第1話 仮想世界の未来
「・・・・・」
そこはとある片田舎の森の中に佇む一軒家の中。絵に描いたような木製のログハウスは、まるで華麗な上級貴族が休息のために拵えた別荘のようだ。そのログハウスの中では、アナログ時計の秒針が奏でる単音が木霊し、備え付きのソファーの上には、およそ貴族には見えない、どこにでもいそうな少年が電子モニターと手元のキーボードとを交互に睨みつけていた
「だぁーっ!畜生!やってられるかクソッタレ!こんなもん後一週間で終わるわけねぇだろうが!いいぜ、このレポートが本気で一週間で終わると思ってんなら、まずはその身勝手な〆切をぶち殺す!」
感情のままに自分のツンツン頭を掻きむしって叫んだ少年は、怒りのままに自分の右拳を電子モニターに向かって振り抜いたが、実体を持たない電子モニターに手応えがあるわけもなく、少年の右拳は虚しく空を薙いだ
「・・・どはあああぁぁぁ…そんな訳にもいかねぇよな実際。俺の都合だけで『学究会』の日程がズレる訳ないもんなぁ…」
その少年、名を上条当麻。あらゆる異能の力を打ち消す幻想殺しという特異な力を右腕に宿す点を除けば、どこにでもいる平凡な大学生。そんな彼は今、北欧神話の世界を妖精となって闊歩する、『Alfheim Online』という仮想世界に『カミやん』としてログインする一方、『学園都市研究発表会』通称『学究会』で発表する予定のレポートの作成に追われていた。本来であれば上条は、そのような学業の虫が集まるような場所には無縁も甚だしい。にも関わらず、彼がその学究会で一ヶ月後に発表を控えているのには理由があった
「ったく、なんでよりにもよって今回の学究会の会場がウチの大学になるんだ。そしてなんでよりにもよって、まだ二年に上がりたての俺なんかを特別発表者に任命しやがったんだ…あのクソ大学教授どもめ、死ぬまで恨んでやる」
彼がこぼした愚痴の通り、今回の学究会の会場は上条が通う大学に決定していた。そして学究会の恒例として、学園都市中から研究を認められて学究会に選抜された生徒以外にも、特別発表という枠で会場校の生徒が研究発表を行うという決まりがあった。そしてそれがなんの因果か、良くも悪くも『SAO生還者』という意味で方々から注目を浴びている上条当麻に、所属している大学の教授達が発表を任せたのだった
「なまじ吹寄にレポート手伝わせすぎたかなぁ…教授連中は俺がすっかり頭がいいと思い込んでやがる。因果応報と呼ぶべきなのか、持ち前の不幸が発揮したのか…まぁこんな愚痴言ってレポートが終わるんなら世話ねぇわな。どれ、もう一踏ん張り…」
「あれ?珍しいな、カミやんだけか」
上条が自分の頬を叩き、気を引き締め直して再びモニターに向き直ったところ、ログハウスの玄関が開いた。するとそこには、上条と同じスプリガンの妖精に扮したキリトの姿があった
「ん?おぉ!キリト!なんかすげぇ久しぶりじゃねぇか?ここにログインしてくるの5日ぶりぐらいだろ」
キリトの顔を見た上条は思わず驚きの声をあげた。彼がそうなるのも無理はない。なにせ自他共に認める重度のゲーマーであるキリトが、ここ最近はほとんどALOにログインしていなかったからだ
「ははっ、ちょっと野暮用があってな。カミやんの方は何やってるんだ?」
「見ての通り、大学のレポートだよ。諸般の事情で学園都市の学生同士の学会みたいなところで発表しなくちゃならなくってな。本番は1ヶ月後なんだが、諸々の準備のために発表するレポートの締め切りは後一週間なんだよ。もうこんなのカミやんさんにとっては不可能だよ」
「えっ?カミやんってそんな舞台で発表するほど頭良かったか…?」
「お前分かってて言ってんだろ」
「まぁな」
からかい半分でケタケタと笑うキリトを見て上条は特大のため息を吐くと、A4サイズの用紙5枚目に差し掛かっている書き途中のレポートを一番上までスクロールし、その論題が見えるようにすると、キリトの方へブラウザウィンドウを走らせた
