「いやー!自分の尻を自分で拭くとは、本当に上条には頭が下がるじゃんよ!」
その後、時刻は夕暮れに差し替かっていた。吹寄が風紀委員に連絡を入れ、大学の現場に黄泉川愛穂が率いる警備員の小隊が駆けつけた。金本を連行して現場を粗方整理し終わると、上条と吹寄に話しかけていた
「正確には俺じゃなくて吹寄がやったんですけどね。高校時代に喰らったことあるから分かるが、本当この石頭から繰り出されるヘッドバットは痛いのなんのって…」
「そうは言うけど、私だって無我夢中だったのよ?咄嗟に思いついたのがあの方法だったってだけで、アレを狙って出来たならそれこそ今ごろ風紀委員か警備員にでもなってるわ」
「あはは!吹寄が警備員になったら、私もいよいよお払い箱じゃん?」
黄泉川なりの気遣いなのか、彼女の態度はおよそ殺人さえ手にかけていた凶悪犯を取り締まった後のソレとはとても思えなかった。おかげで上条と吹寄も肩の力がすっかり抜け、いつもの調子を取り戻しつつあった
「しかし、金本がまさか学園都市に潜伏してたとは思わなかったじゃん。てっきり死銃事件の後は日本を逃げ回ってるもんかと」
「まぁでも、これで終わったってんなら一安心ですよ。誰も怪我なく終わったんすから」
「まぁ、それが一番じゃん。ほんじゃ、私はまだ仕事残してきてるからそろそろ行くじゃんよ。くれぐれも気をつけて帰るじゃん」
「はい、ありがとうございました」
吹寄が一礼すると黄泉川は後ろ姿のまま手を振り駆け足で車に乗り、そのままエンジンを蒸して走り出した
「ところで吹寄、お前バイトはよかったのか?」
「アホか貴様。流石にこんなことあった後で働かせるほどブラックなバイトしてないわよ」
「そりゃそうか…カエルの先生んとこの病院のバイトだもんな。じゃあ送ってくよ、一応あんなことがあった後だしな」
「うぇっ!?そ、そうね…それじゃあお願いしようかしら…」
「・・・?大丈夫か?なんか顔赤くねぇか?」
「ゆ、夕陽のせいよこんなの!は、早くしなさい置いて行くわよ!」
「えっ!?ちょ、言ったそばからそれかよ!?」
上条と歩幅を合わせて帰れることが嬉しかったのか、吹寄の頬は夕暮れに溶け込むように紅潮した。しかし、ただでさえ鈍感な上条がそんなことに気づくわけもなく、照れ隠しと少しの怒りを交えて言った吹寄はズカズカと歩き始めた
「そういえば、学究会の続きはどうなったのかしら?」
「あぁ…まぁ確かに不測のアクシデントはあったっちゃあったが、あくまでも講堂の外の話だったからな。警備員と風紀委員を増員して、少し時間を遅らせて再開したらしい。俺はトップバッターである意味良かったよ」
「でも、もし順番が後ろの方だったら、延期になって発表が見送りになったかもしれないわよ?」
「・・・不幸だ…」
「冗談で言ったのに貴様というやつは…」
夕暮れに染まっていた空はもうすっかり暗くなり、二人の帰路を学園都市の街灯が照らし始めていた。そしてその帰路もやがて終わりに近づくと、吹寄がくるりと踵を返し、上条と向き合った
「ここまででいいわ。送ってくれてありがとね」
「なに、気にすんな。こっちこそ悪かったな、あんな物騒なことに巻き込んじまって」
「・・・それで思い出した。貴様、結局私の質問に答えてないわよ?」
「え?」
上条がてっきりこのまま今日は解散だと思い込んでいると、吹寄がむっとした表情で詰め寄ってきたので、思わず半歩後ろに下がった
「え?じゃない!襲われたりして忘れたのは仕方のないことかもしれないけど、誤魔化そうたってそうはいかないわよ!貴様の論文よ論文!アレは空想上の産物ってことでいいのよね!?」
「あっ!?お、おう…そうだったな。それは…えっと…」
上条は、先程自分の手で殺人鬼を目の前にしていたにも関わらず、今はまるで自分が犯罪者にでもなっているような気分だった。自分に突き立てられた人差し指と、彼女の真剣な眼差しにたじろいてしまったが、生唾を飲み込むと意を決して口を開いた
