幕間 あなたが守った世界
「悪りぃなユージオ…折角いい銘、考えてくれたってのに…もう剣は折れちまっ…ごはっ!?」
上条は右手から刃が失くなった星空の剣の柄を滑り落としながら、喀血した口を左手で抑えながら、冷たい大理石の床に倒れ込んだ。彼の右手はアドミニストレータを叩き伏せた一撃と、片手だけで天叢雲剣を振るった反動のせいか、関節があらぬ方向に曲がり、もはや使い物にならなかった。アドレナリンが切れたのか、全身に痛みが蘇ってくる。視界が霞み、呼吸が苦しくなる
「・・・ま、まだだ…まだ…終われねぇ……」
それでも、まだここでくたばるわけにはいかないと、彼は歯を食いしばった。偽りの支配者が呼び出したPC端末は破壊不能オブジェクトに設定されていたのか、光の一振りを受けてもただ床に転がっただけだった。今の自分と違ってまるで無傷のPC端末に上条は床を這いずりながらたどり着くと、辛うじて自由の利く左手を懸命に伸ばし手元へと手繰り寄せた
「外部観察者…呼出…?」
上条は霞む視界の中で目を凝らし、PCに映し出された画面の中の文字を読み上げると、カーソルを合わせてタップした。すると画面の真ん中に、黒いウィンドウが開いた。その上に『SOUND ONLY』の文字を見ると、上条は嗄れた声で言った
「もっ、もし…もし…」
黒いウィンドウの中にあるメーターのようなものが、ピクリと跳ねた。それを上条は、自分の声を拾ってくれたのだと思った。そして血反吐が飛び散るのを承知で、PCの画面に向かって懸命に叫んだ
「だ、誰かっ!そこにいるのかっ!!誰かぁぁぁぁぁーーーっ!!!」
すると直後に、ビーッ!ビーッ!という警告音にも似た耳障りな音が鳴り響いた。それがPCの誤作動によるものか、PCの向こう側にあるであろう現実世界から鳴っている音なのか上条に判別がつかなかった
「な…なん、だ……?」
警報は鳴り止むどころか、より強く鳴り響いている。それも一つではなく複数だった。そしてその中から微かに、カタカタカタカタ!と必死にキーボードを叩くような音が聞こえてきた。それは間違いなく人の手によって発生してる音だ、そう確信した上条は鳴り響くアラートに負けまいと大声で叫んだ
「おーーーいっ!そこに誰かいるんだろっ!?なぁっ!返事をしてくれーーっ!!」
『あーもうっ!うっさいわね今度は一体何だって……ッ!?ね、ねぇコレ!『From Under World』って…ひょっとしてアイツからの呼び出しなんじゃないの!?』
「み、美琴……?」
2年越しに聞いたその声を、上条が聞き間違えるはずがなかった。PCの向こう側からアラート音混じりに聞こえた御坂美琴の声に、上条は絶句した。まさか最初に彼女が出るなどとは思ってもみなかった。しかしその直後に『何だって!?』という男の声が聞こえ、マイクをひっ摑んだようなノイズが走った
『いるのか、上条当麻君ッ!?そこにいるのかい!?上条君!』
「せ、先生っ!?」
これまた2年越しに聞く声だった。自分を何度も死の淵から救ってくれたカエル顔の名医、冥土帰しの声が割って入った。しかしマイクから漏れる彼の声は、普段の彼に似合わず焦りの色に満ちていた
「あぁ、いる!俺はここにいる!セントラル・カセドラルの頂上だ!そっちには先生と御坂がいるんだよな!?俺はなんでアンダーワールドに……!」
『その説明はいつか必ずする!いいかい、上条君、よく聞いてくれ!現状君は何が起こっているかサッパリ分からないだろうが、僕らにも今そこで何が起こってるのか本当に分からないんだ!今はとにかく、何が起こっても意識をしっかり保つんだ!いいね!?』
「何が起こっても…って、そりゃ一体どういう…!?」
『吹寄君!そっちは今どうなってる!?』
吹寄、たしかに冥土帰しはその名を呼んだ。そこは一体どういう繋がりで、どういう集まりになっているのか上条は想像が追いつかなかった。そして現実世界側は上条の質問など全く聞き入れず、そこで起こっている何らかの問題に必死に手をかけているようだった
『だぁから!どうなってるか最初から分かってれば苦労しないんですってば!1倍に固定されてたはずのFLAの倍率は何でか知らないけどグングン上がってるし!次に何が起こるかなんて予想つきませんよ!』
『ね、ねぇっ!何が起きてもアイツが意識さえ保てれば、とりあえず大丈夫なのよね!?それだけでも教えておいた方が…!』
『そうは言ってもこれじゃあこっち側からは手の施しようが……ッ!?な、何よコレ…!?『特異点』ですって!?まさか、今まで発生してた黒い穴は全部……ふ、ふざけないでよ!タチの悪いSF小説じゃないのよっ!?』
マイクの向こう側で、吹寄が声を荒げながらダァンッ!と机を叩いたような音が聞こえた。彼女がここまで取り乱す原因は一体何なのか、向こうで今一体何が起きているのか、そう考えている内に、またしても吹寄の声が響いた
『もうダメッ!サーバーの容量に限界が来てる!このままじゃアンダーワールドは10秒ない内に崩壊するわ!』
「な、何ぃ!?」
