そこは、今までと同じように足場の床や壁は大理石で作られていた。しかしドーム状に膨らんだ天蓋には、さながらプラネタリウムのように星々が一つ一つ輝いており、それを見守るが如くこの世界に伝えられる四人の神が描かれていた。そんな限りない宇宙をどこか匂わせる空間に、三人は立っていた
「げ、猊下〜ッ!?最高司祭猊下〜ッ!?き、来ましたぁ〜〜〜っ!ヒィホホホ!?」
アンダーワールド内最高を誇る建造物。セントラル・カセドラル。その頂点、100階にたどり着いた上条、ユージオ、アリスを最初に出迎えたのは、チュデルキンの慌てふためいた金切り声だった。赤と青の道化師はボールのように跳ねながら部屋の中央にあるカーテン付きのベッドの中へと叫んだ
「テメエが言ってた通り来てやったぞ!公理教会最高司祭!」
続いて上条もまたベッドに向かって叫ぶと、ベッドの下の床が沈んでいった。すると同時にベッドの天蓋が開き、そこから浮かび上がるようにして何者かが姿を見せた。腰どころか膝まで伸びた深い銀色の髪、全てを虜にする銀瞳、柔らかな肌、そしてこの世のものならざる妖艶さを醸し出す紫のドレス。この世に生ける誰もが一目見ただけで見惚れるであろう美貌を持つその女神は、ゆっくりと地に降り立った
「・・・お前がアドミニストレータか?」
「えぇ、そうよ」
「「「ーーーッ!?」」」
微かな笑みを浮かべながらアドミニストレータが言うと、その場にいる三人は思わず息を呑んだ。そのたった5文字の声に、信じられないほどの殺気が込められていた。その殺気に押しつぶされそうになりながらも、上条はなんとか喉を鳴らして言い返した
「へぇ…300年近く生きてるって割には、白髪も皺もねぇんだな。てっきり杖突いたヨボヨボのBBAとか、黒いローブで全身覆った魔女が出てくるのかと思ったが、随分と頑張って若作りしてんじゃねーか」
「・・・ねぇ、アリスちゃん。ベルクーリとファナティオはそろそろリセットする頃合いだったけれど、アリスちゃんはまだ6年くらいしか使ってないはずよね?論理回路にエラーが起きてる様子もないし。やっぱりそこの『イレギュラーユニット』の影響なのかしら?面白いわね」
上条の挑発をため息一つ吐いて無視を決め込むと、アドミニストレータはアリスへと視線を向けながら話し始めた。イレギュラーというのは自分のことだろうと思いながら上条はアリスへと視線を向けると、最後にアドミニストレータが付け足して言った
「それとアリスちゃん、あなた私に何か言いたいことがあるのよね?怒らないから今ここで言ってごらんなさいな」
「ッ!?」
微かに笑いながらアドミニストレータがそう言った瞬間、アリスはまるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。全身が青白く血の気を失っていき、歯がガチガチと震え始め、思わず一歩足を引いた。しかし、黒い眼帯の巻かれた右目に手をすっと添えて我を取り戻すと、左目でこれまで仕えてきた最高司祭の銀の瞳を見据えながら言った
「・・・最高司祭様。栄えある我らが整合騎士団は本日をもって壊滅いたしました。私の隣に立つ、わずか2名の反逆者の手によって。そしてあなたがこの塔と共に築き上げた、果てしなき執着と欺瞞故に!」
「ふぅん。それで?」
「我が究極の使命は、公理教会の守護ではありません!剣なき民の穏やかな営みと、安らかな眠りを守ることです!然るに最高司祭様…あなたの行いは、人界に暮らす人々の安寧を損なうものに他なりません!」
「だ、黙らっしゃ〜い!こ、この…半壊れの騎士人形風情がぁー!!」
アリスが一歩踏み出して金の鎧を鳴らし、青のマントをはためかせながら高らかに宣言した。その宣言が終わるや否や、チュデルキンが左手でアリスを指差しながら耳障りな金切り声で喚き散らし始めた
「お前ら騎士どもは所詮、アタシの命令通りに動くしかない木偶人形なんですよっ!大体騎士団が壊滅したとか、ちゃんちゃらおかシィィィーンですよゥ!使えなくなったのはポンコツ一号二号を含めて10人足らずじゃないですかっ!つまり、アタシにはまだ20も駒が残ってるんですよゥ!お前一人がガタガタ抜かしたところで、教会の支配はピクリとも揺るぎゃアしねェんですよこのバカ娘ェ!」
「馬鹿はお前です、カカシ男。その丸い頭には、脳味噌ではなく麦ワラやボロ布が詰められているのですか?」
「なっ…なぁぁぁにぃぃぃ!?」
なおもギャアギャアと喚き散らすチュデルキンと冷静に切り返すアリスを他所に、アドミニストレータが独り言のようになにかをブツブツと呟いていることに上条が気づき、僅かに漏れ出す吐息に耳をすませ、口遣いに目を凝らしていた
「ふぅん…やっぱり論理回路のエラーってわけではなさそうね。それに私が埋め込んだ敬神モジュールもまだ機能している…となると、あの『コード871』を自発的意思で解除したのかしら…?突発的な意思ではなく、論理的な意思で…」
(・・・コード871…?あの右目の封印のことを言ってるのか…?)
