「なるほど…要するに、この世界で一番最初の破壊不能オブジェクトってことか。そりゃ俺の右手じゃ歯が立たねぇわけだ…まぁだからと言って、諦めるわけにはいかねぇけどな」
上条当麻の右手はSAOや幾つかの仮想世界でも、破壊不能オブジェクトを無効にして破壊することは出来なかった。だからこそ、金木犀の剣が放つ花弁を打ち消すには至らなかったのだと推測した
(・・・だけど、アリスの完全支配術には俺の右手じゃ絶対勝てない…どうにかしてアレを掻い潜って、カーディナルの短剣を突き刺すには…!)
「せめてもの情けです。痛みを感じぬよう、一瞬で天界へと葬ってあげましょう」
「ーーーッ!」
アリスが剣を横薙ぎに振るうと、またしても金木犀の剣の刀身が無数の輝く花弁に変わり、暴風のように荒れ狂った。上条はそれにいち早く反応すると、横に転がり込んで黄金の風から身を逃し、そのままアリスの立つ丘をもう一度登り始めた
「バカの一つ覚えですか。遅いっ!」
丘を駆け上がる上条の背後を追うように、金木犀の花弁が迫る。その速度は上条の足の速さを完全に上回っており、その距離をあっという間に詰め寄っていった
「そらっ!!」
すると上条は、アリス目掛けて左手の盾を投擲した。しかしそれは、アリス本人を狙った投擲ではなく、アリスのほんの少し手前の丘の地面へ突き刺さった
「・・・何を…?」
「目ぇ閉じてなっ!実際に食らった身から言わせれば、泣くほど痛いぜ!」
そう叫んだ上条は、自ら突き立てた盾に飛び乗り、盾を踏み台にして足に力を込めて跳躍し、空高く飛び上がった。既に上条の背面直前まで迫っていた金木犀の旋風は、標的の急な動きに対応できず、そのまま正面にいたアリスへと襲いかかった
「なっ!?ぐうっ!」
上条の行動は、金木犀の剣を手にするアリスですらも予想外だった。彼女が突然の事態に面食らっている間に、直接の意思を持たぬ金木犀の花弁は一瞬で彼女の体を包み込んだ。そして彼女が咄嗟に腕で頭部を庇っている間に丘へ着地した上条は、一気にアリスとの間合いを詰めきった
「歯ァ食いしばれ!整合騎士ッ!」
「ーーーッ!?」
上条は右拳にありったけの力を込め、アリスの顔面目掛けてそれを振り抜いた。ゴギィッ!という鈍い音と共に彼の拳がアリスの眉間に突き刺さり、彼女の小さな体はその衝撃に耐えきれず丘の上へと倒れ込んだ
「うわああああああっ!?」
横たわったアリスの体は、鎧の重さに負けてゴロゴロと丘の斜面を転がっていき、あっという間に平坦な芝生に投げ出された。そして上条は懐からカーディナルの短剣を取り出すと、丘の上からアリスに向かって飛びかかった
「いい加減に目を覚ませ!『アリス・ツーベルク』!!」
「こ、このっ…!はあああああっ!!!」
ガィンッ!という金属音と共に火花が散った。彼女の体に短剣の刃があと一歩で届いたというところで、花弁から刃に姿を戻した金木犀の剣がそれを受け止めた。左の鼻から血を垂らすアリスは体を怒りに震わせ、その怒りに任せて強引に金色の剣を振り抜いた
「あまり整合騎士を…侮るなっ!!」
「うおっ!?」
それはまるで、獣のような腕力だった。その小さな体からは想像もできないような怪力を宿したアリスの一振りは、それ一つでブォンッ!という爆音と暴風を巻き起こした。その風に上条の体はあっさりと吹き飛ばされ、永劫不朽の硬度を持つ金木犀の剣を前に、カーディナルの短剣はあっさりと砕け散った
「ッ!?か、カーディナルの短剣が…!」
「ゆ、許せませんっ…!こんな、こんな屈辱は初めてですよ侵入者…!私の顔に傷をつけるだけでは飽き足らず、整合騎士である私の誉れ高き姓を蔑んだこと!その首に代えても贖えぬ大罪と知りなさい!!」
