木の連なる森が途切れ、前方にすり鉢状の巨大な窪地が姿を現した。まるでクレーターのような地形を貫いて、細い道が南へまっすぐ延びていた
「・・・・・?」
クレーターの縁を越え、下り坂を駆け降り、窪地の底に部隊が差しかかった、その時。何かが低く震えた。ぶうぅぅん、という虫の羽音のような震動音。それを耳にしたアスナは、無意識のうちにチラリと視線を上げた
「・・・じょ、冗談でしょ……」
美琴が呟いた。正面に眼を凝らすと、ようやく音の発生源が視認できた。赤く、細いライン。ランダムに明滅する小さなフォントの羅列が、空から何百本も地面へと伸びているのを見たのだ
「・・・もう、もういいだろ…!コッチは今テメエらの相手してる暇はねぇんだよ!!」
こと戦いにおいて、人一倍鋭い感覚を有する上条は、今この時ばかりは自分の予感が外れていて欲しいと願った。しかし彼の願いに反して、ザアアアアアアアッ!!という驟雨にも似た轟音が、一気に炸裂した。赤いラインは左右へと広がりながら、無数に降り注ぐ。クレーターの縁に沿って高密度のスクリーンを作り、部隊を完全に閉じ込めたのは、あの凶暴な深紅の軍団……現実世界から呼び込まれたVRMMOプレイヤーたちであることは明白だった
「ぜ……全軍止まるな!突撃!突撃ー!!」
舌を噛みかけながらも、先頭で整合騎士レンリが指示を発した。動揺しかけた人界守備軍のそこかしこから「うおおっ!」と咆哮が上がり、移動速度が増す。部隊は、クレーターの斜面をまっすぐに駆け上がっていく。しかし、まるでその行動を先読みしていたかのように、新手の赤い軍隊はクレーターの南側に最も多く配置されていた。道を塞ぐ兵士たちだけでも、二千は下らないだろう。上条達のいる囮部隊の、約三倍だ
(迷ってる暇なんてない!今ここで、もう一度地形操作を…!だけど、窪地にいるこの状況で闇雲に地形を変えれば、最悪は私たちの進路も…!?)
ログアウトの危険を冒してでも、もう一度ステイシアの地形操作を使うべきだ。しかし、うかつに手を出せば、人界軍の進行をも妨げてしまう。そんなアスナの一瞬の躊躇いを、飛竜の雄叫びが貫いた。隊列の先頭で、騎士レンリが駆る風縫が、口の両側から炎をちらつかせながら一気に突進していった
「い、いけない!まさかレンリ様は、捨て身で突破口を…!?」
アスナの隣で上空を駆ける飛竜の軌跡を見上げながら、悲痛な声を漏らしたソルティリーナの言葉が聞こえたかのように、竜の背中でレンリがちらりとこちらを振り向いた
[ーーー後は頼みます]
少年の唇が、そう動いた。前を向いた騎士は、腰から一対の美しい投刃を外すと、両手で構えた。しかして、彼の両手から雙翼刃が投擲される、寸前のことだった。クレーターの真上で、突然に空の色が変わった
「こ、今度は一体なに!?」
赤に染まるダークテリトリーの空が十字に引き裂かれ、その奥に紺碧の青空が広がるのを美琴は見た。窪地の縁に密集し、今にも突撃しようとしていた無数の赤い兵士も、突進を続ける人界兵たちはおろか、先頭を走るレンリでさえ、同時に天を振り仰いだ
「・・・人?」
それはまるで宇宙まで続くかのような、無限の蒼穹だった。その彼方から、白く輝く星が…いや、その彼方の中には、誰かがいる。そうアスナは直感した。空と同じ濃紺の鎧と、雲のように白いスカート。激しく揺れる短い髪は水色。白く光っているのは、左手に握られた巨大な長弓だ。顔は、あまりの眩さに見えなかった
「誰、だ…?」
上条が呟いた声に応えるように、空から降下してくる誰かは、身の丈に迫るほどの長弓を天に向けて構えた。その右手が、光る弦を引き絞ると、ひときわ強烈な閃光が続いた。弓と弦の狭間に、純白に煌めく光の矢が出現した。人界軍も、赤い歩兵たちも、いつしか足を止めていた。誰もが言葉を失った静寂の中、ソルティリーナが囁いた
「・・・太陽神、ソルス様…?」
やがて、眩い光の矢が空に向けて垂直に発射された。それは瞬時に分裂し、あらゆる方向へと広がり。鋭角な弧を描いて反転するなり白熱のレーザー光線と化して、ザアアアアアッッ!!!という、新たな闇の軍勢がこの世界に降り立った瞬間と似通った、驟雨の如き音と共に地上へと降り注いだ。曰く、スーパーアカウント02『太陽神ソルス』。付与された固有能力は『広範囲殲滅攻撃』
差し渡し一キロはあるクレーターの縁では、黒焦げになった死体が次々と光になって消滅していく。ダークテリトリーの血のような赤い空すらも引き裂いた光の弓は、一回の全力攻撃で、五千以上の敵兵を排除した。クレーターの中央では、赤い軍勢に比べるとあまりにも小規模な部隊が、再び前進を始めている
クレーターの縁の向こう側に、敵はまだたっぷり一万以上も残っているが、そのうち半数近くは次の射撃、というより爆撃を恐れて上空を見たまま静止していた。自分の成した業に『彼女』は思わず笑みを零しながら、ゆっくりと上条の前に降り立った
「お待たせ、カミやん。思ったより元気そうね」
「・・・し、シノン!?」