「ふん、まぁこれ以上は解析してみないと分からないわね」
アドミニストレータの口にしている独り言の意味が分からず上条が顔を顰めると、彼女がそれに気づいたのか鼻を鳴らしながら不敵に笑い、艶めかしい長髪を後ろに払いながらチュデルキンに言った
「さて、チュデルキン。私は寛大だから、下がり切ったお前の評価を回復する機会をあげるわ。あの三人をお前の術で無力化してみせなさい。天命は…そうね、残り二割までは減らしていいわよ」
「ッ!?ささ、最高司祭猊下ぁ〜〜〜!!」
そう言って身を翻し、その場から離れようとしたアドミニストレータを、チュデルキンが必死に呼び止めた。するとチュデルキンは、突然両足を揃えて座ると、これでもかというほど額を地面に擦りつけながら叫んだ
「元老長チュデルキン!猊下にお仕えした長の年月におきまして、初めての不遜なお願いを申し奉り上げまする~!小生これより身命を賭して反逆者共を殲滅しますゆえに!それを成し遂げた暁にはげ、猊下の…猊下の尊き御身をこの手で触れ!口づけし!い…いっ…一夜の夢を共にするお許しを!何卒!何卒!何卒頂戴したく~っ!」
「・・・え〜…カミやんさんの耳がおかしかったんでせうかね?この世の命運を懸けた大一番を前に、こともあろうに目の前のコレが戦う理由は、要するにアドミニストレータさんと一発ヤリた…」
「言わせませんっ!」
チュデルキンの必死の嘆願に、上条が汚物を見るような目をしながら引き気味に訊ねると、顔を真っ赤にしてアリスがツッコミを入れた。流石のアドミニストレータも一瞬は面食らったようだったが、次第に大声でひとしきり笑うと、チュデルキンを誘うような甘い口調で言った
「ふふっ、はは…あっははははは!!!いいわよ、チュデルキン。創世神ステイシアに誓うわ。役目を果たしたその時には、私の体の隅から隅まで一夜お前に与えましょう」
真実には実在しない神の名を語りながら、アドミニストレータが豊満な胸に手を添えながら言うと、チュデルキンは目、話、口から体液をぼたぼたと漏らし、嗚咽を混じえながら歓喜に打ち震えていた
「おっ、うほおおおおっ!小生ただいま無上の歓喜に包まれておりますぅ〜…!もはや…最早小生!闘志万倍!生気横溢!はっきり言いますれば…無敵ですよぉ~!!」
金切り声を張り上げてチュデルキンが叫ぶと、赤と青の帽子を投げ捨て、綺麗に髪が禿げたスキンヘッドを軸にして逆立ちすると、チュデルキンの顔を濡らしていた体液がジュッ!と音を立てて一瞬で蒸発した
「システムコォォォル!ジェネレィトォ!サァァマルゥゥゥ!エレメントォォォゥッ!」
チュデルキンが不自然なほどに式句の語尾を引き延ばしながら発音すると、靴と靴下を脱ぎ捨て、足の指、手の指全てを限界までかっ開いた。するとその直後、合計20本に及ぶ指先にルビーのような赤い輝きを放つ熱素が宿った
「お見せしましょォォォウ…!我が最大最強の神聖術!出でよ魔人ッ!反逆者共を焼き尽くせェェェ!!」
そのあまりの熱量に、チュデルキンの眼窩が炭のように黒ずんだ。短い足、ありあまる腹、やたらと長い腕、そして頭には王冠。チュデルキンの熱素から作り出されたそれらが燃え盛りながら形を成した巨人は、まさに『炎の魔人』と呼ぶに相応しかった
「・・・前言撤回だな。戦う理由はどうあれ、コイツは油断して相手するべきヤツじゃない」
「どうやらそのようです。あやつにこれほどの術が扱えるとは、私も知りませんでした」
「こ、これ…本当に神聖術なの…?」
炎の魔人を眼前にして、上条ら三人は例外なく息を呑んだ。こうして目の前に立っているだけで、その暑さに全身が汗ばんでくる。まるで太陽そのものを相手にしているような張り詰めた空間の中で、やがてアリスが金木犀の剣を鞘走らせて言った
「残念ですが…あの実体なき炎の巨人は、私の花たちでは破壊できそうにありません。防御に徹しても、そう長くは持たないでしょう」
「つまり、その間に僕たちの内誰かがチュデルキン本人を攻撃するしかない…ってことかいアリス?」
「そうなります。ただし、剣の間合いにまで接近してはいけません。最高司祭様はその機会を伺っているのですから」
