「それで?俺様は望み通りお前を殺せばいいんだろう?上条当麻」
自分たち以外誰もいなくなった、それだけで途方もなく続いているようにすら見える荒野の中心で、右方のフィアンマは言った。彼以外にたった一人だけその世界に存在している人間。上条当麻は彼の問いかけに、ほんの少しだけ口許に微笑みを交えながら答えた
「悪いな、その要望は撤回させてくれ。俺はもう、自分の右手とか、魂の役割に、てんで興味がなくなった」
上条の瞳に、言葉に、もはや迷いはなかった。数分前に自分の死を望んだ弱さは、見る影もなくなっていた。目の前でそれを見て、聞いたフィアンマは、細くため息を吐いてから右手で頭を抱えながら首を振りつつ言った
「やれやれ、自棄か……」
「そう見えるか?俺としては、至って正気のつもりなんだけどな」
「自棄でないのなら、お前は人類史上でも稀に見る本当のクズだな。その答えが果てに何を導くか、まるで理解していない。いいか?お前がその生涯をかけてでも、そもそも出会うことさえもないような途方もない数の人間が、お前の右手と魂で、平等に救われるんだぞ?犯罪はおろか、争いも諍いもない平和な世界が、未来永劫続くんだぞ?」
「・・・そういえば、そうだったな」
「そうだ。ここが世界の分岐点なんだよ。次に『神浄の討魔』を持つ者がいつ現れるのかは誰にも分からない。仮に現れたとしても、その時には既に手遅れかもしれない。つまり、今ここにいる俺様とお前しかいないんだよ、この世界を救ってやれるのは。それを考えれば、もう答えを迷う必要なんかないだろう?いいか、これが最後通告だ。ボーナスタイムでもう一度だけ聞いてやる。くれぐれも選択肢を間違えてくれるなよ」
「・・・あぁ、分かってるよ。分かってる」
「ならば…俺様の右手を取れ、上条当麻。他でもないお前が、この世界の平和を現実の物にするんだ」
「クソ食らえだ」
即答だった。自らに右の掌を差し出してくるフィアンマに対し、上条が出した答えは単純かつ明快な否定だった。そして彼は、なおも笑顔を絶やさないまま続けた
「どう言われようと、これが俺の答えだよ、フィアンマ。月並みな台詞だけど、ここに来た皆が教えてくれたんだ。きっと俺は、今日ここで、この瞬間を、この答えを、みんなと迎えるために生きてきたんだ」
「たとえ過去にみんなを守ってきたこの右手が、この右手が導いてきた道が、暴力でしかないと揶揄されても、俺の歩いてきた道は正しかったんだって、みんながその証明になってくれたんだ。だから俺はもう、自信を持ってこれまでと同じ歩き方で生きていく」
「・・・詭弁、あるいは開き直りだな」
「かもな」
上条の言葉を鼻で笑ったフィアンマに、同じく上条も鼻で笑いつつ言った。そんな彼の態度に、フィアンマは若干ではありつつも、微かに癪に触ったように眉を潜めた
「だけど、それで良かったんだ。確かに俺たち人間は、誰しも隠しきれない悪意を持っているかもしれない。そのせいで地球が窮地に陥ってるっていうのも、納得はできる。だけど、だからこそ俺たちは、互いに助け合って生きていくんだ。わざわざ俺の右手と魂で、世界をあるべき形に浄化する必要なんてない。その悪意も含めて、今この時を生きているみんなで歩いていく世界が正解なんだ」
「いいや、お前はやはり何も分かっていない。人間なんてのは所詮、自分のことしか考えていない生き物だ。その気になれば平気で他者を殺し、世界を滅ぼす。それを防ぐために必要なのは、平等な救いだ。全ての人間が平等であれば、この世に蔓延する不平不満は消え、悪意なんてものはそもそも生まれない。だから、その全てを理解しているこの俺様が、世界を救ってやる必要がある」
「ほら、それだよ」
「・・・なに?」
