とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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アリシゼーション編 War of Underworld
第1話 二人の罪人


 

「・・・ふぅ。よし」

 

 

洗い終えた皿を水切り籠に立て、エプロンの裾で水に濡れた手を拭きながら、アリス・シンセシス・サーティは短く息を吐いた。それから二間しかない丸太小屋の居間に移動すると、簡素な椅子に腰掛ける少年の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて言った

 

 

「ねぇ、今日はいい天気だから、お弁当を持って東の丘まで行ってみましょうか」

 

「・・・・・」

 

アリスに話しかけられた少年は返事をしなかった。その少年はどこか荒さの目立つ短め黒髪で、骨張った細い体つきに青い綿生地の上着とクリーム色のズボンを履いていた。しかし、一見平凡な格好に見える少年は右腕が肩口から消失しており、部屋着の右袖がだらりと垂れ下がっていた

 

 

「・・・ううん、やっぱりお弁当はなしにしてお散歩するだけにしましょうか。ちょっと待っててね」

 

 

少年の返事がなかったにも関わらず、アリスは少年の背中から外套を着せ掛け、首下で紐を結んだ。そして部屋の片隅にある茶色の木材で拵えた、背もたれに握りと、脚に大小2組の鉄製の車輪が付いた車椅子をゴロゴロと押しながら少年の横に付けた

 

 

「よっ!いしょっと……」

 

 

それからアリスは少年の膝の裏と肩に腕を回すと、景気のいい掛け声と共に肉付きの薄い体を少し持ち上げ、車椅子へとそっと座らせた。そして隣の寝室でアリスはエプロンを外し右目に黒い当て布を巻いて、長い金髪を綿のスカーフで覆うと、最後に毛織りの外套を羽織って少年の元へ戻った

 

 

「よし!じゃあ行きましょうか」

 

「あー、あー……」

 

 

アリスが車椅子の取っ手を掴んで押し始めようとした時に、少年が低く掠れた声で呻きながら、震える左手で東側の壁を指差した。なんの意思表示なのかという意図も分からない呻き声だったが、アリスは少年が何を求めているのかをすぐに理解した

 

 

「あ、ごめんなさい。すぐ取ってくるわね」

 

 

少年が手を伸ばした先には、頑丈な金具で鞘に納められた三本の剣が掛けられていた。右にはアリスの所持する黄金の長剣『金木犀の剣』。左には漆黒の長剣『夜空の剣』。そして中央には主人を失い、鞘に納めている刀身の半分を失った『青薔薇の剣』。アリスはその三本の剣の内、自分の物以外の二本の剣を両腕に抱え、車椅子に座る少年の膝に置いた

 

 

「落とさないように、しっかり持っててね。『キリト』」

 

 

キリトと呼ばれた少年は、自分の求めていた剣を大事そうに抱えるだけで、他には何の反応も示さなかった。キリトの瞳には、光がなかった。その視線はただ俯き、どこを見つめているのかは不明瞭だった

 

 

「・・・それじゃあ、行きましょうか」

 

 

まるでどこかに心をまるごと置いてきてしまったかのような彼の様子に、アリスは何ヶ月経とうとも薄れることのない渇いた悲しみを感じだが、それを無理やり胸の奥に押し込むと、車椅子を押しながら小屋を出た

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『待て!よそ者が勝手に村に入ったら行かんぞ!』

 

 

半年前、アリスは心を失ったキリトを背負ったまま、記憶の片隅からも追い出された故郷のルーリッド村の門を潜ろうとした。しかしそんな彼女の前に、これ見よがしに腰の剣に手を置いた衛士が立ちふさがり、アリス達を訝しげな表情で睨んだ。しかし、つま先から黄金の鎧まで順に見上げていき、彼女の顔を凝視すると、やがて目と口を丸くして言った

 

 

『・・・あんた…アンタ、まさか…!?』

 

 

8年経った今も自分の顔に見覚えがあるらしかった衛兵の様子を見て、アリスは心の中でそっと安堵の息を吐くと、言葉を選びながら告げた

 

 

『私はアリス。村長の、ガスフト・ツーベルクを呼んでほしい』

 

 

その瞬間に顔を赤から真っ青に変色させた衛士は、村の中へ駆け込んで行った。アリスは衛士の男が辿った道をゆっくりと辿りながら村へ入ると、やがて一際村人の騒ぎ声が激しい広場に着いた。そして誰が気づいたか、アリスがその人垣に入ろうとした瞬間に村人が一直線に道を開け、その奥にいた一人の男性が彼女に近づいた

 

 

『・・・アリス、なのか?』

 

 

顔を見合わせてから10秒ほどして、灰色の口髭を生やした壮年の男が低い声で言った。その一声で、アリスは目の前の男が自分の父親であり、ルーリッド村の村長であるガスフトだと分かった。感慨に耽ろうにも、そうするだけの記憶を持ち合わせていないアリスはただコクリと頷いて短く答えた

