「今エレベーターを呼ぶんだね」
美琴達はその後、入院病棟から中央棟へと移っていた。そして、先頭を歩いていた冥土帰しが、三階の東側にあるエレベーターに辿り着くと、下矢印のボタンでエレベーターを呼び出し、中に誰もいないのを確認してから三人全員で乗った
「ポチッとな」
そして冥土帰しはボタンのある角に立つと、現在滞在している階数が表示される電光掲示板を鍋蓋のように取り外し、その中にあったボタンを押した
「なっ!?」
「ふっふっふ。秘密基地みたいでカッコいいだろう?男の子は大きくても小さくても、こういう仕掛けに憧れるものなんだね」
後ろに立っていた美琴がそのボタンの在り処に驚愕すると、冥土帰しが振り返って笑いかけた。そしてエレベーターが本来辿り着ける地下一階を過ぎてもエレベーターはどんどん下降していき、どれだけ地下に潜ったのかも分からないような場所で止まった
「さ、こっちだ。もうすぐそこだね」
エレベーターの仕組みは如何にも秘密基地のようだったが、その先に辿り着いた場所は見知った病院と何ら変わらない内装が施された廊下だった。そのまま15メートルほど歩くと、ガラス張りになって中の様子が外から伺える病室へと辿り着いた
「・・・メディキュボイド?それもこんなに…」
「外面はね。けれど、内面は全くの別物だね」
「・・・?」
美琴は、その機械をニュースなどのマスメディアで目にしたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。白の塗装が施された、およそ医療機器とは思えない大きさの機械が5台も横並びになっているのを漠然と見つめるばかりで、その内の一台の中央に寝そべって首から上を丸ごと突っ込んでいる人間がいることに気づくのに時間がかかった
「ッ!?ちょ、あれって…!」
「あぁ。君がこの1週間ずっと探していた、件の彼だね」
「ど、どうして!?アイツ、どこか悪いんですか!?なんでよりにもよってメディキュボイドなんかに…!」
「だから言っただろう。それは外面だけで、内面は全くの別物だとね」
「・・・え?」
「まずはこちらの部屋に入ろう。暖かいお茶でも煎れるね」
そう言うと冥土帰しはメディキュボイドの置かれた病室の真隣にある一室のドアのノブを捻り、中へと入った。そして入って一秒経つ頃には、美琴は衝撃で言葉を失っていた。その部屋は学校の体育館ほどはあろうかというほど広く、向かいの壁には映画のスクリーンほどはあろうかという巨大なモニターを中心に、20インチほどのモニターが隙間なく取り付けられており、部屋全体を見渡しても電子機器でないものを見つける方が困難だった
「こ、これは…本当に秘密基地だって言われても信じるわよ私は…」
「こちらの研究室は間口45メートル、奥行き28.7メートル、高さ13メートル、総面積1291.5㎡の広々空間です。と、ミサカはこの部屋の広さを説明します」
「吹寄君、お茶を煎れてもらってもいいかね。君と僕と御坂君、それと、もう一人の御坂君に」
「・・・吹寄さん?」
美琴はその名に聞き覚えがあった。自分が探し続けた少年が、よく世話になっていると話しており、自分が悪夢のゲームから目を覚ました後に友人となった女性の名だった。まさか、と思いつつ彼女は冥土帰しの後ろから少し横脇にずれると、眼鏡をかけて白衣を身に纏う女性を視界に捉えた。その女性は、肘掛けとリクライニングまで付いている、いかにも高級そうな黒革の椅子に座した吹寄制理その人だった
「・・・なるほど。分かっていたこととは言え、ついに彼女がここまで辿り着きましたか。しかし平日のこんな時間に来るとは…まぁ学校なんか行く気にもなるわけないか。分かりました、今煎れてきます」
「ちょっ…なんで吹寄さんがこんな所にいるのよ!?」
「まぁまぁ。それも含めて一から全部説明するから。あ、それと彼女はもう君の妹さんについては僕が説明してちゃんと理解してるから、その心配はいらないね。さぁ、こっちに座って」
美琴はこの場に対する疑問が尽きなかったが、冥土帰しはそれを分かった上であからさまにはぐらかしている気がしてならず、仏頂面で睨みつけた。だが、とりあえずは冥土帰しに勧められるがまま彼が差し出した椅子へ腰掛け、間も無くして吹寄が4つの湯呑みを乗せた盆を片手に戻ってきて、冥土帰しと自分のクローンも適当な椅子に座り、彼女からお茶を受け取った
