とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第65話 相見える狙撃手

 

シノンは果ての祭壇を目指して飛び立ったアリスの後ろ姿を見届け、一人残った岩山の中で思考を巡らせていた。敵と思しき人間がログインしてきたら、その時点で『アニヒレート・レイ』を最大威力までチャージし、敵の実体化直後に吹き飛ばしてしまえば、防御も回避もできないはずだ。しかし、いますべきことは時間稼ぎである。もし敵が無限に高位アカウントを生成できるなら、即死させても意味がない

 

 

(まずは、持久戦よね……)

 

 

最初は小手調べで、敵の対応を見定める。もし命を惜しむ様子を見せたら、一度しか使えない貴重なアカウントなのだと判断できる。その場合は全力で攻撃し、二度と同じアカウントでログインできないようにすればいい。しかし、万が一アカウントが量産型だったら、殺してしまうわけにはいかない。限界まで戦闘を長引かせ、アリスが『果ての祭壇』まで移動する時間を稼がなくてはならない

 

 

「・・・来た」

 

 

瞬間、僅かな空気の変化をシノンは感じ取り、一人呟いた。赤い空から糸のように伸びてくる、漆黒の破線をついに視認する。シノンは待機中に巡らせた作戦の通りに、一瞬で敵を葬るための弓を引くことなく、空中にホバリングしたまま敵の実体化を待った

 

 

「・・・・・ッ…」

 

 

それは、地獄へ続く底なしの穴のように濃く、深い色をしていた。そして、とぷん…とラインの表面に小さな波紋が立ち、直後、無造作に右手が突き出た。細長い五本の指がうねうねと宙を搔くさまを見て、シノンの背中に悪寒めいた戦慄が走る。すぐにでも焼き払ってしまいたい衝動を堪え、シノンは敵の実体化を待った。やがて右手に続いて左手も出現し、水たまりの縁を摑むと、湿った水音を立てながら男の頭部が出現した

 

 

(・・・随分と華奢ね?)

 

 

そこにいたのは、これといった特徴のない、薄い顔つきのアバターだった。頭に張り付くような短い金髪、細い鼻梁と薄い唇、白人系のデザインだが、妙に白人離れした平たい顔が印象的だった

 

 

(本当にコイツが、暗黒神ベクタのスーパーアカウントを操作していた人間と、同じ人間なの…?)

 

 

そうシノンが訝しく思っていると、まだ上半身しか実体化していない男の、青いガラス玉のような眼がきょろきょろと動き、上空のシノンを捉えた

 

 

「・・・・・」

 

 

その視線がシノンを見つめたまま、どぷんっ、と粘つく音を響かせ、男の全身がついにその姿を晒した。華美な金属鎧などまったく身につけていない。上下が揃った濃い灰色の服の上に革のベストに、足許は編み上げのブーツ。まるで、現実世界の兵士が身にまとう戦闘服のようだった。また、左腰の長剣と、右腰のクロスボウといった武器類が、兵士のような趣きを装飾していた

 

 

「・・・コンバート・アカウント、ね」

 

 

その出で立ちだけで、シノンはそう確信した。なぜなら、自分が最初にログインした時に焼き払ったアメリカ人プレイヤーの大軍や、上条達と行動を共にしていたアンダーワールド人の格好とは、似ても似つかない。そして何より、男の風貌と佇まいは仮想世界のソレというより、アスナ達の話に聞く現実世界の軍人そのものに近い雰囲気を纏っていた

 

 

(・・・・・なに、あれ…?)

 

 

次にシノンが抱いたのは、疑問だった。男が抜け出した後も、黒いラインはしばらく中空を漂い続け、生き物のように蠢いていた。しかしそれは、数秒した後に実際に生き物になった。剝がれた部分が細長く伸び、翼と化してせわしなく羽ばたいた鳥とも飛竜ともまったく違う、奇怪な姿。お盆のように丸く平べったい体の前部に、丸い眼球が四つも張り付いている

 

 

(コンバートされたアバターが別のVRMMOで使ってた装備ないし、アイテム…それがこのアンダーワールドのシステムに合わせて、フィードバックされたってこと……?)

 

 

左右にはコウモリのような翼、そして後ろには蛇のような長い尻尾。謎の有翼生物は、戦闘服姿の男を乗せたまま翼を羽ばたかせて離陸すると、シノンと同じ高度まで上昇した。そして正面に三十メートルほど離れた位置にホバリングした生物の背中で、男が再び薄笑いを浮かべながら口を開いた

 

 

「名前は?」

 

「・・・人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが作法ってものよ」

 

 

男が訊ねてくると、シノンは気味の悪さに生唾を呑み込みたくなるのをグッと堪え、極めて冷ややかな声で男の言葉を突き返した。そんなシノンの返答に、男は鼻で笑ってからどこぞの紳士染みた仕草で礼をしながら言った

 

 

「これは失礼。私の名前は『サトライザー』。以後お見知り置きを」

 

 

有り余る違和感。おそらくはアスナやキリトの世界で対立している米国の軍人であるはずなのに、驚くほど流暢な日本語と、ファーストネームなのかファミリーネームなのかも分からない、まるでプレイヤーネームでも名乗っているかのような、何の包み隠しもなく口にされた名前。それだけでシノンは、このサトライザーという男が、一つのVRMMOアバターという駒に過ぎないことを悟った

 

 

「・・・わざわざこんな所に一人で出てきたってことは、あなたはさっきまでここにいた暗黒神ベクタと同一人物…ってことでいいのかしら?」

 

「そう言う君は、その暗黒神ベクタと同じ、スーパーアカウントを保有しているラース側の人間だと…そういうことかな?」

 

