(・・・どうして…)
整合騎士レンリ・シンセシス・トゥエニセブンは、戦場を覆う憎しみの深さをまざまざと感じながら、拭いきれない疑問の言葉だけを胸中で繰り返していた
(なぜ彼らは、同じリアルワールド人なのに、これほどまでに憎み合い、殺し合わなくてはならないんだ…)
否、あるいはレンリにも、そんなことを言う資格はないのかもしれない。アンダーワールドに住まう者たちだって、人界人と暗黒界人に分かれ、何百年も血みどろの戦いを繰り広げてきたのだ。事実、レンリ自身も両腰に下がる神器《雙翼刃》で、数え切れないほどのゴブリン族の命を絶った
(でも、だからこそ信じたかったんだ……)
だから、血みどろのアンダーワールドの外側に広がるというリアルワールドには、争いも憎しみもなく、戦争など決して起きないのだと信じたかった。しかし、それが幻想であることは最早明らかだった。つまるところ、争いこそが人間の本質だということなのだということを、まざまざと見せつけられているような気がした
「そんな、そんなハズがあってたまるか…!」
レンリは滲み出ようとしていた涙を、唇を噛みながら堪え、絞り出すような声で一人言った。整合騎士の間でも忌み嫌われていたはずのシェータは、敵であるはずの暗黒界の拳闘士団を守るために単身で死地に残った。あの人はきっと、剣と拳を通じて暗黒界人と解り合ったのだ。血に塗れた道の向こうにだって、きっと希望はあるんだ
「だったら、僕にだって出来るはずだ…!」
ならば、いまは戦わねばならない。ただ守られ、立ち尽くしている時ではない。レンリは、必死の防戦を続ける味方のリアルワールド人部隊の救援に向かうべく、前線に歩き出そうとした時、小さな声が背後で響いた
「騎士様。私も行きます」
振り向くと、そこに立っていたのは補給部隊に所属する赤毛の少女練士、ティーゼだった。小ぶりの剣をしっかりと握り、悲壮な表情で口許を引き締めている彼女に、レンリは諭すように言った
「ダメだよ。君はあの人を守らないと…」
「その役目は、ロニエに譲ります。私が大好きだったユージオ先輩は、大切なものを守るために命を散らしました。だから私も、その志を継ぎたいんです」
「・・・そう、だね…」
ティーゼは、紅葉色の瞳に光るものを滲ませ、続けた。けれど、本来は美しい物だと感じるべき彼女の意志に、レンリは強く唇を嚙んだ。整合騎士である自分でさえ、あの凄まじい戦場で生き残れる確証はないのだ。正式な衛士ですらないティーゼが、無事でいられるとは思えない。そう考えていた時、新たな声がティーゼの声に続いた
「私も行きます、騎士殿」
ティーゼの傍らに進み出たのは、茶色の髪を後ろで束ねた長身の女性衛士長だった。これまで奮戦を続けてきたのだろう、服は汚れ、鎧は傷だらけだが、凜とした顔に宿る闘志は消えてはいなかった
「私も、カミやんと…キリトとの約束を、まだ果たせていません。私にとって何よりも誇れる後輩達があんなになってまで守ろうとした人々を、世界を、ここで諦めるわけにはいかないのです」
「ソルティリーナ先輩……」
ティーゼが震える声で名を呼び、ソルティリーナもかすかな微笑みとともに頷き返した。誇りでも、名誉でもなく、守るべきもののために戦う。二人のその決意が、自分の中にも染み込み、共鳴するのをレンリは感じた。その右手でそっと神器に触れて、彼は深く頷いて言った
「・・・解った。なら、君たちは僕が守るから…絶対に、僕から離れないで」
「はい!」
「頼みます、整合騎士レンリ殿!」
ティーゼとソルティリーナがレンリの言葉に力強く応え、左腰から剣を抜いた。 同じように一対の神器を両手に握りながら、レンリは胸の奥で呟いた
(・・・エルドリエさん。シェータさん。そしてベルクーリ騎士長。 あなたたちのように、僕もようやく命の使い場所を見つけられたようです)
そして整合騎士レンリは、新たな決意をその魂で燃やしながら、二人の女性剣士と一緒に、悲鳴と絶望渦巻く戦場へと駆け出した
「うるああああああっ!!!」
一方で。上条当麻はひたすらに両手の拳を赤い兵士たちに打ち続けていた。その間にも、周囲の日本人プレイヤーが次々に押し潰され、殺されていくのを目の当たりにしていた彼は、その仇討ちだと言わんばかりに、怒りを拳に乗せて際限なく湧き続ける敵にぶつかり続けた