「御坂さん、どうぞ。煎れたてで少し熱いから気をつけてね」
「あ、ありがとうございます」
美琴は吹寄から差し出された湯呑みを丁寧に両手で受け取ると、息で冷ましながら一口飲んだ。煎れていたのは緑茶だったのか、少し苦味が効いていたが、それなりに良い茶葉を使っているのは、お嬢様校に身を置いているなりに分かった。そして吹寄も元いた場所に座り直したのを見ると、冥土帰しは軽く喉を鳴らして話し始めた
「さて、どこから話そうか。参考までに聞きたいんだけどね、御坂君は一体どこまで僕たちの事に察しがついているのかね?」
「・・・プロジェクト・アリシゼーション 」
美琴が都市伝説の掲示板で見つけた全容の知れない計画の名を口にすると吹寄が「ヒューッ」と外人が感心するように口笛を鳴らした
「まさかそこまで調べ上げてるなんて…流石は学園都市序列第3位のレベル5ってとこかしら。これはちょっと私たちの方が分が悪いんじゃありませんか先生?」
「まぁまぁ。いくら学園都市の秘密裏の研究だったとはいえ、もう4年も前のことだし、ネットを這いずり回ればあるいは…と思ってはいたんだね。では御坂君は、STLの概要はもうご存知と思っていいのかな?」
「・・・隣の部屋で眠ってるヤツが書いたレポートの内容程度には」
「ふむ…では具体的なプロジェクトの過程については?」
「それについては、私が見たのは都市伝説の掲示板に書かれていた情報だけです。掲示板が掲示板なので、イマイチ信憑性に欠けると思います。ですから、先生の口からご説明いただけるなら是非」
美琴がそう言うと、冥土帰しは自分より奥側に座る吹寄の方へと目配せした。その視線の意味を理解すると、吹寄は手にしていた湯呑みを近くのデスクに置いて口を開いた
「御坂さん。あなた、人工知能についてはどれくらい見聞がある?」
「・・・まぁ、人並み程度くらいには」
「人工知能を開発するにあたって、アプローチの方法が二つあるってことは知ってる?」
「それって要するに、人工知能のタイプは二つあるってこと?」
「そ。シュークリームの生地というハードに、生クリームというソフトか、はたまたカスタードクリームという異なるソフトを使うか…って感じかしら」
「・・・ごめんなさい、それは初耳。詳しく説明してほしいわ」
「おっけ。二つのアプローチの内、一つは『トップダウン型』。これはプログラムに知識と経験を積ませて、学習によって最終的に本物の知性へと近づけよう。って代物よ」
「・・・それってもしかしなくても、普段私たちの身の回りを取り巻いてる人工知能がそれ?」
「まぁ大雑把に言えばそうね。学園都市を歩き回ってる清掃ロボットが普段通るコースだったりっていうのは、プログラムされてるのも勿論あるけど、より効率的にゴミを拾ったり、邪魔な障害物は避けられるように搭載してる人工知能が学習してるの」
「ってことはつまり、現在で人工知能と呼べるものの殆どがそのトップダウン型…ってことね」
「ご明察。でもトップダウン型は学習してないことには適切に対応できない。つまり現状では真に知能と呼べる物ではないわね」
「じゃあ…もう一つの方は?」
美琴が聞くと、吹寄は肘掛けから手を上げ、ここからが本題だと言わんばかりに擦り合わせた両手を美琴の方へ差し向け、身振り手振りを交えながら話し始めた
「そしてもう一つが『ボトムアップ型』。このボトムアップ型人工知能は人間の脳、1千億個近くある脳細胞が連結された生体機関の構造そのものを人工的に再現し、そこに知性を発生させる方法よ」
「・・・えっと、吹寄さん。吹寄さんは私の隣に座ってるこの子の事情をもう知ってる…ってことでいいのかしら?」
「ええ。一緒にここで先生のお手伝いをするにあたって、先生から説明されたわ。御坂さんの妹さんが後1万人近くいることもね。でも安心して。私はそれで御坂さんのことを軽蔑したりなんてしないわ。私もある意味では同類だしね」
「えぇっと、それはとてもありがたいんですけど…それを知ってる上で、脳までことこまかに再現されてるこの子達が、私と同じに見えます?」
