かつて殺人ギルド『ラフィン・コフィン』を率いていた当時のアバター、『PoH』としてアンダーワールドに再ダイブしたヴァサゴ・カザルスは、黒いフードの下でにやりと笑みを浮かべた。高々と右手を挙げ、それが母国語だとでも言わんばかりに韓国語で叫んだ
「同胞たちよ!呼びかけに応えてくれて、深く感謝している!残念ながら、この場所でテストプレイをしていたアルファテスターたちは、すでに日本人の侵入者、いや侵略者によって殺されてしまった!しかし、奴らは別のテスト場所に移動し、また同じことをしようとしている!」
途端。数千人の集団に、明確な怒りが生まれるていった。韓国人プレイヤーたちに火を点けたのは、侵略というキーワードだろう。何の説明もなくアンダーワールドにログインした少なからぬプレイヤーたちが感じていたはずの迷いや途惑いは、代わりに熱を帯びた敵意へと変化していった
「
「
集団の中にいる誰かが、同じく韓国語で叫び、散発的に怒声が続いた。そして、集団の右端からひときわ大きな韓国語ではない怒声が轟いた
「ガンチュー・レンメン!」
その言葉の意味は、ヴァサゴにも中国語であること程度にしか分からなかったが、怒り猛ったような口調や表情から、少なくとも目の前にいる日本人に対して殺意を表していることは読み取れた
「日本人たちはサーバーをハックし、ハイスペックな装備を好きなだけ作り出せる!いっぽう管理者権限を奪われた我々は、君たち同胞に、そんなデフォルト装備しか用意できない!だが、君たちの正義と愛国心は、どんな剣や鎧にも負けないはずだ!」
おそらくは、韓国人とほぼ同数の中国人プレイヤーも集まっているのだと、ヴァサゴは目深に被ったフードの下でほくそ笑むと、自分が焚きつけたこの場の勢いは、誰にも止められないとも直感した
「行くぞ皆!俺たちの力を、侵入者どもに思い知らせてやるんだ!二度と同胞に手出しする気にならないように、念入りに痛めつけて、切り刻んで殺せ!!」
「「「おおおおおおおおっっっ!!!」」」
急激に高まっていくボルテージに、ヴァサゴが仕上げを施していくように両手を広げながらもう一度叫ぶと、総勢五万を誇る大集団は、二つの言語で怒りの咆哮を炸裂させた
「────Go!!」
ヴァサゴは、哄笑を堪えながら、韓国人にも中国人にも分かる言語で、鋭く右手を振り下ろした。直後、ざあああああっ!と雪崩のような音を立てて、深紅の大軍勢は眼下の日本人めがけて飛び降りていった
「・・・は………走れっ!!」
その悪夢を目の当たりにして、一番最初に振り返って叫んだのは上条だった。痛烈な彼の叫び声に、すっかり途方に暮れてしまっていた美琴はようやく意識を引き戻すと、後方に控えている全員に向かって叫んだ
「人界軍!補給隊!全速前進ーーーッ!!」
人界守備軍の補給部隊は、遺跡参道の入り口に展開されている。中国、韓国プレイヤー達が足場にしている宮殿は、その参道の両側に広がっているのだ。つまり、補給部隊のすぐ頭上に、数万の敵がひしめいていることになる。それを理解した美琴の指示は、まさしく瞬間的な早さだった
「物資よりも自分の命が最優先!馬車と術士は今すぐ走ってこっちに合流してっ!!」
間髪入れずに美琴が大声を張り上げたが、とても間に合いそうになかった。中国と韓国からの軍勢は、今にも巨大神像の頭を踏み越えて、補給部隊の真ん中へと飛び降りようとしていた
「アスナ!地形操作だ!どんな形でもいい、皆が合流するまで時間を稼いでくれ!あんな数が間に割り込まれたら、俺たち前線と後方はもう絶対に合流できなくなる!!」
「言われなくても分かってるわよっ!!」
上条がアスナに向かって必死の形相で呼びかけると、彼女は彼女らしからぬ乱暴な口調で返答し、右手の細剣を高く掲げた。イメージを剣先に集中させ、鋭く振り下ろした瞬間、七色のオーロラが一直線に迸り、参道の両側に立ち並ぶ巨大神像を直撃した
[ラーーーーーーーーーーーーー]
天使たちの高らかな唱和と同時に、石の神像たちが地響きを立てて動き始めた。四角い口を開け、短い腕を振り回して、宮殿の屋上にひしめくプレイヤーたちを薙ぎ払っていく。前面にいた赤い兵士たちは、暴れ回る石像から慌てて飛び退き、後ろから押し寄せる味方と衝突して、ドミノ倒しのように転倒していくその隙に、八台の馬車と二百人ほどの修道士隊、補給隊が移動を開始した
(もう少し…!もう少しだけ……!)
