叫んだ瞬間、美琴は右手に握ったレイピアを目一杯胸元で引き絞り、肉眼では追いきれない速度で突き出した。その一閃を友切包丁で受け止めようとしたPoHは、そのスピードに付いていけず、左腰に強い刺突を喰らわされた
「うおっ……!?」
「はああああああああーーーっ!!!」
後ろに下がっていく体を、懸命に踏み留まらせようとする悪魔のがら空きになった体目掛けて。美琴は『絶剣』ユウキから受け取ったオリジナル・ソードスキルを発動させた。右上から五回。超高速の突き技が、斜めに五つの輝点を刻む。左上から五回。先の軌跡とクロスして、さらに五つの光が輝いた
「ごぉあぁっ!?チイッ…!」
鮮血の混じった空気を吐き出しながらも、PoHは巨大な包丁にソードスキル特有の深紅の輝きを宿らせた。カウンターの大技に直撃されたら、美琴の残り僅かな天命は間違いなく消し飛ぶだろう。しかし、彼女の攻撃はまだ終わっていなかった
「うわあああああああーーーっ!!!」
残された全ての力をレイピアの切っ先に集中させて、クロスする軌跡の中心へと、最後の、そして最大の一撃を解き放つ。十一連撃OSS『マザーズ・ロザリオ』。流星にも似た紫の輝きが、PoHの胸を貫いた。彼の体は高々と宙を舞い、遠く離れた地面に重い音を立てて落下した。今度こそ全精神力を使い果たした美琴は、再び片膝を突きながら、心の中でもう一度呼びかけた
(・・・ありがとう、ユウキ…)
その剣技は最初から、死にもの狂いで細剣を振り回した末に美琴が生み出した、幻の11連撃だったのかもしれない。しかしユウキの剣技は、ライトエフェクトを伴って正しく発動した。それがイマジネーションの力だというなら、自身が永い眠りについた後も、美琴の記憶にずっと寄り添い、励ましてくれたのもまた、変えようのない真実だった
「や、やった…やったぜおい!はははっ!あの野郎ザマぁみやがれってんだ!!」
PoHのアバターが地面に横たわり続けているのを見て、クラインは腹を貫かれた剣で地面に縫い止められたまま拳を突き上げた。そんな彼を見て、美琴はレイピアを支えに立ち上がり、まずは彼の体から剣を抜いて傷を癒そうと、そちらに歩み寄りかけた…その時のことだった
「・・・・・な、によ…これ……!?」
かすかに地面が震えたのを、美琴は感じた。息を詰めながら、もう一度振り向く。倒れたままのPoHの体はぴくりとも動かない。しかし、右手に握られた友切包丁が、赤と黒の入り混じる異様な光を放っている。SAOに始まり、アンダーワールドでも数多の人間の血と命を吸ってきた包丁を中心に、戦場の空気がゆっくりと渦巻いていた
「い、いけない!神聖力を吸収している!」
「ッ!どんだけ往生際が悪いのよ……!」
叫んだのは、人界部隊の前面に立つソルティリーナだった。その叫びに、美琴はもう一度限界を超えている体に鞭を打ち、魔剣を破壊するべく走り出そうとした。しかし一瞬早く、あたかも宙に浮かび上がる友切包丁に引っ張られるような動きで黒衣の悪魔は体を起こすと、美琴のランベント・ライトごと彼女の体を切り飛ばした
「きゃああああああっっっ!?」
巨大な出刃包丁の一撃を喰らった美琴は、蘇ってくる全身の痛みに耐えながら、地面に転がされて仰向けになった上体を起こしてPoHを見た。彼のポンチョは前身頃が大きく破損し、タイトな革スーツに包まれていた体が露わになっていた。マザーズ・ロザリオの11連撃全てを被弾した胸板には巨大な穴が開き、その先には薄っすらと向こう側の風景すら見えていた
「ふ、不死身なの…アンタ……?」
