とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第4話 不明瞭な記憶

 

「ごめんなさいね、キリト。もう疲れたでしょう?いつもならもうとっくに寝ている時間だものね。さ、ベッドに入りましょう」

 

 

エルドリエが去った後、アリスは椅子に座るキリトを着替えさせ、ベッドに横たわらせた。それから足下に畳んである毛布を彼の首元まで持っていくと、しばらくしてキリトは電池でも切れたかのようにふっと目を閉じ、寝息を立て始めた。アリスはそれを確認すると自分も寝巻きに着替え、部屋のランプを消してキリトの隣に潜り込んだ

 

 

「・・・教えて、キリト…どうすればいいの…私は一体…どうすればいいの……」

 

 

悲しげに呟いてアリスは微かな温もりのあるキリトの小さな体の隣に身を寄せると、悪夢に怯える幼子のように丸くなった。やがて訪れた眠気に意識を沈ませ、ベッドの反対側に横たわるキリトを瞳に滲ませながら、彼女はゆっくりと瞼を閉じた

 

 

「・・・・・・・・・・・…ぅ…!」

 

 

すぐにでも消え入るような呻き声が、少女の口から漏れた。その夜、アリスは実際に悪夢に魘されていた。全身は汗ばんで、寝顔は険しく、激しい歯軋りを繰り返していた。彼女の手元に広がるベッドのシーツは、無意識の内に力一杯握りすぎたせいで、幾重にも皺が寄っていた

 

 

『歯ァ食いしばれ!整合騎士ッ!』

 

「・・・ぐぅっ!?」

 

 

そこはセントラル・カセドラル80階、雲上庭園の丘の上だった。金木犀の剣と共に過ごしたあの場所で、誰かの声が聞こえる。誰かの顔は、靄がかかったようにボヤけていて不鮮明だ。夢だからなのだろうか?しかし、夢にしてはなぜか明確な痛みが左頬にあった。やがてアリスは、その夢の中で庭園の丘を自分が転げ落ちて言ったかと思えば、その瞬間に見える景色が暗転した

 

 

『お前が…アドミニストレータか』

 

「ううっ!?ああっ!」

 

 

それは、あの日の出来事だった。最高司祭アドミニストレータに反旗を翻し、セントラル・カセドラルに辿り着いた『彼ら』と自分。しかし、夢に見るあの日の彼らの一人が違う。青薔薇の剣を腰に据えた少年ユージオ。その隣に立つ少年が、キリトではない。見間違いだとは思えなかった。実際には見ていないはずなのに、彼の背負う翡翠色の剣と盾に、どうしてか酷く見覚えがあった

 

 

『ありがとな、アリス。おかげで喝が入った。後は俺に任せて、ゆっくり休んでくれ』

 

「・・・・・ぁ…」

 

 

夢の中で、少年が自分の体を支えて床に寝かせている。その声に、彼の優しさに、心が安まる。けれど、あの戦いの中でそれをしたのはキリトだったはずだ。夢の中にいる少年は顔に靄がかかっており、少なくともキリトではないということしか分からなかった

 

 

『それでもまだテメエがこの世界の支配者を気取るってんなら…いいぜ!テメエのそのふざけた幻想を!テメエが支配する世界ごとまとめてぶち殺すっ!!』

 

「・・・・・お前、は……?」

 

 

アリスが寝言を発しながら、大きく頭を振った。夢の中にいる少年は、あの最高司祭に向かって、あろうことかただの右手一本で立ち向かっている。背中には剣があるのに、それを抜こうとしない。どこまでもただ真っ直ぐに突き進み、やがて轟音と共にアドミニストレータを拳一つで叩き伏せた

 

 

『・・・分かった。お前のその痛みを、俺が一緒に背負ってやる』

 

「・・・あぁっ、うぅっ…!?」

 

 

そこからは夢の中に様々な光景が次々に流れ込んできた。セントリアの修剣学院で、黒い制服の少年が名乗っている。雲上庭園で一緒に蒸し饅頭を食べ、キリトと同じように黒い眼帯を巻いてくれた。最高司祭の魔の手に落ちた親友を殴り飛ばし、畳み掛けるようにお互いの思い出を語っている。そして……

 

 

『うわっ、うわあああああああ!?!?!』

 

 

少年が、闇の中に堕ちていく。セントラル・カセドラルが…いや、人界が…闇の世界も含めた全てが音を立てて崩れていく。自分の体も、それに従うように闇に堕ちていく。何もかもが消え失せた真っ暗な世界は深い。あり得ない、こんなのはあり得ない。これではまるで自分は、今ここにいる自分は、死んで………

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーっっっ!?!?!?!?!」

 

 

その光景を最後に、アリスは絶叫しながらベッドから飛び起きた。嫌な寝汗をたっぷりと吸った寝巻きは、首下を始めにして全身にべったりと貼りついていた。夢の中では一切姿を見せなかった隣に眠るキリトを見やるが、心を失っている少年は何事もなかったようにただ規則的に寝息を立てていた

 

 

「はあっ…!はあっ…!はっ…!はっ……」

 

 

