とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第69話 友切包丁

 

「イッツ・ショーウ・タァーーーイム!!」

 

 

SAOで暗躍していた当時の決まり文句を口にして、さっと右手を持ち上げるPoHの向こうに……赤い兵士の手で乱暴に押される車椅子と、それに懸命に付き従う、灰色の制服姿の少女が見えた

 

 

「あぁ…やめて、お願い…それだけは……!」

 

「ッ!!テメッ…!!」

 

 

アスナの胸中と、震える唇から、悲痛な懇願が溢れた。クラインが跳ねるように立ち上がろうとしたが、周囲を取り囲む韓国人プレイヤーの手によって即座に押さえつけられた

 

 

「・・・ンン?」

 

 

PoHはすぐ目の前まで運ばれてきた車椅子に座るキリトの素顔を、上体をひょいと傾けて覗き込んだ。それから、訝しそうな唸り声を漏らし、つま先でコツンと、椅子から下がる細い脚を小突いた

 

 

「何だぁこりゃ…?おいブラッキー、起きろよ。聞こえてんのか、黒の剣士サマ〜?」

 

 

かつての二つ名で呼ばれたキリトは、反応らしい反応をしなかった。黒いシャツ越しにも痛々しいほど瘦せ細った体を背もたれに預け、顔を深く俯かせている。中身のない右の袖が風に揺れ、二本の剣を抱く左手も、骨ばかりが目立つ。アスナの隣に突き飛ばされたロニエが、真っ赤に泣き腫らした眼を瞬かせながら小声で言った

 

 

「キリト先輩…戦いの間、何度も、何度も立ち上がろうとして…それで、力尽きたみたいに静かになって…でも、涙が…涙だけが、いつまでも……」

 

「ロニエ、さん…!これで…これで分かったでしょうPoH!キリト君は戦って、戦って、戦い抜いて、傷ついてしまったの!だからもう構わないで!キリトくんを、そっとしておいてあげて!」

 

 

アスナは左手を伸ばし、しゃくり上げるロニエの華奢な体を引き寄せた。そしてその涙を優しく指で拭き取ってから、きっと顔を上げ、PoHに鋭い言葉を投げる。しかし彼はアスナの声など耳に入らない様子で、今も宙空を見続けているキリトの顔を至近距離から覗き込んだ

 

 

「おいおいおーい!噓だろ!?締まらねぇんだよこんなんじゃよ!おい、起きろって!Hey!Stand up!グッモー…ニンッ!」

 

 

突然、PoHは言葉の端々に力を込めながら右足を銀の車輪に掛け、容赦なく蹴り倒した。騒々しい金属音とともに横倒しになった車椅子から、キリトの痩せた体が地面に投げ出された

 

 

「や、やめてーーーっ!!!」

 

 

必死に叫んだアスナは立ち上がろうとするも、門番のように目の前に立ち塞がる兵士達の剣に阻まれた。そしてPoHは、それをさして気に留める様子もなく、蹴り倒したキリトに歩み寄ると、そのつま先に、ほとんど重みのない彼の体を乗せて乱暴に引っくり返した

 

 

「なんだよ…マジでぶっ壊れちまってるのかよ。あの勇者サマが、ただの木偶かぁ?おいおい、興醒めなんてモンじゃねぇぞ。俺の長年に渡る必死のラブコールは…どうだったのか聞かせてくれよぉ!?」

 

 

PoHは腹いせとばかりに、未だしっかりと二本の剣を抱えているキリトの左腕から、白い鞘を奪い取った。その鞘を投げ捨てつつ乱暴に引き抜かれた刀身は、その半ばで痛々しい折れ口を晒していた

 

 

「あぁん?剣が折れたから、自分の心も折れましたって寒いジョークかブラッキーさんよぉ?少なくともお前にゃ、こんな黒くもねぇモンなんざ似合ってねぇから、俺が捨てといてやるよ」

 

