「大浴場に着いたけど、本当にこんなとこに騎士長がいるのか?仮にいるとしても、このまま風呂場で戦えってのか?」
「そんなことを私に聞かれても困ります。私はどこにいるのかと聞かれただけで、戦う場所までは考えてはいません」
「・・・いや、向こうさんはどうやらここでやる気みたいだ。こっからでも分かる…とんでもねぇ威圧感だ」
上条とアリスは大浴場の扉を開けて中に入ると、分厚い湯気の霧に出迎えられた。そして濡れた石畳の床を歩いていくと、霧の向こうで湯船に浸かる人影とその存在感に上条が気づいた
「よう、遅かったじゃねぇか。危うくのぼせちまうとこだったぜ」
「・・・アンタが騎士長ベルクーリか?」
「おっと、既に聞き及んでくれてるとはな。隣のお嬢ちゃんに紹介でもしてもらったか?」
「小父様……」
ザバーッ!という音と共に、ベルクーリが全身から滝のように水を落として身を起こした。湯気越しにも分かるその大柄で強靭な肉体には、おびただしいほどの傷跡が刻まれており、その男の強さをまざまざと語っているかのようだった
「・・・あー…嬢ちゃんもいる手前、そんなジロジロ見られてると着替えづらいんだが」
「あっ!も、申し訳ありません!」
「おっと、お前さんは別に見ててもいいんだぜ?」
「誰が進んでおっさんの裸なんぞ見るか!?」
「そうかい。それじゃすまんな、ちょいと向こうでも見といてくれ。なんだったら、俺の自慢の神器を見学しくれてもいいんだぜ?」
そう言われた上条とアリスはベルクーリの180度反対に体を向けると、つづらのような籠に刺してあった一振りの剣を見た。それは上条がこれまでの仮想世界で見たどの剣よりも巨大な体躯を誇る、黒の中に僅かな青がかかった大剣だった。まじまじとそれを見つめていると、突然その大剣が宙に浮かび上がり、自分の向きとは逆に吸い寄せられるように飛んで行った
「なっ!?」
「よう、待たせたな」
剣が宙を泳いでいったその先には、薄手の青い衣を羽織って腰回りを帯で巻いたベルクーリが立っていた。そしてその手には、彼の神器と思しき大剣が握られており、その重さを感じさせない素振りで悠々と肩に担いだ
「い、今の…どうやったんだ?」
「ん?あぁ…『心意の腕』つってな…ちょっと理屈じゃ説明しづれえんだ。そいつぁまたの機会にしてくれ」
ベルクーリは深みのある錆び声が似合う、剛毅な風貌を醸し出す男だった。口元や顔に刻まれた皺と顎に生えた無精髭は、彼が既に40前後の歳を重ねていることを暗に示していた
「んで、とりあえず俺も色々聞きてえんだが…まずその、なんだ。副騎士長は…ファナティオは死んだのか?」
素っ気ない口調で、ベルクーリは言った。それからすぐ視線を横に逸らしたことから、彼は不器用に自分の態度を取り繕っているようだと上条には思えた。おそらく彼は、本心ではファナティオという今は亡き騎士のことが気になって仕方がないのだろうと察すると、絞り出すような声で上条が答えた
「・・・悪い。俺が50階に付いた時には、もう…」
「・・・って言うとなんだ、お前さんが殺ったわけじゃ…ねぇんだな?」
「あぁ…俺はここに来るまで、整合騎士は誰一人殺してない」
上条がベルクーリの蒼く強かな目を真っ直ぐに見つめながら言うと、大浴場はしばしの沈黙に包まれた。そしてその沈黙に染み入るようにベルクーリは深くため息を吐くと、夕暮れに染まる大浴場の外を見つめながら言った
「・・・まぁ、嬢ちゃんがお前さんの隣に立ってここにいるってこたぁ、そういうことなんだろうな。しかしそうか、ファナティオが…今日は、多くを失った……」
そう語るベルクーリの横顔は、憂いに満ちていた。彼はあの女性に、一体何を思っていたのだろうか。上条にその答えは分からない。だが少なくとも今目の前にいる剣士は、手を合わせずとも、心を重ねることで、ファナティオを手厚く弔っているように見えた