アリスはゆっくりと肩を上下させながら息をして、呼吸を整える。夢に浮かんでいたあの日に消失したはずの右目の奥と頭が、なにかを訴えるようにズキズキと痛む。夢の残滓のようなものが、まだ脳裏に浮かんでくる。この世界にはいない、しかしいたはずの少年の声が響いている

 

 

「・・・『カミやん』…?」

 

 

いるはずのない少年の名を、口にする。覚えているようで覚えていない、奇妙な感覚がある。彼が立っていた場所にいるはずなのは、本来であれば隣で眠るキリトだったはずだ。絶対の女神、アドミニストレータへの反逆という、御伽噺のような戦い。しかしそれがただの夢だと思うにはあまりにも、頭の中に少年と一緒にいた時の記憶が焼き付いていた

 

 

「今の夢の彼は、一体……?」

 

「あ、あーーー…」

 

 

突然、二人のベッドに小さな震えが伝わった。アリスは驚いて隣のキリトに視線を移すと、眠っていたはずの彼が目を見開かせて掠れた声を上げていた。自発的な意思が全く存在しないはずの彼が強く体を震わせて、ベッドから出たがっているかのように足を動かしていた

 

 

「き、キリト…?どうしたの?」

 

「クルル!クルルルッ!」

 

 

次はアリスが目を見開く番だった。空き地の片隅で寝ているはずの雨縁が、喉を唸らせ鳴き声を響かせている。それを聞いたアリスはついにベッドから飛び降りて小屋の中を駆け抜け、突き飛ばすようにドアを開いて外に出た

 

 

「こ、これはっ…!?」

 

 

外に飛び出した途端、冷たい夜風がアリスの顔を殴った。続いて、異様な臭いが鼻に舞い込んでくる。料理を始めたての頃にパイを焦がした時よりも、ずっと強い焦げ臭さ。本能に突き動かされるように周囲を見回すと、西の空が赤く光り、煙が天高く舞い上がっているのが嫌でも目に入った

 

 

「・・・山火事…?」

 

 

一瞬そんな考えがアリスの脳裏をよぎったが、それは本当に一瞬でしかなかった。焦げの臭いが染み付いた風が共に運んできたのは、大勢の悲鳴。赤く光るアレは炎だ、そして煙が立っている場所は、ルーリッド村だ。そこまで分かれば、あとは簡単だった。紛れもなく敵襲だ。ルーリッドの村に、闇の群勢が攻め込んでいるのだ

 

 

「せ、セルカ…セルカは…!?」

 

 

妹の安否を思って悲鳴をあげたアリスは、急いで小屋に戻ろうとしたところで、しかして立ち尽くしてしまった。妹や両親は何としても助けなければならない。しかし、他の村人はどうすればいいのか。可能な限りの全員を救うには、どうしても戦わなければならない。今の自分に闇の軍勢に正面から立ち向かえるだけの意志の強さが残されているのだろうか、とアリスが逡巡していた時だった

 

 

「・・・キリト…?」

 

 

小屋の中で何かが倒れる音がした。ハッと左目を見開いて開け放したドアから居間を覗くと、今の中央で椅子を倒しながら、キリトが床を這いずっているのが見えた

 

 

「だ、ダメよキリト!そんなに無理して動いた、ら……?」

 

 

そんな彼を見て急いで小屋に戻ったアリスは、その光景に言葉を失った。キリトの虚ろな瞳はそのままだったが、残された左腕を壁に掛けられた三本の剣に向かって必死に伸ばしていたのだ

 

 

「キリト…あなた……」

 

「あ、あーーー」

 

 

アリスの瞳から、涙が溢れ出した。彼の意思は失くなってなどいない。今もこうして、自分で剣を取ろうとしている。掠れた声を漏らして床を這いずり、ただ剣を目指している。彼は今も戦っているんだという現実を目の当たりにしたアリスは、目許の涙を拭ってキリトに駆け寄って彼の体を抱き起こした

 

 

「・・・大丈夫よ、キリト。私が行ってくるわ。私が村の人を助けに行くから…だから、あなたは安心してここで待ってて」

 

 

キリトの体を抱きしめながら、アリスは彼の耳元で口早に囁いた。そして彼を椅子に座らせると、戸棚に長い間仕舞われていた鎧と剣帯を引っ張り出して寝巻きの上から装着した。続いて自分の愛剣である金木犀の剣を引っ掴むと、キリトの肩に手を置いて言った

 

 

「みんなを助けたら、すぐに戻ってくるからね」

 

 

それだけ言い残すと、アリスは椅子の背もたれに掛けてあった外套を鎧の上から羽織り、玄関のブーツに足を突っ込んでもう一度ドアを押し開いた。黄金の鞘の金具を剣帯に止めつつ庭に出ると、庭の飛竜の名前を叫んだ

 

 

「雨縁ッ!!」

 

 

その一声で白銀の鱗の飛竜、雨縁は寝床から飛び出した。そして自分を呼び出した主人のの前に出て低く頭を下ろすと、間髪入れずにアリスが彼女の首元に飛び乗った

 

 

「行けっ!!」

 

 

アリスの指示に答えるように、雨縁が一際強く咆哮した。銀色の翼が打ち鳴らされ、短い助走をつけた後に雨縁とアリスの体はあっという間に夜空へと舞い上がった

 

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