いつかフィアンマに言われたことを、今度は上条が口にした。自分の口を指差されながら言われたフィアンマが、訝しげに表情を歪めている時には、既に上条が次の言葉を紡いでいた
「もういいだろ。もうこの辺が、お前の幻想の引き際だよ。『世界を救ってやる』って?何度目だよ、その台詞。振り返ってみればそもそもがおかしかったんだ。どんなデカい困難にも、最適な出力を発揮する『聖なる右』なんて馬鹿げた術式があるのに、お前はどこまでも俺の右手と魂にこだわった。それは何故か、答えは簡単だ」
「お前は自信がなかったんだ。怯えてたんだよ。本当に、自分の体の中に『世界を救えるほどの力』があるかどうか分からないから。だからお前は、世界を裁定できる魂と、その基準点になる右手を持ってる俺を貶め、自分が『神浄の討魔』よりも上回っていると証明することを執拗に求めたんだ」
「ーーーーーッ!?」
「まぁ当然っちゃ当然だよな。世界の終わりなんて大それたモン、この世界にいる誰かが見たことあるワケねぇんだ。大昔の神話の時代がどうだったのかは俺も知らねぇけど、少なくともこの現代で、神話に描かれるような世界崩壊が起こったなんて話は聞いたことがない」
「それはつまり、世界が終わるほどの危機が訪れなけりゃ『世界を救えるほどの力』を発揮する機会にも恵まれないことの裏付けになる。俺の幻想殺しが、超能力や魔術に囲まれなけりゃ『力があるように見えない』のと同じように」
「一度も世界を救ったことのないヤツに、『世界を救える力』があるかどうかなんて分かるハズねぇだろ」
「・・・・・・」
右方のフィアンマは、しばらく黙っていた。やがてその肩がわなわなと震え始め、『神の如き者』を司る魔術師から溢れたのは、得体の知れない怨念のような言葉だった
「だからどうした。俺様に限った話ではない。この惑星に生きている以上、死なずに存在している時点で、誰も彼もが神話的破滅を経験している訳がない。それを言うなら、お前には俺様を糾弾する資格などあるのか?お前は『世界を救えるほどの力』を!実感したことがあるとでも言うのか!?」
「あるさ。あるに決まってんだろ」
段々と語気が強まっていき、ついに絶叫へと声が変化したフィアンマの予想を、覆す返答があった。上条当麻は一秒と間を空けずに、遥か空をその右手で指差しながら断言した
「この仮想世界が、俺たちが守ってきた世界だ。SAOでも、ALOでも、GGOでも、もちろんこのアンダーワールドでも、いつだってそうだった。俺たちみんなの意志が、願いが、ずっと仮想世界に生きる誰かを救って、守ってきたんだ」
「だから、俺には分かる。誰かを守ることの正しさが。誰かに守られて、救われたと思うことの嬉しさが。それが分かる心があるだけで、いつだって、誰だって『ヒーロー』になれるんだ。そんなヒーローの輪が、段々とみんなに伝染していって、守る人が、救われる人が増えていく。それでいいんだよ。わざわざ誰かにまとめて救ってもらわなくたって、世界のみんなが、大切な何かを守れる意志と力を持ってるヒーローの卵なんだ」
「だから、右方のフィアンマ。お前にはこの世界を救うことなんて出来ない。世界を『救ってやる』なんて思ってるヤツに、この世界は守れない。そんな野郎に救われなければならないほど、俺達の世界は弱くなんてない」
フィアンマの顔が、今度こそ醜く歪んだ。しかし、それは一瞬のことだった。必死に自分に言い聞かせるように、まだ自分はこの男に負けたわけではないと、そう認識するために深く呼吸を置いてから、フィアンマはもう一度上条に言った
「・・・ふん、愚かだな。それでいつか世界は平和になると?馬鹿げている。あまりにも不確定すぎる。貴様の言うヒーローが一人でも現れなければ、そんな理想論は、いつまで経っても幻想にしかならない。そしてその幻想を見続けたままでは、この仮想世界も、現実世界も、何もかもが終わってしまうぞ」
