とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第3話 来訪者

 

「ただいま、『雨縁』」

 

 

その後、手に入れた100シア銀貨で市場の食材を買い込んで小屋に帰る頃には、すっかりと日が暮れていた。家に帰り着いたアリスは、小屋の隣にある枯れ草を敷き詰めた寝床に帰ってきていた飛竜の頭を撫でていた。嬉しそうに鳴る飛竜の喉を逆の手で摩ると、アリスはその肉付きに気づいた

 

 

「雨縁、お前ちょっと太りましたね?湖の魚を食べすぎなのよ」

 

 

彼女の飛竜、その名を『雨縁』。彼女はアリスがこの草地に小屋を建てると決めたその日に頭の頭絡を外され、整合騎士に仕える拘束術式を解かれた。その上で、雨縁はアリスの元を去ろうとはしなかった。自分で干し草を集めて寝床を作り、日中は森で遊んだり湖で魚を食べているようだが、夕暮れになれば必ず寝床に戻ってくる。そんな彼女自身の意思で残ってくれたことが、アリスはこの上なく嬉しかった

 

 

「おやすみ、雨縁。また明日」

 

 

アリスがそう言って微笑みながら雨縁の純白の額に優しく口付けをすると、飛竜は気恥ずかしそうに鼻を鳴らして首に尾を絡めるようにして丸くなった。アリスは最後に頭を優しく叩くと、小屋の中に戻って夕食の準備を始めた

 

 

「お待たせ、キリト。今日の夕食はシチューにしたわ。私としては美味しく出来たと思うから、冷めないうちにどうぞ」

 

 

そう言ってアリスは丸みを帯びた木皿にシチューをよそって、居間の椅子に座るキリトの前のテーブルに木皿を置き、スプーンに掬って彼の口元に運んだ。今の彼は、ここからが長い。アリスが自分の前に食事を持ってきたのを鼻か目で気づくと、やがてゆっくりと小さな口を開く

 

 

「どう、美味しい?」

 

 

アリスがそう聞いても返事はない。シチューの中の豆は少し硬く、だんごは不揃いだがそれに対する文句もない。ただ時間を置いて口を開け、飲み込むだけ。今のキリトにとっての食事はこれが限界だった。一食に一時間ほどの時間がかかるのは当たり前だったが、それでも天命の減少を防ぐために食事そのものは与え続けなければならなかった

 

 

「はい、お粗末様でした」

 

 

時間をかけつつもキリトにシチューを食べさせ終わると、アリスも自分の分のシチューを皿に装って食べた。それからキリトを椅子ごと小型ストーブの前まで移動させると、流しで食器を洗って籠に並べ始めた時だった

 

 

「・・・雨縁?」

 

 

不意に、いつもなら夜明け頃まで眠っているはずの雨縁が「ルルルッ!」と低く鳴いた。アリスがそれを不思議に思って耳をすませると、丸太小屋の木々の隙間から薄く大きな翼が風を切る音が聞こえてきた

 

 

「ッ!?まさか…!」

 

 

ハッとしたアリスは、慌てて玄関から飛び出した。隣の雨縁はなおも喉を鳴らしながら寝床にうずくまって空を見上げている。アリスもそれに倣うように夜空を仰ぐと、満点の星空を背景に螺旋を描いて舞い降りてくる飛竜を見た

 

 

「ダークテリトリーの飛竜…?いえ、あれは…整合騎士の……」

 

 

やがて草地の南に下降してきた竜の鱗は、白銀に輝いていた。それは紛れもなく整合騎士の飛竜であることを証明する銀鱗だった。そして雨縁は喉を鳴らすのをやめ、きゅうんと甘えるように鳴き始めた。そこでアリスはようやく気づいた。今降りてきている竜は雨縁の兄竜である『滝刳』。そしてそれを従える整合騎士は………

 

 

「・・・よくここが解りましたね、何用ですか。整合騎士、エルドリエ・シンセシス・サーティワン」

 

 

ズズウンッ!という音を轟かせて着地した滝刳の背中から、白銀の鎧兜を身につけた騎士が飛び降りた。アリスよりもただ一人後ろの番号を持つ整合騎士エルドリエは、まず右手を胸に当てがって深々と一礼した。やがて体を起こして兜を外すと、紫色の髪をかきあげてから滑らかな声で言った

 

 

「お久しゅうございます、我が師アリス様。装いは違えど、相変わらずお美しくいらっしゃる。今宵の見事な月の下で、我が師の黄金の御髪がさぞ美しく輝いておられようと思い立ち、居ても立っても居られずに秘蔵の銘酒片手に馳せ参じた次第にございます」

 

 

キザな台詞回しで背中から左手をさっと前に差し出すと、握られていたワインの瓶を掲げた。アリスはため息を極力抑えて、いつの間にか自分を師と仰ぐようになった騎士に向けて言った

 

 

「傷は癒えても、その性格は変わりませんか。今気づきましたが、そなたの物言いやら言い回し、少し元老長チュデルキンに似ていますよ」

 

「え゛っ!?あ、あの…アリス様……」

 

「話があるなら中で聞きます。ないのであれば一人でワインを飲んで央都に帰りなさい」

 