「分かってるわよ。だから4年前まではこの脳を再現する技術は、例えあったとしても不可能だと思われていたわ。だけれどここにいる先生がその鍵を見つけた。人間の魂、私たちが『フラクトライト』と呼ぶ量子波を、脳外科の研究の片手間に発見したの」
「・・・え、ええっ!?」
その話を聞いた美琴は目を点にして驚かせていた。それもそのはず、上条のレポートで初めて聞いた単語がなぜ四年も前の都市伝説のサイトにあったのか疑問に思っていたが、それを見つけていた張本人が目の前にいるとは思いもしなかった
「けれど、発見した先生の論文を学園都市の統括理事会が強奪。自分達の研究にしようとして、決して表沙汰にしようとしなかった」
「人の研究を横取り…か。よくある話ね」
「まぁね。だけどこの先生お人好しだから、『僕にとってはあんなものより目の前の患者の方が大切だ』って、その時は特に気にもせずその論文あっさりと渡しちゃったらしいのよ」
「じゃあ…アイツがあんな論文を書けたのは…先生の入れ知恵…?」
「ううん、それは違うわ。あのレポートは上条が本当に自力で書いたものよ」
「・・・嘘ぉ」
美琴が深い疑いの眼差しを向けながら嫌味な声で言うと、吹寄は特に否定もせず深く頷いて続けざまに言った
「それに関しては本当に同感。でもアイツは本当にフラクトライトがあるのか半信半疑で、私にそれを探すように言って来たのよ。それで私はちょこっと機材を借りて、自分の脳のレントゲンやらCTやらMRIやらを撮影して、写真と睨めっこして探しまくったのよ」
「でも、いかんせんマイクロとかナノの単位の世界の話だから、そんなもん自分の脳みそ取り出して顕微鏡突っ込まなきゃ分かるかー!ってサジを投げようとしてた時に、先生が声をかけてきたの」
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『あれ?吹寄君、君将来の希望は外科か小児だって言ってなかったっけ?自分の脳のCTRなんか見て、脳外科に興味でも湧いたのかい?それとも自分の頭に病気でもあるのかと不安に?』
『あーいえ、そんな大したことじゃ。なんか上条のヤツが、脳細胞の中にフラクトライトなる光子があって、それを探してくれって言われて…だけどそんなこと言われたところで全然分かんないですよ。そこまで言うんなら前頭前野にあんのか、右脳なのか左脳なのかくらい教えろー!って感じなんですけど…わひゃっ!?』
文句を垂れながら自分の脳のCTRを見続けていた吹寄の両肩を、冥土帰しが思いきり鷲掴みにした。それに驚いて素っ頓狂な声を上げる吹寄を無視し、椅子ごと彼女を自分の方に向かせると、信じられないものを見たような目で吹寄に聞いた
『吹寄君…上条君は、それを一体どこで…!?』
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「ってな具合にね。だからその後に先生から話の詳細を聞いた私は本当に驚いたものよ。まぁあの時の先生の必死の形相にも死ぬほど驚いたけどね」
当時の様子を思い出しながら吹寄が語ると、冥土帰しも恥ずかしそうに痒くもない後ろ頭をポリポリと掻いていた。けれどそれを聞いた美琴はますます頭がこんがらがってしまったのか、眉間により一層皺が寄っていた
「なるほど…でも、じゃあなんでアイツが自力であんなものを書けたの?吹寄さんはアイツに『フラクトライトがある』って後で教えたのよね?それでその時にその詳細を教えたわけじゃあ…」
自分の中で立てていた推論が音を立てて崩れていくのが何となく癪で、上条があんなレポートを手がけたのが嘘に思えて仕方ない美琴は最後まで抵抗を試みたが、それにトドメを刺すように、吹寄が大きくかぶりを振って言った
「違うわ。私は本当にフラクトライトは『ある』って教えただけなの。そしたら上条は『そっか、教えてくれてありがとな吹寄。それさえ分かればもうレポートは完成だ』って言ったのよ」
「・・・え?」
「そりゃそうなるわよね。私も先生も同じで、もうチンプンカンプンだったわ。だからいっそのこと、上条のレポートを見せてもらおうって話になったの。私が添削してやるって話したら、アイツは快くレポートのデータをくれたわ。そしたらそのレポートには…」