地形操作能力に伴う、誤魔化し切れない強烈な頭痛に、アスナは顔を顰め額に汗を滲ませた。しかし、三度目になっても慣れない激痛に、彼女は必死に歯を食い縛りながら耐え続けた
「アスナ!もういい!もう十分だっ!」
「ーーーーーッ!」
時間にして地形操作の開始から30秒後、上条の叫びが強烈な頭痛に割り込んでくると、アスナは練り上げたイメージを意識から放り出し、事切れたように脱力して地面に膝を突こうとした。しかしその体が地面に触れる寸前で、上条がアスナの腕を引っ張り上げて自分の肩に担いだ
「カミや、く……」
「辛いだろうけど踏ん張ってくれ!むしろ俺たちの勝負はこっからだぞ…!!」
アスナの決死の尽力もあり、人界軍の後方部隊は辛くも死地を脱出して、遺跡北側の広大な荒野へと退避した。五百人弱の衛士隊と二千人の日本人プレイヤーが前進、後方部隊を両側から包み込むように布陣して応戦態勢を取った
「・・・ね、ねぇミコト。超能力者ってのは一人で軍隊を相手取れるってのが売り文句らしいけど…その軍隊ってそもそも何人基準?っていうか正直なところ、今襲いかかって来てるアイツら全員倒せる余裕は今のミコトに……」
しかし、いかんせんフィールド全体が荒れているダークテリトリーの例に漏れず、上条達が移動した場所もまた、平坦な荒野だった。上下しているような窪みや坂はおろか、地形らしい地形は存在せず、こんな場所で数万の敵を相手にすれば絶望的な全周防御を強いられてしまうのは明白だった。それを承知の上で、リズベットは半ば祈るような気持ちで美琴に訊ねた
「何言ってるんですかリズさん!あのミコトさんですよ!学園都市序列第三位なんですよ!あんな人達くらい、余裕で倒せるに決まってるじゃないですか!倒せるに、決まって……」
始めはリズベットに反論していたシリカの言葉も、やがて勢いを失って不安の色を強めていった。先に数で圧倒的に優っていたアメリカ人プレイヤーたちを辛くも撃退できたのは、高レベルアバターのコンバートによって助力に来てくれた日本人プレイヤーの協力はもちろんとして、遺跡宮殿の壁を利用して前線を一箇所に限定し、手厚い回復ローテーションを組めたからだと、シリカ自身も理解していたからだ
「・・・正直に言うなら、無理よ…あんな人数。今の私には…絶対に無理……」
地形による後ろ盾と、日本人プレイヤーの個々のレベルの高さすらも押し潰す、総勢五万にも迫ろうという中国、韓国人プレイヤーによる数の暴力。取り囲まれでもすれば、前線崩壊は時間の問題だろう。SAOから数々の戦場を指揮し、優秀な知能を有しているからこそ、それが分かってしまった美琴は、またしても心の余裕を失い、顔を伝い始めた汗を拭いながら、明確に首を左右に振った
「クライン、エギル!行くぞ!俺たちで食い止めるんだ!絶対に誰一人後ろに通すな!」
「ったりめぇだ!あんま一人で見せ場取るんじゃねぇぞカミの字!」
「おう!俺たちに任せろ!」
アスナを後方部隊に預け、最前線へと戻った上条は、SAOから肩を並べてきた男達に言うと、クラインが威勢よく叫び、エギルも太い声で応じた。彼らが拳と、刀と、斧を構えた、その直後。神像に足止めを喰らっていた赤い軍勢が、今度こそ宮殿の屋上から飛び降り始めた
「トルギョーーーーーーック!!」
「トゥーーーージィーーーー!!」
韓国語も中国語も学んだことのない上条達だが、二種類の怒号が、どちらも「突撃」を意味することは直感的に解った。左右に広がりながら押し寄せてくる深紅の軍勢を、真っ先に迎え撃ったのはクラインとエギルだった
「ぜいりゃあああああああッ!!」
「おっ…!らああああああッ!!」
空気が震えるほどの気合に乗せて、刀と斧の広範囲ソードスキルが放たれた。白と青のライトエフェクトが二重に閃き、何十人もの敵兵が鮮血とともに宙を舞っていく。それと同時に、後方部隊を挟んで反対側にいるALOの領主たちとその腹心や、スリーピングナイツの猛者たちも、全力の戦闘を開始した
「「「いけええええええっっっ!!!」」」
剣が、斧が、槍が唸り、次々にソードスキルが炸裂し、赤い兵士達がバタバタと斬り倒されていく。圧縮された空気が軋み、やがて大軍勢の突進が一瞬止まった。しかしそれは、決壊した堤防から押し寄くる濁流を、素手で防ごうとするような努力でしかなかった
「アスナ様!あまり無理をなさらないで下さい!」
「いい、の…私はこれくらいなんともないわ…どれだけ痛くても、ここで死んだとしても、どうせ私は死にはしないんだから…!」
未だ激痛の余韻が残る頭の側部を抑えながら、震える足で立ち上がろうとするアスナを必死に止めていたのは、整合騎士のレンリだった。彼が上条からアスナの身を預かってから、早急に治癒術を施した直後、彼女はレンリを押し除ける勢いで立ち上がり前線へと戻ろうとしていた
「絶対に、キリト君は守り抜くんだから…!たとえ何万、何十万、何百万の敵が来たって、私は最後ま…で……?」
悲鳴と怒号の渦巻く戦場の空に、かすかに響く甲高い哄笑を聞いたアスナは、霞む目を動かした。その視線の先には、黒い影があった。遺跡宮殿の屋上で、黒いポンチョの男が踊るように身を捩っているのが見えた
(さあ、殺し合え。醜悪に、無様に、そして滑稽に踊ってくれ)