「色々理由はあんだけど、大学側が俺に発表を任せたのは多分その論題のせいだよ。その論題がそのまま学会のテーマになってんだ」
「どれどれ…はぁ〜、なるほどなぁ。これなら確かにカミやんに白羽の矢が立つわけだ」
「『仮想世界の未来について』だってさ。なんでかわかんねぇけど、俺がSAO生還者だって大学で言ったことないにも関わらず大学中で噂になってるしよぉ。俺は別にキリトみたいに仮想世界の技術とか、知識うんぬんについてそこまで明るいわけじゃねぇんだけどなぁ…」
『仮想世界の未来について』というのが、今回の学究会のもっぱらのテーマ、もとい議題として取り上げられていた。そうもなれば大学側が上条に白羽の矢を立てるのは必然といえば必然だった
「最初はここらで評価でも上げておくのも悪くないかってな感じで、いつも通り吹寄に手伝ってもらえると思って安請け合いしたけどよぉ、いざ相談してみたら『私は仮想世界については本当にさっぱりだから、今回はアンタが独力で頑張りなさい』って言われちまってな。まぁそれはいいんだよ?だけど!だけど!美琴とかリズに頼み込んでみたら『学究会で赤っ恥かくアンタが見てみたい』とか言って断ったんだぞ!いくらなんでも酷すぎないか!?」
「うーん、正直に言うとそれは俺も見てみたいかも」
「カミやんさんの味方少なすぎでは?」
「でもそれはある意味仕方ないだろ。本来はカミやんが自分で受けたものなんだから、最後まで自分の力で頑張れよ」
「そう言われてしまうとぐうの音も出ないのも事実ですがね…」
いつかの死銃事件で黄泉川から受け取った報酬金も生活費や食費などであっという間に底をつき、元が貧乏である彼が自分のパソコンなど持っているはずもなく、取り付く島もなくなって仮想世界に缶詰になってレポートと睨めっこするのにそう時間はかからなかった
「まぁそういうわけだから、久しぶりなとこ悪いが今日はクエストなり狩りには付き合えねーや。他のみんなが来るの待っててくれ」
「ん、分かった」
「じゃ、そのウィンドウこっちに投げてくれ」
「・・・仮想世界の未来について…か」
上条の事情を承諾したキリトは、返却を要求されたレポートを下にスクロールしながら適当に流し読みした。そして一番下までたどり着くと口中で小さく呟き、ウィンドウを閉じた
「・・・は!?ちょ、おいキリト!なんでウィンドウ閉じたんだよ!?それちゃんと保存したか!?」
「そう心配するな、ちゃんと保存したよ」
「な、なんだそうか…危ねぇなマジで冷や汗かいたぞ…」
「それよりもカミやん。何時からレポート書いてたか分からないけど、もう昼の一時だ。俺が言うのもなんだけど、根詰めすぎるのもあんまり良くない。たまには二人で街の店に昼飯でも食いに行かないか?」
「え?なんだもうそんな時間か…だけど珍しいな。キリトの方からそんな風に飯に誘ってきたことあったか?」
「たまにはいいだろ。アスナの料理の味の良さだって、他の料理と比較するからありがたみを感じるんだ。で、どうだ?」
「そうだな、なんだかんだで朝の9時からぶっ通しだし、ここらで一服するか」
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「・・・うむ。プレイヤーが経営する店なだけあって結構な手前でございますな」
「ははっ、お褒めに預かり光栄でございます」
「別に作ったのはお前じゃないだろ」
「だけどこの店を勧めたのは俺じゃないか」
「まぁそりゃそうだ」
その後、転移門をくぐりユグドラシルシティへと繰り出した上条とキリトは、キリトの勧めた店へ入り昼食を済ませ、それぞれ食後に上条は紅茶を、キリトはコーヒーのカップを手にしていた
「そんでぇ?本当は何か目的があんだろ」
「・・・やっぱりお見通しか」
「普段飯よりゲームを気にかけるお前が、男とサシで飯食うなんてガラじゃないだろ。まして相手が俺ならなおのことな」