「湿っぽい雰囲気にしちまって悪かったな。そんでファナティオの敵はお前が討って、アリスの嬢ちゃんは、今はそこの坊やに味方してる…ってことでいいのか?」
「はい。私は最高司祭アドミニストレータに、そして名を持たぬこの世界の真の神への反抗を…隣に立つカミやんと共に私の心に誓いました」
ベルクーリに訊ねられたアリスは、一歩前に出て右手を胸に当てながら彼に言った。ベルクーリはアリスの眼帯を見ると、まるで何かを喜ぶように微笑んだ
「・・・あぁ、そうか…その眼帯、右目。ついに嬢ちゃんはあの壁を超えたんだな。この俺が300年超えて破れなかった、右目の封印を…」
「小父様…」
「そんな顔すんじゃねぇ。美人が台無しだぜ。それに、俺は嬉しいんだ。これでもう俺が、嬢ちゃんに教えることはなにもねぇ」
「そ、そんな…!そんなことはありません!私はまだ小父様にもっと教わりたいことが、たくさん…!」
「いいや、そんなこと教えなくたって大丈夫さ。今の嬢ちゃんなら出来る。この歪んだ世界を…あるべき形へ導くことが」
ベルクーリの言葉に感極まったのか、アリスはそれ以上は何も言わずに口元を覆って涙を流した。そんな彼女の様子にベルクーリは苦笑を浮かべると、上条の方を向いて穏やかな声で言った
「なぁ坊や。手を焼くじゃじゃ馬娘だろうが、これから先、嬢ちゃんのことを頼んだぜ」
「・・・任せてくれ。たとえ俺の命に代えても、アリスを必ず守る」
「いい返事だ。さて、これで俺の役目は全て終わった。だが、俺は腐っても騎士だ。元老長の野郎に逆らえねぇのは癪だが、仕事をこなさないわけにゃいかねぇ。かといって、お前さんたちの背中を押してやらなきゃ、漢が廃るってもんだ。なんともまぁ面倒なジジイだと思うだろうが、ちょいと最後に付き合ってくれ」
そう言うとベルクーリは、時穿剣の柄を逆手に取ると、刀身を鞘に収めたまま石畳に突き刺した。そしてがらんどうになった両手で拳を作ると、脚を肩幅に開いて低く腰を落とした
「どうだい、侵入者の坊や。元老長から聞くところによると、お前さんはここまで立ち塞がった俺たち整合騎士を、その右手で叩き伏せてきたらしいじゃねぇか。そのお前さんの流儀に則って、ここで俺と拳で語り合うってのは」
「・・・それでいいのか?おっさんは俺をここで切らなかったら、いずれアドミニストレータや、元老とかいう連中に…」
「おいおい、俺はお前さんに嬢ちゃんを頼んで、お前さんはそれに答えた。その俺がどうしてお前を切らなくちゃならねぇんだ。それとも何か?嬢ちゃんを守るって坊やの覚悟は、俺なんかも倒せないくらい薄っぺらいモンなのか?」
「・・・分かった。いいぜ、望むところだ」
上条はベルクーリの挑戦を受け取ると、斜めがけにしていた剣帯を外した。ガアンッ!という音を立てて剣帯に付けられた盾と翡翠色の剣が石畳に落ちると、上条も腰を低く落として右手で拳を握った
「おおっ…いいな坊や。紛れも無い猛者の面構えだ。嬉しいぜ、お前さんみたいなのとこうして闘り合えるってんなら、整合騎士ってのも存外悪くない」
「おっさんの方こそ、騎士の割には妙に拳の握り方がサマになってるじゃねぇか。そんなことより、早く闘ろうぜ。俺にはあんまり時間がねぇんだ」
「そいつぁ失礼した。それでは整合騎士長!ベルクーリ・シンセシス・ワン!参る!」
「うおおおおおっ!!」
その掛け声と共に、石畳の湯水をバシャバシャと蹴りながら上条は駆け出した。ベルクーリは低く落としていた腰をより深く引き落とすと、右拳を引いて渾身の正拳突きを繰り出した
「ぜあっ!」
「ゔっ!?おえっ…」
ベルクーリの右拳は、上条の鳩尾に的確に突き刺さった。そのあまりの威力と衝撃に、上条は胃袋そのものが喉にせり上がってくるような感覚に膝を着きそうになったが、歯を食いしばってそれに耐えると、落ちそうになった足腰を踏ん張り、右拳でアッパーを突き上げた