「ぁ……。ぁーーー……」

 

 

柄頭に青い薔薇の咲いたその優美な剣を一瞥して、PoHは盛大な舌打ちとともに青薔薇の剣を放り捨てようとした。しかし、その時。キリトが嗄れ声を発しながら、左腕を白い剣へと弱々しく伸ばした

 

 

「おっ!?動いたな!なんだぁ、コイツが欲しいのか?だったら、ホラ。何とか言えよ!!」

 

 

PoHは焦らすように空中で青薔薇の剣を泳がせていると、それを取り返そうと必死に伸ばされたキリトの左腕をぐいっと摑み、乱雑に引っ張り上げた。ぱし、ぱしん!と音を立て、PoHの左手がキリトの頬を張った

 

 

「ーーーーーッ!!!!!」

 

 

その瞬間、上条当麻の体が何かに突き動かされたように、ガバッ!と起き上がった。そして、体の奥底からふつふつと湧いてくる怒りに顔を歪め、地面を強く蹴り飛ばしてPoHへと殴りかかった

 

 

「テメェェェェェーーーーーッッッ!!!」

 

「お、おいおい。なんだ、一体どこの誰なんだお前はよぉ?」

 

 

上条はPoHとキリトの元に辿り着くなり喚き散らし、黒いフードに隠れている彼の顔面目掛けて、次々に両手で拳を繰り出していった。しかしPoHにとっては、もはや威力も早さも失せたその拳を見切ることは造作もなく、ひらりひらりと軽い身のこなしで上条の拳をかわし続けた

 

 

「そんな薄汚ねぇ手で、キリトに触るんじゃねぇ…!テメェなんかが、青薔薇の剣に…ユージオに触るんじゃねぇぇぇーーーっ!!」

 

「だったらお前も、そんな汚れた手を俺に向けてんじゃ…ねぇっ!!」

 

「はっ…!?ズッ…!?」

 

 

やがて上条の拳は、青薔薇の剣を奪い取るべく大きく開かれた。しかしその手が最も伸びた、最も無防備になった瞬間に、PoHが彼の鳩尾に足蹴を見舞うと、その体はもう一度呆気なく地面に転がった

 

 

「ったく…そんなにいい代物なのかコイツぁ?俺にゃ分っかんねぇなぁ〜…まぁいいや。いらね」

 

「テメッ…!キリの字とカミの字に何してやがんだぁぁぁーーーっ!!!」

 

 

PoHが青薔薇の剣を無造作に放り捨て、上条が地面に転がった直後、クラインは叫びながらもう一度立ち上がろうとした。しかし無情にも、片腕で摑みかかろうとする彼の背中を、背後から太い剣が貫き、容赦なく地面に縫いつけた

 

 

「が、はっ…!?効か、ねぇ…効かねぇぞ、こんなの……。テメェだけは…許さ…ねぇ…!絶対に、俺が…ぶった切……!!」

 

 

大量の血を吐き出しながらも、クラインは剣で縫い止められた自分の体を引き裂いて、なおも前に進もうとした。ドスッ!と鈍い音が響き、二本目の剣がクラインの背中を貫いた

 

 

「ぎゃあああああああーーーっ!?!?」

 

 

クラインの喉口から、聞くに耐えない絶叫が迸った。その悲痛な惨劇に、いまだ涸れないことが不思議なほどの涙が、アスナの両眼から溢れた。深々と縫い留められながらも、なおも右手で地面を搔こうとするクラインを、PoHは厭わしそうに見下ろした

 

 

「ったく、見てらんねぇよ。雑魚は雑魚らしく引っ込んでりゃいいのに、のこのこ出てくるからそんな目に遭うんだよ」

 

 

両手を広げてやれやれとばかりに首を振り、クラインの背後に立つ赤騎士プレイヤーたちに、アスナには聞き取れない言語で何かを指示した

 

 

「ソイツは邪魔だ。殺せ」

 

 