 

アリスはエルドリエに背中を向けながら冷たく言うと、小屋の中へと戻っていった。エルドリエは彼女に大人しく付いていき同じように部屋に入ると、狭い小屋の中を少し見回し、ストーブの前で俯くキリトを一瞥した。しかし、それ以上は何を言うでもするでもなく、素早くテーブルの奥に進んでアリスのために椅子を引いた

 

 

「・・・この場合はそなたの方が客人でしょうに」

 

「そんな、滅相もございません。こちらこそこんな夜分に前触れもなく訪れた無礼の身。我が師にお招きいただけるのであれば、これくらいはせねばなりません」

 

 

彼の態度に馬鹿馬鹿しいとため息をつきながらも、どうにもその椅子に座らないと話も進みそうにないのでアリスはすとんと腰をおろした。それからエルドリエは勝手にアリスの向かいの椅子に座ると、アリスの右目を覆う黒い当て布を見て僅かに表情を曇らせながらも、何かに気づいたように少し鼻を動かした

 

 

「ふむ…何やらとても良い匂いがしますな。ところでアリス様、私めは急ぎの旅でしたゆえ、夕食をまだ食べていないのです」

 

「な、何がよくも、まぁところでなどと…央都からこんな辺境まで飛ぶのに、酒を持って携行食を持たぬとはどういう了見ですか」

 

「私、あのパサパサしてモソモソした奴は一生食わぬと三神に誓いましたので。あんなもので腹を満たすくらいなら、飢えて天命が尽きるに任せた方がマシというものです」

 

 

アリスは尽きないため息を苦い表情で押し隠しながら、椅子を立って台所に移動した。そして竃に乗った鍋からシチューを木皿に装うと、テーブルに置いてエルドリエの前に進めた。エルドリエはそれを注意深く見つめると、恐るおそるアリスに訊ねた

 

 

「・・・つかぬ事を伺いますが、こちらはもしやアリス様がお手ずから…?」

 

「そうですが。それがどうかしましたか?」

 

「おぉ…いえ。我が師の手料理を頂ける日が来ようとは、秘剣の型を授かった時に勝る喜びというもの……えぇ。中々どうして、意外とこれは絶品です…」

 

「意外とは余計です」

 

「これは失敬。私としたことが、あまりの感動に…つい」

 

 

エルドリエは豆の入ったシチューを匙で掬って口に運ぶと、もぐもぐとそれを噛んで喉に流し込んでから感想を述べた。アリスはそれを軽く受け流すと、改めて彼に問い質した

 

 

「それでそなた、どうやってこの場所を探り当てたのです?央都からは神聖術も届かぬ距離でしょう。加えて私一人見つけるために飛竜を飛ばす余裕など、今の騎士団にはないでしょう」

 

 

公理教会の最高司祭が二人の咎人と一人の整合騎士によって討たれた日から、騎士長ベルクーリが指揮を執って来たる闇の軍勢の総攻撃に整合騎士団は備えてきた。東の大門に軍備を配置し、他の方角の端にも闇の軍勢の動向を探る飛竜がほぼ毎日飛んでいる。そんな中で、こんな片田舎を探し回る余裕があるとはアリスは到底思えなかった

 

 

「私とアリス様の魂の絆を辿って…と言いたいところではありますが、残念ながら全くの偶然なのです。実は最近、妙な情報が届きまして」

 

「妙な情報…というのは?」

 

「果ての山脈を周回している騎士から、北方でゴブリンだのオークだのがコソコソ動いているということでしてね。北、南、西の洞窟は全て騎士長の指示で崩落させましたが、そこを性懲りも無く掘り起こす気かもしれぬということで、私が確認に来たのです」

 

「な、なんですって!?」

 

 

もしもそうなれば、最北端に位置するルーリッド村が被害を受けるのはほぼ確実だ。あの村には妹のセルカがいる。それにこの家も危うくなる。血相を変えて驚いたアリスに、エルドリエは芝居がかった仕草で右手を上げながら言った

 

 

「いえ、ほぼ丸一日かけて洞窟の周囲を飛び回って確認しましたが、オークはおろかゴブリンの一匹すらも見ませんでしたよ。おおかた、獣の群れを軍勢と見間違えたのでしょう」

 

「・・・洞窟の内部は確認したのですか?」

 

「無論です。ダークテリトリー側からも確認しましたが、天井までビッシリと瓦礫に埋まっておりました。アレを掘り返すには大部隊が必要でしょう。それを確かめて央都に戻ろうとしたところ、滝刳が妙に騒ぎましてね。導かれるままに飛ばしてみたら、この場所に降りたという次第で私も驚きました。なんたる偶然…いえ、運命の導きでしょうか」

 

 

それまでのキザな口調と、彼の醸し出す雰囲気が微かに変化したのをアリスは肌で感じ取った。やがてエルドリエは雄々しい騎士の表情になり、強い視線をアリスに注ぎながら言った

 

 

「・・・お察しであるとは思いますが、ここまではただの建前です。無礼であることは承知の上ですが、今この時に再び相見える機会を得たからには、これを申し述べるのは私の責務です。アリス様…騎士団にお戻り下さい!我々は千の援軍よりも、あなた様お一人の剣を必要としているのです!!」

