とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第59話 時穿剣

 

「なぜ追いつけん…!?」

 

 

騎士長ベルクーリは、焦燥と驚きを同時に感じていた。飛竜三頭による皇帝ベクタへの追跡を始めてから、既に二時間が経過していた。人界守備軍が野営していた森、その南に広がっていた円形の窪地を飛び越え、奇怪な巨像が林立する遺跡を通過して、深くダークテリトリーの南部に分け入りながらも、敵との距離はまるで縮まる様子がない

 

 

(向こうの飛竜は、ベクタとアリス嬢ちゃん、二人乗せて飛んでるってんだぞ…!?)

 

 

愛弟子であるアリスを拉致した皇帝ベクタの飛竜は、相変わらず視線のはるか先にある極小の点のままだ。皇帝は、一頭きりの飛竜に、自身とアリスの二人を乗せて飛んでいるにも関わらず、その差は一向に縮まる気配を見せないことに、ベルクーリは少なからぬ苛立ちを覚えた

 

 

(・・・やむを得んな)

 

 

ベルクーリは、右手でそっと左腰に差した時穿剣を撫でた。硬く、頼もしい手触り越しに、己の神器の天命がまだ完全回復にはほど遠いことが感覚的に判る。東の大門で使用した大規模な武装完全支配術による消耗は、予想以上に大きかった。ベルクーリがこれから使おうとしている術式は、時穿剣の最終奥義であるがゆえに、莫大な天命を消費する。故に、使えるのはたった一度。その一撃を、針の穴を通す以上の精密さで命中させねばならなかった

 

 

「システム・コール…」

 

 

ベルクーリは長年共に戦った星咬に、手綱を持つこともなく意思を伝え、高度を慎重に調整した。剣の切っ先に照準するのは、遥か先の空に滲む、砂粒のような黒点。皇帝本人を狙いたいのはやまやまだが、姿も視認できないこの距離では外す危険が大きすぎる。どうにかその動きが見て取れる、黒い飛竜の片翼に全精神力を集中する。鞍の上に仁王立ちになったベルクーリは、ゆっくりと右手を振りかぶった

 

 

(ーーーーーー捉えたっ!!!)

 

 

体の右側に立てて構えられた鋼の刀身が、明滅した。それは時穿剣に秘められた『記憶解放』の術式の予兆。陽炎のように揺らぐ長剣は、飛竜が前進するにつれて、無数の残像を後方に引いていった。剛毅な口許が短く動き、罪なき飛竜への詫び言を囁く。そして薄青い色の瞳がすうっと細まり、整合騎士ベルクーリは裂帛の気合と共に叫んだ

 

 

「時穿剣!『裏斬』!!!」

 

 

ズアッ!と重々しく、それでいて凄まじい速度で剣が振り下ろされた。青い残像が斬撃の軌道に沿って無数に輝き、順に消えた。彼方の空で皇帝ベクタの駆る黒い飛竜が悲鳴を上げるのが聞こえると同時に、左の翼が付け根から音もなく切断されたのを見て、ベルクーリは確かな手応えを感じた

 

 

「・・・ふん…」

 

 

やがて最後の力を振り絞りながら片翼のみで軟着陸し、細く一声啼いて息絶えた黒い飛竜を、ガブリエル・ミラーは無感動に見下ろした。視線を外したときにはもう、彼の記憶と思考から竜の存在は完璧に排除され、そのままぐるりと周囲を見渡した。彼が飛竜と共に墜落したのは、円柱状の奇岩が無数に立ち並ぶエリアの、ほぼ中央にそびえる一つの岩の頂上だった

 

 

「よぉし…!もうひとっ飛び頼むぞ!星咬、雨縁、滝刳!」

 

 

ベルクーリが、敵皇帝の飛竜がすぐには脱出できそうもない高い岩山の上に墜落したのを視認して叫ぶや、三頭は力強く翼を打ち鳴らして加速した。やっとのことで辿り着いた岩山のてっぺんには、横たわるアリスの黄金の鎧と、その手前に影のようにひっそりと立つ皇帝ベクタの姿がはっきりと見て取れた

 

 

「お前らは上空で待機!もし俺がやられたら、北に戻って部隊と合流しろ!」

 

 

後を追ってくる竜たちに指示し、ベルクーリは星咬の背中から、ふわりと体を躍らせた。遥か眼下の、人造の塔にも似た岩山の上に立つ皇帝ベクタの視界の外へ、外へと跳躍しながら、最古の騎士は愛剣の柄に手を添えた

 

 

(初撃で決める…!!)

 

 

ベルクーリが必殺の心意を練るのは、今では遥か昔の150年前に、シャスターの先々代に当たる暗黒将軍を斬って以来のことだった。それほどの長きにわたって、彼に純粋な殺意を呼び起こさせる敵は出現しなかったのだ。と言うよりも彼は、長年の好敵手である暗黒将軍たちに対してさえ、怒りや憎しみのような負の心意を抱いたことはなかった

 

 

(・・・皇帝ベクタ、テメエにどんな事情があるかは知らねぇ)

 

 

詰まるにベルクーリは、その長い生涯で初めて、愛剣の刃に真なる怒りを込めたことになる。彼は憤激していたのだ。アリスを拉致されたこと、それのみに対してではない

 

 

(だが、リアルワールド人がみんなテメエのような悪鬼じゃねえことは、カミやん達を見てきた俺には分かる。要するにテメエという人間の本質は、どうしようもねぇ悪だということだ!)