その言葉に、プレイヤーの一人が頷き、新たな剣を振りかぶった。三本目の刃が、残りわずかと思われるクラインの天命を奪い取ろうとした、その時ーーー

 

 

ハジマ(やめろ)ーーーッ!!」

 

 

韓国語で、ありったけの音量で怒鳴ってその剣を素手で受け止めたのは、つい先ほどまで続いていた乱戦の中でシウネーとコンタクトを取り、同国のプレイヤーの叱責も恐れず人界守備軍の助けとなろうとした唯一の韓国人プレイヤー、ムーンフェイズだった

 

 

「お前っ!一体なんのつもりだ!?」

 

 

クラインに刃を振り下ろそうとしていた赤の騎士が、驚きと、それに倍する怒りのこもった韓国語で怒鳴った。しかしムーンフェイズは、彼の怒声に怯むことなく、シウネーの時と同じく懸命に説得を試みた

 

 

「何かおかしいと思わないのか!もう戦いは終わったんだ!なのに、どうしてこんな…リンチみたいな真似をする必要があるって言うんだ!?」

 

 

ムーンフェイズの叫びに気圧された同国人は一瞬押し黙り、視線を足許のクラインと上条、そして後方に倒れているはずの車椅子の若者に向けた。兜に付いたバイザーの奥にある両眼が、動揺したように瞬きを繰り返す。やはりこのプレイヤーも、戦闘の熱狂が冷めるにつれて、途惑いを感じ始めていたのだろう。やがてその体から、徐々に力を抜いて静かに剣を下ろした

 

 

「裏切者だ!」「日本人は皆殺しだ!」「ソイツもまとめて殺せ!」

 

 

ムーンフェイズが言葉を重ねようとする前に、この場をぐるりと取り囲む人垣から鋭い声が飛んできた。同胞たちの怒りに背中を押されたかのように、眼前の赤騎士が再び剣を握り直した。されど次に聞こえたのは、ムーンフェイズには予想外の言葉だった

 

 

「待て!そいつの話を聞こう!」「その場の勢いに任せるな!」「確かにあの黒ポンチョの男はやり過ぎだぞ!」

 

 

気づけば人垣のあちこちで、韓国人プレイヤー同士が議論を始めていた。その火種はあっという間に燃え広がり、生き残った日本人も皆殺しにするべしという強硬派と、事情がちゃんと説明されるまで待とうという穏健派に分かれて激しい口論に発展した。この状況を、唯一の指揮官の黒ポンチョの男はどう収めるつもりなのか。そう思って、ムーンフェイズが振り向いた、その先には……

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

地面に倒れる隻腕の若者のそばに立つ黒ポンチョの男は、肉厚の包丁型ダガーを指先でくるくる回しながら、フードの奥の口許を大きく歪めていた。その表情が、怒りではなく、哄笑を堪えているのだと気付いた時、ムーンフェイズの背筋に冷たい戦慄が走った

 

 

「・・・悪魔だ…」

 

 

ムーンフェイズが恐怖を顔に浮かべて呟いた直後に、PoHは肉厚の包丁を手で弄びながら、乾いた靴音を鳴らして彼に近づき、ゾンッ!!という鈍い刃の音を走らせながら、自らの手で『裏切り者』を処刑した。そして、彼の首を高々と掲げることで、今もなお自分を信じる中韓プレイヤーたちを煽動して、仲間を攻撃させるために。自らが求める、人間同士の滑稽な殺し合いを続けさせるために。彼は腹の底から笑いながら叫んだ

 

 

「かかっ。くくくくくっっっ……ひゃーっはっはっはっ!!見ろ!これが裏切り者の辿る末路だ!だが間違えるなよ!コイツがこうなってしまったのは、卑劣な日本人が言葉巧みに誘惑したからだ!だからこそ、もう二度とコイツのような悲しき末路を辿る人間を出さないよう………」

 

「う…ああああああーーーっっっ!!!」

 