恐らく、友切包丁が大量の空間神聖力を吸収し、それをPoHの天命に転換しているのだろう。そう推測しつつも、美琴は全身が震えるのを止められなかった。なぜなら、如何に天命が残っていようと、その痛みまでは誤魔化せないハズなのだ。真ん中に大穴を開けられる痛みとはいかなるものか、美琴には想像もできなかった。PoHはその痛みすらも楽しむように血の滴る唇でにやりと笑い、首をゴキゴキ鳴らしながら二本の足で立っていた
「あ〜あ〜。求めてねぇんだよなぁ、そういうの。仲間の後押しで、巨大な敵を前にしても奇跡的な勝利を掴むって美談?寒いねぇ〜。お前らがいくら猿だからって、本物の猿でももうちょいマシな演目考えるぜ。だからさぁ、いい加減に身の丈弁えてくれねぇかな?誰もテメェみたいな乳臭えガキなんざ、お呼びじゃねぇんだよぉ!」
PoHはその痛みすらも楽しむように血の滴る唇でにやりと笑い、首をゴキゴキ鳴らしながら二本の足で立っていた。そして彼は地面に倒れる美琴の元へ歩み寄ると、ゆっくりと右脚を持ち上げ、気味の悪い笑顔のまま、美琴の腹を一切の容赦なく踏み抜いた
「うぐっ!?おえぇっ……!?」
美琴は腹部に埋まっていく鈍い衝撃と苦痛に顔を歪め、直後に喉奥から迫り上がってきた胃酸を吐き出した。しかし、悪魔による惨虐はそれでは終わらなかった。鈍痛が残る腹部を抑えてのたうち回り、瞳には涙さえ浮かんでいる美琴の無防備な顔に、赤い装甲ブーツの底を向けた
「KoBみてぇな、装備からして、テメェもあのゲームの関係者なのかもしれねぇ、けどなっ。俺は、知らねぇんだよっ。黒でも、閃光でもねぇっ、テメェなんざ、俺からすりゃ、モブキャラですらねぇんだよぉオラァ!」
「〜ッ!あっ!い、痛ッ…やめ、て………」
罵詈雑言の区切りに合わせて、PoHは何度も何度も美琴の顔を踏み続けた。不躾に足裏を向けられる美琴は、やがて腹部に当てがっていた両腕を離して頭を覆いながら蹲り、か細い悲鳴を小さな口から漏らし始めた
「や、やめろ…やめてくれ…。そんな…そんなの酷すぎる…!美琴の顔が、潰れちまう…!お、俺はどうなってもいい!蹴りたいなら俺を好きなだけ蹴ればいい!だから…だから美琴だけは…やめろーーーーーっっっ!!!」
真っ先に自分を助けに来てくれた少女が、目の前で傷つけられていく光景にこれ以上なく胸を痛めた上条の呻き声が、叫びへと変わった瞬間、彼は死に体だった自分の体を無我夢中で持ち上げて、美琴の元へと駆け出した
「だぁから!俺が用があんのは黒だけだって言ってんだろうが!アイツと似たような格好して邪魔してんじゃねぇぞウニ頭ぁ!」
「うっ!?」
何かをする度する度に、自分の行動を阻もうとする上条達に痺れを切らしたPoHが叫ぶと、彼の手にしている友切包丁が纏った黒い瘴気がドバァッ!!と激しく荒れ狂い、巨大な闇が波となって上条へと襲いかかった。すると上条は、ほとんど無意識の内にあらゆる幻想を殺す右手を、周囲の光すらも蝕んで向かってくる闇の中心へと差し向けた
「ぐうっ…!?うわああああああ!?!?」
しかしその力は、もう既に上条の右手にはなかった。本来であれば、空間神聖力を使う、一種の神聖術とも言える友切包丁を覆う闇は、心意の力で宿した幻想殺しで打ち消せるハズだった。けれど心のどこかで、自分達はもう負けたんだと、上条は思ってしまっていた。そして、不幸な事に。あらゆる幻想を殺すだけの力を宿せる彼のイメージは、まだ自分は勝てるはずだと思う幻想すらも、跡形もなく殺してしまっていた
「く、そ………」
「だから言ったろう、上条当麻」
「ーーーッ!フィアン、マ……!?」