「待った、ありがとう吹寄君。そこから先は僕が話すんだね」
そこまで言って、吹寄の前に冥土帰しが自分の手の平を翳して待ったを促した。吹寄は床を軽く蹴って椅子のキャスターをテーブルの方へと転がすと、テーブルの上の湯呑みを手にし、少しぬるくなって飲みやすくなった緑茶で喉を潤した
「話を少し巻き戻させてもらうんだね。それで僕は偶然にもフラクトライトを見つけたわけなんだけど、どうやらこれが僕がコレを見つけられたのは偶然どころか奇跡と呼べるほどの事例だったらしい。僕の論文を元に研究を始めた機関は、やれこんなん見つかるわけない、やれこんなもの嘘っぱちだとサジを投げ始めた。それもそのはず、そもそも彼らにはフラクトライトを観測および干渉する術がなかったからね」
「まぁそりゃ…ミクロとかナノの話だって吹寄さんが言ってましたもんね。そんなの顕微鏡でも見えるのかどうか…というか、そんなもの先生はどうやって見つけたんですか?」
「いやいや、本当に見つけようとして見つけたんじゃないんだ。実は四年前の夏、とある稀有な能力者が急患で運び込まれてね。何とか一命は取り留めたけれど、脳に損傷が残ってしまった故に、半身不随に陥り、言語機能、演算能力を失ってしまったんだね」
「けれど本人や周囲の希望もあり、私はその能力者の為に演算補助デバイスを作ることにしたんだね。その為にその子の脳細胞をくまなく研究したんだが、いや脳の構造が実に良く出来ていて見やすかったね。『自分だけの現実』もとても強固で、それに呼応するように脳の中で揺れ動く光のようなものを見た…という訳だよ。まぁ、その能力者が誰か、君ならもう分かっているかもしれないけどね」
冥土帰しは自分の右手で首元を摩りながらそう言った。そんなヒントをくれなくても、美琴はもうその人物が誰か大体の見当がついていた
「もしかしなくても…一方通行の奴ですよね?」
「その通り。まぁ彼の事情やその経緯はこの際二の次なんだね。重要なのは、フラクトライトを観測するには現代に存在する機器では不可能だということ。だからそもそもの前提を失ったプロジェクト・アリシゼーションは、早々にお蔵入りになった訳だね」
「ところが、上条君が僕と吹寄君の所に送ってきたレポートの中には、その観測する方法までちゃんと書いてあったんだね。当時の学園都市の科学の粋を結集した機関でも開発不可能だったその方法を、上条君は知っていた。それが…」
「STL…ソウル・トランスレーター…」
美琴は全ての伏線が脳内で繋がっていく奇妙な感覚を体に覚えながら、全ての元凶となった機械の名を口にした。そして冥土帰しはその呟きを繋げるようにして続けた
「その通り。そして上条君のレポートを参考に、院内にあった何台かのメディキュボイドをちょっといじって、試験運用の物を4台、フルスペック版のSTLを1台完成させた。そしてついでに災害用の地下シェルターだったこの部屋と隣の部屋もそれに合わせて魔改造した、ということだね」
「改造したって…言ってもアイツのレポートに書いてあったのなんて大まかな理論くらいで、そんな設計云々やら、細かいことは書いてなかったと思いますけど?」
「それは勿論そうだね。でもフラクトライトを発見してそれなりに見聞を持っていた僕にとっては、仕組みさえ分かればそれで良かったんだね。それに加えて僕には、君の妹さん達という優秀な助手がいたからね。この設備のセッティングに際しては、学園都市の外に出てる子も何人か呼んで手伝って貰ったよ」
「いえーい。と、ミサカは自ら優秀であることをアピールします」
そう言って冥土帰しは、入り口から見て一番手前に座るミサカ10032号へと手の平を差し出し、ミサカ10032号は真顔でVサインを自分の姉へと向けた。その仕草に美琴は呆れたように後ろ頭を掻き回すと、気を取り直して冥土帰しに話しかけた
「経緯は分かったわ。で、お次は?この場合私は今後の方針でも聞けばいいのかしら?」