「いいや、ヒーローは確かにいる。これは幻想なんかじゃない」
度重なる、否定。しかしそこにあるのは、確信。その証明である右手を、拳に変える。大切なものを惑わす幻想を、打ち砕く。また今日、ここで、誰かを助けるヒーローになる為に。上条当麻は、声高に謳った
「俺が!この瞬間に!ここにいるっ!!!」
それが合図だった。全身を強張らせ、上条当麻はダークテリトリーの赤黒い大地を蹴り飛ばした。瞬間、フィアンマは右の肩口から第三の腕を顕現させ、その掌を地面に叩きつけて大きく後方に跳躍すると、上条との間にある間合いをさらに広げた
「忘れたのか!俺様の右手が、どれほど万能の術式を誇っているのかをっ!!」
四本の鍵爪から、閃光が迸った。前提としてこの世界の上条当麻は、幻想殺しを所有していない。仮想世界の、一介のデータから見れば、彼はただ一定水準のオブジェクト・コントロール権限と、システム・コントロール権限と、数値的な天命を持つ人型ユニットでしかない
「一撃だ!俺様が一撃でもコイツを当てることが出来た瞬間に、お前の体は木っ端微塵になるぞ!!」
それはこのアンダーワールドという仮想世界において、反則にも程がある術式。かつて整合騎士エルドリエを一撃で葬ったように、彼の聖なる右は、『戦う』という概念よりも『倒す』ことを主軸に置いている。さればこそ、その右腕から放たれる閃光は、上条当麻に到達した瞬間に、彼の天命の数字を一瞬で消し飛ばす
「くっ…!?らあああっ!!!」
衝突。聖なる右と、幻想殺し。その拮抗は一瞬でしかなかった。その閃光が上条当麻が突き出した右手の平にぶつかった時には、彼を倒すべく出力された力の脈動は粉々に霧散していた
「防いだか…だが!次はそうはいかんぞ!」
人払いとは、その術式範囲への立ち入りを限定する術式である。故に、人がいる事実まで払うことは出来ない。今もアンダーワールドには、その数こそ急激に減少しているものの、三万を超える中国・韓国プレイヤーの悪意が渦巻いている。そしてフィアンマは、こともあろうにその悪意を媒介にして、最初の一撃とは比べ物にならない第二撃を放った
「どれだけ特異な右手と言えど、これを受け切れるハズがあるまい!!」
ゴバッ!!と、爆音が爆ぜた。第三の腕から放たれたのは、巨大な球状の光の塊だった。その軌道上にある空気、大地、その全てを押し除けながら、三万の悪意を容易に打ち倒すことのできる一撃が、今もフィアンマとの間合いを埋めるべく走り続ける、上条当麻たった一人に迫った
「うおおおおおおおおっっっ!!!」
その身を滅ぼしてもなお有り余る一撃を前に、上条は真っ向から右手を叩きつけた。現実の彼の右手であれば、とても受け切れはしなかっただろう。右手を捻ってその軌道を強引に逸らすなど、多少の工夫が必要だったハズだ。しかし、強烈なイマジネーション、心意の力を宿した彼の幻想殺しは、聖なる右手の出力したソレを、いとも簡単に殴り壊した
「な、なにいいいいいっっっ!?!?」
現在の上条当麻に、その右手に、その魂に、上限などなかった。目の前に起こる事象の全てを、塗り替え、乗り越え、打ち倒すことが自分には出来ると、際限なく信じていた。その彼を前にして、たかが三万の人間の悪意など、もはや無いにも等しかった
「・・・なら、俺様にも考えがあるぞ。上条当麻」
もう既に、両者の間に広がる間合いはほとんど無くなっていた。自分の聖なる右が織りなす規格外の、反則じみた一撃を、尽く上回ってくる上条当麻を前にしても、『神の如き者』の権能を司る右方のフィアンマは、不敵に笑って右手を掲げた
「『全て』だ!俺様たちの世界の、生きとし生ける人間全ての悪意!貴様の魂とその右手が、それすらも浄化できると言うのなら!今ここでそれを証明してみせろぉぉっ!!」