 

 

『はい』

 

 

実の娘を前にしても、村長は歩み寄るわけでも手を伸ばすわけでもなく、より荘厳な空気を醸し出しながら、アリスとキリトを凝視して言った

 

 

『なぜ、お前がここにいる。お前の罪は赦されたのか?』

 

 

アリスはその問いの答えに迷った。たしかに自分はダークテリトリーへの侵入という罪を犯した。しかし、それを赦されるという基準が存在しなかったからだ。アリスはやがて深く息を吐くと、村長の目を真っ直ぐに見据えて偽らざる心中を吐露した

 

 

「私は、罪に対する罰として、この村で暮らしていた時の記憶を全て失いました。それによって罪が赦されたのか、私には分かりません。ですが今の私と、後ろの少年には、この村以外に行く場所がないのです」

 

 

ガスフトはアリスの言葉を聞くなり瞼を閉じて、口許と眉間に皺を寄せた。それから少しして顔を上げた村長は鋭い眼光で、実の娘と二年前に村を出た少年を見つめ、冷たい声で言い放った

 

 

『去れ。この村に、罪人を置くことはできぬ』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いい風ね。草木が気持ち良さそうに揺れてるわ」

 

 

キリトの座る車椅子を押しながら、アリスは15分ほど木漏れ日の差す森の中を進み、やがて小高い丘を登った。その頂上につけば途端に視界が開け、東には湖の青い水面、奥には広大な湿地帯、そして北には雪を被った『果ての山脈』が天に向かって聳えたつ雄大な景色が広がっていた

 

 

「寒くないかしら?もうすっかり秋も終わって冬ね。ここに住み始めた時は、まだまだ暖かかったのに」

 

 

そう言ってアリスは車椅子から手を離すと、緑の芝生に腰を下ろした。そしてキリトの右隣に行くと、大きな車輪に体を寄りかからせた

 

 

「綺麗だわ。カセドラルの壁に掛けられていた、どんな絵よりもずっと……」

 

 

これほどに美しいと感じる景色を前にしても、キリトは特に感性を刺激された様子もなく、ただ虚ろな瞳で中空を見続けていた。アリスはどこまでも澄み渡っている蒼穹を映した湖と、キリトの横顔を見比べながら、物憂げな表情で静かに呟いた

 

 

「・・・あなたが守った世界よ。キリト」

 

 

それからどれくらいの時間を座って過ごしていたのか、ソルスは二人の頭の上に居座るほど高く昇っていた。アリスは知らず知らずのうちに、村を追いやられた半年前を思い出していた自分に深くため息を吐くと、ゆっくりと立ち上がってキリトの耳元で声を掛けた

 

 

「そろそろ戻りましょうか。もうお昼だわ」

 

 

そう言って車椅子に手を押しかけた時、自分の後ろからサクサクと芝を踏む音が聞こえてきた。アリスはその音のする方に振り返ると、そこには黒い修道服を着た、どこか自分に似ている顔に笑顔を浮かべながら、右手を振って近づいてくる少女を見つけた

 

 

「姉さまー!」

 

 

丘を駆け上がってくる少女、セルカ・ツーベルクは弾けるような声を微風に乗せて自分の姉に届けると、アリスも頬を綻ばせつつ妹に手を振り返した

 

 

「おはよう、アリス姉様!キリトもおはよう!」

 

 

セルカはアリスに元気よく朝の挨拶を飛ばした。それから車椅子に座るキリトにも声をかけたが、やはり反応はなかった。しかしセルカはそれを気にすることなくにっこり笑うと、キリトの膝に乗る二本の剣の上に右手を乗せた。そして、笑顔の中に僅かな切なさを滲ませながら、『彼』の剣に向かって囁いた

 

 

「・・・おはよう、ユージオ」

 

 

指先で青薔薇の剣を納めた鞘の白河をそっと優しく撫でると、自分の手を引き戻した。それからキリトの視線に合わせていた体を起こすと、再びアリスの方へ向き直った

 

 

「おはよう、セルカ。よく私がここにいるって判ったわね?」

 

「神聖術で探したわけじゃないわよ。家に行ったら留守だったから、今日はとってもいい天気だし、ここに来てると思ったの。ミルクとパイをテーブルに置いて来たから、お昼に食べてね」

 

「ありがとう、とっても助かるわ。何を作るか迷っていたのよ」

 

「まぁ姉さまの料理じゃ、いつかキリトが夜な夜な逃げ出しちゃうかもしれないもんね!」

 

「い、言ったわね!?これでも最近はパンケーキを焦がさずに焼けるようになったんだから!」

 

「本当に〜?最初は熱素で焼こうとして黒炭にしてたのに」

 

「キリトだって同じようなことしたことあったんだから平気よ」

 

「そ、そういう問題かなぁ…」

 

 

