とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第46話 シンセサイズの秘儀

 

ーーー声が、聞こえる。

 

 

『ユージオ…ユージオ…』

 

 

母親が子供の名前を呼ぶような、優しく温かい声。誰しも一度は、こんな風に呼ばれることがある。ゆっくりと廊下を歩きながら、ユージオは自分を呼ぶ温かな声を耳にした

 

 

「母、さん…?」

 

 

木で出来た廊下を軋ませながら歩くと、ユージオは明かりが漏れ出している扉の前に立った。そしてどこか懐かしさを覚えるランプの灯った寝室に『彼女』はいた

 

 

『そこは寒いでしょう?さぁ、こっちにいらっしゃい。ユージオ』

 

 

ベッドに座る彼女は、近づいてくるユージオに両手を差し出した。細い腕、包みこむような広い胸元、そして柔らかな笑顔。気づけばユージオは、彼女の中に飛び込んでいた

 

 

「母さん、母さんなの…?」

 

 

ユージオは夢中で彼女に縋り付いて、顔を埋めた。しっとりした肌が、まるでユージオの全身を包むように蠢く。滑らかな腕が背中を抱き、頭を撫でられるのを感じて、ユージオはそれを渇望するようにしがみついた

 

 

『えぇ。お前のお母さんですよ、ユージオ』

 

「母さん…僕の、母さん…?」

 

『そうですよ、ユージオ。あなた一人だけのお母さんですよ』

 

「でも、父さんはどこ…?兄さんたちは、どこへ行ったの…?」

 

 

母性に満ちたその声に、ユージオは底の見えない充足感を覚えた。心の隙間を埋めていくような、彼女の優しさと、温かさに。けれど、自分の母親は決して自分だけの母親ではない。自分の家族にとっての、みんなにとっての母親だ

 

 

『うふふ…おかしな子ね。あなたは禁忌を犯したのよ?そんな悪い子と、家族が一緒に暮らせる訳がないじゃない』

 

「・・・そうだ…そうだ、僕は…禁忌を…」

 

 

ユージオの瞳から涙が溢れた。どれだけ言い訳をしようと、自分は血に塗れた罪人だ。そんな罪人と一緒にいてくれる人なんて、いるわけがない。そんな言いようのない孤独を感じると、どうしようもなく涙が出てきた

 

 

「僕は、僕は切ってしまった…人の腕を…誰かを殺そうとしてしまった…ごめんなさい…みんな、ごめんなさい…僕は、罪を犯したんだ…」

 

『いいのよ、かわいそうなユージオ。だって仕方がないじゃない。あなたは、どうしようもなく飢えていたんだもの』

 

 

ユージオは、胸に縋るのを辞めて顔を上げた。彼女の言葉に、陰りが見えた気がした。優しく微笑んでいた口元が、少し歪んで見えた。けれど、涙が滲んでそれはよく見えない。彼女の手は頭を撫でるばかりで、視界を塞ぐ涙を拭ってはくれない

 

 

「僕が…飢えている?一体、何に…?」

 

『愛に』

 

 

彼女は、ハッキリとそう言った。その言葉に、気づけばユージオは歯噛みしていた。この人は自分の母親ではない。自分に愛を注いでくれたハズの母親が、こんなことを言うはずがない。ユージオは、眉間に皺を寄せながら低い声で彼女に言った

 

 

「愛…だって?まるで僕が、愛を知らないみたいに…」

 

『その通りよ。あなたは愛されるということを知らない、かわいそうな子だもの』

 

「そんな…そんなことない!あなたは僕の母さんじゃない!僕の母さんは…僕を愛してくれていた!怖い夢を見て眠れない時は、僕を抱いて子守唄を歌ってくれたんだ!」

 

『いいえ、私はあなたの母親よ。私はあなたの愛を知っている。あなたの言う母親の愛は本当にあなた一人のものだったの?違うでしょ?あなたの兄弟に分け与えた余りものだったんでしょ?』

 

「嘘だ!母さんは…僕を…!僕だけを愛してくれていた!」

 

『自分だけを愛して欲しかった。でもそうしてくれなかった。だからあなたは憎んだのよ。母の愛を奪う父を。兄弟を』

 

「ち、違う…!僕は父さんや兄さん達を憎んでなんかいない…!」

 

 

彼女の言葉が、うるさいくらいにユージオの頭の中で反響し始める。決して惑わされないように、ユージオは大きく頭を横に振る。頭に響く彼女の言葉を、全て否定するように。けれど、それでも彼女は語りかけてくる

 

 

『本当にそうかしら?だってあなたは斬ったじゃない。初めて自分一人を愛してくれるかもしれなかった赤毛の女の子…あの子を力づくで奪い、汚そうとした男をあなたは斬った。どうしようもなく憎かったから。あの子がくれるはずだった、自分だけの愛を奪おうとしたから』

 

「違う…違う!僕はそんな理由でティーゼを守ったんじゃない!僕はそんな理由で、ウンベール達に剣を向けたんじゃ…!」

 

『でも、あなたの渇きは癒されない。誰もあなたを愛してくれない。みんなあなたを忘れてしまった。あなたが罪を犯したから。もういらないって捨ててしまったの』

 

「違う、違うよ…僕は…僕は捨てられてなんかいない。僕にはアリスがいる。アリスだけは、僕と一緒にいてくれる…」

 

 

ユージオは震える自分の肩を抱き寄せた。そして脳裏に浮かんだ、大好きだった女の子の記憶を必死に手繰り寄せる。だが正面にいたはずの彼女が、後ろからユージオに這い寄ってその耳元で囁く

 

 

『本当にそうかしら?本当にあの子は、あなただけを愛しているのかしら?』

 