蠢く。フィアンマの第三の腕、時と場合によっては世界を救う『神の如き者』の力、その裏返し。神はわずか七日で世界を創造した。ならばそれを壊す権利は、他ならぬ世界を創った神にこそ帰属する。それを認識した瞬間、その試練を、世界を打ち砕く為に、世界を創造した神の右手は、フィアンマの心意を相乗させて、アンダーワールドを丸ごと飲み込めるほどにまで巨大化した
「・・・・・俺たちの世界の全て、か」
禍々しい力を渦巻かせている掌が、その先端に鉤爪を尖らせる四指を拡げ、全てを破壊し尽くすように、莫大な出力でもって振り下ろされる。その途方もない一撃を前にして、上条当麻は走っていた足の速度を緩めていき、やがて止まった。そして、段々と眼前まで迫ってくる神の右手に対し、どこにでもいる平凡な少年は、全ての異能を打ち消す右拳を振りかぶった
「今の俺を突き動かしているのは、そんな小さなものじゃない」
『神様の奇跡だって打ち消せる』。今となっては知る由もない、記憶にない日に口にした、そんな言葉の証明があった。ズドオオオッッッ!!!という、重厚な衝撃と、凄絶な爆風。現実の幻想殺しが誇る異能を打ち消すリソースを、遥かに超えた上条の右手の拳が、フィアンマの巨大な第三の腕にぶつかった瞬間に、神の右掌は元の姿に戻っていた
「な、なんだとっ!?あ、あり得ない…あり得るはずがない!!なんだその性能は!?たかが異能を消去するだけの力だろう!俺様の右腕は一振りで大陸を海に沈め、一突きで海を干上がらせるハズだ!それが何故、ここまでっ……!?」
「分からないか」
その右手の一振りは掛け値なしに、右方のフィアンマの生涯において、最大最強の一撃だった。現実であれば、一瞬で世界を崩壊させるだけの威力が、つい先ほどまで聖なる右の中に内包されていたハズだった
「幻想殺しを持たない…ただの右手しか持たない上条当麻には、誰も救えないって、お前は言ったな。ある意味、それは間違ってないのかもしれない。俺もそう考えたことがあるからな。だけど、本当に大切なのはそこじゃなかったんだよ」
「な、何を言ってやがる…?」
その力が根本から水泡のように呆気なく消失し、狼狽しているフィアンマに対し、上条当麻は静かに語りかけ、その右手で第三の腕から禍々しく伸びる指の一本を掴み取った
「右手なんてのは、ただの手段だ。そこには元から大した力や意味なんてない。本当の意味で誰かを助けるのは、誰かを守りたいと思う、俺たちの『魂の在り方』だ。それがあるかないか、そこが俺たちの決定的な違いだ。神様の力を持つ右手ぐらいじゃ、誰かを守りたいと願う心には、絶対に勝てない。だから俺は、お前に勝つことしか出来ない」
「い、今更になって馬鹿げたことを…!お前の幻想殺しは!正真正銘お前だけの持つ右手だ!この世界に二つと存在することの許されない、お前たった一人の力だろうが!その右手があるのとないのとでは天地の差だ!ソイツがなければ、お前はそもそも誰かを救おうと思うことすらなかっただろうが!!」
「ならお前は、自分自身の願いと、右手に対してもそう思うのか?」
「愚問だな!世界を救うこの右手と思想は、俺様だけに許されたモノだ!世界を救う権利と力を持つ、俺様だけの責務だ!基本的に俺様の行動は、俺様のためのモノなんだよ!」
「・・・そうか。だったら振り解いてみろよ、俺の右手。お前が思う右手の在り方が正しいんなら、お前の神様じみた右手が簡単に消し飛ばすなりしてくれるだろ」
そう言って、上条は今もギギ、ギギギ!と音を立てながら鬩ぎ合う、幻想殺しが受け止めている第三の腕を顎で差した。そして、上条に言われたフィアンマは、その言葉をフッと鼻で笑ってから口を開いた