アンダーワールドが崩壊する、吹寄がそう言っているのが間違いなく聞こえた。冗談なのか本気なのかは分からないが、もしそうなったら自分はどうなるのか、どうすればいいのか、そう聞こうと思った瞬間のことだった
『いいアンタッ!?とにかくこれから何が起こっても意識だけは手放すんじゃないわよ!自我を強く保って、消失の波に耐えて!そうしたら、私は必ずアンタを…た、たすけ…タスっ、tas!tsk…tasukeッ…n……ーーー!』
「お、おい美琴ッ!おいっ!?」
PCの通信にノイズが走った瞬間、上条の体はフッ…と落下した。浮き続ける足元に目をやると、足場がなくなっているどころか、底の見えない闇が広がっていた。頭上では星の輝く夜空に亀裂が入り、世界そのものが崩壊を始めていた
「うわっ、うわあああああああ!?!?!」
大口を開けた闇の中を、上条はただひたすらに下降していった。悲鳴を上げながら、どこまでも落ちていく。その闇に、果たして底があるのか。その先に、何があるのか。それすらも分からないまま、上条当麻は意識を失うまで、底の見えない闇の淵へと堕ちていった
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「・・・ふぅ。よし」
洗い終えた皿を水切り籠に立て、エプロンの裾で水に濡れた手を拭きながら、アリス・シンセシス・サーティは短く息を吐いた。それから二間しかない丸太小屋の居間に移動すると、簡素な椅子に腰掛ける少年の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて言った
「ねぇ、今日はいい天気だから、お弁当を持って東の丘まで行ってみましょうか」
「・・・・・」
アリスに話しかけられた少年は返事をしなかった。その少年は、どこか荒さの目立つ短めの黒髪で、骨張った細い体つきに青い綿生地の上着とクリーム色のズボンを履いていた。しかし、一見平凡な格好に見える少年は右腕が肩口から消失しており、部屋着の右袖がだらりと垂れ下がっていた
「・・・ううん。やっぱりお弁当はなしにして、お散歩するだけにしましょうか。ちょっと待っててね」
少年の返事がなかったにも関わらず、アリスは少年の背中から外套を着せ掛け、首下で紐を結んだ。そして部屋の片隅にある茶色の木材で拵えた、背もたれに握りと、脚に大小2組の鉄製の車輪が付いた車椅子をゴロゴロと押しながら少年の横に付けた
「よっ!いしょっと……」
それからアリスは少年の膝の裏と肩に腕を回すと、景気のいい掛け声と共に肉付きの薄い体を少し持ち上げ、車椅子へとそっと座らせた。そして隣の寝室でアリスはエプロンを外し右目に黒い当て布を巻いて、長い金髪を綿のスカーフで覆うと、最後に毛織りの外套を羽織って少年の元へ戻った
「よし!じゃあ行きましょうか」
「あー、あー……」
アリスが車椅子の取っ手を掴んで押し始めようとした時に、少年が低く掠れた声で呻きながら、震える左手で東側の壁を指差した。なんの意思表示なのかという意図も分からない呻き声だったが、アリスは少年が何を求めているのかをすぐに理解した
「あ、ごめんなさい。すぐ取ってくるわね」
少年が手を伸ばした先には、頑丈な金具で鞘に納められた三本の剣が掛けられていた。右にはアリスの所持する黄金の長剣。中央には、今や主人を失った青薔薇の剣。そして左側にはもう一本の鞘に納まった長剣。アリスはその三本の内、自分の金木犀の剣以外の二本の剣を両腕に抱えると、車椅子に座る少年の膝に置いた
「落とさないように、しっかり持っててね」
二本の剣を渡された少年は、自分の求めていた剣を大事そうに抱えるだけで、他には何の反応も示さなかった。その少年の瞳には、光が宿っていなかった。その視線はただ俯くばかりで、その瞳がどこを見つめているのかは不明瞭だった
「・・・それじゃあ、行きましょう」
まるでどこかに心をまるごと置いてきてしまったかのような彼の様子に、アリスは何ヶ月経とうとも薄れることのない渇いた悲しみを感じたが、それを無理やり胸の奥に押し込むと、車椅子を押しながら小屋を出た
「いい風ね。草木が気持ち良さそうに揺れてるわ」
少年の座る車椅子を押しながら、アリスは15分ほど木漏れ日の差す森の中を進み、やがて小高い丘を登った。その頂上につけば途端に視界が開け、東には湖の青い水面、奥には広大な湿地帯、そして北には雪を被った『果ての山脈』が天に向かって聳えたつ雄大な景色が広がっていた
「寒くないかしら?もうすっかり秋も終わって冬ね。ここに住み始めた時は、まだまだ暖かかったのに」
そう言ってアリスは車椅子から手を離すと、緑の芝生に腰を下ろした。そして少年の右隣に行くと、大きな車輪に体を寄りかからせた
「綺麗だわ。カセドラルの壁に掛けられていた、どんな絵よりもずっと……」
これほどに美しいと感じる景色を前にしても、少年は特に感性を刺激された様子もなく、ただ虚ろな瞳で中空を見続けていた。アリスはどこまでも澄み渡っている蒼穹を映した湖と、少年の横顔を見比べながら、物憂げな表情で静かに呟いた
「・・・あなたが守った世界よ。『キリト』」