上条にその名を『シノン』と呼ばれた『彼女』は、かつての銃の世界で相棒だった彼に笑いかけた。ソルス・アカウントに予め付与された装備、長弓『アニヒレート・レイ』は、弦を引く強さで攻撃の威力を、弓の角度で攻撃範囲を設定する仕組みになっている。シノンは上条の横で、その弓を十センチほど引いて手を止めると、先刻よりはずっと細い光の矢が出現した。そしてその先端を、部隊の先頭を走る大きな竜の行く手を遮る敵集団に向け、照準を合わせながら弦を引いた
「文句は山ほどあるけど、とりあえずそれは後回し。後は私に任せて」
ビシュッ!!と、空を裂く発射音があった。右に二十度ほど傾けた弓から放たれた光線は、分裂しながら直径十メートルの範囲に着弾し、大爆発を引き起こすと、赤い鎧が高々と吹き飛ばされ空中で消滅した
「す、すげぇ…!!」
「そうね。だけど、敵はこんなんじゃ待ってくれないみたいよ」
上条が驚嘆の声を上げたが、そこでようやく残る敵兵たちがレーザー攻撃のショックから立ち直り、人界守備軍がこの隙に逃げ去ろうとしていることに気付いたようだった。口々に罵り声を喚き立てながら、クレーターの斜面を赤い津波と化して兵士たちが駆け下り始めるのを見ると、シノンは弓を腕に引っ掛けながら口を開いた
「カミやん、ここから五キロくらい南に行ったところに、遺跡みたいな廃墟が見えたわ。道はその真ん中を貫いてて、左右には石像が幾つも並んでた。あそこでなら、包囲されずに敵を迎え撃てると思う。なんとかそこで、コイツらを殲滅しましょう」
「あ、あぁ分かった!だけど美琴、アスナに続いてシノンまで来てくれるとは…こっちの世界に来ちまったこと自体は喜べねぇけど、頼りになるぜ!」
「・・・え?ミコトはリアルで私にメッセ飛ばしてくれたから、来てて当然だとは思ってたけど…アスナもいるの?」
「シノンさん!」
「シノのん!」
シノンが上条に訊ねていると、まさにそのタイミングで美琴とアスナが彼女の元へと駆け寄った。息を切らしながらも笑顔を向けてくる彼女達の笑顔を見たシノンは、ここが戦場であることを気にも留めていないように笑ってみせた
「お待たせ、二人とも。とりあえず見るからに敵だろう…ってヤツらを薙ぎ払ってみたんだけど、間違ってないわよね?」
「うん、大丈夫。彼らは、私とキリト君の世界に住んでる、アメリカのVRMMOプレイヤーよ。色々と混みいった事情があるんだけど、ゆっくり話してる暇はないの。だけど、いくらアメリカのVRMMO人口が多くても、これ以上の数は、すぐには用意できないはずだわ。だから、この窪地の上にいる残りの彼らを倒せば、敵に打てる手はもうない…と思うわ」
「あ、アメリカのVRMMOプレイヤーって…随分と私の想像から斜め上にいる敵が出てきたわね…でも、ソイツらが敵だってことさえ分かれば十分だわ。アスナ達は、今私が開いた道を進んで行って。カミやんにも言ったんだけど、その先に迎撃に最適な場所があるの。私はそれをサポートするわ。この軍隊の上空を飛びながら、囲んでくる敵達を……」
これからの方針を言いかけたシノンの肩が、美琴の右腕によって強く掴まれた。突然の出来事にシノンは驚きを顔に浮かべたが、彼女の肩を掴んだ美琴はそれ以上の驚愕をその顔に貼り付けていた
「み、ミコト…?一体どうし……」
「し、シノンさん!今、飛ぶって言った!?ALOでもないこの世界で、自由に飛べるって言うの!?」
「え…?う、うん。ソルス・アカウントの固有能力らしいわ。制限時間とかもないって、カエル顔の先生から聞いたけど…」
シノンの言葉を聞くなり、美琴は上条の方へと視線を移した。上条にとって、彼女の視線が言わんとしていることは百も承知だった。美琴は上条が即座に頷いたのを見ると、シノンに食ってかかるように叫んだ
「なら、助けてほしいのは私たちじゃないわシノンさん!アリスを…敵の暗黒神ベクタに攫われたアリスさんを追いかけて!!」
続けて美琴が説明した状況は、シノンの想像以上に切迫したものだった。世界初の真正ボトムアップ型AIであり、全ての鍵となる整合騎士アリスが、キリト達の住む現実世界から、同じくスーパーアカウントを使ってダイブしてきた皇帝ベクタに拉致された。そして今、そのベクタを追っているのは、騎士長ベルクーリという剣士だけであることを、美琴は口早に説明した
「アスナさんやシノンさんを見て、スーパーアカウントってのが、どれだけ凄い代物なのかはよく分かった。だからこそ、そのスーパーアカウントの皇帝ベクタ相手じゃ、いかに騎士長さんでも一人じゃ荷が重いわ。もし皇帝が果ての祭壇に到着する前にアリスさんを救出できなければ、もう後がないの!だからシノンさん、アリスさんをお願い!」
どうにか事情を吞み込み、騎士長ベルクーリの外見を頭に叩き込んだシノンは、馬車から直接離陸すると一気に高度を取った。クレーターから這い上がって、土煙を立てて南下する人界軍七百。北から怒濤の勢いで追いかけてくる赤い軍勢は、その二十倍は残っている。その光景を見たシノンは、やはりここに残ろうかと迷ったが、懸命に頭を振ってその思考を追い出すと、自分を見上げている上条達に向かって叫んだ
「分かった!三人とも、何とか持ちこたえて!アリスを取り戻したら私もすぐこっちに駆けつけるから、それまで頑張って!」
その言葉を最後に、シノンはくるりと南を向き、イマジネーションを振り絞って加速した。白い尾を引く流星となり、赤い空を引き裂いて、光の如き速さでシノンは飛んだ