 

しかしその瞬間、血を吐くような雄叫びとともに、レイピアが閃いた。鋭い切っ先から、白い閃光が迸る。かつて何千、何万回と放った基本技、ソードスキル『リニアー』

 

 

「オッ!?」

 

 

ムーンフェイズの首を掲げる自分の左手と胸間を突き抜けるように飛び込んできた細剣の軌道に、PoHは上体を反らせた。それでも細剣を握るその手が、遠ざかるフードの奥の暗闇目掛けて、懸命に切っ先突き入れた瞬間、浅黒い肌から数滴の鮮血が飛び散り、ムーンフェイズの首を手放した

 

 

「これ以上、好き勝手にはさせないっ…!」

 

 

自分の頬を伝い始めた鮮血を指で掠め取るPoHの前に立っていたのは、アスナだった。既に倒れていたはずの彼女は、最後の力を振り絞って立ち上がり、唯一自分達の味方をしてくれた、今はもうこの世界から遺体も残さず消えてしまった勇敢な少年の尊厳を守るべく、震える手でレイピアを構えながらPoHと向かい合った

 

 

「あなただけは絶対に許さない…!人の命を見せしめのように奪う、お前だけは…!」

 

 

アスナは、それが例えPoHの目論見通りだったとしても、熱い怒りを抑えることは出来なかった。ムーンフェイズの死を皮切りに、後に振り撒かれる筈だったPoHの煽動に、またも巻き込まれかけている半数の中韓プレイヤーは、この世界の真実に気付きつつある。つまり、日本人プレイヤーの言葉を信じてくれた人々。そんな彼らを見捨てることを、アスナは決して良しとはしなかった

 

 

「あははははは!いいねいいねぇ!やっぱそうこなくっちゃあなぁ閃光さんよぉ!!」

 

 

アスナの胴体目掛けて、PoHの友切包丁が唸りを上げて襲いかかった。しかし同時に、アスナはPoHの足許めがけてイメージを集中させていた。地面からうっすらとした虹色の光が放たれ、消える。その結果として、アスナは創世神ステイシアの力によって、PoHの軸足の下に数センチの出っ張りを生み出した

 

 

「What's!?」

 

 

ごくささやかな地形操作だったが、頭を切るのような痛みがアスナの意識を貫いた。その代償と引き替えに、黒い死神は体勢を崩し、包丁はアスナのドレスを大きく切り裂くに留まった。そして、PoHが僅かに見せたその隙目掛け、今も尾を引く頭痛を無視してアスナはレイピアを引き絞った

 

 

「やあああああーーーっ!!!」

 

「おっと、危ね」

 

 

しかし。ポンチョを大きく翻したPoHが包丁を真上に構え直すと、神速の突き技と剛強な斬り技が激突し、純白と深紅の刃が混交した火花を周囲に振りまいた。アスナがありったけの力を振り絞り、細剣を押し込もうとするも、交差する刃は完全に静止し、それ以上動くことはなかった

 

 

「ッ…あなたの望みは、一体何なの!?」

 

 

すでに傷だらけのラディアント・ライトを振り絞り、交差する刃を押し続けるアスナは、掠れた声で問いかけた。その疑問に、フードの下に覗くPoHの口許がにやりと歪み、ざらついた声を放った

 

 

「決まってるだろ、『黒』のヤツだよ。アインクラッドの五層で初めて殺そうとして殺せなかった時から、俺が望むのはアイツだけだ」

 

「どうしてそんなに、キリトくんを憎むのよ…!彼がっ…あなたに何をしたって言うの!?」

 

「・・・憎むぅ?」

 

 

心外そうに繰り返すと、PoHは首を傾げながら顔を近づけ、囁いた。やがて死神の口から放たれたおぞましい言葉は、黒い瘴気となってアスナに絡みつくように漂い始めた

 

 

