「・・・それで?我が友ユージオ剣士におかれましては安息日の夕刻に一体どのような御用かな?」
ティーゼとロニエとのピクニックを終えて寮に戻った夕方。上条とユージオは相部屋のライオスとウンベールの使う居間で、ソファに腰掛ける彼らと向かい合っていた
「そちらのジーゼック修剣士に関して少々好ましからざる噂を耳にしまして、学友がその芳名を汚す前にと僭越ながら忠言に参りました」
「なんだと…!貴様、家名も持たぬ辺境の開拓民風情が何を根拠にそのような…!」
「ウンベール」
でき得る限りの厳しい表情で言ったユージオに、ウンベールが血相を変えて叫ぼうとしたが、ライオスの声と鋭い視線を感じ口を閉じた。そして紅い唇を歪めながら微笑んでライオスがユージオに向かって喋り始めた
「ほほう。しかしてこれは意外であり望外なことでもあるな。ユージオ殿に我が朋友の名を案じて頂けるとは。しかし惜しむらくはその噂とやら。まるで思い当たらない。ユージオ殿は一体どこからそのような噂を聞きつけたのかな?」
「ジーゼック殿の傍付きと同室の初等練士から直接話を聞いたのです。ウンベール殿がフレニーカという傍付き練士に逸脱した行為を命じておられることを」
「ふむ逸脱。何とも奇妙な言葉だな。もっと分かりやすく学院則違反と言ったらどうかね?」
「ですがっ…!」
ライオスのこちらを誘導するような神経を逆撫でする態度に、ユージオは思わず声を荒げそうになったが、ここでは先に冷静さを失った方が負けだと、先んじて上条と話し合っておいた事もあって、なんとか高まる感情を押さえ込んだ
「ですが、学院則で禁じられていなくとも、初等練士を導くべき上級修剣士としてすべきこと、すべきではないこともあるでしょう」
「ほほう?それではユージオ殿は一体このウンベールがフレニーカに何をしたと申されるのかな?」
「そ、それは……」
どちらかといえば単細胞的なウンベールに比べて、ライオスは実に頭がよく回る狡猾な男だった。ライオスはウンベールと同室故に彼の行為を見ていないハズがない。その行為が他人に易々と話せることでないことも織り込み済みで、敢えてユージオにそう聞いてきたのだ
「これはこれは。自分から直訴する割にはその詳細も言えぬとは、少々付き合いきれなくなってきましたぞ。どうなんだウンベール、ユージオ殿の仰ることに覚えがあるのか?」
「いやいや!とーんでもない!何を言われているのかさっぱり分かりません!」
そこでようやく先ほど黙らせたウンベールにライオスが話を振ると、まるで水を得た魚のように、芝居掛かった仕草で威勢良くウンベールが喋り始めた
「まぁ、いくつか下らない世話を命じましたがね。ユージオ殿との先日の立合いで情けなく引き分けて以来、私も心を入れ替えて鍛錬に打ち込んでおりましてな」
「ッ!?」
「ですがこれまで醜い筋肉が付くような稽古を控えていたせいもあって、全身が痛くて仕方ない。止む無くフレニーカに毎夕の湯浴みの折に体を揉みほぐしてもらったまでのこと。その上制服が濡れては困ろうと、フレニーカにも下着姿になることを許す寛大さですぞ〜?一体これのどこが卑しい逸脱行為なのか理解に苦しみますなぁ〜?」
ウンベールのそれが挑発と分かっていても、ユージオはもういつ彼に飛びかかってもおかしくないほど頭にきていた。しかし、ふとこれまで一切口を開かない上条に目をやると、彼の右手の指の隙間から、血が滲んでいるのが見えた。彼はあまりの怒りに、握りしめた拳の爪が皮膚に食い込んでいたのだ。それでもなお怒りを我慢している彼を見て、ユージオもすんでのところで思いとどまった