「・・・え?」

 

『見せてあげるわ。あなたが愛した女の子が、本当は誰を愛しているのかを』

 

 

彼女の手の平が、ユージオの視界を塞いだ。そして視界の闇が晴れた時、気づけばユージオはどこかの庭園のような場所に立ち尽くしていた

 

 

「・・・ここは、どこ…?」

 

『ほら、よぉく見て?あなたが愛した女の子が、本当に愛している者の姿を』

 

「か、カミやん…?アリス?二人で一体何を…そんな風に、一緒に抱き合って…まるで、愛し合っているみたいに……」

 

 

芝生が揺れ、小川がせせらぐ、幻想的な庭園の中心に、自分の親友と大好きな女の子が立っていた。するとアリスが上条の胸に顔を埋め、上条もまたアリスの背中に腕を回して、彼女の体を優しく抱きしめた

 

 

『カミやん…………………………私をキツく…強く抱きしめて…離さないで』

 

「・・・・・そんな…嘘だ……」

 

『ねぇ、ユージオ。よく見えるでしょう?聞こえるでしょう?』

 

「い、嫌だ…あの二人が、僕を置いて…こんなの全部、嘘だ…カミやんは僕の親友で…!アリスは、僕が一番好きな女の子で…………」

 

 

アリスと上条が、キツく抱き合っている。お互いを求めるように、強く、深く。親友と、愛する人の、熱い抱擁。ユージオがその光景は嘘だと思うには、あまりに二人は深く交わっていて、あまりに自分は二人より、遠い場所にいた

 

 

『ほらね。もうわかったでしょう?あの子の愛すら、あなた一人のものじゃないのよ。いいえ。そもそも最初から、あなたの分の愛はあの子の中にあったのかしらね?うふふっ』

 

 

そこで、その光景は終わった。ユージオは、天蓋と赤い幕に覆われたベッドの上にいた。目の前にいるのは、やはり『彼女』。ベッドに寝そべった自分を見下ろす女性は、どこか神々しく、この世の何よりも美しいと感じさせる何かがあった

 

 

「でも、私は違うわユージオ。私があなたを愛してあげる。あなた一人だけに、私の愛を全部あげるわ」

 

「僕、だけを…あなたは、僕だけを愛してくれるの…?」

 

「もちろん。さぁ、こっちに来て。ユージオ」

 

 

それは女神の誘惑にも似た、悪魔の囁き。ユージオの感情は、理性は、もう溶けきっていた。彼女は身に纏った紫色のドレスを脱ぎ、艶やかな肌を露わにしていく。ユージオは虜になった。彼女の柔和な肌に、甘い吐息に、全ての感覚を委ねていく

 

 

「あなたは初めて、愛される喜びを存分に味わうことができるのよ。あなたが私を愛してくれたら、それと全く等価の愛を返してあげる。深く愛してくれればくれるほど、あなたがこれまで想像もしなかったような、究極の快楽に誘ってあげるわ」

 

「・・・はい」

 

(愛っていうのは…そういうものなのかな…?お金と同じように…価値で贖う…それだけのものなのかな…?)

 

 

差し伸べられた彼女の両手に、自分の右手を伸ばした。思考が、麻痺していく。記憶が、消えていく。それでも、構わない。消えていく記憶の分だけ、彼女が自分を愛してくれるのなら……

 

 

『ユージオ先輩!違いますよ!ユージオ先輩!』

 

『違うわユージオ!愛は決して何かの見返りに得られるものじゃないのよ!』

 

 

既に名前すら思い出せなくなり始めた赤毛の女の子と、金髪の少女が自分に叫んでいる。遠くから、自分の名を呼んでいる。それも、もう聞こえない。見えない壁で隔たれていく。愛してくれた女の子と、愛した女の子が、自分から遠く離れていく

 

 

『ユージオ!目ぇ覚ませよ!そんなくだらねぇ幻想なんかに負けるんじゃねぇ!ユージオ!ゆーじお!ゆーじ…ゆー……ゆ………』

 

 

剣を教えてくれた、相棒だった、親友だった少年さえも、離れていく。見えない壁の向こう側に、消えていく。もうこの手をどれだけ伸ばしても、ユージオの手は、彼らには届かない

 

 

「欲しいのねユージオ。悲しいことを何もかも忘れて私の愛を貪りつくしたいんでしょ?でもまだ駄目よ。言ったでしょう?まずあなたが私に愛をくれなきゃね。さぁ。私の言う通りに唱えなさい。私だけを信じ、全てを捧げると念じながらね。この世界の管理者『アドミニストレータ』に、全ての愛を……」

 

「・・・はい」

 

 

ユージオにとってはもう、自分を幾重にも包み込む、甘く柔らかな感覚だけが自分の全てだった。自分の口が動き、掠れた声が漏れるのを、まるでソレを他人が声にしているように、ユージオはぼんやりと聞いていた

 

 

「それじゃあまず、神聖術の起句を」

 

「システム・コール…」

 

「そうよ、続けて。リムーブ・コア・プロテクション」

 

「リムーブ…コア…」

 

(ほんとにこれでよかったのかな…?でも、もう嫌なんだ…もう、悲しいのは…辛いのは…誰も僕を愛してくれないのは、嫌なんだ…)

 

「さぁいらっしゃいユージオ。私の中へ…永遠なる停滞の中へ……」

 

「プロテクション……」

 

 

ユージオの意識が、闇に落ちた。しかし、彼がその闇の中でもがくことはない。与えられる快楽という名の毒に、骨の髄まで、心の奥底まで侵されていく。自ら愛を捧げ、彼女の愛に溺れていく。そして最後に彼は、自分の意思全てを母なる女神へと委ねた

 

 

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