「俺どれほどアイツを愛しているか、アンタなら解ってくれると思ってたけどな。自分の事しか頭にねぇクソったればっかりのあの世界で、アイツだけが唯一、無条件に信じられる男だった。俺がどんなに苦しめても壊れず、どんなに誘いをかけても汚れず、いつだって俺に希望と喜びを与えてくれたんだ」

 

「だから俺のいない場所で、アイツがあんなになっちまったのが許せねぇんだよ。あんな搾りカスみてぇな状態のアイツに会ったって、なんの意味もねぇ。俺は絶対にアイツを目覚めさせてみせる。そのためなら、誰だろうと、何千人…何万人だろうと殺してやる」

 

「き、希望…?喜び、ですって…?あなたのしたことで、キリトくんがどんなに…どんなに……!!」

 

 

アスナが懸命に言葉を返すが、せめぎ合う包丁とレイピアの交錯点は、断続的に火花を散らしながら少しずつ彼女に近づく。その原因は、アスナの闘志が揺らいだせいだけではなかった。PoHの右手に握られた魔剣・友切包丁が、生物のように震えながら、少しずつ厚みと大きさを増しつつある。その現象にアスナが驚愕していることに気づいたのか、フードの奥にある男の顔がニヤリと嗤った

 

 

「俺にもようやくこの世界の仕組みが解ったよ。この場所じゃ、流れた血や失われた命がそのまんまエネルギーになるんだ。『光の巫女』がぶっといレーザーでダークテリトリー軍を焼き払った時みてぇにな」

 

 

それ即ち…『神聖力』。けれどそれは、基本的には複雑な術式を唱えるか、リソース吸収能力のある武具を装備しなければ使えない力だ。友切包丁の大型化が空間神聖力の作用によるものだとしても、PoHは術式をコマンドを口にしていない

 

 

(なのに、なんでっ……!?)

 

 

包丁は恐らくSAO時代のアバターのコンバートで、アンダーワールド仕様のリソース吸収能力など持っているはずがない。しかしPoHは、アスナのその思考をも読んだかのように言葉を紡いだ

 

 

「この『友切包丁』はな、アインクラッドじゃあモンスターを倒すたびにスペックダウンして、プレイヤーを…人間を斬れば斬るほどスペックアップするって仕様だった。まぁ、Mobをうんざりするほど倒せば呪いが解けて、似たような名前の武器に進化するらしいが、当然俺はそんなモンに興味はなかった」

 

「だが今重要になってくるポイントは、人間の命を吸って強くなるっつう本来の性能が、アンダーワールドでも機能してるってことだ。この戦場には、アンタらが殺したアメリカ人と、中韓連合軍が殺した日本人の命が渦巻いてる。これから中韓の奴らが殺し合えば、さらに大量の命が溢れる。これがどういう意味か、もう言わなくても分かるよなぁ?」

 

 

悪魔が囁くあいだにも、友切包丁はギギ!ギギッ!と唸りながら巨大化を続ける。GM装備であるアスナのラディアント・ライトが、圧力に耐えかねたかのように軋む。あらゆる背景音が遠ざかり、自分の息遣いと心臓の鼓動だけがアスナを苛んだ

 

 

「命を、死をひとつ残らず吸い尽くすために、俺はこの世界の人工フラクトライトを片っ端から殺す。もちろん、後ろで震えてる連中だけじゃないぜ?暗黒界の化け物どもと、人界の人間どもを、全部だ」

 

 

冷たい風が黒革のフードを揺らし、闇の奥の双眸を一瞬だけ露わにした。仄暗く光る、赤い眼を見たアスナは、確信した。目の前の男は、悪魔だ。人間ではない。本物の、悪魔だ

 

 

「それが全部で何万人いるのかは知ったこっちゃねぇが、そこまですりゃあアイツも目を醒ますだろうさ。オレが信じた『黒の剣士』なら、な」

 

 