「本当に…本当に忘れちまったのかよアリス!お前の故郷だったルーリッド村のみんなは、お前のことなんかこれっぽちも忘れちゃいねぇんだぞ!お前の親父さんの村長さんや、お前に神聖術を教えた教会のシスター・アザリヤさんも!幼馴染のユージオは当然!お前の妹のセルカだって!お前がいなくなって8年経った今もみんなお前を忘れてねぇのに!なんでお前はそんな簡単にみんなのことを忘れちまったんだよ!?」
黄金の籠手で己の鼻血を拭きながら金木犀の剣を振りかざすアリスは、その端麗な容姿を怒りで歪めていた。しかしその表情は、立ち上がりながら彼女に語りかける上条の言葉によって、僅かながら陰りを見せた
「ぼ、妄言を…!私を誑かせて剣筋を鈍らせようという魂胆ですか!愚昧も極まりましたね侵入者!私は天界より召喚されたその時より、この世の正義に忠誠を誓った整合騎士!その私に旧友や家族、ましてあんな人界の北端に位置する農村が私の故郷だなどと…!」
「テメエこそ!いつまでその妄言を信じて疑わねぇんだよ!生まれた頃から大人なんて人間は、世界にゃ誰一人だっていねぇんだよ!人間は誰だって小せえ子どもから人生を歩き始めるんだ!そして右も左も分からねぇテメェを育て、手を取って導いてくれる親や友達が誰にだっているんだよ!」
必死に声を荒げて反論するアリスに決して気圧されることなく、上条は右手の拳を握り締めながら彼女に叫んだ。アリスは上条の迫力に思わず半歩後ずさると、明らかな動揺を見せて口ごもった
「知った風な口を利くのは止しなさい!それは私が真の人界人ではなく、天から遣わされた整合騎士であるが故に…!」
「・・・どうせそれしか言い訳がねぇんだろ。いいぜ、腹を割ってやる。テメエら整合騎士の飼い主は恐ろしいことを企んでる。それを食い止めるために俺はこの塔を昇ってんだ。テメエの中にはテメエが崇拝する最高司祭様に与えられた、そうとしか意識できない命令が存在してる。だからテメエは、自分が本当は誰で、どこで生まれ育ったのか覚えてねぇんだよ」
「え、えぇそうです!我々整合騎士は神の代行者たる公理教会最高司祭・アドミニストレータ様によって、秩序と正義を維持するために天界から召喚された存在!地上に使わされた時点で、ステイシア神によって天界の記憶を封じられるのです!ですが決して、意識を曲げられるようなことは…!」
「だからテメエは記憶を封じられてるんだ。それをやったのはステイシア神じゃなく、テメエが盲信する最高司祭様当人なんだよ。それに封じられているのは、天界の記憶じゃねぇ。テメエがこの世界で人の子として生まれ育った記憶なんだよ。整合騎士は全員、過去に四帝国大会を制した凄腕の剣士と、過去に禁忌を犯した人達がアドミニストレータに記憶と人格を作り変えられた、元はれっきとした人間だ」
「な、なんですって…!?そんな、嘘だ!私は…わたしはっ…!!」
「思い出せっ!お前の本当の名前はアリス・ツーベルクだ!北部辺境のルーリッドという小さな村で生まれ育った!そして11歳の時、お前は果ての山脈を貫く洞窟を冒険に行って、人界とダークテリトリーとの境界線からほんの少し外に出たんだ!つまりお前は、ダークテリトリーへの侵入って禁忌を犯して、この教会に連れて来られて、大切な記憶を奪われて整合騎士に変えられちまっただけなんだよ!」
「アリス…ツーベルク。それが、私の本当の名前…!?ルーリッド…果ての山脈…思い出せない…何も…思い出せな、うわあああああ…うわああああああああああああ!!!!!」
アリスが何かを拒むように、黄金の剣をかなぐり捨てて両手で頭を抑え込むと、苦しそうに呻いた。上条はその隙にもう一本残った懐のナイフを向けようとしたが、彼女に駆け寄ろうと脚を前に出した瞬間に思いとどまった
(ここでコイツを刺してアリスを眠らせて、アドミニストレータから記憶を奪い返した後に、元の記憶を思い出させるのは簡単だ…だけど、だけどそれじゃあ俺だってやってること同じだろっ!たとえ記憶を封じられても、こうして整合騎士として生きてきたアリスの記憶を無視していいわけがねぇっ…!)