「そうでしたか、事情はお察ししました。ですがフレニーカ初等練士は日々耐え難い思いをしております。改善が見られないようでしたら、教官に調べを依頼することも考えねばなりません。どうぞそのおつもりで」
「・・・ふむ。そう思うのであれば、どうぞご自由にされるがよかろう。ユージオ修剣士殿」
ライオスが不敵な笑みを浮かべながらそう言ったのを最後に、上条とユージオは彼らの部屋を後にした
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「クッソ野郎が!!」
自室に戻って開口一番、怒りを発散するように上条が叫んだ。下手をすれば隣室に声が突き抜けていそうだったが、それを指摘する前にユージオも自分の拳を壁に打ち付けていた
「あ〜…割と血ぃ出てんな。まぁこのくらいなら神聖術はいらねぇか」
「手の平に爪が食い込むほど拳を強く握れる人なんて僕始めて見たよ。だけど、それでも我慢してるカミやんを見て僕も何とか踏み止まれたよ」
「正直MK5…じゃない、マジでキレる5秒前だったけどな。けど、これでハッキリした。多分こいつはユージオを狙った罠だ」
「・・・罠?どういうことだい?」
手巾で手の平を拭って、残った血を自分の黒い制服のズボンに擦りつけながら言った上条の言葉に、ユージオはその意味を訊ねた
「今の場に例えるなら、ウンベールに抗議しに行ったお前が挑発に乗って言いすぎたらそれを逸礼行為に認定して、最大限の懲罰を科すつもりだった…とか」
「・・・それは…危うく僕もカミやんもその罠にハマるところだったね」
「あぁ。あのウンベールほどじゃないが、俺も十分すぎるくらい直情的だからな。けどそうならないように、もし今後もアイツらが何かの策を弄するようなら、すぐ教官に調査を依頼できるよう準備だけはしとくべきだ」
「そうだね。アイツらが僕らを目の敵にしてるのは明白だし、これからも手を替え品を替え何か仕掛けてくるかもしれない」
ユージオが言うと、上条もそれに深く頷くことで答えた。そしてユージオも上条もようやく平静を取り戻した時に、部屋の戸をノックする音が聞こえた
「おっと、この叩き方は多分ティーゼだな。じゃあ俺は自室に戻るよ。さっきのこと伝えといてくれ」
「あ、いいよ。神聖術を使うほどじゃないとはいえ、手のキズを塞がないといけないだろうし、救急箱のある居間にカミやんが残りなよ。僕がティーゼと部屋に入るから」
「そうか?悪いな、助かる」
「じゃ、そういうことで。どうぞー!」
ユージオがドア越しに声をかけると、ティーゼが挨拶と一緒に部屋へ入り、ユージオがそのまま自室へと誘った。そしてベッドに腰掛けると、ティーゼに話しかけた
「ごめんねティーゼ。こんな狭い部屋で」
「いえいえ、とんでもないです!むしろお邪魔させてもらってすいません」
「ええと、それじゃ早速なんだけど話をさせてもらってもいいかな?立ったままで話す内容でもないし、座ってよ」
ユージオがそう言うと、ティーゼは部屋の書き物机に備えられた椅子に一瞬視線をやったが、すっと視線を戻すと、ユージオの方へと歩み寄ってきた
「そ、それでは失礼します!」
頬を赤らめながらそう言うと、ユージオも座っているベッドの端の方にちょこんと腰掛けた。ユージオはそれにほんの少し目を丸くしたが、別に変な意味はないと自分に言い聞かせて、上半身だけを彼女の方へと向けて真面目な顔で言った
「フレニーカの件だけど、さっきウンベールに抗議してきたよ。アイツもこれ以上事を荒だてたくないだろうから、もうフレニーカに逸脱した命令は出さないと思う」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます、ユージオ上級修剣士殿。フレニーカもきっと喜ぶと思います」