「まさか、悪いけどまだまだ昔話は続くね。STL開発を足がけとして本格的にフラクトライトの研究を始めた我々は、人間の大脳とほぼ同じ容量の記憶が可能な『光量子ゲート結晶体』…通称『ライトキューブ』の開発に成功した。ここまで来れば、ボトムアップ型人工知能の開発は成功したも同然だと考えた。頭の良い君なら何故か分かるね?」
「容量に見合う器があるなら、後はそこに移すだけ…そういうことね?」
「その通り。事実、僕たちは既に人の魂の複製に成功している訳だね」
冥土帰しのその言葉に、美琴は微かな戦慄を覚えて生唾を飲み込んだ。しかし、この場において動揺は相応しくないと誰よりも彼女自身が理解しており、それを気取られないように椅子の背もたれに寄りかかり、肘掛けを使って頬杖を突くと、オマケとばかりに大袈裟に足を組んで相手を威嚇するような強めの口調で言った
「なら、こう考えるのは私が頭が良いからなのかしら。人の魂を複製して、開発は成功したも同然だって先生は言ったわよね。なら、なんでアイツは隣の部屋で、得体の知れない機械に頭を突っ込んでるのかしら?」
その時、姿勢を変えたことで美琴の視線は多少なりともズレていた。その視界の隅には、冥土帰しの奥に座る吹寄の姿がボンヤリと見えていた。美琴の視界にたまたま入った彼女は、自分の言葉を聞いて湯呑みを握る両手に力みが増したように見えた
「それが僕らの愚かな勘違いだった。人間のコピーと真の人工知能の間には、途方もなく深く広い谷がが広がっていたんだね」
「深く広い…谷?」
「吹寄君。例のアレ、もう一回いいかね?」
冥土帰しは椅子ごと振り返って吹寄に言った。それに釣られるように美琴も視線のピントを吹寄の方へ変えると、あからさまに怪訝そうな顔を見せる彼女が最初に映った
「えぇ〜…?先生の口で説明…出来るもんでもないか。仕方ない…」
心底嫌そうに眼鏡のブリッジに手をかけてレンズの位置を修正すると、薄暗いこの部屋でも一際目立つ漆黒に染められた、見るからに高性能なデスクトップPCのキーボードへと女性らしい細い指を走らせた
「御坂さん、向こうの壁にある一番大きいモニター見てて」
「え?あ、はい。分かりました」
美琴は吹寄に言われるがまま、椅子ごと身体をモニターだらけの壁に向け終わるのと、それとほぼ同時に吹寄がエンターキーをタン!と叩く音が聞こえた。すると吹寄はパソコンに接続されっぱなしだったインカム付きのヘッドホンを頭に付けると、自分もまた御坂と同じようにモニターの方に向かい合った
「調子はどう?吹寄制理さん?」
「・・・はぁ?」
横でいきなり自分自身の体調を自分に聞いた吹寄に、美琴は思わず突飛な声をあげた。独り言にしたって、もうちょいマシなものがあるだろうなどと考えていると、彼女に見ていろと言われた室内で一番巨大なモニターに、様々な彩色が施された粒子が集合した球体が映し出され、吹寄の声に反応するように不規則に伸縮した
『サンプリングは終わったのよね?概ね良好って感じかしら』
そこで初めて、美琴は吹寄の独り言が独り言ではないことに気づいた。四方八方に取り付けられたスピーカーから、金属質なエフェクトがかかった声が発せられた
「そう。それは結構なことだわ」
『でも、どうしたのかしら?辺りが真っ暗だわ。それに身体も動かない。STLの異常?悪いんだけど、一旦機体から出してもらってもいいかしら?』
なおも吹寄がインカムを自分の口に近づけながら話しかけると、やはりそれに応対するように球体が揺れ動き、スピーカーから声が聞こえてきた
「残念だけど、それは出来ない相談だわ」
『・・・言ってる意味が分からないわね。私がそんなことを言われる覚えはないわ。私に喋りかけているあなたは一体誰?』
「私は吹寄制理よ。あなたと同じ、ね」
『・・・・・』
モニターに映る光の球体が血のように赤く染まり、突然トゲを生やしたような攻撃的な形状に姿を変え、先ほどとは打って変わって激しく憤るように大きく脈動し始めた
『はぁ!?冗談じゃないわ!私が吹寄よ!ここから出れば分かることだわ!』
「少しは落ち着きなさい。私のコピーらしくもない」
冷徹な彼女の言葉に、美琴はハッと振り返った。そして、目の前の彼女と似通った声色でノイズ混じりに叫ぶ球体を見て、それは聞き間違えでないことを悟った