「ふんっ…わざわざお前に言われるまでもないことだ。こんなもの簡単に………ッ!?」
フィアンマは言われた通りに第三の腕を動かし、その勢いで上条当麻を吹き飛ばそうとした。しかし、動かない。まるで万力にでも掴まれているかのように、フィアンマがどれだけの魔力を回しても神の右手は微動だにしなかった
「言っとくが、俺は大して力なんて入れてねぇぞ。この世界に筋力ステータスなんて物差しがねぇのは、テメエだって知ってるハズだ」
「ぐっ!?こ、このっ…!一体何をどうやって…こんな力が体のどこから…!?」
「簡単さ。この右手に込められているのは、俺一人だけの力じゃない。俺の後ろで背中を押してくれている…俺の世界の人、キリト達の世界の人、そしてこのアンダーワルドの人、締めて140億人分の意志。その全てが込められているんだ」
「・・・くっ、くははははは!そう言われるのなら…あぁ、俺様も背負ってるさ。貴様と同じ140億人の命の重さと、世界を救うという俺様の使命をな。俺様の右手を使って、人類を救ってやると何度も言っている!」
「・・・そう思ってんだったら、やっぱりお前はいつまで経っても一人だよ」
上条は昨夜、アスナに説かれた。背負うことの意味と、背負ったモノと向き合うことの意味を。その時は、心に負った傷が深すぎて、上手く飲み込めなかった。しかし、今はもう違った。自分の肩は、軽い。代わりに、多くの人の意志が、自分に力を貸してくれているのだということを上条は知った
「お前は俺に、正義と悪について話したよな。正義なんてのは所詮、どちらか一方から見たものでしかない。お前の言う救いも、場合によっちゃ正義になるんだろうな。だからお前の救いに本当の正しさがあるんなら、俺の右手を振り解くなんてのは、お前の言う通り造作もないことだ。だけど、現にそうなってないのはなんでか、お前に分かるか?」
「は、ははっ。俺様の享受する救いは、真に正しくはない…あるいは俺様はヒーローじゃないから、とでも言うつもりか?」
「あぁ、そうだ。俺はユージオに言われた。『僕の英雄』、『僕のヒーロー』だってな。そんなこと言われたら、誰だってなりたくなるだろ。誰かを守れる、とびっきりの『ヒーロー』ってやつに」
「だからっ!俺はヒーローになるんだ!ユージオはもういない……だけど!アイツの魂は俺の中で生きてる!こんな俺をヒーローだって言ってくれたアイツの意志だけは、俺がヒーローとして、死んでも守り通す!!!」
「今の俺には、仮想も現実も、科学も魔術も、世界だって何個あろうが関係ねぇ!!そこにいるみんなを守るために戦う、紛れもないヒーローの一人になる!いいか、教えてやる。一人で世界を救えるほどのバカげた力を持ってるお前が、どうして俺の右手たった一つに勝てないのか。それは……!」
「・・・おい、まさか…やめろ…それ以上やれば…!やめろおおおぉぉぉ!?!?!」
「テメェにはっ!誰にも負けねぇ『ヒーロー魂』がねぇからだよッッッ!!!」
今度こそ。上条当麻が叫び、その右手が横薙ぎに振るわれた。フィアンマの第三の腕は、肩甲から引き抜かれるように剥ぎ取られ、やがて残滓もなく粉微塵に破壊された。神の右席は、その特異な術式を持つ代償に、通常の魔術を行使できない。故に、フィアンマにはもう誰かを救う術はおろか、戦う術すら残されていなかった。しかし、それでも『神の如き者』は、上条当麻の前に立ち塞がった
「そ、そんなに正義の味方を気取りたいか上条当麻!何がヒーローだ!?俺様の思想と行動を、ガキの幼稚なゴッコ遊びなんかと同列に見るんじゃない!俺様はお前とは違うんだ!神の右席!神の如き者!右方のフィアンマなんだぞぉぉぉ!?!?」
「・・・いいぜ。叩き潰してやるよ、救世主。言い訳も出来ねえくらい全力で…かかって来やがれ!!テメェがこの世界を救う神なら、俺はこの世界を守るヒーローだ!!!」