友切包丁が放った闇の波動にボロ雑巾が如く吹き飛ばされた上条の目の前には、一人の男が立っていた。その男、右方のフィアンマはうつ伏せになって倒れる上条の前にしゃがむと、膝の上に腕を置いて頬杖を突きながら言った
「お前の救いの尺度なんてその程度だと、俺様が言ったのを忘れたのか?まだ反論しようというのなら、証拠を見せてやるよ。ほら、周りを見てみろ」
薄ら笑いを浮かべながら語りかけてくるフィアンマを、上条はなんとか首から先だけを動かして睨みつけた。しかし神の如き者はその目線を意に介さず、ぐるりと指先を空中で一周させながら言った
「・・・・・」
「どうした、見てみろよ。ヒーロー」
しかし上条は、その指先を追うことは出来なかった。もう既に、分かっているからだ。フィアンマに言われずとも、自分はここにいる誰一人として救えなかったことを
「やれやれ…もう一度だけ説明してやる。俺様が散々言ってやったじゃないか。自分の方法、ひいては正義こそが正しいと息巻くなら、お前はどうしようもないバットエンドを招く主人公になるだけだ、とな。その結果はどうだ?ご覧の通りさ。これでもう分かっただろう?」
「この世界にいる『ただの右手』しか持たない上条当麻には…いや、違うな。そもそも現実も仮想も関係なく、『神浄の討魔』という自分の魂の本質すら扱えなかったお前には、世界の浄化どころか、誰一人として救えなかったんだよ。いい加減に認めろ」
フィアンマが喋り続けている言葉に混じって、ガスッ!ガスッ!という音が聞こえた。その音だけで、嫌でも分かってしまった。美琴の体が、もう一度PoHによって踏まれ始めたのだ。その悪夢が広がっている場所に、今にも泣きそうな表情で上条が視線を向けると、フィアンマはなおも続けた
「なんだ?あの女がそんなに気掛かりか?確かにアレは見ていてあまり気持ちいいものじゃないが…まぁ仕方ないだろう。この世界は力が法律の世界なんだ。それに、お前だって散々同じことをしてきたろう?弱者を殴り飛ばして、自分が正しいと思った行動を取る。言ってみればあの光景はお前にとっての鏡だ。あの女を踏み続けている男と同じだよ、上条当麻がしてきたことは」
「ちが、う…俺は………」
「はぁ…また否定か。それも前に言ったぞ俺様は。特になんの根拠も持たず、頭ごなしに相手の考えを否定するのが、お前の悪いところだとな。ん〜〜〜…ならば、こうしようか。俺様が救ってやるよ。あの女をな」
「ッ!?それは、信じて、いいの…か……?」
「まぁ、俺様とて気持ちは分からんでもないからな。言ってみれば、なんにせよお前には選択肢がなさすぎた。だから、俺がお前にもう一度だけ、選択肢を与えてやる」
言って、フィアンマは膝に手を置きながら立ち上がった。そして、焦ったいほどにゆっくりと右手を持ち上げて、その手の平を上条へと向けた瞬間、彼の右肩から4本の鎌のような爪を持つ第三の腕が出現した
「自分の意思で手離せ、上条当麻。その魂、その右手を。もうそれだけでいい。自分の持つ力の価値すらも分からず、それを失ったお前に、もはや存在意義などない。だからお前が自ら死を望みさえすれば、あの女は勿論として、ここにいる全ての人間が苦痛から解放されるだけでなく、お前の友人がいるもう一つの世界も、何もかも俺様が救ってやろうじゃないか」
それは、上条にとっては悪魔の誘いのハズだった。けれど今の彼には、フィアンマの佇まいに後光が差しているようにさえ見えた。万物に、平等に与えられる救い。今まで自分が繰り返してきた救いとは、まるで比較にならない神の福音に、上条は縋るしかなかった