「私の名前はシノン。それ以外をあなたに教える義理はないわ」

 

 

サトライザーが訊ねたが、シノンは返答をそれで締め括り、スッパリと口を閉じた。サトライザーはどこか残念そうに肩を竦めて鼻から息を吐くと、南に視線を向け、無機質な口調で呟いた

 

 

「・・・アリスは逃げたか。まあいい、すぐに追いつく」

 

「そうはいかないわ。あなたはここで、私が必ず討ち取る」

 

 

その僅かな呟きすらも聞き逃さず、シノンは返す刀でサトライザーに反論した。その言葉に、青いガラス玉のような瞳が再びシノンの方へと戻された。しかしそれ以後、その感情の見えない瞳はしばしの間シノンから逸れることはなかった。その不気味な眼光を、シノンが負けじと鋭い目つきで睨み返していると、やがてサトライザーは口許を不気味に吊り上げながら言った

 

 

「・・・君は…『狙撃手』。それもかなりの腕だ。そうだろう?」

 

「ーーーッ!?」

 

「分かるんだよ。言うなれば、私も君と同類だからね。しかし腕はあっても、狙撃手としてはまだ心が未熟だ。その顔に貼りつく表情は分かりやすすぎる上に、あまりにも感情的すぎる」

 

 

戦慄した。今の自分には、GGOのシノンとして身につけている装備とは何一つ似通っている物はないというのに、目の前の男は自分のVRMMOプレイヤーないし、仮想世界と現実世界の経験で培った自分の精神の本質を見抜いてみせた。その驚きを隠せなかったシノンの表情に、まるで彼女の全てを見透かしているかのような嘲った口調で、サトライザーはなおも続けた

 

 

「だが、未熟だからこそ光る物がある。君はきっとこの仮り染めの世界でも、最期の瞬間まで狙撃手としての気高さを捨てないのだろう。儚さを感じるほどにまで足掻き、美しいその命を散らすまで抵抗を続ける。例えるなら、陽光の届かない暗闇の中でも、凛とした花を咲かせようとする…極上の蜜を秘めた蕾のようだ」

 

 

言葉の端々に感じる、形容し難い気味の悪さに、シノンは顔を痙攣らせることしか出来なかった。そしてそれすらも楽しむように、サトライザーの口調が少しずつ変容していった

 

 

「そう。私はアリスを…ひいては君のような、私自身の深い闇にも影を落としてくれるであろう、最上の輝きを放つ魂を探し求めていた。だから、こうして巡り合った。君と私の出会いは、必然だったんだよ。例えどんな因果が、そこに世界すらも阻む垣根があったとしても、私たちの魂の力は、引かれ合う運命にあったんだよ」

 

 

嬉しくてたまらないとでも言うように、サトライザーの発せられる声の温度までもが低下してるようだった。周囲の空気すらも呑みこみ、侵食していくような、彼が全身から迸らせている底無しの闇に、シノンの体がいっそう冷えていく。全身が強張り、呼吸さえも不規則になろうとしていた時、サトライザーは自分の中に確信を得て、小さく呟いた

 

 

Your soul will be so sweet.

 

 

曰く、『君の魂は、きっと甘いだろう』。その台詞に、ぞくん、と。シノンは背筋を這っていた悪寒が、一瞬の内に全身の感覚を支配するように駆け抜けていったのを感じた

 

 

「さあ。こちらに来たまえ、シノン。私に全てを委ねてくれ」

 

 

サトライザーの青い瞳が、冷たく光った。ずっ、と重い音を立てて、世界が歪んだ。空気が、音が、そして光さえも捻じ曲げられながら、サトライザーの眼に吸引されていく

 

 

「な………」

 

 

何よ、これ…!?という思考さえもが、強烈な引力に吸い込まれていく。唇は乾き、喉は声を出そうとすることを頑なに拒んだ。全身から吹き出してくる冷や汗を感じとる肌の感覚しか、今のシノンには残されていなかった

 

 

(い、いけない…!抵抗しないと…戦わないと…!)

 

 

心の片隅でそう叫ぶシノンの声は、どうしようもなく小さかった。やがて、青い鎧に包まれたシノンの体そのものが、広げられたサトライザーの腕の中へと引き寄せられ始めた。すっかり力を失った左手の指先に、辛くも弓の弦を引っ掛けたまま、シノンは音もなく空中を泳がされた

 

 

「ひっ…!?」

 

 

朧に霞む意識の中で、シノンは自分の体がサトライザーという名の暗闇にぬるりと包まれるのを感じた。男の左手が背中に回される。右手の指先が頰を掠め、耳に被さる髪を払われる。露わになったシノンの左耳に、サトライザーの薄い唇が近づき、黒く冷たい、穢れた水を思わせる声が直接頭に忍び込んだ

 

 

「ところで、シノン。君は私の『サトライザー』という名前の意味が分かるかい?」

 

「・・・・・?」

 

 

ぐったりと脱力しているはずのシノン首が、何かの本能に突き動かされたように、ゆっくりと左右に振られた。そんな恐怖と嫋やかさが入り混じった彼女の仕草に、サトライザーは気分を良くしたのか、口元に柔和な笑みを浮かべながら言った

 

 

「いかにもアメリカ人好みの、日本の『サトリ』をもじった名前のようだろう?しかしこれは、純然たる英語だよ。『Subtilizer』。その意味は『研ぐもの』、『薄くするもの』、『選ぶもの』、そして……」

 

「『盗むもの』」

 

 

シノンのすぐ目の前にあるサトライザーの両眼が、ひときわ強く光った。その怪しげな瞳のままに、サトライザーは短く宣告した

 

 

「私は、君を盗む。君の魂を盗む」

 

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