世界を救うと宣言していたフィアンマは、そう言っていた姿からは想像もつかないほど、みっともなく喚いた。しかし上条当麻は、その声すらも掻き消すように、ダンッ!と右脚で地面を踏み砕いて吼えた。その直後、神の権能を失ったフィアンマは、無我夢中で上条当麻に右拳を向けた
「ぅ、ぅぅ…ぅぅぅおおおおおっ!!!」
「でぇああああああああああっっっ!!!」
ベギィッ!!と、両者の拳は爆ぜた。拳骨から伝わってくる圧力をそのままに、上条とフィアンマは、右拳を相手の拳へと押し込み続ける。グラグラと揺れる拳が鬩ぎ合う中で、己の矜持を賭けたぶつかり合いの軍配を勝ち取った右手は、上条当麻の右手だった
「ぜぇああああああああああっっっ!!!」
「ヅゥっ!??!?」
第三の腕ではない、フィアンマ本来の右手が、上条当麻の右拳に競り負け、真後ろへと弾き出された。五指の爪は捲れ上がり、肩はまず有り得ない方向に曲がった。その激痛にフィアンマが顔を歪めてもなお、上条は怒涛の勢いでもう一歩を踏み出し、右拳を振りかぶった
「軽いんだよ!まだまだ重みが足りてねぇぞ!テメェの右手はっ!!!」
「ごぼおっ!?!?」
上条は右腕を振り抜き、フィアンマの腹部を抉るように殴打した。彼の細身な体が軽々と吹き飛び、地面を転がっていく。もはや優劣の差は決定的だ。二人の勝負は既に決したと言っても過言ではない。それでもフィアンマは、まだ言うことを聞く左手を膝に突いて立ち上がると、もう一度足掻くように拳を握って上条へと戦いを挑んだ
「こ、この…クソがあああぁぁぁっ!!!」
「お前のヒーロー魂はその程度か!?お前の右手はこれっぽっちか!?俺のヒーロー魂には140億人の未来が懸かってる!俺の右手にはそれだけの重みがある!その俺を倒そうってんなら…テメェの方こそ!自分が信じる正しさを!ヒーロー魂で燃やして!俺を上回る心意をッ!その右手に乗せて来やがれってんだぁぁぁ!!!」
「があああああぁぁぁっっっ!?!?」
グゴギィッ!!と、上条の真っ直ぐな右拳がフィアンマの顔面を捉えた。頬骨は確実に罅割れ、その痛みは隠し切れるものではないだろう。しかしフィアンマは、倒れそうになる体をなんとか踏ん張らせ、なけなしの力を振りしぼって、もはやそれが最後の抵抗だと言わんばかりに、歯を剥き出しにしたまま、上条の首目掛けて噛み付つこうと襲いかかった
「かみ、じょう…とうまぁぁぁぁぁ!!!」
「・・・これが最後だ、右方のフィアンマ。テメェがそんな方法でなけりゃ、誰一人救えねぇって思ってんなら……!」
ついに。彼の口から、その言葉が紡がれた。アドミニストレータを叩き伏せた時以来の咆哮。腹の底から、吐き出すように。その激情に逆らわず、上条当麻は右の拳を振り抜いていくーーー!!!
「まずは!その幻想をぶち殺すっ!!!」
轟音が炸裂した。神の如き者の顔面に、あらゆる幻想を殺す右拳を叩き込んだ上条は、そのままの勢いで、かつて何者からも攻撃を受け付けなかった強敵を殴り飛ばした
(この野郎、お構いなしだ。俺様が『神の子』の奇跡や恩恵を最大限に利用して、様々な現象を起こそうとしているのに、幸運も不幸も関係ないと来やがった…コイツはそういった『曖昧なもの』を全部、自分の手足と、その意志で踏破する力を持ってやがる)
自分の体が宙を泳いでいるのを感じながら、フィアンマは「ここまでか」と呟いていた。そして、やがて薄れゆく意識の中、右手を振り抜いている少年の姿に対し、心の中で毒づいた
(・・・ところで、な。ひょっとしたら俺様も、数はどうあれ、誰かを救って、誰かにとっての『ヒーロー』だって呼ばれたなら…いいや、野暮だな……)
その思考を最後に、フィアンマは意識を手放した