「いや〜、こんなにいい天気になって良かったですね」
時刻はソルスが最も高い位置にある正午ほど。穏やかにせせらぐ池のほとりで、蜜に生え揃った下草の上にレジャーシートを敷いて座る四人が内の一人、ティーゼ・シュトリーネンは耳にかかった赤い髪を掬いながら言った
「ユージオ先輩?聞いてるんですか?」
卵と野菜のサンドイッチを片手に周囲の自然へと視線を泳がせるユージオは、その声が自分にかけられているのだと気づくと、取り繕うように笑った
「あ、ごめんごめんティーゼ、ちゃんと聞いてるよ。……で、なんだっけ?」
「いや全然聞いてないやないかい」
「ふふっ!」
もはやティーゼの話を全く聞いていなかったことが明白だったユージオに、すかさず上条がツッコミを入れると、そのやり取りが可笑しかったロニエの口から笑いが漏れた
「もういいです。ユージオ先輩なんて知りません。つん」
上条とロニエが前回の安息日で約束した通り、次の安息日ではお互いの親睦会を兼ねて四人でピクニックに出かけていたのだが、その開始早々、どこか上の空だったユージオがティーゼの機嫌を損ねてしまった
「ご、ごめんってばティーゼ。その…久しぶりにここに来たから、やっぱり綺麗だなぁ…って。それに、珍しい動物もいるみたいだし」
「珍しい動物?どこにいるんですか?」
ティーゼはユージオの指差す方向を視線で追うと、そこにいた現実のフェネックのような動物を見てから、なぁんだというように肩をすくめた
「え〜。ただのキントビギツネじゃないですか。あんなの街区に生えてる樹にだっていっぱい住んでますよ」
「へぇ…そうなんだ。僕のいたルーリッドの村では見たことなかったから…。そういえば、ティーゼは央都出身だったよね?家はここから近いの?」
「実家は八区ですから、学院のある五区はちょっと遠いですね」
「あ、あれ?でもティーゼは貴族出身なんだよね?貴族のお屋敷は三区と四区に集まってるんじゃ…」
ユージオは少しかしこまってティーゼに聞くと、彼女は照れたように首を縮めて頷いたが、すぐさま小さくかぶりを振った
「いえ、お屋敷街に住めるのは四等爵士までなんです。私の父は六等爵士なんですけど、裁決権も持たない下級貴族もいいとこですから」
「え?裁決権って、貴族がみんな持ってるものじゃないの?」
「とんでもないです!裁決権を与えられているのは四等爵士までで、五等以下の爵士は上級貴族の裁決の対象になっているんですよ」
「へぇ…貴族にも色々あるんだね」
「で、ですから…私みたいな六等爵家の跡取り娘なんて貴族といっても名ばかりで、暮らしは一般民の方々とほとんど変わらないんですよ…」
「う〜ん…でもそれは、裏を返せば一般民の視線にも立てる貴族だってことじゃないか。僕だったら偉そうに威張ってる貴族よりも、身近にいてあげられる貴族になりたいな」
「そう、ですか…ふふっ…そうですね…」
なぜか少し頬を赤くしながら、少し照れたように自分の髪をいじって呟くティーゼに、ユージオは続いて振るべき話題に困って、ふと隣の相棒とロニエの方へと視線を向けた
「ロニエ、人生で一番大切な時期ってのはいつ頃だと思う?」
「はい?そうですね…やっぱり、学生でいる頃でしょうか?大人の人達も口を揃えてそう言ってますし…」
「いいや、違うな。もっとアバウトだ。俺が思うに、人生で一番大切なのは10代だ」
「10代…ですか?それは一体なぜです?」
「10代は…『重大』だからな!」
「・・・あ、あははは…それはとっても面白いですねぇ…なんて…」
「ぐっはぁ!?そういうのは気を遣われるのが一番キツイっ!」
どうやら自分の相棒は、前回の安息日に悩みの種だった後輩と街に出かけてからは、その悩みを完全に解消できたようだとユージオは悟った。そんな楽しそうな二人とは対照的に、笑顔の一つもないこの状態は良くないかと思ったユージオが口を開こうとした時、不意にティーゼが背筋を伸ばし、改まった様子で言った
「・・・あの…ユージオ先輩、カミやん先輩。実はお二人にご相談…もとい、お願いがあるんです」
「えっ?い、一体どんな?」