これが、PoHという男の本性なのだ。かつてSAOでかぶっていた『陽気な煽動者』の仮面も、この戦場でかぶっていた『厳しい指揮官』の仮面も、全て偽り。ほんとうは、あらゆる人間を苦しめ、苛み、殺すことだけを求める、冷酷にして残虐非道な復讐者

 

 

「安心しな、アンタはまだ殺さねぇよ。余計な邪魔ができないように、手足とか何本か切り落とすだけだ。アンタには、見届けて貰わなきゃいけないからな。アイツが目覚めて、俺の腕の中で死ぬところを」

 

 

友切包丁は、すでに当初の二倍近いサイズにまで巨大化している。ラディアント・ライトが高く澄んだ悲鳴を発し、刀身にかすかなひび割れが走る。ガクリと地面に右膝をついたアスナの視界を、フードから零れてくる漆黒の霧が覆った瞬間、ついに彼女のレイピアが肉厚の包丁に弾き上げられた

 

 

「あうっ!?」

 

「かかかっ!同胞たちよ!多少の邪魔が入ったが、これが日本人の本性だ!俺たちが仲間割れするように、あの男を誑かしていんだ!さぁお前ら!まだまだこれからだ!汚くて卑怯な日本人どもを、一人残らず殺せ!」

 

 

韓国語のはずなのに、なぜかその言葉の意味は、地面へと倒れたアスナにも明確に認識できた。PoHが高々と掲げた友切包丁から、赤黒いオーラが迸った途端、オオオオ……オオオオオオオオ!!と、穏健的な意見を口にしていた中韓プレイヤーすらも、彼の言葉に煽動されてしまったのか、赤い兵士全員が剣を突き上げ、獰猛な雄叫びを轟かせた。しかし、その時。アスナとPoHの間に割って入る人影があった

 

 

「ふざけたこと、言ってんじゃないわよ…!薄汚い、卑怯なやり方で人を誑かしてんのは、アンタの方でしょうが!!」

 

 

その人影、御坂美琴は、傷だらけの体に無理を押して立ち上がっていた。しかし、その二本の足は小鹿のように震えていて、レイピアを構える腕には、全くと言っていいほど力が入っていなかった。それでも彼女には、そこで倒れるわけにはいかない理由があった

 

 

「ミコト!がんばって、ミコト!!」

 

「ミコトさん!ミコトさーーーんっ!!」

 

「行けえっ!ミコト!」

 

「ミコトーーーッ!!!」

 

 

今にも倒れそうな美琴の背中を支えていたのは、仲間たちの声だった。リズベット。シリカ。エギル。クライン。彼女たちだけではない。生き残ったサクヤやアリシャたちALOのプレイヤー、シウネーたちスリーピング・ナイツも、人界守備軍の騎士レンリやティーゼ、ロニエ、ソルティリーナ、多くの衛士や修道士たちまでもが美琴に声を届けていた

 

 

「頼むっ…美琴ーーーっ!!!」

 

 

そして、上条当麻も、必死になって叫んだ。敵味方を問わず、誰が見ても窮地なのは明らかだと言うのに、こんなにも傷を負わせてしまったのは、自分が助けを求めたからだと言うのに、なおも背中を押してくれる日本人プレイヤー達の声援に、美琴は微笑みが溢れるのを我慢できなかった。そして、感動のあまり熱を帯びていた美琴の胸に、最後の声援が加わった

 

 

『大丈夫。いつも、ボクがそばにいるよ。ミコト』

 

 

美琴の周囲に、小さな光が宿った。どこかから聞こえてくる声の主、ユウキが生きていたのは、このアンダーワールドのサーバーがある、アスナやキリト達、スリーピングナイツのメンバーがいる世界だ。だからこそ、美琴は彼女がそばにいるのだと、疑いなく信じることができた

 

 

「・・・行くわよ。私は、まだ戦える。みんなの声が、みんなの心が、私に力をくれる。だから私は、アンタなんかにっ…負けらんないのよ!!」

 

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