「ははっ。信頼されてるな」
上条とキリトは、付き合いこそまだ一年程度しかないが、ALOでは共に死線をくぐり抜けてきたこともあり、一年の付き合いとは思えないほどの悪友で互いの理解も深い。だからこそ上条はキリトがこんな風に自分を連れ出したのは理由があると分かっていた
「さて、話の本題は?」
「カミやんはさ…『人間の魂』ってどこにあると思う?」
「・・・はぁ?」
上条は思わず語気を強めて、『コイツ何言ってんだ?』と言わんばかりの口調で言った。あまり無闇に友人にそんな態度を取るのは上条とて不本意だが、それなりに付き合いが深い悪友がなんの脈路もなく、人間の魂だなどとカルト宗教じみたことを口走れば心配にもなるというものだ
「えっと…お前なんか変な宗教に勧誘されたりとかしてないよな?赤い長髪で頬にバーコード入ってて、変なカード持ってる神父風のヤツとか」
「まさか。俺はただ純粋に仮想世界の未来についての話をしてるのさ」
「・・・いやそれ俺のレポートのテーマだよな?俺そんな魂うんぬんなんて書いた覚えないし、もっと意味わかんなくなったんでせうが?」
「ま、そうだよな。じゃあ大元のところから説明するよ。今俺がテストを受けてる真っ最中の、新型フルダイブシステムのブレインマシンインターフェースについて」
「あ、あ〜…えっと、俺はその手の横文字とか用語があんまり分かんねぇんだけど…要するにそれは噛み砕いて言えば新しいゲーム機なんだよな?キリト達の世界の方のアミュスフィアの次世代機ってとこか?」
「当たらずも遠からず…だな」
キリトはコーヒーカップを持つ手とは逆の手で上条を指差すと、カップを一度置いて軽く咳払いし、神妙な面持ちで口を開いた
「次世代機であることは否定しないけど、アミュスフィアみたいな家庭用の…ましてアミューズメント向けじゃない。とにかく機体がデカくてな。多分この店がいっぱいになるくらいはある」
「へぇ…ってことはメディキュボイドみたいな業務用か?」
「いや、まだそれ以前の段階だよ。そもそも厳密に言うと、現行のフルダイブ技術とはほとんど別物なんだ」
「今のフルダイブとは別だぁ?キリトの口振りから察するに、仮想世界を生み出してそこにプレイヤーをダイブさせるのは変わらないんだろ?」
「ははっ、いいねその反応。こういう基本のキも分からないヤツに説明するのは結構楽しいな」
上条が靄のかかったようなキリトの話を聞きながら眉を潜めていると、その表情を見たキリトが心底楽しそうに口角を上げて笑った
「悪かったな、仮想世界の基本も分からないようなやつが学会で発表するレポート書いてて。それで?そこまで言わしめるその機体が作る世界はどんな感じなんだよ?」
「あぁ、実は知らないんだ俺」
「・・・なんて?」
「機密保持のためなんだろうけど、そのマシンが作るVRワールド内の記憶は、現実には持ち出せないんだ。だから俺はテスト中にどんな物を見たのか、一切合切忘れてる」
「な、なんだそりゃ!?」
本能的に叫んでしまった上条はテーブルから身を乗り出していた。おかげで手に持っていた紅茶が少しカップから漏れ、慌てて布巾でテーブルを拭くとキリトの方に向き直った
「おいおい、それなんかヤバいテストなんじゃねーのか!?機密保持のためなら俺とかに話しちゃダメだろ……ってそっか、住む世界が違うからいいのか?」
「まぁ別に守秘義務とか秘匿義務の誓約書にサインしたわけじゃないし、中の事情が漏れなきゃ別にいいんだろ。どうせ後には世間に向けて発信される技術なんだろうし。まぁ上やん達の世界には関係ないかもしれないけど」
「にしても記憶を持ち出せない、か…。実際覚えてないんだから出来るんだろうけど、そんなことどうやってんだ?実験始まる前に催眠術でもかけてんのか?」
「そこで俺がカミやんにした最初の質問に話が戻る。この技術の名称…『ソウル・トランスレーション』テクノロジーについて」