アリスはなおも姉である自分をおちょくろうとするセルカの額を小突こうとすると、彼女はそれをヒラリと躱してアリスの胸元に顔を埋め、アリスもセルカの背を優しく抱き寄せた。それから数秒の間互いの熱を感じ合うと、パッと体を引き離して言った

 

 

「さぁ、そろそろ戻りましょうか」

 

「うん!分かれ道まで、私が押すね!」

 

 

そう宣言したセルカはキリトの車椅子に手をかけると、懸命に足を踏ん張りながら何とか押し始めた。キリトと椅子を押すだけなら彼女の力でもまだ何とかなるだろうが、彼の膝に乗る二本の神器級の剣が重さに拍車を掛けており、整合騎士だったアリスが押すよりも遥かに遅い速度でしかセルカには押すことが出来なかった

 

 

「下り坂だから気をつけてね」

 

 

言いながらアリスは、本当にこの妹には世話になってばかりだと思った。半年前、セルカは村に拒絶された自分を必死に追いかけてきてくれた。それからガリッタという老人に声をかけ、彼の善意と協力で村の外れに小さくもしっかりとした小屋を建てたアリスは、キリトとそこに住まう事になった。ガリッタとセルカがいなければ今頃どうなっていたことかと、アリスはそれ以後セルカをキリトと同じほど大切に思うようになった

 

 

「大丈夫よ、相変わらず姉さまは心配したがりなんだから」

 

 

必死に力みながらも、セルカは後を追ってくるアリスに笑顔を返してみせた。事にセルカは、半年前に村に戻ってきたアリスからユージオの死を知った時に涙を見せただけで、アリスが記憶を失い自分のことを一切覚えていないことも、キリトが心を失ったことも何とか飲み込み、それ以降は悲しそうな顔をすることは一切なかった

 

 

「ちょ、ちょっと休憩ぇ…」

 

 

そんな前向きな彼女でも、やがて車椅子の重さに立ち止まり、膝に手をついて息を整えているのを見て、アリスはセルカの肩に手を置きながら言った

 

 

「ありがとう、セルカ。ここから先は私が押すわ」

 

「ぜぇ…分かれ道まで、頑張るつもり…だったのになぁ…」

 

「前の時よりも100メルは長く押してくれたじゃない。とっても助かったわ」

 

「・・・あの、姉さま…実は…」

 

「どうしたのセルカ?何か困りごと?」

 

 

アリスは車椅子を押した苦労を労って、セルカの頭を撫でた。しかし、アリスの優しさに明るい表情を見せていたセルカだったが、次第にその笑顔を曇らせながら視線を上げて言った

 

 

「あのね、バルボッサのおじさんが、姉様にまた開墾地の樹の始末を頼みたいって…」

 

「なんだ、そんなことだったの。そんなのセルカが気に病むことないのよ?」

 

「だって、勝手すぎるわ…あの人たち。キリトだってそう思うでしょ?」

 

 

車椅子に座る少年の顔を覗き込みながらセルカは訊ねたが、当然のようにキリトは何も答えなかった。けれどセルカはあたかも彼の同意を得たように語気を強めてアリスに訴えた

 

 

「バルボッサさんも、リダックさんも、姉さまを村には住まわせようとしない癖に、困った時だけ助けてもらおうなんて虫が良すぎるわ。伝言しておいてなんだけど、断ってもいいんだよ?食べ物は私が家から持ってきてあげるから」

 

「ふふっ、その気持ちは嬉しいけど、本当に気にしなくていいのよ。今の家は気に入っているし、村の近くに住めているだけでもありがたいことだもの。お昼を食べたら手伝いに行くわ、場所は?」

 

「・・・南の開墾地だって」

 

 

セルカが小声でそっと答えると、アリスは一言「分かった」と言って頷いた。それから車椅子を押して丸太小屋のほんの手前まで進んだところで、セルカが不意にアリス達の前に出てキッパリした声で言った

 

 

「姉さま。あたし、来年には見習い期間が終わって、少しだけどお給金が貰えるようになるの。そしたらもう、あんな人たちの手伝いなんかせずに、姉さまとキリトは私がずっと……」

 

 

そこで言葉が詰まってしまったセルカを、アリスは優しく抱き締めた。セルカもアリスの背中に手を回すと、アリスはセルカの耳元で静かに囁いた

 

 

「ありがとう、セルカ。でも、あなたが近くにいてくれてるだけで、私は充分に幸せなの。だから、心配しないで」

 

「アリス姉さま……」

 

「それじゃあね。お昼ご飯、大切に食べるから」

 

「・・・うん、分かった。それじゃあ」

 

 

セルカの小さな体をアリスは最後に強く抱くと、彼女の修道服の上を滑らせるように両腕の抱擁を解いた。それから短い別れの挨拶を済ませると、名残惜しそうに手を振って去って行くセルカを見送り、キリトと共に暮らす小さな小屋への道を歩き始めた

 

 

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