 

「・・・・・」

 

 

アリスはエルドリエの強い視線から逃れるように俯いた。アリスとて分かってはいる。人界を包む脆い壁が、音を立てて崩れようとしていることも、今のベルクーリ含めた『人界守備軍』が抱える苦闘も。しかし、それを考えた上で、やがてアリスはゆっくりと顔を上げて呟いた

 

 

「・・・出来ません。今の私では」

 

「何故です!?」

 

 

エルドリエは鋭い声を小屋に響かせると、続いてガタン!と音を立てて椅子をずらしながら、熱のこもった視線と指先をストーブの傍の椅子に腰掛けるキリトに向けた

 

 

「あの男のせいですか。カセドラルの牢を破り、多くの騎士と元老長、そして最高司祭様までをも反逆の刃にかけたあの男が、今もアリス様のお心を惑わせているのですか!?」

 

「・・・・・」

 

「・・・左様ですか。であれば、その迷いの源を、すぐにでも私が断って差し上げる!」

 

「止まりなさいっ!」

 

 

腰に据えた長剣に手をかけて椅子を立とうとしたエルドリエを、アリスが強い叱責で止まらせた。なるべく抑えたつもりの声量ではあったが、その一声でエルドリエはピクリと上体を引いた

 

 

「良いですか、騎士エルドリエ。彼もまた己の信ずる正義のために戦ったのです。そうでなければ、最強たる我ら整合騎士が騎士長閣下に至るまでことごとく敗れ去ったことに説明がつきません。彼の剣の重さは、直接刃を交えたそなたも身を以って知ったでしょう」

 

「・・・確かに、民の半数を魂なき剣骨の兵士に変えるというアドミニストレータ様の計画は、私にも受け入れがたいものです。そして、あの若者…キリトとその友ユージオの存在がなければ、計画が現実のものになっていたのもまた事実」

 

「ましてや、彼らを導いたのがかつてのアドミニストレータ様と並び立った、もう一人の最高司祭カーディナル様であった、というベルクーリ閣下の話が事実であるならば、私も今さらキリト達の罪を問おうとは思いませぬ。しかし!そうであるならばなおのこと納得がいかない!」

 

「反逆者キリトが、アリス様の仰るように我ら整合騎士をも上回る剣の使い手ならば、なぜ今に剣を取って戦わぬのです!?なぜあのような情けない姿に成り果て、アリス様をこの辺境に縛り付けるのですか!民を守るためにアドミニストレータ様を弑したとあれば、今すぐにでも東の大門に馳せ参じるべきでありましょう!?」

 

 

熱く語るエルドリエの言葉にも、キリトは一切の反応を示さなかった。ただストーブの中で焚かれた火を、光のない双眸で見つめ続けている。訪れた長く重い沈黙の中で、アリスは穏やかな声で言った

 

 

「・・・ごめんなさい、エルドリエ。私はやはり、そなたと共には行けません。キリトの状況とは関係なく、カセドラルが陥落したあの日から、己の在るべき姿を忘れてしまった私の剣力は、まるで失せてしまったのです。今のそなたと剣を交えても、恐らく三合と続かないでしょう」

 

 

剣力。それ即ち、意志の力に他ならない。アリスの心の中には、最高司祭を討ったあの日からずっと濃い迷いの霧が立ち込めていた。人界の民を守りたいのもあるが、それ以上にキリトを守らなければ、という責任感もあった

 

 

「・・・そうですか。ではもう、何も言うますまい。短い間ではありましたが、お世話になりました」

 

 

そんなアリスの曇った表情を見て、エルドリエは端麗な顔を歪ませて呟いた。そしてワインの瓶をそのままに席を立つと、純白のマントを大きく翻した。それから小屋の扉に右手をかけたその時、なぜか彼は不意に額に左手を当て、しばらくの間呆然と立ち尽くした

 

 

「・・・?一体どうしたのです、エルドリエ?」

 

「・・・いえ。何やら頭に妙な違和感が…それと、顔に…『誰か』に殴られたような身に覚えのない鈍痛が…?」

 

 

エルドリエはそう言って、特に何かの意味があるわけでもなく額から上げた前髪をくしゃりと掴んだ。アリスはそんな彼の様子を不思議そうに見つめながら、来たる別れを促すように言った

 

 

「気のせいでしょう。最強たる整合騎士が、半年前を除いて人界の中で、騎士以外の何かから痛みを受けるなど。もっとも、私はもうその限りではありませんが…」

 

「・・・そうですな。では、これにてお別れです。我が師よ。ご教授頂きました、剣と術の要訣、このエルドリエ、生涯忘れませぬ」

 

「元気で。無事を祈っています」

 

 

それだけを口にしたアリスにエルドリエは頷いて返すと、それを最後に今度こそドアを開けて外に出た。少し遅れて外の滝刳の鳴き声と彼の羽が空を打つ音が聞こえ、兄との別れを惜しむ雨縁の鼻声に、アリスはわずかに胸を痛めた

 

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