「負けるなアリス!シンセサイズなんかに負けるんじゃねぇ!気をしっかり持てっ!」
「ッ!?」
気づけば上条は短剣を投げ捨て、苦しむアリスの肩に両手を置いて語りかけていた。アリスはいつの間にか目の前にいた上条に目を丸くして驚いていたが、彼の言葉に耳を傾け抵抗する様子はなかった
「お前の親父さんはルーリッド村の村長で名前はガスフト・ツーベルク!母さんの名前はサディナ・ツーベルク!さっき言った通り妹が一人いる!セルカ・ツーベルクだ!教会に連れ去られた後も、ずっとお前のことを気にかけていた!」
「セルカ…私のっ、妹…!私の…家族…!」
「ルーリッド村で暮らしていたころのお前は、神聖術の天才だって言われてたんだ!そんな自分のことのように誇れる姉さんの後を継いで、セルカは立派なシスターになろうと一生懸命頑張ってんだよ!それなのに…それなのに!セルカの姉さんのお前が!セルカのために頑張んなくてどうすんだよっ!?」
「ッ!?」
アリスの脳裏には、薄ぼんやりと小さな女の子の面影が浮かんでいた。記憶の片隅に追いやられた、その記憶すらも追い出されたはずなのに、その姿をどうしても忘れ去ることを本能が拒んでいた。だが、それだけで折れてくれるほどこの世界の理は優しくなかった
「お前、は…お前は言いましたね。このような反逆を企てたのは、友人を助け、世界の真実を知るためだと。しかし…しかし!最高司祭様より我ら整合騎士に与えられた第一の使命は、ダークテリトリーからの侵入に対する防衛だというのも事実なのです!仮にお前が全ての整合騎士を倒し、最高司祭様をも刃にかけたとして、その時は一体誰が人界を守るというのです!?」
「ならお前はっ!お前は整合騎士団が万全の体勢で迎え撃てば、ダークテリトリーの総攻撃を間違いなく撃退できると本当に信じてんのか!?たった30人ぽっちで戦わせようとしてるお前らの神様を、本気で信じてんのかよ!?」
「そ、それは…確かに…小父さま…騎士長ベルクーリ閣下も、胸の内には同様の懸念を秘めておいでのようでした。しかしだからといって、人界に我らの他に戦力と呼べるものが存在しないのまた事実ですがっ…!」
「それはアドミニストレータが望んで作りだした状況なんだ!自分の完全なる支配が及ばない力が人界に生まれる事を恐れたんだ!自分にとって都合の悪い存在をこれ以上増やしたくない!自分が支配を続けられる世界にしたい!ただそれだけのことなんだよ!」
「・・・そんな……」
それは、アリス自身も疑問に思っていたことだった。アリスは整合騎士の中で騎士長、ファナティオに続く実力者だ。故に彼女自身も、上条の言葉を真っ向から否定することが出来なかった
「・・・会えるのですか?もし私がお前に協力し、封印された私の記憶を取り戻せたのなら…私はもう一度セルカに、私の妹に会えるのですか?」
「!!!!!」
アリスの心の内側が、決定的に揺らいだ。蒼い瞳の端には、既に涙が光っている。ここで彼女に、セルカに会えるというのは簡単だ、しかしそれでは、今の整合騎士としてのアリスの意思をないがしろにしてしまう。だから上条は、ただ『会える』と言いたい己の心に釘を刺した
「・・・あぁ、会える。だけどよく聞いてくれ。セルカと再会するのはお前であって、お前じゃないんだ。記憶を取り戻したその瞬間にお前は、シンセサイズの秘儀を受ける前のアリス・ツーベルクに戻る。同時に整合騎士アリスは消滅するんだ。両方の記憶を持つお前を、セルカに会わせることは出来ない」
「セルカ…セルカ。思い出せない…顔も声も…でも、この名前を呼ぶのは初めてじゃない。私の口が…心が覚えている。本当に、私には家族が…父と母が…そして血を分けた妹が…この世界のどこかに…」
「だからっ!お前が選んでくれ!俺たちにとってはアリス・ツーベルクだったお前が本物のお前だ!だけど、それだけを押し付けることは俺には出来ない!どっちの道を選んでも、俺たちはお前を導いてやれる!だからお前が生きていきたい自分を、お前自身が選んでくれ!」
蒼い瞳から、涙が頬を伝い落ちた。それは紛れもなく、今のアリスが家族を思う証。上条はそれを尊重した。たとえどこかで失われた記憶と人格でも、新しく与えられた記憶と人格でも、それを彼ではなく、アリスが生きたいと望まなければ意味がない
「・・・私の心は決まりました。ただ一つ…一つだけ頼みがあります」
「・・・あぁ、言ってくれ」
「この体に本来のアリスの人格が復元する前に、私をルーリッドの村に連れて行ってくれませんか?そして物影から…ほんの一目だけでいいです。セルカの…妹の姿を…そして家族の姿を見せてほしいのです。それが叶うのならば、今の私は…例え今の私を殺すことになったとしても、私が戦うべき本当の敵と戦えます」
「当たり前だ!約束する!誓ってやる!俺も一緒にお前と戦ってやる!」
アリスの肩に置かれた上条の手に、言葉に、瞳に力が入る。アリスは目の前の彼の真っ直ぐな言葉と瞳を信じる決意を胸にすると、左手で肩に置かれた上条の手を握り、右手を胸に当てて言った
「・・・ならば私は…ここで私自身に誓います!人界とそこにいる人々を守るため、私アリス・シンセシス・サーティは!たった今より整合騎士の使命を捨て…す…すでっ!?」
「・・・アリ、ス?」
「ああっ!?うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAA?!?!!?!!」
胸に手を当てて誓おうとするアリスは、声高になりつつあった声を悲鳴に変えて右目を抑え込んだ。上条がその様子に首を傾げていると、右目を抑えるアリスの指の隙間から、彼女の目に映る信じられないものを見た
(な、なんだこれ…!バーコード!?いや、この世界にそんなものあるわけが…!)