「・・・分かった…もう、諦めるよ…フィアンマ。俺には出来なかった…守れなかった。この右手が持つ力、自分の魂が持つ力を、正しく使えなかった。アリスも、ユージオも、キリトも、美琴も、みんなも…そして、俺自身も…誰一人として救えなかった。だから、頼む…みんなを、助けてくれ……」
上条当麻は、瞳から溢れ出そうになる涙をぐっと堪え、自分の不甲斐なさを悔いるように、今まで自分が救えていたと思い込んでいた人たちを脳裏に浮かべながら、心から謝罪するように声を絞り出した。するとフィアンマは、唇の端から笑いを漏らしながら再び口を開いた
「やっと分かったか。懸命な判断だ。そこは賞賛しよう。だが、言葉が違うぞ上条当麻」
「・・・・・ぇ?」
張り詰めていた上条の顔が、途端に緩んで、自分の期待していた言葉とは違う、救いの神からの返答に、呆けた声が発せられた。それからフィアンマは、微かに首を振ってから言った
「全ての人間、何もかもを救ってやるとは言ったが、それは無理だ。お前だけは…上条当麻だけは、誰にも救えない。なぜなら俺がもたらす救いには、お前の魂が必要なんだからな。自分の魂すらも失った人間を元に戻すことは、流石の俺様にも出来ない」
「だが今のお前には、さして難しくもないだろう。自己犠牲の精神なんてものは、上条当麻という人間が最も得意とするところなんだからな。むしろ、自分の命と引き換えにお前以外の全てが救われると考えるなら、それはそれでお前も救われるだろうさ」
「話が長くなったな。つまり、上条当麻はこう言えばいいんだよ」
「『俺を殺してくれ』…とな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
フィアンマの言葉に対する、上条当麻の異論はなかった。言い換えるならば、もう迷いはなかった。自分が招いたこの惨劇を目の当たりにすればするほど、『もう消えてしまいたい』と何度も上条は思っていた。そして…そして、そして。数秒の沈黙を置いた後に、上条当麻は言った
「・・・頼む。俺を…殺してくれ………」
自身の破滅を招く言葉にして、背負ってきた全ての十字架を下ろす言葉が、上条の口から溢れた。掠れるような、とても小さな声だったが、フィアンマがそれを聞き逃すことはなく、唇の端を吊り上げながら返答した
「いいだろう、上条当麻。もう休め。もうお前が心配することは何もない。死後に召される国で、自分の魂でもって完成される平等な救いを、胸を張って眺めていてくれ」
「・・・・・・・」
フィアンマの右手が、ゆっくりと持ち上がる。そして上条は深く俯いて、瞳を閉じ、最期の瞬間を待った。フィアンマの術式、聖なる右によって生み出された第三の腕の中心に、強い光が灯った。しかし、その瞬間ーーーーー
「チィッ…!!」
「
激しい舌打ち。おそらくはフィアンマとPoHの口から漏れたのだろうが、瞳を閉じていた上条にはそれが分からなかった。そして、意を決して待ち受けていたその瞬間が、いつまで経っても訪れず、ふと目を開いた先に映ったのは、人外守備軍を守るように輪となって燃え上がる炎だった
「いつまでそうして俯いているんだ、上条当麻」
「・・・・・・・・・・ぇ…?」
その声に、上条当麻はついに気が狂ったのかと思えた。ゆっくりとうつ伏せになっていた上体を起こして、いつの間にか右横に立っていた人物を見上げる。自分の周囲に散らばった、五芒星の刻まれたカード。頬に刻まれたバーコードのような刺青と、煙を吐き出す咥えタバコ。マントと神父服を身に纏う、赤い長髪の男。どこをどう見ても見間違えようのない、酷く見覚えのある彼を見た上条は、亡霊でも見ているかのような表情で呟いた
「・・・ステイル…?」