『嘘…そんなの嘘よ!私は私のままなのに!コピーならコピーだと実感できるハズでしょう!すぐに私をここから出して!私を語る貴様のその化けの皮を剥ぎ取ってやる!』
「だからさっきも言ったでしょう。それは出来ない相談なの。分かったら、まずは落ち着いて話を……」
『ねぇ、そんなの…そんなのってあんまりじゃない?じゃあ私は一体なんの為にここにいるの…?こんな暗くて、狭くて、独りぼっちで、怖い場所で…死ぬまでここから出られないの…?嫌よ…嫌…否…イヤ…いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁAAAAAaaaaa!!!!!!…………………』
今にも泣き出しそうなくしゃくしゃな声になったかと思えば、次の瞬間にはそれが耳障りな断末魔へと変わり、モニターの中にいる鮮血で染まった球体が中央から爆散した。映す物がなくなり暗転したモニターと、小さなノイズを残すスピーカーを尻目に、吹寄は深いため息を吐いてヘッドホンを外した
「・・・消滅。1分18秒」
「・・・・・」
しんと静まり返った部屋に、美琴は喉の奥から何かがせり上がってくるような奇妙な感覚を覚え、湯呑みに残っていた緑茶でそれを無理やり押し戻した
「協力ありがとう、吹寄君。それとすまなかったね御坂君。悪趣味極まりないと思うだろうけれど、こればっかりは直接観てもらう以外には説明がつかなかったんだね」
「・・・ええ、その気持ちは分からなくないわ。私も最初にこの子を見た時のことを詳細に説明しろ…なんて言われても、正直自信ないもの」
美琴は額に滲んでいた脂汗をブレザーの裾で拭いながら、先のモニターを見ても顔の筋肉一つ動かしていない自分のクローンを見つめながらそう言った
「結果から言うと、僕を含め数人のフラクトライトの複製を試したが、例外なく己がコピーであるという認識に耐えることはできなかったんだね」
「・・・さっきのがその実例ってことね」
「その通り。だが、そこで僕が気づいたのは君の妹さん達についてだ。事と次第によっては、君の妹さん達は脳の隅まで君そっくりに再現されている『複製』という如実な例であるのに、何度も自分と同じ顔と鉢合わせても別段取り乱すことはないね。なんでか分かるかい?」
「・・・!複製された時点で脳からフラクトライトが抜け落ちていたか、自分がコピーだと認識した時点で、今の実験みたいにフラクトライトが崩壊したから…!」
「ご名答。まだそのどちらが正解かは分からないが仮に後者であった場合、僕が思うに彼女達は漏れなく生まれてから間もない期間に『学習装置』で知識や人格形成をこれによって補うわけだね。この学習装置を使用した瞬間に、脳内のフラクトライトは自分が複製されたものであると自覚。コピーであるという認識に耐えられなくなって崩壊したのだと思うね」
「だからこの子達は自分の複製を見ても意に介さない…コピーだと認識するフラクトライトが、自分も知らない内に既に崩壊していたから!」
「まぁクローンの脳ではフラクトライトまで再現できないと言われてしまえばそれまでだがね。ちなみに19090号君には、過去に布束君に入力された感情データがあるせいで、他の子に比べれば情緒もそれなりにあるみたいだね。けれどそれも本人の体験した出来事を、脳が入力されたデータ通りの感情に変換して処理しているだけで、それをフラクトライトであると定義することは出来ないね」
「なんだか言葉だけ取るとヒデエ言われように聞こえます。と、ミサカはプンスカと腹を立てているように見せます」
「ごめんごめん。別にそんなの関係なしにアンタは私の自慢の妹だから、安心しなさい」
腕を組んで膨れっ面になったミサカ10032号に、美琴は左手を立ててごめんと謝りながら、残った右手で彼女の頭をわしゃわしゃと少し雑に撫でた。まるで本物の姉妹のような振る舞いに、二人を見ていた吹寄は口元が緩んだが、冥土帰しはそのまま話を続けた
「話を戻すと、フラクトライトの複製は不可能だったわけだね。では、まるごとコピーが無理なら、次はどうすればいいと思うかね?」
「・・・大体の想像はつくわ。生まれたばかりの新生児の、何も学習していない無垢なフラクトライトをコピーしたんでしょう?」
