「か、勝った…!」
顔から大量の汗を噴き出した上条が、拳を引き寄せながら言った。それからアリスとユージオも互いに顔を見合わせて頷き合い、勝利を分かち合うように笑った。しかし、宙に浮くアドミニストレータがチュデルキンの氷片に手を差し向けた瞬間に、三人は一斉に身構え直した
「うふっ、そう怖がることでもないわ。ただそこのが邪魔だから片付けるだけよ」
そう言ってアドミニストレータが無造作に左手を振ると、部屋にばら撒かれた氷が軽々と吹き飛んだ。そして氷の欠片が壁に叩きつけられると同時に、中のチュデルキンごとさらに細かく砕け散った
「な、なんということを…!?」
「あら。元々アイツを粉々にしたのはアリスちゃんの方じゃない。まぁ退屈なショーではあったけれど、意味のあるデータはいくつか取れたわね」
「テメエッ…!そういうことを言ってんじゃねぇよ!アイツは仮にもテメエの仲間だったんだろうが!テメエを慕って命を張ってまで戦ったヤツに、どうしてここまで酷い仕打ちができんだよ!?」
その光景に絶句したアリスをアドミニストレータが笑うと、上条が彼女の態度に怒りを露わにしながら怒鳴った。しかし彼女はそれでも態度を変えることなく、涼しげに両足を組みながら唇に指を添えて言った
「あっははは!仲間?最初から私にそんなものないわよ。それとも他人を大切に思うことがそんなに大事?ねぇ…『イレギュラーの坊や』?」
「・・・・・」
「分かってないとでも思った?詳細を参照できないのは、非正規な婚姻から発生した未登録ユニットだからなのか…って思っていたんだけれど、違うわよね?あなた、あっちから来たのよね?つまりは『向こう側』の人間。そうなんでしょ?」
可愛げな子どものようなあどけなさを演じながら、アドミニストレータは首を傾げながら上条に訊ねた。この女は、もう自分の素性を全てを理解している。そう実感した上条は、否定することもせずに真っ直ぐ答えた
「・・・そうだ」
ユージオとアリスは、二人の会話がまるで理解出来ていなかった。あっちから来た、向こう側の人間。その言葉の意味に思考を巡らせる中、上条はユージオとアリスの湧き出てくる疑問に答えることなく続けた
「とは言っても、俺は人工フラクトライトじゃないってだけで、特別なスキルや神聖術なんて何も持ってないんだぜ。むしろ、テメエのやりたい放題には遠く及ばねぇよ。アドミニストレータ…いや、クィネラさんよ」
上条がその名を口にした途端、アドミニストレータの表情が目に見えて曇った。話の内容が分からないユージオとアリスでも、それだけは分かった。しかしそれは一瞬のことで、彼女は先ほどよりも大きく口角を吊り上げて笑った
「図書室のちびっ子が、性懲りも無くつまらない話をあれこれ吹き込んだようね。それで?坊やは一体何をしに私の世界へ転げ落ちて来たのかしら?管理者権限の一つも持たずに」
「確かに俺には大した権限はねぇな。だけど、知っていることなら少しはある」
「へぇ…例えば?下らない世間話じゃないわよね?」
当たり前だと言わんばかりに上条は舌打ちすると、表情を険しく張り詰めさせながら瞳に鋭い光を宿し、アドミニストレータに右手の人差し指を向けて言った
「テメエは知る由もねぇだろうが、テメエの大切な世界はそう遠くない内に滅びる。他の誰でもないテメエ自身の手でな」
上条が出来る限り語気を強めながら語ったにも関わらず、アドミニストレータはそれをおかしそうに鼻で笑うと、宙で頬杖をついて呆れたように言った
「私が?私の可愛い人形ちゃんたちを散々痛めつけてくれた坊や達じゃなくて、この私が滅ぼすって言うの?」
「まぁな。簡単なテメエの間違いだ。ダークテリトリーの総侵攻に対抗するために整合騎士団を作り上げた…いいや、作っちまったこと、それ自体が、テメエのしでかした何よりのミスだ」