ユージオが長年の時を超えて再会を果たした幼馴染に訊ねると、アリスは彼を一瞥しながら頷いた。そして上条は二人の間で身を屈めると、二人の耳元で囁いた
「なら、俺に作戦がある。ユージオ、お前まださっきの武装完全支配術を使えるか?」
「う、うん。心意技は無理かもしれないけど、青薔薇の剣があれば完全支配術は使えると思う」
「よし、なら大丈夫だ。いいか?まず……」
上条の耳打ちに不安そうになりながらもユージオが頷くと、上条はアリスも交えて二人に自分の考えた作戦を両者に小声で伝えた。そしてそれを伝え終わった瞬間、なおも逆立ちの状態を維持したチュデルキンが吠えた
「ヒョ〜ホホホッ!作戦会議は終わりましたかぁ!?まぁそんなものしたところで、オメェ達が丸焦げになるのは変わらねぇってンですヨゥ!!」
「おおおおおおっ!!」
炎の魔人が巨体をゆらゆらと揺らしながら迫り、躊躇なく豪腕を振り下ろした。上条はそれに臆することなく巨人の前へと躍り出ると、爆炎を纏う拳を右の掌で真っ向から受け止めた
「ーーーッ!?」
あらゆる幻想を打ち消す上条の右手でも、その一撃を受け止めるのが精一杯だった。全身に重みがズシリとのし掛かり、折れ曲りそうになる右手首を懸命に左手で支えた。しかし、それは上条とて最初から分かりきっていたことだった。ここまで強大な一撃を御し切れる訳がない。だから上条の視線はその時には既に、自分の後ろで青薔薇の剣を抜いたユージオに向けられていた
「ゆ、ユージオッ…!」
「エンハンス・アーマメントッ!!」
ユージオは逆手に持ち替えた青薔薇の剣を、最上階の床へと突き立てた。そして武装完全支配術の最後の式句を口にすると、バシィッ!という音を反響させながら永久氷塊がチュデルキンに伸びていく…ハズだった
「オ〜ホホホ!ちょっとは頭を使えってんですヨォ!そんなナヨっちい氷が、この私の神聖術の前に通用する訳ないでしょうが!バーカバーカ!」
「「ッ!?」」
「ヒィ〜ッヒヒヒヒ!これで最高司祭猊下の御身は私の…ヒョ〜ホホホホホホ〜!」
青薔薇の剣を中心に広がっていく氷の海は、支配術の起動とほとんど同時に溶解してただの水に変わり、瞬く間に蒸発してしまっていた。予想だにしていなかった事態に、上条とアリスは最悪の展開を脳裏によぎらせた。そんな二人の青ざめた顔を見て、チュデルキンが揺るがぬ勝利を確信し高笑いする中、ユージオだけが青薔薇の剣の柄を握りしめて声高に叫んだ
「まだだっ!」
「ウヒョッ!?」
「僕の青薔薇の剣は!世界創生の頃から、果ての山脈で極寒の吹雪に鍛えられてきたんだ!こんな炎なんかに!負けてたまるかあああぁぁぁっ!!」
ユージオの瞳に、光が宿る。敵の手で植え付けられた剣の記憶を、懸命に自分の意思で塗り替えていく。太古より極寒の吹雪の中で孤独に佇む白銀の剣は、万物を凍てつかせる奇跡を持つ。その奇跡は、紛れもなく自分の手の中にある。そして、今隣に立っている最愛の幼馴染の懐かしい笑顔を守りたい。ただそれだけを願って、ユージオは武装完全支配術の、さらなる神髄である『記憶解放術』へと手をかけた
「リリース・リコレクション!!」
「ぎひっ…!?」
バガァンッ!!という轟音が最上階全体を揺るがした。ユージオの手の中で青薔薇の剣が一際強く震え、灼熱で包まれていた熱気が、肌をピリつかせるほどの極寒に豹変した。先ほどの上条との戦いとは比較にならないほど巨大な氷の柱がチュデルキンに襲いかかり、道化師じみた金切り声が悲鳴をあげる間も与えずに彼の矮小な全身を氷の檻へと封じ込めた
「捉えましたっ!エンハンス・アーマメント!」
刹那、アリスが金木犀の剣の武装完全支配術を発動した。黄金の刀身が瞬く間に光り輝く数百の花弁に分離し、花吹雪のごとく舞い上がった
「ーーー吹き荒れろっ!!」
金木犀の花弁は万物を砕く黄金の風となり、チュデルキンを封じた氷を飲み込んだ。そして金木犀の風が氷の海を通り過ぎる頃には、上条が食い止めていた炎の魔人は跡形もなく消え、後にはバラバラに砕けたチュデルキンの氷塊が転がっていた