ユージオが首を傾げながら訊ねると、ティーゼは隣にいるロニエと目配せして互いに頷き合うと、真剣な面持ちで話し始めた
「大変申し上げにくいことなんですが…その、指導生の変更申請に関して…学院管理部にお口添えいただきたく…」
「な、なんだって……!?」
ティーゼの言葉に、ユージオは絶句した。それを一緒に名指しで呼ばれて聞いていた上条は、痒くもない頬をポリポリと掻きながら訊ねた
「あ〜…えっとそれは?つまるところ、ティーゼがユージオの傍付きを辞めたいと?それともロニエが俺の……よもやその両方?なんだったらトレード?一周回ってドラフト?」
「「ち、違います!!」」
声を揃えて否定する二人の迫力に、上条とユージオは思わず肩を浮かせた。そして大きく左右に頭を振った後に、ティーゼが急き込んで話し始めた
「そんな!とんでもないです!先輩方お二人の傍付きは、むしろ代わってほしいっていう子がいっぱいいるくらいで…いえ、そうじゃないんです。私たちではなくて、変更してほしいのは寮で同室のフレニーカっていう子なんです。真面目で一生懸命で、剣が強いのに控えめな…とってもいい子なんですが…」
そこまで言うと、ティーゼは突然涙ぐんで口を手で押さえながら肩を落とした。そんな彼女の背中をさすりながら、代わりにロニエが続けた
「実は、その彼女が傍付きをしている上級修剣士殿がかなり厳しい方なのです。特にここ数日は、少々不適切と思われるようなことをお言いつけになったりされるようで、フレニーカ本人がとても辛そうなんです…」
「で、でも…いくら上級修剣士とはいえ、学院則に定められた範囲外の仕事を傍付き練士に命じたりは出来ないはずだと思うけど…」
「はい。それはその通りなのですが…違反にはならずとも、その…女子生徒には少々受忍し難いようなご命令を、色々と…」
顔を真っ赤にして口ごもるティーゼを見て、ユージオと上条は問題の修剣士がどのような命令をフレニーカに命じているのかを察し、上条が耐えきれずに激昂した
「な、なんだそりゃ!?一体どこのどいつだそんなことしやがるのは!?」
「カミやん、とりあえず今は落ち着こう。ありがとうティーゼ、状況は分かった。だけどフレニーカの指導生を変更するには指導生本人の承認も必要なんだ。その問題の修剣士は誰なんだい?」
「あの…ウンベール・ジーゼック次席上級修剣士殿、です」
「あ、あンの野郎…!ユージオに立ち合い吹っかけて返り討ちだった癖に、よくもそんな陰湿なマネを!」
「・・・いいや、カミやん。もしかしたらそのせいかもしれない」
上条は、ギリギリと歯を食いしばりながら胡座をかいた膝に自分の拳を叩きつけた。しかし彼と違って冷静に考えたユージオはウンベールの行為の理由に当たりをつけ、軽く唇を噛んで説明し始めた
「実は僕、何日か前にウンベール修剣士と修練場で立ち合って引き分けになったんだ。でも彼は、その結果に納得できてなかったみたいで、ひょっとしたらそれが原因かもしれない」
「えーと…それってつまり、腹いせってことですか?」
ロニエの質問に、ユージオは自分に責任の一端を感じながら苦しそうに頷いた。上条は腹の虫が収まる様子がなく、怒りのままに特大の舌打ちを鳴らした
「私には…私には、分かりません」
ティーゼは俯いたまま、喉から押し出すように呟いた。それから顔を上げて正面からユージオを見ると、頬を強張らせながら続けた
「私のお父様は言ってました。私達が一般民より大きな家に住みいくつかの特権を与えられているのを当たり前と思ってはいけない。貴族はそうでない人達が楽しく平和に暮らせるよう力を尽くさなければならない。そしていつか、戦が起きた時は真っ先に剣を取らなければって…」
「なのに、ウンベール修剣士殿のご命令の度にフレニーカはベッドでずっと泣いていました。なんで…なんでそんなことが許されるのでしょう…」
心底悔しそうに、長い言葉を懸命に語り終えたティーゼの両目には涙が浮かんでいた。自分の傍付きが、友人の為を思ってこんなに苦しんでいるのに、彼女と同じ疑問を持ったユージオは咄嗟にどう答えていいか分からなかった