「ふふ、うふふ。いかにもあのちびっ子が言いそうな事ね。あなたみたいな坊やを籠絡するなんて、おちびさんも随分と手管を覚えたみたいねぇ。いっそ不憫だわ…そこまでして私を追い落としたいあの子も、それを信じてこんな所まで苦労して登ってきた坊やも」
唇を指で押さえながら漏れそうになる笑いを堪えるアドミニストレータは、上条を見下しながら言った。すると上条の横で、黄金の鎧を凛と鳴らしながらアリスが一歩前に出た
「お言葉ですが、最高司祭様。来るべき闇の軍勢の侵攻に現在の騎士団では抗しきれないとお考えだったのは、騎士長ベルクーリ閣下もご同様でした。そして、私もです。無論、我ら騎士団は最後の一騎までも戦い抜き、最後には散り果てる覚悟も有りました」
「ですが、一つお聞かせ下さい。最高司祭様には騎士団なき後、無辜の民を守る手立てはおありだったのですか!?よもやお一人で、かの大国勢を滅ぼし尽くせるなどとお考えだったわけではありますまい!」
アリスはこれ以上なく激昂していた。上条とユージオはシンセサイズされたアリスと出会って間もないが、彼女がこれまで盲目的に支えてきた最高司祭に対し、ここまでハッキリと反抗を口に出来ることに驚いていた。そしてアリスは、なおも表情一つ変えないアドミニストレータに対し、柄を逆手に握った金木犀の剣を突き立てて言った
「最高司祭様。私は先刻、あなたの執着と欺瞞が騎士団を崩壊させたと言いました。執着とはあらゆる武器と力を奪ったことであり、そして欺瞞とはあなたが我ら整合騎士をすら深く謀っていたことです!あなたは我らを家族や愛すべき者から無理やりに引き離し、記憶を封じ、ありもしない神界より召喚されたなどとという偽りの記憶を植え付けた!」
「私はそれを、民たちを守るために必要な行為であったと言うのであれば咎めますまい。ただ!どうして我ら整合騎士の公理教会と最高司祭様に対する忠誠と敬愛すらも信じてくださらなかったのです!?なぜ我らの魂に、服従を強制するような術式を施されたのですか!?」
思いの丈を吐き出し切ったアリスの隻眼からは、涙が溢れ出していた。右に立つ上条にそれは見えなかったが、ユージオはその涙を拭いもしないアリスのすがたに心を痛めた。しかしアドミニストレータは、それすらも興味がないように薄ら笑いを浮かべた
「あらあら、アリスちゃん。随分と難しいことを考えるようになったのね。まだたった5年…いや6年だったかしら?それくらいしか経ってないのにね。今のあなたが『造られてから』」
最後の一言をやたらと強調しながら、アドミニストレータは情というものを一切感じさせない口調で言った。そしてその響きが消えぬ間に、彼女は続けざまに言った
「私があなた達を信じていなかった…ですって?ちょっとだけ心外だわ。とっても信頼していたのよ?私の可愛いお人形さんですもの。あなた達にプレゼントした敬神モジュールこそ、私の愛の証だわ。あなた達がいつまでも綺麗なお人形さんでいられるように、下らない悩みや苦しみに煩わされずに済むように、そう願ってね」
「小父さまが…騎士長ベルクーリ閣下が整合騎士として生きた300年という長き日々の間に、僅かでも悩み、苦みもしなかったと…最高司祭様はそうお考えなのですか…?」
絞り出すような声でそう言ったアリスは、顔を俯かせながら奥歯を噛み締めていた。黄金の柄を握るその手は、力むあまり血管が浮き彫りになっていた
「誰よりも深い忠誠をあなたに捧げた人が!その心中に抱き続けてきた痛みを知らないと!あなたはそう仰るのですか!?」
「ええ、知ってたわよ。もちろん」
勢いよく顔を上げ叫んだアリスとは対照的に、アドミニストレータはさも当然であるかのように言った。そしてやれやれと言った具合に手を広げると、鋭い瞳のアリスに冷酷な視線を向けた
「かわいそうなアリスちゃんに教えてあげるわ。一号…ベルクーリがその手の話にうじうじ悩むのは、初めてじゃないのよ」
「な、なんですって……?」