「オラァッ!」
「ぬおっ…!?」
上条の右拳はベルクーリの顎を捉え、彼の頭部をまるごとかち上げた。彼の強靭な肢体が一瞬宙に浮いたがすぐさま地に足を戻すと、切れた唇の血を口から吐き出して弾けたように笑った
「かっ!コイツぁいいね。腹の底まで響いてきやがる…確かに他の整合騎士を倒してここまで登って来たってのも納得だ。だが!俺がくたばるにはまだまだ足りねぇぞ小僧ぉ!」
「おおおおおおおおっっっ!!!」
その光景をずっと見ていたアリスは不思議でたまらなかった。ベルクーリと上条は、明らかな体格差があるというのに、ほぼ互角に拳を撃ち合っている。常識的に考えれば、体格的に遥かに勝るベルクーリに上条が敵うはずがない。歳で体力が衰えつつあるベルクーリがあんなに何度も拳に打たれて応えないハズがない
「おおおおおおおおっっっ!!!」
「ああああああああっっっ!!!」
だと言うのに、アリスの前に立つ両雄は、なおも拳を向け合った。上条とベルクーリの体は既に青痣だらけで、何度も殴られた顔は血で塗れていた。だが、彼らはその痛みすらも感じていないように笑い合っていた
「がっはっはっ!ぜりゃあっ!」
「ごっ………あ……!?」
弾けるように笑ったベルクーリの鉄拳が、上条のこめかみを殴打した。上条は飛びそうになった意識を手繰り寄せると無我夢中で左足を突き出し、固く握った右手を振りかぶった
「うぅぅぅおおおおおおおおっ!!!」
「ぐおあっ!?小僧、まだーーー!?」
上条がもう一度己の顔を打ちに来たベルクーリの顔面に、ペキペキッ!と細かく骨が割れる音を伴わせながら、ありったけの拳を打ち付けた。ベルクーリがその一撃に後ずさると、上条は畳み掛けるようにベルクーリの懐に潜り込んで拳を振りまくった
「ベルクーリィィィッッッ!!!」
殴る、殴る、殴る、殴る。右手をひたすら反復運動させ、上条の拳はベルクーリの顔面に9発叩き込まれた。ここが勝機。圧倒的な体格差と力の差をひっくり返すには、自分にはもうこの瞬間しかない。上条は運動神経にそう命じて、10発目を振りかぶった…その時だった
「ぐうっ…!おああああーーーっっ!!!」
「ヅッーーー!?」
ベルクーリが吠え、喉元に強烈な一撃を喰らった上条の体が紙切れのように飛んだ。だが、それがどうしたと言わんばかりに上条は立ち上がる。分かっていた、この程度で勝てる相手ではない。ベルクーリはあまつさえ剣を置き、自分に戦いの土俵を合わせている。それが、一方的に九発の拳を喰らったぐらいで倒れるわけがない
「ベルクーッ…!!」
己の意地を懸けた拳の打ち合いはまだ終わらない。その場にいる三人の誰もが、そう信じて疑わなかった。しかし、バシャッ!という水が弾ける音を最後に、窓から差し込んでいたソルスが沈み、大浴場に暗がりが訪れた
「・・・ーリ…?」
整合騎士最強の男が、顔を下にして伏していた。そのあり得ない光景に、上条は言葉を失っていた。伏している男は、まだまだ当然に自分に襲いかかってくると信じていた。ベルクーリ・シンセシス・ワンの最期は、彼のそんな期待を裏切って、突然に訪れた
「お、小父様っ!?」
突然のことに呆気に取られて動けずにいる上条の横から、アリスがベルクーリの元へ駆け寄った。アリスは湯水に濡れる彼の体を支えながら仰向けに起こすと、目を瞑る彼の上半身を必死に揺すり始めた
「大丈夫ですか小父様!小父様っ!?」
「・・・へ、へっ…お楽しみは、もう…終わりか…やっぱり歳ってのは、取りたくっ…ねぇもんだな…」
「ッ!?お、小父様…まさか、もう既に天命の総量が…!?」
「あぁ…最初から分かってはいたさ。まだまだ現役張れる程度には元気だが、俺と坊やじゃあ…マトモに殴り合えば天命の総量が少ねぇ俺の方が先に倒れるってことくらい…」
「だ、だからって…何もここまですることは…!」