「くっ…そ……」
しかし、アンダーワールド大戦の開戦当初から戦い続けていた上条の体は、限界の限界すらも超えていた。拳を打てばドガアッ!という音こそしても、攻撃としてはまるで威力がなく、鎧の下にある生身にはまるでダメージが届いていないのは明白だった。いつもなら訳なく押し戻せる兵士達の鎧も、今の彼にはどんな鉄よりも重く感じられた
「
「ッ…!うああああああああっ!!」
難なく上条の拳を鎧で受け止めた韓国人プレイヤーが、殺意のある言葉を叫びながら、両腕に最大限の力を込めて戦斧を上条の脳天目掛けて振り下ろそうとした。しかし上条は、なけなしの気力を振り絞って両腕を上げ、振り下ろされかけていた戦斧の柄を掴み取った
「おぉ…らあああああぁぁぁっっ!!」
そのままガラ空きになった敵の土手っ腹を蹴り飛ばし、掴み取っていた戦斧を奪った上条は、倒れ込んだ赤い兵士の頭部目掛けてそのまま鉄の刃を振り下ろした。勢いを失った拳とは違い、戦斧は一撃で兜をカチ割った。それと同時に、頭頂部から顎にかけて肉を潰す生々しい感触が彼の手に伝わり、韓国人プレイヤーの頭部から大量の鮮血が飛び散った
「ぜぇ…はぁ、ぜぇ……」
「なぁ、カミの字よぅ…俺は後、何人斬れば…お前との酒にありつけんだ……?」
「うる、せぇよ…そんなこと、まだ未成年の俺に…聞くんじゃねぇ……」
敵を葬った戦斧から手を離し、息を切らす上条の隣には、最初こそ活気に満ちていたクラインがいた。すでに満身創痍となって刀を杖にして膝を突いている彼に問われた上条は、口の中に溜まった血と唾液を、同じ色をした荒野の土に吐き捨てながら、もう口を開くのも億劫だと言わんばかりの口調で返答した
「は、は…じゃあよ…こっちの世界にゃあ、少しは可愛い子いたのか…?出来ればこんな俺とでも結婚してくれそうな、優しさと情に満ち溢れた子が希望なんだが……」
「それこそ、知るかよ…この戦いが終わったら、自分で探すなり、口説くなり、すりゃあいいだろうが……」
「それも、そか。じゃあやっぱ、意地でも死ぬわけにゃ…いかねぇよなああああああああああああああああああああ!!!!!」
「はぁ…はぁ…おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
そう言って、クラインは立ち上がり、上条は切れ切れになった息を無理やり喉に押し込み、無限に等しい敵へと向かって行った。その心の内に、彼らがどれだけ勝機を見い出せているのかは、彼ら自身も知るところではなかった
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シノンは、すぐ目の前にある二つの青い瞳の中で、漆黒の渦がブラックホールのように回転するのを、ぼんやりと眺めた。何かをしなくてはならない。何かをしたはずなのに、何も起こらない。ひたすら繰り返される幻のサイクル。サトライザーのひんやりと冷たい指が首筋を撫でる。強い嫌悪感、恐怖、しかしそれらすらもたちまち意識から吸い出され、瞬時に灰色の空疎さに置き換えられた
「だ、め」
これはもう、仮想空間で起きている、非現実の出来事ではない。このままでは自分の意識が落ちるところまで落ちてしまう。その認識が、赤い警告灯のように頭の片隅で瞬く。そちらへ意識を集中させようとするが、粘つく黒い液体が、いつしか彼女の腰辺りまでを吞み込んでいた。逃げることも、抗うこともシノンには許されなかった
「やめ、て……」
シノンのか細い悲鳴を無視して、サトライザーの顔がいっそう近づいていく。薄い唇がすぼめられ、すうっと空気を吸い込んだ。感情が、思考が、魂までもが、空気と一緒に吸引されていってしまうようだった
「盗ま、ないで……」
そんな心からの懇願すらも、即座に奪われ鈍い麻痺感だけが頭の中に取り残された。しかしその時、バチッ!という衝撃が、突如シノンの意識を強く叩いた。見開いた両眼が、青い上着の襟から飛び散る、眩い銀色の火花を捉えた
(ーーーッ!?熱い!!)