「実はね。100年ぐらい前にもあの子は同じようなことを言いだした。だからね。私が直してあげたのよ」
「ッ!?」
「あの子だけじゃないわよ。100年以上経ってる騎士はみーんなそう。辛い事は何もかも忘れさせてあげたのよ。安心してアリスちゃん、今あなたにそんな悲しい顔させている記憶も消してあげる。何も考える必要のないお人形にちゃーんと戻してあげるわ」
歪んでいる。と、アリスを蔑んだ目で見下しながら語るアドミニストレータを見てユージオは思った。もはやこの女は、何を言っても感情が動くことはない。そう思ったのはアリスも同じだったようで、これ以上は語るまいと最後に深く息を吸って言った
「確かに、私は今胸を引き裂かれるほどの苦しみと悲しみを感じています。けれど私はこの痛みを…初めて感じるこの気持ちを、消し去りたいとは少しも思いません。なぜならこの痛みこそが、私が人形の騎士ではなく一人の人間であることを教えてくれるからです!最高司祭アドミニストレータ!私はあなたの愛を望まない!あなたに私という人間を直してもらう必要はありません!」
「残念だけど、あなたがどう思うかなんて関係ないの。私が再シンセサイズすれば、今のあなたの感情なんて最初からなかったように、何もかも消えちゃうんだから」
「あぁ、そうだったな。テメエもクィネラだった頃にドジって、感情が支配されちまったんだもんな?」
優しい笑顔で残酷な言葉を発したアドミニストレータに対し、上条は敢えて挑発するような口調で鼻で笑いながら彼女に言った。その上条にクィネラだった女神は、邂逅してから初めて怪訝そうな表情を見せた
「・・・ねぇ坊や、昔の話はやめてって言わなかったかしら?」
「多分言われてねぇな。つーか、やめれば事実が消えるってのか?いくらテメエでも過去を好き放題編集できるわけじゃねぇだろ。テメエもまた人の子として生まれ育った、一人の人間って事実は天地がひっくり返っても消せねぇんだからな」
「人間、ね。じゃあ何?同じ人間なら向こう側から来てる俺の方が偉いぞ…ってことが言いたいのかしら坊やは?」
「偉いとかじゃねぇよ。テメエも人間である以上、完璧な存在であることなんて有り得ないって事だ。人間っつーのは、何度も間違いをするように出来てる生き物だ。だけどテメエの過ちはもう修正不可能な所まで来ちまってんだよ。整合騎士団が半壊した以上、もし今ダークテリトリーの総侵攻が始まったら人界は滅ぶぞ!」
「・・・騎士達を壊して回ったのは坊やなのに、なんだか随分な言いようね」
これまでただ冷ややかに語っていただけのアドミニストレータだったが、上条に向けて話す言葉には少しトゲのようなものがあった。しかし、上条は彼女の高圧的な物言いや風格に気圧されることなく、なおも言った
「自分だけ生き延びられれば、その後で最初からやり直せばいい…どうせテメエはそう思ってんだろ?ところがどっこい、残念ながらそうはならなぇんだよコレが。向こう側にはこの世界に対して、真に絶対の顕現を持つ人間がいるんだ。まぁ残念ながら今の俺は持たない側だけどな」
「んで、多分ソイツらはこう思うんだ。『今回は失敗だったな。最初からまたやり直そう』ってな感じにな。そしてリセットボタンをポチッとして、この世界の何もかもを消しちまうのさ。街も、山も、川も、空も…テメエを含めた全ての人間もまた、一瞬でな」
ユージオとアリスは、またも自分達には理解の追いつかない会話を始めた上条とアドミニストレータをただ見ていることしか出来なかった。彼女は退屈そうに息を吐くと、押し黙る二人の視線を無視して言った
「それなら、あなた達向こう側の人間はどうなのかしら?自分達の世界がより上位の存在に創造された可能性を常に意識し、世界をリセットされないように上位者の気に入る方向にのみ進むように努力でもしているの?」
「・・・それは…」