「・・・いや、あの時はそう言ったけど、本当にそうだとは言い切れない。なんせ俺たちの科学には、まだまだ発展の兆しがある。でも大丈夫だよ吹寄。お前が心配するようなことは何も起こらないし、俺ももう自分からそんなことに首を突っ込むつもりはない」
「・・・その言葉に嘘、偽りはないわね?」
「ない」
そう尋ねる吹寄の瞳は、上条の瞳を真っ直ぐ見つめて離さなかった。そして上条もまた、彼女の視線から決して目を逸らさなかった。しばらくの間見つめ合うと、吹寄がすっと目を閉じて肩で息を吐いた
「分かった。じゃあそういうことにしておいてあげる。だけど、あくまで仮想世界から足を洗えって言ってんじゃないんだからね」
「は、はい?」
「そりゃ私だって、危険な目に遭ってこいって言ってるんじゃないわよ?だけど、もし仮に誰か困っている人がいるのなら、それを見捨てるなってことがいいたいのよ。要するに面白半分に面倒ごとに首突っ込むなってことが言いたいのよ。分かった?」
「あぁなるほど、そういうこと…っておい待て。その理論でいくなら、俺が仮想世界の厄介事に首突っ込んでるのは、大体が困っている誰かを助けるためか偶発的な事故であってだな…」
「さっき遭遇した金本敦とかいうヤツの絡んでたGGOの事件は、果たしてそうだったと言えるかしら?」
「うっ……」
「はい論破。今回はまだ被害にあったのが私と貴様だけだったから良かったけど、仮想世界の事件が巡り巡って現実世界にまで回ってくるってこと、今日身に染みて思い知ったでしょう?でもそれは、逆も然り。現実世界で起こったことが、巡り巡って仮想世界で重大な事件に関わることだってあるかもしれないんだからね?」
「・・・なるほどな。そういう風に考えたことなかったよ。ありがとな吹寄、本当にお前には助けられてばっかりだ」
「私は本当に貴様を助けてばっかりよ。この借りは、きっといつか返してもらうからね」
「あ、あんまり高いのはNGだぞ?なんせ上条さんはバイトもしてないんだからな」
「ふふっ、分かった。それじゃあ、貴様も気をつけて帰るのよ」
「あぁ、またな」
そんな別れの言葉を最後に、吹寄は自身の住まうアパートへの道を歩き始め、彼女の後ろ姿を見た上条もまた自宅への道を辿るために踵を返して歩き始めた
「あ、そうだ上条」
「ん?どうしt……」
吹寄の声に振り向いた上条が垣間見たのは、鋼鉄の仮想世界で何度も対峙した、あらゆるものに等しく死を告げる黒い凶器だった。彼女の右手に握られたソレは、左肩に下げているトートバックとは似ても似つかなかった
「ーーーッ!?」
何かの間違いだと上条は思った。しかし、間違いだと思うにはあまりにも、そのトリガーに指をかけた彼女の表情は、深い哀しみに満ちていた
「・・・ごめんなさい」
深淵を覗かせる銃口から放たれた悪魔の弾丸は、一瞬の間に夜の街を駆けた。耳に突き刺さる爆裂音、鼻に残る硝煙の香り。飛び散る血飛沫と、虚空が突き抜ける胸元
「ガハッ!?」
喉をせり上がってきた血液が、口から飛び出した。耐え難い激痛に膝をつき、両手で胸を覆って倒れこんだ。胸元が焼けただれたように熱い。しかしその熱に反して、身体の内側では寒気が収まらない。体の感覚は狂うどころか、残っているのかすら分からなかった
「なんで、だよ……ふき、よせ…………」
血が体の外に出すぎたのか、視界は徐々に霞んでいき、闇夜に深い靄がかかっていく。その靄の向こう側に、見慣れたはずの一人の少女がいた。自分を見下ろしながら、もう一度銃口を向けた少女の服は返り血に塗れており、出会ってから今日まで信頼を寄せていた少女とは別人のようだった。その顔を垣間見ようとも、毛先まで丁寧に手入れされた黒髪が覆い被さり、その表情は闇夜の影に紛れていた
「お願い。こんな弱い私を赦して…上条…」
免罪を請う少女の言葉の直後、もう一度銃口から虚しい銃声が響き渡った。まるで残響に唆されるように血が溢れ出していき、上条の意識は紅の海の中に沈んでいった