電撃に酷似した熱感が、男の吸引力を一瞬ながらも確かに上回った。わずかに回復した思考力を、銃弾の雷管のように炸裂させ、全身の力を振り絞って、シノンは男の両腕の中から脱出した。ソルスの飛行能力を発揮し、大きく距離を取った
「はっ…!はっ…!」
久しく感じる呼吸の感覚に肩を上下させながら、シノンは上着の内側でスパークし続ける何かを右手で引っ張り出した。それは、細いチェーンにぶら下がる、小さな金属のプレートだった
「なんで『コレ』が、ここに……」
『ソレ』は、ネックレスだった。現実世界の朝田詩乃の所有物。決して高価な物ではないが、シノンにとってソレは大きな意味を持っている。自分の命を狙われた『死銃事件』。その事件で彼女と共に戦った上条当麻がGGOにダイブしている時に使用していた、心電図モニター用の電極を、朝田詩乃は事件に関与していた黄泉川愛穂にお願いして一枚だけ譲ってもらったのだった
その後シノンは、その電極からテープ部分のみを剥離し、銀で出来た金属部分をペンダントヘッドに加工した。その自作ネックレスの存在は上条をはじめ、誰かに話したことはない。この世界にSTLでダイブさせた冥土帰しや吹寄制理、上条がオーディナル・スケールの時に語っていた御坂美琴と瓜二つの妹にも見せてはいない。故に、そのネックレスがアンダーワールドでオブジェクト化されているなどということは有り得ないのだ
(じゃあ、これは……)
ダイブする前に、カエル顔の医者は言った。STLが作り出す仮想世界は、単なるポリゴンのオブジェクトではない。記憶とイマジネーションによって生み出される、もうひとつの現実なのだと。ならばこのネックレスは、シノン自身のイメージが生み出した物に他ならない。そう確信したシノンは、銀色のペンダントヘッドにそっと唇を触れさせてから、服の下に戻した
「また、私はあなたに助けられたのね…カミやん」
完全に回復した意識を、離れた空中にホバリングする黒い有翼生物に向ける。生物の背中では、サトライザーが無言で眺めている自分の右手の指先から、かすかな白煙が上がっているのをシノンは見た。その視線を感じたのか、顔を上げたサトライザーの口許には、ほんのかすかだが不快そうな色が見える。男の顔をしっかりと見据えながら、シノンは言った
「随分と自分の力に陶酔してるようだけど、お前は神でも、悪魔でもないわ。私と同じ、ただの一人の……人間よ!」
サトライザーの力は圧倒的だ。シノンは思考を奪われた数秒でそれを嫌というほど実感した。恐らく、凄まじい強度のイマジネーションで自分の精神、フラクトライトにまで干渉しているのだと悟った
(だけど、イメージ力と集中力なら私だって…!)
それは、狙撃手にとっていちばん大切な力。シノンは、ソルス・アカウントの長弓『アニヒレート・レイ』を両手で握ると、静かに意識を集中させた。するとやがて、白く輝く弓の中央部が、青みがかった黒へと変化した
(私の心に応えて!私の相棒でしょ!!)