「誤魔化すことないわよ。そんなはずないわよね?戯れに命と世界を創造して、いらなくなれば消し去ろうなんて連中だものね。そんな世界からやってきた坊やに、私の選択をどうこう言う権利があって?」
アドミニストレータの言い分は、実に正論を射ていると上条は僅かながらにも思ってしまった。ただ一人だけ外部の存在を知覚し、その世界を意識して来た。そんな立場に立ったことのない上条には、今の彼女の気持ちを推し量る術はなかった
「そんなの、私は御免だわ。創造神を気取る連中に、存在し続ける許しを請うなんて惨めな真似はしない。私の存在証明はただ支配することにのみある。その欲求だけが私を動かし、また私を生かすのよ」
「この足は、踏みしだくために在るのであって!!決して膝を屈するために在るのではない!!!」
アドミニストレータが、初めて怒声を上げた。彼女の周囲の空気がその叫びに同調するように巻き上がり、極薄の絹で出来たドレスを揺らした。それこそが、最も長くこの世界を見てきた彼女なりの覚悟なのだろう。しかし、上条もまた自分の中の覚悟を曲げるつもりは毛頭なかった
「なら!ならテメェはこのまま人界が滅ぼされるのを黙って見て、人っ子一人いねぇ世界の支配者として、形だけの玉座でいびきでもかきながら死ぬのを待ちましょうってか!?そんな世界に、一体なんの意味があるってんだ!」
「そんなわけないわよ。私はこのアンダーワールドをリセットさせる気はないし、最終負荷実験さえも受け入れるつもりはないわ。そのための術式はもう完成しているの。そしてその先にある…この世界の更なる上のステージだって私はすでに見据えているんだから」
「・・・何?」
「言い換えるなら、整合騎士なんてただの中継だったのよ。真に私が求める武力は、記憶や感情はおろか考える力すらいらないの。単純に最終負荷実験を乗り越える為なら、ただひたすらに目の前の敵を屠り続けるだけの存在であればいい…つまりハナっから人間である必要はないの」
そこまで言われて、上条はぞわりと背筋を這う恐怖に寒気を覚えた。ニヤリと不気味な微笑を浮かべながら、アドミニストレータは天高く右手を掲げた。その仕草だけで三人の全身から血の気が引いていき、それを助長させるように永遠の若さを保つ手が怪しく光った
「さあ目覚めなさい!私の忠実なる僕!魂なき殺戮者よ!リリース・リコレクション!」
どこから取り出したのか、アドミニストレータの手の中には敬神モジュールが握られていた。そして彼女の口から紡がれたのは、記憶解放の意味を成す二つの単語。その三角柱に解放するような記憶があるのか?上条がそう考えていると、部屋から響く微かな音を耳にした
「なんだ、これ…?」
それが金属音だと気づくのに少し時間がかかった。なぜなら、部屋を見渡す間にその音が連続してずっと聞こえていたからだ。広大な広間を取り囲む何本もの柱に、それはあった。実に30本にも及ぶ模造の剣が次々に浮かび上がり、星のように煌めく天蓋の真ん中に集約していく。それを最初に見上げたユージオは、言葉を失いながら後ずさりした
「あ、あぁぁぁぁぁ……!」
やがてそれは、土煙を巻き上げながら地に落ちた。大小30本の剣は時に形を変え、実に巧妙に組み上がった。2本の腕、4本の足どころか顔や肋骨に至るまで、体の全てが金の実剣で出来ていた。黄金に輝くその巨体は、先にチュデルキンが召喚した炎の魔人には及ばずとも、それ以上の威圧感を放っていた
「あ、ありえない…同時に複数…しかも30もの武器に対して、これほど巨大な完全支配術を使うなど…術の理に反しています…!」
アリスも自分の隻眼に映る光景を疑いながらも、半ば呻くように呟いた。一際剣が密集する体の上部に紫の光が灯り、そこがこの剣の巨人の瞳なのだと分かった。そしてアドミニストレータは剣の巨人の頭部の上に浮かび、満足げに微笑みながら言った
「ふふ、うふふ。どう?これこそ私の求めた力。永遠に戦い続ける純粋なる攻撃力。名前は、そうね…『ソードゴーレム』とでもしておきましょうか」