「ほほぉ…これは本当に驚くべき洞察力だね。最初に吹寄君が言った通り、これはいよいよ僕らは分が悪いかもしれない。その通りだね。幸いここは産婦人科も開いているから、保護者の同意さえ得られれば、後は困ることはなかったね」
「御託はいいわよ。もうここから先、何を言われてもそう驚くことないだろうから。次はコピーした新生児のフラクトライトを培養液に浸して、丁寧に育成しましょうって感じかしら?」
「君の方こそ謙遜はよした方がいいね。本当はそれも分かっているんだろう?上条君の書いたレポートの中に、それに打ってつけの物があったじゃないか」
まるでこちらの心の内を全て見透かされているような冥土帰しの視線に、美琴は鋭く息を呑んだ。ここに来るまで話す姿勢や口調でどうにか同じ土俵に立とうと必死だったが、もはやそれは不毛な努力だと分かった
「・・・STLが作り出す仮想世界…『アンダーワールド』ね」
「その通り。僕らはザ・シードを使って小さな村と周囲の地形を作り、アンダーワールド内の管理の為にカーディナル・システムを搭載。STL用に変換したそれを、上条君のレポートと同じくアンダーワールドと定義し、一番最初に作った村に当病院の医師男女4人に協力いただいて、STL内で18年間に渡って男女8人ずつ、計16人のAIの赤ん坊を育ててもらったんだね」
「・・・18年って言ったって、どうせこっちの時間じゃ3、4日かそこらでしょ?」
「うむ。上条君のレポートにもあったフラクトライト・アクセレラレーションの実現にも僕たちは成功した。限界で内部時間の流れを5000倍まで加速させることが可能になったんだね」
「5000倍!?」
もう何を言われてもそう驚くことはないと豪語していた美琴だったが、その数字には驚きを隠すことが出来なかった。しかし冥土帰しはすぐさま首を横に振ってそれを訂正した
「けれどそれはあくまで、実際に脳が負担を負うことはない…便宜上『人工フラクトライト』と呼ぶが、育てられた16人の人工フラクトライトである彼らのみの場合だね。僕の見立てでは、生体組織としての脳とは別に魂自体にも年齢があるんじゃないかと睨んでいる。だから協力してもらった男女4人がSTLにいた期間はおよそ一週間。内部時間の加速はおよそ1000倍に制限したね」
「・・・それだって十分早いと思うけどね」
「そしてあっという間に成長した16人の人工フラクトライト達は、皆とても従順で善良に育ち、次第には異性へ好意を持つ男女が現れたんだね。それを機に僕たちは16人の夫婦を互いに8組の夫婦とし10人前後の赤ん坊を与え、協力してもらった男女4人の医師は老衰で死去した…という触れ込みでSTLから出てもらったね」
「で、生身の人間がいなくなったから内部時間を5000倍に加速させた…と?」
「そうだね。8組の夫婦は自分達の育ての親に倣って、与えられた子どもをこれまた善良に育ててくれた。彼らの子息である少年少女達も、あっという間に成人して新たに家庭を持った。そうして子孫繁栄と世代交代を繰り返す内に、ついには人工フラクトライト自ら村を、街を作り上げていき、現実世界での3週間、内部世界での300年が経過した頃には人口8万人という一大社会が形成されるに至ったんだね」
「・・・そりゃ結構なことで」
「吹寄君、モニターに『セントリア』の様子を出してもらっても?」
「あ〜ちょっと待ってて下さい。今ちょっと『穴』直してるので」
「・・・穴?」
「あぁ、なにせ本当に急造品だからね。たまにアンダーワールドにデータ容量が足りないせいなのか、『電子の穴』のようなものが出来ることがあるんだ。まぁ特に問題があるわけではないがね」
「そりゃまたなんとも…アンダーワールドがアミューズメント向けの仮想世界だったら非難轟々でしょうね」
「て、手厳しいねぇ…あっはっは」
「はい、修正完了。じゃあ今セントリア出しますね…っと」
吹寄はパソコンのキーボードにカタカタと何かを入力していき、仕上げにエンターキーを押すと、今度は先ほどの実演に使った巨大なモニターだけでなく、その周囲に取り付けられた無数の小さなモニターにも電源がつき、それぞれがなんとも美しい街の情景を映し出した
「・・・これを、その人工フラクトライトが作り上げたって言うの?」