「・・・ソウル…魂?」
どこかのRPGの呪文か魔法の類のパクリなんじゃないかと上条は思った。最新のテクノロジーに関連する言葉にしては、響きがなんともオカルト染みていて違和感を感じていた
「俺も初めて聞いた時はなんつう大袈裟なネーミングだとは思ったけど、これが大袈裟でもないんだよ。最初の質問を少し変えて聞いてみようか。カミやんは『人間の心』ってどこにあると思う?」
「魂の次は心かよ…でもそれどっちも似たようなもんじゃねーの?」
「まぁその定義の話は一旦置いといて、とりあえず答えてみてくれよ」
そう言われた上条は目を閉じて腕を組むと、口をへの字に曲げて唸りながら思考を巡らせた。そして2、3秒経ったところで後ろ頭を掻き、静かに答えた
「まぁそれはなんつーの…頭…ひいては脳みそなんじゃねーの?考えごとする時は頭使うわけだし」
「ん。脳ってのは、いわゆる脳細胞の塊だよな。じゃあその脳を拡大したところで、心はどこにあると思う?」
「どこって言ってもな…言っとくが、超能力を生み出した俺達の科学でも具体的な説明ついてねーんだぞ?逆にキリトは分かるのかよ?」
「ははっ、質問を質問で返されると痛いな。正直いうと俺も最近までは分からなかったし、そんなことマジメに考えたこともなかった」
「・・・最近までは?」
「ああ。この心の在りかについて、ある理論を用いてその答えに迫った人間がいる」
「まぁ人間について聞いても俺んとこの世界にいるわけないからいいとして…その理論っつーのは?」
「『量子脳力学』。元々は前世紀の末頃にイギリスの学者が提唱したものらしいんだけどな。長い間キワモノ扱いしてたその理論を下敷きに組み上げたのが、『ソウル・トランスレーター』だ」
「ソウル・トランスレーター…それが新型フルダイブ技術を搭載しためちゃデカイ機体の名前か?」
「あぁ。それでここから先は俺もほとんど理解しちゃあいないんだが、さっき脳細胞がどうのって話をしたろ?」
「あぁ。心が脳細胞のどこにあるかって話だろ?」
「その脳細胞にも、構造を支える骨格がある。それを『マイクロチューブル』って言うらしいんだが、どうやらその骨はただの骨じゃなくて…言ってみれば、脳細胞の中の脳細胞なんだ」
「おいおい、文系のカミやんさんにそんな医学部みたいな話をするんじゃねーよ…吹寄の方がもうちょい分かりやすく説明するぜ?」
「だから言ったろ、俺もそんな理解してないって。分かってないものを分かりやすく説明出来るわけがない」
「開き直りやがったよコイツ…」
ただでさえ自分とは縁遠い話で頭がパンクしそうだった上条だが、話を切り出した当の本人がこの始末だと分かると途端に特大の溜め息を吐いた
「それでそのマイクロチューブルは、チューブって言うだけあって中空の管なんだ。その骨は、もちろん超微細で何ナノメートルとかいう単位の話だけど、空っぽじゃなかったんだ。その管の中には、封じ込められているモノがあるんだよ」
「その封じ込められてるモノとは?」
「『光』さ」
「・・・光ぃ?細胞そのものが光ってんのか?」
「厳密に言えば光子…『エバネッセント・フォトン』って言うらしい。光子ってのはつまるところ量子だ。その存在は非決定的理論であり、つねに確率論的な揺らぎとしてそこにある。揺らぎそれこそが人間の心なんだそうだ、問題の理論が言うには」
「・・・もう何が何だかカミやんさんには分からん」
ついに理解しようとすることに匙を投げた上条は、カップを手に取り紅茶を一気に飲み干すと、空になったカップをテーブルに叩きつけた
「まぁ俺も聞いた時はそうなったよ。でもそれは開発した側も同じさ。だから分かりやすく名前を付けたんだ。その光子が集まってできた集合体、もしかしたら人間の魂かもしれないものにな。揺れ動く光…英語にして『Fluctuating Light』。略して…」
「『フラクトライト』」