 

 

皇帝ベクタという仮面を被って外界からやってきたよそ者が、和睦成立の可能性があった暗黒界人たちを戦場に駆り立て、無為に何万もの命を落とさしめた。それは二百年以上もこの世界を見守り続けてきたベルクーリには、どうしても赦せないことだった

 

 

「ならばその報いを!暗黒将軍シャスターの、戦場に散った多くの人間たちの、命の重さを!この一撃で…とくと知れ!!!」

 

 

高度十メルで最後の一歩を踏み切り、騎士長ベルクーリは、あらんかぎりの意思を込めた斬撃を皇帝ベクタの無防備な脳天めがけて振り下ろした刹那、大気が灼け、白く輝き、彼の刃が生み出した光のあまりの激しさに、世界が色を失いかけた

 

 

「ぜあああああああっっっ!!!」

 

 

それは間違いなく、かつてアンダーワールドで発生した全ての剣技の中で、最大級の威力を内包した一撃だった。つまり、あらゆる数値的ステータスを無効化するに足る、まさしく必殺の一撃だったのだ。スーパーアカウント暗黒神ベクタに設定された、無限に等しい天命数値すらも削り切るほどに。しかしそれは、あくまでも………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命中しさえすれば。の話だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーふん」

 

 

天から降り注ぐ致死の流星に気付いた瞬間も、ベクタの表情はまるで動かなかった。見上げることしか叶わないほどの、超速の剣技。いかなる反応も対処も、不可能だとベルクーリが確信した、その刹那。黒水晶の鎧に包まれたベクタの体が、音もなく横滑りした。 唯一回避可能な方向へ、回避に必要なだけの距離を、だ

 

 

(な、に……!?)

 

 

ゴアァンッ!という雷鳴じみた轟音とともに、硬い岩山の頂上に深い傷痕が刻まれた。巨大な岩山全体が震動し、側面から幾つもの塊が剝がれ落ちていくが、それに追随して倒れるベクタの姿はそこにはなかった

 

 

「・・・あれを、躱すかよ」

 

 

微かな舌打ちの後、口中でベルクーリは呟いた。しかし彼の体はほんの一瞬たりとも止まらなかった。戦闘のさなかに、予想外の展開で思考が滞るような段階はとうに脱している。即座に横薙ぎの一撃。全身全霊を込めた大技を空振っておきながら、次の攻撃にかかる間隔はほとんど皆無だったことからも、ベルクーリがアンダーワールド内で最強の剣士である事実は疑いようがない

 

 

「おっ…ああああああッ!!」

 

 

そして最強の剣士から繰り出される、目を疑うような早さの追い打ちすらも、ベクタは避けた。まるで風に吹かれた煙のように、予備動作もなくふわりと地面を滑る。時穿剣の切っ先は、鎧の表面を掠めて空しく火花を散らしただけだった。しかし、今度こそベルクーリは勝利を確信した

 

 

(殺った……!!)

 

 

上空から放った渾身の初撃は、外れはしたが消えたわけではなかった。愛剣の武装完全支配術『時穿剣・空斬』。すなわち『未来を斬る』という力を彼は発動させていたのだ

 

 

(目に見える攻撃は避けられても、目に見えぬ斬撃は避けようもあるまい!皇帝ベクタ!)

 

 

愛剣の武装完全支配術『時穿剣・空斬』。すなわち『未来を斬る』という力をベルクーリは発動させていたのだ。皇帝ベクタが、知覚不能の斬撃が滞留する空間に、背中から吸い込まれていく。最初に豪奢な白金色の髪が、ぱっと散り広がった。額に嵌まる冠が、かすかな金属音とともに砕け散った。ベクタの両腕が許しを請うかのように高く高く掲げられ、黒を纏う長身が縦に裂ける有様を、ベルクーリは強く予感した

 

 

「・・・・・・・・は?」

 

 

しかし、勝利の確信の直後に続いたのは、拭いきれない疑問だった。ぱん!と響き渡る、乾いた破裂音。その音の根は後ろを見もせずに打ち合わされた、皇帝の両の掌だったことに、ベルクーリは青ざめた顔で驚愕した

 

 

(す、素手で『空斬』を挟み止めただと!?しかも背を向けたまま…!?)

 

 

その思考は1秒にも満たなかったが、しかしベルクーリの動きはここでついに止まった。故に、続いて発生した現象を、彼はただ黙視することしかできなかった。蜃気楼のように空中で揺らめく不可視の時間の斬撃が、皇帝の両手に吸い込まれていくのと同時に、皇帝の青い双眸が、どす黒い闇に染まった

 

 

「・・・・・貴様は、」

 

 

闇にも似た瞳の底にある、ちかちかと瞬く無数の光。それは、魂。ガブリエルが吸い取ってきた、人々の魂が囚われているのだ。恐らくは暗黒将軍シャスターや、彼の副官の女騎士の魂もそこに眠っているはずだと、ベルクーリは確信した

 

 

「人の『心意』を、喰うのか…?」

 

「シンイ…?いや、なるほど。(マインド)意思(ウィル)か」

 

 

ベクタの口から出たのは、ひどく寒々しい、生きた人間の気配が完全に抜け落ちた声だった。それを発した薄い唇が、見かけは微笑みに似た形へと動いた

 

 

「お前の魂は、オールドヴィンテージのワインのようだ。どこか濃密で重く、長く残る後味。私の趣味ではないが…しかし、メインの露払いに味わうのもよかろう」

 

 

青白い右手が動き、腰の長剣の柄を握る。ゆらりと鞘から抜き出された細身の刀身は、青紫色の燐光に包まれていた。それを気負いなくぶら下げながら、皇帝ベクタはもう一度微笑んだ

 

 

「さぁ、もっと味わわせてくれ」

 

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