「驚きだろう?現在は実験開始から既に480年が経過し、ここ人界の首都セントリアの人口はアンダーワールド全体の約4分の1である二万人が暮らしているんだね」
「学園都市の人口には遠く及んではいないけれど、学園都市とは比べ物にならないくらい綺麗な街みたいね。どういう意味で、とは言わないけど」
「いや、全くもって君の言う通りだね。この街は美しく整いすぎている。君の言わんとしている意味も含めてね」
「え?」
皮肉混じりに言ってみただけだったにもかかわらず、冥土帰しは美琴の言葉を素直に肯定したため、美琴は戸惑いを覚えた。冥土帰しは長く喋って喉が渇いたのか、残りの緑茶を全て飲み干すと、一際大きくため息を吐いて話を再開した
「現時点で人工フラクトライトはボトムアップ型人工知能として期待どおり…いや、期待以上の成長を遂げてくれたね。これなら次の段階へ進むことができる…そう考えた矢先に一つの重大な問題が起こった」
「じ、重大な問題って?」
「法律よ」
いい加減聞きっぱなしの時間に飽きたのか、吹寄が冥土帰しと美琴の会話に割って入った。美琴は彼女の突然だった声に少し驚いたが、その驚きはすぐに吹寄の発した単語に対する疑問に変わっていた
「法律…?」
「人工フラクトライト達はね、私たちが気づかない間にセントリアに『公理教会』なる行政機関を設けて、『禁忌目録』という名の法律を作り上げてたの」
「そ、そんなことまで…」
「なんせ現実の5000倍の速さで動かしてるわけだから、気づいた時にはとっくに施工されてたのよ。そして、いざソイツに目を通してみると、そこには現実世界と同じように殺人を禁じる一項もあった。でも現実の人間がいかにそのルールを守らないかは、御坂さんも十分知っているでしょう?」
「まぁかくいう私も、法律よりよっぽど緩い校則にすら違反してるわけだけしね。街中でも問答無用で能力ぶっ放す時だってあるし」
「ところが、これを人工フラクトライト達は従順なまでに守るのよ。もはや守りすぎるほどにね。道にはゴミの影すらないし、泥棒は1人としていない。殺人なんて以ての外」
「これが僕たちにとっては非常に問題なわけだね。プロジェクト・アリシゼーションの目的に既に目を通している君なら、それが何故か分かるね?」
「・・・第三次世界大戦で人を殺せる人工知能の作成…そのためのボトムアップ型人工知能、ひいては人工フラクトライトだからでしょ?」
美琴の言葉に、冥土帰しは実にバツの悪そうな顔を浮かべたが、やがてゆっくりと深く頷いた。そんな彼を見た吹寄もまた、どこか淀みのある視線を下にやった
「なら、なんで先生がわざわざこんなことをするの?第三次世界大戦って言っても、そんなの四年も前の話で、SAO騒動で学園都市を中心に世界中が混乱して、結局は開戦せずに終わった話でしょ?その時の計画をなんだって今さら掘り起こしたのよ?アイツの書いたレポートがあったから?」
「・・・それは、だね…」
「先生はね、もう決して長くないのよ」
疑問を投げかけた美琴に答えたのは、質問を受けた冥土帰し本人ではなく、吹寄の方だった。彼女の言葉と、それを彼女に言わせてしまったことに複雑な表情を浮かべる冥土帰しを見て、美琴はその言葉の意味を知った
「脳腫瘍。それも特大のヤツ。気づいた時には、もう手の施しようがない大きさにまで膨れ上がっていたの。手術したところで、とても摘出しきれない。例え摘出したとしてもその場しのぎにしかならないし、必ず何処かに後遺症が残る。いつ植物状態に陥ってもおかしくない」
「僕の腕だったら問題なく全摘できるんだけど、それは他人だったらの話でね。流石に自分で自分の頭を開いて、寸分も狂いなくメスを入れるなんてことは出来ないからね」
「・・・それは、気の毒なことだわ」
「お気遣い痛み入るよ。だが僕は死ぬまで医者だし、死んでも医者だ。そこに僕の手で救える命があるのなら、僕は例えこの命を投げ打ってでも、必ず救ってみせる」
他に言葉が見当たらず、同情のような形で言った美琴に対し、冥土帰しは自らの内に眠る信念を力強く語った。その瞳には、死と隣り合わせの状況にある人間だとは到底思えないほど強く、燃えるような決意が宿っていた