「悪いな嬢ちゃん、これしか思いつかなかったんだ。俺はどうやっても上の連中の指示にゃ逆らえねぇ。絶対に俺が負けてやれる方法は…これしか……」
「小父様…小父様っ!?小父様っ!?」
「あ、あっはっはっは…心配すんな、嬢ちゃん。まだ俺は死んじゃいねぇよ。なぁ坊や…そういやまだ名前を聞いてなかったな」
「・・・カミやんだ」
必死にベルクーリを揺り起こすアリスの頬からは、既に涙が伝い落ちていた。その冷たくも暖かい感触にベルクーリは恥ずかしそうに笑うと、自分の元に歩み寄ってきた上条に名前を訊ねた
「なぁカミやん、最後に教えてくれ。整合騎士ってのは…一体何なんだ?嬢ちゃんが連中に逆らえるようになったってことは、俺たちは…天から使わされた騎士じゃあねぇんだろ?」
「・・・整合騎士ってのは、お前も、ファナティオも、デュソルバードも、エルドリエも、もちろんアリスも、みんな元は人間なんだ。整合騎士は優秀な剣士や、過去に禁忌を犯したりした人間の記憶をアドミニストレータが封印して、天から召喚されたって記憶や人格を新たに統合された存在なんだ。カセドラルの統治を絶対にするために、偽物の記憶を魂に刻まれて作り出された騎士…それが整合騎士だ」
「記憶を、封じただと…?なるほどなぁ…俺も自分が天界から召喚された神の騎士だっつー話には…長い事飲みこめねぇもんを感じてたんだ。さて、記憶を封じられる前の俺は一体…どういう人間だったんだろうな…」
「・・・俺がユージオから聞いた話じゃ、アンタはお伽話に出てくる英雄だったらしい。ルーリッドの村でアンタの名前を知らない人はいないって…そう言ってたよ」
「はっ…お伽話の、英雄か…そりゃあ…楽しそうで…結構な、こと…だ………」
「小父、様…?小父様!?小父様っ!?」
「あぁ、大丈夫だファナティオ…俺も今…そっちに………」
アリスがベルクーリに必死になって呼びかけても、ベルクーリは今度こそ閉じた瞼を開けることはなかった。それでもアリスは縋り付くようにベルクーリの手を左手で握ると、かつて上条達がゴブリンと戦った時にセルカが唱えたのと同じ、天命移動の神聖術の詠唱を始めた
「システムコール!トランスファー・ヒューマン・ユニット・デュラビリティ!セルフ・トゥ・レフ……!」
「アリス、もういい…」
しかし、アリスの天命の光がベルクーリに移動し始めたところで、上条がアリスの左手に幻想殺しで触れ、強制的に彼女が唱えようとした神聖術の起動をキャンセルした
「なっ!?ど、どうして止めるのですカミやん!?私は小父様を………!」
ベルクーリの傍らで膝をつく上条は、彼のステイシアの窓を開き天命の数字に目をやっていた。その数字は既に0どころか、マイナスを大きく振り切っていた。上条はこの状態でなおも立ち上がっていた最強の騎士に驚愕すると共に、小さく首を振りながら言った
「・・・もう、天命を分けても意味がない…」
その言葉で、アリスは全てを悟った。あまりにも綺麗で安らかな、眠っているような顔。天命値移動の術式は天命がまだ残っている者にしか効果がなく、天命の尽きた相手に使っても自分の天命が減るだけだ。絶対に覆すことのできない、この世の理。永遠の眠りについた者は、もう二度と目を覚ますことはない
「多分ベルクーリは…自分でも言ってた通り、最初からこうするつもりだったんだ。きっと…自分が一番長い時間を共にした整合騎士と、同じ場所に行きたかったんだ」
「あ、あああああ……」
ベルクーリの最後の言葉は、この場にはいないファナティオ・シンセシス・ツーに語りかけるような声だった。それはきっと、彼の意識が今は亡き彼女の姿が見えるところまでいってしまったのだと、アリスにもはっきりと分かってしまった
「小父様…おじ、さま…ベルクーリおじさまあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」