滑らかに湾曲する弓は、次第に完全な直線へと変形した。黒い光を放つ長い筒は、鋼鉄の銃身へと化した。マズルが、グリップが、ストックが次々に出現し、最後に巨大なスコープが湧き出すように実体化した
「・・・ウルティマラティオ・へカートII、か…」
シノンの手の中にあるものは、もう流麗な長弓ではなかった。無骨で、獰猛で、途轍もなく美しい50口径対物狙撃ライフル。それを見たサトライザーは、口中で小さく呟いた。ギリシャ神話に登場する、冥界の女神に由来する名を持つ相棒のボルトハンドルを、鋭い音を立てて引くと、シノンはにやりと笑った。サトライザーの鼻筋に浅い皺が寄り、唇が怒りを宿して歪んだ
「言っておくけど、無作法に私の肌に触れた代償は高くつくわよ!」
ソルスの弓から変化した愛銃ヘカートIIを、シノンは迷いのない動作で構えた。彼女とサトライザーの距離は二十メートルもない。対物ライフルで狙撃するには近すぎる。この距離で、動く敵を高倍率のスコープの中に捉え続けるのは困難を極める
(ーーー初弾で決める!!)
故にシノンは、サトライザーが動き始める前に勝負をつけるべく、スコープのレンズ越しに黒い影を見た瞬間トリガーを引いた。続いたのは凄まじい閃光と、轟音。そして強烈な反動が、空中にホバリングするシノンを襲った。しかし、ALOの随意飛行のノウハウを活かし、どうにか体を安定させると、シノンは未だに硝煙を引いている弾丸の軌跡を追い、視界にサトライザーの姿を収め、そして、驚愕に両眼を見開いた
「なん、ですって…!?」
翼生物の背中に立つ男は、左腕を持ち上げ、五指をかぎ爪のように曲げている。掌の中では闇と光が入り混じって激しく渦巻き、その中央で小さく、強く輝いているのは、間違いなくシノンが放った弾丸だった。先ほどと同じように、その銃弾を意志の力で吸い込もうとしている
「・・・負けるな…」
それを目の当たりにしたシノンの心に、かすかな怯えが生まれた。それと同期するように、サトライザーの左手から放たれる闇がその勢いを増した。しかしシノンは、無意識のうちに呟いて、次の瞬間には我も忘れて叫んでいた
「負けるな!ヘカート!!」
ズバンッ!と音を立てて、銃弾の放つ光が闇を貫いた。サトライザーの左手に巨大な穴が開き、鮮血と肉片が渦を巻いて飛び散った
(ーーー行ける!)
シノンは大きく息を吸い込むと、ヘカートⅡのボルトハンドルを引いた。排出された空薬莢が、きらきら輝きながら落下していく。サトライザーは、傷ついた左手を無言で見下ろしていた。打ち損じたか、とシノンは内心で歯噛みするも、現在進行形で黒い粘液のような闇が埋めている、掌に開いた巨大な穴は、そう簡単に癒える傷ではなさそうだった。サトライザーがその掌から笑みの消えた顔を持ち上げると、シノンは満足げな表情で鼻を鳴らしながら訊ねた
「ふん。どう?ヘカートの50口径弾の味は」
「・・・やはり君は、生粋の狙撃手のようだな。しかし君のような少女が、一体どこでそれほどの技量を培ったのか、疑問ではある」
「本物の軍人さんには縁遠い話かもしれないけど、GGOってゲームがあるのよ。私はそのゲームで、トッププレイヤーが集まる大会に出て、文字通り命を賭して戦った。それだけのことよ」
「なるほど…私も国内産のVRシューティングゲームに、訓練の一環でダイブすることもあるのだが、ソフトウェアのリサーチには疎くてね。今度君の言うGGOというゲームをプレイしてみようと思うよ…『コレ』を使って」
サトライザーは訝しげな視線を閉じ、腰からクロスボウを外した。そして、ぐにゃり。突然、クロスボウが歪んだ。左右に突き出した弓が折り畳まれ、全体の長さが倍以上に伸びていき、木製だったはずのフレームが、黒い金属の輝きを帯びた
「ば、バレットXM500…!?」
その一秒後、サトライザーの右手には、ヘカートに並ぶほど巨大なライフルが握られていた。ヘカートⅡと同じ50口径ながら、より新しい世代の対物狙撃ライフルだ。そして黒い凶器のスコープでシノンの姿を捉えたサトライザーの口許に、もう一度歪んだ笑みが戻った
「・・・上等じゃない。これでもう、あなたを撃ち抜くことに、なんの遠慮も必要なくなったわ」
言って、シノンは相棒の銃床を右肩に押し当てた