「ま、まるで右目が焼けるようです…!それに…瞳の奥に文字が見えて…この文字は、この痛みは…一体っ…!?」
『SYSTEM ALERT CODE:871』。彼女の赤く染まった右目の中に浮かんだ文字を、そう読み取れた上条は、自分の血の気が引いていくのを肌で感じ取った。ユージオの右目はきっと今のアリスと同じように、禁忌を封じ込もうとするとこの仕組みに抗って吹っ飛んだのだ。そう悟った上条は、両手をアリスの肩から彼女の頬へと添えて、血の気の引いた顔のまま言った
「だ、ダメだアリス!それ以上何も考えるな!頭を空っぽにしろ!お前に起きている現象は、多分教会に逆らおうとすると発動する心理障壁みてぇなモンだ!そのまま考え続けると右目が吹っ飛ぶぞ!」
「ひ、ひどい…こんな…記憶だけでなく…意識すらも、誰かに操られる…なんて。これを…この赤い神聖文字を私に焼き付けたのは、最高司祭様なのですか…?」
「い、いや…多分違う…と思う。多分それは…この世界を作り外側から観察してる存在、創世記には登場しない…誰も知らない外界の神がしたことだと思う。少なくとも、俺が話に聞いたアドミニストレータは『システム・アラート』なんてまどろっこしい方法は取らない。アイツなら、もっと強制的に従わせる方法を取るハズだ」
「創世記にはない…誰も知らない、神…?私達整合騎士が神の作りたもうた世界を守るため無限の日々を戦い続けても、神は信じてくださらないのですか…?私から家族の…妹の思い出を奪い…その上このような封印すら施して…服従を強要する…なんて…」
アリスは未だに激痛の走る右目を抑えながら、自分の存在の小ささに歯噛みした。しかし彼女は、それを良しとはしなかった。左目に伝っていた涙を拭い、痛みに消されつつあった自分の覚悟を、もう一度声高に叫んだ
「わたしは…私は人形ではありません!確かに今ここにいる私の記憶と人格は、最高司祭様の手で作られたものかもしれない!それでも私にだって意思はあるのです!私はこの世界を、世界に暮らす人々を守りたい!それが私の果たすべき唯一の使命です!」
「だ、ダメだアリス!もういい!もうお前の決意は伝わった!このままじゃ本当にお前の右目が…!」
「いえ…これでいいのです。これで私がこの世界の支配者の呪縛から、何者かの悪しき思惑から解き放たれるというのなら…右目の一つくらい、決して惜しくはありせんっ…!」
「アリス……」
「カミやん、私をしっかり押さえていて…この目の痛みが気にならないくらい、私をキツく…強く抱きしめて…離さないで」
「・・・分かった。お前のその痛みを、俺が一緒に背負ってやる。だから、心置きなく思いっきり叫べ」
そう言ってアリスは、上条の胸の中に沈み込んだ。上条は彼女の言う通り、鎧の上から自分の腕力が許す目一杯の力で、アリスをキツく抱きしめた。そしてアリスは一度深く呼吸すると、目を見開いて天に向かって叫んだ
「最高司祭アドミニストレータ…そして名を持たぬ神よ!私は!私の成すべきことを成すために!あなたと刺し違えてでも!最後まで戦ってみせます!」
アリスが天に向かって叫んだその瞬間、彼女の右目が大量の血を吹き出して弾け飛んだ。それは自分の決意を忘れないために彼女が刻んだ、世界に抗う意志の証明に他ならなかった