「あ〜…その、なんだ。俺は貴族ってのがイマイチどんなモンなのか、よく分かってねぇ。そりゃ俺はただの平民だし、生きる上で貴族の立場がどーの、権利がどーのなんて知る必要も特にないだろうって、特に知ろうともしなかった。ライオスとウンベールについても、良いとこで育った所為で性格が少しひん曲がって、位の低い人間を罵ることが趣味になった坊っちゃんなんだろうとか…その程度にしか見てなかった」
「・・・カミやん…」
「だから、こんな俺がフレニーカ…ひいてはロニエ達に、可愛そうだなとか、それは辛かったな…なんて言っても、同情でしかない。いや、同情にもならないかもな」
ユージオが答えに困っている間に、上条がバツの悪そうな顔で後ろ頭を掻きながら話し始めた。そして、彼の語った内容は自分にも言えることだとユージオは思った。つい先ほどティーゼに教えてもらわなければ、貴族の階級や裁決権の有無など知る由もなかった。であるなら、そんな自分に一体何が出来るだろうかと、更に重い悩みを抱えてユージオが黙りこくっている間に、上条は続けて言った
「だけど、だったら今回の件について何も口出ししないのか…って言ったら、それは違う。俺が貴族の事情に詳しかろうがそうじゃなかろうが、やって良い事と悪い事の判別くらいは付く。今回ウンベールがやった事は、どう考えても悪い事だ」
「反対に、ティーゼのお父さんが言ってる事は、正しい事だと思う。誰が何と言おうと、俺はこの考えを覆すつもりなんてない。誰かが助けを求めている時、ソイツだけの力じゃもうどうしようもならない袋小路に遭った時に、立ち上がるのは誰か。それはきっと、その光景を見てる自分であるべきだ」
「だけどそれは、怖い事だ。自分から立ち向かうのは、誰だって怖い。だから意味があるんだ。ソイツだって怖いから、恐怖に怯える誰かの肩に、怖いのは誰だって同じだって、大丈夫だって手を置いて安心させてやるんだ。そこに立場なんて関係ない。立場をかなぐり捨ててでも貫ける自分の意志こそが、そこにあるべきだと俺は思う」
「だから、今回の件もそうだ。自分が偉いから。相手の身分が低いから。それを理由にして誰かを貶めて良いなんて、俺は認めない。それを良しとするルールがあるなら、裁決権だろうが禁忌目録だろうが、俺はぶち破ってみせる。例えその果てに罪人だと蔑まされたとしても、それで誰かの笑顔が守れるなら、俺はきっと後悔しない」
上条のその言葉に、ユージオはチクリと胸が痛んだ。果たして自分は、そのように出来るだろうか。ここに来るまでの自分は、きっと出来ていない。アリスが連れ去られるのを見ていることしか出来なかった自分には、到底出来ることではないと思った
「あの…カミやん先輩の仰ったこと、何となく分かる気がします。禁忌目録にはないけど大切な意志…あるいは信念。それってつまり、自分の中の正義ってことですよね?法をただ守るんじゃなくて、なんでその法があるのかを、自分の正義に照らして考える。従うことよりも、そうして考えることが大事なのかなって…」
上条の言葉に続いて言ったのは、ずっと沈黙していたロニエだった。いつもおとなしい彼女が、瞳に強い光を宿してそう言ったことに、ユージオは驚きを隠せずマジマジと彼女の顔を見つめてしまった
「あははっ、口添えありがとなロニエ。まぁ要はそういうことだな。バカの俺が言っても説得力ないだろうけど、考えることってのは、時には人間の一番の武器になる。それはどんな名剣、どんな秘奥義にも負けない。たとえ禁忌や院則に反してなくたって、今回のウンベールの行動は間違ってる。だから誰かが止めなくちゃならねぇし、その誰かってのは……」
「・・・あぁ。僕らの役目だね、カミやん」
うんうんと頷きながら語る上条の目配せにユージオが気づくと、自分の胸中に蔓延っていた悩みを一旦腹の底に落としつつ、新たに確かな決意を胸に抱いて言った。上条はそう言ってくれたユージオに微笑んでからティーゼとロニエの方へと視線を戻すと、後は任せろと言わんばかりに右手の親指を立てて見せた