「いやいや、元から今日は安息日なんだし、さっきまでみたいにユージオでいいよ」
友人の身の安全を知ってパッと顔を綻ばせるティーゼに、ユージオはよかったと思いつつ微笑んで言った。そして、事の発端となった自分の責任を謝罪しようと思い、一度頭を下げてから話し始めた
「それに、僕の方こそ彼女に謝らなきゃいけないんだ。さっきも言ったけど、今回の騒動の原因は僕とウンベールの手合わせだったってはっきり分かったんだ。僕のせいで彼女を巻き込んでしまったことに、一度僕からちゃんと謝りたいんだけど、ティーゼからフレニーカに言って機会を作ってもらえないかな?」
「・・・そう、ですか…」
ティーゼは部屋に差し込む夕日よりも赤い髪を揺らしながら俯き、何かを考えている様子だったが、やがてユージオをみてゆっくりと首を振った
「いえ、ユージオ先輩に責任はありません。フレニーカには、先輩のお言葉だけ私から伝えておきます」
「え?そ、そっか…じゃあ、そうして貰ってもいいかな?」
「はい。それで、あの…少し、お傍に行ってもいいですか!?」
「・・・え?う、うん」
彼女の発言の真意が分からずドギマギしながらユージオが頷くと、ティーゼは頬を赤く染めたまま微かに体温が感じられるほどまでユージオの傍に近づいた。そして、囁くような声で話し始めた
「私は、修剣学院を卒業したらそう遠くない内にシュトリーネン家を継いで、同格か一等上の爵家から夫を迎えることになると思います」
「・・・うん」
「でも私、怖いんです…もし私の夫となった人が、ジーゼック殿みたいな人だったら…貴族の誇りを持たず、平気で酷いことをするような人だったらどうしようって思うと…怖くて…私…わたし…!」
「ティーゼ……」
彼女の言葉の端々に、明白なまでの不安をユージオは感じていた。だが、ずっと樵として過ごしてきた自分には、彼女にかけるべき言葉が見つからず、黙り込んでいた。だから、彼女がいきなり自分の腕に抱きしめてきた時、全身が固まるほど驚いた
「えっ!?ティ、ティーゼ…!?」
「ユージオ先輩…私、その…先輩にお願いがあるんです!きっと、きっと学院代表になって、剣舞大会にも勝って、四帝国統一大会に出てください…!」
「そ、それは勿論…僕もそれを目指してるよ?でも、どうして…」
「それで、その…」
ユージオが震えた声で訊ねると、ティーゼは小さな赤い瞳を揺らしながら一瞬言葉に詰まると、縋り付く力をより一層強めて続けた
「と、統一大会で上位に入れば、アズリカ先生みたいに、一代爵氏として叙任されると聞きました。あの…もし先輩がそうなれたら私…私も………」
それ以上は言葉にならないらしく、俯いて体を震わせるティーゼをユージオは呆然と見つめていた。自分が四帝国統一大会を目指すのは、アリスともう一度出会う為に他ならない。しかし、それを不確定な将来に怯える16の少女に告げることは出来なかった。やがてユージオは、心の中の罪悪感に苛まれながらも、ぎこちなくティーゼの頭を撫でて言った
「・・・うん、解った。僕は必ず大会に出る。そして、きっと君に会いに行くよ」
ティーゼはそれを聞くと、肩を大きく震わせた。そしてゆっくりと顔を上げると、嬉しさから溢れ出した涙を頬に光らせ、幸せそうな笑顔を浮かべた
「先輩…!私も、私も強くなります。ユージオ先輩のように…正しいこと、言わなきゃいけないことをきちんと言えるくらい…強く」
(・・・間違っていない。これでいいんだ。僕は、これで…)
ユージオは自分の腕に寄り添う彼女の頭を、もう一度優しく撫でながら、記憶に眠るアリスの笑顔を脳裏に浮かべていた。アリスとの事は、今のティーゼに言うべきことではない。そう何度も自分に言い聞かせるように、心の中で彼は呟いていた